はてなキーワード: 殺人犯とは
ふと考えた。
ここに、さしたる理由もなく前途洋々たる15歳の若者を殺した人間がいるとする。そいつはとりあえず、少年法が適用されないような年齢。
彼は当然裁判にかけられ、メディアに騒がれ、世間に騒がれ、ありとあらゆる人から責められ、重い刑を言い渡されるだろう。
ここでいう彼とは当然男性という意味ではなく、性別を特定しない英語のtheyやドイツ語のmanみたいな意味だ。
ところが、その裁判をしている最中、あるものが出てきたとする。
ここから現実的でない設定に入るけど、「数回しか使えないが人物と年齢を指定して人の未来が見える機械」ってやつが発明されていたとする。
それはビデオカメラみたいなやつで・・・もういっそビデオカメラでいいや。
その人に向けて、年齢と月日を指定してシャッターを切るとその時点の彼の30秒くらいの動画が出てくる。しかし、デリケートな機会なので見られるようになるまで1カ月かかる。
一回とるのにとんでもない高いお金がかかる機械なのでそうそう使えやしない。
しかし、偶然殺された若者の親が、子どもが死ぬ二週間前くらいに20歳の時点を撮っていたとする。
殺された二週間後にその動画が届いた。そしたら、そこに写っていたのはなんと20人もの人間を残酷な方法で快楽殺人し、裁判にかけられた彼だった。
そうなった場合、それが世間にどこからか漏れて万人の知るところとなった場合、最初に殺人を犯した人に対する評価はどんな風になるのだろうか?
結果的に快楽殺人犯の1人を殺して、将来死ぬはずだった20人を救ったことになるわけだ。
殺されるはずだった人やその親族、友人、恋人は間違いなく殺人犯の彼に感謝することになるだろう。
原刑されるとは考え難いが、DEATH NOTE のキラみたいに、信者とかが出てくるのか。
※追記※
ほんとだ、死んでるわ。
どうやったらこの設定完成すんの??
最初に言っておくとこの作品ではタイムリープは起きてない。よくタイムリープものだとカテゴライズしてる人いるけどそれは間違い。
そこがこの作品のうまい所であり、大多数の人が騙されてるところ。
つまりリバイバルは時間を巻き戻してるわけじゃないんだよ。そこに気がついてる人はどれくらいいるかな?
この謎をとく鍵は悟が植物状態になったこと。この物語を植物状態になる前と後で分けて考えるとわかりやすい。
物語を順番に読んでいくと、リバイバルして何回も小学生に戻って、殺人犯を追い詰めるけど、逆襲されて殺されかけて植物状態になった、こういうふうに受け取りがち。
でもこれが間違い。作者がそういうふうに誘導しているのもあるから仕方ないけどね。
何度も言うけど鍵は植物状態の前と後。
つまりどういうことか?ぶっちゃけるとリバイバルは昏睡状態の悟がみた夢のなかでの出来事です。
現実に起きたことを時系列順に並べ直すと、小学生の悟は一発で八代を追い詰めけど逆襲される→植物状態になる(この間に長い夢を見る)→目が覚める→八代の犯罪を暴く。
親が子供の人格を認める、なんてのは、建前というか綺麗事ですよ。
だって、それまでさんざん親に対して理不尽なことをしてきたんだから、人としてもう信用がないんだよ。
たとえば殺人犯なんかが「刑は終えたし、更生もしたんだから、偏見なく自分を一個の人格として扱え」なんて主張しても、まともに取り合えないでしょ?
建前としては、刑を終えて更生もしたんなら、ちゃんとフラットに扱うべきだってのがあったとしても、そうそう人は建前通りには出来ないし、する必要もないと思うわけ。
だからまず、親になったら子供の人格を認めようなんて気張る前に、
自分の親に子供の人格を認めてもらえないことを「当たり前のこと」と受け止めなくてはならない。
子供の人格を認められる親に対しては「立派だなぁ」と素直に尊敬すればいいけど、
http://anond.hatelabo.jp/touch/20160219013645
まとめサイトで取り上げられたこともあって多くの意見が寄せられているこの話題だが、このエントリーの筆者(以下筆者)の考えはおよそ普通の女性(筆者が本当に女性かは、そもそも釣りかもしれないとかキリがないのでさておき)が陵辱という言葉に対して抱くであろう普通の考え方だと思う。
さて事の発端は女子差別撤廃条約の定例報告会が2月16日に行われたが、この条約の批准状況を検討する同条約委員会から今回の報告会のテーマの一つ(しかもまとめサイトの見出しにあるような筆頭扱いではなく実際の質疑項目としては7番目)として女性に対する性的暴力を伴うビデオゲームや漫画の販売を「禁止」することを求めたものが波紋を呼んだことだ。
まず念頭に置きたいのは、この委員会には安保理決議や国連総会のような権限は無く数多ある国連関連機関のひとつに過ぎないことと、国際的な批判だとかの重々しい話ではなく委員会を構成するのは各国から選ばれた弁護士など専門家であって国家の代弁者が集う場ではないということだ。
また定例報告会とあるように日本だけが特別に呼びだされて叱咤されたのではなく、直近ではアイスランドやスウェーデンを含めた数か国が同様に報告会を行っている。
そして日本においてはゲームマンガの話だけでなく雇用や年金での男女格差など複数の議題があったものだ。
この委員会がどういうところに突っ込むかを言えば、アイスランドに対しては最高裁判事が男性しかいない点や強姦事件での有罪の少なさを指摘する。スウェーデンに対しては割礼と強制結婚の防止に関するデータの提出を求めるなど、一見してかなり細かい。つまり女子差別と見なせるものは手当たり次第とも言えよう。
話を戻そう。政治的には無視できないものの影響力は微々たるもので昨日と変わらぬ明日が来る程度の見解というのが今回の報告ということになり(国連の威を借りたい各種団体はいるが)しかしこういったことをきっかけに色々と考えるのは良いことだ。
冒頭リンク先の話はまさにそうで、ひとまずリンク先筆者の意見を要約すると以下のようらしい。
妄想は自由だけど、形にして世に流通させるのはまた別だよ。そんなもんはせめて、裏の世界で超高額で売買するか、無償でひっそりとやり取りしてほしい。
その理由は、そういった表現まで法で肯定されていたら、怖くて、不快で、侮辱的で、女性の名誉を毀損されてると感じるから。
「被害者が、実在する特定の属性を持っていること」「その属性を持っている存在を、その属性を持っていない存在が危害を加えること」「加害行為がその作品のメインコンテンツであり、その描写によって快楽・興奮を得ることが目的に作られている」この3つが揃った時、その作品は表現の自由の範疇を超えてしまう。ゆえにそれなりの規制はあってしかるべきということ。
中略省略は挟んでいるが概ねこうだ。特別な意見という感じではなく、ごく普通の感覚と言えるだろう。
しかしこのような普通の感覚とされるものが本人が想像しない危険性をはらんでいることに注意したい。
憲法で保障されている表現の自由だが、古くはチャタレイ事件でわいせつの定義が成され、公共の福祉のためにならわいせつ物の規制は妥当であるとされた。つまり公共の福祉に反しないということが表現の自由の大前提にある。
近年でそれを強く受けているのが松文館事件で、成人向けマンガにおける消し処理の甘さを指摘したものだが、どのような成人向け作品もいつ告訴されるかわからないしされれば有罪は免れないことを改めて認識させられたものだ。
定義そのものは変わらないが社会の変化とともにわいせつの要件に合致するかは変わる。チャタレイ夫人の恋人にしろ悪徳の栄えにしろ現在は文庫化され気軽に手に入る。つまり今現在悪だとされたものが数十年先にどう判断されるかはわからないのだ。無論、今は悪だとされれば裁判にかけられれば有罪になることに変わりはない。
怖くて、不快で、侮辱的で、女性の名誉を毀損されてると感じるから表現は規制されるのではない。公共の福祉に反するから規制されるのであって、法的には代表的なのはわいせつ図がに当たるから違法となる。誰かが不快だからという理由で規制してしまうことは表現のみならずあらゆるものを違法としてしまえる危険な考えであり、この先も健全な法の精神がある限りそれは守られるだろう。
先述したようにあらゆる成人向け作品は現在でもいくらでも禁止できる。だがそれは陵辱物に限ることではないし、また販売を特定の書店に限るなどの規制ではなく違法な出版物として流通そのものを禁止することになる。いくら筆者が「全面禁止しろよ」とは言ってないとしても、法で規制しろということは即ち禁止しろということになる。
現在は法ではなくその下の条例単位で成人向けとそうでない作品が分かれている。先述したように作品のジャンルではなく性的表現そのものが法的に重要なのであって、陵辱も純愛もそこには関係ない。この手の話は東京都青少年健全育成条例改正や児童ポルノ法改正などで過去に各所で散々出尽くしているが、行政も出版社もすでに作品のジャンルではなくもっと大きな単位での区分けがされている。コンビニで成人向け雑誌が他の雑誌とは別に置かれているのはそういう理由だ。
コンビニ雑誌の表紙やスマホ広告に載せるなよという筆者の言葉には、最近もコンビニにおける成人向け雑誌の表紙に女子高生が~という似たような話題があったと思う。これに関しては出版社や広告代理店などが対応する問題であって難しい。スマホに関しては広告表示に関する設定やアプリを導入する自衛策があるし、コンビニ雑誌についてはコーナーが明らかに区分けされている以上、不快なら見るなというほか無い。存在自体が不愉快だというのであれば、それは行き着く先はやはりそういった出版物そのものを禁止するべきだという論になるだろう。なにしろ全てのコンビニや書店から撤廃され特定の小さな通販サイトでしか買えないとなって筆者がそれに満足したとしても、世の中には筆者より恐らく強力で熱心な団体が存在する。今回の女子差別撤廃条約委員会の見解についても各種民間団体が絡んでおり、そもそも今回の見解では規制ではなく女子に対する性的暴力ゲームマンガの廃止を求めている。筆者は廃止された所で安全安心な世の中が得られるだけだろうが、それは当初のこっそりやれという目的から外れているが、筆者は何ら疑問の声を挙げないだろう。結局は自分の不快なものを消し去りたいだけと言えてしまうのだ。そうではないと言うのなら、ならば筆者は禁止すると法が言い出した時に「そこまではしなくて良い」と声を上げられるだろうか?
そりゃいろんな嗜好があるから、中には、対象を虐げたり傷つけたりしないと駄目な人もいるかもしれないけど、それって異常者か精神疾患ではないの?病院行けよ。
筆者は最初には嗜好と言いつつ特定の嗜好については健常者ではないとしている。性的嗜好というのは千差万別だがある種の思想を持っている場合は矯正するべきだ、というのは他者に対する尊厳を踏みにじる行為だ。50年前のアメリカならば白人に逆らう黒人は矯正するべきだとなるし、50年前の日本なら夫に逆らう妻は矯正するべきだとなる。いずれもその時代には当たり前のことであり、しかし現代人から見ればひどく差別的だろう。だからといって他者を傷つけるという行為が50年後に許容されるとは思わないが、しかし現代でも黒人差別や亭主関白を頭の中で考えることを誰が違法にできるだろうか。
特にこれは性的嗜好という、教育的思想などと違い本能に関わる難しい問題だ。法では正しい性道徳という考えがあるが、これを基本にして正しい嗜好を持つように義務付けられるような世界が筆者は望ましいのだろうか。無論、そんなことになれば事態は正しい性道徳に限らず、正しい社会規範や正しい労働者など、あらゆる面で模範的で優秀たる人間性を義務付けられるのは想像に難くないが、まさか筆者に都合の悪い趣味嗜好だけ消える世の中になると考えるほど筆者は愚かではないだろう。
いずれはこうした性的嗜好も脳機能の解明によりそのプロセスが明らかになるだろうが、まだ犯してもいない罪に対し犯罪的思考を消し去ることを是とするならば、それは個々の人格を倫理的かつ道徳的に操作しても良いということであり、当然筆者もその対象として正しい真人間にされる覚悟はあるだろうか? 少なくともこの筆者には、他者の人格を一方的に精神疾患と判定するという独善的な思想を治療する必要あり、と判断されるのではないだろうか。
現実的に、女性が男性に性的虐待を加えるというのは、①腕力・体格差があるので〈無理矢理〉が成立しにくい。②女性が見ず知らずの男性をいきなり襲っても、反撃されて傷つけられる可能性が高く、現実の犯罪率から言っても一般の男性にとってリアリティが無い。③むしろやってほしい、多少痛くてもご褒美、という嗜好の男性も散見される。
まず①に関しては、近年強姦罪が男性被害者に適用されないことが問題視されているように男性の女性からの性的被害については筆者のような「ありえない」という考え方が男女ともに強いので泣き寝入りするケースが女性の性的被害より深刻である。さらに女性被害者のような支援も充実していない。②も同様だが、犯罪率という観点について指摘がある。犯罪における男女比は細かく分けるとだいぶ違うが、総じて女性が20%ほどである。無視できるほどの数字ではなく、具体的には平成26年の殺人犯967人のうち227人は女性である。これをリアリティが無いという数値とは言えないし、また最近ではデートDVに関する大阪での調査で女性から暴力を受ける男性が倍以上の率であることが明らかになるなど、暴力で女性が敵わないからリアリティが無いというのは例え話の喩え話にしても筆者の知識不足である。③にも関連することだが、筆者自身は陵辱系ゲームマンガに対して怖くて、不快で、侮辱的で、女性の名誉を毀損されてると感じるから規制して欲しいと語るのに、ならば男性の性的被害者に関してはとなるとリアリティの無さやあろうことか一部の男性は好むからという理由で蔑ろにしている。
このことから
や
などの言葉に一切重みを感じられない。
筆者が女性として一般的な恐怖を感じるのと同様に、また筆者は女性として男性に対する陵辱などに想像が及ばないし世の男性が実はBLゲームの表現に恐怖しているかもしれないなどという考えもない。故に男性に対し筆者は、思慮が足りないなどということは出来ず、陵辱ゲームに対する意見も自身の嫌悪感からの消し去りたいという個人的要求が第一であると知るべきだろう。
「被害者が、実在する特定の属性を持っていること」「その属性を持っている存在を、その属性を持っていない存在が危害を加えること」「加害行為がその作品のメインコンテンツであり、その描写によって快楽・興奮を得ることが目的に作られている」
を筆者は規制されるべきものとしている。二番目でちゃっかり同性愛物を省いているのはわざとか天然かはさておき、いずれもどうとでも解釈できるものであり、極めて危険極まりない規制理由である。
まず第一の
被害者という言葉について、そもそも創作表現上の被害者とはなんだろうか。作中で犯罪被害に遭う存在だとして、それを現実の法で守れというのはナンセンスな話だ。大体被害者の定義はどうするのか。家が燃えたら家は被害者だから作者は建造物放火罪になるのだろうか。人間だと限ってもその属性は幅広い。誰かを殺せばその人物の役職が大統領だから実在する特定の属性になるから規制だと出来てしまう。性別に限らず年齢も服装も人種も、なにもかもが属性である以上、そもそも創作表現で一切の犯罪被害者は出せないことになる。ミステリーでも刑事物でもだ。
第二に
は、これこそ差別的だ。男性が男性を殺すのは良いが男性が女性を殺す表現は駄目だとか、それに属性の定義が難しい。男性同士の殺人であっても片方が日本人で片方がアメリカ人なら属性を持ってないから規制対象だろうか。双子であっても服が違うから駄目だとか、どうとでも言える。
第三に
これもまたどうとでも解釈できる。大体だ、その描写によって誰が快楽・興奮を得るのかが不明だ。推測するに筆者にしてみれば病的な嗜好を持つ読者なのだろうが、表現規制より悪質な思想規制がここにある。なにしろ読者が興奮すればすべてアウトにできるわけだが、虫オスがメスを組み伏せる交尾の動画に興奮する人間がいたらそれはアウトにできるのだろうか? アウトに出来るのならこれほど馬鹿げた話はないが、出来ないというのならそれは筆者の嫌悪感に基づく趣味嗜好の篩分けを是とする危険な考え方だ。「普通の人は虫の交尾に興奮しない」を後者の定義としてセーフの条件にするならば、同様に「普通の人は陵辱物に嫌悪感を抱くので興奮しない」と出来るのだが、そこを捻じ曲げてアウトにしたいならば「こういうのに興奮する人がいるから」や「これだけは例外」など法に頼らない独善的な判断でなくてはならない。
仮に筆者の希望通りに陵辱物といえるものが規制され目につかなくなったとして筆者は満足するだろうか? 一時的には満足するかもしれないが、まず一度自分の願いが達成された万能感と高揚感、そして正義感は覚え続けることだろう。そしてそもそも筆者は女性を性的対象とする作品に目をつけるだろう。なにしろ成人向け作品そのものが性的にかつ男性向けとしてあるならば、当然そこに映る女性は純愛にせよ男性にとって都合の良い女性に違いない。それを筆者は不快だと言わないでいられるだろうか、それとも女性が現実味のない都合の良い存在として描かれておりそういうのを好む男性がいるのだと不快を覚えるだろうか。私はきっと次の規制対象に選ぶだろうと推測する。
そうやって限りない規制を繰り返しついに女性を性的に取り扱うことも差別的に取り扱うこともない輝かしい作品ばかりになったとしよう。筆者はようやく安堵するどころか、さらに不安を募らせるのではないのだろうか。なにしろ事の発端はそういった陵辱物を好む男性がいることであり、そこに恐怖や嫌悪を覚えていたのである。たかが創作表現で描写されている行為にすら嫌悪していた筆者が、果たして我慢できるだろうか。
人格改造か、去勢義務化か、男性の隔離か。筆者は妄言だと笑い飛ばしたいだろうが、筆者の考えの行き着く先はこうなのだと私は言いたい。筆者がなにかに恐怖を抱き続ける限り、目に見えなくなったからといって安堵することはないし、対象を滅ぼしたとしてもまだ生き残りがいるかもしれないと恐怖し続けるだけだ。
程々で良い、少しで良いなどという考えは行政や国といった単位に上がった時、当初の理念とは大きく外れてさらに巨大な制限となる。最近も児童ポルノ法改正で様々な規制への波及を危ぶむ声が出ていたのは、つまり個人での裁量によるあれは良いこれはダメという基準は法律に存在しないということだ。
最初の話になるが、女子差別撤廃条約委員会は陵辱ゲームマンガの「禁止」を求めている。これを錦の御旗として掲げ、その通りだと禁止を呼びかけることはできるし、この先にそういった団体が動くことは目に見えている。だがその禁止が成った時に、一つの創作表現が失われることに筆者は恐らく何も抱くことはない。むしろ嫌悪するものが消え去って小躍りしたくなるだろう。だが筆者の語る所の病気である嗜好の持ち主たちは悲しむだろう。そんな奴らが悲しんだ所で筆者は何も困らないが、しかし筆者が趣味嗜好とするものが何らかの形で規制を受ける時、彼らは味方することはないしむしろ仕掛け人かもしれない。
筆者は自分が悲しむ対象になるようなことは無いと思っているだろうが、表現の自由に手をかけるとはそういうことだ。たかが創作物というものに負の感情を根底とした規制をかけられるということは、創作物以上に影響力のある現実的存在にも同様に手をかけられるということだ。筆者が好む筆者が健全で正しいと思う存在が、誰かにとって不快で汚らわしい存在でないと言い切れるだろうか?
自身が自由でありたいと思うのならば、他者の自由も許容しなければならない。それは現在のこの国において公共の福祉という最低限度の規制を受けるが、それ以上に自分自身の負の感情を理由とする個人的要求を、同様の理由で合致した他者と共謀して排除しようという試みは慎むべきだろう。現実に犯罪を犯せば処罰される。逆に言えば犯罪を犯さないかぎり自由であり、それを無理矢理に犯罪者に仕立てあげて住み心地を良くしようなどという考えを持つならば、あなたもまた誰かに犯罪者として告発され自由を奪われることを許容しなければならない。
世の中には不快と思えるものが多くある。しかしそれをすべて排除して生きたいというのは無理のある話だし、かといってすべて許容するのも無理な話だ。
しかしコンビニ雑誌の表紙が不快ならば、あなたは見ないでやり過ごすことが出来る。 Permalink | 記事への反応(3) | 09:02
一部の人は問題ないと思ってるようだけど、2chの反応を見てると既に被害者が加害者になり始めている。
被害者なんだから大丈夫なんじゃ、とか甘いこといってる人いるけど、既に社会構造全体の弱者と強者の対立軸が見え始めてる。
考えなしに被害者側の情報公開しすぎると、遺族がぼこぼこにたたかれるぞ。
はてな民はしょせん2ch民だろ的にあまくみてたり忌避してる人がいるけど(弱者じゃないから気づかないのかな?)、俯瞰的にみると
ここまで弱者と強者が切り離され始めてるのかってもっと危機感持つべきだと思う。
被害者を叩いてる人たちはどうしようもないクズだけど、同時に彼らも救済しなければならない社会の構成員だからね。
彼らが如何に満たされなければならないのかって点は考えないとならない。
もし、2chネラーがネトウヨが多いから嫌いでどうでもいいって考えの人いたとしたらそれこそネオリベ的な嗜好に陥ってることを自覚して欲しい。
※追記
id:cybercurry ねらーだけを救済するという意味ではなく、社会全体として弱者とどう接するべきなのかということ。あのような感情を持っている人が2chねらーだけだとおもいますか?
すこし極端な例になりますが殺人を犯したからといって社会的なケアを怠って彼らを更に放置するべきなのか?といえばわかりやすいかもしれませんね。←この意見にもし、殺人犯は罰を与えて放置すべきというのであればそれはいわゆる弱肉強食な論理ですよね?
もちろん、そうしたほうがいいという意見を全面的に批判するわけではありませんが、普段左派リベラル的な態度をとっているのであればよくよく考えなければなりません。
id:triggerhappysundaymorning 経済的に困窮している人たちが被害者を裕福な人たちの一員と見ていて、弱者から搾取している加害者の一人だとみなし始めているということ。
その結果として、被害者が更に被害を被り始めているという意味ではそのとおりです。
ああ、あと記事の主題はもう一個あって、弱者の考え方をトレースできてないと危ないよっってこと。
被害者達だから大丈夫でしょうみたいなこといってる人いたけど、経済的弱者がひどく憎しみ始めてるっていう事実を認識していれば被害者の情報を過度に晒す危険性がわかるはず。
相手のいる性行為をしてみたいと
発作的にかなり強く思うこともあるが
したことがない。どういうことだ?
あと極めてまれなことだとは思うが、
異常だか奇妙だかと思う人が多い考えを、俺がかなり強く抱き続けているからというのも少しはあるだろう。
ただし、後者の信念によっては仮に特別に魅力的な異性が相手から接近してきたら抵抗できない気がする。
奇妙と感じる人が多いらしい信念の内容は、異性による性行為の結果として子供が新しく存在し始めることがあるが、
その結果を被る人にとって、存在し始めることが極めて悪い場合が恐らく1から3%くらいあり、
そのリスクを考えると、異性間の性行為に関わることは極めて大きな他者危害に加担することであるというものである。
この考えの萌芽は中1くらいからあった。
普通はこの類の考えは一時的に抱かれることはあっても、長く続くことはあまりないのではないか。
そうなるのは恐らく、性行為の相手ができて、性行為をすることによる自分の利益が極めて大きく感じられるため、
実際性行為には本人たちも望まない結果すら避けるための対策すらさせないだけの魅力があるらしいので、
上の強固な考えはその奇妙さと現に訂正されていないということから、
いわゆる精神病的な妄想なのではないかと考えて、少しお勉強したことがあるし、現在も精神医学にはかなり興味がある。
結論を言えば、上の考えの中で、妄想でありえるものは、存在し始めることが本人にとって悪い場合の割合くらいだと思われる。
ただ、一つのことを、それについて考えることが苦痛を伴っても考えざるを得ないという心理的特徴は、
ひょっとしたらさまざまな精神病の中核にあるものかもしれない。
激しい幻覚や妄想などはその性質によって引き起こされる睡眠不足などによる自然な結果のこともあるのではないか。
ちなみに、精神病の診断で奇妙さを基準にした場合、その点では診断する者の判断が一致しない場合がかなり多い。
実際の比率は忘れたが、幻聴と妄想の認知臨床心理学かガレティとヘムズレイの本に書いてあったと思う。
もちろん、上のような考えそのものが精神病の症状じゃないとしても、
精神病の影響によって生じた考えではあるかもしれない。
性行為に関わることの悪さをどれくらいだと感じているかというと、
生きることをよいことだと感じている人をふつうに殺すよりは悪いくらい。
かなり悪いと感じることをしている人々について仕方ないと思っているので、
たいていの殺人犯とかも仕方ないと考えなければならない。
ごもっともです。
その孫子以来の箴言を踏まえ、テロリズム研究にはそれなりの蓄積があります。
一般市民の中に紛れ込んだテロリストを、特定して、探し出すのは至難の業だし、どこに潜んでいるかも解らなければ、根本的な対策はほとんどできない。これと戦うって、本当に可能なんだろうか?
はご明察で、基本的に「戦う」のは無理、もしくは常にコスパの悪い勝負にしかならない、ということになっています。
非対称戦には須くそういう傾向がありますが、対テロ戦では特にそれが顕著です。
テロ制圧には膨大な情報戦、治安戦のリソースが必要で、そこで完封してやっと「引き分け」なので、勝敗で言えば最初から話にならないのです。
実を言えば先進国の公安部隊であれば、特定するのは「至難」と言うほどではないはずで、まずほとんどの組織員はマークできているでしょう。
ただ99%の補足率ではいつかは必ず国家当局は負けますし、ローンウルフのテロなんかは「事前に殺人犯を捕まえろ」みたいなこちらは至難な話になってしまうということです。
で、これにもある程度結論はあって「テロの原因となる社会的矛盾を解決する」が最良の戦術(というか戦略)なんですね。
治安強化、警備強化の方向では最上でも引き分けまでしか持ち込めない以上、どうしても「根本を叩く」ことが必要だからです。
一時的に膨大なリソースを注ぎ込んで100%の補足、あるいは軍事制圧による組織の壊滅を達成したとしても、その組織を生んだ社会的矛盾がある限り新規構成員が供給され続ける、あるいは新組織が生まれるだけで、結局いつかは綻びますので、そういう結論が出てくるわけです。
ただISILのような国外組織が相手の場合、実質的に唯一の勝利の手段であるこの方法が事実上使えないわけです。
最低でもシリア、イラク、できればISIL連帯組織のある5,6カ国を全て占領制圧した上で、その地域を統治して社会的矛盾を解決せよ、という話になりますので。
こういう闘争目的は必要無いのがテロリズムの所以です。むしろ(テロ組織としての戦略目標はともかく)テロにおける個別の作戦目標には、そもそも最初から「自己の利益」は含まれない方が(特に初期段階では)普通です。
・自己の組織/主張への一般市民からの注目(無視でないなら憎悪でもかまわない)
・「敵」社会における政府への不満(もっとテロを厳しく取り締まれ!と言う類でもいい)の蓄積