はてなキーワード: 幼児とは
子供の試し行動はそれをする責任がある人にどんなことをしても見放さないという安心感をもらうためにやるので、幼児じゃなさそうな年齢の君が他人に対してやったのとは違うだろ。
でも得られて良かったね。子供を作っておいてできないかもしれないと思っているのは後悔し反省して人生観のすべてを改めて欲しいレベルだが、個人としては良かった。もらったものは未来に返そう
18時半くらいまではそんなに混まなかった。最近、フリーター女子アルバイトさんがお水風俗の世界に片足を突っ込みたがっている、という話をAさんとする。まだ未成年だと諸々の支払いが来ないので、気軽な気持ちで大金を稼ぎたがるのでは? とAさん。なるほど。今時はキャバクラとかでも雇用契約を結ぶ時にマイナンバーを要求されたりするんだろうか。仮にそういうのが無かったとしても、最近は税務署が厳しいので、稼いだお金を銀行に預金したことがきっかけで脱税がバレるとかありそう。税金払ったら夜の仕事なんか、やるだけの価値があるほどの手取りは残らなさそうだ。そんな話をした。
19時を過ぎた頃から、家族連れがやたら多く来店。別に、良さげな一番くじがあるとか、アイスやお菓子を何個か買うと良いものが貰えるキャンペーンとかをやっている訳でもないのに。
小さな男の子数人と女の子を連れた一家が来店。まあやんちゃ坊主がそれだけいるとご両親でも制御しきれるはずもなく。アイスケースに群がる子供達の一人が、置いてあった台車(4段重ね)の上によじ登ってしまい、台車が動いた弾みにアイスケースの縁に顎をぶつけそうになった。慌てて飛んでいって「ごめんねこれには危ないから乗らないででね」っていってお子様を台車から降ろした。ご両親からめちゃめちゃ謝られたけれど、こっちも平身低頭で謝罪した。子供達がアイスケースに群がり始めた時点で、足場になるものを全て退かすべきだったので。
やばいな、自分の子供が大きくなるに連れて、幼児の行動の読めなさに対しての危機意識が鈍麻している気がする。きっと、3年前の私だったら、子供達がぞろぞろ入店してきた時点で、危ないものはバックヤードに片付けたはず。たかが子供を自分の腹から産んだくらいで育児のエキスパートになどなれるはずもなく。というか、育児スキルなんかほんの一時のもので、幼児のいない暮らしに戻れば、徐々に失われていくものなのかもしれない。過去の経験から子供の面倒を見るのは朝飯前と思い込んで孫を危険に晒すばあちゃんへの階段を、早くも昇り始めている自分に気づいた。
とかいうことをAさんに話したら、「そういうもんなんですか!」と驚かれた。おう。私も、ついさっき気づいたばかりだしの。
21を過ぎたら流石に暇になった。猫が好きなのに猫に好かれないAさんに、猫と戯れるためのコツを教えた。まず猫の方を見ずに座り、不燃ごみになった気持ちで、猫の方から近づいて来るのをじっと待つ。もし猫が人に可愛がられた経験を持っていれば、どんなに不燃ごみみたいにしていても人間は人間とちゃんと認識しているし、近寄ればエサはくれないまでも背中くらい掻いてくれるだろうと考えて、近づいて来るものだよ、と。「そういうもんなんですか!」とAさん。人間の育成方法は忘れても、猫と共存する方法は忘れないというのも、変な話かもしれないけれども。
ここ数年、サンエックスから発信されるリラックマがコンドウアキさんの描くリラックマのイメージからどんどんかけ離れていってて、ちょっと困惑してる。
コンドウアキさんの描くリラックマって10年以上の年月の中で絵柄に軽微な変化は感じられるものの、言動とかのイメージは昔からそんなに変わらなくて、一言で言えばだらだらしてるんだけど、サンエックスのリラックマって中におっさんが入ってる(かも)っていう設定を全く感じさせないくらいの可愛さ100%みたいな存在になってる気がする。幼児退行してる?本当にリラックマだよね?って確認したくなる。
外見のデザインは同じまま、別のキャラクターになったのかなという気がしてならない。
こんなに可愛かったっけ?リラックマって。いや、可愛いことは全く悪いことじゃないんだけど、自分が小さかった頃に好きだったあのちょっと太々しいくらいの怠けたクマはどうしちゃったんだろう。あれで意外と大人の落ち着き?みたいなものも持っていたような気がしたんだけど、最近のキュートでふわふわな、ほかの小さいクマたちに混ざってぶりっこしてるのはもはや別キャラじゃない?
たまに思い出したようにだらだらした姿を見せてくれるけど、結局可愛さに振り切った姿の方がニーズがあるってことなのかな。時代が変わったんだなー。
コンテンツに不平不満を抱くようになったらそのコンテンツのターゲット対象外になったということだから黙って離れれば良いと思うんだけど、コンドウアキさんの描くクマは今でも変わらないし複雑な気持ちになる。
同じキャラクターのはずなんだけど世界観が違っていて、どっちも本物のリラックマのはずなんだけど、初期のリラックマに思い入れがあると最近のサンエックス発のリラックマに二次創作っぽさを感じてモヤってしまう。
「なぜ人を殺してはいけないのか?」に対するニーチェの答えが「すごい」と騒がれているが、実はもっとぶっ飛んですごい
https://note.com/fromdusktildawn/n/n0781ea1ca467
なる記事を読んで少し思うところがあったので、メモしておこうと思う。
大学時代、もう10年以上前になるが、幼児教育で修士号を取得し、保育園で働くという異彩を放つ友人と二人で酒を飲んだことがある。
なんの話をしていたか忘れたが、その際、その友人が「なぜ人を殺してはいけないのか、子供たちに説明ができないじゃないか。」と言ったことを覚えている。
とかく人は「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いに対して、道徳だとか、哲学だとかに答えを求めがちだが、少し現実をみて、「人を殺しても良い世界」を想像してみたらどうだろうか。
罪なくそのようなことが許される世界であったなら、私は家の扉の外には出ないし、家族も作らないだろう。
自分に少しでも不都合であったり、不愉快である人間は、殺してしまえば全て問題が解決してしまう。
そんな世界に一歩でも足を踏み出すと、いつもふとしたことで殺されるリスクがあるからだ。
そう、「人を殺してはいけない」は社会、いや、主観的な判断では”SOCIETY”が最も意味としては近いと感じる、を成立させるのに”必要条件”なのだ。
ユヴァル・ノア・ハラリの著書によると、人類発展の大きな理由の一つがこの”SOCIETY”の形成だったと書いている。
とかく利口と言われるチンパンジーにおいても、そのグループ構成は多くて100頭程度。他の動物も同程度だろう。グループ間のコミュニケーションネットワークも限られている。
一方、人類は国家でいうと10億人規模のコミュティ形成。会社においても数万規模のコミュニティが形成でき、そのネットワークはチンパンジーのようなアフリカの一地域限定ではなく、世界中、いや、宇宙にまで広がっている。
言わずもがな、コミュニティはコミュニケーションによって成立し、相互の信頼も必要となってくる。「嘘をつかない」、「話や言語が通じる」、「互いの利益を考える」等、信頼を獲得するのに必要な条件は多くあるが、最低条件が「私を殺さない」ではないだろうか。
だから、もし「なぜ人を殺してはいけないのか。」と人に聞かれることがあれば、私は即座に、「社会が成立しなくなるからだよ。」と答えるだろう。
ついで聞かれる質問はおそらく「社会に必要ない人は殺してもいいのでは?」であったり、「死刑はいいの?」とかだろう。
結論から言うと、私は「社会に必要ない人と判断された人」=「死刑となった人」と考えている。
「社会に必要ない人は殺してもいいのでは?」と言う問いに対しては、「そうだろう。だが、殺していい人は厳密に決める必要がある。」と考える。
誰もが主観で「社会に必要ない人だから殺そう」と実行していては、客観的にみて誤った判断による殺人が発生し、やはりコミュニティ形成に問題が発生する。
ルールが必要だ。人間のコミュニティはその規模が大きくなるにつれ、約束事から掟、そして法律とルールを形成していった。
「社会に必要ない人は殺してもいいのでは?」という判断をするのが、日本で言うところの刑法なのだろう。
もっとグループが小さい、例えば国家形成前のTRIBEであったり、VILLAGE規模であれば、殺人については知見者(長老とか?)の判断により、その殺人の是非が決められただろう。だがそれは各々がお互いをよく知っているような小規模集団だから成立していたものであって、国家規模の、知らない人間が大多数のグループでは成立しない。
そう考えると自然と「人を殺してはいけない」ことがわかってくる。
一部、「特権階級は人を殺しても良い」という社会。例えば現状のタリバン政権等が挙げられるが、いずれも後進国であり、そのルールによって、社会の発展を妨げ、結果、国の発展が滞っている。
「人を殺してはいけない」はSOCIETY(家族、親戚、集団、会社、社会、政府、国等)の発展には基本的に必要不可欠な、最低限の決まりごとなのだ。
友人に対しては、酒を飲みながら、上記のようなことを滔々と語った記憶がある(無論、その頃ユヴァル・ノア・ハラリは本を書いていなかっただろうが)。その時の友人の反応をあまり覚えていないが、この答えに対する反論はなかったと記憶している。
あの友人は今、子供の人格形成に大きな影響をもたらすであろう、幼稚園教育に力を注いでいると思う。
どんな教育をしているのか、今度聞いてみよう。
足りない頭でつらつらと書いた本投稿に、いろいろとコメントを書いてくれた人たちにまずはお礼と感謝を。
まず、最初に。小生、正直哲学は全然履修していないし、もうちょっと言うとニーチェなんててんで興味がない。
最初にニーチェの記事を引用したのは「なぜ人を殺してはいけないのか」というテーマを聞いて本稿に書いた友人との問答を思い出したためである(友人はニーチェとか好きそうだけど)。
哲学は…なんというか主観的なんだよね。「まあ、そう言う解釈もあるよね」で終わってしまいそうな問答がいつも並べられている印象。
コメントとかで気になった内容については以下に私見を書いていく。
まず、”社会”より”SOCIETY”が感覚的に近く感じた理由は
一方で
”社会”はもっと大多数の人間で構成されるイメージがあるから。とっても主観的だから、以下は”社会”でまとめる。
君が住んでいる家、来ている服、食べている食べ物は全て”社会”の産物である。
「社会を必要としない人」なんてものが存在するのであれば、どこか孤島で、自給自足で孤独に生きる人になるだろうから、自然と殺人は発生しないかも。
哲学を語っていたわけではなく、社会の必然性を語っていたつもり。
そこに権力が集中している場所(権限が大きい?)はあるかもしれないけれど、それも社会の構成要素の一つ。
だから、「社会を維持するために社会の権力に逆らってはいけない」とか、強制されて行うものではなく自発的に「社会を維持するために人を殺してはいけない」と考えるべきではないかと思う。
また、社会を維持したり、大きくすることは、その社会を存続させることに必要不可欠なことで、いわゆる生物が子孫を残すことと同様なのではないだろうか。
「なぜ人が殺し合わないように進化・発展してきたか」と「なぜ人を殺してはいけないか」は別の話ではないような。
「人が殺しあわないように進化・発展してきた」(すくなくとも自然淘汰されない程度に)からこそ、現在の社会があり、その社会の維持のために「人を殺してはいけない」というルールが維持されていると考えている。
「なぜ社会を成立させなくてはいけないのか」は別に当為の話ではないと思う。
「社会を成立させ続ける」という社会目的があって、初めて社会は存続してる。それがなくては社会は成立し続けない。だから「社会を成立させ続ける」は我々人間が営みを続ける上で、必要条件なのかと。
そう考えると、「人を殺してはいけない」は社会存続のための必須ミームなのかもしれない。
「人を殺してはいけない」という基本概念は「社会の維持」にとっては必須であり、いうなれば、生きる上で必須の事項なんじゃないかな?
ここまで書いて、ふと、確かに死にたい人間や、破滅を望む人間には「人を殺してはいけない」なんて概念は通用しないと感じちゃった。
そういう人は社会性の欠如から考えると、普通の人より、もっと野蛮で野生的…?、粗野な人種なのかな。
名前しか聞いたことなかったのでWikipediaを見てみた。
西暦2061年。経済政策の失敗や少子高齢化によって破綻した日本に対し、経済援助や治安維持を目的として「北米同盟」「大ユーラシア連邦」「アジア自由貿易協商」「オセアニア連合」の4つの世界主要経済圏が介入する。その結果勃発した、日本列島を舞台とした「境界戦」と呼ばれる国境紛争を経て、日本国土は4つに分割統治され、日本人は隷属国の人間として虐げられる生活を送っていた。また、日本は各経済圏によって投げ入れられた「AMAIM」(アメイン)と呼ばれる人型特殊機動兵器が闊歩する、世界の最前線ともなっていた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%83%E7%95%8C%E6%88%A6%E6%A9%9F
日本が支配されていることや、人型兵器ってところはなんかコードギアスっぽいなw
ただ、向こうはサクラダイトっていう(架空の)資源が日本にあるという理由だったのに対して、こっちは経済援助や治安維持を目的っていうのがちょっと・・・
少子高齢化の上に経済政策を失敗した国に世界中、しかも4勢力がわざわざ分割までして駐留するなんて不自然に見える。
あらすじでは語られていない何かがあるんだろうか。
と腐してみたが画像検索してマスコットキャラのデザインを見て納得。
id:watapocoですが。私はこのブコメ見て以来2日位半分寝込む状態でした。
というのはid:aquatofana氏をお気に入りに入れていた元被虐待児だからです。
彼女の女性差別に対する発言には共感していたのだけど、被虐待児についてはこれほどまでに突き放せるのかと。
虐待の体験と生まれ持った性別・人種の比較において、生与の(それゆえ本人には全く責のない)後者こそが本来の属性だというのかと。
あのね、これすべての人に言いたいんだけど、誰が弱者かって子供以上の弱者はいません。
乳児でも幼児でも児童でも、子供は男女問わず人種問わずどんなにか弱そうな母親よりも肉体的に弱いです。
経済や権利の側面ではなおさらで、子供は親の許諾がなければ何一つ自由がありません。
おそらくですが、だからこそ子の虐待が起こるのだと思います。どんな人でも親になれば絶対的な権力者になれるからね。
はてブでは母による子の虐待が事件になると、ワンオペ育児かわいそう、父親はどうしたってコメントで埋め尽くされます。
そんなのこっちが一番わかっているんだよ。
被虐待児は親に迷惑かけてごめんなさいとしか思っていないんだよ!!!!
そんなのさあ、体を心を損なわれても、それが生まれついた環境以外に何の責がなくても
親は悪いんじゃないと思う子どもが(アーサーが母親の味方だったのは被虐待児としては虐待の記憶がなくてもそうなると思います)、
ほとんどな訳ですよ。
ICUに自身の学力で入ったから眞子様佳子様はゆるせんと思えるくらい、
自分が勉学に励める環境にいた訳ですよね。それが、それこそがすごく特権階級なのですよid:aquatofana さん。
眞子様佳子様は公務をやりたくてやっているのか?違いますよね。あなたよりはるかに勉学に励めないそもそも人権も制限されている環境にいた訳です。
気高くて男前な青年が大人のお姉さんの手により、体をじっくりと幼児に改造されて男のプライドをズタズタにされちゃう小説をAIのべりすとに書いてもらってる。ちなみに、青年は最後には屈服して中身も幼児になる。
操作を覚えて、メス堕ち展開になることが少なくなった。