はてなキーワード: 帝国主義とは
そうだろうか。例えば、強国に攻め込まれた弱小国は遅滞戦術を基本的な方針として、ゲリラ戦と国際社会へのPRで抵抗するのが有効だ。これは歴史上の前例、例えばナポレオン対ロシアやアメリカ対ベトナムなどから分かる。
帝国主義国家の繁栄の仕組みを理解すれば、それが現代日本で興隆している派遣会社の仕組みと相似していることに気づく。
領民と領主、小作人と地主、従業員と創業経営者や株主。そういった関係を見れば、儲けるには労働所得ではなく資本所得が重要だと分かる。
メディアが個人にいかに力を与えるか、最新のメディアに精通して活用することがいかに重要か。ルターの宗教改革と印刷機、ヒトラーとラジオ・テレビ、アフィリエイターやYouTuberとネット広告、トランプの選挙戦工作とFacebookなど、数多ある事実から容易に理解できることだ。
自民党は民主主義を唄っているが、民主主義ではない。江戸時代から引き継がれる世襲、権力関係ズブズブで、帝国主義の真骨頂。
それが完全に悪いとは言い切れない。この世は結局金とコネ、行ってしまえば江戸時代から続くコネや人間関係によって、自然災害その他諸々への早急な対応
規律の取れた行動が(他国よりかは)とれる。日本という国の特殊な所が、権力が腐っても腐りきらないところ。ブラジルやメキシコみたいにならず、
上に全部任せておけば、それなりの倫理観とそれなりの行動力で近代化も全部お上がしてくれた。フランスが成し遂げられなかった事を日本は簡単にやった。
民主主義と言えるのは、民主党くらいだった。まぁそこも世襲と華族の残りカスが沢山いたけど、少なくとも国民の味方ではあった。
全部上に任せていた国民らしく、政治を知らず夢を語り、あっけなく、なにも出来ず砕け散った。まぁでも少なくとも、国民が初めて選んだ党だったわけだ。
今自民党が権力を得ているのは、自民党を選んだのではなく、民主党がダメだったからだ。消去法だ。
自民党もその間に成長した。テクニカル的な不景気時代を民主党に任せ、後は中国に学びコネと権力を使い、相場操縦をし始めた。
中国ほどの強権性は無くても、コネを使って機関投資家の情報操作をある程度防げた。民主主義ではない、独裁に近いけれど、昔と同じく独裁でそこそこの政治が出来た。
一方民主党は何をしたか。ネットを操るのではなくネットに飲まれたという方が正しい。
閉鎖的で先鋭化しがちな意見しか見ず、常識はずれの言説を世の中にまき散らし、ドン引きされるようになった。
これは凄い事だ。10数年前までは自民党応援してます、何て言ったら「右翼や」なんて言われたものだけど、今は民主党応援してると「左翼だ」とドン引かれる。
普段は自分のブログで思ったことを書いているが、今回は倫理的に問題があったり、批判される可能性が多いのでここで書く
https://mainichi.jp/articles/20190709/k00/00m/030/043000c
ここで重要なのは、イギリスで奴隷状態にある外国人が一万人以上もいるということ。
私は、過去にイギリスで留学をしたり長期的に滞在をしたりしたことがある
そのときに経験をもとに率直に言うと、先進国で途上国の人間をこき使うのは世界的に行われていることで、国益のために至極当然だということだ
イギリスでは、まともに英語が話せなかったり、きちんとしたビザで滞在していない人が社会的に良くない立場で働いているというのはよくある
例えば、イギリスやアメリカのファストフード店で働いているのはほぼ外国人だし、工場や農場みたいな単純作業の仕事はかなり低賃金の上に、労組みたいなのもしっかりしていないからトラブルが合っても労働者が泣き寝入りをするということはよくある
そして、イギリスやアメリカが賢いのは、そういった問題を経営者と労働者との民間の問題であると片付けることで、社会的な問題にはしないことだ
日本では、最近外国人の労働環境が良くないということで議論が起こり、それが改善されるような風潮が漂っているが、はっきり言って、そういった途上国から働きに来ている外国人の待遇を良くしてしまったら、なんのために外国人を受け入れているのかわからなくなる
外国人労働者をこき使っている経営者は倫理的におかしいし、人格的にもだめなやつだろうけど、そういうシステムが有ることで日本は豊かでいられるということを忘れてはならない
世界では先進国が途上国を搾取するという構図はいまも当たり前のように行われていて(ヨーロッパとアフリカの関係を見るとよく分かる)、日本はその倫理観がまだ完全に馴染んでいないだけなのだろう
きっとこれは第二次大戦の敗戦だったり、帝国主義時代の植民地の搾取に関する考え方が欧米と日本では違ったことが尾を引いているのだと思うが、ここは話すと長くなるので割愛
今後、日本の利益のみを考えたときに、外国人研修生に対して何ができるかというと、それはできるだけその話題には触れない、ということがベターだろう
今後も研修生の制度に対して批判を続けて、それが改善されてしまうと、せっかく日本が先進国で、途上国から安く労働力が入ってきてくれている、という美味しい状態がなくなってしまう
イギリスやアメリカでは、そういった問題は経営者と労働者との問題として片付けられていて、それを放置しているからそれらの国が悪いという風潮にはなっていない
日本も、このまま放置しておいても日本の評判が悪いということはないだろう
実際、ベトナムでは、日本での研修生が逃げ出す頻度が多いのは、ベトナムのブローカーが悪いという風潮になっている(私は年に5回ほどベトナムに行く生活をしていて、現地の人の声を聞くとそんな印象を受ける)
実際、問題を起こしているのはベトナム人ばかりというところから見ても、日本のシステムと言うより、日本とベトナム人をつなげる仕組みに問題があると考えたほうがいいだろう
ベトナム国内の風潮は、それを理解した上で成り立っているように感じる
今後の日本の労働環境のあるべき姿として、アメリカのように、途上国の人が住むやすいエリアが日本に点在する、国内に途上国が点在し、そこから安い労働力が供給されるような形がいいのではないだろうか
実際、今のアメリカはそうなっている
アパルトヘイトを知っているか、というような差別的な話にもなるし、倫理的にもおかしいことはわかっているが、それこそが日本を先進国であることを利用できる一番の方法なのではないだろうか
先進国と途上国が対等ではないのは、どうしても仕方がない当たり前ことなのだ
もちろん、表立ってそういうことは言えないから、建前を使ってうまくこの労働問題を日本に都合の良い状況に持っていくしかない
そのためにも、これ以上外国人研修生のことについて騒ぎたてるのはやめよう
放置しておくのが、日本の国益を純粋に考えるのであれば一番なのだ
倫理的におかしいとはおもうが、いつかこの話題を誰も気にしなくなって、途上国の人が低賃金で働くのが当たり前の日本に慣れば、そんなことは誰も気にしなくなる
実際には起訴されていなくともA級戦犯容疑者である時点で侵略戦争に主導的に関わった人物であり、その親族も帝国主義思想に染まっている人間であるため不適切です。
・一流大学を出ていなければならない
偏差値の低い大学を出ている人はまともな判断力がなく、日本の舵取りをする器ではありません。
・ニート歴があってはならない。なお、政治家の親の下で秘書をやっていた期間はニート歴に含む
総理というものは数々のプレッシャーに晒されるものであり、ニート歴があるような甘やかされた育ちの人間は不適切です。
・子どもがいる
子どもがいない人は未来の景気なんてどうでもいいと思っているに違いないから不適切です。
いざという時に健康上の不安があって総理を続けられないようなことがあっては困るので、重い持病を持っている人は不適切です。
日本人が幼稚化しているなどと指摘されている昨今、日本の舵取りをする総理大臣には大人らしさを示すことも求められます。従って、イチゴをスプーンで2つに切って食べるような子供っぽい食べ方をする人は不適切です。
エヴァの翻訳が変わって英語圏が大荒れという話題のブコメ、ちょっと信じられない見解が多いな。
原文が読めないとすべての翻訳にケチをつけてはいけない、とはもちろん言わない。明らかに言葉遣いがおかしいとか、誤字脱字だらけで解読不能とか、そういうレベルの指摘なら、別に原文を読んでなくてもできるだろう。
女らしいおしとやかなキャラの一人称が「俺っち」だったりしたら、それも原文を読まずに文句をつけていいかもしれない(もっとも、原文で「男っぽい口調でしゃべる女らしいおしとやかキャラ」ではないことを確認した上で批判するのが望ましいだろうが。仮に原文でも男っぽい口調でしゃべってるのなら、その翻訳は正しい)。
でも、「ここの『好き』は愛情か友情か」みたいな議論するなら原文読めないと話にならないでしょ。
当たり前だけど、文学作品の唯一正しいテキストは原文です。翻訳はわかりやすい補助輪に過ぎない。
(どれが「正しい原文」か、という問題はめんどくさいしエヴァにはまるで関係ないからここでは論じない)
別に補助輪使ってたって悪いわけじゃないけど、補助輪しか使えないのに他人を非難しはじめるなら話は別だよ。
解釈違いだと翻訳者に文句を言う以上は原文が読めて当たり前です。「読める」にも程度があり、ネイティブスピーカー並じゃないといけないとは微塵も思わないけど、日本語の文字が読めて辞書が引けて簡単な和文を翻訳できるくらいは文句をつける最低ラインじゃない?
A Volunteerを「ボランティア軍」と訳してツッコまれてるけど、ツッコんでる連中は最低限、volunteerには日本語の「ボランティア」の他に「義勇兵」とか「志願兵」って意味があり、ここでは文脈的に「ボランティア」じゃないよな、ってことくらいは弁えてるわけじゃん。
You are not yourself! の文字通りの意味がわからん奴には『ロード・オブ・ザ・リング』の「嘘つき!」を批判する権利はカケラもない、ってのもわかってもらえるよな?
aircraft carrierと聞けば一般教養で「空母」だとわかるしわからなくても英和辞書を引いて「空母」のことだとわかるからなっちの「航空機運搬船」に文句を言えるわけじゃん。
逆もまた然りだよ。
カヲル君のセリフを聞いて理解するか、あるいはヒアリングが無理でもせめて書き起こされたセリフを読んである程度意味がわかる程度の語学力がないのに、なんで字幕の批判ができるんだ? 理解に苦しむ。
日本語母語話者はハリウッドの日本語字幕を批判するにあたって英語をある程度理解して、わからなけりゃ英和辞書なり英英辞典なりを引いてるんだから、日本アニメを英語字幕で見る非日本語母語話者にも同じ水準を要求するのは当然じゃない?
書き起こしを通してでもいいから日本語を理解して、わからん箇所を和英辞典なり国語辞典なりを引いて確認できる程度の語学力が、エヴァの字幕を批判するに際しては最低限必要でしょうよ。
もちろん、批判側には日本語学習者がおおぜいいる。そういうひとたちが、原文の日本語と対照させて英語字幕を批判してるのは、全然いいと思う。オッケーだ。素晴らしい。
でも日本語が読めない聞き取れないわからないっていう奴には字幕の解釈違いを批判する権利なんてねーよ。当然だろ。
そもそも今回は、旧字幕と新字幕が食い違ってて、旧字幕の方が好きって連中がヒスってるわけだよね?
でもその字幕の違いが、旧字幕が間違ってるのを新字幕が訂正したのか、旧字幕が正しいのを新字幕が歪めたのか、どっちの字幕も間違ってるのか、原文が曖昧でどちらの解釈にもそれなりの理があるのか、は、原文読まないとわかるわけないじゃん。そういう意味で原文読んでない、読む能力がない、なんてのはお話にならん。
ポーランド語読めないやつに『ソラリス』の翻訳の解釈でケチつける権利なんてあるわけないじゃん、当たり前でしょ? ポーランド語読めないくせに翻訳に文句つける権利があると思ってる方が傲慢じゃない?
上に書いたように、慣用句の間違いとか文体の不統一とかそういう純粋に日本語上のミスなら文句つけてもいいかもしれないけど、作品の解釈にかかわる文句があるなら原文読んでないと話にならんよ。
俺? もちろん読めないよ。当然沼野充義訳に文句つけようと思ったこともないけど。
旧訳の「I love you」が新訳で「I like you」に変更されたのが、同性愛排除だと憤激されていると…。しかし、そこで「日本語読め」という方がエスノセントリズムでは。/新劇場版はTVより同性愛っぽさが強調されてるよな。
訳の良し悪しを論じるなら原文を読め、というのは文学やその他の世界ではごくごく当たり前の話であって、人文系の学問をそれなりに勉強した人間なら国境を超えて同意してもらえると思うけど。
まあ、褒めるときは別に読まなくてもいいかもしれない。でも批判するなら読んでないと文字通りお話にならないでしょ。外国の文化を勉強する人にとっては常識です。
むしろ、「日本語の原文は読まなくていい」の方がエスノセントリズムでしょ。日本の映画ファンは英語を勉強してあの映画の字幕はここがおかしいとか議論してるんだから、外国の日本アニメファンも同じことをすべき。
それは面倒だやりたくないっていうなら、出された字幕にケチなんてつけるもんじゃない。原語わからんやつに翻訳に文句を言う資格はないので。英語わからんやつが戸田奈津子に文句つける資格がないのと同じ。
それとも「英語は学んで当然だけど日本語は学ばなくともよい」って思ってる? それを英語帝国主義というんやで。エスノセントリズムここに極まれり。
例えば「博士の異常な愛情」を今さら「ストレンジラブ博士」って邦題にされても「前の方がよかった」って思うから初出の訳が与えるインパクトは強い/なっち訳のハリポタ映画も本と違うスネイプの一人称で荒れてたし
すまんがあれは原文では別に変な口調ではないのを無理やり「我輩」とかいうヘンテコリンな口調に訳しやがった静山社が悪い案件なので映画の字幕は悪くないやで。日本語版ハリポタはよ改訳してくれ~。
でもこれを言えるのも俺が英文読めて原文でスネイプ先生が何て言ってるかわかるからであって、英文読めないやつは静山社に文句つける権利ないよね、という話であり。
孝謙天皇。
お気に入りの僧侶を後継者にしようとし、それを諌めた者を卑しい名前に改名させるなど、きわめて冷酷かつ感情的に振る舞った。
呂后。
漢の高祖・劉邦の妻。
夫が死ぬと絶大な権力を握り、側室の四肢を切り落として厠に放置、「人豚」と呼んで糞尿を浴びせた。
武則天。
前皇后は四肢を切り落とされて生きたまま酒壺に漬けられ、数日間泣き叫びながら絶命。
アフリカの黒人をアメリカ大陸で売ることで利益を上げて国内の安定を得た。
インドをはじめとして世界中を植民地にして圧政を敷き、イギリス帝国主義の最盛期を迎えた。
650人もの若い娘を誘拐して惨殺、美貌を保つためと称して人肉を食べて生き血を浴び、女性器を切り出して性的興奮を覚えていた。
国内では異教徒を虐殺、対外政策ではコロンブスをはじめとして征服者を援助し、アメリカ大陸から資源を収奪する構造を作り出した。
男性には思いつきもしないような残虐な暴力性が発揮されている。
◆延近充
◇レーニン『帝国主義論』(大月書店,文庫版):帝国主義段階の資本主義論の古典
◇北原勇『独占資本主義の理論』(有斐閣):独占資本主義段階の理論
◇同上『現代資本主義における所有と決定』(岩波書店):現代における資本家とは?
◇北原・伊藤・山田『現代資本主義をどう視るか』(青木書店):立場の異なる3人のディベート
◇井村喜代子『現代日本経済論』(有斐閣):本文で述べたような戦後日本経済の構造と性格
◇平子友長『社会主義と現代世界』(青木書店):現代社会主義の問題点
◇重田澄男『社会主義システムの挫折』(大月書店):ソ連・東欧の崩壊の意味
◇延近 充『薄氷の帝国 アメリカ― 戦後資本主義世界体制とその危機の構造』(御茶の水書房,2012年):アメリカ主導の戦後資本主義体制の特徴とその変質,世界経済の不安定性との関係
◇延近 充『対テロ戦争の政治経済学』(明石書店,2018年):2001年9.11同時多発テロをきっかけとして始まった対テロ戦争は現在も続いている。この戦争はなぜ終わらないのか?そして日本はどのように対応すべきなのか?国際政治・軍事・経済を総合した政治経済学の視角から分析する。
◆斎藤幸平
◇ポール・メイソン『ポストキャピタリズム―資本主義以後の世界』
◇ナオミ・クライン『これがすべてを変える――資本主義VS.気候変動』
◇アントニオ・ネグリ=マイケル・ハート『“帝国”―グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』
◆佐々木隆治
◇大谷禎之介
◇渋谷正
◆隅田聡一郎
同上『資本主義はどう終わるのか』
「合法的な併合」というのは第二次日韓協約のことだろけど、その「合法性」自体、帝国主義の国同士で承認しあったものに過ぎなくね? そういうのを「合法」と呼ぶならほとんどの植民地支配だって「合法」であり文句を言われる筋合いなんてなくならね? 少なくとも当の相手である大韓帝国が国を挙げて喜んでたわけではないので、それを無理無理併合したんだから帝国主義的支配と言われても仕方ないんじゃね?
もっとも、日韓交渉を踏まえれば、韓国側に賠償を請求する権利はないよな。それは同意だ。ただ今回求められているのは「賠償」の請求権ではなく「慰謝料」の請求権なんだよなあ。とはいえ、これが通るなら、原爆を落とされた日本人はことごとくアメリカに対して(「賠償請求権」は一括放棄しているが)慰謝料の請求をしてもよいという話になるね。
個人的には、もう日韓基本条約破棄したらいいんじゃね、って思う。ぞろぞろと今回みたいな話が続くなら、もう基本条約が完全に空文化してるじゃんね。あんな条約ある意味ないよ。当然「日韓請求権並びに経済協力協定」も廃棄なわけで、韓国は当時の8億ドル(現在価格で80億ドル)を一端日本に返せばいいよ。全部ガラガラポンしてもう一回一から始めよう。それなら飲める話。
「切り替わるタイミング」は決まっているものではなく、社会情勢や社会通念の変化に依る、以上のことは多分言えないです。曖昧な言い方で申し訳ないが。
安全保障論(と言われてもぱっとわかりづらいかもなので、ざっくり「国家同士が戦争をしないためにどうしていけばいいか」に関する理論、くらいに捉えてほしい)辺りを例に挙げると、安全保障モデルは時代によって様々に移り変わっている。
「ある一つの国が別の国々を支配下に置くことで一つの秩序を構築し、結果戦争は起きない」という理論。帝国主義的な考えの理論は、そういった国々が沢山出てきた結果いくつかの国々による権力の均衡関係で秩序が保たれるという理論が生まれる。
しかしそれらはしだいに米ソ冷戦での軍事力の肥大化と相互抑制を生み出し、キューバ危機を代表とする潜在的な戦争の恐怖を生み出したため、それは流石にまずくね?という話になる。
結果、2国間だけの均衡関係でなく多国間での協調を重視したり、軍事力ではなく経済協力や経済制裁による均衡関係を生み出すのが得策、という話が出る。
まあ、曖昧な言い方だし、結局は現実の追認として理論を後付けしているだけなのではないか、という批判は絶対にあるし、それは一面において正しい。
じゃあ、現実問題社会現象をどのように説明することが「正しい」のか、という問題に関して、絶対的な答えは存在するのか、という話もまた存在する。
正解は存在しないけど、正解を求めづつけることで発生する諸運動が、世界の在り方を「より正しい方向(≠絶対的な正解)」に近づけていくのではないのか。
そういう試みそのもの、「その試みによって生まれるもの」ではなく「その試みそのもの」が社会科学の価値なのではないかと思っています。
お前、どうしても「教育勅語反対 = 軍国主義復活反対」に結び付けたいみたいだな。
そんな事どこにも書いてないのに。
人の話を聞かないって、お父さんお母さんに注意された事ない?
ほれ、「父母ニ孝」だよ。「父母ニ孝」。
それとも、お父さんお母さんもお前と同じく教育勅語大好き派かな?
まあそんな事はどうでもいいとして、
物分かりの悪いお前にもわかるように言うと、俺は教育勅語を復活させた所で軍国主義が復活するなんて思ってないし、
勝てない相手との戦争を回避できなかったのは馬鹿だし、そもそも軍が統帥権干犯を楯に政府の外交を邪魔したのは問題外だとは思ってるが、
帝国主義自体は当時どこの国でも普通だったから非難される謂れはないと思っている。
嫌なのは、責任も取れない卑怯者を現人神として崇め奉った挙句、そんなやつの言葉を陛下の言葉などと権威付けしてバイブル扱いした事だ。