はてなキーワード: 吉川とは
ツイッターで「今日は仕事を早く終わらせて今から THE MANZAI 2012をゆっくり見ます♪」という、変な書き込みを見つけた。今は2014年なのに。
で、その文章でツイート検索すると、1週間で18人のアカウントが、同じ内容のツイートをしていることがわかる。
永山 康樹 @jw_b1ak4_botx
今日は仕事を早く終わらせて今から THE MANZAI 2012をゆっくり見ます♪ via Twitter for Android Tablets
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てっくン兄ちゃん @jdmvze_g6
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小宮 大輔[ロックの夜明け] @takemikittty883
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やーむ @pkogaopwa
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藤井孝洋 @oanjuhoch
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寿賀 勇斗 @kirigtoek_529
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吉川 聡 @qmm_kzbn1454
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せーりーなー @nlyanko_ta768
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2014.08.31 08:41
あんちゃん @Rywpp950
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2014.08.30 15:44
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まほ(DM・リプのみ) @gddame365
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なお @ftv56yk6x43
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みほぱんだ @aiyat_0001422
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2014.08.27 02:07
規制されたみやきょー @Pkfky811926
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2014.08.25 21:19
さらに、それぞれのアカウントのツイートを調べていくと、すべて使い回しであることがわかる。
たとえば「空が真っ暗になってきて雷ゴロゴロの新浦安。真夏みたいだな。」という文章を、少なくとも14人が書き込んでいる。
おそらくすべてパクツイで、過去のツイートの中から何らかの法則で拾い上げているのだと思う。
でも、目的は何なんだ?
とにかく、ひたすら不気味。
すまん。長い。
さんざん電子書籍とかないわーとか言ってたんだけど、本屋に日常的に通って本を物色する時間がなくなってきたこと、生活パターンが夜昼ひっくりかえってることなんかも含めて、電子書籍的ななにかを導入しないと不便だよなーと思った。あとブックオフ通いしてるヒマないしそもそも最寄りのブックオフまで車で最短でも50分かかるし……。でも、ウォークマン全盛時代にあえてアイワとかケンウッドで十代を過ごした俺としては、キンドル買ったらなんか負けのような気がする。負けのような気がしたんだけど、ほかの電子書籍サービスをいろいろ使った結果「 使 え ね え !!!」とかなってギィィィィって変な声出しながらキンドルぽちった。
さて、そんでキンドル届いた。最初から自分のアカウントが登録されていて、Wi-Fiの設定だけすればいきなり使えるようになってた。こういう手の届きかたって賛否両論な部分あるんだろうけど、俺みたいな「なんでもいいから楽なほうがいい」っていうくらい怠惰な人間にはこれはありがたかった。
さて、そんで品揃えであるが、別にキンドルだからすべての書籍が電子化されてるとかそういうことはなかった。けどやっぱり充実はしてる。ひとまずその面でのストレスは解消された。
新しい道具ってのは、それを通じて「なにか新しいライフスタイル」が見えたときにとてもすばらしいものだと感じられると思っている。俺にとってはウォークマン(の類似のアイワの製品)の登場がそうだったし、ワープロ専用機がそうだったし、もちろんその後のインターネットもそうだった(PCそのものではなくインターネットだった)。
まったく期待してなかったんだけど、キンドルには確実にそれがあった。
これは自分が活字中毒であることも関係してるんだが、いちばんすばらしいことは「読むものを切らす」という可能性がゼロに近くなったことだ。俺は便所でも風呂でも、どうかすると歩いていても本を読んでるタイプの人間で、とにかく空き時間があるとなんか読んでる。それがおもしろいか、有意義かとかそういうことは優先順位としてはかなり低い。まず「なんか読んでる」ことが重要なのだ。そういう人間なので、外出のときもかならず本は持っていくのだが、あたりまえだが、重い。それに、いざ本を切らしたときに近くに書店があるとは限らない。その点、キンドルならそもそも1000冊の単位でぶちこんでおけるので、切れる心配がない。
この「桁外れの物量」という点では別の感慨があった。いま俺のキンドルには、青空文庫から仕入れてきた半七捕物帳全巻だとか、吉川版三国志全巻、柳田国男や折口信夫のほぼ全著作が入ってる。青空文庫経由だから無料か、まとめてあるやつでも100円とかだ。無料っていう点では図書館もあったわけだが、重要なのは、その「全巻」「全集」の単位を常に持ち歩けるということだ。安いのはもちろんすばらしいことだが、金に糸目をつけなければ、そして電書化さえされていれば「自分好みの図書館」を持ち歩けるにひとしい。習慣的に読書をしない人、「読むものがなくなるのでは」と恐れるようなことをしない人にとっては、この事実に対する感動はいまひとつわからんとは思う。こんなことは、実際にキンドルを入手しなくても理屈でわかりそうなもんなんだが、手のなかに実際にこの道具があって、そしてこの道具のなかにいつまでも読んでいられるものがある、そう実感してはじめて「すごい」と思える。そういうのってある。
細かい点では「ページをめくる」という作業がないのがとても快適だ。具体的には電車のなかで楽。あと寝ながら本読むときにうつぶせだとすごい腰痛になって泣きたくなるので横向きに読むのだが、横向きだと右ページと左ページを読むときで微妙に工夫がいるのでちょっとだるい。あとバックライトあるので暗闇でも本読める。なぜわざわざ暗闇で。
とまあ、こんな感じだ。
それと、副次的に思ったことなんだけど、本ってのはコンテンツなわけだ。情報としてパッケージが完結している。キンドルを入手する前は、もちろん本も読むものの、わずかな時間の隙間に読むものといったら、常時PCつけっぱの環境もあって、インターネット経由のものが多かった。それで、あらためて両者の違いについて思う。
本はコンテンツとして完成度と完結度が両方高い。印象でいえば「ひとつの世界」を提示するものが本だ。ページを開くということは、著者が見た「自分の見た世界とは違う世界」を覗くことだと思う。ネットにある文章は、もちろん数多くの例外があるのを承知したうえで、やはり「いまリアルに動いてる世界」の断面図という側面が強いと思う。本質的なところでコミュニケーションのツールとして機能している。
俺にとって活字を読むことは、テレビを見ることと近い。やることがなければテレビをつける。なんかやってる。なんなら「音がないとさびしい」という理由でテレビをつけるのでもかまわない。それがぬるいバラエティーでもなんでもいい。ぬるいバラエティーに意義だとか完成度だとかを要求する人はあまりいない。ただなんとなくひまがつぶせて、ちょっとでも笑えればいい。気に入られなければチャンネルを変えればいいだけだ。
この比喩でいうと、ネットってものは街頭に設置してある常設カメラの映像をそのまま流しているような印象だ。重要なのはカメラの設置場所と種類のほう。あと、設置した人。本は番組だと思う。キンドルがあるいまとなっては、本屋に行くという行為に「映画を見にいく」のと同等の敷居の高さを感じる。だから、キンドルを入手したということは、俺にとって「自宅にテレビが来た」というのと近いインパクトがある。そしてこの比喩でいうなら、キンドルを入手する前から俺はテレビっ子だったわけだ。
……というわけで、いままでは活字の本ばっか買ってたわけですけど、そんじゃマンガもこれからはキンドルだけでいいですよねーと思ってハナヤマタの原作1巻買ってみたんだけど、マンガはものすごく読みづらくてびっくりしました。だめだこりゃ。しょうがないので、なるがトイレに入ってるシーンをくぱぁって拡大したりして喜びました。というわけで今季のアニメはハナヤマタでガンギマリだと思います。あとこれでようやくシロクマ先生のキンドルだけで出てた著作を読めます……。
22年9月 | 22年12月 | 23年3月 | 23年6月 | 23年9月 | 23年12月 | 24年3月 | 24年6月 | 24年9月 | 24年12月 | 25年3月 | 25年6月 | 25年9月 | 25年12月 | 計 | |
萩野谷 勉 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 6 | ||||||||
大貫 道夫 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 13 | |
柏 宏明 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 13 | |
小森 敬太郎 | ★ | ★ | ★ | 3 | |||||||||||
吉川 美保 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 10 | ||||
小森 敏雄 | ★ | ★ | ★ | ★ | 4 | ||||||||||
田沢 祐男 | ★ | ★ | ★ | 3 | |||||||||||
川上 博 | 0 | ||||||||||||||
武石 寿長 | ★ | ★ | ★ | 3 | |||||||||||
高村 和郎 | ★ | ★ | 2 | ||||||||||||
内田 勝廣 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 12 | ||
野上 台一 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 13 | |
岡崎 榮一 | 議 | 議 | 議 | 議 | 議 | 議 | 0 | ||||||||
淀川 茂樹 | 0 | ||||||||||||||
掛札 行雄 | ★ | 1 | |||||||||||||
木村 久美子 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 6 | ||||||||
秋山 信夫 | 0 | ||||||||||||||
木村 勝昭 | 0 | ||||||||||||||
小橋 輝夫 | 0 | ||||||||||||||
金子 卓 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 12 | ||
仲田 好一 | 議 | 議 | 議 | 議 | 議 | 議 | 議 | 議 | 0 | ||||||
堀江 鶴治 | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | ★ | 13 |
ちょっと前に吉川三国志の著作権が切れてパブリックドメインになった。
僕はこれを喜ばしいことだと思っている。きっとAmazonでも無料公開されるだろう。Kindleで三国志が無料で読めるんだ。
と思っていた。
が、いつまで経っても孔明の巻、6巻までしか出てこない。私は待ちきれずに青空文庫からデータを引っ張りだして、どうやったのかもう覚えていないが幾つかの変換サイトのお世話になり、7巻以降のmobiファイルを自分で作成した。
そうこうしていたら、つい先日序章と余録を除いたKindle版10巻全巻パックが発表されたという知らせが来た。さすがAmazon、まとめてくれるとは粋だな、と思ったら、しれっと200円で売られていた。
別にパブリックドメインのものを有料で売るのは悪いことではない。批判はしない。ただ、なんとなくカンに触ったので自分が以前にmobi形式に変換したものを公開しようと思った。
売ることも悪いことではないが、タダで配るのも悪いことではないはずだ。それがパブリックドメインだ。
と思ったらもう公開してる人がいた。
DropboxにファイルをアップロードしてそのURLを貼るつもりだったのだが、kindle mobi 吉川 三国志 で検索するとあっさり見つかった。もう消してしまったがこのエントリはそもそもそのDropboxのPublic領域へのURLを公開しようと思って書いたものだ。
大事な休日の2時間ほどを費やしたエネルギーの持って行き場がない。ただ僕と同じように変換に労力を割く人って結構いるような気がするのでそこのURLを紹介することにする。
http://www.nantoka7.com/kindle/
言っておくけど僕はここの人とは何の関わりもない。たぶんこの人と同じようにパブリックドメインを有料で売る人がちょっと気に入らないだけだ。このエントリを宣伝だと思ってる人に付け加えておこう。この人はAWSのS3を使っているようだ。そして広告は貼っていない。ダウンロードすればするほどこいつは月の支出が増えるのだ。俺がS3じゃなくてDropboxを選んだ理由もそこにある。自作自演だと訝るなら絨毯攻撃的にmobiをダウンロードしまくればいい。ダメージは少なくないはずだ。
【話題】 TBSの大御所アナが今の “女子アナブーム” をメッタ斬り
1 :影のたけし軍団ρ ★:2013/12/11(水) 10:54:46.05 ID:???0
女性アナウンサーの草分け的存在、吉川美代子氏(TBS)の新著が話題だ。「アナウンサーが教える 愛される話し方」(朝日新書)で、
今月13日発売される。中身はアナウンサーの声の出し方、プレゼン、司会、スピーチのノウハウなのだが、
その最終章が圧巻で、今の女子アナブームをケチョンケチョンにこきおろしているのである。
吉川氏は1977年にTBS入社後、37年間アナウンサー一筋で活躍してきた。来年5月に定年を迎える。
〈わたしはこれまでずっと「女子アナ」ではなく、「女性アナウンサー」としてプライドと自覚を持って仕事をしてきました〉という吉川氏。
それだけに今の「女子アナ」が我慢ならなかったようだ。
吉川氏によると、今のアナウンサーには4つの亜種があり、「男性アナウンサー」「女性アナウンサー」「ベテランアナウンサー」そして「女子アナ」だという。
吉川氏が許せなかったのは、最後の「女子アナ」になる。その批判の凄いこと。
〈「女子アナ」がアナウンサーの亜種であろうが、新種だろうが、週刊誌やスポーツ紙の記者やカメラマンにとっては、まさに飯の種、ありがたい存在に違いありません。
一方で、心ある視聴者にとっては、タレントのようなかっこうをしたり、漢字を読み間違えたり、放送界の環境汚染源といえるかもしれません〉
〈必ずしも、「女子アナ」は放送局の社員とは限りません。タレント事務所に所属している「女子アナ」もいますが、ニュースを読む機会は多くありません。
いまどきの高校生と変わらない遊び着ファッションと、甘えた声でニュースを読むことがあります。原稿の内容を理解しているのかは、はなはだ疑問です〉
〈放送局社員の「女子アナ」はどうでしょうか。わたしが新人アナウンサー研修で、みっちり教えたはずの発声や発音やアクセント、、間違いやすい表現、
言葉づかいなども、「女子アナ」にかかれば、無残にも砕けちり、粉々になって消えてゆくことがあります。(中略)漢字を読めないことを売り物にする「女子アナ」さえいます〉
極めつきは、以下の部分で、まさしく一刀両断だ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131211-00000004-nkgendai-ent
2 :影のたけし軍団ρ ★:2013/12/11(水) 10:54:58.72 ID:???0
〈パパラッチに追い回され、ボーイフレンドとのデートや買い物姿を写真に撮られる。(中略)でも「女子アナ」はめげません。
細い脚を誇示するような短いスカートでしゃがむ。公道でキスをする。「女子アナ」はサービス精神旺盛なのでしょうか。
これでは、写真週刊誌にねらわれても自業自得と言わざるを得ません〉
吉川美代子氏に改めて聞いた。
「80年代後半頃から、若い女性アナウンサーが『女子アナ』と呼ばれ、バラエティーに出るようになりました。
技量より個性が重視された。最近はタレントが情報番組のMCを務める時代、局アナとの線引きが曖昧になっているし、
東日本大震災以降、いざというときは放送局のアナウンサーとしてきちんと情報発信していかなきゃいけないという意識が少しは芽生えてきた気がします。
ですが、どうしたらいいのか、形にできないと意味がない。アナウンサーを名乗るなら、教養や技術を身につけて、
自覚を持ちましょうと誰かが厳しく言わなきゃいけないと、メッセージを込めました」
女子アナに「反論」があるのなら聞きたいくらいだ。
放射性物質ゴミの焼却施設が関東近辺に建造されている(!)というニュースです。
あまり報道されていなかったもんだから驚いてしまった。みんな知らないよね?やり口が汚すぎる。
作る場所は秘密だわ、住民に説明しないうちに作りはじめるわ、審査は終わってないわ、野焼き同然の処理だわ、環境アセスメント逃れだわ、書類は捏造だわ、汚染閉じ込めの原則破ってるわ、狂ってる。
汚染ごみ焼却に住民不信 福島・鮫川村で計画(2013/2/6 中日新聞)
福島原発事故で放射性物質に汚染されたごみの量を減らそうと、環境省は焼却実証実験の準備を福島県鮫川(さめがわ)村で進めている。現在、焼却施設を建設中だが、近隣住民に十分な説明はない。
県条例などに違反して着工したことで不信を膨らませ、また一つ疑惑が発覚した。性能が不評で、普及していない焼却炉を採用するというのだ。住民の懸念は頂点に達しつつある。
◆高濃度、薄めて拡散
茨城県との県境、鮫川村の端にある牧場跡地。ここが焼却施設の建設現場だ。近くに住む福島県塙町(はなわまち)の農業男性(67)は「近所に建設されるのに、自治体が違うと私らには何の説明もない。さらに妙な焼却炉を使うという話も聞いたし…」と、不信感をあらわにした。放射性廃棄物の扱いは従来、原子力施設に限られていた。鮫川村での実験計画に反対する元東京電力社員の吉川彰浩さん(32)は「環境省は農家の野焼きと同じレベルで、放射能汚染物を処理しようとしている」と話す。これまで放射性廃棄物は原子力基本法など放射能三法で、一般ごみとは全く別ルートで厳重に管理、処理されてきた。原発内の焼却炉には、排気筒に放射性物質の濃度を測る常時監視装置が付けられ、負圧(内部圧力を低くし、損傷しても外に放射性物質が漏れ出さないようにする)を保ち、炉は建屋内に設置する-といった具合だ。
ところが、福島原発事故により、放射性廃棄物が各地で発生。環境省は昨年一月、対策のために急ぎ放射性物質汚染対処特措法を施行した。同法によると一キログラム当たり八〇〇〇ベクレル超の高濃度汚染ごみは「国が責任を持って処理」しなくてはならない。
だが、処分場を確保できず、作業ははかどらない。除染により、高濃度に汚染された落ち葉や木の枝などの量はかさむばかりだ。
鮫川村での焼却実験の狙いについて、環境省は「八〇〇〇ベクレル超の落ち葉や堆肥を、低汚染の牧草や稲わらと混ぜて焼却し、焼却灰を基準値以下に抑える」と説明する。
しかし、放射性物質の処理は凝縮が基本。薄めて、拡散することはご法度ではなかったのか。住民からも「国は低汚染のごみで薄め、高濃度汚染物の処理責任から逃れようとしている」という批判が上がっている。環境省は昨年春、村にこの計画を持ちかけ、村議会も了承。ところが村民には、同十月発行の広報誌上のお知らせ欄に簡単に書かれていただけだった。建設予定地の住所も「非公表」とした。
建設の同意を取ったのは、周辺一キロの村民計三十世帯のみ。建設予定地から半径一~二キロの範囲には、塙町や茨城県北茨城市も入るが、住民説明はなかった。福島県条例などに定められた審査が完了する前に着工し、その慌てぶりが住民の不信をより高めた。
そして、ここに来て、もう一つの疑惑が見つかった。近隣住民が県に情報公開請求した環境省の届け出書から、採用される焼却炉が「傾斜回転床炉」だと判明した。
◆小型炉「アセス逃れ」
傾斜回転床炉とは、どんな焼却炉なのか。
設計図などによると、おわん形の炉が回転し、ごみをかき混ぜながら燃やす仕組み。しかし、中部地方のある産廃業者は「国内では普及しておらず、民間でも使われているのは全国で数カ所程度のはず。理由は構造的な問題があるからだといわれている」と語る。「うまく燃やすための調節作業が難しい。ごみがうまく混ざらないと、炉の底にたまったごみが、上部にかぶさったごみにふたをされる形になり不完全燃焼しやすい」
焼却施設でしばしば問題となるダイオキシンの生成を抑えるには「八〇〇度の高温で二秒以上の焼却」が必要とされているが、不完全燃焼だと発生の危険性が高まる。
さらに別の業者も「重油を焼却する炉として使う例は知っているが、落ち葉や稲わらを焼くなんて初耳だ」と言う。環境省は「(焼却施設建設工事を受注した)日立造船が選んだ炉で、安全だと聞いている」とし、独自に安全性を確認したわけではないと説明。
その日立造船は取材に対し、「攪拌(かくはん)により燃焼が促進される」「回転数によりごみと空気との接触を制御することで燃焼の制御が可能」などの特徴を挙げ、「さまざまな被焼却物を十分燃焼させやすい」と説明する。
しかし、環境省が県に提出した届け出書では、稲わらや牧草などに必ず含まれている塩分を「ゼロ」と表記した資料を添付するなど、そのずさんさは際立っている。塩分は、焼却時にダイオキシン発生の原因となる。
建設予定地から一・五キロの塙町に住む北村孝至さん(56)は「こんないいかげんな書類を出すようでは、国を信用できない」と憤る。環境省がようやく鮫川村で説明会を開いたのは、着工後の昨年末。「その場でも、炉の型については全く説明がなかった。
『フィルターにより、99%以上の放射性物質は除去できる』と繰り返すだけだった」(北村さん)さらにこの焼却炉は一時間当たりの焼却能力が「百九十九キロ」。
環境省が公募した際に、処理能力を「二百キロ未満」と指定したためだが、これは何を意味するのか。 実は焼却能力が二百キロ未満だと、「産業廃棄物処理法」と「大気汚染防止法」の規制が掛からなくなる。
その結果、事前に大気や土壌、地下水などへの影響を調べる環境影響評価(アセスメント)を実施しなくても建設できるのだ。ある産廃業者は「まるきり規制逃れとしか思えない」と話す。
加えて、炉には放射性物質監視装置は設置されず、建屋もない。放射性物質の測定は、公道からの出入り口にモニタリングポストがあるだけ。万が一、施設で事故が発生しても緊急に対応できるとは思えない構造だ。
焼却灰について、環境省は焼却施設付近に一時保管するという。予定地から一キロの北茨城市の牧場で約千頭の肉牛を飼育する山氏徹さん(63)は「実際は最終処分場にするつもりではないか。
鮫川村を先例に、環境アセスが要らない小型炉を各地に造り、市町村に処理させる気ではないか」とその真意をいぶかる。廃棄物問題が専門の環境運動家関口鉄夫さんは「放射性廃棄物を焼却すれば、大気中に拡散して環境汚染のリスクが高まる。他のごみと混ぜて焼却して放射性物質の濃度を薄める-という発想自体に現実性が欠けている」と指摘している。
読みづらくてごめん。
やば過ぎる。
これ、茨城との県境だから、東京からも離れてないぞ。150kmくらい。
手遅れにならなければいいが。
(追記)
確かに、もはや特定の地域の問題ではありません。
東京の人に自分の問題だと思ってほしくてこういう書き方をしてしまいました。申し訳ありません。
新聞社のウェブに記事がないのですが、補足するソースをいくつか挙げます。どのくらい本記事が煽っているかは、調べながら判断してもらえれば。
http://www.asyura2.com/12/genpatu28/msg/848.html
地元の様子がうかがえるまとめ。
http://makeiwaki.exblog.jp/17609800/
http://abukma.seesaa.net/article/310119623.html
胸が痛くなるブログ。
http://www.vill.samegawa.fukushima.jp/
村の説明は「お知らせ」のところ。
http://blog.goo.ne.jp/no-nuclear/e/147f9677b8b5645e8e1d58753e8ddd67
http://www.facebook.com/media/set/?set=a.540876189257213.128881.100000045114084&type=1
http://anond.hatelabo.jp/20130121001007
読む前は「吹雪の中を幼い兄妹二人が母親の薬のために奮闘するが、塩狩峠で行き倒れる話」だと思っていた。
イメージ的には「火垂るの墓」、あるいは「ベロ出しチョンマ」のひどく悲しいものを無意識に予感してしまっていたためか、現在26歳に至るまで一度も読んだことはなかった。
手にとって読んでみると、まあすらすら読める。
こんなに平易な文章で短篇集的なとっつきやすさを持っているものであれば、中学生くらいのときには読んでおきたかった。
いろいろと考えるきっかけにもなりえただろうことからなおさらそう悔やまれてならない。
内容。
あらすじを知っている人からすれば当然だったのかもしれないけれど、知らなかった自分からすればあまりにも唐突。
死亡フラグが立っていたとはいえ、それでもあんまりだなあと思った。
ふじ子かわいそうっていう。
あーでもそのやるせなさとかからの逃げ場所としてキリスト教が救いになったってことなのかなー。
理不尽なこととかにも黙って耐えるような、そのときのすがる先。宗教ってそういうものかね。
生きる意味すらも指し示されるような。
それもありかもね。そういう選択肢もあるんだねとは思った。
ただ最後らへんの、すげー影響があっていっぱい入信したとかそういう下りは「小説としては」いらなかったんじゃないかなー。。。
掲載誌を考えたら仕方なかったのかもだけど。
ただ死んだだけじゃなかったんだよーこんなに多くの人に影響を与えたような、意味のあった立派な死だったんだよーっていうのがちょっとあざとすぎた気がした。
あとがきとか解説について。
解説で、この本のテーマは犠牲って書いてあった。確かに、乗客のために命を犠牲にしたりだとか、吉川が自分の夢を諦めて「普通」を目指すだとか、いろいろな部分に犠牲というコンセプトが見え隠れする。
そういうものの見方を知ったことは有益だったけど、自分にはできない、やれない、やりたくないって思っちゃうなーと、この歳まで無宗教でダラダラ生きてきた人間は思った。
友のために命を投げ打つ、犠牲になることが愛。
そう思うのは勝手だけど、結局正当化するための理由でしかない。自己満足に過ぎないとしか思えないという考え方が拭い切れない。
根っからのキリスト教国に生まれてたらまたその考え方も違ったんだろうけど。
否定はしないけど、別に肯定もしない。受け入れるつもりもない。そもそも受け入れられない。
そういえば中学校のときに、卒業式で大地讃頌を歌うことになっていたのがたったひとりのキリスト教の生徒のために変更になったことがあったわ。
やっぱり、宗教が前提にある人とそうでない人って歴然とした差が根っこからあると思うわ。
○吉川春子君 官房長官談話では、広範な地域に慰安所が設置された、慰安所は軍の要請によって設置された、慰安所の管理運営、慰安婦の移送について旧日本軍が直接又は間接に関与したとしております。これはお認めになるんですね。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 先ほど答弁をいたしましたように、河野官房長官談話を継承しているということは、この官房長官談話を正に引き継いでいるわけでありますから、その中身も、それを引き継いでいるということでございます。
○吉川春子君 さらに談話では、慰安婦の募集について、本人の意思に反して集められた、官憲が直接これに加担したこともあった、慰安所の生活は強制的状況で痛ましいものであったと言っていますが、これもお認めになりますか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 河野官房長官談話を継承すると、このように申し上げております。
○吉川春子君 河野談話の内容と、それから首相官邸での記者会見の強制性はないという発言は矛盾すると思いますが、談話を受け継ぐとおっしゃるならば、この発言は取り消されたらいいと思うんです。いかがでしょう。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) そうした発言も含めて今私は答弁をしているわけでございますが、この河野官房長官談話を継承していくということでございます。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/166/0014/16603260014013a.html
色んな考え方の人がいる以上、話し方を聴き手に対して変える必要がある。
哲学科の奴にいきなり経済の素晴らしさを語ったり、電子工学科のやつにカントが~とかいきなり自分のことばで語りだしたって、何が伝わるだろう。
人間は「ある程度理解が得られるであろう内容/話し方」で話すものだ。
だから、読み手に対して自在に変化を遂げ、否定的に解釈されにくい、抽象的な言葉が生き残りやすい。
人はよくわからないと思ってるものに対しては、お互い意見を対立させようとは思わないものだと僕は思っている。
具体的な言葉を用いると、どうしても現実的な様々な解釈と意見が入り混じる。
具体的な話であれば会話がしやすいか?細かいニュアンスの表現が必要とされるがために、それは逆に難しいのだ。
文字だけで、それまで何のコミュニケーションもとらず前提確認も取れず、細かい話をするのは非常に困難だ。
とはいっても、ネットでは主に言葉でコミュニケーションを取らねばならない。
しかし、どんな言葉を使っても(もちろんこの日記も例外にはなれない。)何かしらの否定はされ得る。
僕にとって一番大事な発言者は、ぼくの話をちゃんと聞いて、反応してくれる友達だ。
その信頼感は、ネットを使ってでも、直接会ってでも、電話でも変わらない。
そんなインターネット(と現実)で、からまれたくないし、全力で逃げたいと思ってる3人の馬鹿を挙げる。
発言者による発言の優先度が、僕にとって一番低いのが彼らと言っても過言ではない。
彼らから真っ先に逃げる為に、一度言葉にして確認することにした。
・個人の日記
しかしここで犯罪告白をする人は、新宿とかのでかい公園で犯罪を何千回も叫ぶ(コピペ、RTされる)ようなことをしてるんだから警察に引っ張られてもしょうがない。
やましいことするなら隠れてしないと捕まるのは当たり前。そこくらい知恵使えと言いたい。
主題違いに突っ込む馬鹿。
十分な議論ができる環境ではない(コメント欄でどれだけの納得が得られようか。)のにも関わらず、1から議論しようとする人。
offでお茶会でも開け、と言いたい。
・ブログ
「間違ってるやつは正さないといけない」「間違ってるやつが正さないのは傲慢だ」「間違ってるやつは攻撃していい」というロジックを君が使うなら、「そう言う君が間違ってるから君を攻撃していい」「そういう君が間違ってるのに直さない、傲慢だ」「そういう君は(略)攻撃していい」と僕が言うことも正しい。
そんなループに見ず知らずの名無しさんとラブラブランデヴーしたくないから、僕は全速力で逃げる。できる限り自由にやりつつ、できる限り君と関わらないような人間になる。
僕はこの人には何も言いたくない。目視し次第とにかく逃げる。
相手の知識を、括として無視し去ってしまう場合に、無知が絶対に強い。」
という一文がある。
文脈はともかく(そんなではいけないのだが、)僕はこれは本当にそうだと思っている。
ぶつかったら負け、の戦いからは、逃げることが負けないことなのだ。
僕はそいつと戦わないから、勝たないが、負けない。戦いたくもない。
いやいや、過小評価できない(付き合えば十分に面倒くさいことになる)から逃げるのだ。
僕にとって、勝つよりも、負けないことの方が重要だ。
僕は、類は友を呼ぶという言葉も信じているから、出来る限り自分自身が3人の馬鹿にならないようにしたいと思う。
僕にできるのは、僕を変えることだけだ。
これが僕の最大限だ。
第1章 プログラム変換入門 佐藤泰介 1.1 今なぜプログラム変換か? 1.2 変換あれこれ 1.3 システム化について 第2章 等式プログラムの等価変換 二木厚吉 2.1 等価変換例 2.2 等価性 2.3 等価変換法 2.4 おわりに 第3章 論理型言語におけるプログラム変換 玉木久夫 3.1 はじめに 3.2 論理プログラムとその意味論 3.3 展開/たたみ込み変換:例題 3.4 展開/たたみ込み変換の正当性 3.5 他の変換との両立性 3.6 おわりに 第4章 部分計算 二村良彦 4.1 はじめに 4.2 部分計算の概要 4.3 部分計算の応用例 4.4 部分計算の理論 4.5 実用化のための課題 第5章 メタ・プログラミングと部分計算 竹内彰一 5.1 はじめに 5.2 Prologプログラムの部分計算 5.3 メタ・プログラミングへの応用 5.4 メタ・インタプリタの段階的特殊化 5.5 おわりに 第6章 合成問題への新しいアプローチ 佐藤泰介 6.1 否定技法 6.2 二重否定技法 6.3 論理プログラムの合成 第7章 ベクトル化とプログラム変換 安村通晃 7.1 はじめに 7.2 プログラム変換 7.3 ベクトル化 7.4 主要変換 7.5 基軸変換 7.6 その他の変換 7.7 ベクトル化におけるプログラム変換の特徴 7.8 おわりに 第8章 GHCでのプログラム変換 吉川康一 8.1 はじめに 8.2 簡単な問題 8.3 フィルタ・プロセスの融合 8.4 プログラム変換の手順 8.5 電子回路シミュレータへの応用 8.6 おわりに 第9章 実用規模プログラムの変換試行事例 吉田紀彦 9.1 はじめに 9.2 コンパイラの変換 9.3 プログラム変換の実用可能性 9.4 おわりに
領土問題に対するスタンスを見ても、共産と社民・民主は「何か」が違っているんだが。
従軍慰安婦についてWikipediaでこんな記事を見つけてしまった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E6%99%82%E6%80%A7%E7%9A%84%E5%BC%B7%E5%88%B6%E8%A2%AB%E5%AE%B3%E8%80%85%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%81%AE%E8%A7%A3%E6%B1%BA%E3%81%AE%E4%BF%83%E9%80%B2%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B3%95%E5%BE%8B%E6%A1%88
なお、もともと共産党単独案では日本人慰安婦についても補償と謝罪の対象に含めていたが、民主・共産・社民三党案では、旧植民地と占領地出身の慰安婦を対象にし、日本人は対象にしていない。
法案作成に関わった吉川春子参議院議員によれば、日本人を含めることについては3野党で一致できなかったため、共産党が妥協したという。
それ結構古い情報だったはず。最新はこっちかと。
http://www.hatatomoko.org/SCN_00016.pdf
【呼びかけ人】五十音順127名
阿知波吉信
網屋信介
井戸まさえ
石井登志郎
今井雅人
糸数慶子
打越あかし
大久保勉
奥野総一郎
加藤学
加賀谷健
柿沼正明
神本美恵子
工藤仁美
工藤堅太郎
櫛渕万里
黒岩宇洋
小室寿明
近藤正道
今野東
齋藤つよし
齋藤やすのり
阪口直人
櫻井充
白石洋一
杉本かずみ
瑞慶覧長敏
高野守
高橋昭一
高邑勉
武内則男
橘秀徳
玉置公良
玉城デニー
中後淳
外山斎
中川治
中根康浩
中島隆利
中島正純
中島政希
中野譲
那谷屋正義
野田国義
橋本博明
橋本べん
初鹿明博
浜本宏
平山泰朗
広田一
藤田一枝
前川清成
松崎哲久
松野信夫
皆吉稲生
宮崎岳志
向山好一
森山浩行
森本哲生
山口和之
山田良司
山下八洲夫
湯原俊二
吉泉秀男
吉川政重
【賛同人】五十音順53名
石森久嗣
大西孝典
岡本英子
大泉博子
金森正
黄川田徹
京野きみこ
桑原功
後藤英友
空本誠喜
高井崇志
玉木朝子
永江孝子
中野渡詔子
仁木博文
野木実
畑浩治
平野達男
福嶋健一郎
藤田憲彦
藤谷光信
村上史好
森本和義
矢崎公二
山本剛正
山崎摩耶
柳田和己
柚木道義
若泉征三
鳩山にハシゴを外されたFushi-ana-eyesのバーゲンセール。
こいつらどうするんだろ。特に社民党、連立離脱はするけど選挙協力はしますとかいう巫山戯た事言ってるけど。
http://anond.hatelabo.jp/20080830143407
SDGEってなんぞw
wikiのバーナンキのpageからきたけど「SDGEとやらの騒動」だなこりゃw
>まあ、マクロ経済学者が誰も出てこないあたりで
himaginaryも匿名だが書き方からすれば
国際刷り続けてもインフレにできませんよ、って「素朴な」政策無効主義へのインタゲリフレ側からの反論であって
今度じゃあどうやってのhow,適性レンジはどこまでかといった閾値、オーバーシュートの問題はこりゃまた別の話だね。
一見頭が良さそうにふるまう人の文書を読んで、頭がこんがらがって、騙される。
※横断性条件の業績は神戸大RIEBの上東貴志さんではないのか?こりゃまた字も間違えまくってる。
(京大卒1989,ウィスコンシン大学マディソン校Ph.D.)
http://www.rieb.kobe-u.ac.jp/academic/ResearchStaff/kamihigashi-j.html
(東大理学部数学科、東大大学院経済学研究科博士課程修了。帝京大准教授。"あの"宇沢"門下生である)
http://d.hatena.ne.jp/hiroyukikojima/
インタゲリフレ批判には2つの文脈がある。1.徹底した構造改革(池田、池尾、小林慶一郎) 2.財政政策からの批判(小野、吉川)
http://www.asahi.com/national/update/0218/TKY201002180181.html
児童ポルノに関わる事件が本当に増えているのか疑ってしまう。疑ったところで正しさを私に確かめる術はないのだけれども。
結局、記事の最後の行で触れているブロッキングをしたいだけなのではないかと。
財団法人インターネット協会や加盟企業などでは、児童ポルノのサイトをプロバイダーが強制遮断する「ブロッキング」の適否などが検討されており、間もなく検討結果が公開される。
『児童ポルノ掲載アドレスリスト作成管理団体運用ガイドライン(案)』のことだろう。たったの2週間しか一般市民から意見を募集していなかったあたり、人の話を聞くつもりはなさそうだが。
http://www.iajapan.org/press/20100115-press.html
それなりに意見を送った人もいるようで、もちろん私もガイドラインにざっと目を通して意見を送ったが、検討結果にどれだけ反映されるだろうか。
このガイドライン案、全くお話にならない。肯定できる部分なし。以下その理由を箇条書きにすると、
フィンランド国内の団体が2月19日にこのリストに含まれる1047のサイトを精査したところ、9つのサイトが児童ポルノを掲載していたほか、9つのサイトが年齢不詳のポルノを掲載していた。28のサイトは違法か合法か判断が難しく、46のサイトは創作性の認められる児童をモデルとした作品、残り879サイトは合法コンテンツのみだったという。この結果から、ブロッキングが行われる場合には法に基づいて適切に運用されているかどうか十分な監視が不可欠といえるのではないか。
http://it.nikkei.co.jp/internet/news/index.aspx?n=MMITbe000008082008 より引用
総務省が掲げる霞が関・自治体クラウドの計画が本格的に動き始めた。同省は2009年8月10日、「政府情報システムの整備の在り方に関する研究会」の中間取りまとめを公表した(資料はこちら)。これは、2015年の本格稼働をターゲットとして、府省の情報システムの将来像を描いたものだ。これによると、現在は府省ごとでバラバラに構築・運用している情報システムのうち、共用可能なものを霞が関WAN内のデータセンターに集約する。その際に、基盤となる「政府共通プラットフォーム」を開発。この上でアプリケーションをSaaS(ソフトウエア・アズ・ア・サービス)形式で利用する。政府共通プラットフォームには、府省間で共通利用するデータを連携する機能も含まれる(図1)。この政府版プライベート・クラウドが、霞が関クラウドの実態である。
府省横断の業務改革が不可欠に
この取り組みで重要なのは、どれだけアプリケーションを共用化できるかという点だろう。府省ごとに利用しているアプリケーションをそのままSaaS化するだけでは、単にWebアプリケーションのホスティングにすぎない。システムだけの統合・集約に終わらずに、業務プロセスの統合・集約、すなわちシェアード・サービス化にまでつながらなくては、大きなメリットを得ることはできない。
そのためには、府省を横断した業務の標準化が不可欠となる。中間取りまとめでも、業務の見直し(BPR)を課題として掲げている。しかし、その道筋は見えてこない。中間取りまとめの資料には、2009年度から2015年度までのスケジュール(予定)が掲載されているが、業務の見直しに関連するような工程は2010年度中の「要件定義」と「最適化計画策定」の2つだけだ。府省横断で業務を改革した上でシステム要件を定義するまでを、1年足らずの期間で完了できるのだろうか。
短期間での業務改革を実現するためには、強力なリーダーシップが必要だ。府省を横断して大なたを振るえるとしたら首相しか考えられないが、総選挙を間近に控えた今、実働部隊となるプロジェクトメンバーを選ぶことさえもままならないのではなかろうか。
一方の自治体クラウドも実現へ向けて大きく動き始めている。総務省は2009年7月17日、「自治体クラウドに係る開発実証団体」の募集を開始。実証実験に参加する都道府県を募り始めた(資料はこちら)。都道府県CIOフォーラム(詳しくはこちら)の事務局を務めている日経BP ガバメントテクノロジーでは、8月のフォーラム開催に向けて事前アンケートを実施しているが、実際にいくつかの都道府県が実証実験に参加する予定だと回答している。
自治体クラウドは、自治体専用のWANである総合行政ネットワーク(LGWAN)内にあるデータセンター(3カ所の予定)に市町村のシステムを統合・集約する取り組みである。市町村レベルでのシェアード・サービス化ととらえることできる。市町村の場合は、それぞれが同じような住民サービスを提供しているため、シェアード・サービスに向いているといえる。
理想論でいえば、全国の自治体が利用するシステムを統一すれば、コスト面で大きなメリットを得られるし、ガバナンスを効かせやすいというメリットも生まれる。しかし、アプリケーション(あるいはSaaS事業者)の品質を維持できるのかが見えない、地域特性による個別のサービスが提供しにくい、あるいは地場のITベンダーが育成できないなどデメリットも少なくない。実際、総務省の実証実験では、ASPやSaaSは自治体側が選択できるようにしてある。自治体クラウドは当面、都道府県単位のシェアード・サービス化ということになりそうだ。
ただし、都道府県単位でバラバラの仕様のシステムを作るわけではない。自治体クラウドの要件の中には、「自治体クラウド連携インターフェイス」というものがある。これは、アプリケーション間でデータを連携するためのインタフェースで、将来的には都道府県間の連携も見据えたものになっている。
とはいえ、都道府県を横断したアプリケーションの共用化は容易ではないだろう。都道府県をまたいで業務を標準化しなければならないからだ。自治体クラウドと霞が関クラウドの両方に共通することであるが、IT面での研究や実証・分析に偏らずに、業務の標準化にも力を入れていかなければ成功はおぼつかないだろう。というよりも、IT面の実装よりも、業務の改革・標準化のほうがハードルが高いのではないだろうか。
(吉川 和宏=日経BP ガバメントテクノロジー) [2009/08/21]
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20090818/335667/
ドラえもん テレ朝アニメ30年 台本会議に12時間 (3/3ページ)
ただ、のび太たちに携帯電話を持たせるかどうか、そして塾に通わせるかどうかは議論が続き、結論は出ていないという。
「いちばん流行に敏感なスネ夫には、携帯を持たせてもいいのではという意見もあったが、まだ時期尚早となった。塾にはスネ夫だけ何度か通わせているが、みんなが塾に行くようになると学校帰りにいつもの空き地で集まれなくなってしまう」
アニメが30年続く間に、子供の世界も様変わりしているようだ。
吉川さんは「子供たちが見て『面白かった』と言ってくれるドラえもんを作り続けたい」。毎週水曜に開かれる台本会議は、午後2時から始まり深夜2時に及ぶという。
さすがに作り手も苦労しているようだな。
http://anond.hatelabo.jp/20081112101505
先日このダイアリーを書いたものです。
お返事くださった方ありがとうございます!
「SWEET三国志」って片山まさゆき作品ですか。麻雀漫画の人という印象しかなかったんで三国志漫画書いてるとは知りませんでした。
母はパタリロ!が大好きだったので、多少BLっぽいのも大丈夫かもしれないと考えてSTOP劉備くんも手に入れてみようかと思います。
リストのほうもありがとうございました、こうして見ると結構あるんですね。
ただ母は長文が苦手なのか小説をあまり読まない人なので、漫画のほうで色々探してました。
いつか紹介された本を母に見せた感想を書きたいです。
ほんとうにありがとうございました。
前回↓が途中で切れたため、その段落から改めてつづきを貼ります。
http://anond.hatelabo.jp/20081101232814
さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し3 百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局(NSA)のホームページに載っている。膨大な文書であるが、月刊正論平成18年5月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。アメリカは1940年から1948年までの8年間これをモニターしていた。当時ソ連は1回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943 年から解読作業を開始した。そしてなんと37年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980年に至って解読作業を終えたというから驚きである。しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。その後冷戦が終了し1995年に機密が解除され一般に公開されることになった。これによれば1933年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2の財務次官ハリー・ホワイトであった。ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100機からなるフライイングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻撃に先立つ1ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。
「ホームページに載っている」と、また典拠をあいまいになさっていますね。アクセス日時を明記して、該当のURLを示すことも論文のルールとして確立しています。典拠となる論文の題名も該当ページも省略されていますが明記するのが普通です。先行研究の要約と著者の意見の区別がつかないのも問題です。先行研究の要約にオリジナリティはありません。先行研究について論じたいのであれば別でしょうが、先行研究を手がかりに、何かを主張したいのであれば、引用でも注でも根拠となる史料(この場合は「機密資料」)の該当部分を明記するのが論文のルールです。ちなみに孫引きは基本的にしてはいけません。原典にあたらずに引用元の編集が正確であるとは言えないからです。つまり、読む側からすると、根拠が示されていないがために、その主張を認めることはできません(学問のルールにおいては、主張する側に立証責任があります)。
ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1撃を引かせる必要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第2,第3の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。
繰り返しますが、根拠のない推測は論文の中では無価値です。さて、戦った結果、無条件降伏して占領(=支配)されました。その後、戦争をせずとも、サンフランシスコ講和条約を結んで独立できましたし、奄美諸島も小笠原諸島も沖縄も返還されました。
さて大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。
しつこく繰り返しますが、風が吹けば桶屋が儲かる式の主張に説得力はありません。「国家間の問題も話し合いによって解決」とのことですが、イラク戦争やグルジア戦争は話し合いではありません。「百年、2百年」の根拠も示されていません。「人種平等」を推進した国際連合を結成したのは、勝った「強者」の国々でした。
一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返
また、「・・・・・・という人」、さらに「・・・・・・と思っているのであろう」ですが、藁人形を叩いても論文に説得力は生まれません。論文で心情の吐露をしても説得力は増しません。私の立場を表明しておきますが、人の生を無益だとする考え方には賛同しないことと、批判的検討を行うことは両立すると考えています。
東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63年を経てもなお日本人を惑わせている。日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。日本国民は20年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。私は日米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。
自分の国を自分で守る体制を整えることは、我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き届かない。今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。そして日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。
国を主語にしたのですから、そのように表明している公式見解くらい示してください。個々の語りについても、他者が参照できる形で提示されないものは論拠になりません。最後まで「侵略」の定義がなされないままでしたね。
戦時中のアジア諸国と日本との関わりについては以下の諸論文を参照。
吉川利治「タイ国ピブーン政権と太平洋戦争」『東南アジア研究』19(4)、1982年、363-387ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/56071/1/KJ00000133800.pdf
大野徹「ビルマ国軍史(その2)」『東南アジア研究』8(3)、1970、347-377ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/55632/1/KJ00000134014.pdf
中里成章「日本軍の南方作戦とインド」『東洋文化研究所紀要(東京大学)』151、2007年、149-217ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/5716/1/ioc151004.pdf
黒田展之・小林裕一郎「シンガポール華僑粛清事件裁判記録(1)」『法と政治(関西学院大学)』49(2/3)、1998年、327-337ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0001061933
同「シンガポール華僑粛清事件裁判記録(2・完)」『法と政治(関西学院大学)』49(4)、1998年、575-614ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0000592111
谷川榮彦「太平洋戦争と東南アジア民族独立運動」『法政研究(九州大学)』53(3)、1987年、361-398ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008279870
日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。
「事実を丹念に」見せるのが実証的研究です。この「論文」はそうではありません。
「嘘やねつ造は全く必要がない」心の底から同意します。
以上、お目汚し失礼しました。もっと勉強しなければ……
(追記)日本の新聞記事へのリンクを貼り忘れていたので追加します。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081031-00000123-jij-soci
http://www.asahi.com/politics/update/1031/TKY200810310298.html
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008110102000087.html
東京大学入学者の70%以上が上層ノンマニュアルの子弟 shift-jis
専門・管理職としてくくられる上層ノンマニュアル(医師、弁護士、大学教授などの専門職や、大企業、官公庁の管理職、および中小企業の経営者など)と呼ばれる階層の出身者の割合が、
すでに1970年代から一貫して、ほとんど大きな変化もなく、高い値を示していることである。
この20年間に、公立高校から東京大学に入る者の割合は、70%から50%へと大きく変化した。
かわって、私立高校の出身者は、30%から50%へと大幅な増加を示す。
しかしたとえ、どのような高校を経由してこようとも、もともとの出身階層の構成比率自体にはこの間ほとんど変化が生じなかったということである。
・・・東大入学者は、私立高校の出身者の寡占状態を生み出すずっと以前から、すでに特定の社会階層出身者の寡占状態となっていたのである。
苅谷氏は『大衆教育社会のゆくえ』の中で、「SSM調査(社会階層と社会移動全国調査)」において、
尾嶋史章氏が1990年にいわゆる一流大学(旧帝大、東工大、一橋大、神戸大、東京外大、大阪外大、早稲田大、慶應大)の親の職業を調査し、
上層ノンマニュアル(医師、弁護士、大学教授などの専門職や、大企業、官公庁の管理職、および中小企業の経営者など)の出身者がどれくらいか分析した調査結果を紹介し、次のように分析している。
戦後生まれの若い世代である第三コーホート(四六~五五年生まれ)と第四コーホート(五六~六五年生まれ)の比較である。
入学者からすれば、第三コーホートの多数は、いまだ私立の六年生一貫校が隆盛をきわめる以前の、公立高校優位の時代に入った世代といえる。
(中略)この世代と、私立高校が有力になっていく次の世代とを比べると上層ノンマニュアルの親をもつ割合は、ともに七五%とまったく差がない。
つまり、東大だけではなく、それより範囲を広げた「有力大学」への入学チャンスをみても、私立高校が有力になる以前から特定の階層の出身者が入学者の四分の三を占めるという「寡占」状態が存在していたのである。
家庭が裕福なほうが高学歴を得やすいという話をしているのだが?
単純に進度が速いのだ。
公立高校生が3年間一杯一杯で学習するまでの内容を、多くの有名私立高校では2年の終わりか3年のはじめで終了させてしまう。
[上層ノンマニュアル][階級][文化的再生産]裕福な家庭の子が進学で有利
さて、最近の俺の生活といえば
正午ごろに起きてニコニコ動画づくしそして寝るのが深夜4時という生活を繰り返しております
もちろん勉強なんてしてませんよ
勉強やろうとしていてもやれないものなんですよ
予告しておきながらやらないということがスタンス化しつつあるのを少しは変えなきゃねw
さて、世の中には同志社に行きながら俺は負け犬だとほざくKYな人がいるのですが
考えてみれば今は大学全入時代だといわれるくらいなのになぜ全員大学に行かないのでしょうか?
そのなぞについて少しばかり調べてみました
この本には学歴格差について親の学歴と子供の学歴の相関関係について書いてある章があるんですね
その中のデータとして書いてあるのが
というデータなんです
これは1995年のデータですから今は違うだろという意見もありますが、実際社会人にしめる大卒の割合が1975年は47.2%、1995年に51.3%2002年に50.3%であって
高度成長期以降、大卒の割合はあまり変化がないということが立証されてるそうです
さらに深く調べていくと上記の2の割合も40%で推移しており3の割合も67%あたりで推移しているそうなんです
大学が増え、少子化で入りやすくなった今でさえそうなのはおかしいと思いませんか?
特に2のパターンの割合が増えてもいいはずです
その謎を解くためにある説が提唱されることになるのです
それが学歴下降回避説だそうです
人はいろいろな事情でまず、自分が大学に進学をするか否か、そしてどこの大学に進学するか否かを決めますよね?
よく2chで言われることは大学の偏差値、自分の学力、そして家庭の経済状況などの個人個人のミクロ的な視点ですが
この本ではそれは学歴の問題を考える上であまり重要ではないと書いています
つまり、人が自分の学歴について選択する時、潜在的に何が強く影響するかというと親の学歴や職業階層なのだそうです(※親だけではなく兄や姉ということもあります)
上のデータから考えると親(兄や姉)が大卒の場合その子供(弟や妹)はそれと同等かそれ以上を求めて大学進学の意欲を高めるそうです
逆に親が高卒の場合子供は高校卒業によって相対的下降が回避され、差し迫った欲求が発動しないそうなんですよね
このようにより高い大学に行きたいという意欲を持つかどうかは親がかなりの影響を与えるそうなのです
また、近年はこの傾向がより顕著であると述べていますね
親の階層が低い生徒ほど脱学校的な要素から自尊心を獲得、つまり学校での競争を降りて自尊心を獲得する
そしてゆとり教育は意欲のない人を無理に勉強させたりしなくなったことからさらにこの影響を拡大したそうなんです
考えてみれば確かにそうかもしれません
俺の親は高卒で母親にいたっては因数分解もできないほどなんですが
そういう環境に育ち、中学までは自分が行きたい大学名すら知りませんでした
塾の講師をしていて驚くのは、今は小学生ですら自分は??大学に行きたいなんて言うんですよ…
そして「何でその大学なの?」と聞くと
大学受験のころ志望校とかを名大とか馬鹿なこと書いていましたが、受験勉強がつらくなってくるとなんでこんなことまでして必死に偏差値の高い大学目指そうとしてんだろう?
って思うようになるんですね
そしてその時に支えになる大きな根拠がないんですよ…
もちろん高い偏差値の大学の方が就職で有利なのはわかっていますが、実態が見えないし、親が高卒で体験談も聞けない状況では「絶対いけるように勉強しなきゃ」という根拠として成り立たないんですよ
そう思うとやはり親が大卒とかだと影響ありますよね
「俺は??大学だからダメだったんだ」という話も聞けるだろうし
俺の場合親は「大学行っても私たちは大学について全然しらないから自分でしっかりやりなさいよ」しか言いませんでしたからね
学歴について話なんてしたことなんて一回としてありません
そのような中で勉学意欲を維持するのは難しいものですよ
よっぽど勉強好きでない限りね
この世の中は格差社会とは言いますが教育面は「意欲格差」ということではないでしょうか?
いくら自由になったとはいえ、眼には見えない「意欲」という壁が格差を生み出してるのではないのでしょうか?
あと言いわけかもしれませんが…
2のパターンはFラン含めて40%だから準マーチレベル(学歴ピラミッドの上から7%)の南山だとかなり珍しいのかな?
名市受かるレベルってこの40%の中でもどれくらいだろう?3%くらいなのかな
名大なんて行ってたら奇跡レベルだったかもね、2のパターンでたぶん0.5%くらいだからw
出自から見れば俺は名古屋商科大学くらいが相当レベルだろうから
長文スマソ<(_ _)>