はてなキーワード: 井上雄彦とは
(以下、「タッチ」のネタバレを含む。ネタバレといっても、ポートピア連続殺人事件の犯人なみに知られていることなので、気にする必要もないのだろうが。このタイトル+冒頭の注釈だけなら、ネタバレにはなっていないと思う)
あだち充『タッチ』を精読する。浅倉南はほんとうは何を考えていたのか。 - Something Orange
が面白かった。
それと同時に、長年の疑問を思い出したので、書いてみたい。
「タッチ」で描かれているキャラクターの位置づけは、まさに↑の通りで、
天才ちゃんの南と(ただ、ピンチヒッターで出た新体操の大会で、優勝寸前までいくというのは、作者は新体操なめてんだろ、とは思った)
努力家で、南から本当に欲しい思いをもらえないことにうすうす気付いている和也なら、
漫画家によっては、同じキャラ設定でも、達也を殺して、和也(と南)に達也を乗り越えさせて結ばれるというストーリーを選んだんじゃないだろうか。
吾峠呼世晴とか、押見修造とか、井上雄彦なら、達也を殺しそう。
誰なら達也を殺すだろうか?
恋人に合わせるあまり自分らしさを見失ってゆく女性を描いたブラックなラブソングである。
歌詞のモデルは大黒の友人。タイアップしたアニメの内容とは特に関係はない。
大黒摩季は作詞時に原作を読み終えておらず、結果として内容にそぐわない歌詞になってしまったことを後悔する旨の発言をしている
君が好きだと叫びたい
『SLAM DUNK』の原作者である井上雄彦の「熱い、とか、汗、のイメージで」とオファーがあり、AメロとBメロの歌詞はすぐにできたが、
この格差よ
なんでこうなってしまったんだろうな
昔は、アニメに偏見を持ってるやつらからアニメを守れ!みたいな正当性みたいなものをでっち上げることができた
作品の批判に対しても「アニメだから評価しないんでしょ?」みたいに言えた
でもアニメが日本の文化ですみたいな扱いを受けるようになったゼロ年代後半ごろからオタク以外もアニメを消費し始めて
いわゆるオタクと一般人の差みたいなのが希薄になるとオタクは言い訳を失なった
シンエヴァでは「動きがしょぼいよね」という純粋な感想に対して、リアルタイム世代オタクおじさんが凸ってるのをよく見た
古参オタクが作品の面白さよりも、庵野秀明という人物像を語り始め、お前は庵野のことが分かってねーなぁとか言い出すわけだ
そもそも庵野は王立宇宙軍のロケット発射とかナウシカの巨神兵のシーンとか、「問答無用のすごさ」で評価された人だったけど
すごさを提供できなくなった枯れた庵野作品を語るには監督の人物像が話題の中心にならざるをえない
だから取り巻きの樋口も加えてムラ社会になり、作品消費というよりもギョーカイ消費ばかりになってしまった
そんなおっさんオタク連中の事情に忖度せずに、シンエヴァを面白くないと言う若いオタクとかカジュアルなひとが非常に本質的に映画を批評しているのは救いだなと思う
監督の人物像とか過去の功績を錦の旗に掲げて若者の純粋な感想を攻撃するおっさん信者はホラーでしかない
昔の「庵野を守れ」は、「アニメを守れ」につながったけど、今の「庵野を守れ」はただの老害なだけ
オタクは、作者の政治思想と作品は別だろ!とかいうけど、庵野界隈はそれしかしないというほどに作者と作品の関係をこすり続ける
シン〇〇はエヴァもゴジラもウルトラマンも庵野の人物像が批評の中心だ。
庵野はアニメーターとして評価されてきたのに、映像の出来がひどければそりゃ若者オタクや一般人は「しょぼい」と言うだろう
「その辺の無名の低予算アニメのほうが動く」という感想はごもっともすぎる
そして仮面ライダーでも同じことになったわけだ
あーまたかよって感じ
・初ベスティア
音がいい気がする?
足踏みの音とかボールが弾む音とか
合っててすごくよかった
すごく面白かった
・キャラがみんなかっこよかった
好まれそうだな」って思ってた主役扱いで驚いた
「流石に映画だし負けることはないと思うが
負けエンドも微レ存…?」って
・最後の5秒の息を止めるような緊張感すご
主人公や…
・流川くんの顔が出るたびに
いちいち「おお…顔がいい…」ってなった
カッコイイし見てよかった
(視聴理由→
たくなった
(花流と流花は逆カプ界隈が仲良しだったという
当時の話を知ってたから当時一斉を風靡した
できなくなっていたんじゃ
ハマってたじゃろうな)
見させて頂いてどうなっちまうんだ…
良すぎて2回めIMAXでみた
漫画も読み始めた
世代のスポーツ漫画つながりでアイシールド21を読みたくなった
20230410に3回目みた
多分これで見納め
1回目は検索未読
2回目は原作4.5巻辺りまで
原作見終わってからだとOPの「う、うわああ!井上雄彦先生の絵が動いてるゥー!」感がひとしおでこれ原作リアタイしてたら尚更だし羨ましいな〜!と思った
安西先生は優しい監督のように言われているが、実は才能がない人に対して極めて冷淡で、ほとんど興味すらないと思う。調べると同じような意見が結構出てきたので、スラムダンクファンの間では長く語られていたようだ。
スラムダンクをリアルタイムで読んでいたころ、おれは10代だった。40代になり、自分には才能も何もない、安西先生に無視される側の人間だと25年かけて思い知らされたいま、当時は気づかなかった安西先生の冷酷さが浮上してきた。レギュラーを取れない補欠としての人生が確定したような、苦い鑑賞体験だった。
スラムダンクを美化しすぎなんだよ。たくさん張った伏線を回収せずに終わらせちゃったのと同じで安西先生の人間性のことなんて作者が何も考えてなかっただけのことだろ。
「井上雄彦は一貫して安西先生を才能にしか興味のないキャラとして描いていた」「当時は気づかなかったが、その後の人生経験を経てそのことに気づいた」という話をしており、この人は真逆のメッセージを受け取っている。まあおれ含め、読者は読みたいように読むもんである。
この手の意見が多いことに困惑した。「いまの価値観から見ると違和感がある」みたいなことは想定していなかったので、なぜ大勢がそう受け取ったのかと不思議だった。
「ケガを放置するなんてありえない」という点を「令和の価値観」と受け取ったのかと考えたが、おれの感覚は異なる。例えば沖縄水産高校の大野倫投手が怪我を押して投げたことで全国的にバッシングされたのは1990年のことで、当時からして「怪我人を強行出場させるなど監督失格」という価値観は定着していたであろう(そもそも安西先生本人がそう言ってる)。「令和の価値観で批判するな」という人とは、この点の見解が食い違っているのかなと感じた。おれからすると「君らは平成のことがわかってない」となるのだが、まあどっちが正しいかは検証が必要であろう。
個人的にあの桜木が怪我した状況はいらなかったと思うんだよな。桜木の選手生命を失うかもしれない自己犠牲の上に成り立たせた感動の試合みたいな展開にはして欲しく無かったんよ。
半分は同感なのだが、山王戦は感動ポイントもりもりのデラックスパフェで、そこにさらに「怪我を押して強行出場」という沖縄マンゴーを乗せて蜂蜜をかけるようなことをしたため、あれほどのエモーションを生んだことは否定し難い。おれが編集者なら(嫌いな展開だが)桜木の怪我は切らない。サービスサービス。
安西って谷沢の一件で指導者を実質引退したんだろ。で、公立高校の顧問でのんびり隠居してたとこにとんでもない才能が現れて、急に昔を思い出してやる気になっただけ。
安西先生やる気全然ない監督で、流川という才能が入ってきたからやる気出したんだよね。そんでさらにまさかの赤毛素人が同じくらいの才能持ってた。
この手の意見は同感。
“安西先生は優しい監督のように言われているが、実は才能がない人に対して極めて冷淡で、ほとんど興味すらないと思う。”昭和生まれが高校生の頃のの強豪校の運動部はほとんどそんなイメージ。レギュラー以外無視
ブコメでも描かれているが、海南の高頭監督なんかはかなり選手のことを見ていて、神や宮益といった人をきちんとフックアップして戦力に育成している。こういうバランス感覚のある監督を敵将として配置している一方、自軍の大将にいびつな才能の悪魔を置いているあたり、井上雄彦の面白い点だと思う。作品の瑕疵だと言いたいわけではなく、むしろプラスの評価をしている。
中学・高校バスケ部、下手くそで全然試合出れずずっとベンチ、スラダン全巻保有の人間の感想。
オープニングの湘北が1人ずつ歩いてくるやつ、かっけ〜!!テンション爆上がり。音楽もよい!
(一本、そーぉれ一本!ピッピー!とか、ディーフェンス!ディーフェンス!とかそういうやつ)
試合の合間にコートの隅にいるモッパー(モップ係。選手の汗が落ちてると踏んで滑るから拭きます)の猛ダッシュ懐かっし〜!!リアリティがやべ〜
オフィシャルも懐かしいよ〜ファウル数えたりタイマー止めたりタイムアウト言われて試合止めたりすんだよ〜あれ他のチームが順番にやってんのよ、試合出ない人が。(全国大会は違うかもしれぬが)
審判の「オフェンス!チャージング!」の身振りの大げささとか、「バスケットカウント!ワンスロー!」の力の入れ具合とか懐かし〜!あのグレーの審判服も懐かし〜!審判、人によっては動きがコミカルだったり、やたら力入ってたりとか面白いんだ。
冒頭の湘北のアリウープ、漫画だと結構なギャグシーンだけど映画だとサラッとやっててよかった。
桜木がゴリにカンチョーして殴られるのとかはやるけど、魚住の大根桂剥きは無かった。別に無くていいけど。
途中の桜木の成長振り返りシーンで一瞬牧とか仙道とか出てくるのもテンション上がるわ〜
絵が上手すぎるんだよ。絵の演技がすげぇよ。
台詞じゃなくて絵で語ってた。
妹ちゃんのカラッとした感じがよかった。
やさぐれる前のミッチーのキラキラ感がやさぐれ後との落差で笑えるほどだった。
見終わった感想としてはめちゃくちゃ良かったけど原作未読の人は多分意味分かんないんじゃない?と思ったんですが、原作読んでないけどよかったと言っている人がいたのでそんなことないのかもしれない。
原作読んでなかったらあのキラキラボーイがミッチーだとは分からない気がするが、どうだろう。
映画本も買った。
単行本未収録のリョーちんの沖縄時代のエピソードが載っているというやつ。
漫画は自分一人のフィーリングで描けるけど、映画を作るには大量のスタッフに意図を伝えるために言語化をせざるを得なかった話とか、
漫画なら小さいコマでチラッと載せられるエピソードも、映画は全コマ見開きみたいな感じで難しい話とか。
苦労が伝わった。
予告見た時はペラペラの変なアニメかと思ったら、その感じはほとんどなかった。あの映像表現はボールの重みも感じるし、立体感がすごくあった。素晴らしい。今年のベストはトップガンマーベリックだと確信してたがこちらだった。全く期待してなかったのに。
あと観客の熱量がすごい。映画館でみんなポスターの前で写真撮りまくり。私は2組から写真撮ってくれと頼まれた。
あえていうなら
僕のバスケ歴は割愛するが、一応、最低限はバスケを語れる資格を持つ経験者だ。
スラムダンクは漫画は全巻持ってたし、連載当時に週刊少年ジャンプでも読んでいた。
でも、他にも色んな漫画をたくさん読んでいたから、特に好きな作品な訳では無いが、スラムダンクを語れる資格も持っている筈だ。
プロ選手になるという夢が存在しない分、現実的な折り合いを付け易くなる。
社会人になった元経験者達が資本主義の世界の中で大人になって、自分の取り組んでいたアマチュアスポーツを盛り上げようと画策する。
例えば、バレーボール。
そこまで人気でもないのにも関わらず、毎年、日本では世界大会を開催。
試合中に今のスパイクは何mの高さだったと計測された数字がリプレイと共に表示される。
人気に見合わない大袈裟な演出は、野球やサッカーと比べても遜色ない練習の過酷さが当たり前のバレーボール経験者達がサラリーマンとして社会で活躍しながら競技を後押しし続けた結果だと思う。
一方、バスケットボールはバレーボールと異なり、野球と同じで日本に強い影響力を持つアメリカ合衆国の4大スポーツの一つだ。
サッカー、野球、バスケットボールは、日本が戦後から続く海外への憧れを象徴するスポーツだと思う。
しかし、野球やサッカーと比べて、バスケットボールはようやくプロ化に辿り着いたが、まだまだ日が浅い。
野球ほど社会的影響力は無いし、サッカーと比べて世界的人気は少ない。
だから、プロバスケ人気を盛り上げるための苦心の策として、 数年前にLEDパネルのコートで行われたBリーグ開幕戦の試合中継なのではないかと思う。
しかし今のところ、バスケは観るよりもプレイした方が楽しいスポーツだと思う。
現状の日本バスケ界に不足している重要なピースの一つが、世界観作りだ。
サッカーにおけるキャプテン翼のように、日本バスケ界でその一役を担うのが、この映画『THE FIRST SLAM DUNK』なんだと思う。
今のスポーツ中継のカメラワークは、どの競技も完成形だとは思うべきでは無い。
ドローンなんて現時点のテクノロジーによる妥協の産物に過ぎない。
モーションキャプチャーのCG合成をリアルタイムで処理しながら無制限のカメラワークをコントロール出来る時代を待つしか無い。
それが実現するのは少なくとも100年先の未来になるだろう。
でも、CG作品ならば、フィクションの試合を無制限のカメラワークで演出することが可能だ。
『THE FIRST SLAM DUNK』は100年後の試合中継のカメラワークだった。
かつて映画製作を学んでいた僕は、映画を観るためではなく、バスケの試合を観に行くつもりで数年ぶりに映画館へ足を運んだのだ。
そんな僕の判断は間違ってないと思った。
当初、ジャイアンの声優の人が桜木花道であることを知って、困惑した。
ジャイアンを襲名したからには、ジャイアンの色が付いて回る宿命をスラムダンクに持ち込んで欲しく無いと思った。
監督がリアリティを追求した結果、出刃庖丁を持った2mの巨漢が全国大会のコートに乱入する大事件はオミットされた。
桜木花道は終始、バスケ歴4ヶ月のフィジカルモンスターだった。
デニス・ロッドマンそのものだった。真っ赤な坊主頭が試合を引っ掻き回してた。
かつて緑川光が演じた流川楓も、味方にパスをしない異常プレイヤーだったし、寡黙なキャラに合った雰囲気さえあれば声優なんて関係なかった。
急展開過ぎる。
もう少しモーションキャプチャーの演技でスタミナ消耗の下降線を丁寧に描けよって笑ってしまった。
バスケットボールを描くに当たって、ボールのドリブル音、バッシュの音にしっかり拘りを持った演出をするのは明らかだった。
けど、屋外を歩くだけのシーンでも露骨に足音を鳴らすのはやり過ぎ。この一点だけは偏執過ぎる。まさに勇み足だ。
僕の記憶が正しければ、バスケのルールとして、敵陣のゴール下の台形ライン内に3秒間ずっと入りっぱなしだと、3秒ルールが適用されて相手ボールからのスローインになってしまう。
湘北高校のオフェンス時の桜木花道の立っている位置は台形内っぽいことが多い気がした。
桜木花道は何度も3秒ルールを食らってないとおかしいと思った。
渡米していた宮城リョータの出現にえっ!?と一瞬、頭が混乱した。
というか、この映画自体がスラムダンク奨学金のための伏線だったのか…と思った。
その中での90点だ。
100点じゃない理由は原作漫画を読まないと理解出来ないからだ。
当時、原作漫画を読んだバスケ経験者の親達は、この映画を観た感動を情熱に換えて子供と日が暮れるまで沢北の父親さながらの1ON1を続けるだろう。
原作者であり映画を監督した井上雄彦は、バカボンドのヒット後にどこかの寺の襖だったか屏風に直筆を描いて日本画の領域に進出した。
結果は散々。漫画は所詮は漫画であり、漫画絵が日本画と肩を並べることは叶わなかった。
かつて、日本映画界はアニメーション映画を日本映画として認めていなかった。
日本映画界が斜陽が限界点を突破した結果、映画産業を水増しするためにある時期を境にアニメーション映画を渋々受け入れた印象がある。
日本のアニメ界はファンタジー性や虚構に拘り過ぎている節がある。
だから身勝手に3.11を風化している扱いにして傲慢なアニメ作品で大プロモーションをしちゃったりする訳よ。
『THE FIRST SLAM DUNK』のようにモーションキャプチャーと2Dライクな3DCGを使ったリアルアニメーションこそ、次世代の日本映画だと思う。
ちなみに、小学2年生になる息子がいる。
高校時代は山王戦でメガホンを持っていた奴らのような惨めな3年間を送った過去のある僕は、子供に運動部の残酷さを味わせたく無いと思っている。
でも、たまに、自宅の庭でバスケットボールを使ってドリブルやパスの練習をして遊んでやってた。
昨年、小学校の七夕に「バスケがしたいです」と書いていたことを耳にした時は狼狽した。
で、今回の映画鑑賞は息子を初めての映画館に連れて行った訳だけど、感想を伺ったらバスケに目覚めなかったらしく、内心ホッとしている。
だったのかなと思った
桜木と流川のライバル関係、赤木と木暮の3年間、三井の挫折と復帰、
これらに比べると原作では宮城のバックボーンは無いも同然だったし描きたくなるのはごく自然だなと
山王戦はとにかく映画1本の中で1試合をぴったりやり切る方針なのはよくわかった
魚住のかつらむきや桜木vs美紀男はモノローグ多めのシーンだからカットしたっぽい
コートの中はともかく観客席からのカメラワークは実際にカメラを置ける通路からのアングルだったり
得点が入ったら必ずスコアボードが写る演出だったり徹頭徹尾「試合」を映す意思は感じられた
下手に原作のシーンを全部詰め込んで上映時間4時間になったり前後編になったりするよりは