はてなキーワード: ポジティブとは
『渋谷109の元カリスマ店員「嚥下障がい」の娘と一緒に、“とんでもなく明るい患者団体”を設立』
https://news.yahoo.co.jp/articles/262589a5fc47c8df78d164866608f2b052125aad
ネットではとかく、高齢出産や障害者の出産に限定して「産むな」と叩く優生思想が盛んだが。
この事例では今母親が44歳、父親が45歳で子供が12歳という事は、産んだ時は32歳と33歳高齢出産という程でもない。
両親ともに健康で障害はないらしい。元カリスマ店員という事はおそらく「発達障害」ではなく、コミュ強の定型だろう。
……それでも産んだらこうなるんだよ
「この子は、生涯寝たきりで、座ることも歩くことも、物を見ることも、言葉を発することもないかもしれません」
娘さん自身の気持ちを考えもせずに単純に称揚している記事があまりにもグロテスクだと思う
だから結局高齢出産じゃなくても健常者であっても子供は産んではいけないと思う
まあそれでも優生思想の出生主義者達は「30歳過ぎたら高齢出産だ!高齢出産だったからダメなんだ!女が若いうちに産めば大丈夫!」と思考停止してそう
焦らない。今のままでも良いが何か頑張ってみても良いよねというスタンス。他人と比較しない。自分が楽しいかどうか。すごい人はたくさんいるけどすぐそういう人になれるわけではないので一歩ずつ進んで少しでも近づければいいよねというスタンス。疲れたら休む。ただし気の休まらないことはしない。周りに壊れた人がたくさんいるのでまあ壊れる時は壊れるよねという感覚でいる。体の病気と同じ。金にならない場所で誇大なことは言わない。大体2割減くらいで説明する。常に6割くらいの力で動く。ブーストをかけても8割。大抵のものにはどうでも良いというスタンスで臨む。いろんな意見があるというスタンスで臨む。批判されてもまあそうかもしれないけどこっちにも事情があってどうしようもないんだよねというスタンスで臨む。実際に自分に落ち度や改善余地があれば反省して改善する。ミスは起こすものという前提で臨む。ただし、原因究明と再発防止には気を付ける。それでもミスをする場合もある。まあ起こってしまったものはしょうがない。知らないことを恥じない。常に知らないのですが教えていただけませんかというスタンスで臨む。基本的なことで聞きそびれてたという場合でも「基本的なことで申し訳ないのですが」とか「今更なのですが」みたいな前置きを置いてどんどん聞く。教えてもらった後はお礼をする。今からではどうしようもないことや自分の力ではどうしようもないことに関してはまあ自分が不安になろうが結果は変わらないしなあというスタンスで臨む。自分は優秀であるというアイデンティティは絶対に持ってはいけない。優秀かどうかというのは相対的なものでありどんなに優秀な人でもさらに優秀な人がいてその人と比較すると優秀でなくなる。同様に下を見れば相対的に優秀になることはできるであろうがそれらから得られるものは何もない。むしろ自分の器の小ささを見つめることになり自己嫌悪に陥るのでやめる。優秀かどうかを評価するのは他人であるがそれにもあまり価値を見出さない方が良い。結局は評価者の主観や能力に依存する。自信を持つとしたら「自分は〇〇ができる」といったような客観的事実に対して自信を持つ方が良い。他人の評価に依存するアイデンティティは弱い。党派性を持たない。できるだけフラットでいる。自分がネガティブになっていたらポジティブになるように調整する。同じことを何回も考えない。余計なことは言わない。余計なことを言わなくて起こる問題は無いが余計なことを言ったがゆえに起こる問題はある。
数年前から増田でも話題の「有料で感想をもらうサービス」を利用してみたところ、もらった感想がまるで夏休みの学生の読書感想文のようで萎えたという話。有料感想サービスって、サービスとして良い話しか聞かない気がする。なので、これから有料感想サービスを利用しようと思っている人への「こういうマイナス面もあったよ」という、サービスに対する星1レビューです。参考までに。
これまで何冊も同人小説本を出したことがあるけど、今回は締め切り直前で話の方向転換をしたこともあって、とにかく締め切りに間に合わせることで精一杯だった。なので、内容についての手応えも弱くて、正直これまで出した本の中で一番自信がなかった。ただ、締め切り直前=イベント直前ということもあって、親しい友人に読んでもらって感想をもらっている時間はなかった。(なにせ文庫本ほどのページ数があるので、友人に「いついつまでに読んで感想くれ!」というのも頼みづらかった)
そんな時に、別ジャンルの同人女たちが有料感想サービスを利用してすごく良かったという話を聞いたのが、きっかけだった。
これまでわたしはそれなりに本を作り、頒布してきて、それなりに感想ももらっている。なので正直感想に飢えている、というわけではない。だけど今回は上記のこともあって「頒布前にちょっとテンション上げられたらいいな」くらいの気持ちで、有料感想サービスを申し込んだ。
先に断っておくけど、これはそのサービスを提供した人の人格を否定するつもりは一切ない。「有料サービス」を購入したユーザーとして、提供されたサービスに対する「レビュー」というだけなので。
お願いした小説は50,000字以上100,000万字未満、数年前にぼちぼちメジャーだった作品の二次創作で、キャラクターたちの未来の話で、全員が医療に関係しているお話としておく。元々医療系の小説が好きで、かなりの冊数を読み込んできた。医療関係の友人に監修もしてもらい、本格的なものを目指した。サービスの料金は3,000円前後、頂いた感想の文字数は3,000字前後。感想を頂いた方は元の作品をまぁまぁ知っている程度。
小説のテキストデータを送って約一週間、テキストデータで感想を頂いた。冒頭の挨拶から始まり、全体への所感。ここですでに的外れな印象を受けた。
「メッセージ性が強い作品で…」と書かれているが、大それたメッセージを乗せた覚えはない。「微笑ましい場面が…」と書かれているが、日常的なシーンは冒頭部分くらいで、あとは病気と闘うビリビリした場面ばかりのつもりだったんだけど、ほのぼのして見えたのかな…と正直ショックだった。
というか、冒頭の所感がまるで定型分。「たくさんの衝撃に目が離せず」「読めば読むほど先が気になって」「読了後の余韻も大きく」「展開が読めなくて」「分量があるのに読みやすくて」などなど。自分の作った話に向けられたとは到底思えないくらい汎用性の高い言葉が並んでて、依頼者全員にコピペして送ってるんじゃないかって思った。
そんな定型文が1,000字ほど。すでに1/3。それ以降の、内容に触れられた2,000字が、まるで嫌々書かされた読書感想文のようだった。
学生時代の夏休みの読書感想文(指定図書があるタイプ)、興味ない本を読まされて、何書いていいか分からなくて、提出したら先生に「これは本のあらすじを書いているだけ。もっとどの場面でどんな気持ちになったのかを書いて」って言われる、そんな感じのやつ。あらすじを感想として書かれるのって、こんなに微妙な気持ちになるんだ…って思った。
「AとBが〜〜する日々に〜〜したのがCでした」「こうしてはじまった二人の生活は、意外な人物の登場で一変します」「後にDは〜〜という経験から〜〜という決断を下します」
それってあなたの感想ですよねどころか、それってこの本のあらすじですよねって言いたい。めっちゃ言いたい。あらすじで文字数稼ぐ手法やるよね、わかるわかる。「この本の感想です!」って本のあらすじ書かれてたらこんなに萎えるんだなって、逆に感動すらした。場面ごとのあらすじの後に「このセリフにびっくりしました」「この行動、すごく説得力がありました」と書き足されてはいるけど、どうしてびっくりしたのか、なぜ説得力があると感じたのか、それがいわゆる感想ってやつなんじゃないのだろうか…。
この方のサービスのレビューには「リピートです!今回も丁寧に読んでくださって嬉しいです!」や「自分では気が付かなかったポジティブな気づきが…」や「細部まで読み込んでもらえて…」といった星5レベルのレビューが並んでいる。自分の小説がよほど悪かったのか?とも考えたが、今までそれなりに冊数作ってきて、毎回二桁後半刷ってイベント2~3回と通販で一年以内には確実に売り切っているし、長文感想も何度も貰ったことがある。なので、〝よほど〟悪いとも思えなかった。
一点ひっかかる部分があるとすれば、感想文中に書かれていた「わたしは医療系の小説をあまり読まないのですが」という部分。
要するにこの方はそもそも「医療系(と元作品)」に〝興味がない〟のだ。だから「興味のない分野の長々とした小説を読まされて、捻り出した結果あらすじを羅列した感想」になってしまったんだろう。
当然の反応だと思う。興味のない分野の小説を読まされて、〝感想くれ!〟って言われても、そもそもそのジャンルが刺さらなければ感想なんぞあるはずもない。
しかし、これは「有料のサービス」なのだ。わたしは「感想」を依頼したのであって、「あらすじをまとめてほしい」と依頼したわけではない。金額に見合うサービスかどうか以前に「感想」という商品を買ったものとして、これは不良品なのではないかと思った。「あなたの小説(ジャンル、分野)に興味はありませんが、お金はもらっているので捻り出しました」というのが伝わってしまってはおしまいだと思う。造詣が深くないならないなりに、もっと上手な書き方ってあったと思うんだけどな。
同じ金額を払うなら、例えば自分の作品を長く好いてくれていてある程度仲の良い方や、同人仲間、自分にこういう趣味があり自分の好みを知ってくれている友人などにちょっといいランチご馳走してスタバカードあげてお願いしたほうがよっぽど有意義な気がする。だってそういう人たちはそもそもこちらに興味の矢印を向けてくれているのだから。そういう人がいないから有料感想を買っているのだとしたら、まず根本的に「そういう人がいない」という自分の人間関係の構築の仕方を見直したほうがいいんじゃないかと思う。だって同人やってれば創作仲間の一人や二人できるでしょ。
これから有料サービスで感想をもらおうと思ってる人は、できれば自分のジャンルを好いてくれている人や興味の矢印を向けてくれている人にお願いしたほうがいいと思いますよ。というかまず、そういうやりとりができる友達つくったほうがよっぽどコスパいいなと思った。
Twitterでやたらと見かけるハッシュタグ「#おはよう戦隊」「#おは戦」って何? みんなやたらとポジティブにハイテンションで、絵文字も多用しているのが特徴。みんな違う人だと思うけど、同じように思えて不気味。
ちょうど今、心友 成幸 人財 輝業 光齢者 顔晴る 志事など「当て字を使う人とは距離を置く」といったことが話題になっていて、それと同類なのかな……と。おは戦でググったら相互挨拶コミュニティとあるけど、その裏には怪しい思惑があったりするのかな。
教えて、詳しい人。
実際には「連帯『しない』」というよりは『できない』だと思うけれど、日本女性が連帯してないってのはまあホントだと思う
女同士で連帯するよりも、男と一緒になってそれを利用して身分保障を図った方が生存戦略として圧倒的に有利だものねえ
結婚が顕著だけど、独身だとしても結局男に上手く取り入った方が仕事でも成功しやすいし
良い悪いじゃなくてそういう構造があるのをまずは把握しないと駄目だと思う
なのに「女同士は助け合うけれど男同士は助け合わない」「女は高齢でも友達を見付けて上手くやってく」なる、ポジティブ過ぎる変な女性観が当の女性の間ですら蔓延しているのがなー
https://toyokeizai.net/articles/-/614670
日本女性は連帯しない、と指摘するのは『フランス・ジャポン・エコー』編集長で、伊藤詩織さんの性的暴行問題など日本女性が置かれた状況を取材してきた、レジス・アルノー編集長だ。
「日本では、フランスやアメリカのように、ジャーナリストや経営者、政治家の女性たちが1つのグループとして結集し、問題に取り組むことがありません。日本では、女性は結婚すると名字を変えるが男性は変えない、生殖に関する権利が日本語に翻訳すらされていない、賃金の不均衡やパワハラから効率的に保護されていない、といった、比較できるほかの国々では消えた無数の差別があるにもかかわらず、女性権力者にとって性差別は政治問題にもなっていない。
例えば、首相候補としてときどき名前が挙がる高市早苗経済安全保障担当相は、私が知る限り最もフェミニストから遠い人物です。小池百合子東京都知事は、自分以外の女性のために何かしたのを見たことがない。森喜朗の発言が冗談の対象になっていても、高市氏や小池氏が、自分の性別を心配する話は聞いたことがありません」。
https://toyokeizai.net/articles/-/614670?page=3
分断の要因として菊地准教授が注目するのは、1)1985年に成立した男女雇用機会均等法、2)1999年に公布・施行された男女共同参画社会基本法、3)アベノミクスで生まれた2016年施行の女性活躍推進法の3つだ。
1980年代に女性たちが求めたのは「雇用平等法」だったが、「均等」法は差別規制が努力義務にとどまる残念な内容だった。しかも、この法律がきっかけで、総合職と一般職という女性同士の待遇格差が生まれた。
さらに、1985年に専業主婦を優遇する第3号被保険者制度ができ、翌年に労働者派遣法が施行されたことで、女性たちは男性並みに働かされる総合職、補助的な業務に終始する一般職、非正規雇用の派遣労働者、そして主婦に分断されてしまった。
男女共同参画社会基本法については、女性たちは『性差別禁止法』を求めたが、男女が共に社会に参加する、という中途半端な法律に。「女性活躍推進法に至っては、なぜ女性だけが推進されなければならないのか、という根本からずれた内容で、女性は家事・介護・育児に加えて、男性と同等かそれ以上に働き、国や企業に利益をもたらさなければならない、という内容になっています」(菊地准教授)。
夫が子供欲しいと言うので色々調べたり試したりしてる。
私自身は子供いなくてもいいと思ってるけど、夫のために覚悟決めた。
どうせならポジティブに臨んでいきたいのだけどインターネットで得られる情報はネガティブな物が多いので
みなさんの「子供産んで良かった」ってエピソードを教えてほしいです。
私が今のところ不安に感じてるのは
・妊娠したら体型維持の努力が無になるんだよなぁ、産む時痛いんだろうなぁ
・1人の人間の人生を背負っていかなければならないプレッシャー
夫はめちゃくちゃ家庭的。家事も率先してやってくれるし、甥っ子姪っ子しょっちゅうウチで預かって面倒見てる。よく懐かれてる様子。
可処分時間・可処分所得減るって言うのは覚悟してるけど、やっぱりその時になったらしんどみが違うんだろうなぁと戦々恐々としてる。
これ難しくて、アイデンティティ・ポリティクスでは”負”と見なされてきたアイデンティティに本当のポジティブな価値を見つける。
だからこそ、自分たちのアイデンティティの価値を強調する運動が進めば進むほど、アイデンティティを捨て去ろうとする同胞は酷い裏切り者として運動家の目に映るようになる。
欧米では、性転換手術を受けて後悔している人の研究をトランス活動家が圧力で潰そうとしたニュースがあった。
肌の色が変わったマイケル・ジャクソンへの黒人コミュニティのイメージも当時微妙だった。
重い知的障害がありながら、猛勉強や親による圧力運動で普通校への入学が決定した障害児のことを、支援校に通う子の保護者は複雑な思いで見つめるという。
世に公開しておいてポジティブかつ自分の意に沿ったものしか受け付けないとかガチもんのメンヘラだし、
わざわざ構ってちゃんやメンヘラに真顔で批評を始めるのも地獄みがある
仲良く隔離しといてどうぞ
デブって言っちゃいけないのに、
痩せ過ぎの人にどうして食べないの?って言うのはOKとかいうのは草とは思う
ただ、現実的なこと言うと、痩せ過ぎだったり、痩せていることに信仰を抱いてる人は、
増田みたいに高確率でメンタルのビョーキなんだよなぁ、内科的なビョーキ以前に
食わなきゃ痩せるので偉いとか偉くないとかは無いです
https://anond.hatelabo.jp/20211130204000#
ところで、増田をきっかけに Lizzo のニュースみて知ったんだけど TikTok にメシ載せるの流行ってるみたいだな
https://www.eatthis.com/news-lizzo-diet/
そんなもん見てなにが楽しいのやらって思うけど10代-20代前半は楽しいのかも知らんな
あと、Lizzo が叩かれてる(のかは知らん、SNS追う気しない。上記しか見てないし、サジェストも汚染されてなかったぞ)のは、
りゅうちぇる氏だかなんだかみたいに、イキって口にしてた事と矛盾すること言ってるからじゃないですかね?
でも世界的に活躍しているアーティストはメンタルお化けなんで屁でも無さそうだけどな
平然と Adele みたいに Vogue みたいなハイファション誌の表紙飾るぜとか思ってそう(2020年にも最初の大きな黒人女性として既に表紙だけど)
ただ、内科的な問題・膝の問題どうこう以前に、老化は糖化の現れ・金かければ老化は限りなく遅らせることができる、
『老化は病気である』(Lifespan : Why We Age - and Why We Don't Have to ) みたいな本が売れる風潮のある中、
Lizzo に限らず、ポジティブボディ唱えてる 芸能系セレブたちはどーするつもりなんでしょうね?とは思ってる
MidJourneyやDreamStudioでしばらくあれこれ試行錯誤してるんだがいやー疲れる
やってると楽しすぎるんだが同時にめちゃくちゃ疲れる
俺はイラスト専門ではないが絵仕事で食ってる人間で、個人で細々と創作活動もしている
なので描く苦労というのはそれなりにわかっているつもりだ
ちょっと前までAIなんて奇妙で倫理観0のやばめグリッチ画像しか生成してなかったのにいつの間にこんなことなってたんだ
Midjourneyの画像を見てこれは「絵」だなと思った
絵としての雰囲気がある、いや違うこれはもう逆に雰囲気「しか」ない
自分を描き手の立ち位置に置いて考えるとそんな感じなんだが、それよりすごいなと感じることがある
今はSNSなど見てるとうまくいってるAIの絵とか上がっててそれに「うぉおすげえ!」的な反応が多い
しかし「上手い絵をすごいと思う感覚」自体がもう古いものになってしまったのだということ
これこそが自分にとって一番の衝撃だ
だって誰でも同じプロンプト書けば同じような絵は作れるのだから
よくてスマホで料理の写真が美味しそうに撮れたねとかと同じくらいのことだ
現時点での印象はアイデア出しにいいよな、とかレタッチ前提で実用いけるんじゃね?とか周りとだいたい同じだ
どこまでの密度で仕事の中に入り込んでくるかは今後出てくるAIを使ったツール次第かなというとこかなと感じてる
今の時点ではプロンプトで~風って入れたらめっちゃそれっぽいよとかその程度だから、やっぱり実用出来る場面は限られる
ただざっくりいやな言い方をすると「安い仕事」ほど置き換えやすくはなるだろう
自分は正直仕事という面では元からある程度割り切ってる(~風な感じでいきましょうとかよくあるし)ので
逆にいうと個人の創作においては自分の中でどこまで許すかの線引がいったん必要だ(なんなら、もう描かないという選択肢も出てくるわけで)
まさにそれっぽい絵が数分と待たず生成される
現役バリバリのArtstationにいるような作家で同じことをしたとき
トレパクどころではない創作の魂そのものが弄ばれてるかのようなリアリティのある恐怖を感じる
悪意もなければオリジナリティすら醸し出してくる、そこがやっかいだ
ここでのポイントは「弄ばれてる」感で、既に自分でコントロールしてる感覚が全然ないことだ
大げさには書いてるが心境としてはマジでそんなに離れてない
多少なりとも絵を描いたりする側としては矜持が揺らぐ人も少なからずいるのではないか
しかし、そんなとこに意地を張ってもどうしようもないのはわかっている
AIに罪はない、AIを作ってオープンソースで公開した人たちにも罪はない、あくまで状況はポジティブに進化していってるだけだ
これについていかないならそれはそれでよいのだ、と言い聞かせたり開き直ったり
毎日仕事をしながらどうしてもMidjourneyを回してしまう
ふとした思いつきやトレンドになってる作風などでプロンプトを考えたりしてる
Tiktokとか見出すとなかなか止められなくなるのと似てる気がする
AIが俺に語りかけてくる「あーあなたこんな感じのが好きってことですよね?どうぞ?」
的はずれなこともあるし、あまりに刺さってアップスケールして飾りたくなるようなのもある
それを誰が描いたものなのか、どうでもよくなっていく
「ネットスラング」というものがある。これはインターネット上で使用されている俗語の総称である[1]。ネットスラング、ネット用語と呼ばれることもある。(Wikipediaより)
このネットスラングがクローズドな場所からオープンな場所(ここでのオープンは「テレビメディアが使用する」ということを指す)で使用されるまでのフローとして代表的なものに、以下のような流れがある。
↓
Twitterで転用され、多くの人が使い始める(「若い女性」にリーチし始める)
↓
InstagramやTikTokで転用され、多くの人が使い始める(ここで「女子高生」にリーチする)
↓
「女子高生」にリーチしたことを確認したテレビメディアおよび芸能人がワイドショーで取り上げる。
もちろんこのフローの途中で振り落とされるものはあり、それらはその界隈にとどまる(もしくは廃れる)ことになる。
このとき、振り落とされたものは「差別的」に代表されるような「ネガティブな印象」が、それとはなしに"ねっとりと"付けられることになる。
他方、フローを勝ち残りテレビメディアまで出てきたものは市民権を得て(あるいは意味合いを調整されて)、大まかに言えば「ポジティブな印象」を与えるものになる(もちろん逆張りアンチは常にいる)。
このフローから見えることは、ポジティブな印象を形成するのは「女子高生」ということであり、その「形成力」の源泉はいったい何なのか?ということを社会は議論する必要があるのである。
この議論は多様性のある「インフルエンサー」の分析にも流用できるため、「インフルエンサーがなぜインフルエンサー足りえるのか」という個別の議論を活性化するものとなる。
へー!古来の日本語で「可愛い」はポジティブな意味合いがあったけど
現代社会では逆転したんですね!興味深い!
女性なら「有難う御座います(お世辞だな)」で流す所を本気に捉えるのってやっぱり自分に自身があるから?
すげー!自己肯定感半端ねぇじゃん!
いろんなバンドを転々としながら、趣味のバンド活動をずっと続けているんだけど、バンドに縛られずに自分の曲を形にできないかな、と思って軽い気持ちで初音ミクNTを買って、自分の曲にボカロ(広義のボカロな。NTはVOCALOIDではないというツッコミはいらん)で歌をつけてみた。
せっかく作ったものだし、この曲を誰かに聞いてほしいな、ということで「初音ミクならニコニコ動画やろ」というアラサーネット民の浅はかな先入観で、ニコニコ動画に自作曲を軽い気持ちで投稿してみた。それが2ヶ月くらい前の話。
その結果、まずびっくりしたのが、投稿してすぐにコメントや「いいね」が付いたことだった。底辺バンドマン諸氏なら共感してくれると思うんだけれど、音楽を作って発表したときに、ポジティブな反応をもらえるということはほとんどない。けど、ニコニコ動画に投稿したらすぐにポジティブな反応がついた。正直めちゃめちゃ嬉しかった。
なんのネームバリューもないやつの作ったものを聴いてくれるだけでも相当うれしいのに、それに対してポジティブな反応をくれる。しかも自分がこだわって作った部分に対して的確な(と作者が思うような)コメントが!
そんなわけで、投稿したことをきっかけに、遅まきながらニコニコ動画を日常的に使い始めた。その結果理解したのが、ニコニコ動画は、投稿者に対する視聴者のポジティブな反応を惹起するための仕組みがいろんなところに仕込まれているということだ。
そのひとつにニコニ広告がある。ニコニコ動画は、普通に使っていると運営から「チケット」というものが配布されるようになっている。このチケットはニコニ広告というものに使える。ニコニ広告はニコニコ内アドセンスみたいな感じで、視聴者が広告枠を買って好きな動画をその広告枠で宣伝できるような仕組みだ。
そして、この広告に使えるチケットには有効期限が設定されている。有効期限があるというのがポイントで、これがあると「もったいない精神」で、せっかくもらったチケットが失効するくらいなら、気に入った動画を広告するか、という心理が働く。しかも、投稿者からは、誰がどれくらい自分の投稿に対してポイントを支払ってをかけて広告してくれたからわかるようになっている。つまり、投稿者から見ると「あ、このひとは、チケットとかポイントという限りあるリソースを、自分の作品に選択的に使ってくれたんだ」とわかるようになっている。
投稿者となったことで、そんな「作る人が嬉しくなれるような細かい仕組み」が、いろんなところに仕掛けられていて、作る人を応援するためのコミュニティの形成に成功しているということに気づいた。はてなブックマークはマジでそういうところ見習ってください。はてなブックマークはうまく貶したひとが気持ち良くなれる仕組みになってて最悪のコミュニティが形成されてると思う。
じゃあニコニコ動画は最高の天国なのかというと、多分そうではない。というのも、ニコニコ動画の「ちゃんと投稿を見てもらいやすい」というメリットは、同時に言い訳を奪う仕組みでもある。つまり、これが「投稿しただけでは見つけてもらえない」サービスなら、「俺はまだ見つかってないだけ」と言えるが、ニコニコではそれは(少なくとも多くの他サービスと比べると)難しい。だって視聴されてはいるんだから。そうなると、「評価されないのは見られてないから」という言い訳で自分を誤魔化すことはできなくなる。
だから、「誰かからポジティブな反応をもらえて嬉しい」よりも「あの人のあの曲はこんなに評価されているのに自分の曲はそうではない」みたいなことに注目しちゃうと、作り続けることが苦痛になって行くかもしれない。
そう考えると、ニコニコ動画は「誰に評価されるわけでもないのに、なんか音楽を作り続けるのがやめられないが、べつにそれで生計を立てたり有名になったりしたいわけではない。けど反応もらえたらめちゃ嬉しい」みたいなタイプのひとにとってはかなり最適なプラットフォームなんじゃないか、と感じた。
女オタク→VTuberに「かわいい」とコメントすると「母親面をしている」「性欲が出ている」とセクハラ認定され全オタクからぶっ叩かれる
男オタク→VTuberに「君で○回抜いたよ(動画付き)」「オフで会おう」「セックスしたい」とDMしてもVTuber界隈で話題になるだけで殆ど叩かれない
「kawaiiは差別用語じゃない!ポジティブな用語!ポリコレは消えろ!!」と怒ってた男オタクさん達がこぞって「かわいいはセクハラ用語!許せない!!!かわいいは使用禁止にすべき!!!」とダブスタど真ん中のお気持ち表明してるの見ると頭の弱い生き物っているんだなーと思うわ
よく「女は些細な事でも被害者面できて周りに守ってもらえる。それに比べて男は守ってもらえないから生きづらい」と言われてるが今回の件見ると真逆だろ
男VTuber「女オタクにかわいいって言われる😢母親面しないでくれ😡😭」
オタクB「『かわいい』って言うなんて女オタクのセクハラ酷い!!」
オタクC「これを期に女のセクハラの酷さももっと知られるべき!!」
女VTuber「誰かからオナニー画像送りつけられる…。ファンの皆さんには申し訳ないけど、VTuber引退するね…🙇♀」
オタクB「引退するレベルのセクハラを受け入れる○○(他の女VTuber)すげえwww」
大体こんな反応だよな
男VTuber→女VTuberなら「セクハラ被害」とされない「かわいい」コメントも被害と認定され、VTuberオタク以外も巻き込んだ女オタク叩きが始まる
女VTuber→オナニー報告されるのは日常茶飯事過ぎてエロ動画を送信されないと被害認定されない。その後はネタにされるか、VTuber自体の大変さに言及されるか、VTuberオタクの問題にされる。男オタクを問題にするのは男性差別になるとされるので男オタク自体の問題提起は絶対にされない
子供なんて未来の労働力、働きアリ、消費によって日本経済に貢献するコマの一つとしか思ってない人もいるわけでさ。成長前の家畜として見てるというか。
でも子供が嫌いですってあえて言う人って、子供を尊厳ある存在として認めてるわけやん
そんで子供にはポジティブな感情抱かないといけないって思ってるわけじゃん。そっからの反応は色々で、嫌いで何が悪い?という人もいれば、嫌いだとか目障りとかネガティブな感情を持ってる自分は駄目な存在と自責してる人すらいるわけだけど、家畜としては見てないわけじゃん。将来肉になる予定の豚ってうるさくて嫌だわ〜って感じでは言ってないじゃん。十分に優しいよなと思う。