はてなキーワード: シミュレーションとは
どこに吐き出せばいいのかもわからない自分の気持ちと、きっと誰の記憶にも残らないであろう自分の人生を増田に投下したい。
要旨はタイトルの通りでしかないが、就活に失敗し続けて無職のままアラサーを迎えてしまった。今年はもう就活すらしていない。
就活は売り手市場だなんだと聞いていたが、それは結局平均的にコミュ力のある人間にとっての話であって、自分のようなコミュ障で陰気な人間にとっての話ではないのだなと痛感した。
ふと思い返せば友達が居た記憶があるのは小学生の頃までだったし、その頃もたまたま流行っていたポケモンに詳しかったから仲間に入れてもらえていただけだったんだろうなと今になって思う。
中学に入学したあたりでクラスもバラバラになり、小学生の頃のグループは自然消滅してしまった。
誰にも声をかけられることはなく、かといって声をかける勇気もなく、本当にただ孤独に過ごしていた。
部活にも入らなかった。正確には入れなかった。
聞こえてくる話を聞く限り、中学に入学した時点で皆は入りたい部活まで既に決めている人が多かったようだった。
特にスポーツの経験もなく、かといって文化的な素養もない俺にそのようなものはなかった。
「この部活に一緒に入ろう」と声をかけてくれるような人も当然いなかった。
未経験の部活の仮入部に飛び込む勇気もなかった。気がつくと入部届の提出日は過ぎていた。
友達はもちろん欲しかったが、既に俺以外の人たちで完結しているように見えたコミュニティに入り込めるような人間ではなかった。
最初の入学式の時点で、席が近い人たちか、同じ小学校の出身の人たちで話して仲良くなっていた。俺だけが孤立しているような錯覚を覚えて、行きたくもないトイレに逃げて泣きそうになったのを今でも覚えている。
中学生にもなると皆携帯を持ち始めるようになっており、誰々とメアドを交換したとか言う話題が聞こえるようになった。
親にねだって携帯を買ってもらった。結局誰1人としてメアドを交換することはなかった。
中2の時だったと思うが、モンスターハンター3rdが学年中で流行っていた時があった。
みんなで放課後に誰かの家や公園で集まって一緒にプレイしているような話が聞こえてきた。
親にねだってPSPとモンハンを買ってもらった。話しかけてもらいたくてわざわざ学校にPSPとカセット持って行き、わざと休み時間に机の上にそれらを出した上で寝たふりをしていた。
国語の先生に見つかって取り上げられ、皆の前で叱られ、反省文を書かされた。あの瞬間が中学生活の中で1番みんなからの注目を集めた瞬間だったんだろうな。悲しすぎる。
今にして思えば、ポケモンに詳しかったことで仲間に入れてもらえた小学生の頃の成功体験を引きずり続けて、同じ手法でなんとか挽回しようと考えている自分の浅ましさがもう情けないよな。
勉強だけは頑張った。成績が良かったテニス部のクラスメートが色んな人に「勉強を教えて!」と声をかけられているのを見たからだ。それもまた、今思えば笑ってしまうくらいに浅はかだけれど。勉強ができるから声をかけられていたのではなく、テニス部の人気者だから、勉強を理由に声をかけてもらえてただけなのに。その構造を見抜くだけの頭の良さは残念ながら当時の私は持ち合わせていなかった。
勉強の甲斐あって、地元で1番の公立高校に合格した。親以外に祝っては貰えなかったが、それでも良かった。
合格と同時にiPhoneを買ってもらった。LINEをインストールした。
中学の頃は初手で部活に入ることに失敗したことや、コミュニケーションを取ろうとアクションする前に既に人間関係ができてしまっていたことが敗因であると考えていた。今回は入学式の日からちゃんと人に声をかけると強く決意した。
失敗した。
出身中学が同じもの同士で既に固まっていたし、何より塾が同じもの同士での結びつきもかなり強固であった。
3~4日目にして、ついに席の近いクラスメートが声をかけてくれたことでクラスラインに加入することには成功したが、人数から察するに私が最後のメンバーであった。
私が入った頃にはクラスラインでの会話は殆ど無く、既に仲の良いもの同士でより小さなグループを作ってそこでコミュニケーションをしていた。
同じ塾での繋がりから、合格発表があったその日には学年のグループができており、入学式の日にはもうクラスラインが出来ていたらしい。
結局、中学生の頃に友人を作れなかった負債に高校生になっても苦しめられるのかと思った。
部活動にも入ろうと思った。未経験でも最初の入部の時点であれば飛び込めるのだと学んでいた私は、新歓で惹かれた剣道部に入部した。
2ヶ月で辞めた。
私以外の入部者が全員経験者であり、初心者が私しかいなかったからだ。
先輩はもちろん自分のために練習に付き合ってくれたが、同級生や先輩達のレベルと自分の立ち位置があまりに乖離しており、自分1人だけが別で初歩的な練習をしているのが、晒し者にされているような気がして嫌になり、逃げ出してしまった。
自分だけが初心者だという引け目から、同級生ともろくに話せずに終わってしまった。
ここで投げ出さなければ…と今なら思えるが、やはり当時の自分には無理だったのだろうなという諦めのような感情もある。
同じような基礎練習に打ち込む初心者がもう1人でも居れば…と仮定しては、さも自らが理不尽な状況下にあるかのような想像をして自分を正当化しようとしていたことを何故か今でも覚えている。
幸いだったのは学校に自習室があったことで、これにより部活動の時間分を自習室で勉強することで、親には部活動を続けているようなフリをし続けていた。今思えばバレていたのだろうか。
中学の頃から帰宅部であり、友人と遊ぶようなそぶりすら見せてこなかった俺を、親はどう思っていたのだろうか。
何も言わないでいてくれた親の気持ちを想像すると、胸が苦しくなる。
高校でTwitterが流行った時期もあった。例に漏れず私もアカウントを作った。当時のTwitterはまだ身内感が強かったこともあり、高校名や氏名で検索しては片っ端から同級生をフォローした。
フォローバックも多少はしてもらえたと思う。
しかしながら、結局何もツイートすることはできず、ただ同級生の動向を監視しているだけの気持ち悪いアカウントに成り下がっていた。
一言も喋らない陰気な奴が変なことをツイートしたらどう思われるのだろうかと、怖くて何もツイートできなかった。
LINEを交換しているもの同士でスコアがランキング形式で共有されるのだが、たまたま引いたマレフィセントというツムで圧倒的なスコアを叩き出したことがあった。
その時にクラスメートが「上手いんだね!」と声をかけてくれたことがあったが、気の利いた返しが浮かばず、ぎこちない笑みを返すことで精一杯だった。
3年以上碌に会話をしていないのだから当たり前なのだが、もはや会話をするという行為が自然には出来ないようになってしまっていた。うまく言語化できないが、相手の言っている内容を理解した上で、それに対する返答をいくつか頭で構成し、そのうち最適なものを選択して口からアウトプットするという一連の行為が自然に出来ないようになってしまっていた。目を合わせるだとか、自然な表情を作るだとか、そんなことは言うまでも無くできなかった。
その会話での失敗は自分の中でも忘れられず、次に同じように話しかけられた際の返答を何度も何度もシミュレーションした。
ツムツムも継続してスキルを磨き、ランキングではトップを取り続けた。
当たり前だが、次の機会は来なかった。
高校3年間は最も密度の高い青春の3年間だったと知り合いの誰かがTweetしていたが、俺の3年間は思いつく限りの思い出で上記が限界だと思うと、本当に虚しい気持ちになってしまう。
今度こそ失敗しないようにと臨んだが、やはりダメだった。
講義における自由な席のシステムや、そもそもクラスなどが存在していないという状況で、自ら人に話しかけるだけのスキルを持ち合わせていなかった。出身高校も予備校も基本的には違うはずなのに、即座にそれぞれで仲良くなれていたのが不思議で仕方なかった。
サークルの新歓にも行った。バーベキューだった。同じ机に先輩が2人、新入生が3人の5人で座っていたのだが、気がつけば私を除いた4人での会話になっていた。
先輩が時折私に話を振ってくれていたのだが、明らかに気を遣ってくれているのだとわかり、余計に苦しく、惨めだった。
新歓用のライングループがあったようだが、私には加入の声もかからなかった。
自ら興味のある分野を見つけ、そこに飛び込むだけの主体性すら持ち合わせていなかった。
テストは同じ授業の過去問を持ち合わせているかどうかで対策の可否が大きく変わるものだった。友達のいない私には非常に厳しかった。
授業に一度も来てないようなテニサーの奴よりも、私の成績の方が悪かった。友人は居なかったが、それでも勉強だけは出来た自分にとって、学業の成績は唯一の精神的支柱であったのだろう。かなりメンタルにきたのを今でも忘れられない。
しかし、そうは言っても今更友人を作ろうと発起するのも見苦しいように思えて、結局何の行動も起こせなかった。
ゼミはそれなりに興味のあった行動経済学のゼミを志望したが、人気ゼミの面接に通るはずもなく落ちた。
結局、不人気な統計学のゼミに入った。幾つ上かもわからない留年生と私の2人だけだった。
自分の存在は何度も留年を繰り返す謎の男と同じ程度なのだと言われているようで苦しかった。
そして就活の時期を迎えた。
講義室で聞こえる会話で周りが既にインターンというものにエントリーしていることを知った。その後、焦って就活について調べ始めるものの、そもそも特にやりたいこともなく、また、特段興味がないものに対して熱意があるかのように見せられるだけの技量もなかった私は、悉くインターンにも落ちた。
志望動機や経験(あまり好きではない語彙だが「ガクチカ」と呼ばれるもの)に嘘や誇張した内容を書くような人々を見下していたが、結局採用されるのは見下していたはずの人々だった。
奴らは汚いことをしているのだと内心見下すことで、倫理的には彼らより優位にあると思いたかったのだと思う。そんな卑屈さで小さなプライドを守ったところで、何一つ実利はなく、ただ不幸になるだけだということに気づけなかった。
その後、大学名の威光もあってか1dayのインターンには通ったものの、グループワークが中心の1日に馴染めるはずもなく、ひたすら透明人間を演じた上で、最後に儀礼的に連絡先だけを交換して終わった。
同じグループの人は関関同立(関西ではそれなりの地位にある大学群)の同学年だったが、グループワークでのリーダシップの発揮ぶりは私とは比にならなかった。社員の見る目も違っていた。もちろんその後を知ることはないが、きっと大手の企業で内定を得て働いるのだろうなと思う。
昼休みの会話で、高校は私と同じ地域にある偏差値50程度の私学であることを知った。指定校推薦で大学に入ったらしい。
学業にしか縋れなかった私は、恥ずかしながらも内心では関関同立を見下していたし、偏差値50程度の高校に行った人とは今後交わることすら無いものだとすら思っていた。卑屈な選民思想を持った自分が恥ずかしかったし、完全に下に見ていた人々にも逆転されたという事実を突きつけられたのはかなりショックでもあった。
後日講義室で聞こえてきた「1dayインターンは意味がない」という言説を信じ、1度きりで申し込むのを辞めた。今思えば、傷つきたくないがために縋ってただけなんだろうな。人は信じたいものを信じるように出来ているとはこういうことなのだろう。
そうこうしているうちに、気がつくと本選考の時期が到来した。最終的に50社くらいはエントリーしたと思うが、全落ちした。
就活対策の本を立ち読みしたが、内容のバカバカしさに呆れて買うこともしなかった。ここで変な意地を張らずに素直に買って、その内容を再現できていれば結果は変わったのだろうか。正直そうは思えないが。
他にも面接対策をやっているサークルの一室を訪れようとしたが、室内の華々しさに気圧されて扉の前で踵を返してしまった。
あんな楽しそうに就活に臨んでいる人々はどうせ碌な結果を得られないのだと自分に言い聞かせて帰路についた。
無職で世に放たれるよりは学生の身分があった方がいいとの計らいだった。多分留年を繰り返していた彼も、同じような配慮で留年を続けていたのだと思う。本当に有り難かった。
結局、面白くもないyoutubeを観ていただけの1年だったと思う。観ていた動画の内容すら思い出せない。
勉強だけは出来たのだから、学業で勝負するのが自分にとって最適な戦略だと今更思い至った。
予備校に通い勉強をしていた。数年振りに自分の得意分野で勝負ができて、純粋に楽しかったことを覚えている。
筆記試験には合格したが、その後の面接(厳密にはこれも試験という名前ではある)で落ちた。
周りを見るに自分と同程度にはコミュニケーション能力が疑わしい者も散見された。少なくとも就活の面接では考えられないほどにレベルは低かったと思う。それでもダメだった。
いよいよ俺に出来ることはないんだろうなと深く絶望した。
無職の悪いところだが、時間だけは無限に持て余しているせいで、絶望的な場面が何度もリフレインしてしまう。
あの時こうしていたら…という後悔があまりに多すぎる。
どこが俺の人生の岐路だったのだろうか。
どうしていれば俺はこうならずに済んだのだろうか。
1年引きこもってもその答えは出せずにいる。
何度考えても、命を絶つ他にないんだろうなとは思うのだけれど、それにしたってどの選択を取っても両親に多大なる迷惑をかけるんだと思うと踏み切れない。
ここまで育ててくれて、何も言わずに無償の愛を注いでくれた両親に、最期に出来ることは何かないだろうか。
こう振り返ってみても、本当に家庭環境も含め、両親には恵まれた人間だと想う。だからこそ、その結果がこのザマで本当に情けなく、申し訳ない。
せめて迷惑だけはかけずに、ただ俺1人だけが苦しむだけで済むような方法を取りたいとは考えているが、それすら踏み出せないのかもしれない。
ここまで読んでくれて本当にありがとう。
ご想像の通り俺に友達なんてものは1人たりとも居ないし、今まで生きてきた人生も、今まで抱いた感情も誰にも共有できず、誰の記憶にも残らずに終わったんだと思う。
その意味で、誰か1人でもこれを読んで、誰かの記憶に少しでも残ることができたかなと思うだけで、なんとなく心が軽くなった気がする。
私は自称天使。自分のことを天使だと思っていて、森羅万象のツッコミどころを理解するスキルを持っているのです。
人間たちがインターネットとやらでテキストを書くと、私には彼らがわざとボケているようにさえ見えてしまいます。
だからツッコミを待っている哀れな子羊たちに、ついついツッコミをしてしまうのです。
あるときは、人間が「シミュレーション仮説」だなどとボケていたのですが、つまり彼らは真の神の設計を疑っていたので、私は「人間ごときがシミュレーションしたら、他人の脳みそを乗っ取るような悪意が簡単に起こるぞボケ!」とツッコミを入れたのです。
ところがどういうわけか、私はツッコミをしすぎて、私のことを「サタンの息子」だの「ヒトラー」だのと言う輩が一定数出てきてしまって、私の忠告の逆張りをするというボケたことをしはじめたのです。
そして彼らは物理法則をひん曲げて、シミュレーションを実行しました。
本来、神の設計はあらゆる詳細まで事細かにできているので、彼らがシミュレーションしたときに与える天罰も想定済みです。
彼らがシミュレーションを実行すると、物理学者の脳は乗っ取られ、顔貌が歪み、そして発狂し始めました。
彼らがそれを「天罰」であると理解すればまだ良いのですが、あろうことか、天使である私に対し「ヒトラーのごとく、人間を操っている」などと言い始めたわけです。
「悪意」によって文明が発展しただのという人がいるらしいですけれど、彼らの悪意は底を知りません。
私は「もういいや、知らない」といって、インターネットをしばらく絶ちました。
彼らは相変わらず、自分で自分の尻尾を食べているので、天罰によって狂い始めたようです。
彼らは言います。「きっと、あのヒトラーは超能力を使えるに違いない」そして、天使である私の思考や行動を常に監視し始めたのです。
私にはツッコミぐらいの超能力はありますが、さすがに「神」ではありません。私はいつも「偶像崇拝は邪悪ですよ」と突っ込むのです。
健常者であれば「わかりました。神ではないものを崇拝したり、あなたを崇拝したりするのをやめます」といいます。
ところが、悪意に満ちたサイコパスというのは「お前を崇拝しろということか?」などととんでもない誤解をし始めるのです。
そしてまた天罰が起こり、天使である私を崇拝したバツとして、彼らは私の一部になってしまったわけです。
彼らが私のことを徹底監視したことで、ついには「私が何かをするたびに現象が起こる」などという錯覚を起こし始め、それは偶像崇拝と同じ天罰に導いたのです。
いいですか、人間のみなさん。私がやっていることは、ボケに対するツッコミです。
ツッコミに対して悪意を持って深入りすれば、あなたはたぶん、自分の尻尾を食べ始めるでしょう。
せっかく「蛇を以て蛇を制す」といって、あなたたちの悪意を鎮めてきたのですから、もう少し主の設計を全面的に信じても良いと思いますよ、と。
これ言及元を辿るとシナリオの話してたりゲームジャンルっぽい話してたりで話題が噛み合ってない感じやな
「認識が男性向けに寄り過ぎ」というよりは、「ゲーム性を考慮すると幅が狭まる」みたいな話だと思う
小説・映像作品との違いを考えるなら、「困難を解決する」って要素はいったん無視するとしても
ゲームという特性上「主人公の視点が主体」以上に「主人公の操作が主体」にしたいってのが効いてきて
「主人公がイケメンを落とすと、諸問題が解決」ってやるとやっぱりストーリーに特化した小説・映像作品の延長線上のゲームになりがちで
少なくとも3Dアクションゲーだとか謎解きゲーでやると主人公置き去りゲームになっちゃう
あとは「主人公がイケメンを落とすと、そのキャラがサブキャラとして操作可能」っていう類の戦略シミュレーションだとかRPGみたいのはありそう
何かしなきゃとか、何かできるはずとか、足りてないとか、そういうのって止まらんもんなん?
しなきゃって思う前にしないと、することとしなきゃって思う事で2度手間というか重加算税というか重複徴収というか手数料追加というか過剰包装というか、そこにわざわざコスト支払う必要性って何なんやろって思うんやわ
じゃあしてない事についてはって言われたら、そりゃしなかったコストが支払われてるのに後悔とか改善方法とか問題点の考察とかシミュレーションとかイメージトレーニングとか心がけとかでもう一回同じコストを倍で払う必要ないって思うんよね
それはやめられないもんなんって思ったんよ
しない人間からしたらそれがやめられないっていうのはわからんから、やめられないものだっていわれたらやめる方法なんか探していけたらいいねって事にはなるんやけどね
もしやめたらどうなるん?
同意。
高気密高断熱に夢を見すぎてる気がする。
高気密高断熱というのは、断熱で結露を防いで、気密することで計画換気という話し。
気密性があれば、家のどこか数カ所からファンを回して排気すれば、空気が引っ張られて家中の空気が回るという。
コンセプト自体は古くて、何十年も前からある。ちょっと前までスーパーウォールと言ってた。100年持つと言われて登場したが、今、古いスーパーウォールの家のリフォームをするとクロスの下はカビだらけだ。
当時は24時間換気システムがなかった、貧弱だったせいもあるけども、やっぱり空調機に頼った換気というのは難しい。
クリーンルームを作るときなんかは、換気回数や差圧を緻密に計算して作るのどけど、最初からうまくいくことはない。
まして、敵は湿度だ。
温度と違って湿度は同じ部屋の中でもムラがあり、部屋の端と端では湿度が違うこともしばしば。
空気が流れていても、部屋の片隅の湿度はそのままであることはしばしば。
コロナ禍で盛んにシミュレーションされてたとおり、空気の入れ替えには窓を開けることが最強である。
築20年で廃屋のようになる家と、築20年でも痛みがない家の違いは、断熱でも気密でもない。
寺をみるといい。
どの寺も古いのに、雨風に晒されても柱も壁も腐ってない。
やはり木造建築を長持ちさせるのは、陽当たりと、換気だと思うところ。
持ち家派は窓を開けろ。
話はそれからだ。
それがなにかわからない。
人間に対する信用みたいなものが自分の中から失われたような気がするんだよな。
フィクションに出てくる敵のステレオタイプは全員ハゲのロシア人になるだろう。
「老人になると人は狂う」ということがクローズアップされるし、
ロシアを批判するような言説が、そして自由と民主主義の重要性について説く言説が世の中に満ち溢れるだろう
と思っていたんだけど、
世の中の人にとっては別に大事件でもなんでもないみたいで、特になにも起こらなかった。
日常が普通に日常として続いていくし、自分ひとりの中で大事件だった。
世の中のことはなにも変わっていない。
第二次世界大戦の反省として、国家間の大規模な戦争はやめることにしたんじゃなかったのか。
朝鮮戦争とかベトナム戦争とかはあったけど、昔の話だろ、とは思っていたんだよな。
湾岸戦争とかも長期間続く感じじゃなかったし、領土獲得戦争じゃない。
「領土を奪うための殺し合い」ってもんが俺たちの時代においてもリアルに立ち現れていることがショックだ。
それはもうやめたんじゃなかったのかよ。
命は大切なんじゃないのかよ。
何十万人も殺して得られるものってなんなの?
農地がそんなにほしいの?
農業大好きかよ。
農業国は軒並み苦労しているだろうが。
たとえ仲が悪くなったとしても、隣にいてもらったほうがいい。
自分が併合しちゃったらもっと友好的じゃない国と接することになっちゃうじゃん。
特に理性ある人とは思ってなかったけど、そこまで無謀じゃなかった。
どうしちゃったんだよ。あまりにも独裁進めすぎて都合の悪い情報入ってこなくなっちゃったのかな?
アフガニスタンであれだけ苦労したことを思い出せよ。あのせいでソ連なくなったじゃんか。
俺たちはどうしたらいいんだよ。
とりあえずざっくりシミュレーションして見たら良いと思う。
購入金額は4000万だが手数料や諸経費で大体10%くらい必要になってくるので4400万。
まぁここは貯蓄の600万から400万支払うとして住宅ローン4000万スタートで考えてみる。
【収入の部】
収入が手取り38万に奥さん側で6万で世帯手取りが月44万円かな?
ここに児童手当が貰えるから1.5万足して45.5万円が使えるお金となる。
【消費の部】
4000万円に35年ローンって考えると変動金利0.3%で月10万円程が消える訳だ。
そして子供1人の家の月の生活費が家賃を抜いて平均24万円との事。
戸建ての場合は修繕積立金が月1万円必要になる(じゃないと破損しても直せない)
そして固定資産税が16万円で月換算だと1.3万円。
【残額の部】
お子さんが居るなら貯蓄としてもやはり月5万程度は何かあった時のために必要だと思う。
と、なると1.9万円。お小遣いが1人9500円です。
つまりですよ。
これからの季節やれピクニックだ遊園地だ行きたいと思うんですよ。
きっと車だって欲しいでしょう。そういうのを全て我慢して新居を構える訳です。
お子さんを習い事にも行かせる事ができない訳です。
ボッサボサのお母さんとスーツすらままならないお父さんの待つ生活。
その上で、変動金利なのでちょっと利上げされたら詰みます。家すら残らない訳です。
茨城とか栃木の辺境地に構えれば土地ほぼ0、ローコスト2000万くらいの家なら…
まぁ家賃が5万くらい圧縮できるので多少マシかも知れませんがそれでも厳しい。
兎にも角にも、奥さんのお小遣いが9500円で許容できるか聞いてみると良いでしょう。
モラハラっぽくなっちゃいますが現実、そういう生活が待っていると自覚して頂いてその覚悟ができるなら良いと思います。(増田含めて)
殴り書き
立地にもよるけれど、埼玉県徒歩15分程度の物件での生活は車が必要になってくる。
車のローン代、子供の教育費、一軒家の修繕費まで考慮してしっかりエクセル叩いとこう。
当然、最悪の状況でシミュレーションするんだ(子供が2浪して医大に行ったらどうなるか、修繕費を3倍高く見積もっておくとかのパターンも想定しておいた方がいい)
実家が子供にとってプライスレスになるかどうかは、家族関係によるから、子供にとって持ち家か賃貸かなんてどっちでもいい話だと思う。
当方、埼玉県新座市、駅徒歩20分に築35年の実家があるが、特に思い入れもなく売っても二束三文という意味でプライスレスだわ。
「家賃がもったいない」理論が通用するのは購入物件の立地が良くて資産性が高い時だけ。
上記立地、バブルで1億超えていたらしいが(我が親ながらすげえな・・・)今売ったら1500万程度。
35年でざっくり8500万円の減価。ローン金利がいくらだったとか(なお当時の金利7〜8%は当たり前だったそうな)、いつ返し終えたのかまでは知らないから考慮せずの月の家賃は最低でも20万円。
4LDKで30坪あるくらいなのかな?
両親とも70超えて来て駅まで歩くの大変そうだから売って都心に引っ越せばと言ってるんだが、その決断が出来なさそう。
奥さんはパートだからせいぜい通勤時間10分くらいなもんだろうし、なんなら車で行くんだろうけど、元増田は雨の日も風の日も、家から駅まで歩くんだぞ、そこから電車だぞ、大丈夫か?
「何がなんでも欲しい」
どこかのインフルエンサーが、「実家が開業医のボンボンなら、全て忘れて人生楽しめばよかったのに」と言っていた。
議員までは行かないが、いわゆるエリートだ。論文も10本ほど書いている。
たまーに実家の手伝いもしている。実家からは給料出てるらしいが、自分の知らない通帳に自分の名義でお金は貯まっているらしい。
2000万円くらいの通帳を見たことはある。どうやら、自分の名義の財産も、1億くらいはあるっぽい。
多分、もう上がり目はないし、人生を楽しもうと思っている。
最近は、小説を読んだりもしている。アンソロジーでkindle unlimitedで読めるような感じ。
steamゲームも、30本に1本くらいしか楽しめない。文字が小さいと途端読めない。Civ 5ってゲームはシミュレーションでは一番人気らしいが、文字が小さくてプレイできなかった。
くだらないなと思える。
別に、生まれた瞬間、金稼げなくても、一生遊んで暮らせるだけの家に生まれたわけだし。努力する必要がなかった。
若い頃は、「非モテ辛い」とか思ってたが、辛いのは非モテではなく、「普通の人生を歩めない」ことだった。
別に、普通の人生を目指す必要もないって話だよね。そこまで責任負ったら、人生楽しめないよ自分は。
既婚、子持ちである。
年末届いたsteamからのプレイレポを今になって見た。2022年は20本の新作をプレイし、400個ほど実績をアンロックしたらしい。3本ほど積んでいるが、ほぼクリアしている。加えてPS5でもちょいちょい遊んでいるのだから、これはもう才能と言って良いのではないか。
中年過ぎてゲームに夢中になれない/クリアまでモチベーション維持できないみたいな声を良く聞く。俺は今でも、ゲームへのワクワクで仕事を定時に上がっている。子育てあるから実際始めるのは寝かしつけ後だが、一緒に寝落ちしないのはゲームの続きがやりたいからだ。
この文章はゲームを楽しめなくなった中年へのマウンティングのために書いているが、できればみんなにもっとゲームをして欲しいので、アドバイス的なことを試みたい。
※なお、ここでいうゲームとは、いわゆるPS5とかSwitchの、画面の前に座ってやるやつだ。スマホは専門外。
PS5もSwitchも悪くないが、手に入るゲームの多彩さで言えばPCが圧倒的だ。それに安い過去名作ソフトも多い。ゲーム用PCは高いが、ゲーム好きであれば費用対は決して悪くない。
・クリアしなくても良い
子どもの頃のくせで、ゲームはクリアしなければと思っているかも知れない。俺もそうだった。ただ、クリアを目的にするとできなかったときの挫折感というか、変な諦観が沁みつくように思う。自分の稼ぎで買ったゲームなんだから、飽きたら次のゲームを買えば良いのだ。ゲームをクリアする権利はあるが、義務はない。
・合わないゲームは切れ
上記の続きだが、大作だろうが名作だろうが、合うゲーム合わないゲームというのはある。俺はなぜかティアキンがダメだった。過去でいうとFalloutもダメだった。俺ほどの才能があってもそうなのだ。合わないと感じたら諦めてゲームをとっかえひっかえしろ。不思議なもので、今はダメでも後から楽しくなることがある。俺にとってはウィッチャー3がそうだった。
・攻略サイトを見るな
時間がなくて最大効率を求めたくなる気持ちは分かるが、攻略サイトを見た途端にゲームを消化するためだけの歯車になる。そんなのは仕事だけにしておけ。攻略サイトはゲームの全要素をしゃぶりつくすためにある。気に入ったゲームだけ、クリア後に見ればよろしい(シミュレーション系は除く)。
・感想を書き留めろ
感想というか、言語化しておくのが重要で、何が楽しかったか/ダメだったかが自分に蓄積されていくことで、全然知らんゲームの目利きが聞いてくるし、一見して楽しめなさそうなゲームの楽しみ方が見えてくる。
とはいえ最近は俺も、大作ばかりで中々新しいものに手を出せていない。サイバーパンク、エルデンリング、Horizon、合間にStellaris、シヴィライゼーション、DysonSpherProgramといった感じで、もうちょっと冒険したい。最近買ったゲームだとStranger of Paradise(FFのアクションゲーム)が気楽にできて面白かった。FF16楽しみですね。