はてなキーワード: ねじとは
多分BL界隈にいる人は知らないと思うけど、いわゆる「NL」界隈に身を置く人は、普段自分たちに居場所がないと思ってる。
マジョリティは圧倒的にBLで、主人公とヒロインの関係は馬鹿にされて、生殖行為に結びつかない同性愛の方が尊いって言われて。(そんなことを言わない人が多いのもわかっている。)
実際同人の世界ではマイノリティで、まだ男女の恋愛にこだわってるの?的な扱い。
だから、みんなNLと「呼びたい」んじゃなくて、NLと「呼ぶなという声に負けたくない」だけに見える。
居場所が奪われてきたのに呼び名まで奪われないといけないのかと思っていると思う。
NLと呼び続ける人には、NLと呼ぶのをやめろと言う人たちが加害者に見えている。
しかし、被害者なら好きな名前で呼び続ける権利があるかと言われると、そうじゃない。
オタク全体に、「腐女子は叩いてもいい」という空気がある。ネタにしていいという空気もある。
男性のオタクが女性のオタクを馬鹿にする時、明らかに「BL好きな女オタク」を思い浮かべている。
それに加えて名前でまでノーマルだと主張されたらいつまでも居場所がない。
さらに一部の人は、その価値観が現実でのLGBTへの視線につながることを危惧している。
NLと呼んでも現実のゲイは差別していないって人もいるだろうけど、そんなに賢明に区別できない人の方が多い気がする。
それなのにノーマルと呼び続けたい人たちのことは当然加害者に見える。
NLと呼び続ける人、NLと呼ばせたくない人、どちらも力でねじ伏せようとしているように見える。一種の暴力性。
でも、それに気付いていない。
でも実際はどちらも傷ついている。
でもそれに気付いていない。
だから、NLと呼び続ける人たちは名前を変えることで、NL呼びをやめてほしい人たちはNL呼びを許容することで、「自分たちだけが譲歩した」と思うんじゃないかなと思った。
一番平和なのは、みんなが呼び名を一緒に変えることかなーと思ったけど(男はBB、女はGG、男女はBGとか?)、それはそれで、いまBLと呼んでる人たちにとっては「なんでわざわざNL呼びを変えてもらうために合わせないといけないのか」ってなるよな。
最終的には、"L(love)"という枠組みはなくなっていくだろうし、BもGも関係なくなっていくだろう。
でも、「じゃあ明日から愛に男も女も関係なく、患者は愛情とは限らないからね!」と言われて切り替えられるものじゃないだろうし。
今は過渡期なんだろうな。
「個人主義の中の落ちこぼれは全体主義の中でのみ救われるから」だよ
ある程度三年もやってりゃ、プログラミング以外にもたくさん他に勉強したりやらなきゃいけないことだって多くなるから、プログラマーなんて単純なくくりではご飯食べていけなくなるわけで
でもプログラミング以外なんら能がなく、フロント出れるほどのコミュ力もなければ、下流から上流まで対応したり全体を見通して動けるスキルや経験がないから
自分たちは「プログラマー」という選ばれた存在で、不当に社会が差別しているから待遇が低いのだ!って喚き散らしてる
25歳過ぎてプログラミングしかできない能無しの上に、正確ねじ曲がって顔も愛想もよくない男や女なんか、単純にエンジニアどころか社会人としてカス以下だから使われなくなるってだけなのを、そういう陰謀論拗らせちゃって、選ばれしプログラマー以外は自分たちの敵だ!ってどんどん過激化して先鋭化していくの、そんでゆうちゃん事件とかバラバラ殺人起こした陰キャプログラマーみたいな犯罪を起こすまでいってしまう
ま、「es」ってドイツ映画見てたら、増田の心理状態がよくわかると思うよ
超個人主義のIT業界に、自由に生きることができない弱い人間たる増田みたいなのが行く当てがなかったっていうのが、そもそもの悲劇何だろうから、社会のせいともいえるのかな?
答えは簡単、エンジニアとしてはさっさと転職考えた方がいい一部の無能のアスペとかが喚いているだけだから
本当に忙しいエンジニアや、それなりにフリーランスで私生活を考えて人生を生きている人間は、日がな一日はてなに張り付いてマウンティングにいそしむ暇なんてありません
幾らどんな緩いウェブ系のベンチャーだろうが、業務中に掲示板とかに書き込むなら2度目で即クビだからね
それに、やたらバズってるプログラミングでの増田たちの発言を見てみろ
大半がBASICだのパソコン雑誌だの、フォートランだのと、仮にそんなものリアルで見聞きした世代であるならば、40代後半とか50代は言ってるジジイみたいなのばっかだろ
なんでそんな理由をするかというと、そうやってはてなやSNSでくらい勝ち組を気取っていないと、心が壊れるほど極貧の生活をしてるんだよ、
毒親とかやたら多いでしょ?性格悪くて仕事もできるったって底辺派遣レベルだから誰からも相手にされないのでさらに心がねじ曲がって、人が離れていくから寂しいんだよ
そんな可哀そうな存在が一部ネットで声高にIT業界のネガキャンしてくれるおかげで、まともな社会人エンジニアはいい暮らしができている現実があるんだ。
プログラミングスクール=高額のイメージで語ってる人多いけど、スクール側がスクール生の内定先から紹介料貰って運営してる形態のスクールって多からずあるんでござるよ。(まずこの点に触れてない時点でどの増田もスクールの知識っていうのはイメージでしか認識してない。)
かといって紹介料ほしさにブラックにねじ込まれるとかではなくて、スクールのフィルターを通してるからSESの中でも割とまともな所行けるらしいでござる。(ソースはスクール生のブログ)
当該のスクールに通った人の就職後の過酷さやスクールに対する酷評調べたけど全く出てこなくて、就職後の充実さやどんなこと学べてこんなことやってる。みたいなブログなら何件か見かけた。(アフィブロを除く)
友人にSESのSEがいるけど、1ヶ月のjavaの研修を受けてobjecive-cの案件に実務経験3年としてぶち込まれてパニック障害こじらせながらなんとか齧り付いてた。全員が全員そんなにバイタリティあるわけじゃないし、独学で勉強して糞みたいな会社に入って糞みたいな営業に糞みたいな扱いで糞みたいな案件にぶち込まれて壊れかけて糞ほどIT嫌いになるぐらいなら、
無料スクール経由で先に就職してそこから必要な知識を勉強するんでも遅くないんじゃねえかな。
独学で勉強しないとやっていけないのは一理あるんだけど、就職してから勉強する目的が明確化しないと勉強できない奴とか一定多数いるわけで。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik20/2020-05-17/2020051712_01_1.html
ところで、オンライン申請では世帯主が家族分も合わせて申請します。世帯主の名前はカードの電子証明書に書かれていますが、家族の名は申請者が入力します。そのため受け取った役所側では、家族の名が間違いないかを住民票と照合する必要があります。一方、役所から送る申請書には住民票をもとに家族の名前があらかじめ記入されていますから、職員が照合する必要はありません。オンライン申請の方が、職員の手間が増えるのです。
現政権については褒められたところがないのは事実であるが、それと同じくらい左派に幻滅している
語弊はあるが普通に民意を捉えていれば加点しかされない絶好のタイミングが目の前にあったにも関わらず、支持率を大幅にマイナスどころか一般層と相いれない本性を垣間見せるクソムーブ
批判自体は正しいよ、ただ批判が目的になってることが明確になってしまった
有事に明確なビジョンや戦略すら打ち出せないのでは結局現政権と同じ穴の狢だ
こと新聞社については嬉々としてアジテーションを繰り返して世論を混乱させることに力を注ぎすぎた
個々人に関してはもっとひどく、あそこまでねじ曲がった人が多いとは思わなかった
自分たちの世界しか見えてない、自分たちの水準でしか物事を考えられないことに失望した
端的に言えば彼らが示す意見にはなんというか「幸福」なビジョンがない
現政権や支持者にもそれがあるとは言えないが
何をしても減点でどうすればよくなるかの提示がなされないし、されても大局的な視点がかけたポジショントーク
「ふわっとしかわかってない理由」ってさ、整理するとシュワッて消えることがあんだよね
複雑すぎてその子の言語レベルでは説明できないとか、感情的・感覚的すぎて理屈に合わないとかでさ
無理矢理言語化すると取りこぼすというか
『26世紀青年』(原題:Idiocracy)という映画を見た。
ごく平凡な主人公が500年ものコールドスリープから目覚めてみたら、人類は「バカ」化の一途をたどっており、自分が全世界で一番賢い人間になっていた…という、ある意味異世界転生ものっぽい話である。
なにもなければただのコメディ映画で終わるのだが、見た時期が悪かったかもしれない。「バカ」化した人類があまり他人事に思えなかった。
流行りに乗っかり、見たいものだけを見、信じたいものだけを信じること自体が悪いとは言わない。誰しもそういう経験はあるだろう。でも、そこに「固執」「排除」という要素が加わると、話は違ってくる。
流行りに乗っかり、それこそが正しいことだと思いこむ。自分が正しいと思うものにこだわって、都合の悪いものは無視、あるいは自分の考えに沿うようにねじ曲げる。
自分が正しいと思うものだけあればいい。自分の主張さえ通れば他はどうでもいい。反対意見を持つ者(あるいは、自分が嫌いな者)が何か言っているが、耳を傾ける価値はない。
まず、感染病対策に改憲はいらないということは初学者レベルの教科書や判例集の知識でもわかります。意見がどうだ、議論がどうだ、ではなくて、順当に考えていけばそうなるはず。
それは置いておいたとしても。
仮にコロナ対策で正当な補償の下に私権を制限する立法をしたとして、それを訴える市民がいて?、しかも最高裁が違憲判決下す?って、本気で思いますか?コロナのための改憲を謳ってる人が本気でそう考えてると、思いますか?完全補償しろなんて誰も言ってません。
「改憲しないと対策できないぞ」っていうのは本当に悪質な脅迫です。人の命かかってんのに。
ぜんぜん関係ないけど、悪役って目的達成したあとに人質殺しがちだよね!なーに、映画あるあるの話ですよ。
話を戻すと、同性婚もそうだけど、改憲が不要なのは単なる事実。なのに報道では「そういう意見もあります」って議論の一意見みたいに扱われて、本気で一意見だと思ってる人もたくさんいる。
これが、私はめちゃくちゃこわい。
一度、数ある見解の一つだと思ってしまったら。例えばワイドショーを観て「世の中をよくするために必要な」改憲が必要って思う人が現れる。すると、違うんだよ!って説明する側が「相容れない存在」になってしまう。ホントのことを知って目を覚まして欲しいだけなのにね。
話し合おうとしても、闇堕ちした仲間を元に戻すことって難しい。だって闇堕ちする人って敵につけこまれて色々吹き込まれるじゃん。根っこの認識からねじ曲げられちゃってるんだもん。その事に気付けるきっかけがない限りは無理よね。
認識をねじ曲げられたってことには悪役が目的を達したあとに気づかされがち。映画あるあるの話ですよ。
「改憲しないとできないと思ってた事はしなくてもできた?…そうやって言う人もいたねぇ、、え?そんなこと知らなかった?君が聞く耳を持たなかっただけだよ、ほら。そこにいるの仲間じゃないの?ずっと言ってたじゃないの。市民仲間の反対に遭ってもワタクシと共に改憲を選んでくれた、有権者の意思と責任の下に。本当に助かったよ!
あぁそれより、その人質の心配した方がいいと思うよ。ま、この国で初の偉業を成し遂げさせてくれてありがとう!フハハハハハハ…」
映画ならここからとてつもないパワーを発揮して大逆転する展開ですね。
敵がいかに邪悪か、悪行を最後まで示すことで、観客は最大限主人公に感情移入できるから。そして人質もなんちゃらパワーが目覚めて回復してめでたしめでたし。
(1)
まず導入として岡村に「1人でずっと謝罪を続ける」という明らかに無理なことをやらせる
(2)
これにより「岡村は何を言われても受け入れるしかない」舞台が完成
(3)
・ デリケートな既往歴に触れる
・ 人格批判("天然"というぼかし方が天才的。多分今後パワハラ上司の間で流行る)
これらはパワハラに関する教育を受けたことのある人なら分かるだろうけど全てアウト
(4)
最後ネタコーナーをねじ込み、「終わりよければ全て良し」感を出してまとめる
岡村を仕事で失敗した部下、矢部を上司、ラジオ関連の記載を会社の仕事に置き換えれば
で、こう書くと
「結婚は矢部自身の経験から岡村個人に出されたアドバイスだからハラスメントとして一般化できない」
「岡村自身の問題点まで深堀りしたのだから失言以外の落ち度が出てくるのは展開上仕方ない」
「今回は岡村への批判がエスカレートしていたので『公開説教』は外野を納得させるためにも仕方なかった」
「愛があるから許される」
みたいな擁護が出てくるんだけど
この世のあらゆるパワハラ(演出)は「理由」を理由に許したらあかん!!!!
一つでも例外を認めてしまえば拡大解釈に拡大解釈が重なって全てのパワハラが許されちゃうから!
これはお前のためを思ってやっているんだ きちんと理由がある パワハラではない
ようやく政府が「これらはハラスメントだよ絶対駄目だよ」と指針を出したのに
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyoukintou/seisaku06/index.html
わざわざ地雷を全部踏み抜くような演出、どんな理由をつけてもあかんって!!
おそらく岡村・スタッフ・矢部が一丸となってみっちり話し込んだのだろうけど、それで出てきた演出がコレというのは凄く残念
結局岡村だけじゃなくて、スタッフも矢部さえも価値観をアップデートしきれていない、これに尽きる
一世代前の古い考えを0.5世代前の古い考えでねじ伏せたに過ぎない 最新にしないとあかん
矢部の説教は岡村にとって良いものだったかもしれないけどそこは切り分けて考えないと駄目
ラジオの激詰めに感動した全国のクソ上司が猿真似しだしたらたまらねえわ
・昔から意味合いの変わって使われている格言やことわざはいくつもある よくないというのは個人意思なのでいいかわるいかで言うなら他人の行動を強要したり喚起したりしたいのであればまず直接個人に自分の考えをぶつける無名の街頭演説をいきなりはじめるより、原文からの変遷を研究したり収集したりする団体や組織を形成してそこからの意向としての情報発信をするほうが効果的 言いたいだけなら言っても大丈夫
・あなたが話す話はすべてあなたの話なので前提は不要です なにがどういう状況なのかという状況から自分がどういう行動をすることになったかの説明はとても有用 正しい判断がしにくい状況にご自身が追い込まれているということ心中お察し申し上げます ただこの文章もそういった状況下でとられる一般に正常とは認識されがたい行動の一環であることの可能性をご自身で示唆しているわけですね
・常々というこの困難な状況が常にあるという継続的な辛さもお察し申し上げます もはやいつから正しいことが判断できなくなったり犠牲にしたりしているのかなのかわからない状態であるということですね 職務で得られた経験が自己分析であるとしてそれが正確ならなおさら、ご自身が異常な状態にあることを冷静に判断できているのはとても皮肉なことだと思います
・他人の行動について愚かで自己破壊的だと、すべきでない行動をしていることに対し自分は正解をもっている、建設的でない、的外れである、ということは的を射ていたり建設的な意見というものがなにかと自分は知っているという陶酔にあるのは、困難な状況に長時間されされていたご自身の防衛機能の一端であることは察し得るのでご苦労様です ただご自身の判断基準の正確さを、役職や職業によって保証されているものだと他の方に誘導的に意見することを意図しているのは、危険な状態でもあると思われます
・合間を縫いすぎです どれだけ見てるんでしょうか じゃんじゃんの擬音の効果の程度が気になります 観測をしている量としての程が いやなものはみていないですよね いやなものを見ざるをえない職種であるのでいやだけれども見てしまうしそれに感想をもったり行動をしてしまう というのであれば「いやなら見るなみてないなら行動するな」みたいな表現についてご自身もその対象であるはずなのにその推奨に沿えないことを体感しているのではないでしょうか
・残酷な単体行為を単独個人が単回数行うことについてであれば、書き起こされた文字のことが存在すると発露させた時点で一回それを履行しているわけで、それをまだしていない人間にむけて公開するということは、ご自身が一回それに関わり加わりおなじ行為をしたということになります 「この証拠写真をみてください」と問題の現場を公開することで、それをしらしめてやろうという意図の犯人と同じ行為を一度行うことについて、それを回避するすべがあるはずであるのにするということは、加担したということになります 正常な判断ができない状態で正義で被害者を守ろうと判断されることが危険なのはこういった結果にいたる可能性があるということの一例となり残念です
・あくまでほかの罪においてでも罪を責めることができれば、そこから結果自分の主張したい正義をねじ込めるとお思いなのはとても危険なので、責任ある職であるならお休みされたほうがよいと思います
・いやなら聞くなは同意いたします 聞きたくないので聞かない人も聞けない人も聞いてない人もいると思います 居酒屋での愚痴なんていいふらされても、前述までの「アホやな」のそれだと思います ただ人の口からでた言葉を聞く聞かないを超えて、その声を機械で増幅させて電波で全国に流しているんです 耳栓をしていてもそれを聞いた人間の行動や人間の発声能力をはるかに超えた音波が体をゆらすわけです その人がいっただけのただのたわごとならば、その口をはたけば済みますし、こちらは耳をふさげば済みます その責任は本人にあるといえると思います ではメガホンをつかって叫んだ場合の言葉の責任は、メガホンにあるのでしょうか コンデンサのメーカーが不埒な言葉を拡声したことをお詫び申し上げますといえばよいのでしょうか かつてのAV女優やバカなことをする芸人が一般的な氏名でなくおもしろおかしい芸名を使っていたのは「同姓同名がいじめられないように」の配慮だったわけですが、同姓同名というほんの数文字だけを全文から切り取って個人にあてがいいじめなどの行為に至ることはありますしそうなる可能性は容易に想像できるはずです 現在ではその境界線があまあまになっているのでもはやきりとっての被害はそれぞれ自己責任という風潮なのかはわかりませんが、だれも全文で勝負しようなどとはおもった時代などありません 文脈でいうなら先祖代々のどの家の当主のなんの許可があって芸人をしているのかどうかなどという人類史の文脈を無視しないで話をすべきなんてことになりかねなくなります どこから文脈を切り取ることになるのか、どこが文脈なのかその規模と単位をどこがどう決めているのか、まずそれをコンセンサスとるべきだろうし、それをあいまいに話している時点でそれぞれ個人の個人的感想でしょう 残酷だとかクソだとかデザインだとか終始だとか、個人がそう思ったことを人につたえたい場合、つよくそれを願った場合、きたない言葉で装飾して自分の言葉の威力が増したと自己陶酔することで伝わるはずだと思うのは、前述の環境による思考の傾向があまり健康的でない状態である可能性が感じられます
・個人の看過できないまでの感情の爆発は、個人の感性なので問題ないですし大切です そのストレスがだれかを傷つけるまえに文字で解消しようとするのはとても健康的だと思います これ以上こじらせてしまうような可能性があるのならば、力になってくれる現実の人間に頼るべきがよいと思います
・そういう個人的な予想や感想や欲求を文字にするということは、それをしているということになります 文字そのものをみてそこにその表現がはいっていないから「そんなことはいってないだろ」「文盲」とののしることがあるかもしれませんが、その情報でほかの情報をもっている個人があわせて反応してしまって連想することは人間としてみればありえる話です いったこと以上のことはなにもないのであれば、文字に書かれていないことはありえるんですかと永遠に質問が来ることになります ご自身が正義のセカンドレイパーになっていないか、いまいちど鏡をみてみることをおすすめいたします
・現実にそんな要職にあるのなら、お休みされないとほんとうに心配になってしまいます
・そうですね
ていうか、将来的にどうなるか分からない、なんて事を言い始めると、例えば
世界観的に、大人から子供になるのは理屈を無理矢理こじつける事が出来たとしても、子供から大人に瞬時になるというのは、(保存則から言って)もう物理的な法則をねじ曲げないと実現できなくて
それを全面的に肯定すると、あの世界ではおそらく男から女に、女から男になる薬というのも多分作れない事はないんだろうと
つまり突き詰めると、あの物語では年齢や性別等というものは言ってみれば特徴ではなく状態であり、つまり蘭が男になってなおさらに新一と結ばれる展開、あるいは新一が女になってさらに蘭と結ばれるという展開も全くあり得ないとは言えないはず。でもそういう想定はまったくフェミの間にはないわけでしょ?
……いや何が言いたいかというと、物語展開の想定が出来ないというのは別に出来ない奴に差別意識があるわけではなく、単に想像力の問題なんじゃね? って話