はてなキーワード: ちょっかいとは
その先輩はきみのことが好きだから突っかかってくるんだよ。
何とかしてちょっかい出したい。
としか言いようがないほど幼稚なやり取り
ついさっき起きた。夢を見た。大きな会議室で椅子に座って偉いジジイの退屈な話を聞いていた。テーブルの上にはちょっとした茶菓子があり、俺の席には個包装の小さなチョコマドレーヌがあった。腹が減っているのに雰囲気的に食べてよいものか分からず手が出せないでいた。ああ、チョコマドレーヌ。ジジイの話早く終われ!隣にはブラマヨの吉田がいた。「はよ終わらんかなあ」「それ俺にくれへん?」会議中なのに時折小声でちょっかいを出してくる。眠くて吉田の方にもたれそうになると、ちょっと嫌がられた。会議ではそのあと何かの映像を見せられた。零戦が飛んでいた。戦争映画のワンシーンのようだった。どうでもいい。早く終われ。マドレーヌ食いたい。帰って艦これしたい。
街中でタバコを吸えず、ちょいと早いが一服がてら一杯ひっかけようと焼き鳥屋のカウンター。
オーダーをしてやれやれ一服とちょうど火を点けたところで、隣の席に赤ん坊を連れた夫婦。
おいらぁ重度のニコチン中毒ではあれど、隣に乳幼児がいるようなところではなにがあってもタバコの煙は立てねぇ。
てなわけで、がまんがまんの1時間半。
ようやく帰り支度をはじめたお隣さん、しめしめやっと吸えるってもんだと思ったら、
父親のほうがぷっかーっとくゆらせはじめやがった。
同じ愛煙家だけに、赤ん坊を居酒屋に連れてくる無神経に腹が立つ。
我々愛煙家は、最大限彼らに害を及ぼしちゃなんねぇ。
その愛煙家の気遣いを、自ら愛煙家であるにも関わらず、同胞に強要する無神経。
かつ、自身は煙の流れ先に頓着せず、他人に副流煙を直撃させておきながら、
平気な顔してタバコを持たない方の手でテメエのガキにちょっかい出してやがる。
めっさ腹立った。
ちょっかいかける側の不良っ子とちょっかいかけられることをうとましく思ってる真面目っ子の百合ものね
好意の裏返しってことになかなか気づかない真面目っ子
でもあるときあるできごとによって真面目っ子の心境に変化があるの
それから少しずつ仲良くなっていくんだけど、いつしか自分の感情が友達を超えてしまっていることに気づくの
気づく主体はどちらにしようかしら
それで2パターン、いえ第三者も考慮すれば3パターンは考えられるわね
真面目っ子パターンなら、不良っ子が別の子と仲良くしてることに胸を痛める
不良っ子パターンなら、孤立しがちで自分の独占だと思ってた真面目っ子が不良っ子をきっかけに友達の輪が広がって自分との時間が少なくなってしまったことに対して嫉妬する
「その出来事以外は特筆することのない、天気もフツーの日だった。
その日もあいつは、道行く人にくだらねえちょっかいをかけて、追いかけてくる人たちから笑いながら逃げていた。
どこぞの映画みたく、車が多く走る道路を利用して振り切ろうとしたんだろうな。
実際、それで上手く逃げ切れた経験があるから増長していたのかもしれない。
まあ、結果は察しのとおりだ。
不慮の事故ってことになっているらしいが、一部始終を見ていたオレから言わせれば、あれは経緯含めて同情する気も起きない出来事さ」
それはあまりにもあっけないものだったが、逆に俺には鮮烈な印象を与えた。
だが、これはまだ半分。
まだ俺たちには、気がかりなことがあった。
「タケモトさん。そんなことまであったのに、何であの町にいた人たちは『あいつ』について大したことを語らないんですか」
「そして、なぜタケモトさんは『あいつ』についてここまで語れるのか」
タケモトさんも、やはり俺たちがそう尋ねることを見越していたようで、流れるように話を進めた。
「その町の奴ら、『よく知らない』って言っていたんだよな」
「はい」
「恐らく、本気で言っているんだろう。あいつが死んで以降、関することはほとんど忘れてしまってるんだよ」
「ええっ!?」
どんな奴であっても死んだら冥福を祈るべきってのが真っ当な人間がする考え方だが、思い出しても恨み言ばかり出てくるような相手だ。
だから、みんな紡がれる言葉や心を、良識的な理屈で塗り固めた。
そうしていけばあいつに対する悪印象は徐々に薄れ、自然と忘れていく。
ふと話題にしたり、思い出しても『ああ、そんな人いたね』といった具合だ」
「じゃあ、なぜタケモトさんは今でも覚えているんですか」
「あいつのことが嫌いだという事実と、悪感情を持続させているからだ。
周りの奴らと同じく、徐々に記憶が薄れていったのさ。
だがな、ふとしたことであいつの話題になったとき、誰かが『案外いい人だったかもしれない』だとか言い出したんだ。
死んだら皆“いい人間”になるのかよ。
『あいつ』を“いい人間”扱いする自分は“いい人間”なのかよ。
んなワケあるか……って、我に返ったんだ。
まあ、だからといって町の連中に、あいつが酷い人間だったって今さら思い出させても仕方ないことは分かっている。
でも、思い出せなくなる程度の存在として扱い、ましてや『いい人』だなんて言っていたのにも耐えられなかった。
その頃のオレは、連中が上辺を取り繕って、薄ら寒い駄弁によがる“いい人間”の皮を被った化け物に見えたんだよ。
タケモトさんの語る『あいつ』に対する思いは、とどのつまり『嫌い』であることに集約されていた。
それは健全ではなくて、悪感情であることも明らかだったけれども。
「あと数年もすれば、あの町の奴らはあいつのことを完全に忘れているかもな。だが、オレは忘れない」
「タケモトさん、その『あいつ』のこと、実は嫌いじゃないとかってオチじゃないですよね?」
「心から嫌いだよ。死んだことも、あの町の奴らにそのように扱われること含めて憐憫の情もない。ただ、それであいつが嫌われ者であることすら忘れ去られるのが、気に食わないってことだ」
『嫌いだから』忘れようとする町の人たちと、『嫌いだから』忘れまいとするタケモトさん。
心から嫌いだと思える相手『あいつ』に、俺たちならどう臨んでいくのだろうか。
その日の夜、弟はいつも通り眠ったが、俺は遅めに就寝した。
無理やり鬼ごっことかやってる集団に混ぜられたのが苦痛だった。
彼女たちからすると、いつも一人で絵本を読むか積み木崩しをやるだけという態度がめんどくさかったのだろう。
昼寝やおやつの時間に抜け出したりとナチュラルに問題を起こす子どもだった。
人に合わせることはめんどくさいことなんだという気持ちを抱いた原体験はそのころにあるだろう。
今もやはり本を読んでクリエイティビティを持て余し、人をからかって規範的な生活にそぐわない態度で生きている。
それは長年積み重ねて熟成された自分の感性に従順な結果であり、
走るのが速かろうが、物知りだろうが、ルックスがよかろうが、立ち回りが悪ければ良しとされない。
とはいってもなんだかんだで20代半ばなので、言い寄られたり、告白されたり、付き合ったりっていうのは、
子供の頃の「ごっこ」から含めると何回かあるわけで、恋愛なんかについて話す権利はあると思う。
だから言ってしまうのだけど、恋愛を語る際は、まずあなたにとっての恋愛、というのを定義すべきだ。
それは簡単なものでよくて、例えば『私はいわゆる重い人間なんだけど』や、
『私はセックス=恋愛って価値観なんだけど』または『私は恋愛っていうのは何回も試してみるものだと思う』などなど。
『( )』をつかって説明するのでも良いと思う。(因みに私は重いです)
それはなんでかって言うと、恋愛って言葉は思っている以上に曖昧で、その2文字だけじゃ、どの関係性について語っているのか相手に伝わりにくいからだ。
恋愛ってのは複数の人の合意を得て行うものだから明確ではないか、というのも、わかる。わかるけれども、その合意は複数人の間だけのものだ。
というか、恋愛が全員同じ価値観で行われるなら、想像して見て欲しい。ちょっと大変な世界じゃないですか?
で、なんでわざわざこんな話をしなければならないかというのは、非モテや、出会いない系の人の話になると、
やれ、出会いの場は死ぬほどあるだの、やれ、周りの女を全員性的対象と見ろだの
(まあ、ちょっと悪意のある言い方だと思うが私は両刀なので世の中の人全員をそういう目線で見なきゃいけいないってなるわけで、ちょっとね…)
やれ、どうでもいい女で試せだの。というお節介さんがあらわれるからだ。
しかし、そんなお節介は非モテや出会いない系の参考にならない。
それってあれでしょ。飲み会でちょっと仲良くなったら『友達』みたいなレベルの感覚での『恋愛』の話でしょ?
お前らが『友達』だって思ってる相手の半分はお前のことを『友達』だと思ってないよ。
そして、お前らの『恋愛』を軽くてダサいと思ってる輩はいっぱいいるよ、自覚して!
そもそも、私がこんなことを思ったのは私の『友達』が皆、私のことを『親友』だと思っているということに気が付いたからだ。
正直こわい。というのはちょっと大げさだけども、でも「親友だよな」と確認されたら誰だってヒヤリとする、と思う。
んで、それだったら、恋愛だって同じで無いだろうかと思い、書き出してみたのだが、これが結構な量になった。
例えば、「いつまでも愛してる」と言われたり、1年くらいセクハラまがいのボディタッチをされたり、
此方の負い目にかこつけてデートに誘われたり、アプローチも割と受けていたりするし、
付き合った人には同棲を持ちかけられたりしていたわけで、
つまり、愛されているのだ、私は。
それでも恋愛につながらなかったことが殆どで、それは私が愛を拒んだからである。
向こうが勝手に思っている『親友』はどうにもできないし、どうする必要もないが、
恋愛は恋愛の定義がずれ込んでいる場合、拒むことが出来るのだ。そして私はままな頻度でずれ込むことが多い。
しかし、同じ文化圏にいる人間でも定義はずれ込むのに、インターネットの『非モテじゃない人』は
『非モテ、出会えない系』が自分等と同じ関係性でもって恋愛が出来ると思っている。馬鹿なのだろうか?
勿論その合意を得るために、いろいろちょっかいを出すんだろ、といいたい人もいるのだろう。
しかし、その、いろいろちょっかいを出すという時点で、すでに非モテ的な関係性と離れるという可能性を考えてほしい。
そもそも論で言えば、恋愛なんて聞かれなきゃ語らないのが普通だ。友達を作る秘訣なんてのを語らないのと同じだ。
それは、「結局なんでそうなったか」の統計を出せるほど、量を確保できないし
それで非モテや出会えない系の人はそういう人たちの恋愛をしたい場合があるのだ。
というか殆どそうだと思うのだが…
恋人ができた瞬間もう非モテについて語りたくないと言い出すボケ、
セクハラを推奨する屑のでなくて。
いやしかし、私はボケだが恋愛を語りたいし、恐らく参考になる、という人もいるでしょう。
なので、はい、タイトルどん!『恋愛を定義しろ』というわけです。
つーか、これしないと混乱させるだけだって。混乱させたいの?させたくないでしょ?
混乱すると、つまんねー奴に引っかかっちゃったり、
それがしたいわけでないでしょ?じゃあやめなさい。
来年で30になる。
子どものころ海外に行って別れて、久しぶりに地元に帰ってきたKくんはモデルを目指すという話を噂で聞いていた。
どうにかしなければならないと思いつつも完全に対人恐怖症になっていた。
電車の中の女の子たちの笑い声ですら動悸がして、非常にストレスになる、今思えば完全に病気だった。
あえば当時10年ぶりの再会となるが、俺は旧友とは誰とも会わなかった、会いたいと思わなかった。
その時、成人式で親友だったやつと目があい、頑張って明るく挨拶したが無視されたのを思い出していた。
こんな俺をみてもコメントに困るだろうし、俺もK君の中の思い出を汚したくないし、何よりとても辛いので会うことができなかった。
会わなければいけないことは頭では分かっていたが何もできなかった。
都合が悪いふりをして会わなかった。
ドアには電話番号が書いてある紙がかけられていた。
考えて考えて、やっぱり電話を掛けるべきだと思ったが、とても何を話せばいいのか想像が付かない。
どう受け答えすればいいのか全くイメージができない。
何を言えばあの頃の思い出を汚さずにキラキラとさせたまま期待を裏切らずに電話を切れるのか考えた。
家の前のアスファルトの道路の上に、靴を履いてパジャマ姿で立っていた。
長い時間が経ったように思えた。
答えは出なかった。
それからしばらくはそのことがずっと心のしこりで残り続けていた。
俺はというと頑張って大学を卒業して何とか就職して働きだした。
もちろん忙しいときはそんな暇はないが。
何とかまともな社会人になってきたところでふとそのことを思い出した。
名前が特殊なだけあってネットで簡単に今の近況を調べることができた。
モデルを目指している人間がブログやツイッターを本名でやらないわけがないからだ。
10年前の俺にはできないことをしている。
今度ライブをやるらしいが、あいにく見に行くことができない距離だ。
特に大きな病気もせず活動を続けてきたんだなということがわかった。
残念ながらTVドラマに出まくるとか大ヒット歌手になるというところまでは行っていなかったが。
今の俺は何が違うのだろうか?
今でも俺は自分の武器を取られたらオロオロして自信を無くして取り乱す人間だろう。
少し仕事ができるようになったせいで偉そうな精神性と虚ろな自信を身に着けたから、
今連絡を取りたいとか応援したいとか思い出しただけだ。
要は、自分に必至じゃなくなったから他人の人生にちょっかいかけたくなったのではないか。
どうしてもその疑惑が晴れることはなかった。
俺が伝えたいことはこうだ。
「10年前Kくんに電話をかけなかったのは決して嫌いだとか関わり合いたくないからではなく、
今の汚物のような俺がモデルを目指す君のキラキラとした思い出を汚しかねないと判断したからだ」
「そして汚さないように交流を持つということも当時の俺の能力では不可能だったからだ」
「もし、嫌われたとかそう思っているのなら誤解だ、10年間何も言わずにすまなかった」
「今はバンドしたり歌手をしたりして幅広く活動してると思うけど、もし機会があればライブを見に行きたい、頑張って」
10年後である今の俺に、これを誤解なく、かつ円満に伝えられるだけの自信はなかった。
どうやら俺は10年前の俺と同じように、あの当時から10年後の未来の俺は同じように、
きっとまた連絡を取れずに終わるのだろうか。
俺が自分の心のしこりである重荷を解き放たれたいという欲求があるのか、
それとも未だに自信がなく怯えているのか、
あの当時自分の選んだ選択を一生責任を取って肯定するべきなのか、
難しいことを考えずに連絡を取り、何事もなく終わるのを期待するべきなのか、
Kくんにとって何が望ましいことなのか、古傷をえぐることにならないのか。
Kくんが増田なわけはないが、
万が一にも増田なら、
あの時俺が会わなかったのは、どんな顔で会えばいいのか分からなかったんだ。
電話を掛けなかったのは、どんな話をしたらいいのか分からなかったんだ。
そして今も連絡を取れないのは、もう自分が何を本当に従っているのかも、
すまん、Kくん。
立派になったら連絡を取ると誓ったが、
俺には一生無理かもしれない。
どうすればあの時と10年間を軽く謝って応援できるのかイメージが付かない。
俺は何も変わらなかった。
とても悲しい。
夢を叶えてください。
でも日本語を忘れかけていると書いていたのを見て、
もうこちらでのことは忘れて新しい生活になじむのを優先した方がいいのではないかと
いっしょに遊んだこととか、今でも全部覚えてる。
本当にありがとう。
また、いつか。
Wより
最近FXが調子いいから、このまま無尽蔵に金が増えたら~とか考えてふと思った
日本で何億も持ってたとして、一体何になるのかと
なんか楽しいことできるのかと
案1 豪邸を買う
数億が限界でしょ
案2 車を買う
ごめん、車興味ないんだ
案3 馬を買う
これは相当高いらしいね
でも調べたら数億だって
案4 うまい飯を食う
いいとこ数十万でしょ
いいとこ数千万?
つまらなさそう
案6 会社を興す
これもせいぜい数億じゃない?
それ以上だと自分のコントロール効かなくなるし、それじゃ株主だ
案7 大株主になる
妥当な線かもね
株主総会で盛り上がったり
案8 自家用ジェット
これだ! 数十億円かかるみたい
あでも、それでどこに行くんだ
出不精なのに
あと酔うからやだ
4ヶ月位で数千万とか言うのが出てきた
1年遊びまくって2億とか?
1日30万円くらい×365日=約1億
これはやってみたいね
BD5000本分くらい担保するとしたら1クール1.3億くらい? 意外とお手頃
と、無い頭で適当に考えてみたが、やはりそこまで面白くなさそう
なんだか夢がないなぁと悲しくなる
そういえば子供の頃「もし100億円あったら何するー?」の会話に、何て答えていただろう? 思い出せない
シナリオの教科書に失敗作の例として載せるべきなくらい支離滅裂な話だった。
戦後、日本軍と戦った南の島にそのまま住み着いた医師ディダムの元を、故郷ボストンから娘アメリアが尋ねて来る。ディダムに実家の海運業の株が相続されることになったのだが、彼がもし現地で家族などを作っていると「ボストンの慣習に照らして」道徳的に問題があるため、遺言状の条件により相続の資格を失う。それを暴いて相続権を取り上げるのが目的である。娘が来ると聞いたディダムの仲間は、彼の家族を隠そうとする…。
というと、まるで相続権を争って秘密を守り通す紆余曲折という話になりそうなあらすじだが、違う。まずもって、ディダムの仲間たちは相続の話は最後まで知らない。ディダムが回診で近隣の島へ出掛けているうちに、なんとなく「娘には新しい家族とか隠しとかなきゃいけないよね」で隠すのである。ディダムは島に帰って早々、娘に直接「株とかそういうの要らないし」と、自分がいかにこの島が好きかを語る。この時点でメインプロットは終わったも同然だが、何故かその後も惰性でディダム医師の3人の現地子(娘ふたり息子ひとり)の存在は隠されたままになる。
そもそも島の仲間は株のことなど何も知らないのだから、相続権を巡って必死に秘密を守る話にはならない。代わりに、ディダムの子供たちの偽の父親役を引き受けたドノバン珊瑚礁(店名)店主ドノバンとディダムの娘アメリアのロマンスが途中から話の中心になる。相続の話は知らないくせにアメリアに資産があることは「調べ」ただけで突き止めたフランス人総督が微妙にちょっかいを出してきたりもする。
しかしこれもよく見ると変な展開である。ドノバンはディダムの子供たちを隠すために父親役をやりながら、何故かアメリアの案内役のようなものも同時に務める。他に人材がないなら仕方ないが、隠すなら極力近づかないようにする方が良いのは当然である。このせいで、ディダムの子供たちと交流を深めたアメリアが、子供たちをディダムの家(つまり子供たちの家)のパーティーに招待したりして、変な感じになったりする。
結局のところ、この映画においては全ての出来事がドノバンとアメリアの交流を無理矢理作り出すためのヘタクソなお膳立てなのである。アメリアが島に来るために相続の設定をつくり、アメリアがドノバンに惚れるために、ドノバンがディダムの子供たち相手に「良い父親」を演じる状況を作り出す。
あげく、アメリアは島のそこここで見た「マヌラーニ(姫?)」の名前から、これが子供たちの母親であり自分の父の妻である事を勝手に推理し、そもそも相続の問題もなければアメリアに新しい家族に対する抵抗もなかったので、そのまま家族と和解し、本当は独身とわかったドノバンにプロポーズされて終わる。(この「マヌラーニ」の名前も、父親たちと一緒に戦った記念碑に名前がある、父親の病院がマヌラーニ病院となっている、マヌラーニの墓を教会で見かけた、だけで父親のプライベートな手紙に名前があったとかですらないので、よく当たり前に推理したもんだと感服せざるをえない。)
こんな「父親に現地妻がいたらすわ大問題、かと思ったらそんなことはなかったぜ」的尻切れとんぼな話が、脈絡のない乱闘シーンや、おっさんたちの「俺たちはよゥ…ここで戦ったんだよゥ…」という郷愁、ポリネシア?のエキゾチックな儀式とむりやりシャッフルされて映像化されたのがこの映画なのである。
長々書いたが、実際この映画のめちゃくちゃさを実感するためには、見た人の大半がストーリーを間違って理解している、という事実を指摘するだけで十分なのかも知れない。ともあれ、何がしたいのか理解するのに苦労する映画だった。
南の島の風景はよかった。
壇蜜がJCのDCからのセクハラを辞めさせたいという相談に回答したという記事を読んでみた。
正直、この人育ちが良すぎて本当のクズを見たことないんだなと思った。
まあそこが変な貧困風俗嬢みたいな男性への恨みになってないからあの芸風でやってられるんだろうけど。
まずDCがJCに「触らせろよ」「胸見せろよ」みたいなこと言ったことを「それはあなたに好意があるからちょっかいを出してるだけ」と言ってるけどそれは違うと思う。
それと一番違和感があったのが「本気で嫌だということを示すために女の涙を使うのも一つの方法」(回答ではそれはまだ早いと言ってるけど)、泣いたら解決どころか相手の思う壺でますますセクハラはひどくなるということ。
世の中には本当に性癖が歪んだクズ男というのがいて本気で相手を嫌がらせるためにセクハラをして、相手が泣き出すとそれを見て性的興奮を覚えたりするから。
そもそも「あなたのことが好きだからかまっているのよ」というのが昔から男に大事にされてきた女の意見であって、心底踏みつけにされる女の立場や自衛方法がまるでわかってない。
解決方法としてクズDCの手を握って「私は好きな人にしか触らせない」と言えばいいと言っているけど、これも一歩間違えたら「自意識過剰女」「ブスのくせにいい女気取り」とされる超危険な一手。
これを読んで「さすが壇蜜様」と思っている人は陰湿なセクハラの実態や、それをする男の本気で腐った精神を知らなすぎるというのが正直な感想。
青二才のはてな語りって全部kanoseと本物川の話になるんだが、世界のすべてが特定の人物中心にまわって見えるのって恋する乙女豚じゃねえか。
https://twitter.com/tm2501/status/747374936675647488
ある人が「はてなは日本の縮図」と言ってたけど、VCが言ってることと「kanose周辺の人達の時代のはてながネット文化の覇権を取れそうで取れずにオワコン化した理由」が完全に一致してるから納得!! / “なぜ日本ではスタートアップが…”
https://twitter.com/tm2501/status/747375566236508160
はてなの外にはてなのブロガーが出て行くようになったのは、本当に僕よりもちょっと後の日野瑛太郎さん以降であり、鈴木さん以降。
ドメスティックな争いを繰り返して煮詰まってのさばった人がひたすら若手をいびり続ける構造が、はてなを弱体化させたし、彼ら自身の消失を招いたわけですよ。マジで
https://twitter.com/tm2501/status/747375935863689218
まぁ、また「ドメスティックなはてな系」は増えてるんですけどねぇ。
はてなの中どころか、大学生とか、ミニマリストとかそういうもっと小さな単位で固まってるからもっともっと内輪感・身内ネタありきな空気が出ちゃってるけどねぇ…。歴史は繰り返すのよね…。
僕が言ってもアレだけど
ただひたすらに己の個性だけを追い続けてる人の書く文章は何年たっても「個性がある文章」ではあっても「読みやすい」文章にはならないでしょう。特に、文章構成力はいつまでたっても上がりはしない。
逆に読みやすさだけを考えて、個人的感情や、余計な就職表現の一切を省いて書き続けていても、「読みやすい」文章にはなっても「個性を感じさせる」文章にはならないでしょう。
あるいはtwitterで文章を書き続けている人にはまた別の方向性があるのでしょう。ワンセンテンスの縛りで、絵やAAを使った表現でいかに人を引き付けるかだとか、わかる人にだけわかるコンテキストの強い表現なんかもあるでしょうし。
先日、装飾系文章を書くのが得意な人が、整理系の文章を書く人が得意な人に対して、文章力がないって喚いてましたけど、後者から見たら前者は文章力がないように見えたのだろうなと思うと非常に面白いです。前者の人は、自分の物差しだけでいろんな人にちょっかい出しすぎてて井の中の蛙感がひどいので自分の井戸からでないか、出るならもうちょっと周りを見渡す知恵が必要じゃないでしょうかね。
http://anond.hatelabo.jp/20160612071123
おいおい頼むのよー
青二才がツッコミどころ多い記事書くなんてことはみんな知ってんのよー
そんな雑なツッコミもう100万回はされてんのよー
もうそんなんじゃ誰もよろこばないのよー
あなたは知らんかもしれないけど青二才って人はもう5年以上こういうツッコミどころのある記事書き続けてるのよー
もう昔からいる人はツッコミ疲れてるしありきたりなツッコミを見るのも飽きてるのよー
そりゃね以前は増田で青二才のバカな記事に対していかにクリエイティブにツッコミ入れるかが競われてたのよー
トラバじゃなくて増田でからまれたのは、マジレスするやつはバカって風潮があったからなのよー
モヒカンが多いはてな村でも青二才にちょっかいするやつは青二才の心の病気を加速させるからダメっていう話になったのよー
シロクマ医師がそれなりにまじめにコメントしてたけど周りからちょっかい出すなと言われて断念したのよー
上小阿仁村みたいなものでわざわざ関わるやつはバカって扱いになるから恐ろしい恐ろしいなのよー
青二才自身も最初はそうやってはてな村の炎上をPV集めに利用してたけどある程度人気が出てからは手のひらクルーして文句言うやつは通報するぞって言いだしたのよー
周りがいくら面白おかしくても自分へのツッコミで遊ばれてる本人は不愉快だから当然なのよー
でも読んでる側としてはツッコミどころいっぱいの記事書いて批判するな通報するぞっていうのはちきりんと一緒だし興ざめなわけよー
記事単体ではツッコミどころ満載で、ツッコミがないとまともなコンテンツとして成り立たないやつがツッコミを拒否したらコンテンツとして終わりなのよー
そんなわけで青二才は一時期鳴かず飛ばずになってちゃんちゃんなのよー
ところがおもちゃとして無駄に読者数が増えてた事情を知らない新人が増えてからは、青二才はしれっとはてなの重鎮みたいな顔をしてまた出てきたのよー
新規参入の人間にほめたたえられてるうちにだんだん勘違いするようになっちゃったのかもしれないのよー
その勘違いの集大成が、自分をレジェンドとかいっちゃう恥ずかしい記事なわけよー
そういう文脈っていうかー流れみたいなものを踏まえずにー真顔で誰にでもいえるようなつまらないツッコミをされても
前から青二才を知ってる人は新人か?力抜けよって気持ちにしかならないのよー
はてなの総意としてこの人はもうアンタッチャブルだからマジレスしちゃだめなのよー
今の青二才は文章まじめに読まずにすごいですねーっておだててたらお返しにツイッターで宣伝してくれるチョロキャラなのよー
そういう返報性求めてるやつばっかが群がって目立ってるだけだから気に入らないならスルーすればいいのよー
fusanosuke_n 気にいるとか気に入らないの問題ではない。間違いだらけの記事を上げてそれを信じてしまう人がいる限り突っ込みを入れ続けないと社会のためにならない
そう思うならブログでやればいいのよー。
はてブで言おうが通じないことくらいわかってるはずなのよー。
そういうへ理屈で中途半端にこの悪食な豚にからむからどんどんぶくぶく肥え太っていくのよー
よくそんな昔の覚えてたのよー。そういえばブログでメルマガの宣伝するのやめてるけどまだメルマガ自体は続けてるみたいで偉いのよー(読んでる人が)