はてなキーワード: お気楽とは
より陰湿で目だたなくはなったといえ1980年代の家庭内暴力や校内暴力全盛時と比べるとイジメそのものは減ってはいる。
先に指摘したとおりわれわれはすでに(良し悪しは別として)「学級の強い結びつき」を解体してきてる。
イジメの温床とされてきた詰めこみ教育やクラスごとの『近すぎる』人間関係はなくなっていき、
「各人が自由で快適な学習環境」を選択できるようになり学校は昔の『駅前カルチャースクール』の集合体になった。
もちろんそこで払うべき代償は(核家族化のときと同じような)人間関係の希薄化であり、
「イジメや差別、暴力やハラスメントをなくそう」という善意が結果的に『ひとはみんな他人』ネオリベラル社会を生み出してる。
「当然イジメは減るが余計なお節介(ハラスメントとのボーダーライン)も減るし助けあいも減る」と書いたとおり、
しばしば勘違いされがちだがハラスメントやイジメの副産物が助けあいであってその逆ではないので、
余計なお節介なしでは助けあいもない。断られても気にせずどんどんナンパしてかないとモテないのと同じ。
最初から適切な相手に適切に交わって相手もそれを返してくれるなどという都合のいい話はありえない。
特筆すべきは(これも指摘したとおり)『余計なお節介』の一例であり同時に『失敗した(上手くいかなかった)助けあい』
すなわち一般的には「嫉妬」と呼ばれる感情のいきどころ(人間関係が希薄になれば嫉妬も減る。
「『イジメを減らす』っていうのは『ライバル意識を減らす』ことだぞw(わかっとんのか?ww」と書いたとおり。
人びとが「学級」という概念にとらわれてた世相では『よいライバル関係とは何か?』成功譚として
「まんが道」のような作品が生まれ「自由で快適な学習環境」だと「やるだけやったがバッドエンド」が大衆の夢になる。
「でも…わたしは決して後悔しない…」みたいな(話の内容それ自体は)ヒデー話(誰も幸せにならない)に
人びとが感動するのは単純にこれこそがおとぎ話(現実セカイでありえない)だから。要はないものねだり。
学級が解体されカルチャースクールと化しイジメは減るしこうした作品に描かれてる余計なお節介もハラスメントも減るし
当然『ガチンコでぶつかりあう』ライバル関係みたいなのもありえなくなる。
とはいうものの「(ガチンコのライバル関係は確かに美しいかもしれないけど)人間関係めんどくさいからな~
都会の暮しのほうがお気楽だよ(孤独かもしれないけど自由がある」みたいなノリでは済まない。
イジメやイビり(例の「いちどだけしますあの大泉の時代の少女マンガの世界でアタシがどんなヒドイめにあったか」的な)
嫉妬や嫌がらせと不可分なライバル関係なくしてはいかなる学習も教育もありえないから、
ひらたくいうとイジメを減らそうとするほど人間はバカになるしもともとあった生得的な能力差から逃れられなくなって社会の格差が進む。
自分ひとりのマイプロジェクトがあって淡々と才能を伸ばしてけるひとなどいない。
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一応、書いてあることを羅列して句読点改行適当にやっておいた。
というのも、全部読んでみたけど何言ってるのか微妙だったからなんだが、
結局、こうやってまとめて読んでみても、やはり微妙かも知れない。
言っていることが端的に分かるようならツリーにぶら下げてくれると嬉しいぞ
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描きたいこと描き切ったからって最後まで手を抜くなよ!もし、あれが手抜きじゃないならそれはそれでやべぇぞ!
みんな既に似たような書いてることだと思うけど備忘録的に書いておく。
その後の展開は悪いとか酷いとかじゃなくて、この物語はあそこで終わったからもう満足したでしょ?って感じで、そりゃねーだろって。
この物語は竜が救われたという確信を持てて初めて終わるんだよ。
正直あの展開で竜が救われたとは思えない。
ただ親が謝る場面があるだけでもまだマシだったと思うが、何でそれすら手を抜くんだよ。
それともあれで本当に救われたと思ってるのか?ならdisってた児童相談所よりもよっぽど認識酷いぞ。
ガキに(親と)戦うみたいなニュアンスの言葉を言わせるのも酷い。
どんな映画でも「面白かったー」で済ます俺のお気楽な彼女(でもそんなお気楽なところが好き)ですら「あれで良かったの?」って言ってたぞ。
これ、かなりヤベェことだからな。
俺もどちらかと言うと細かい粗は見て見ぬ振りするお気楽映画鑑賞者だから、音楽も良かったし終盤までは楽しめてたのにラストで本当台無しになった。
中原:僕も80年代、中学生時代から高校生ぐらいまで8mmを回して映画をつくったりしていました。適当に物を投げたりして。全部フィルムは捨てちゃいましたけど。見せたかったなぁ、面白いのがあったんですけどね。最初に中学生の時作ったのは、本当に友達がいじめられてるところを撮って、あとはフィクションで、逃げ出して車にはねられて死ぬだけの映画。
中原昌也
@masayanakahara
友人としてガッカリ…人として嫌いとか、そういうことではないけれど…もう友達はやめよう。ってオレの友達やってるより、オリンピックなんぞに関わったほうが金儲かるのは確かなんだろうけどさ…などと落ち込むのは、このくらいで。この先に目を向けなきゃね(溜息)
https://twitter.com/masayanakahara/status/1415448048008712193
いじめを肯定する気なんてないけど、いじめに参加しないと自分がいじめられていた。いまならいじめるヤツらを虐殺するだろうけど、子供のときはそんな考えに至らない。ダメな人間を見つけて徹底してこき下ろすのがこの国の学校教育ってもの。関係なく偉そうに過去を断罪できる連中は幸せなもんだね!
https://twitter.com/masayanakahara/status/1416181911429521418
誰の擁護もしていないし(しているといえば自分)、そもそも自分がいじめる側いじられる側の体験も想像力もなし。ギャーギャー言ってるだけの輩はほんっと、お気楽なものね。
https://twitter.com/masayanakahara/status/1416222948369731584
いじめを肯定してないと、最初に言った通りで、自分は「いじめられる」側でも「いじめてる」側でもあったし、とはいえ当時の自分が当事者の自分が相手に謝る以外意味はないし、今現在の自分が誰に謝ったってあんまり意味があると思えない…それよりもオリンピックの開催を中止に!
https://twitter.com/masayanakahara/status/1416232933245939715
幼い思考のうちに「いじめる」側か「いじめられる」側かの岐路に立ったことない人間に、倫理の問題だけで善悪だけで偉そうに言われてもね!そりぁ「いじめる」が悪いに決まってる。それよりもいまはオリンピック阻止が重要。
https://twitter.com/masayanakahara/status/1416469869772431360
このほかにも「小山田圭吾の過去の発言にこびりついてた人たち。そのしつこさや厳しい眼差しを、どうかあなたの国の政治家たちに向けてください。」や「おれは偏見が甚だしいので、体育会系のヤツらなんかもっと酷いことさんざやってきてんだろー、オリンピックなんてアイツらの祭典だろーぐらいは思ってる。」や「「いじめた」側を糾弾し、絶対に許されるべきでない、という話を見るたびに、心を掠めるのは、「果たして、自分がそちら側になったことは、一切なかったのだろうか」という恐ろしい疑問。」といった、今回議題になっている暴行の希釈化、無効化をはかるような意図をもったようにも読めるツイートを複数リツイートしている。
よくある受験の手引や先輩の体験談で早いほうが有利だーとか、基礎が大事だーとかいろいろ聞かされふーんくらいしか思わなかったんだけど、進路指導先生の言ってたことをよく思い出す。
「人生は選択の連続です。大人になるということは選択肢を捨てて、意思決定していくことです。きっと子供の頃はみんなプロ野球選手になりたいとかお母さんに喋っていたと思います。けれど、今この場には、今から努力してイチローになれる人はおそらくいません。みんな自然と選択してきた結果が今なのです。
勘違いしてほしくないのは、イチローになれないことがダメなことではないのです。自分の選択を自分で決めていくこと、適当に流されず生きてください。そして、時間が経つうちに自分の選択に限界が見え、選択を変えることが多くあります。それはそれで、私は良いと思っています。大事なことは、自分の選択を肯定し続ける事です。一時的に隣の芝生は青く見えるかもしれません。けれど、大人になるということはいろいろな現実を受け入れ、過去の選択を肯定し、今を生きることが大事なんです。頑張ってください。」
要約するとこんな事を言っていた。
そうか、じゃあ自分が今抱いている劣等感、すなわち、同じクラスのどんなに勉強しても勝てないスポーツ万能の滝沢くんや石川くんに対しても、途中で退部して後悔している自分を冷ややかな目で見てくる元部活の仲間たちに対しても、きっとこのもやもやした隣の芝生は青く見える感情は一時的なんだ、大学生、社会人になって振り返ればちっぽけなことに過ぎないんだ!
そう言い聞かせて勉強を頑張って大学に入れば今までのことはチャラだ!
今ももちろん楽しいけどなんかこういう負債みたいな感情もそのうち忘れるんだな!
なんてお気楽に思いながらガリ勉して、めでたく無事第一志望に合格!これで万々歳!人生ハッピー、今までのことなんて忘れちゃえってなるんだ!
となったものの、大学生になってもモヤモヤは消えず、社会人になっても消えず、いつまでも高校生や大学生の時に抱いた「隣の芝生は青く見える」という感情がよく頭を巡っている。
上で書いたことは一例だけど、友情、恋愛、部活、就活、スポーツ、勉強、バイト、仕事、いろいろな局面で「こうしていたらどうなっていただんだろう…」「このときこの選択を取っていたら、今は違うんじゃないか?もっと幸せだったんじゃないか?」「●●さんはいいな…羨ましいな…」ということを常に思う。
なんというか、中学生くらいまではそんなことを考えてこなかったから、正直中学以前の選択で後悔やIfを考えることはない。
問題なのは、特にそれを自覚してからの高校生以降のそうした後悔というか自責というか、他者が羨ましく思えるという感情が積み上げ方式で心に溜まっていく。
何が何でも上に行こうとは思ってないお気楽勢
死んだらすぐに次いくし、仲間が殴ってきたり、嫌がらせしてきたら即抜けするし
落ちてた武器をこだわりなく拾って使うし、ピックするキャラだって不人気キャラで他の人と被らない
ゲーム始まったらなるべくハイドせず銃声のするほうへと行き、戦闘している
それで死んだら、しゃーないですましているし、仲間へ暴言なんて吐かない、それどころか仲間のことなんて覚えてないけどね
これでもランクマやっている、現在シルバー1であと少しでゴールド4に昇格する
ゴールド4になったらカジュアルソロで遊ぶつもりだ、デュオモードで仲間補充しないとソロで始まる、これはこれで楽しい
ほとんど敵はデュオなので一人に避ける戦闘時間は短めで、出会い頭に一発撃ち込まないと勝つことは出来ない
人生最悪
就労支援施設3カ月くらいで自信つけて再就職しようとしてたのに、質問したときの値段は各々で違いますってはぐらかされて、(年収225万退職後)実際通ったら8回通っただけで
毎月9千円以上払わされて、半年たっての全然変化ないし、女らしさを強要してくる女集団やら傍若無人な男集団の変な生徒ばかりで全然集中できない。
オタク男1人女1人がオタクアピールして耳からも目からもうるさいくて、オタク大嫌いになった。
日本男尊女卑の2次元オタクばっかし、イライライライラしてる。
日本って一建物に若い美少女キャラを模した物を置かないと気が済まないみたいで、他の国はそんなことないのに、もうこんな国に生まれたくなかった。
萌えキャラのボイスレコーダーで発表会なんて日常使いされたら集中できないから、スタッフに頼んだら話通してもらえると思ったのに、
「それの何がいけないんですか?私はそう思いませんでした」「あの場にいた人達は誰もそんなことを言っていなかったので、問題ないです」って、なんやねん
そこは、「辛かったですね」、とか、「本人にこういう意見がありましたと伝えておきます」、とかではないの?
落ち着いたアナウンスボイスとか色々あるし、わざわざ小学生を想定したような萌えキャラボイスレコーダーをチョイスする理由なんなん?って感じ
「女の子の声の方がみんなもうれしいでしょ」って、そんなこと思ってないから、もう思考が異常!!
面談無駄にして言ったら2・3週間かかって、「みんなそんなに気にしてませんでしたが、言っておきました」ってちょっと嫌な感じで解決。
で、考え方は変わらなくてあの手この手で、オタクが手法を変えて、発表会してた。
こっちは理解する姿勢で一緒勉強しようとしてるのに、この態度。
なんか言う度に、担当スタッフが否定的で荒い言動目立って最悪。
こっちも言いたくないんだからさ、いい加減方針決めるなりして、オタク生徒の異様な行動について考えてくれよ!
資格に力を入れているところにすればよかった。
社会人としてじゃなく、社会全体で女としてしか見てもらえないなら、死んでもいいんじゃないかと思うねんけど、男が頑張って妊娠してくれないかな?
就労支援施設で新しくできたメイクアップの単発授業がでて、担当スタッフも勧めてるしメイクに興味あったから受けたら、ひどかった。
いつもおしゃれしている(資格を取っているのか不明な)女性生徒に授業任せて、
メイク内容より相手に対しての敬意の表れであり最低限のマナーですって、化粧は絶対ですみたいな言い方の方が強かった。
その場で指摘しないと許容した扱いにすると前に言われたから、面談で発表の仕方に文句言って怒ったら担当スタッフがカンカンに怒って
「発表会の前に目を通してこれでいいと思いました、みんなそう思っています」って、全面的に文句言った方が悪いみたいな対応。挨拶無視してガン飛ばしてきて最悪。
2021年なんだからもっとアサーション教えているくせに棘のない言い方を考えないのかな。
人に教える授業だからちゃんとしようとか考えてないのが、ひどい。
適当すぎ、授業生徒に任せるとか超手抜きだし、怒ったら怒り返してきて女性担当スタッフとか、この就労支援施設、最悪。
メイクで一時の容姿気にしてもそれで昇進するわけでもなくただ肌とお金と時間に消費されるだけなのに、同性だけはそういう目で見ているとか普通に仕事できなくなるやん。
男の髭と化粧が同レベル扱いなの腹立つ。
毎回毎回就労支援施設に萌えキャラ人形とひざ掛けとか持ってきて周囲に見せびらかして自分誇示してきて最低、社会人になる気ないだろ!死んでほしい!!!
パパに言えば解決すると思ってるとか、夢見がちな奴だな。
パパに行っても解決能力ないし、日本の男は害悪行動しかしないよ。
この前友人と歩いていた18歳の男の子が、走行中の車に「うるさい」と注意したら、
3人組の男の子らに背中付近を刃物で複数回刺されて、死亡したニュースがあったけど、
男甘やかしてほったらかしたせいで、そのうちお前もひどい目にあうんだよ。
パパが解決してくれるかな~
男嫌い、就労支援行ってるけど、固まって席に座らないでバラバラに座って最悪、隣同士座れよ、固まって座れ!
急に萌えキャラ毛布持ってきたと思ったら、休み時間の度に毛布羽織って立ち上がって壁の方向いて、毛布の柄丸見えで気持ち悪いんだけど!
お前冬も半袖だったくせに、悪意あるだろ!無自覚でしてるとかだったら、死んでほしいんだけど。
スタッフも屑だし!
大学生だけど社会人になったら素敵なカーライフを送りたいので、今のうちに色々考えてみる。
なお、社会人でどんだけの収入になるのか全く未定だし、車以外にもやりたい趣味があるので、裂ける予算は少なくなると思う。
現実的な計画立てたいわけでななく、半分妄想みたいなもんなので、お気楽に読んでください。
★やりたいこと
・憧れの車を手に入れたい(お金がかかる)
・ジムカーナやサーキット走行などのスポーツドライビングをやってみたい(お金がかかる)
★プランAー激安軽自動車でスポーツドライビング&チューニング全振り
最有力プラン。車体本体価格が片手万円程度の激安中古軽自動車を手に入れて、フルバケ、四点式シートベルトなど必要最低限の装備を整え、余った予算は燃料代やサーキット走行費に回す。クルマの性能は二の次で、走行体験の楽しみと腕を磨くことにお金の使い方を全振りする計画がプランAである。
軽自動車でサーキット走るの!?と思われるかもしれないが、軽スポーツカー専門店が軽限定のサーキット走行会を主催していたり、東北660選手権なんていうレースが開催されていたりと、安くて楽しい選択肢としてさりげなく注目を集めている。無茶してぶっ壊しても、何とか笑って許容できるような金額で収まりそうなのもメリットだと思う。
しかし、やっぱり所有欲についてはイマイチなところではある。軽で数年間特訓して、満足なおカネと腕を手に入れたら、憧れのマシンに乗り換えたい。
チューニングについては、ぶっ壊しても割り切れるので楽しみやすいかもしれない。しかし、ゆくゆくは手放すことを考えると、必要十分にとどめておくのが賢いお金の使い方かも。
車体本体価格30万~80万ほどの中古車を狙う。NBロードスターやMR-S、セリカ(最終型)のような往年のライトスポーツや、フィットRS、コルトラリーアートのようなコンパクト系スポーツカー。さらに、アルテッツァやレガシィB4のようなスポーツセダンやスポーツワゴン(レガシィツーリングワゴン)も視野に入る。
この価格帯だと選択肢がだいぶ広くなり、軽に比べて質感やユーティリティが高く、所有欲を満たしてくれるような車種が揃う。GTRやランエボのようなハイパワー車と比べると物足りないと思われるかもしれないが、初心者が腕を磨くための車としては十分すぎるしちょうどいいと思う。ハイパワー車に乗る前に、ローパワー車の馬力を使いきれる実力を身につけるのが先である。
軽に比べて車体そのものの価格だけでなく維持費も高くなる。やっちまったときの修理費もかさむ。所有欲を満たしてくれるクルマも多いけれど、本当に欲しい車じゃない。しかし、プランAの場合は後々乗り換をすることを考えると、意外とトントンになるかもしれない。一度選んだ車と(適度にチューニングをしながら)永く付き合うなら、もしかしたらこのプランが一番いいかもしれない。
状態のいい憧れのクルマ(アコードユーロR or BMW ALPINA D3 BITURBO)を奮発して買って、大切に乗るプラン。ちょっとはサーキット走行できるかもしれないけど、街乗りが大きなウェイトを占めるようになり、腕を磨けるほどドップリ走りこむのはできなくなる。選ぶ車種によっては、現在進行形で続けている趣味にも支障が出る。
好きな車と共に暮らし、走れる喜びが、スポーツ走行の楽しみを上回れるか。
そもそも、大した腕もないのに、本当に良い車の価値などわかるのだろうか。若いうちは腕を磨いて、車の良しあしがわかるオッサンになってから選ぶべきプランなのではないかとも思ってしまう。
今回も引き続き、雑誌『映画秘宝』の中に蔓延っていた「ボンクラと云う『甘え』」について考えてみます。このような風潮が同誌の内部に醸成された一因として、町山智浩や高橋ヨシキらが「恵まれた境遇に生まれ育った/生きている」ことの影響を考えてみる必要が有ると思います。
と言うのも、恵まれた境遇で生まれ育った/生きている人間にとっては「生きるか死ぬか」と云う状況や「生き延びる為には泥水をも啜る」と云う覚悟は、所詮「他人事」であり、だからこそ彼らは身勝手なまでに好き放題できたのです。
これまでの投稿で私は「雑誌『映画秘宝』内部では一部の人間により業務の『私物化』が起きていたのではないか」と云う仮説を述べました。そして、この仮説に符合するような動きが『映画秘宝』最新号に見られました。
それは、同誌にアニメ作品の特集記事が掲載されたことです。この動きは「高橋ヨシキらが居なくなった『途端に』」と言えます。そこに私は「新体制となった『映画秘宝』編集部から、読者を始めとする外部の人間に向けてのメッセージ」が込められていると考えています。
そのメッセージとは何でしょうか?
私はそれを「これまでの『映画秘宝』では高橋ヨシキら『切り株作品好きの派閥』の一存で、アニメ作品などの特定ジャンルに関しては肯定的に取り上げないように抑圧されていたが、これからの本誌は変に気兼ねすること無く幅広いジャンルにも目を向けるように努めて変革する」と解釈しています。
仮にこの解釈が正しいならば、映画を紹介・批評するメディアとして実に「まっとうな態度」と言えるでしょう。
投稿(13)でも述べましたが、雑誌『映画秘宝』が生き延びるには、読者層を拡大することが避けて通れない課題でした。仮にアニメ作品を取り上げても、それが正しい戦略か否か、直ぐに読者層の拡大と獲得に繋がるのか否かは未知数です。しかし少なくとも、従来の『映画秘宝』が好んだ、自分たちと異なる趣味や嗜好を排斥するような閉鎖的で排他的な態度を、反省して改めていくという「ポジティブな可能性」を感じさせるものであることは確かです。
路線を模索して読者層の拡大を図り、それにより雑誌の生き残りに努める姿勢を打ち出した新体制『映画秘宝』の姿は、過去の同誌を主導していた『切り株派』よりもよっぽど「生きることに真剣かつ必死である」ように私には見えます。謂わば「生きる為の切実さ」を感じます。
これとは対照的に「読者の拡大なんぞ知ったことか!」「アニメが好きな奴らに読んで欲しくなんざ無えよ!」と云う強気な態度を取り続けてきたのが、高橋ヨシキら『切り株派』に主導権を握られていた従来の『映画秘宝』でした。
おそらく、彼らにとっては「『たかが』雑誌の生き残りの為に、女やアニメ好きに媚びる必要は無えよ!『そんな』事をするぐらいなら潰れた/死んだ方がマシだ!」と思えたのではないでしょうか。
この「思えた」「できた」と云うのが重要な点で、これは「そうすることが『できる』と云う『可能』」を表す物言いです。こんなことを「思える」上に「実行できる」のは、それをできる「余裕」が有るからです。
人は「食べるための苦労」をせずに済む「恵まれた境遇」なればこそ、「生き残る為に泥水を啜るなんて、みっともない真似するか!」と云う態度も取れるのです。
町山智浩と高橋ヨシキが早稲田大学出身者であることは、ファンやウォッチャーにはよく知られた話です。入学金や授業料が高額な有名私立大学に通うことが可能であった、こんな「お坊ちゃんたち」に、生きる為に泥水をも啜るような覚悟が生まれるでしょうか?もちろん「否」です。
そうです。彼らの本質は、何処かの首相の息子と同じく「お気楽な身分のお坊ちゃんたち」なのです。
ちなみに高橋ヨシキは、英語とフランス語がペラペラらしいですね。これは素直に凄いと思いますよ。しかし、そんな彼が非・都市部居住者や非・富裕層をあからさまに侮蔑する姿を見る度に、私は赤塚不二夫の漫画の登場人物であるイヤミを連想しつつ「やっぱり外国語能力と人間性の間には関係が無いんだなあ」と再確認する次第です。
柳下毅一郎は東大出身者ですが、柳下のファンやウォッチャーからは「翻訳・文筆の仕事だけで食えているのか?」「食う心配をしなくて良いぐらいに実家が太いんじゃないの?」と言われている様子です。少なくとも「爪に火をともして暮らしている」とか「糊口をしのいでいる」といったイメージは抱かれていない様子です。まあ、浮世離れした人間でなければ、海外のシリアル・キラー事情に詳しい特殊翻訳家稼業とか無理でしょう。
てらさわホークは…私はよく知りません。
恫喝DM事件以降に露呈した『映画秘宝』内部の対立に於いて高橋ヨシキの側に立つ『切り株派』ライター人脈を見ると「普段は会社員をやってます」的な人間が目立ちます。これは「食い扶持に悩まなくて済むから『映画秘宝』の売り上げも気にせずに済む」と云う条件にも当て嵌まるように思えます。
もっとも、この人たちの場合、自分で働いて身を立てているのですから、決して「お気楽な身分のお坊ちゃん」ではありません。少なくとも、奥様の稼ぎに助けられつつTwitter芸人としての活動に日夜勤しんでいる、何処かの誰かさんとは雲泥の違いです。
しかし、切り株派の「お気楽な身分」とは、結局のところ「他人に負担を押し付ける」ことで成り立っていたに過ぎません。彼らが好き勝手にしていた分の尻拭いを負担していたのが、他ならぬ洋泉社です。洋泉社としては雑誌の刊行を「商売」として成立させたかったのに、それを雑誌の作り手たち自身が「私物化」することで台無しにしていたのです。そう考えれば、休刊から復活を遂げた『映画秘宝』が、町山智浩らの古巣である宝島社に拾われなかったのも容易に理解できるでしょう。
泥水を啜る覚悟も持たず、負担は他人に押し付ける。このような姿勢については、まだまだ話を展開できそうですが、また長くなりました。