2021-05-15

隣の芝生は青く見える」という後悔の感情がいつまで経っても消えない

高校2年生の時、進路相談会で学年全員が集められた。

よくある受験の手引や先輩の体験談で早いほうが有利だーとか、基礎が大事だーとかいろいろ聞かされふーんくらいしか思わなかったんだけど、進路指導先生の言ってたことをよく思い出す。

進路指導先生

人生選択連続です。大人になるということは選択肢を捨てて、意思決定していくことです。きっと子供の頃はみんなプロ野球選手になりたいとかお母さんに喋っていたと思います。けれど、今この場には、今から努力してイチローになれる人はおそらくいません。みんな自然選択してきた結果が今なのです。

勘違いしてほしくないのは、イチローになれないことがダメなことではないのです。自分選択自分で決めていくこと、適当に流されず生きてください。そして、時間が経つうちに自分選択限界が見え、選択を変えることが多くあります。それはそれで、私は良いと思っています大事なことは、自分選択肯定し続ける事です。一時的隣の芝生は青く見えるかもしれません。けれど、大人になるということはいろいろな現実を受け入れ、過去選択肯定し、今を生きることが大事なんです。頑張ってください。」

要約するとこんな事を言っていた。

そうか、じゃあ自分が今抱いている劣等感、すなわち、同じクラスのどんなに勉強しても勝てないスポーツ万能の滝沢くんや石川くんに対しても、途中で退部して後悔している自分を冷ややかな目で見てくる元部活の仲間たちに対しても、きっとこのもやもやした隣の芝生は青く見える感情一時的なんだ、大学生社会人になって振り返ればちっぽけなことに過ぎないんだ!

そう言い聞かせて勉強を頑張って大学に入れば今までのことはチャラだ!

ももちろん楽しいけどなんかこういう負債みたいな感情もそのうち忘れるんだな!

なんてお気楽に思いながらガリ勉して、めでたく無事第一志望に合格!これで万々歳!人生ハッピー、今までのことなんて忘れちゃえってなるんだ!

となったものの、大学生になってもモヤモヤは消えず、社会人になっても消えず、いつまでも高校生や大学生の時に抱いた「隣の芝生は青く見える」という感情がよく頭を巡っている。

上で書いたことは一例だけど、友情恋愛部活就活スポーツ勉強バイト仕事、いろいろな局面で「こうしていたらどうなっていただんだろう…」「このときこの選択を取っていたら、今は違うんじゃないかもっと幸せだったんじゃないか?」「●●さんはいいな…羨ましいな…」ということを常に思う。

なんというか、中学生くらいまではそんなことを考えてこなかったから、正直中学以前の選択で後悔やIfを考えることはない。

問題なのは特にそれを自覚してから高校生以降のそうした後悔というか自責というか、他者が羨ましく思えるという感情が積み上げ方式で心に溜まっていく。

自分選択の結果をなかなか肯定できない。

これは大人になりきれていないだけなのか、自分との折り合いの付け方が分からない。

このままこんな負の感情がこれから数十年溜まっていくのだとすると、自分はどうなってしまうのだろうか。

  • ベストな選択をしてないからじゃない? 要するに人生のリソースって金と同じなんだよね。 安い粗悪品を買ったとして、それが別の欲しい物を手に入れる貯金のためだったとしたら後悔...

  • 勉強で劣等感があるなら勉強すればいい 部活を途中で退部した負い目があるなら再び部活に加入すればいい それをせず後悔してるってのは何もしてないけど勝手に改善してくれないかな...

  • どうなるんだろうね わかんないけど でもさ 過去の自分を肯定しすぎじゃない? 今現在の自分を肯定しすぎっていうか 自分自身を自分で肯定しすぎじゃない? 知ってる範囲だけで全...

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