はてなキーワード: 高学歴の世界とは
http://anond.hatelabo.jp/20150826143739
わかるわ。
逆に、高学歴の世界にも低学歴の人間ほっとんどこないんだよな。
高学歴の世界に、普通の低学歴がやってきても全然使えないからな。手間ひまかけて間引いてもらえるのを感謝して欲しいくらいだ。
その分高学歴の世界にやってくる低学歴の人間ってめっちゃ優秀だよな。
超スゴイ人たちがいう学歴なんて関係ないって話は、あくまで一定のレベル越えたら学歴なんて関係ないって話なのにな。
常識的なレベルなら、高学歴か、スポーツなどの世界で結果出してきた人間の方が優秀に決まってんじゃん。
そういうのなにもないくせに、高学歴は優遇されてるっていってるバカは、じゃあお前は何で評価したら優秀なの?言ってみろよって気分になるんだよいつも。
私は低学歴だ。
中学も普通の公立校に行き、高校も近いという理由で県内で下から数番目の高校に通った。
なんでそうなったか。っていうと、中学の頃にインターネットと出会って
当時は常時接続なんてなかったので、
テレホーダイという夜11時から朝7時まで1800円で特定の電話番号へ電話がかけ放題。というサービスをつかってインターネットをしていた。
インターネットの世界で生活していると、いろいろな面白いものに出会う。
私はプログラミングにのめり込み、ゲームを作ったりしながら日々過ごしていた。
高校を卒業するとき、成績の悪さから大学に行くのは諦めて、コンピュータ専門学校に行くことにした。
専門学校の授業は退屈だった。
その会社の新卒は早慶あたりが中心の会社で、しばらくそこで働いたあと転職することにした。
転職先は石を投げれば東大生に当たる。というくらい東大生だらけだった。
そして、私は気づいた。
東大生は育ちが違うということに。
早慶でも私からすれば高みなのだが、東大生は明らかに育ちがちがう。
前回の釣り師サロンで師匠の技を拝見してから、お書きになった記事を研究させていただきました。
それでこないだ遂に1900越えたんですよ! 増田の人気順で最初の1ページにランクインしました(証明のために末尾の”。”を”。。”に変えました)。
> 一桁ブコメのエントリをリライトして1000越えに持ってくんだから大したもんです。
師匠が教えてくれた技術のお陰です。ありがとうございました。これからも腕を磨いていくつもりですが、俺は理系上がりの素人なので、純粋な文章力では師匠やコンビニ店長なんかには一生敵う気がしません。
前回の暴露以後だと、↓の記事も師匠の技だと(勝手に)思っています。
コンサルってなんなの? この記事は師匠の技術がわかりやすく出ていて、教科書的に参考になりました(伸びてないのは、”コンサル”が想定していたほど、はてな民にとって縁がある職業ではなかったから?)
。
この記事も師匠のだと思ってたんですけど、違ったみたいですね。
引退なさるとのことですが、漁業組合の門戸は広く開放されております。気軽に戻ってきてください。師匠の文章は構築的で、ディティールがあって、俺は好きです。
http://anond.hatelabo.jp/20140724230700
これね。まず、
低学歴の世界ってのが話題になったことがあったけど
元増田の周りにそういう人が全く見当たらないとしたら、
うん、そういうことなんだよね、残念だけど。
元増田がそれまでに「バールを持っていなければと祈らなければならないような」感情の波を小さくする技術を覚えていれば、
彼らは彼らで
「結局のところ召使にして欲しい女」
「女の義務に反応する程にはリベラルだけど、男の“甲斐性”を否定するほどには平等を徹底できない女」
元増田が本当の意味で、男女平等を内面化できているかどうかが、そこで問われるんじゃないかな。
追記:高学歴の世界の男が全員リベラルだなんて全く思ってないよ。
少なくともそういう層がそれなりにいる、っていうだけ。
http://anond.hatelabo.jp/20130901220935
のポストを見て書く気になった。
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うちは両親が高卒で、親戚には中卒も多い。
貧しいくせに父方も母方も兄弟が多く、受け継ぐ畑がなかったとかで、
県内どころか隣接県にまで跨って親戚一同散り散りになっている。
みんな鳶職、土方、ライン工、その他低学歴っぽい職業の見本市。
同じ仕事でも大都市に出ればもうちょっと収入良いと思うんだけど、そういう発想はないらしい。
通ってた小学校では援助交際で子供を作った女子もぽつぽついたし、
親にネグレクトされててパン泥棒で糊口をしのいでる同級生もいた。
酒やタバコが悪いことだという発想なんてそもそもなく、
不良グループっていうのは女子を輪姦して新聞沙汰になったとかそういうレベルの話。
授業なんて半分以上成立してなかった。
僕はそんな場所に馴染めず孤立し、図書館で本ばかり読んでいた。
ネットもなかったし。
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歳の離れた従兄を東京の大学にやって、有名な電機メーカーに内定した。
みんな名の通った大学に進学していった。
僕は好きだった文学を楽しむためとある国立大の文学部に入った。
親も満足気だった。
親たちはみんな低収入だったけど、おかげで国公立なら学費免除も寮住まい余裕だった。
物価は高いけど、実家から野菜の仕送り+バイトで人並みの生活は送れてた。
だいたい都市のバイト代は高くて、頑張ったら親父の月収を抜きそうだった。
バイトとサークルの掛け持ちをしながらだったけど、そんな苦労をしたと思ったことはない。
幼稚舎から有名私立に通ってて月何十万も仕送りされてるのに「親から自立した」と豪語するボンボン、
親が教師で勉強一筋で鍛えられたという秀才君、17歳で酒を飲んだと悪ぶってる自称不良。
地元にいた「本物の不良」みたいな人も一人いた。
どいつもこいつもが馬鹿に見えた。
漢字を知らない、ことわざを知らない、日本の観光名所を知らない、ヨーロッパの国の位置を知らない。
なんで昭和初期の文豪の一人も読まずにこいつらは大学に来てるんだ。
なんだ、高い金払って塾でお勉強してきた連中ってのはこの程度なのか。
僕の中でどんどん歪んだ自尊心が形成されていった。
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ちょうどその頃、日本経済はリーマンショックの後遺症を抱えていた。
そして言われた。「君が学んできた文学とやらは我が社で何の役に立ちますか」
青天の霹靂だった。
成績も優秀だったし、表彰もされた。
「君が受けてるところは総合職じゃなくて、工場のラインじゃないか?」
それすら受からなかった。
工学部なら大学院まで行くのが「普通」なんだけど、もう勉強するのは嫌らしい。
秀才君は大学院からアメリカに留学した。数百万円の留学費は親がポンと出したらしい。
自称不良は大学院に進学した。後から聞いた話ではこれまた有名なメーカーの研究部門に入ったそうだ。
本物の不良は保険の営業に決まった。体当たり営業出来るタフさが受けたらしい。
「秀」の字が並ぶ成績表を見ながら僕は頭を抱えた。
年が明け、僕は卒論を提出するか悩んでいた。
新卒でないと就活は厳しい。しかし留年すると学費免除は厳しい。
卒論は我ながら酷い出来だった。もっと資料を読んでいれば、もっと深く有意義な考察が出来たはずだった。
しかし就活に忙殺され、一時は精神科にも通っていた僕に、そんな時間も体力もなかった。
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大都市にある、名前だけはどこかで聞いたことのあるような企業の事務所だ。
そこで見たのはよく見知った光景だった。
管理といえば聞こえは良いが、要するにサポート、補助、下働きだ。
大卒も高卒も関係なく採用されているポジションで、実際同期の過半数は高卒。
職場で交わされるのは、地元の祭で親父たちが交わしていた、パチンコと競馬と風俗の話。
僕は一度壁を超えて、そしてここに帰ってきた。
僕は壁のこちら側で生まれ、あちら側に行き、そして帰ってきたんだ。
いったいあの四年間は何だったのだろう。
夢だったのか、幻だったのか。
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地元の連中の中には地元で教師になり、警察官になった人間だっていた。
彼らは僕より学歴が低いけど、僕よりよっぽど良い地位と収入を得ている。
着の身着のまま上京して劇団に入って、苦労しながら生活してる奴のちらしももらった。
もう僕には彼らも壁の向こうの住人のように見える。
僕は、僕の親たちは、壁が学歴の間にあると思っていた。
大都市には夢があると思っていた。
夢はあった。でも掴み方を知らなかった。
※参考指標
カテゴリ別 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
合計 | 2users | 70users | 176users | 289users | 224users | 199users | 140users | 594users |
暮らし | 1 | 33 | 68 | 147 | 133 | 83 | 34 | 317 |
テクノロジー | 1 | 15 | 38 | 47 | 26 | 49 | 39 | 92 |
世の中 | 0 | 11 | 21 | 31 | 22 | 27 | 21 | 64 |
エンタメ | 0 | 2 | 6 | 9 | 6 | 3 | 34 | 31 |
アニメとゲーム | 0 | 3 | 11 | 12 | 7 | 15 | 17 | 26 |
おもしろ | 0 | 3 | 25 | 10 | 9 | 6 | 6 | 25 |
学び | 0 | 1 | 6 | 17 | 11 | 11 | 4 | 25 |
政治と経済 | 0 | 2 | 1 | 16 | 10 | 5 | 16 | 14 |
高学歴増田の話には、山羊座と土星と10ハウスが意味するものがよく表れていると思った。
西洋占星術、いわゆる星占いでは、山羊座は野心と自己否定の星座とされている。
野心が自己否定とどう繋がるのか、山羊座が強くない自分には今一つわからないところがあった。
自己否定が強かったら自信をなくして何にも挑戦する気にならなくなるんじゃないのか。
でも増田の話を読んで納得した。自己否定あっての努力であり、野心あっての自己否定なんだな。
土星は山羊座の支配星とされていて、成長のための試練を与える教育の星と言われており
土星が位置する場所は、自分の生き方を否定せざるをえないような苦しい問題が起きると言われている。
女性誌でおなじみのはてなダイヤラー石井ゆかりさんは、成長させてくれる星として土星を「土星先生」と呼んでいるけれど
人によっては、土星は星一徹やロッテンマイヤーのような影響を持つ星だと思う。
「一事が万事」で「明日のため」に、常に成長のために駆り立てられる高学歴の世界は
という高学歴増田の世界では、時間は「明日まであと何分」という風にただただ消費されていくものみたいだ。
西洋占星術ではチャート(いわゆるホロスコープ)を作る際、人生の様々な分野を12に分けて考える。※分け方については割愛。
10ハウスはキャリアとステイタスのハウスで、山羊座が担当する。10ハウスは土星を支配星とするハウス。
まさに医者や弁護士、大企業の重役など、社会的に認められ、成功する立場にある人たちの縦社会のハウス。
ひとつ前の射手座が担当する9ハウスは高等教育と哲学のハウスだけど
10ハウスは学んだことをキャリアに活かさなければ意味がない。
世界的に価値ある大発見だろうが、社会的ステイタスの向上にまったく貢献しない分野では意味がない。
(そういう縦社会から飛び出した新人類的な活動は、お隣の水瓶座11ハウスが担当する。)
そんなわけで高学歴増田の世界は、山羊座の国の土星人が住む10ハウスの話に見えたんだけど
こうして考えてみると山羊座土星的高学歴の国はちっとも優雅じゃない。
優雅さがあるとすれば、それは優雅であることがステイタスを得る上で必須だったからだろう。
遊びも仕事も家庭も結婚も友人も、すべてはステイタスを獲得、維持するため。
山羊さんもたいへんだ。山羊座の国の土星人でなければ耐えられないと思う。
一般的に山羊座と10ハウスが強い人は社会的に成功している人が多いので
いいなあ、うらやましいと思っていたけれど
これから山羊座や土星や10ハウスが強く影響している人のチャートをみたら
その心情をもっと思いやろうと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20130903002317
こうなるよ。天文学は賢い母。占星術はその愚かな娘
個人の心理が物事を動かし、それが星に現れていると考える心理占星術という占術がある。
彼女の言っていることが、いちいち経験者としてはわかりすぎて困る。
「元彼本人」は、増田の書いたことが全て事実であれば、増田のスペックのことなんか気にしないで仲良くいてくれるかもしれない。そういう人だから好きになったんだろうしね。
でも、高学歴の世界に住んでいる彼の周囲に住んでる人々が、みんな増田の元彼と同じように優しく寛容な心を持ってくれているわけじゃない。二人だけで付き合っている分には楽しくとも、結婚だの何だのという彼以外の人々との付き合いが視野に入って来た時、恐らく増田の首は今以上に絞め上がって行ったと思う。
別のトラバの人の言葉を借りれば、彼の住んでいる世界は『今日よりも明日、より良くなっていなければならない。より良く、より賢く、より豊かになっていること、それが「高学歴の世界」が求めるものである。失敗は許されない』という、先天的に努力と勤勉の概念が備わっている人間でなければいるだけで苦しい世界だ。
そんな彼の隣にい続けた場合、増田がその世界について辛さを覚えても愚痴は一切許されない。言葉に出せば全て増田への批判となって返って来る。
「彼を愛しているのなら彼の世界を知れるように努力しなさい。それもできない怠け者の女に彼は勿体ない。別れてあげなさい」という、意識高い勤勉系高学歴の方々から投げかけられる『能力のない/努力する気のないお前がクソだ砲』の威力の半端なさは本当に心を疲弊させるものだ。
加えて言うと、上の層の人々にとってはお前がクソだ砲の内容は完全にド正論であるので、元彼も恐らくその砲撃から増田を守ってくれることはなかっただろうと思う。
少し前に「彼は性格は優しく思いやりがあって何の問題もなかったのだけど、お持ち帰りのマックを二人で広げて食べてるカップルを見て『いい年なのに彼女にデートでマック喰わせるなんてあり得ないよな』と言ったことがあり、住む世界が違いすぎると感じて冷めてしまった」という記事を読んだことがある。
20歳過ぎてあんな豚の餌をデートの際の食事として選択するのは常識に欠けていると判断する人種も確かに世の中にはいるのだろう。増田の元彼も、どちらかというとそうした人種なのだろう。
しかし自分は先日出た豚の餌の極みみたいなサルサバーガーのビーフ味マジでうめえ再販してくださいと思ってしまった側の人間なので、あの世界から逃げ出して良かったと思っているしまったく後悔はない。(※なお今販売中のみんな大好きであるらしい月見バーガーは個人的にイマイチと感じているのでステマではありません)
http://anond.hatelabo.jp/20130903002317
この人、自分と同じ高校の出身だろうか。少なくとも高校に関して書いてあることは全部一致しているので、似たような環境で育ったことは間違いない。高校時代は学年最下位クラスの落ちこぼれだったが、東大・京大クラスの大学には入れた。大学でやった予備校のバイトで、「MARCHは夢」という世界を目の当たりにして驚いたところまで一致している。
昔、高卒で派遣社員の彼女と付き合った。お互いにグルメ好きだったので意気投合し、バラエティ番組とか、お笑い芸人とか、密度の濃い友人関係とか、今まで全く知らなかった世界に驚き、毎日のできごとの一つ一つが新鮮だった。が、まじめに結婚を考える段になると、子供の教育とか、未来像が全く描けなかった。
結局、その彼女と別れて、同じような学歴の今の妻と結婚した。それまで彼女とは学歴のことなど問題になったことがなかったけれど、あらためてそのことを指摘されて複雑な気持ちになった。それでも、子供の教育方針では良くぶつかる。今から考えても、高卒の彼女と結婚することは考えなくて良かったと思う。
上のリンク先の記事を書いた人との、考え方の違いの最大の原因は、学歴に対する見方の違いだと思う。おそらく、自分の能力に本当に自信がある人間は、学歴をあってもなくても良いものだと思っている。未来には無限の可能性があると信じていた大学時代の自分もそう思っていた。
ただ、実際働いてみると、学歴がないと、高度な仕事を与えられる機会が激減するということがわかった。学歴があるから、仕事の機会が与えられ、成長することで、次の仕事の機会が与えられる。大学卒業/大学院修了直後から、このサイクルを高回転させられる人と、下積みから初めて、ふるいにかけられ、それで初めて高度な仕事が与えられる人とでは、10年後20年後のキャリアの違いは歴然としている。卓越したコミュニケーション力+技術力 or 体力でもあれば別だが、そうではない自分のような一般人は資格とか学歴に頼るしかない。特に自分の業界では取得困難な資格はなく、プロジェクトの効率が、「一番頭の悪いメンバー」に依存することから、採用側から見ても、学歴は非常に重要だ。
MARCHも難しいと考えている子供の前で、「東大なんか入って当たり前」と言い放って、子供を追い込んでしまうような親にはなりたくないけれど、自分と似て、ちょっぴりコミュニケーションが苦手であろう子供には、それを克服して、グローバル社会を楽しむ方法を見つけてほしいと思っている。新興国の労働者と競争しつつ、上司に媚びず、客に媚びず、体を壊すこともなく、自分の成長を感じつつ、楽しく仕事をするための、有力な方法が、学歴だし、少なくとも自分はそうだったわけだから、結婚相手の学歴は無視できない。大学生の自分には、こんなことは理解できなかっと思うけれど、今はそう思っている。
そういえば、小学生の頃の自分は、なぜか、貧しい女の子が王子様と結婚するというストーリーの小説を良く読んでいた。そして、「王子様になって、貧しくてかわいい女の子と結婚するんだ」というよく分からん夢を描いていた。増田で言われている「高学歴の世界」を王子様にたとえるのは趣味が良くないが、少なくとも、「自分と違う社会階層の女性と結婚しない」という、物語の王子様と正反対の選択をしたことには変わりないだろう。
友達と話していても、似たような話は良く出るから、多くの似たような環境で育った人間が、同じような判断をすると思う。もちろん、そういう話はごく限られた友人でしか話さないから、表には出てこないけれど、実際にはそんな風に考えている。だから、自分から高学歴の彼と別れた元増田の判断は正しかったのではないかと思う。少なくとも本人が傷つきたくないという気持ちをかなえるためには・・・。
社会の問題と個人の問題は違う。
この問題について言えば、多くの社会調査が示す通り、学歴は再生産され、社会の階層は固定化されている。そしてこのことは、長期的な社会の安定の維持のために大きな問題であり、これを回避するためには、奨学金の充実が必要という意見があるかもしれない。しかし、学歴の再生産が問題だから、異なる学歴の人との交際を継続しないといけないとか、した方が良いということにはならないだろう。
全然わからなかったんだよね、どーも胡散臭いし金は持ってるかもしれんが実態がよくわからん。怪しい。
でも今日コンビニに「与沢翼成功の秘密~ネオヒルズ族の云々~」(うろ覚えです)
って本をみてわかった。
矢沢永吉に憧れてた田舎のヤンキーや土建屋のニーチャン的メンタリティの人間が今は都会でサラリーマンやってんのよ
それで今まで交わらなかった高学歴の世界と低学歴の世界が接近してこんなことが起こったんだな
うん、異論はあるだろうが俺は納得いった
しっくりきた
このエントリについて。
彼の頭が良すぎて萎えて別れた
わかるような、わからないような。読んですっきりしない部分があったので少し考えてみた。
このエントリの続編で触れられているように、この話の出発点には「高学歴と低学歴の世界の溝」の問題がある。
そもそもの問題として、「低学歴」対「高学歴」の世界の話というのはなぜ「低学歴」ポジションからの発言が多いのだろうか。それも「高学歴の世界」をポジティブなものとみなして、自分の所属する「低学歴の世界」をネガティブなものとして演出するという態度で書かれてるものが多い。
こういうタイプの文章がはてブを集めて多く読まれているのは、それを読むと読んだ人が心地良く感じるからではないかと思う。「高学歴の世界」の人はこういうのを読んで単純に優越感を感じる。一方こういう文章を読む「低学歴の世界」の人は、「低学歴の世界」にいながらにして自分は「低学歴の連中とは違うんだ」という意識を持っているような人なのではないだろうか。だから「低学歴の世界」が「高学歴の世界」に対して否定的に書かれていることに溜飲を下げる。「低学歴の世界」を批判することで、自分がそこから離れて「高学歴の世界」に近づけるような気がするんじゃないか。「低学歴の世界」に満足している人は、おそらくこの手の文章を読んでもピンとこないだろう。
では、自分自身は、こういう文章と向き合う時なにを感じているのだろう、と思った。こういう文章を読んだ時、私の胸には優越感などの心地よく単純な感情ではなく、言うも言われぬ複雑な感情がこみ上げてくる。
私自身はおそらく「高学歴の世界」に属する人間だろうと思う。曽祖父の代から大学教授の家系で、女性も祖母の代から高等教育を受けている。私は大学付属の小中高に通ったが、クラスメートの父親はおおむね医者か弁護士、研究者、大企業勤務のどれかだった。大学に入るときは、東大、京大、早慶上智、国立医学部までしか選択肢になかった。実際にクラスメートの大部分はこれらの大学に進学した。残りのMARCHレベルに進学した人たちが、私にとってとんでもなく「低学歴」の人たちだった。親類のなかでは東大京大以外は大学ではない、というくらいの認識であったし、私自身、ちょっと勉強すればだれでもMARCHくらい入れるものだと思っていた。この認識が変わったのは、大学に入って予備校でバイトを始めた時だった。どんなに必死で努力してもMARCHはまだ夢の夢という生徒が大勢いるのに衝撃をうけた。
こうして書くと自分は嫌な人間だなと思う。けれどこういった「高学歴の世界」が居心地のいいものだったかというと、そんなことはない。「高学歴の世界」は息苦しいものだ。「高学歴の世界」を定義づけるのは「今日よりも明日」だ。今日よりも明日、より良くなっていなければならない。より良く、より賢く、より豊かになっていること、それが「高学歴の世界」が求めるものである。失敗は許されない。一度失敗したものは、この日々の前進のルートから脱落し、また追いつくためには絶望的な努力を強いられる。「高学歴の世界」は失敗に敏感だ。私の両親はよく「一事が万事」と言っていた。たった一度失敗すれば、それは全て失敗したのと同じ。このスローガンに、子供の私は恐怖しか覚えなかった。遊びも教育の一環だった。教育的でない遊びは排除された。常に成長することが求められた。それは大人になっても続く。昨日よりも今日、今日よりも明日、より成長して改善していること。「高学歴の世界」を統治するのはこの原理である。
このような世界が自分にとって当たり前だったのだが、それはまたひどく息苦しくもあった。そこには「明日」と「未来」はあっても、「今日」と「いま」はない。なにもかもが「明日のため」であるとき、いまここに生きているという感覚はどんどん摩耗していく。今、この瞬間どんなに成功していても、それを100%として認めてもらえることはない。明日さらに良くなること、明日さらに成功することが求められる。それは絶え間ない自己否定でもある。この自己否定がなければ、改善も成長も望めないから。
やがて神経衰弱のような状態になって、ふとある趣味をはじめた。そこには私と同じような育ち方をした人もいれば、そうではない人たちもいた。このとき私ははじめて「低学歴の世界」に触れたのだと思う。その「低学歴の世界」のひとたちは、多くが高卒で、男も髪を染め、女性はミニスカートや露出の多い格好をしていた。タトゥーを入れている人もいれば、道端でケンカをする人もいた。この仲間のなかに入って、私ははじめて「今を楽しむ」ということを知った。お酒を浴びるように飲んで、馬鹿な話をして、大笑いして、そういうことをしても、明日のためにはならない。明日に残るのは、二日酔いだけだ。けれどその瞬間は、ものすごく楽しい。彼らは遊ぶことがものすごく上手だった。季節ごとにいつも楽しい遊びを考えていた。バーベキュー、花見、キャンプ、スノーボード。「今、この瞬間を楽しんで生きてもいい」ということを知ったのは、自分の人生が大きく変わるほどの体験だった。
こういう経験を通して考えてみれば、「うちらの世界」の価値観も理解できる。「高学歴の世界」は未来の為にという価値観がとても強い上に、一度失敗するとその損失を取り戻すのが非常に困難であるという認識を共有している。彼らにとって「バイト先での醜態を公衆に晒すこと」は大変な過ちでありなんとしても回避されるべきものである。一方「低学歴の世界」にとって大事なのは今この瞬間である。今この瞬間を楽しむことが何より大切でなので、その行為が未来にもたらす影響は考慮しない。今、バイト先の飲食店で食材をおもちゃにすることが楽しくて、目の前にいる友人を楽しませることができるのであれば、そのことがなにより重要なのだ。
「明日のために生きること」と「今を思う存分生きること」は、本来両立しうるものであるけれど、どちらかにかたよるとそれぞれ問題をひきおこすのだなと思う。自分の生きてきた世界のことは、みなよく知っている。だからこそあらも見えるし、別の世界に憧れもする。それはもちろん幻想なのだ。どの世界にも光と影がある。ユートピアはいつだって「どこにもない場所」なのだ。
さて冒頭の「彼の頭が良すぎて萎えて別れた」というエントリーであるが、これを読んで再びなんとも言えない気持ちになった。この人はなぜこんなに彼との間に線を引きたがるのか、そこに溝を認めたがるのか。なぜそこに溝を認めた上でそれでも相手を受け入れることができないのか。この場合、二人の間にあるのは「学歴の溝」ではなくて彼女の方のコンプレックスなのだと思う。自分が手に入れたくて仕方がないものを、もう自然にもっているように見える相手への嫉妬なのだろう。けれどそれは「毎日より良く」という価値観のなかで研鑽されてきた結果なのであって、同時にそのなかで切り捨てられてきたものも存在するのだと思う。そういう自分が切り捨ててきたものを恋人に求める気持ちが、私にはよく分かる。私が強く惹かれるのは同じ世界の人ではなくて、別の世界の、ある種の「生きる智恵」を持っている人だ。多く笑い、気楽で、今を楽しむ人だ。この話で、彼は彼女にたとえばそういう魅力を求めていたのかもしれないのに、紋切り型の階級差を持ちだして自己完結する姿になにか割り切れないものを感じる。
一方で、このエントリーで語られている話自体がすでに紋切り型のものであるとも言える。語り口が現代風であるというだけで、話の中身は明治時代からでもありそうな話だ。とりわけ語り手を男にしてみると、既視感が強くなる。身分差のある恋をした男が、バックグラウンドの違いを感じて、女を捨てる。「彼女の頭が悪すぎて萎えて別れた」と男が語る。あるいは女が男を思って身を引く。でも私達が生きているのは現代日本だ。好きなように生きればいい。相性が悪ければ別れればいいし、よければ付き合えばいい。けれど「高学歴」「低学歴」という単純な構図に当てはめて自分の生き方を縛るのは、愚かなことだと思う。自戒を込めて。
どもども。通りすがりのお兄さん、お姉さん、おっさん、おばちゃん、学生さん。今日も酔っ払ってるんだけどさぁ、昨日に続いてあたしの愚痴にお暇なら突き合ってくだせぇ。
あたしは昨日「彼の頭が良すぎて萎えて別れた」ってエントリを書いた者です。
http://anond.hatelabo.jp/20130901015011
何日か前に、「低学歴と高学歴の世界の溝」って増田がホットエントリしたじゃない?
http://anond.hatelabo.jp/20130809115823
今日の昼間にコーヒー飲みながら足りない頭で考えて思いついたんだけど、私が彼に萎えて別れた原因って、この溝を自覚しちゃったからじゃないかな、って。
彼のスペックが高いのは昨日書いたとおりなんだけど、彼の一家・親戚も高スペック。父親は某旧帝国大学の大学院卒で某有名企業勤務、母親も県立の教育大学卒で学校の先生。彼の親戚もハイスペックで、従兄弟に某大学准教授がいるって言ってたし、彼氏と同じ高校(つまり地域で一番の進学校ね)・彼氏と同じ大学(つまり某旧帝国大学ね)に親戚のお兄さん・お姉さんも通ってて、高校・大学選択、受験のときに、親戚の人たちからいろいろ情報教えてもらった、とか。彼いわく「兄はあんまり成績良くなくて、浪人するか迷っだけど、現役で東京理科大行ったんだー」って!
あたしは人口数万人の町の外れでコメ作っている両親の下で育って短大まで行ったけど弟は同じ高校出て専門学校卒。半数近くが就職して、残りは専門学校、短大・四大に行くのは20パーセント以下って感じのあたしの高校の基準からすると東京理科大なんて過去の卒業生で何人いたんだよってレベル。それを「あんまり頭が良くない」と。
彼氏は高学歴の世界で生きてきた人だから、私のレベルの世界を知らなかったと思う。彼氏の親戚も友だちもみんな高学歴の世界。対する私は低学歴の世界。高校卒業した時に地元で親戚のおっちゃんがやっている同族経営の小さい会社で働く?って話あったけど、断って短大行ったし、今も「地元戻ってウチで働かない?」って言われる。社長のおっちゃんは叩き上げで働き者で、良い人だけど、学歴なんていらんって人間。あたしの親戚はそんな人たち。
エリート一家で育ち、エリート教育を施されてきた彼氏が、ごくごく普通に披露する感覚に、越えられない溝を感じたの。
・旧帝大、早稲田、慶応クラスの大学に行くのは当たり前(←「え、女子が短大行くのはありかもしれないけど、男で高卒の人ってほとんどいないでしょ?」って真顔で信じている)。
・英語は読み書きできるのが当たり前(←彼氏は英語の勉強なんだって言ってイギリスのニュースサイトを毎日見てた。しかも普通に辞書なしであたしに要点を解説してくれてた)。
・歴史上に名前を残すような有名作家が書いた有名どころの作品を読んでいるのは当たり前(←ごめんよ、サリンジャーの名前自体知らなかった)。
・日本史や世界史の知識があって当たり前(←生類憐れみの令をうろ覚えだったあたしが馬鹿なだけ?)。
・近代日本の主要な政策とその政策を実施した首相くらい知ってて当たり前(←田中角栄の日本列島改造論知らなかったあたしが馬鹿なだけ?)。
・30歳くらいで安くても年収500万円くらいは貰えて当たり前(←彼氏の大学、大学院の友だちとの基準)。
彼氏は「え、だれでも努力すればこのレベルに到達できるよ」なんて言ってたけど、彼氏が披露する「普通」の基準があたしに無理すぎた。低学歴の世界の住人である私が高学歴の世界の住人の世界をちょっとだけ垣間見た経験として大事に取っておくよ。彼氏には同じ世界の女が似合うと思う。
私の都合で別れたのは本当に申し訳なくて、彼氏が「え、オレなんかダメなところあった?ごめん、気付かなくて。悪いところあったら言ってよ、直すから」なんて涙が出るような嬉しいセリフ言われたけど、低学歴の世界を知らない彼氏にはこの感覚を理解できないと思うし、理解しなくてもいいと思う。セックスのときにフェラしてあげたら「フェラは女性に奉仕させて女性を下に見ている感じがあるから好きじゃない」なんて紳士的なセリフを言う男なんてきっと金輪際現れないだろうが、あたしも自分にあった男を探すのが一番だね。
> 低学歴と高学歴の世界の溝 http://anond.hatelabo.jp/20130809115823
先日地元に帰ったら、そろそろ人生に絶望し始めてる連中が何人かいた。
4~5人、いやひょっとしたらフリーターなんてゾロゾロいたからもっとかもしれない。
25才の店長にコキ使われてる33才フリーター。ブラックだなんだという以前の人達。
思えば高校の頃堕落した青春を謳歌し、ゲームだバイクだタバコだなんだ、テストがあっても何一つせず、
周りも何となくそんな連中ばかりだから安心してか、目の前の現実をスルーして流されるまま生きてきた人達。
そのツケが眼前に立ちはだかり、気づけばパチスロ三昧(本当にパチスロしかする事がナイって言ってて、
昔のバンドマン時代を思い出して切なくなった)、負けて帰れば鬼嫁が待っている現実…。
おれはリアルカイジ(もしくは帝国住人)と名付けた。当然皆低学歴だ。
勿論その底辺にいても尚成功した奴もいて、おそらく、自分の頭で考え、流される事無くしっかりと行動できたのだろう。
そういう奴も当然いる。決して「低学歴=不幸せ」では無いのだ。というか幸せかどうかなんてそんなもん本人が決める事だ。
つらつら書いたが、こちらの勝手な思い込みで、絶望なんてこれっぽっちもしてない可能性もおおいにある。
逆に「高学歴」の称号を手にすることができても、無職の奴や失敗した人間もごまんといる。
「低学歴の世界」「高学歴の世界」と分けて認識する事は、90年後期から叫ばれ続けてきた、
「一億総中流階級から、上流・下流の二極化へ」突き進んだ現代日本に置いて、確かに意味のある事だと思う。
「地方の世界」と「都会の世界」、とか「非正社員の世界」と「正社員の世界」なんてのも当てはまるかもしれない。
しかし、親がDQNで学校もDQNだからそういう世界になりがちで、不幸になりがちだ、とかは、ある意味当たり前で、
じゃあどうすればいいかというと、環境とかそんなもんは関係無く、実にシンプルな話なのだ。
要は、「この世は奪い合いでできている」という事に気付く事から始まる。
この進撃の巨人的で実に厨二臭い、真顔では言いづらい残酷な世界の成り立ちを、ハッキリと思春期の内に認識する事。
新しいお店ができれば、古いお店が消え、誰かが儲ければ、誰かが損する。
そういう奪い合いの世の中(資本主義社会)で「お金が欲しい」のであれば、少数派になるしかない。
少数派とは「高学歴」になってお金をなるべく多くもらうか、特殊な技能を身につけてお金を稼ぐかの二択だ。
それ以外にお金をなるべく他人より多くもらうなんて虫のいい話、宝くじに当たるくらいしか無いのだ。
ではその二択を取るには、どうすれば良いのか?
これはもう、当然、努力しか無い。忍耐強く勉強をするか、好きな事・得意な事を見つけて、
努力をしなければ、遠慮なく他に全て持っていかれる。どんなDQN親だろうが、どこに住もうが、それは関係なく共通している。
親がいくら賢くったって、高学歴エリアだからといって、自動的に勝手に頭が良くなる訳ではないのだ。
ただ、努力した上で、「超一流」とかになったとしても、それでも運が悪かったりすれば、敗者になる可能性だって十二分にある。
それを踏まえて、じゃあ自分はどう生きたいのかを、人生の節目に選んだかどうかの違いだ。
ボーっと大学進学選んだやつもアホだが、同じ流されるのなら、まだそっちの方がマシだったって事だ。