はてなキーワード: 尚成とは
> 低学歴と高学歴の世界の溝 http://anond.hatelabo.jp/20130809115823
先日地元に帰ったら、そろそろ人生に絶望し始めてる連中が何人かいた。
4~5人、いやひょっとしたらフリーターなんてゾロゾロいたからもっとかもしれない。
25才の店長にコキ使われてる33才フリーター。ブラックだなんだという以前の人達。
思えば高校の頃堕落した青春を謳歌し、ゲームだバイクだタバコだなんだ、テストがあっても何一つせず、
周りも何となくそんな連中ばかりだから安心してか、目の前の現実をスルーして流されるまま生きてきた人達。
そのツケが眼前に立ちはだかり、気づけばパチスロ三昧(本当にパチスロしかする事がナイって言ってて、
昔のバンドマン時代を思い出して切なくなった)、負けて帰れば鬼嫁が待っている現実…。
おれはリアルカイジ(もしくは帝国住人)と名付けた。当然皆低学歴だ。
勿論その底辺にいても尚成功した奴もいて、おそらく、自分の頭で考え、流される事無くしっかりと行動できたのだろう。
そういう奴も当然いる。決して「低学歴=不幸せ」では無いのだ。というか幸せかどうかなんてそんなもん本人が決める事だ。
つらつら書いたが、こちらの勝手な思い込みで、絶望なんてこれっぽっちもしてない可能性もおおいにある。
逆に「高学歴」の称号を手にすることができても、無職の奴や失敗した人間もごまんといる。
「低学歴の世界」「高学歴の世界」と分けて認識する事は、90年後期から叫ばれ続けてきた、
「一億総中流階級から、上流・下流の二極化へ」突き進んだ現代日本に置いて、確かに意味のある事だと思う。
「地方の世界」と「都会の世界」、とか「非正社員の世界」と「正社員の世界」なんてのも当てはまるかもしれない。
しかし、親がDQNで学校もDQNだからそういう世界になりがちで、不幸になりがちだ、とかは、ある意味当たり前で、
じゃあどうすればいいかというと、環境とかそんなもんは関係無く、実にシンプルな話なのだ。
要は、「この世は奪い合いでできている」という事に気付く事から始まる。
この進撃の巨人的で実に厨二臭い、真顔では言いづらい残酷な世界の成り立ちを、ハッキリと思春期の内に認識する事。
新しいお店ができれば、古いお店が消え、誰かが儲ければ、誰かが損する。
そういう奪い合いの世の中(資本主義社会)で「お金が欲しい」のであれば、少数派になるしかない。
少数派とは「高学歴」になってお金をなるべく多くもらうか、特殊な技能を身につけてお金を稼ぐかの二択だ。
それ以外にお金をなるべく他人より多くもらうなんて虫のいい話、宝くじに当たるくらいしか無いのだ。
ではその二択を取るには、どうすれば良いのか?
これはもう、当然、努力しか無い。忍耐強く勉強をするか、好きな事・得意な事を見つけて、
努力をしなければ、遠慮なく他に全て持っていかれる。どんなDQN親だろうが、どこに住もうが、それは関係なく共通している。
親がいくら賢くったって、高学歴エリアだからといって、自動的に勝手に頭が良くなる訳ではないのだ。
ただ、努力した上で、「超一流」とかになったとしても、それでも運が悪かったりすれば、敗者になる可能性だって十二分にある。
それを踏まえて、じゃあ自分はどう生きたいのかを、人生の節目に選んだかどうかの違いだ。
ボーっと大学進学選んだやつもアホだが、同じ流されるのなら、まだそっちの方がマシだったって事だ。