はてなキーワード: 高学歴の世界とは
はてなで色々高学歴の世界と低学歴の世界について見たけど、本当に"低学歴の世界"なんて日本にいくつも存在すんの?超レアケースじゃない?って思っちゃう
私は低学歴でも高学歴でもないどっちつかず(一般家庭でいわゆるMARCH下位)なんだけど、高学歴の世界があるのは理解できる。
海外旅行バンバン行ってて当たり前のように海外のデパコス使ってるような人とか、付属校に推薦で入ったから受験を経験したことない人とか、えらく金かかる塾にずーっと通い続けてた人とか、他にも「マジで?」って聞きたくなる境遇の人はたくさんいる。
私は両親ともに田舎の高卒で、就職氷河期だったから大した会社にも入社できず、父親は中小企業勤務のサラリーマンで母親はパート。金がかかるからって言われ高校まではずっと公立、それから金銭面の問題で浪人も予備校行くのも許されなくて、だから参考書使った自力の勉強で、現役で行けるレベルの大学しか行けなかった。
中学は別にレベル高くなかったし、高校も部活で決めたから偏差値は低め。周りの友達にはFランと高卒と専門がたくさんいる。
ここまで書いたら分かってくれると思うんだけど、私は"低学歴の世界"で生きてた人間だと思うのね。だけどはてなにあるような"低学歴の世界"なんて見たことないし。
"低学歴の世界"がないとは言わないけど、超レアケースなのを大々的に喧伝してるだけじゃない?ってどうしても思っちゃう。だって信じられない。
世の中"高学歴の世界"と"低学歴の世界"の溝とか考えて絶望しちゃう人間なんて滅多にいないんじゃない?私だって、そこまで恵まれた環境じゃないと思うけど両親も今の大学も好きだし。格差是正とか言われてもピンとこないっていうか。
あと関係ないかもだけど、中卒とか高卒で働いて家族を養ってる人は立派だなぁって思うけどFラン大学生は皆嫌い。高い金を親に出してもらってそんなとこ行くなんて正気?って思う。
昔、田舎の公立小学校(といっても地方中枢都市クラスの住宅地だが)にいたことがある。
そこで授業参観で理科の授業をやることになったのだが、俺は当時からちょっと浮いていて、
まあありていに言えば「少し変な奴」認定を受けていた。
そんな俺だったが、理科・社会の授業はほとんど授業は真面目に聞いていなかったがなぜか成績はよかった。
俺は張り切って親にいいところを見せたくて、
先生の「シリンダーを押し込むと、スポンジが外に飛び出ました。なぜですか?」という質問に手を挙げて、
「シリンダーが押し込まれたので内圧が上がり、外圧より高くなったからです」と、元気よく答えた。
どうやらここは、授業で習った通りに『シリンダーの中の空気が押し込まれたから』と答えるべきだったらしい。
俺はなぜ笑われているのかわからなかった。小学生である同級生が、俺のことを笑うのはまだわかる。
だが、授業参観に来ている親のほとんども「何を言っているんだこの子は、バカなんだな」という顔で笑っているのだ!
なぜ笑うのか、まったく分らなかったが、結果としてその日から俺は「少し変な奴」から「バカ」に保護者公認で格下げされ、
いじめを受けることになった。
今ならなぜ笑われたかわかる。保護者のほとんども俺が言っていることが何となく理解できなかったのだ。
少数の仲のよかった(彼らも異分子扱いだった)友達は笑わなかった。その親もだ。
後で知ったが、仲の良かった友達の親は、大学職員、行政書士、パチンコ"メーカー"勤務など、
対してあざけりの表情をしていたのは───まあ、土地柄から察されるだろう。
もうすでに地元の"おな小"、"おな中"コミュニティとは10年縁切りだ。
大学の時は「大卒以外は人間とは思ってはいけない」などという傲慢な考えにとらわれたこともあった。
社会に出て、高卒でも俺より知識も技能もあるおじさんに揉まれて、
一概に括れるものではないということも分かった。
だが、たまに。
高学歴と低学歴の溝は「越えられる」かもしれないが、「越えてもらっては困る」というのが社会の正直なところではないかな?
僕は高学歴大企業の世界に生きてる側であるが、元増田が表現する高学歴の世界、大企業の世界は大変理解できる。
そこを踏まえて、言及されていないと感じたのは冒頭で述べた「崖を越えてもらっては困る」という意識・無意識の発想だ。
自分はずーっと考えてきたが、その差別的考えが頭にこびりついて答えが出ない。
聞いたことはないだろうか?
「勉強しないとあの人たちみたいになるよ!」
という言葉を。
今どきのCSRが浸透した世の中だとなかなか見られるものではないが、職業差別は「ある」。
下層の仕事とは何か?
これは収入の多寡ではなく、例えばトラックの運ちゃん、清掃員、工場のラインで刺身にタンポポをのせる仕事…挙げるとキリがないが、身の回りで中卒・高卒の仕事としてイメージはそれなりにあるのでは?
本当に脱・下層を推進してよいのですか?
https://anond.hatelabo.jp/20130809115823
これを読んで昔のことを思い出したので吐き出す。
僕は地方出身で大学進学と共に東京に来てそのまま東京で仕事をしているが、中学生のときに低学歴の世界と高学歴の世界の溝を感じた時の話。
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僕が勉強を教えた友達Tは小学校から同級生で中学も同じだった。田舎ではよくあると思うが小学校、中学校は家から近い公立校に通う人がほとんどで、そもそもそれ以外の選択肢があるのかはよく知らない。
Tの母親はスナックを経営していて、父親は何の仕事をしていたかは知らないが見た目はパンチパーマにゴツい金のネックレスをしているような明らかに普通の人ではない感じの風貌だった。Tは小学生の頃から金髪で緑のランドセルを持っていてなかなかに個性的だった。いわゆるDQNな家庭だったんだと思う。
Tは学校の成績はダントツに悪かったが、PCとかゲームにはめちゃくちゃ詳しくて、Winnyで音楽や映画やゲームをひたすらダウンロードしたり、ゲームボーイのマジコンを買って色々なゲームを入れたりしていた。小学生のころからよくゲームをしにTの家に遊びに行っていて、中学生になってからはTママのスナックで営業時間外であればカラオケをやってもいいと言ってくれていたのでよくTママのスナックに入り浸っていた。Tと一緒に遊んでいた他の友達には不良っぽい奴らもいたが、Tは見た目こそ不良っぽさはあったが体は細くて華奢だし暴力的なことは何もなかったし、どちらかというとオタク気質なタイプだったと思う。
その頃Tも含めた何人かの友達と僕は同じ美容院に通っていた。そこの美容師の人はちょっと意識高い系な感じで、一時期「次のテストで目標の点数をとったらご飯を奢ってあげる」というのを言ってみんなで勉強しようとなっている時期があった。中学生の僕らはまだ純粋で感化されやすかったので僕もTも他の友達もモチベーションが高まっていた。
その美容師の人から「Tに勉強を教えてあげなよ」と言われたことがきっかけで、僕の家でTと2人で勉強することになった。
TはPCとかゲームに詳しいことを知っていたし理系の方が好きそうだったのでその日は理科をやることにした。僕が持っていた教材の中から簡単そうな単語を埋めるだけの小テストが載っているページを選んで「まずこの10問を答えを見ずに全問正解できるようになるまで何回もやろう。途中で分からなかったらすぐに答えを見ていいから。」って決めてやってもらうことにした。
最初はちゃんとやってくれるか少し不安だったけど、Tはすぐに静かになって集中し始めた様子だったので僕は安心して自分の勉強をしていた。
そこから2時間くらい時間が経って「全問正解できた!」とTが言った。その時のTはすごく嬉しそうな表情をして「勉強っておもしろいね!」と言ってたのがめちゃくちゃ記憶に残っている。
結局3時間くらい一緒に勉強して、Tはめちゃくちゃ疲れた様子だったのでその日はそこで終わりにした。
Tの集中して勉強をしていた様子を見て、ちゃんと勉強すればもっともっと伸びるのにと思った。その日にやった問題は簡単なものだったし3時間もかけてやるのは遅すぎるのかもしれないが、Tはまだ勉強のやり方を知らないだけだし進みの大小は関係ない。
そこで別の日に僕は「同じ塾に入って一緒に勉強しようよ」とTを誘ってみた。Tは勉強の面白さに気づいたからか乗り気になってくれてまずはTママに聞いてみることにした。Tママは少し困惑した様子ではあったけど否定はせず「お父さんがいいって言ったらいいよ」と言ってくれた。
その日たまたま父親がTママのお店に寄ることになっていたようで、そのままの流れで一緒に父親にお願いすることにした。Tママの反応が悪くなかったこともあり、きっと父親はOKしてくれるだろうと期待していた。
しばらくして父親が来て、Tは父親に向かって「塾に行って勉強したいんだけど」と言った。
その父親はすぐに「塾~!?お前が勉強なんかしてどうすんだ!バカはバカなりに生きろ!」と一蹴し、いそいそとまた出かけて行った。
しばらく僕もTも呆然としていた。
その後TやTママと何を話したのかはよく覚えていない。
その一件があってから僕とTが2人で勉強することは一度もなかった。
高校に行ってからは付き合う友達も変わったのもあり疎遠になり連絡を取ることはなくなったし、高校生の間に2~3回くらいしか会わなかったと思う。
それから数年後、成人式に出るために地元に帰った時にすごく久しぶりにTに会った。いま何してんの?という話になり「東京の大学に行ってるよ」と話すと「東京の大学って東大!?」みたいな冗談を言っていた。その他はあまり覚えていないが、たわいもない話しかしなかったと思う。
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Tの父親に塾に行かせてもらうようにお願いをしたとき「そもそも勉強したいと言って親が止めることなんて有り得ないだろう」と僕は楽観的に考えていた。当時の僕は自分が恵まれた環境にいる事に気づいたおらず、自分の環境だけの当たり前を「世の中の全ての人の当たり前」だと思い込んでいた。
僕に向けてそれを言われたわけではないが、この言葉は僕の中に今でもずっと響いている。
Tは勉強のやり方を知らないだけだった。僕がTに教えたのは「答えを暗記すれば問題に正解できる」という極めて当たり前のことだった。
どんなに苦手な科目であってもひたすら答えを暗記すれば比較的短時間で80点くらいは取れるようになるというのを僕は自分の経験から知っていた。それと同じことを学校の先生も教えてはいるんだろうが、Tはそれを理解することも実践することもなかった。
たった3時間程度でさえもそれができるようになるまで付き合ってくれる人が周りにいなかった。
問題を正解できてもその達成感を分かちあえる人が周りにいなかった。
勉強をやろうと言ってくれる人が周りにいなかった。
そして偶然勉強の面白さに気づくチャンスがあった時に「勉強をしてみたい」という気持ちをサポートしてくれる親がいなかった。
TはゲームやCDをたくさん持っていて新しく発売したものもすぐに手に入れていたし、塾に行かせてくれなかったのは経済的な問題ではなかったと思う。
Tの親はブランド物や貴金属にお金をかけたりゲームやおもちゃはいくらでも子どもに買い与えていたが、塾に通うための1〜2万円を払ってくれることはなかった。
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自分にはTに低学歴の世界と高学歴の世界の溝を越えさせることはできなかった。
しかし仮にあの時に塾に行けたとしてもただ挫折させるだけの結果になっていたかもしれない。僕も結局Tのサポートをいつしか諦めてしまったわけだし、そこまで強い気持ちでTに勉強をさせたいというわけではなかったんだと思う。
誰かの人生の選択に責任を持つことなんて到底できないし、ただただ未熟な中学生の身勝手な思いつきでTを振り回してしまって申し訳なかったとも思う。
彼が本気で勉強をしたいと思ったなら塾に行かなくても勉強はできるし、父親に何を言われようと行動をしていたはずだ。
でも、だからといって行動することを本人のやる気だけに求めるのはあまりにも酷すぎる。
高学歴の人であっても強い意志を持って人生の選択をしてきた人が果たしてどれだけいるだろう?
僕は偏差値60くらいの理系の学部を卒業した。東大京大や海外の大学を出ていたり博士号まで取得した人などと比べれば個人的にはとても高学歴とは言えないが、日本全体で見れば僕も高学歴に分類されると思う。
そんな僕が勉強をやり始めたきっかけを考えると、勉強をしなさいと親に言われたからやっただけだった。兄弟が塾に行っていたからという理由で親に言われて同じ塾に通い始めただけだった。
いつしか勉強をすることが自分事になり自発的に勉強することができるようになったが、最初のきっかけは親に同調しただけだ。そこに「高学歴の世界に行く!」なんて強い意志なんか一切存在していなかった。
「高学歴の世界」にいる人たちは自分の強い意志があったから勉強をして大学に行ったのだろうか?
Tと同じ環境にあったとしたら果たして同じように高学歴の世界に行けたのだろうか?
僕は今エンジニアとしてIT企業で働いている。周りには高学歴で優秀な人がたくさんいる。
もしTがあれから勉強を続けてプログラマーになっていたとしたら、この世界を知っていたら、彼はどうなっていたのだろう。
今でもたまに当時のことを思い出す。
地元にいるとしたら田舎は結婚するのが早いし、もしかするとTには子どももいるかもしれない。
この先Tが自分の子どもに「塾に行って勉強したい」と言われたら彼はその子に何て言うんだろう。
あの日のTの父親と同じように「バカはバカなりに生きろ」って言うんだろうか。
もしそんな日が来るのであれば、Tは彼の子どもには違う返答をしてくれると信じたい。
母は未婚だった。
母は、決して悪人ではなかったが、(おそらく)知的障害を持っていた。
主に私の世話をしてくれたのは近くに住む優しい叔母だった。年に一度ほど会う、父親から送られてくる相場より多額の養育費だけが、生活の頼りだった。
所謂貧困であったのだと、今ならわかるが、周りには似たような家庭ばかりだったので、これが普通だと当時は思っていた。
隣に住んでいて、慕っていた年上のお兄ちゃんは、親につけられたという根性焼きの痕があった。
育児放棄されていて、給食が唯一の生命線だというクラスメイトがいた。
喧嘩沙汰で歯が折れ、治す金も無いからとそのままにしている先輩がいた。
学級崩壊なんか当たり前だった。
どこを見ても貧しさと無教養で溢れていて、私はそれになんの違和感も抱かなかった。
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私は一ヶ月ほど叔母の家に厄介になった後、23区内に住む父親の家に引き取られた。
そして、転入した地元の公立中学に通い始め、カルチャーショックを受けた。
非行に走る生徒もいなかった。
虐待や育児放棄なんてどこにも存在しない、理性的で正常な世界がそこにあった。
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幸いにして、叔母が勉強を度々教えてくれていて、勉強自体は好きで、成績も良かった。
日々終電近くで帰ってくる父だが、休日なんかに勉強の面倒を見てもらうことがあった。
そして、父の母校である某有名私大付属校に合格し、私はさらなるカルチャーショックを受けた。
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その高校は、港区の公立中学より、数段「高学歴の世界」の純度が高かった。
小学校受験し、代々その学校に通っていたりする家柄の人もいた。
わたしの居た世界では、中学受験ですら初めて聞くようなことなのに、私立の小学校を受験する人がいる、ということを初めてここで知った。
文化的なレベルも高く、趣味の絵がコンクールで大賞を取った人もいた。
人が人を何の躊躇もなく信頼できる世界。
彼らは「低学歴の世界」を一生知らないまま生きていくんだと思う。
なんとなく違和感を感じながらも、私は必死に「高学歴の世界」に適応し、馴染んでいった。
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高校の成績は良く、医学部に内部進学できるほどだったが、公認会計士になりたかったので、商学部に進学した。
「高学歴の世界」の純度は高いままだった。
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私が本来居るべき場所はあの大阪の薄暗いアパートの一室、荒れた世界だと。
父に買い与えられたタワマンで、幸福な暮らしを営むことは間違っていることだと。
私と「田舎者と貧乏人」の何が違うのだろうか。少し運が良く、「高学歴の世界」に突っ込まれただけの私。
「当たり前」とはなんなのだろうか。世界の壁をダイナミックに移動させられてしまった私には分からない。
って、知り合った女子高生が言ってたのがショックだった
俺の中で援助交際は「貧困にあえぐ未成年がしかたなく手を染める性的犯罪」だったわけで、なにか重い感情が背景には隠れており、その裏にはまた複雑な社会問題が隠れているのだった
でも彼女はあっけらかんに言うのだった「彼氏が最近構ってくれないから」
たしかに、彼女を幾通りにも深読みすれば「複雑な社会問題」を取り出せるのであろうが、俺にはそれをする意味も理由も動機もない気がした
彼女からすれば所詮ただの変態親父が意味不明なことを言っているに過ぎない
なんというか、当たり前ではあるんだけどこの世の中は岩波文庫やちくま文庫じゃ覗けないものがあるんだなってわかった
俺はそれなり高学歴の世界に身をおいてきてその世界しか見れなかったように、彼女たちもその世界しか見えないのだろうな
そりゃそれぐらいの高尚な世界、高い高い目線で世界を見下ろせば全てわかった気になる。でも、俺は全然わかっていなかった
なにも、そう言った文書にすべてが書いてあると思って見てたわけじゃない
「ああ、現実はもっとひどいんだろうな」とか「もっと多種多様、一人や二人では形容できないようなことが現実では起こっているんだろう」とは考えていたのだ
俺の文章を読んで鼻で笑うのは自由だし、以前の俺ならこの怪文書に対して「なんとなく気に入らず」ひたすらマウントして記憶の隅からも追い出そうとしていただろう
だがそれをしれただけでも良かった。世界は無数にあるのだ
東大せっかく入ったんだから、それまでの友人(増田含めて)を全部切ればいいだけ。
基本的に東大、中高のトップ校、エリートしか入れない企業にはいじめがない。知性があれば、いじめより面白い遊びはいくらでもあるから。
いじめる奴に好かれようと努力するのは無駄なだけでなく、有害ですらある。一切必要ない。
東大みたいな勉強だけで選抜された集団は、勉強ができることしか共通点がない。つまり、他人と同じになろうとすら思ってないような、真性の変人が結構いる。実は低学歴な世界より、ずっとずっと多様性がある世界なのだ。
だからここに登場したくらいの、ただの気弱な人間は、ドノーマル。たぶんこの人が憧れたであろう、「普通の人間としての自分」を享受できる。ようこそ高学歴の世界に。
昔に読んだこの記事がまた伸びていた。
バスケットのゴールからだんだんと遠ざかるように人間が配置されている画像。
ゴールから遠い=後ろにいる人間は、より近くにいる人間たちのことがよく見えていて、
ゴールに近い=前にいる人間は、後ろが見えないから自分が相対的に楽だと気づかない。
それどころか、自分より少しでも前にいる人間を見て羨ましがるという無限ループ。
記事でも触れられていたが、高学歴の世界にはそれはそれでまた別の
苦しみや争いがある。だから文句を言うなとかそんなことを言うつもりはない。
互いに前後を振り返れば、気が付くことは出来るのではないか?という話。
自分が生きている常識以外の常識が存在することを想定し想像する。
生涯を通して戒めにしていきたいと思った。
私はいわゆる低学歴の世界で生まれて、いまは高学歴の世界に身を置く者ですが、昨日、人生で初めて親の学歴と職業を聞かれました。
いたく感動しました。
大学時代、私が死ぬ気で入学したここに、滑り止めで来たって人がいました。
大学院で、「なんで学部はそんなとこなの?もっと上に行けたんじゃないの?」という人がいます。
私は答えられなくて困っていました。確かに、なんでだろうね?って自分でも思っていましたから。
でも、今は分かってきました。
たぶん、私は低学歴の世界で生まれて、大学に進学することなんて当たり前じゃなくて、私の大学でも十分高学歴だと思っていました。上には上がいるなんて、分かってませんでした。知識としては知っていても、そこには行けない(物理)と思っていました。だから、第一志望にすらしませんでした。
前に答えられなかったのは、私も何年かは高学歴の世界に身を置いて、それが分からなくなっていたからだと思います。
思えば、そういう人たちがやっぱり仲のいい人だったんだなと思います。
4月に大学院に入学してから、有り難いことに私と仲良くしてくださる人はたくさんいます。
でも、なんとなく違和感があって、なんとなく心を許せていない感じがしていました。
これはやっぱり、彼らが高学歴の世界の人間で、私が低学歴の世界の人間だからだといまは思います。いくら今の立場が同じでも、そこまでに至る経緯は全く違っていますから、コンプレックスを持ちます。家族旅行なんてしたことのない私と、年に1度は絶対に家族と海外旅行に行くような彼らと、価値観が似通っているはずがありません。
私のような人間が低学歴の世界から高学歴の世界に行くことができたのは、ネットがあったことと、親がたまたま低学歴高収入で放任主義だったということのおかげで、運が大きいです。
未だ低学歴の世界から高学歴の世界に移住するのは、不可能とは言わないまでもほぼ不可能であると感じます。
他の方が書かれているように、時々高学歴の世界の人間にイライラします。
高学歴の人間は、自分の運のよさを知りません。努力だけではどうにもならないことがあるのを知りません。
でもこのイライラは、私のコンプレックスからくるもので、私は一生このモヤモヤとしたコンプレックスを背負って行きていくのだろうな、と思います。
地方創生とか、都会と地方の学歴格差とか、地方の高齢化…とか言うなら、
各都道府県に満遍なく、偏差値60程度の大学を作ってください。
そしてそのまま戻ってこない。
私の地元でいちばんいい大学で、偏差値52~54程度の国立大学。(医学部の続)
高校を卒業してから地元で学びたくても、偏差値60を超えるような大学がなく
卒業後に戻ってきてもせいぜい1~2割程度。
そこに予算費やすなら初めから若者が流出しないようにしましょうよ?
東大に行くくらい優秀なオーバースペックな人材に戻ってきてくれと言う話ではなくて、
一度都会に出た方が経験がつめるとかそういうのはさておき、
そこそこ、そつなくできる層だけど、地元にいることを望んでるという人まで、
地元で自分のレベルにあうところがなくて、進学で県外に行かざるを得ず、
都会と往復しながらの学業と就活の両立しにくさで、結果、都会に就職…
と言うケースになったのを、
必死に取り戻そうとしたって、時すでに遅しでしょうよ?
立派な白い墓標(おっきい美術館とか図書館)とか作るお金があるなら、
優秀な若者の居場所である、まともな大学作ってくださいよ!!!
偏差値52以下の人しかいないとわかってる地元にわざわざ帰って
できない人たちと一緒に仕事をしなきゃいけないと思うのもげんなりするので
帰りたいと思えません!!
以上!
2013年に増田で低学歴と高学歴の世界の溝がヒットしたけど。
本当にその通りだと思う。少し昔話をさせてくれ。
うちの家は決して裕福な家庭ではないけど、貧しくもないような家庭だった。
中学校の途中で両親の離婚。私立の高校入学。と重なって子供ながらになんとなく自分にお金がかかることを申し訳ないと思うようになる。
高校卒業後、通信制の美容専門学校へ。(本来なら大学に行きたかったが言えなかった)
アシスタントの頃は朝から版まで燧なしにお客様のシャンプー・カラーをする。お昼が食べれないこともよくある。
スタイリストになってからは神経使いまくる。数字が全ての世界であるために『お客さまに喜ばれる。支持されるには』をずっと考えてる。
思ったように数字が伸びなくて苦しむこともある。来店スパンと新規顧客率を考えると結果はすぐには出ない。(伸びてくると楽しくなる)
お昼を食べれなくても肉体的に疲れても、営業時間に終わりはあるのでなんとか乗り切れてしまう。
『今日は頑張ったねー!疲れたねー!』なんてスタッフ同士で言い合って一日が終わる。
疲れると脳が動かなくなる。脳が動かなくなると考えることができなくなる。
一日一日をこなすだけで終わってしまう。
周りの美容師もそんな感じの人が多い。
日々の達成感を得るだけで、いっぱいいっぱいになり。
長期的にどうなりたいのか。どうなるべきか。どうなれるのかを考えている人が少ない。
それが凄く嫌だった。
理由は明確。美容師を続けていく上で明るい未来が見えにくいのだ。
独立したとして、多額の借り入れをし、週に一回しかない休みで(休みの日に講習会や撮影などはざらにある)、一人当たりの生産性が平均約80万(アシスタント使えばもっと増えます)程度しか生み出せないこの仕事で夢が見れるのであろうか。
(勿論、スタープレイヤーや多店舗経営者などで収入も多く休みを自由にコントロールできる人もいます。)
冷静に考えたら続けていくことが難しいと思うのだ。
だけど、それに疑問を持つ人も少ない。
他の世界を知らないから(周りも美容師しかいない)からわからないのだ。
さらに言うならば『誰も教えてくれない』のだ。
自ら疑問に思い、調べるしかないのだ。
類は友を呼ぶではないが。自分の周りにいる人は自分と同じレベルの人しかいないのだ。
だから辞めようと思った。
自分が変わりたいから、周りの人たちや環境を変えてたいと思った。
もうすぐ30だけど。全部捨てて大学に入り直そうと思う。
低学歴だけど、なんとか頑張って今から少しでも持ち直そう。って方々。
共に頑張りましょう。
http://anond.hatelabo.jp/20170204225930
これ読んで考えたけど、やっぱ勉強はしておいたほうがいいなあって思うんだよね。
自分は田舎の公立高校出身で、受験に対する姿勢も勉強に対する姿勢も弱い環境だった。
それが高3のある日、友達と勉強で勝負しようってなって、そこから勉強するきっかけを得て、旧帝大に受かった。
まあ東大に比べれば大したこと無いけどね。
ただ、本当に偶然学歴を得たと思うんだ。
そういう意味では、以前話題になった「高学歴の世界」と「低学歴の世界」の両方を何となく見てるので、
私の意見が参考になれば幸いです。
勉強しない層の価値観だと、勉強しなくても金持ちはいるし、コミュ力の方が大切だと思われている。
これは実際間違ってなくて、高学歴でも就職してからは技術職であってもコミュ力がモノをいう環境の方が多いだろう。
高卒でもアパレルやコンサルや飲食で起業して稼いでいる人もいっぱいいる。
厳密な知識や学問があまり重要で無い分野では、正直学歴なんて必要無い。
勉強で言えば読み書きそろばんができれば十分だ。微分積分や行列、群論や複素関数なんて一般の人は使わない。
だから「自分が生活していく」ことを考えれば、別に勉強なんて不要だ。
幸せかどうかも周囲との相対的なものなので、変に優秀な友達ばかり作るとかえって幸せに感じにくくもなるだろう。
だけど、それでも勉強はしておいたほうがいいと思う。
元増田の娘は頭がいいだろう。論理的に物事を考えることができる。
その場合、周囲に論理が通じないとストレスが生じやすいと思う。
こうすればみんな幸せ、こうすればもっと良くなる、なのになんでしないの?
なんて考える機会が圧倒的に減る。
理不尽に声出しさせられたり、嫌いな人を家族愛でつつめ!なんてわけのわからないことを言われないで済む。
泣く子と地頭には勝てないというのは、論理で対処しようとしない集団には論理は無力であることをうまく表現している。
だから、自分が論理的な行動を大切にしてしまう場合、論理的な集団に所属することが幸せになる重要な条件となる。
2つ目は、たくさんの人を幸せにできる力を得ることができることだ。
だが、多くの人を幸せにしたり、世の中の理不尽を減らすには、いろんな知識が必要となってくる。
発想は知識の量に影響を受けるので、知識がある分、いろんな方策を考えることができるようになり、それをもって主体的に世の中を良くしていくことができる。
また、論理的でない人をどう変えるかということも複眼的な戦略が必要となる。
自分勝手で、反社会的な態度の人と切っても切れない環境というのが世の中にはある。
そういう人たちを全て切り捨てるのは現実的では無い。切り捨てた人間が多数派になった時に割りを食う可能性もある。
だから、彼らがそうなった原因だったり、どうすれば考え方を変えることができるか、なんてのもいろんな知識や経験が必要になる。
「自分がそう思うから」だけで物事を進めていくと、感じ方が違う人との軋轢を生むことになり、不幸になる人が発生してしまう。
チャームは魔除けって意味だけど、学歴は魔除けとしては非常に優秀だ。
転職や就職でも学歴があれば相手の見方も変わるし、ずっとニートをしてても学歴がいいからもしかしたらすごいのかもと思ってもらえたりする。
それと、世の中には権威主義の人が跋扈していて、論理じゃなくて、どんな人間が言ってたかでしか是非を判断できなかったりする。
そういう相手から切り捨てられたり、学歴至上主義の人間から不条理な差別を受けないためにも、この魔除けはかなり有効なのだ。
それを凌駕する才能があればいいが、そんなものを持っている人間はごくわずかだ。
もし娘さんが突出した何かを持っていないのであれば、学歴チャームを持っていない場合、ただの偏屈な嫌な女になってしまうだろう。
そういう生きづらさから守ってくれる、不可視なお守りが学歴なのだ。
大学(と大学院)を卒業して思うのが、まだまだ勉強は必要だなあと思っている。
経験や勉強なくしては、自分はだれかの意見を垂れ流しているだけで主体性が無いなと感じてしまうのだ。
人生で一番辛いのは主体性を無くした時だから。そうなる時、生きることがバカバカしくなるのも理解出来る。
それを防ぐためにも、主体的な自分を手にいれるためにも、お勉強だけじゃ無い経験も含めた勉強は重要だと思う。
ただ、学歴だけは若いうちに手に入れた方がいいので、今は受験に関わる勉強をした方が効率はいいと思う。
余談だけど、学歴だけが欲しい人ってのは受験や仕事で使わない知識や経験を軽視しすぎていると思う。
経験も知識の一部なんだけど、俗的な合コンやナンパやクラブやゴルフや登山やサーフィンや釣りやスポーツなどなど、
どれも勉強になる面はあると思う。
理系の同僚は行動力がなくて、権威に認められた知識以外を軽視しすぎて考え方に偏りが多い子が多かったから。笑
(理由をいろいろつけてたけど、多くは傷つくのが怖いとかバカにされたくないとかそういうことだった。)
なので、こういう経験もいずれは手に入れて欲しいなと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20161215080543
今さらだけど、このエントリとおすすめに出てきた関連のいくつかを読んで愕然とした。
家族・親族に旧帝大卒はもちろん、東大卒も何人もいる家庭で育ちました。
おそらく、関連エントリーで描写されていた「高学歴の家の子」にあてはまるのではないかと思う。
正直に言って、関連エントリを読んだときの自分の気持ちは「悲しい」でした。
私は自分が勉強したことを知っているけど、決して頭がいいわけではないことも知っています。
高校受験のプレッシャーから解放された私は、中学後期から高校前期にかけてろくに勉強をしていませんでした。その結果、大学入試に本腰を入れて取り掛かる頃には散々たる模試の結果ばかりでした。
そして、数年のブランクをたった一年でとり戻せるような頭の持ち主でもなかった私は当然のように浪人しました。浪人中に必死に勉強したからなんとか今の大学に入れたわけです。
兄弟も同じです。そして、高校時代の友人も、大学に入ってできた友人も(努力しなかったから成績が悲惨だった時期があったのかはともかく)、大多数はものすごい努力をして成績を取ってきている。
私は高学歴の世界とやらに生まれた特別な人ではないし、優れた何かを持っているわけでもなく、ただ愚直に勉強しただけです。
高学歴の世界だなんて、そんなよくわからないものをいつのまにか背負っているのだとしたら、怖すぎる。
Twitterで回ってきたので、これと付随するいくつかのブログの記事を読みました。とても興味深くて面白かった。
父親はサラリーマンではないけれど、リンクした記事の高学歴の世界の住人の特徴(?)には大方即していると思う。
私立小中高を出てそのままの流れで大学生になった。浪人する人はいたけれど、大学に行かないという選択肢を持つ同級生はいない。
「実は日本に大卒ってそんなにいない」という文をみて本当に驚いて、大学進学率を調べた。だいたい50〜60%くらいらしい。
これが多いのか少ないのかは正直わからない。でも、大学に行かない40%強のことを自分は知らない。今数値としては知ったけれど、実感はない。どうやって生きてるのかもわからない。自分の世界にはいないから。
ギャンブル中毒とかホームレスとかも同じで、情報として知ってはいるけど知らない。
ギャンブル中毒の話はNHKでやっていたし、ホームレスは夜の新宿駅で見た。
極端な言い方をすれば、自分はそういう人たちを「同じ人間」だと思っていないのかもしれない。少なくとも、圧倒的少数派だとは思っていた。1億2千万の日本人のうち、ホームレスは新宿駅にいる十数人だけで、ギャンブル中毒なのもTVでインタビューしていた数人だけだと、理解とは別に感覚的にそう思っている。
だって身の回りにそんな人はいないのだ。新宿駅は日本でも有数の大きな駅で本当に色々な人がいるから、人口の0.01%にも満たないような人たちが存在するとしか考えられない。そこから電車で10分離れた田舎にある最寄駅では、地面に寝ている人は酔っ払ったサラリーマンか具合の悪い人で、ダンボールと生活用品を持っている人は倒れてないのだから。
大学で知り合った友人が高校の時にアルバイトをしていたという話を聞いて、すごい!偉いね!と言ったら怒られたのを覚えている。世間では珍しいことではないらしい。
けれど自分が高校生のころ、ローソンで冷凍庫に入った高校生の写真が炎上した時、友人との間で「高校生なのにアルバイトしなきゃいけないなんて大変だね、かわいそうだね」という話が出た。当たり前に高校生でアルバイトをする=普通ではないと思っていた。
同じ大学内、ある程度似通った生活環境の人が集まるところですら齟齬が生じる。
「普通」は自分の育った環境で定義されてしまうし、その枠外を理解はできても実感することはかなり難しいように感じる。
溝は確実にあるだろうけれど、基本的に人はその溝に無自覚だと思う。溝を超えること、価値観を理解することは可能だとしても同じ価値観で生きることは多分できないのだろうなと思った。
http://anond.hatelabo.jp/20140507012359
えらい昔だが、オススメエントリーにあがっていたので、なんか思ったこともあってこの人のように上手くは書けないが書いてみる
生まれ育ったところは、地方県の電車も通らない山の中で、バスも1日に朝と夕方に2本づつ程度しか出ていない。
スーパーも広大な村に2件しかなく、売れないから新鮮なモノはほとんどなく
冷凍販売じゃないものも冷凍されて売られている(賞味期限が切れる前に冷凍される)
かといって、針葉樹林で紅葉もせず、景色が特別良いわけではない。
噂話が大好きで、隣の夫婦はけんかが多いだとか、あそこの家はしつけをしっかりしていないとか、公民館の会議に出てこないだとかの噂話ばかり。
隣町にいくにも峠を越えていかないとたどり着けない。
そんな村にある中学校は、1学年2クラスで70人くらいしかいなかった。(案外多い?とにかく面積は広大な村だった)
友達というのは都会だったら気の合う人と自然と仲良くなっていくのだと思うが
例えばこんなこともあった
「カネ持ってこないと殺す。明日XX時にXXへ来い」と電話をしてきたこともあった。
(姉はいじめられていたわけでもなく、手当たり次第電話していたのだと思う)
(その不良は僕が25歳くらいの頃に交通事故で亡くなった)
僕が小中学校の頃に一緒に登下校をしていた同級生は、暴走族に入り高校を中退
その後、その彼は19にして某事件を起こし逮捕され,懲役4年となった。
(彼の力を借りたこともあった。18の頃予備校の同級生が街で暴走族に囲まれてリンチされた。
彼に相談すると、その暴走族を特定し、その集団を集め謝罪と今後手を出さないことを誓わせてくれた)
(その事件の半年くらい前に会ったのが最後で、二度と会っていない。消息不明)
そんな村で育った割りにその頃の僕は、中学ではトップクラスで成績も良く普通の人だった。
偽善かも知れないが、どちらかというとクラスのいじめを撲滅することが生きがいだった。
同学年の不良も僕に手出しをしてこれないことを、ここぞとばかりに活用した。
(中学の頃の庇護もなく、クラスの人からは、3年間無視されるという闇にもはまった。
これに運良く耐えられたことがストレス耐性を得ることに繋がったのかもしれない)
(ちなみにいじめられたきっかけは、授業中居眠りしている前の席の人に、先生にあてられそうになっていることを伝えようと、消しゴムのカスを飛ばしたことが発端だった)
それでも1浪して学費のかなり安めの関東の3流私立大学に、返済ありの奨学金で通うことになった。
3流大学あるあるだと思うが、入学するとみんなモチベーションが低い
狙って入ったというより、滑り止めで本当はこんなところに来たくなかったとみんな文句を言う
専門学校のように技術力を高めるような講義が多かったが誰も真面目に講義を受けていないし
飲み会だの、サークルだのが中心となっている。大学院に入るやつなんて全然いない。
そして卒業後の就職も、びっくりするぐらいの3流企業のリストが軒並み勢揃いしていた。
僕の悪いところは、そんな中、大学にも通わず、遊び続け2年も留年した。
クラブに通ったり、ホストをやってみたり、絵に描いたような堕落具合だった。
本当に親に迷惑をかけた。
そんな中、ようやく卒業した。
そこで僕には、変な能力があることに気付いた
(前述:高校の時に培われたモノかも知れない)
僕はバカなのか、これを2年も続けた。(1周すると、部署を変えて何度でも電話をかける)
3ヶ月ほどやると、1日にアポが1件か2件とれるようになった
1年ほどやったら、案件が2本くらい取れた。
精神的にけっこうくるので、後で入社した人はみんな2週間ももたずにやめていったが
こんなことできるの自分しかいないと思い頑張った。それだけがモチベーションだった。
その後のどの会社に行っても、業種・業態の違いから発生する課題やポイントの把握が得意になった。
また、徐々にではあるが、堂々とプレゼンすることができるようになった。
会社としても、使えない新卒をこきつかって潰してやろうくらいの感じだったと思うが
思いのほか戦力になったことで喜んでくれたようだった。
しかし、何の才能も技術もない、期待もされてないで、当然給料も安かった(年収240万程)
その後、冷静に考えた
どうせ今の僕ではどこへ行ってもさしたる技術もなく使えないし、給料は安い
30歳までにいろいろ給料は安くても広告界隈の経験と知識を積み
30歳をスタート地点にしようと
そして、1社でキャリアを作るのではなく、いくつかの仕事をしっかりステップを踏んで総合的なキャリアを作ろうと考えた。
例えば:デザイナー→デザイナー→デザイナーみたいなキャリアではなく
営業→デザイナー→エンジニアみたいな感じでトータルでしかできないキャリア
やはりほとんど給料は上がらないが、専門的な知識と技術が身についた。
過去の友人などはほぼリセットしたといっていいほど会わなかった
というか会えなかった。
まず遊ぶお金をそこまで工面できなかった。
一緒に住んでいる友人はフリーターだったが、自分より給料も良かった。
服も、ルームシェアしている友人からのもらい物で過ごして、服に興味が無いと自分に言い聞かせた。
そんな友人は毎日楽しそうに遊んでいた。
フリーターの方が稼げるという友人を見ても
いつか絶対に自分の学んだことの方が、今後絶対に活きるのだと言い聞かせた。
かろうじて会う人も仕事に活きるような人との接点を深めた
仕事ができる人の考え方や話し方などあらゆるものをマネをした。
上流の広告関係の会社に転職することができた。(年収500万程になった)
それは、僕の出身大学では、新卒では逆立ちしても入れないところだった。
その後3年ほど働き、現在では年収は750万くらいになり、ようやく結婚もした。
地元の人とは違う華やかな世界に身を置きたいという欲求もあったと思う。
しかし、学歴に失敗した僕は20代は死んだが、30歳にゴールを置いたことで今もここにいられるのだと思う。
もうとっくの昔に実家に帰っている。
自分の出身や学歴にコンプレックスがあっても、成功の仕方はあって
学歴の高い人が、新卒入社して勝ち組と誇らしげにしているのは本当に羨ましかった
もちろん失敗してしまう人もいるのかもしれないが
就職の失敗なんてまだまだやり直しできるはずだと思う。
それは自分のツケで苦しんだだけ
どこかで見通しを立てて20代を過ごして
まだまだ英語もできないし、やらなければいけないことは多いので
男が女子を容姿で選ぶと批判されがちだけど、女のほうが女を容姿で差別してる。
幸せそうだったり、表彰されたりちやほやされてる別の女子がいても、
あんまり可愛くなかったら、でもアレ(あの顔)じゃあねwって影で笑うわけだ。
もちろんコミュ力も大事だけど、ある程度容姿がないと影ではバカにされまくり。
シミが目立ったり、肌があれてたりするのを発見すると、万引き犯を見つけた時の様な正義感で断罪。
男性から見たらわけがわからないかもしれないけど、男性が正社員じゃないと肩身がせまいように、
女性はある程度女子ルールのまともさを保たない限り肩身が狭くなるんだ。
容姿に対するコンプレックスや怨嗟が渦巻いて、傷を舐め合うか開き直って剣をぶん回してる。
本当疲れた。
でさ、こんなの若い内だけって思うでしょ?
(さらに、まともの項目欄に、結婚、子供の有無、子供の学歴、収入が絡んでくる)
自分だけが得する様な生き方を人間らしいといって開き直っちゃってる。
かたや、女を降りたようなふりをしても、多かれ少なかれ容姿の要求には振り回され続けるんだ。
かといって、男もごめんだけどさー。
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ちなみに、民度の問題というコメントがあったけど、そうでもないよ。
私は高学歴の世界も低学歴の世界も経験したけど、余裕があるからそういうのを表に出さなくて済むってだけで、
実際に腹に抱えているものはちゃんとあったりする。
自分も昔はそういうのとは別世界で居られると思ってたし、そう信じていた集団もあった。
でも、ちょっとしたバランスが崩れてほころびが見えてくると本音を言い合って、
今まで言わなかっただけの、日頃隠していた格付けや差別感をぽろっと出してしまったりするんだ。
自分が容姿なんてもういいやと宣言し、そう自分に思い込ませていても、
ふとした刺激でそういう醜さに気づかされることがあったりする。
もちろん、運良くそれとは無縁の人もいると思うけど、
もう限界だ。
自己肯定感が低いのは確かにそうだ。
だが、客観的に見たスペックと社会が自分を低いカーストへと固定化しようとする。
それが嫌で嫌でたまらないのに、なぜそれを甘えというのか。
結局勝ち続けている人たちは負けている人から搾取する事をベースに考えている。
努力や能力を免罪符に自身を合理化し、負けた人たちは生活できるだけでもありがたいと思えという。
それはシステム上そうならざるをえなかっただけであり、システム自体に疑問を抱かない。
彼らの言う大人であるくらいなら、まだ堀江貴文氏のように問題提起をしてそれに立ち向かう人間の方が人間らしい。
そうすることすらできない自分の能力の低さと病気が生きる気力すら奪ってしまった。
でもそれはもうできない。
悔しい。
結局GDPを向上させるための消費装置を政府は失いたくないだけなのだろうか。
頼むから、この世に絶望し、死ぬ事でしか救われない人たちの負担を軽減する手段を模索してほしい。
ブクマ数とかでなく、あなたの心の中のベストオブ増田が知りたい。
私はこれかな。
「すごい物を見てもへこたれない人」
http://anond.hatelabo.jp/20081117033650
_________________
追記
どんどん過去の増田が貼られるかなと思ったけど、誰も貼ってくれないので増やそう。
作家を目指している人にはこれとか。
http://anond.hatelabo.jp/20140605083137
http://anond.hatelabo.jp/20130809115823/
追記2 ブコメより
feita 一番インパクトが強かったのはやっぱり「俺はさそりアーマーに殺される夢を見たな」なんだよな。アレは増田というよりトラバだが…。
http://anond.hatelabo.jp/20141003085639
ここからの流れか。
http://anond.hatelabo.jp/20141023184519
これ。ああ、あった。
お役立ち系やね。家事に追われている人向け。
追記3 トラバより
じゃあこれ
あった!あった!
これは、
http://anond.hatelabo.jp/20150222215451
速度も内容も異常すぎるめちゃ笑ったなあ。