はてなキーワード: 迷信とは
共同幻想という奴だろう
中国の「悪い日本軍を中国共産党が追い払いました」とか、韓国の「悪い日本軍から竹島を取り戻しました」みたいなもんで、日本では「憲法を守っていた日本は末永く平和になりました」というものがこの国には根付いていた
なんか昔読んだ童話かなんかで、その昔、兄弟数が10人くらいざらだった時代に、兄弟のうち一人だけが、人の皮を被って生まれるけだものだとかいう迷信のある話を思い出した。
もし、そのけだものの子供が生まれてこないと、家が滅びたり、災いが振りかかんだとさ。
昔は兵役や病気やらで死亡率が高かったから、少し変わった子でも結果的に家を持たせる可能性があったわけで、けだみのの子(昔に読んだので別の表現だったかもしれないけどいずれにせよダイレクトにアレな言葉です)、こんな話ができてくるのは仕方のないことだったのかも。
何を言いたいかというと、子供の数が減り平和が長く続くと、特別になりたい平凡な子や差別主義者が意味も分からず増えるよなあと。
怒りで手が震えて同じ内容連続投稿しちゃったのかなぁボクちゃん?wwwハイハイwww朝からごくろうさーんwww
女みてぇな口調でトラバつけてきた次は考えられる限りの罵声を浴びせてくるとかwwwホントに手札少ないんだねぇキミwww
>一般的な社会常識も知らない、どこぞの狭い空間で何世代もかけて熟成された
臭くて臭くて仕方ないってだけ
神社に対して
「ご祈祷の価格を明示しないなんて!これはおかしい!価格表示の義務がある!表示されてないなら限界まで値切ってもいいはずだ!」
とか頭おかしい事吠えてる奴なんているかぁ? いねぇよなぁそんなキチガイ。
なんでいねぇのか?っつったらそりゃ、それがいくらなんでも非常識な行為だって事をどんなバカですら分かってるからだよなぁ。
で。
それを平然とこなしてしまうお前こそ、一般的な社会常識も知らない、どこぞの狭い空間で何世代もかけて熟成された馬鹿のサラブレッドだよなぁ。
喋れば喋るだけ馬鹿がばれるんだからさ、ドヤ顔で常識語るなよ。
臭くて臭くて仕方がないからさぁ。ケケケ。
おまえが悪いわけじゃないよ、おまえの親が悪いんだ
商いと宗教の区別がつかないゴミ一族が日本に存在してると分かってよかったよ
厳選された馬鹿のサラブレッドらしく想像力が足りねぇみたいだから説明してやると、宗教で飯を食ってる奴にとって宗教とは商売なんだよ。
だが、商売としてのやりやすさをまず第一に考えるのなら、商売にカテゴライズされない範疇に収まっていた方がずっとやりやすいってわけ。わかるかなー? そうかー、バカだからわからないかー。
じゃあもう少し分かりやすい例えを出してあげようねー。ヘイヘイサラブレッド君、時に、王権神授説って知ってるー?
大昔の支配者階層が自身の覇権の正当性を主張するために、被支配層と何ら変わりない人間であるはずの己が「神から王としての権利を授かったのだ」とか大ホラを吹く、って奴ね。
目に見えぬ神の存在に怯える無知な被支配者層にとっては、支配者に逆らう事が神に逆らう事に等しくなるから、支配体制は磐石となるって寸法だ。
迷信深い古代の民を統治する上で、王権神授説を盾にとった支配者層てのはそれこそやりたい放題だよなぁ。何しても許される大義名分がある。
で、ここで元の話に戻ってくるんだけどな。改めて言おう。
「商売は、商売にカテゴライズされない範疇に収まっていた方がずっとやりやすい。」
意味わかるかなー? そうかー。わからないかー。この程度の簡単な搾取構造も理解できないから、だからお前は一生搾取される側なんだよ?
お前が悪いわけじゃないよ。お前の親が悪いんだ。
商いと宗教との、効率性やら利益率の比較にすら着目できず、ひたすら搾取され続けるゴミ一族が日本に存在してるとわかってよかったよ。
ケケケケ。
ああ、これはあくまで願望
言われた事をそのまま返してるように見せかけて、実は自殺教唆の言質を取られるのに怯えてるのかな?チキン野郎乙www
その点俺は恐れないね。おいコラてめえ、ナメた事ばっか言ってっと八つ裂き神事すっぞオラァ!!(タイムリーなネタ)
ああ、これは皆の願望だから。
実行はどうかお早めに。先送りすればする程つらくなるよ? ケケケケケ。
>詐欺行為で他人のケツの穴舐めて生きてるゴミがなんで人間並みに日本語話してんのか
さっぱりわかんないね
んーお前ってひょっとして「ボクはこいつらとは違ってまっとうな商売をしてる!こいつらとは違うんだ!」って勘違いしてるのかも知れないけど、
規模も大きく歴史も非常に古い神社神道を堂々と詐欺扱いしてる時点で自動的に、お前の商売なんざその詐欺以下って事になるんだよね。
つまりお前も詐欺行為で食ってるのと何も変わらないって事。むしろ低俗さではそれ以上ってこった。
まあ、お前みたいな、詐欺行為で他人のケツの穴舐めて生きてるゴミが、なんで人間並みに日本語話してんのかさっぱりわかんないねぇ。
ケケケケケケケ。
あとで詳しく言うけどな、「お酌問題」って発想の順序が逆。
でもこれが、カワイイねーと左手で子供の頭を撫でるのだったらどうだ?
チームの仲間からホームパーティーに招待されないと不安になるアメリカ人は多い。
国が違えば、文化に差があることはわかるから理解できることでも、同じ日本人ってだけで気が付かないことは多い。
身内に不幸があった家が年賀状を出さないのは一般的でも、1年鳥居をくぐらないって地域も日本にはある。
海外って言葉が一般的に通用してしまうように、ついつい一国の中に多様な文化が存在することを忘れがちになる。
「文化」を定義すると本が一冊くらい書けるんだろうが、まあ「ある振る舞いの総体」ってとこだろうな。
で、「お酌問題」ってのも、文化的な衝突なんだよ。
しかも、年代と地域によって大きく異る文化だから、まさに異文化交流と言っていい。
んでな、これ話としては順序が逆なんだよ。
手酌が失礼にあたるとか言われても、若い人にゃピンとこないだろ。
オマエソレ楽しそうにLINEしてるけど、なんで合コン来たの?みたいな。(それでも古いイメージかも知れんが)
宴会においては、美味い酒を飲む・美味いメシを食うってのは二の次で、基本は「メシ食って仲良くなろうぜ」が目的なワケだ。
するってえと、当然のことながら、
という構図になるわけだ。
するとだ、先にお酌するのは当然部下で、場に女性が居ればその女性が酌して回る、
逆に言えばだ、「その場に居る一番若手からの酌を待てないのは、大人として常識はずれ」とされてたわけだ。
部長が手酌で飲んでるってのは、ご機嫌ナナメで宴会を楽しんでねぇって幹事の責任問題になってたんだよ。
まあ、山の手言葉が標準語ってことになったのと同じで、東京は一部の企業での狭い内輪の文化でしか無いこういった話が、
マスメディアの発達とともに、適度に変容して地方にも伝わったり色々して、今に至るわけだ。
まあ「お酌」にまつわる昭和な文化ってのは、平等がどうの性差がどうのってこっちゃない。
共通認識が共通認識をつくり上げるというか、常識が拡大再生産されるというか、まあそういうモンだ。
当時のソレが良かったとは思わん。非効率だし、性差別だし、滅私奉公なんざ封建社会もいいとこだ。
そう思う人達が多かったから、今はそういうの減ってきてるんだろう。
喜ぶべきことだと思う。
ただ、だ。
コンプライアンスだ男女同権だ平等だ、封建社会じゃなく先進国だと言ったところで、
じゃあ、未開の住人の迷信は、笑い飛ばしてナイガシロにするのが、「文明人」のヤルことなのか?って問題は残る。
そりゃ、「あけましておめでとうございます」って言ったところで、死んだ旦那は帰ってこねぇ。
でも、旦那が死んだの知ってりゃ、正月だって「こんにちは」って挨拶するモンだ。
正解は無い。
ただ、少なくともお酌は強要するもんじゃねぇし、今となっちゃマナーでもしなきゃならんことでも無い。
マナーとかプロトコルってのは、メンドクセエから決めとく「考えなくて良いように共通化しといた作法」なワケだ。
いまは、昭和にマナーとされて決まってたことが、良く考えたら良くねぇな、と解体されてる。
だから、郷に入っては郷に従えとは言わん。
ヤなことは嫌でいいと思うし、判らんことは判らんと言って良い。
年長者が年少者に対して思いやれないのであれば、そりゃ単なるオシツケだ。
宴会断って評価が下がるだの昇進できねえだのってのも減っては来てるだろ。
でも、自分が理解できん文化を軽視するのは、異なる文化を持つ人に対峙する態度として正しいだろうか?
(相手が正しくない態度だからといって、自分までそうするこたないと、俺は思う)
まあ、部署で宴会するから断りきれなくて、と参加しちまった時は、ホンの少しだけで良いんだ。
思い出して欲しい。
目の前に居るのは、自分とは違う赤の他人で、全く違う時代を生きてきて、全く違う文化を持ってる人間だってことを。
たぶんガキの頃の遊び方も、家庭の考え方も、ハレの日の食い物も、何が良しとされるかも違ってきた。
同じ日本人に見えるかもしれないが、そこに居るのは大抵の場合、異文化人だ。
文明人未踏の未開の地で、(嫌々ながらかも知れんが)部族の一員になって、その部族の祝宴に招待された。
そうしたときにどう振る舞うのが良いのかは、各々の信念に基づくだろうが、ちっと思いやってもバチは当たらねぇよ。
国民一人一人に、ID番号を振って、税金や保険や年金をコンピュータによって一元管理することに、多くの国は腐心してきた。
そして大部分の先進国は、1980年代中にそのようなシステムを完成させた。
ところが、IID番号を振ることすら危険と言う迷信に囚われ、年金を紙ベースの手作業で処理することにこだわり続けた挙句に処理できなくなって、年金記録を大量に消失した馬鹿な国があるんだよ。
「日本人は、コンピュータという便利な機械があることを知らないらしい」、
この分野では、日本は発展途上国にすら劣るほど遅れており、そして世界中で酷評されていることを日本人だけが知らない。
では、ここで冒頭の主張に立ち返る。
“戦う相手は他でもない自分であって、「運命や人の力の及ばないものに対して己は無力である」と折れそうになる自らの心と戦わねばならない。”
このように主張していたのを覚えているだろうか。
反論の趣旨を要約してみると、心的外傷により精神的余裕を喪失させられた人間は戦う事などできない、だって人間は感情の生き物だから、というものであったように思う。
しかしながら、精神的余裕の発露と、精神的余裕の喪失とは、実は表裏一体でもある。
王の死を悲しみピラミッドを作る。
これらはいずれも精神的余裕の喪失と表現する事もできるが、また同時に、精神的余裕の発露と表現する事もできる。
巨大な墓を建築するのは、巨大な喪失の表現であるのと同時に、巨大な余力が残されていた事を示す。
生死の境においてなお迷信を恐れるのは、迷信への恐怖の大きさを示すと同時に、迷信を気にする余裕が残されていた事を示す。
つい悲しんでしまうのは、悲しむだけの余裕があるという事。
つい恐れてしまうのは、恐れるだけの余裕があるという事。
コップには水が半分入っている。まだ半分も残されているのか、もう半分しかないのか。これは主観と表現の違いでしかない。
よって、人の心にはいついかなる場合でも己の心と戦うだけの余力は残されている。
無為無気力となった人間の場合は、これは己の心と正面から向き合い戦うことを避けた結果陥った症状であるがために、そもそも己の心に敗北する機会すら得られず、よって心を折られることも無い。
またわれわれのもとから同志が去っていった。
そして新たな仲間がやって来るだろう。
山の向こうにかさを増しつつある積雲とともに。
だがかれも間もなく去るだろう。
もうすぐ冬がくる。
悲しい記憶をえぐるあのつめたい風が。
まずわれわれの同志は認識すべきだったのだ。
冒険者ガイドブックには書かれていないが、ここがおしゃれな女子の見栄が光を放つ都会でも、スポーツ万能イケメンの性欲のたぎるにぎやかな浜辺でも、ネット動画で盛りあがれるような若者でひしめいたゲームセンターでもないということを。
はてなとはムラ的である。そしてムラとははてな的である。同時に、はてなは非都会的であり、都会とは非はてな的なのだ。
ムラにおいてムラビトの関心事はつねに共有されているし、共有されるべきなのだが、それはムラが外部から侵入してくる敵に対抗するためには仕方のないことなのだ。
ムラの一体感こそが強大で理不尽ともいえる文明社会の力に立ち向かうための、ある種魔術的ともいえる結束力の源となっているのだから。
この小さな社会は閉鎖的で狂信的で、SNMN(神聖四文字(テトラグラマトン)。われわれはそれを便宜上「シナモン」と呼ぶ)を神と崇める中世的カルトによって支配されている。
驚くのも無理はない。この先進国日本においてまさかオカルティズムによって支えられるムラがいまだに存在していたなどと、誰も想像すらできなかっただろう。
だが、これはまぎれもない現実なのである。はてなというムラはここにある。そして同志よ、きみはこのムラに足を踏みいれてしまったのだ。
第一に、ムラビトは新参者の排除が好きだ。もしも新参がおしゃれなフェラーリに乗ってやってきたら、つるはしを持ったムラビトによって、その紅き果実は一夜のうちに無惨な血だまりと化すであろう。「ふぇらだかへらだかなんだかしらねえが、おらのムラで調子に乗ってんじゃねえ!」耄碌した老人のたわごとにきみは付きあうべきか。
第二に、ムラビトは新参を待ち望んでいる。ムラビトは新参が現われなければムラビト同士で殺し合ってしまうのである。ムラの平和は新参の流入によって生じるあの排除への一体感によってかろうじて保たれている。愚劣な新参の流入を嘆きつつ、同時に過疎化を心配する声もあるというわけだ。きみはムラビトに言うべきだろう。「お前らの命はオレが握っているッ! どちらが上か勘違いしてくれるなッ!」と。
第三に、ムラビトは誤読が好きだ。ムラビトには都会の常識、論理、科学が通用しない。このムラは迷信や魔術によって支配されているのだ。その解釈はつねに飛躍し、高レベルのムラビト=ラビならば、否定は肯定となり、間接話法は犯罪告白となり、人間は六本足になるだろう。「え? おれが誤読したって? 誤読するような書き方をするお前が悪いだろうが!」ムラビトとコミュニケーションすることはそもそも不可能なのだ。きみのせいではない。
第四に、ムラビトはお役立ち情報が好きだ。たとえばおすすめ小説を並べたアフィブログはかならずムラビトを吸い寄せるが、彼らはお役立ち情報が好きなだけで、そのお役立ち情報を活かそうとは思っていない。お役立ち情報に触れた見つけたというお得感だけでお腹いっぱいなのである。むかし「あとで読む」という貼り紙が村のそこら中の電信柱に貼られていたころがあったが、もちろんあとで読んだムラビトなどいないのである。ムラビトとはその程度のアホである。きみはアホの戯言を気にするのか。
第五に、ムラビトは高学歴ぶるのが好きだ。ムラに大学院などないのになぜかムラビトは全員が識者面をしている。わけもわからずに社会情勢を嘆いてみせるが、じつはムラには日本社会との接点はほとんど残っていないのであまり意味がないのだ。だがそのことにムラビトはまだ気づいていない。それは幸福だろうか不幸だろうか。ムラビトの空想癖にせいぜいきみは苦笑するだけで済むだろう。
われわれはふたつの提案をする。
第一に、何が起ころうと、それを風に揺れる稲穂のざわめきや蝉の鳴き声あるいは馬のいななきのようなものだと思ってしまうということである。ムラにはムラのやり方がある。それはムラにとっては極めて自然なことなのだ。ムラにおいて排除とは自然現象であり消化作用である。きみは批判されているのではない、大自然に包まれているだけなのだ。われわれ都会人は疲れた精神のうちに自然の癒しを欲しているが、ムラビトをそのようなものだと思ってみてはどうだろうか。
第二に、コメント欄を閉じ、ブックマークコメントを非表示にするという技術的な解決策がある。われわれはこの方法をすすめている。レベルの低い冒険者はまずムラのなかに要塞を作って引きこもり防御をかためるべきなのだ。初心者にありがちなことだが、初期装備のままムラの深部を、ムラビトのこころの闇を探ろうとしてはいけない。危険だ。命の保証はない。そうやってわれわれの同志は倒れていったのだ。扉を開けなければ嵐はやがて去っていく。大荒れの海を見に海岸へ行ってはいけないのだ。
ムラビトの世迷いごとをまともに受けとってはいけない。かれらは異世界とテレパシーで会話しているのだ。われわれ文明社会に生きる人間とはその語も文法もアクセントも思考様式も異なっている。かれらは秘境に生きる最後の魔術師たちなのである。
いや全然違う
その「迷信だ」「デマだ」「結論が出ている」といった会話は大抵過去にデータや議論が存在するようなトピックについて使われるので、ある程度検証を行うことができる
しかしたかが個人の体験談について「釣りだ」「創作だ」と言ったところでまず検証は不可能
俺が昨日うどんを食ったというどうでもいい情報すら、証明・否定するのは呆れるほどに難しい
つまり信じようと信じまいと所詮は憶測どまりなので立場は一緒なのに、信じないことを選択した奴に限ってしばしば「嘘を嘘と見抜ける俺賢い」みたいな思い上がった態度をとる
「迷信だ」のケースの方はいいとこ空気読めない奴でしかないが、釣り認定する奴は根本的に前提を理解できていない馬鹿
それこそがうざい最大の理由
この手紙をどうはじめたらいいだろうと蝉の鳴き声もかまびすしい夏からずっと考えていましたが(伝えるって本当に難しいです)、結局気の利いたすばらしい挨拶が見つかりません。ですから、はじめまして、小鳥さん、とだけわたしはいいたいと思います。あなたに伝えたいことがあって今回このお手紙を書くことにしました。突然のことで申しわけありません。
*
あなたはまず思ったことでしょう。お気に入りの自転車のかごに放り投げられた、飲み口にまだ内容物のこびりついている中途半端につぶされた空き缶みたいな不躾で無礼なこの恋文を送りつけてくるわたしが誰なのか。
わたしは現在36歳、独身、職歴なし(アルバイト歴はあります)、童貞、アニオタ、精神のほうをわずらっており、精神障害2級、まったくありがたいことに障害基礎年金も受給させていただいており(2級。786,500円/年)、日々社会復帰に向けて努力している(作業所で時給200円で働いております。内職系の作業です)日本に確実に数%は存在するありがちな中年男性です。若いころのあだ名は塩昆布です。キモオタAAを想像していただければおわかりになると思いますが、この世の悪意を集中的に浴びてきたせいか皮膚が月面のクレーターのようになってしまっており、細身という点ではまだ社会的に許容されうる生物なのかと思ってはおりますが、実際かなりの醜男です。野良猫に般若の面をかぶせて火をつけてみれば、野良猫はおそらく面を残してなに食わぬ顔で逃げていきますが、ちりちり灼かれていくその面に残った放火魔の殺意と怨念と哄笑こそがわたしの顔からにじみ出ているといってもよく、わたしはそのような人間とは正反対の人見知りでおとなしい男であるにもかかわらず、買い物先のイトーヨーカドーで出会った幼児には顔を見るたびになにか恐ろしいものでも見たかのようにびくっと反応され、かならず泣かれてしまうのです。
小学生のころから容姿をからかわれいじめられてきたわたしは他人に自分の姿を見られるのが恐ろしく、友人も恋人も作らず、いや、作れずといったほうが正確でしょうか、人生に絶望し、引きこもり、勇気を出して面接に行っては人事担当にお祈りされ、ついに自殺未遂をしたあとでは、家族にもうなにもするなといわれ、こうやって小鳥さんのことを考えて毎日すごしています。小鳥さんの腋を見ると、わたしのあのひからびてしまった棒状の物体(その先は言う必要ないですよね)も突如として復活し、さらさらとしたそれでいて粘性のある透明な液体が山奥の新鮮なわき水のようにちょろちょろとあふれてきて止まりません。そんなしょうもない中年のわたしですが、小鳥さんは「わたしでしていいよ(・ω<)」といって顔をほんのり赤らめほほえんでくれます。ああ、なんて天使なんだ!
「小鳥のやつはさ」と鉄男さんは眠たげに足を組むと、たばこに火をつけていいます。「遊馬のことが好きなんだ。だけど遊馬のやつはED(勃起障害)でさ。超越論的跳躍(かっとビング)しすぎた副作用らしいけど。小鳥も酬われないよな」
「わたしは遊馬のことが許せませんよ。小鳥さんを情熱的に愛撫すべき立場にいながら、なめらかな肌といやらしい声と絶妙なチラリズムの天使を無視して、蜜蜂のように扱ってはしっしっと追い払ってしまう」
「そこなんだよ。たしかに処女膜から声は出ていないが、間違いなくあいつは処女だぜ。でも遊馬はEDなんだよ。詰みだよ、詰み。チェックメイト。E、N、D」
「EDになってから幽霊(アストラル)が見えるようになったとか」
「霊感商法ってやつだよ」
「まったくひどい!」
「その通り」鉄男さんはそういうと、たばこを排水溝にはじき飛ばして立ち上がり、ふうとため息をつきました。その背中がとても男らしかったです。
鉄男さんは遊馬と親友という噂でしたが、実はそれほどでもなく、微妙な距離感を保っているらしいですね。ちなみに鉄男さんには璃緒さんという統合失調症の未来の恋人がいるらしいので、小鳥さんには興味がないということでした。よかった!
*
わたしは小鳥さんの魅力を語りたいのです。
*
まずは腋です。小鳥さんはことあるごとに片手を突き上げてその美しい腋を全世界に全宇宙に見せつけています。小鳥さんの腋のくぼみ方はミケランジェロも参考にしたといわれるほどの芸術的な曲線美で、腋汗が溜まりやすく、舐めると南国の風の爽やかさとやや辛めの塩味が感じられてとても美味です。安い発泡酒を飲みながらちびちび舐めるのがとくに好きで(まずい酒のほうが腋汗のうまさが引き立つ)、まるで食べて応援することによって日本社会が皮肉っぽくも明るくなるように、わたしの鬱々とした気持ちも小鳥さんの腋汗によって応援されるようなのです。鬱病患者に「頑張って」は禁句だと世間はいいますが、それは世間のしょうもないオッサン、オバハンからの善意という名の嫌がらせについていうものであり、火星の砂粒やミトコンドリアすら愛するような天使からの励ましはわたしを勇気づけてくれます。「増田くん、頑張って!」「いいですとも(`・ω・´)」
鉄男さんは小鳥さんの腋について以前こうおっしゃっていました。
「小鳥の腋はすげえよ。おれが小鳥に決闘(デュエル)で勝てないのはあれのせいなんだ……」
「というと?」
「見たらわかるだろう? あの肉感的な陰翳、くぼみに渦巻く官能的な黒い風。あの腋が生み出す磁場はファルスを屹立させる特殊効果を持っているんだ。おれは決闘に集中できなくて、それでどこに意識を集中してるかっていったら……」鉄男さんはちっと舌打ちすると、それにつづくことばをためらっているようでした。
「なるほど。でも鉄男さんは璃緒さん押しなんですよね」
「もちろんそうさ。璃緒さまは小鳥とは違うよ。璃緒さまは性的なものを超越していらっしゃるからな。でも小鳥はやばい」
「ですね」
「小学生のころ、夢のなかに小鳥が出てきてさ、『鉄男くーん』とかいって頭の上で手を振ってるんだよ。まだ毛も生えてこない腋がちらちら見えてな。そしてあの磁場がおれのファルスにとりついて、シェイクスピアの生み出したあの世紀のアホ、リア王とでも比べればいいのか、情けないことにおれは下着を濡らしてしまった! とんだ娼婦だよ、あの女は!」
「でも、その……、よかったんでしょう?」
「まあな」鉄男さんはそういって照れくさそうにくすくす笑うと去っていきました。こちらを振り返らずにあばよと手を振ってよこしたのが夕陽の逆光のなかで見えました。
おそらく小鳥さんの腋からはなんらかのフィールド魔法が自己言及的に発動していると思われます。腋が下半身に絡み付いてくる、ちょうど異星人の触手が美少女戦士をしめあげて離さないように。そこでわたしは腋地獄という概念を提唱しました。小鳥さんの腋はバウムクーヘンのように七層構造になっていて、そのそれぞれが自律的に動いています。そして腋全体も螺旋状に回転していて、ちょうどウロボロスの蛇のように、リビドーが第七層の腋まで達すると今度は第一層の腋に連結され、循環され反復されることによって小鳥さんの腋地獄はさらに磁力を増すのです。もがけばもがくほど深みにはまる底なし沼、負ければ負けるほどやめられないギャンブル、呑めば呑むほど呑みこまれるアルコール。そうです、小鳥さんの腋とはあらゆる依存症のメタファーなのです。小鳥さんの腋はやめられない。前立腺の指圧師! 快楽の大銀河!
*
つぎに太ももについてです。これについても新概念を導入しましょう。それは不可視のパンティです。あるとき鉄男さんはつぶやくようにいいました。
「なあ、増田ちゃん」
「なんです、鉄男さん」
「お前、見えてるパンツをどう思う?」
「どうってどういうことです?」
「いやな、おれくらいになると見えてるパンチラに興奮しないんだよ。わかるかな。見えてるパンツはただの布だよ、増田ちゃん」
「メモっておきます」わたしはあわててオタク風の黒いリュックサックから黒い手帳と黒ボールペンを取り出しました。「でも、パンチラとは見えるからチラなのでは?」
「そこなんだよ、増田ちゃん」鉄男さんは少々呆れたように笑います。「パンチラとはいうが、チラってしまえばパンチラではないんだ。パンチラとは一種のパラドクスのことなんだよ。パンチラとは非パンチラのことだ。おれたちはその見える“かもしれない”という可能性に人生をかけているのであって、布に人生をかけているわけではないのだ。見えそうで見えない、でもよく見ると見えているかも、いや、見えていない。それがパンチラというものだ。わかるかい、増田ちゃん」
「うーむ。なるほど。あ、すみません、鉄男さん。このボールペン、インクが出ないのでメモれません」
「書けないボールペンとな!」そういって鉄男さんはぼくの手からボールペンを引ったくると大事そうにズボンのポケットにしまいました。「見えないパンティこそ美しい。書けないボールペンを使えば時空の果てでも恋文が書ける。そして璃緒さんはうるわしい!」
わたしは小鳥さんのパンティを見たことがありません。あ、どうか勘違いしないでください。わたしは見たいと言っているのではありません(それでは変態さんですね)。見えそうな状況でも見えないということが小鳥さんの魅力だといいたいのです(しかし絶対に見えていないともいいきれません)。小鳥さんはパンティを見せないことによって、自分の存在が布へと矮小化されてしまうことを一種のヒロイン的生存本能によって防いでいるのです。布ならば手に取りじっくり見て分析し解釈し考察することもできますが、小鳥さんはそのような研究対象から逸脱した、科学的な尺度によっては測ることのできない超越者だということなのです。小鳥さんの太ももには慈悲があり永遠の平和がある。そこにわたしは神を見たのです。
*
小鳥さんはとても明るく元気でまるで熱帯雨林のように表情豊かな方です。明るい陽射しのなか丘の上に立ってこっちに手を振って鈴蘭のように笑っている顔も、土砂降りのなか服をびしょびしょに濡らして蒼白になって泣いている顔も、誰かさんのテストの点数のように真っ赤になって恥ずかしがっている顔も、遊馬を心配している顔も、感じている顔もすべて素敵です。そしてその表情のすべてが一回きりのもので、ふたたび同じ表情が現れることはありません。小鳥さんの表情は数によって大小を示せるようなものではなく無限そのものなのです。これは誇張でもメタファーでもありません。小鳥さんの顔は見ていて飽きません。
「増田、おい増田」誰かと思って振り向くと雑居ビルの影から鉄男さんが呼んでいました。
「鉄男さん、どうしたんですか。てか、そんなところでなにやってるんですか」鉄男さんの首にはひもがかかり、その先端にカメラがぶらさがっています。
「いいからこっちこいって」あの穏やかで紳士な鉄男さんがいつになく興奮しています。
雑居ビルの影に隠れると、わたしは十数枚の写真を渡されました。そこには璃緒さんが写っていました。
「美しいだろう?」
「きれいなひとですね。で、なにやってるんですか」
「これから璃緒さまが病院に行くんだ。ここはその通り道になってるってことだ」渡された写真をよく見てみると、どの写真も雑居ビルの薄汚れた壁と特徴的なお掃除ロボットが写っていて、まさにこの場所だとわたしにもわかりました。璃緒さんは写真ごとに異なった服装です。
「璃緒さま、今日はどんなお洋服なんだろうな」
「鉄男さん、これってストーカーってやつでは?」
「おれには愛がある!」
璃緒さんの無尽蔵の洋服が鉄男さんのコレクター魂を刺激し惑わせ堕落させたように、わたしも小鳥さんの表情に吸い寄せられ離れられなくなってしまいました。でもこれは愛なのです。
*
小鳥さんの声はわたしの敏感な部分に海底トンネルのようによく響きます。よくあるきんきんした味気ないテンプレート的萌え声ではなく、ロリであるにもかかわらずエロいという特徴があって、少女として見ると大人っぽく、大人として見ると幼女っぽいという絶妙なバランスとなっております。尿検査では中間尿を採取しますが、それと同じようにわたしたちが最も注目すべきなのは、少女でもなく大人でもない、その境界線を肉付きのいい脚でまたぎ、ふくらみかけの乳房を突き出しながら居心地悪そうに立っている半熟の女の子なのです。小鳥さんの声はまさにその時期を繊細に表現しているいってもよく、この世でもっとも貴重な声のひとつであるとわたしは断言いたします。
*
最近の女子は料理が作れなくなってきたといわれています。そんな現代社会ですが、小鳥さんは決闘飯(デュエルめし)を作ることができるとても家庭的な素敵女子なのです。小鳥さんの体液、通称小鳥汁がしみ込んだ決闘飯とはいったいどんな味がするのでしょう。鉄男さんによれば、小鳥さんの決闘飯は「バイアグラの味」だそうです。
*
ああ、どうしましょう、くだらないことを書いてしまいました。申し訳ありません。わたしはどうしたらいいのでしょう。生きているとつらいことばかりです。すべてがむなしいです。幼女を見てもかわいそうだと思うようになってしまいました。こんな不完全な世界の重圧をその春風のような無垢なほほえみで受け止めなければならないなんて。世界はグロテスクで悪臭を放っていますが、迷信のごとき科学技術や洗練された(!)法治主義社会がたくみに見せかけの清潔さで覆い隠してしまいます。それは合成着色料のようで、すべてはフォトショップ的ともいえる一種の嘘で塗り固められていて、どこにも真実はなく、しかし虚偽すらなく、ただひたすら軽薄で浅薄で希薄で、原初の一点から湧き出たあの宇宙的エネルギーはどこにいってしまったんだと、この時代の無意味さ、無価値についてわたしは考えるわけですが、わたしのそんな行為ともいえない似非行為すらまったく意味のないことで、わたしが死ねばすべてはどうでもよくなるのだと思ったりもするのです。
しかし自殺しようかなと思ったときに毎日小鳥さんがわたしにほほえみかけてくれます。「増田くん、超越論的跳躍(かっとビング)よ!」なるほど、たしかにわたしの眠っていた愚息は雪融けのように感動的な反応を見せ、天上の世界(アストラル界)を目指してぐんぐん伸びていきます、蛇玉さながらに。そしてわたしは今日も生きようと思うのです。EDになるまでは。小鳥さん、あなたが存在していてくれてありがとうございます!
それなら「お守りを切れない人」はみんな、イベント的なものではなくちゃんとした宗教的行事に参加して、寄進して、宗教的教義をきちんと守って、神棚に毎日お供えをするとかの儀式的なことをしているの?
そういう宗教的なことを何ひとつせず、宗教や信仰というよりも迷信に近いものを信じているってだけで「信仰している」なんて片腹痛い。それはただ迷信にビビってるだけで、信仰なんていう高尚なものじゃないんだよ。「信じている」だけでは信仰、宗教とは言えない。宗教的な集団に属すと自らが認め、常日頃から宗教的な行動している人のみが信仰を持つと言えるんだよ。それ以外は単に「宗教の影響を受けている」だけでしかない。
ん?
>やめるのが正解だ
という文章は「攻撃的・非理性的」に該当しないと言いたいのかな?
えええ
それが「攻撃的・非理性的」なんですかー?
うーん…
お酒を全く飲むなとは言いませんが習慣化はデメリットが大きいのです。
晩酌と言うのは1人でダラダラと酒量を増やしていく、そのままダラダラと寝付く、
という行動パターンのトリガーになるので健康やQOLに気を使う人にとっていいことがありません。
(甚だしくはアル中、アル中はほぼ必ず晩酌習慣から始まります)
…というはっきりした根拠に基づいて「いいことのない習慣」と述べましたが
あなたが、飲酒のデメリットを述べられて攻撃的になったのであって、
特に元増田はランニング・筋トレと健康やQOLに投資する人なので、
全く「いいことのない習慣」であり、やめようという決心は正解です。
>酒の美味さを知らん奴はこれだから
が「攻撃的・非理性的」なのに?
「お前はお酒の上手さを知らないんだ!」は
突然怒り出しているという以上にそもそも話がかみ合ってません。
(たとえば「お酒は血行が良くなるんだ!」なら噛み合ってはいます。言説自体は迷信の範疇ですが)
嗜好品が気持ちいいのは当たり前であって
「だって気持ちがいいんだよ!」
は理性的な反論ではなく
中毒者の絶叫です。
も?w
噛み合わない反論をする、
今現に非常に攻撃的に絡んできている。
こういう反応になる人がとても多いですね。
理性の判断より前のところで脳が求めるようになるので
とマジレス
まず何故自分が盛んに芝をはやしているのが疑うべきです。