はてなキーワード: 迷信とは
"態度を好きになる"というのにはある程度同意するが
"態度が似通った人を捜すことが、一緒になるための近道だとおもいます。"
には反論する。
顔や体型の造形がすぐれている、経済的余裕があるというのは"動物"として生存本能で好きになるわけだが
"人間として好きになる"のは態度というか、"心のかたち"が自分の"心のかたち"とぴったり当てはまると
そこで好きになると私は考えるが
その心の形は、たとえば○と○の人が好き合うのとは、そういう場合も多々あるが
自分に無いものをパートナーに求めるのがほとんどで、凹と凸みたいなパターンの方がはるかに多いでしょ。
医学的な話だと、赤血球の糖鎖が脳神経に影響を与えているかどうか
これは、直接的には影響はないとされているが、間接的な影響も含めると、今のところ関連は見つかっていないが、否定できるだけの根拠もない、ということになる
今の段階では、ないとして差し支えはない、が、将来的に関連が見つかる可能性もゼロではない
社会学的な話だと、この血液型はこういう性格、というテンプレートをことあるごとに示されることで、無意識的に、または意識的に、そのような振る舞いをする、そのよう性格を真似ることがどのくらいあるかということ
これは九大の人が論文を出していた気がする
驚くことに、その論文では統計的に社会学的な血液型の影響も否定されていた
とすると、血液型の迷信は、性格になんの影響も与えていないことになる
ポイントは、ひとりの研究者のひとつの研究だけで真理が証明されるわけではないということ
ただし、今後については、覆る可能性もある
悪いが、俺は迷信に詳しくはない。
なんか無駄に知的っぽい形式を使った表現でお返事されているけど、
あなたはその引用したところだけに自分なりの意味を感じて、他の所は切り捨てていいと思ったんですね。
元の表現に対する内容に踏み込んだ具体的言及が欠けていますが?
あなた自身が「流行遅れ」「迷信の類と大同小異」という程よく知っているはずの精神分析や、他に出てきている現代思想や文学などに関する知識をたっぷりと使った言及を見てみたいんですが。
でもできないんでしょ?
どうせ「精神分析に別れを告げよう」とか「フロイト先生のウソ」とか「「知」の欺瞞」とか心理学の入門書の類を読んだだけで
「≒」を用いて、推移的な類似性を説いているとみられるが推論過程の妥当性をいちいち検証したところで大した意味はなく、最終的に導出された観念のみが筆者の主張せんとするところに過ぎない。
したがって本論の内容は以下の対応関係に帰着させるのみで十分であり、これ以外の部分は無駄である。
無意識(エス) ⇔ 一般市民より下の階層の者として認識され、愚か者の範疇に入っており、隠している愚かな事物を暴いても重大視されていない
理想自我 ⇔ 理想化された鏡像として他者の表現の複製を取りこみ、融合しつづける動き
自我理想 ⇔ 共同体(言語的に構造化されている共同主観的な世界)
超自我 ⇔ 近代社会の合理的理性を自称する存在(非理性的な「エス」とした存在を抑圧的制裁の対象としていいとしてもいいとする存在)
筆者が現代社会に存在する主体・客体と精神分析の概念を対応付けて、概念間の類似を説こうとしているとみられ、ここから近代社会の合理性が下層階級を抑圧する状況をノイローゼかなんかにたとえ批判を試みようとする筆者の主張が推測できる。
しかし、そもそも精神分析は占星術の理論体系と大同小異の迷信でありその種の迷信を今でも奉ずるもの(知的弱者)以外には無意味・無内容。
入院中(産後1週間で退院なので、当然1週間経っていない)の時点で既に母乳出過ぎで乳パンパンになって痛くて辛い、なんてよく聞く話だけど。
それで助産師に乳絞って貰ってる人、産院で何人も見たし。
3週間じゃなくて精々数日でしょう。
どっかの本当に何も知らない奴が「赤ちゃんの体重が減る時点でおかしい!」とか言ってたのも見たけど、
出生後に胎児時代に溜め込んだウンコと羊水に浸かっててふやけてた分の水分が出ていくから体重が減るのは当たり前。
助産師の中には『人工乳を与えたら母乳を一切飲まなくなる』と言う人がいますが、それは迷信です。元気な赤ちゃんはお腹が減れば母乳でもミルクでも飲みます。
乳頭混乱とか知らないのか?逆に母乳の子で人工乳飲まない子もいるよね。
そりゃ飢餓状態まで持って行けばいつかは飲むかもしれないけど、余程の事情がなければ普通そこまでやらないよね。
そもそも『人工乳を与えたら母乳を一切飲まなくなる』ではなく『人工乳を与えたらその分母乳を飲まなくなり、母乳授乳量が減ってますます母乳が出ない悪循環になる』だろう。
ホリエモン関係の記事のブックマークコメントで知った。まじかよ私常識なかったのかよ。
小学生くらいの頃確か学校で、身分・位の上下であると習って、私の頭の中ではずっとそういう認識だった。
ただし、理論上のことで一応そういうことになっているというくらいのニュアンスで説明されたかもしれない。
検索して調べてみると、基本的に職業分類であるとか、士農工商を「四民」とまとめて言う時は単に「すべての人々」を意味するとか、はじめて知識が更新された。しかも、最近の教科書には士農工商や四民平等という言葉は載っていないということだった。士と農工商という区切りもあるみたいだが、上級武士にはそりゃ幕府や将軍がいるから支配者・被支配者の関係になるけど、下級の武士と町人に大した差はないということか。
そうだったのか。てことは最近の若い人にはそれは常識なんだな。というかそういう認識自体がないということなんだな。
勉強に熱心な児童生徒ではなかったからあいまいに記憶しているせいかもしれないけどね。でもちょっと違う感じで習っていたはずだ。
それにしても、たくさんあるんだろうな、こういう今では大きく変わっている常識や定説。学問によって、時間がたつほど新しいことが分かってくるはずだからそれはそうなんだけど、常に知識をアップデートするように全方位にアンテナ張っているのが理想なんだろうねえ。そう言えば子供の頃は運動中には水を飲むななんて指導する大人もいたっけ。水を飲むと体力が落ちるだとか迷信に近い常識だけど。
今回は言論関連。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
ただ雑であれば「雑だ」と指摘される。
そして、それは至極まっとう指摘だ。
言論が自由であるなら、それに対しての言論もまた自由なのだから。
雑なのに、雑じゃないように振舞うこと。
その論でいうなら、これは争いではないし、かといって虐殺でもない。
ロクな装備もなければ、訓練もつんでいない愚か者がただ討ち死にする自然の摂理だ。
「僕は装備もなければ訓練もつんでいないけれど攻撃するよ。でも、反撃はしないでね」というのはムシのいい話だ。
無知は恥ずべきだ。
だが、無知であることに無恥な人間は、時に火傷をしないとその痛みに気づかない。
……雉も鳴かずば撃たれまい。
例えば、某研究者とかが「嘘はいけない」といったとして、反面教師として汲み取れる側面はあるかもしれないけれど、ほとんどの人は言論そのものを評価しない、しにくいよな。
フィクションの登場人物の名言集で、その中の何割かは本当は言っていないのに、信じる人が続出してしまったというエピソードもあるな。
要は「説得力」ということだ。
それが正当か、といわれれば私としては「半々」というしかないね。
言論は自由だが、社会に帰属する私たちはそれによって起こりうる責任を持たなければいけない。
とはいえ放棄することも可能で、実際にネット住人の大半はそうしている。
だが、誤解してはいけないのは「自由」なのではなく、「自由そのものは許されている」ということだ。
故に言論そのものが評価されやすいともいえるし、一笑に付される可能性も高まる。
何にしろ、私たちはそれを正当な評価かどうかに関わらず享受することになる。
もちろん、それら評価に対してのレスポンスも自由だ(黙することの美徳もあるようだが、あれは迷信だ)。
君のような人は自身の言論を「大したもの」か、「取るに足らない」ものにしたいようだが、生憎それは君の判断で担保されるものとは限らない。
そして言論が担保されない以上、「よく分からない人間の言論」という前提は無くならないんだ。
うん……まあ、シメに入ろう。
人格とは総体的に、そして相対的に判断され、言論もかくありき。
いずれ言論者の人格が普遍的でないにしても、判断材料としては不変だろう。
自由であることは同じだが、正当な言論には正当な言動がつきものということだ。
……私かい?
http://anond.hatelabo.jp/20150515014847
で言っている内容はよく分かる。
正直、大阪都構想は賛成反対両方が「民衆(悪く言えば衆愚)」チューンナップされすぎててイマイチだ。
選挙カーで名前を連呼した方が、当選しやすくなる、という例のアレと同じだ。
「絶対反対」と街宣車で連呼したほうが、具体的にデメリットを伝えるよりも、
本当は言葉を尽くしてきちんと説明して、風邪のガキ連れ来た親だの、
毎度毎度やってくる爺婆だのにお引取り願うのが正しいハズだ。
でも、ちょろっと咳止めでも出しときゃ納得する。
今の選挙はそういう状況だ。
お医者さんには、2種類いる。
臨床は、いわば街のお医者さんだ。
人体実験はダメなので、基本的には「前例のある処置をする」エキスパートだ。
病気の新しい診断法や、治療法を発明する。治験と呼ばれる人体実験もする。
もっと言えば、より基礎の研究として、神経細胞の構造を調べたりネズミの皮膚を弄ったりする。
このうち、臨床は、当然患者に対して説明をする。
わかりやすくメリット・デメリットを伝え、決断を促し、場合によってはセカンドオピニオンも勧める。
「マウスの皮膚組織にある線維芽細胞への遺伝子導入法」のメリットを語るのは難しい。
すると、「これは、肺をシャーレで複製して本人の臓器を移植できるような再生医療に繋がるんです!」と資金を勝ち取る必要がある。
結果、iPS細胞が生まれてノーベル賞までとったが、肺の複製は盛り過ぎじゃね?と言われればきっとそうだろう。
たぶん、元増田の言う、「政治は庶民生活へのメリットを判りやすく」は筋が悪いと思う。
その筋を進めていくと「反対!反対!」と街宣カーで叫ぶ情報伝達に繋がる。
たぶん、「どんなに判り難くても良いから、きちんと情報開示して欲しい」じゃないだろうか。
「線維芽細胞への遺伝子導入法」の予算獲得のために「将来の再生医療」を謳うのは仕方が無い。
でも、具体的に何をするか、その結果がどうなるかは、医学者にはある程度目安がつく。
現在の直接投票は、基礎研究医の予算獲得や、基礎研究の方向性を、(医学の知識が無い)病院の出資者が決めている状況じゃないだろうか。
こういう時、金を出す出資者に医学者と同じ知識や、研究のメリットを語っても、恐ろしく遠回りになるだろう。
大抵こういう時は、適切な経験を積んだ医学者のアドバイスがあるはずだ。
たぶん、以下の流れが、必要なことだと思う。
現状、2番がホトンド居ないのが問題なんじゃないんだろうか。
1番と3番(つまり、政策立案者と、民衆)とを直接繋げるのは、双方にとって負荷が高すぎるか、飛躍させすぎないと届かないだろう。
「線維芽細胞への遺伝子導入法(≒ある政策)」に賛成して欲しい時に、
それを「出資者(≒投票者)の直接のメリット」で伝えるというのは難しいのではないか。
それの方向性では、「肺が複製できて、再生医療出来ます!(≒無駄が減って財政破綻しなくなる!)」と言うしか無い。
そしてそれは、確認しようがないし確からしさも確認できない、エビデンスの妥当性が判断できない飛躍になるだろう。
そして、飛躍無く詳細に判りやすくどんなに噛み砕いても、素人に医療の基礎研究の妥当性は判断できない。
そこに必要なのは、医学(≒政治)の知識を持ったアドバイザーじゃないだろうか。
最先端の医学者が出資者の前でプレゼンするのは、なんか違うような気がするんだよなー
どうやっても真摯な研究者は「絶対」を口にしないし、それを約束する山師にプレゼンでは負けちゃうし
そして今の政治は、この「判りやすく伝えろよ」プレッシャーで、山師が跋扈してる気がする。
「良くわからないから反対」というヤツだが、コレかなり強力な「迷信」だと思う。
世の中の物事はたいてい予想通りには行かない。
すると、「やってみても失敗しそうだから反対」は凄く言いやすい。
この意見そのものは正しいことが多い。だってたいていは予想通りに行かないもの。
でも実は、その賛成反対というのは、次の2択だ。
こう置き換えて考えるとわかりやすいだろう。
ここまで明確だと先行きがある程度予想できるので想像しやすいだろうが、
「結婚にメリット・デメリット色々言うヤツがいて正直良くわからん」という質問者に
「明確に自分の生活に対するメリットが見いだせないなら、とりあえず止めたら?」とは言わないだろう。
「よく判らんから、線維芽細胞への遺伝子導入法に予算付けるの無しな」してたら永遠に再生医療は進化しない。
ハゲに詳しいんじゃなくて当たり前のことを当たり前に知ってるだけ。
ブルーベリー食っても目は良くならないし、コンドロイチン飲んでも関節痛は治らないし、ノコギリヤシ飲んでもチンポは勃たない。
CM見ても「※個人の感想です」とか「スッキリ!(何が?)」とか「快適!(どこが?)」とか抽象的な表現ばかりなのはそのせい。
ビタミンが肌に効くとかは「食事」で改善できて補えるものだから、サプリを一概に否定はしないが、「高価なサプリ」は大体がバッタモン。
考えてもみてほしいんだけど、「高価で貴重な植物や動物」でしか補えな特別な栄養素があったら、それが獲れる場所に住んでる人以外全員明らかに体が悪いはずだろ。秦の始皇帝じゃないんだから、高価であればあるほどいい訳じゃない。栄養の構成成分として、アサイーはビタミン豊富だのココナッツオイルがどう……という話は尽きないが「誤差の範囲」だ。
極端な話、「食品」はそこらのスーパーで売ってないモノは買う必要は無い。
で、医者や製薬会社っていうのは金儲けも上手いし今まで病気じゃなかったものを「病気」にして予算を出させて莫大な金
を稼ぐのが得意。それは事実。それによって力をつけて、自分たちの立場を確固たるものにして、政府を動かしやすくしてまた金を稼ぐ。
それは事実なんだけど、医者や製薬会社は「医学的な根拠」をきちんと作って動く。
詳しくは言わないけど、要するに「ハゲ薬を飲ませる人も、ハゲ患者も、その成果を集計する人も、飲んでる薬がホンモノかニセモノかは知らない」って実験をやるだろ。結果出るだろ。そうやって行われた実験をいくつか集めて、統計的に分析して検討して、「この成分はどうやら確実にハゲに効く!」って判断してる。
サプリメントは、栄養学的にすでに裏打ちのあるもの以外は、ほとんどこれをやってない。効くっつーのはただの迷信のことが多い。
だから、医者が信頼されるんだよ。言ってることに根拠があるから。
さっきも言ったけどハゲは「不可逆」。一度ハゲたら二度と生えてこない。基本的には。自然に増えたりは絶対にしない。
だから、もしハゲが気になりはじめたら「ハゲる前に」病院に行くといいし、高い貴重な成分のサプリとか高い根拠のない化粧品に無駄金と無駄な時間を払うな、迷走してる間にもハゲは進行すんだぞ、って言ってるんだ。
あとちなみにハゲに限らずガンにしろ何にしろ「十分で時間をきっちり決めた睡眠」を取るのが最も大事だし、次に「ミネラル、ビタミン、タンパク質を十分に摂った、カロリーは控えめの食事」、それに「週150分程度の適度な運動」が大事。これ人間の基本の3要素。(でもムリはするな、出来る範囲でいい、ストレス溜めないのも大事。)
これやってればガン以外(ガンも炎症由来のものが多いので、限度はあるが弾けるもんが多い。)、ハゲもデブも他にも色んな不具合をはじける。
ハゲは残酷な遺伝の支配がかなりあるが、それでも、肌や頭皮がきれいで詰まりがないことも重要だからさ。
青々とした畑や森(頭髪)には健全な土壌(健康な体)が必要って話。
ハゲてもいいんだよ。ハゲなんか大したことじゃない。でも、みんながみんな望む自分であってほしいと思うし、だったらハゲたくない人はできるだけハゲないでほしいじゃないか。デマに惑わされて損しないでほしいんだよ。
まぁそんな感じ 冗長ですまんけど参考になれば。
地球を軸にその周りを宇宙が回っているという説で、プトレマイオスによって体系化された。中世のあいだは天体の運行を最も高い精度で計算できる理論であった。コペルニクスが地動説を復活させ、1627年にケプラーが地動説をもとにした高精度の天文表を発表したことで、地動説が広く支持されることとなった。ちなみに地動説がカトリック教会により迫害されたというのは真実ではないそうである。
物の状態・現象・性質を説明するための理論である。多くのバリエーションが存在するが、アリストテレスの「温・冷・湿・乾の四つの性質の組み合わせにより火・水・空気・土の四大元素が生まれる」という説が広く支持された。これが否定されたのは1661年、ロバート・ボイルの著書『懐疑的化学者』によってである。彼は近代的な「元素」観を確立し、後のラヴォアジエによる化学革命を準備した。
フロギストン(燃素)という元素が物質から分離することが「燃焼」であるとした説で、四大元素説のような迷信めいたものではない、科学的な理論として広く受け入れられた。1774年、ラヴォアジェは「燃焼とは物質と酸素が結びつくことである」と看破し、フロギストン説は否定された。
「熱」が物質に起因するか運動に起因するかということは長年にわたる議論の的であったが、ラヴォアジェは熱物質説を支持し、熱の原因となる物質を「カロリック(熱素)」と名付けた。1843年、マイヤーによって運動エネルギーと熱エネルギーが相互に変化することが明らかにされ、またエネルギー保存の法則が発見されたことにより、カロリック説は衰退した。
古代ギリシャのヒポクラテスが唱えたもので、人間の四つの体液のバランスが崩れることが病気の原因であるとする説である。四大元素説とも結びついたこの四体液説は、批判に晒されつつも長らく信じられていた。1858年、ウィルヒョウが「細胞病理学」を確立。すなわち病気とは細胞の異常によるものとされ、体液病理説は否定された。
アリストテレスが提唱したもので、「生物の中には親からではなく自然に発生するものがある」とする説である。たとえば虫やネズミなどがそうであるとされた。その後、レーウェンフックによる「微生物」の発見もあり、擁護と批判が繰り返されたが、パスツールが行った1861年の「白鳥の首フラスコ実験」などにより、自然発生説は完全に否定された。
ホイヘンスやニュートンらにより提唱されたもので、エーテルとは光が伝播するための媒質として想定された物質のことである。ニュートン力学とマクスウェルの電磁気学における光速度の矛盾を説明するために利用されたが、最終的に1905年、アインシュタインの特殊相対性理論によってエーテル説は否定された。
さあって、一日で一年分稼ぐ日が近づいて参りましたよっと。
例によって例のごとく迷信深い原始信仰者の日本人連中から今年もガッポリお賽銭頂くわけなんだけど、ところでこいつら本当に神なんて居るとでも思ってんのかねえ。
別に居ないと思ってるけどお賽銭は投げるのかねえ。 皆がそうしてるからなんとなく流れで大切な大切なお金を捨ててるのかねえ。
それって狂気の沙汰じゃないのかねえ。
『狂気とは集団が定義する常識から大きく外れる行動倫理に対して与えられる呼称であるから、必ずしも狂気=まともな価値観の喪失とは限らない』とでも言い訳すんのかねえ。正常性バイアスかねえ。
4~5時間かけて熱心に通ってくる狂信者連中とか見てると、どうも自分の精神の中に神もしくは神社でも飼ってて、そいつの内在イメージを維持する為に足しげく神社へ来ている(来て更新している)ような印象を受けるんだがねえ。
程度は違えどまあ、大体の日本人はそういう奴らと同じだって事なのかねえ。
まあ、まずわからん感覚だな。飯食う為になら虚空に向かって頭も下げられるし道化の真似事もしてやるが、仕事以外で頭を下げる気になるのはお金様だけだな。断じて神様ではない。
ん? これは逆に金を信仰しているという事になるのか? さらに言えば、その金を無から生み出す信仰形態にして優れた集金システムであるところの神社を信奉しているようなものなのか? もっと言えば、神に集まるお金様のお陰で現実に飯が食えているという現世利益を享受している以上、神の熱烈な信奉者にして狂信者にして理想的な神道生活の体現者なのか? 単に金が好きなだけで、迷信深いバカどもから金を巻き上げるのにたまらない快感を覚えるだけなのに、なぜこういう事になるんだ?
そんな慨嘆はさておきと。
12月末
祈願者「お正月は混むから年末に来ちゃいましたー☆ やっぱすいてますね!(ミャハ)」
受付者「ええ…。そうですね…。皆様やはり年が明けてから来られますから…。(死んだ目)」
よし帰れ。このそびえ立つクソ野郎。
お正月に他でもないお前らクソ野郎が何百億千万人も押しかけてくるから年末はその準備作業をしてるんだよ。
なのにフライングして年末に押しかけてきて正月準備を邪魔してるんじゃねえんだよこのクソ野郎。
年末にお前らの祈願を延々とやってたら神社はいつ正月準備するんだよ。そんくらい考えて正月に来るか12月中旬くらいまでに来い暇人野郎が。
年末暇だからって年始の行事を先片付けるんじゃねえ。大人しく部屋の大掃除でもしてろ。ホラ障紙の桟に埃が溜まってんだろうが!
1月松の内
祈願者「お昼は混むから夜に来ちゃいましたー☆ やっぱすいてますね!(ミャハミウフ)」
受付者「ええ…。そうですね…。皆様やはりお昼の内に来られますから…。(白目)」
よし帰れ。この口からクソを吐く前と後にサーを付けないクソ野郎。
お正月に他でもないお前らクソ野郎が死ぬほど祈願に押し寄せるから神主様は聖職者様はお疲れなんだよ。
早く帰って風呂入って疲れを落として翌日の仕事に備えてさっさと寝てえんだよ。明日もお前らクソ野郎の相手がたっぷり残ってんだから。
それをお昼が混んでるからって夜に祈願依頼に来やがったりなんかした日には神主様は一体いつ寝るって言うんだよ。
それと早朝にドンドコドンドコ押し寄せてきてドンドコドンドコ施錠した扉を叩いて破魔矢くれとか言うのやめろ。ゾンビかお前らは。
睡眠くらいさせろ。神主が白目剥いて受付に座ってたら大人しく祈願は諦めて本殿前で静かにお祈りして帰るくらいの優しさを持て。
あー言いたい事言ってスッキリした。本年の煤払いはこれにて終了と。
古人類学によれば、アウストラロピテクスは約300万年前に存在していたようだ。
アウストラロピテクスは石器を使う能力をもっている。
石器を使えたという知能から類推するに、クンニくらいは日常的にしていただろう。
つまり、クンニは少なくとも300万年前には誕生していたということだ。
ここで疑問なのだが、なぜ300万年たった今でも淘汰されずにマン臭女が現存するのだろうか。
年金問題よりも少子化問題よりも、自分の妻の、彼女の、セフレの、マン臭問題のほうが確実に重大だろう。
生まれて初めてクンニをした時、男性ならばみなこう思ったはずだ。
うっわくっっっせ・・・と。
話を戻す。
それは「あまり洗い過ぎないほうが良い」という迷信によるものだ。
たしかに昔だったら、公衆衛生も悪く、パンツを毎日履き替える習慣もなかったため、
あまりマンコを洗わないことが、マンコの衛生状態を一番に保つという知恵は成り立っていた。
しかし、高度経済成長期を終え、洗濯機が各家庭に一台ある今、マンコをしっかり洗わないことは愚の骨頂である。
こうなってしまった原因は、マンコの話はタブーという世論の雰囲気が大きい。
マン臭女問題は重大なのだから、もっとみんな日常的にマンコマンコ言っていき、雰囲気を変えよう。
マンコ。
相変わらずのこの界隈の一番上のブクマで
出産育児界隈には、母乳神話とか三歳児神話など神話レベルの話が多すぎる。 出産、育児の専門家の人的サポートがたりてない。親になる授業やらんとね。 冷えピタなんて、どこの小児科いっても全否定されるし。
「単に冷たく感じるだけで本当に冷やす(=熱を下げる)効果はないし、単に『冷たく感じて気持ちいい(すぐぬるくなるけど)』だけのメリットに対し
乳幼児に使うのはかぶれや剥がれて口や鼻を塞ぐ窒息事故などのデメリットが大きすぎるから」なわけだが
この人ひょっとして「冷えピタなんて使って楽をしては駄目!母親は苦労するべき!1」と思って否定してるとか思ってんのか?
よく母乳の子の方が免疫力がとか健康にとか言うけど、完全母乳で育った病弱な夫と完全ミルクで育った健康体の私、そんなもん迷信だと思っています。
と言う突っ込みどころ満載な記載があるけど、誰も突っ込んでないのがなあ。