はてなキーワード: 買い切りとは
一時期「DRMは悪い文化!」と思ってPDFで買い切りにした書籍群があるのだけど、
というか、電子書籍なのに整理しなきゃなあ、と思ったり…(まあ、パスワードとかと同じか
出版社ごとにバラバラに購入せざるをえなかったので、どこの出版社で買ったのかちゃんと管理してないと、
PDFをロストしたときに再度ダウンロードできても分からなくなる
(あと、PDFに記されている出版社とダウンロード元が同じとは限らない
なんか買った記憶があるんだよなあ、と思ったらメールを検索して確認したり…
Kindleは色々制限とか問題とかボッタクリとかあるけど、勝手に一元管理されるのは強いんだよなあ
まあ、Amazon側の表現規制みたいなので漫画が言葉狩りされるみたいなのもなくはないんだけど
技術書とか面倒なときはKindleでいいのかもなあと思ったりするけど、結論には至っておらず
あと、Kindleの紙面のソースコードをコピペしてたらコピペには回数制限があるんだよなあ
気持ちは分からんでもないけど、要は全文コピーを回避したいんだろうけど、あれもちょっと苛立つというか面倒というか
そう考えると、やっぱり紙の書籍ってビジネスモデル的にも何世紀も経てきたわけで、
電子書籍のような問題はなくなるわけだけど、本棚で床が抜けるよなあ
ああ、捨ててかないとなあ、本…
一人ですべてのスキルセットを保持していない場合にベストな開発体制を検討する
自分がプログラマで画像素材を他から調達するイメージ。(逆パターンでもよいが左記パターンを想定して書く)
# | 案 | 初期コスト | リスク | 備考 |
---|---|---|---|---|
A | 素材買い切り | 大 | 低 | 素材を調達した段階で関係が切れるため最も揉め事が発生しにくい形態。ただし初期コストが大きく困難 |
B | 売上折半 | 低 | 大 | 販売後の利益から報酬を出す形態。開発が頓挫したり主体側からの振り込みが途切れたりで揉め事が発生しやすいと考える |
C | 売上折半(販売後Nか月限定) | 低 | 中 | 販売後の利益から報酬を出す形態だが報酬を出す期間を限定する(その分期間内の報酬率引き上げる必要はあるだろう)。振り込みが途切れるような問題を解消できる。 |
ネットではエヴァのネタバレに対してかなりシビアになっている節がある。
理由は簡単でそういう戦略だから。長年温めて来たエヴァンゲリオンというコンテンツに対して企業が取る最も効果ある宣伝手段だと思う。
これは何もエヴァに限らない。殆どのコンテンツは発表前までその存在は秘匿される。Appleやポケモンがいい例。新IPhpneや新ポケモンのお披露目は然るべきときに然るべき場所で行うことで最大限の広報になる。
エヴァが特殊なのは、その秘匿性を公開後も維持しようとしているからだ。それによって劇場に足を運ぶ人が大勢いるのだから大成功といえる。言い換えれば、拗れたファンの信仰心を試す儀式というのが正解だろう。プペルとは全く違うがどこか似ている。
現在のSNS偏重の日本では公開前に内容がバレることすらあるのに、エヴァは公開後も映画館に足を運んで自分の目で確かめたい層がいるため、ネタバレへの過度な反応が多い。尤も公開から1週間なので沈下しつつあるが。
ただしこのようなコンテンツはエヴァが頂点であり、今後はないだろう。なぜならネタバレという行為には、あらかじめ「ネタバレを良しとしない忌避感」が備わっていなければならないだらだ。知りたくない情報があるからネタバレがあり、誰でもしれるモノはネタバレとは言えない。
ここからは俺の個人的な考えだが、ネタバレを嫌う風潮自体が今後廃れていく、もしくは主流とは言えなくなると思える。ゲームで言えば、買い切りのソフトパッケージが主流だった時代から無料アプリ内の課金に移行したように、同じようなモノでも価値観が変わっていくはずだ。
今回のエヴァ騒動で思ったのはネタバレという行動自体がコンテンツになっているということ。
エヴァはプロモーションとして冒頭12分を無料公開するなど宣伝に多くの費用かけている一方で、肝心の本編は徹底的に伏せている。今もなお。
自分のようにエヴァ世代からやや外れた人間からしてみれば、公開後にもネタバレを秘匿することには違和感がある。そしてさらに考えると、そもそも多くの作品が公開後もネタバレに敏感な風潮に気づいた。なぜ世の中に放たれた作品にもネタバレを抑制する動きが働くのか。
例えばアガサクリスティのような有名作品であっても、殺人の犯人やトリック等はネタバレとして扱われる。それは推理小説やそれを扱った作品にとって重要且つ核心に至るものだ、というのがネタバレを阻む抑止力だろう。「このオリエント急行殺人事件の犯人は~」などと読もうとする人に告げたらかなりの確率で縁を切られかねない。
だけど世の中にはネタバレを知ることに忌避感を持つ人がいると同時に、ネタバレでもいいから情報が欲しいという人間が一定数いる。具体的には作品内で猫や犬が死ぬかどうかだ。ペットをもつ人間は犬猫の死の描写に敏感になる。もっと言えば推理小説の犯人を最初から知りたい人間もいる。そういう人は作品を読むに当たり、誰が犯人なのかをあらかじめ知っておかなけれ不安になる傾向があるらしい。推理小説をラストから読む人がいるが、まさにそういう人が身近にいる。
自分は推理小説の犯人まで知りたいとは思わない。だがその作品の核となる部分や面白さをあらかじめ砕いた上で自分に合う形で取り込もうとする考えには、決して嫌な気はしない。
例えば、自分の親はポケモンGoを一人で3台のスマホを常に操っている上に、雨の日は位置情報を任意で動かして楽しんでいる。それらはポケモンGo自体の面白さを消すことになるだろうし違反ではあるが、彼らからすれば効率性や安全性の確保が重要なのだ。作品の面白さに反してでも自分に合うモノを得たいという感情は尊重するのだ。
今までは、ゲームは自分の力で攻略するモノ、小説は自分で読破するモノ、アニメは最初から最後までみるもの、という考えが偉かった。しかし、ゲームは誰かのプレイを眺めることが増え、小説はあらすじだけで済ませ、アニメは途中の話を倍速で見る、という行為も決して珍しくない
何が言いたいかというと、劇場に足を運んで事前情報を得ていない状態で自分の目で作品を見る、という行為が面白いと感じるのはこの「シン・エヴァンゲリオン」が最後になるだろうと、ということだ。映画という舞台をキチンと使ったある意味で最後の邦画かもしれない。あらすじも匂わせもなく、純粋に作品を最初から連続して楽しむという体験は、かなり貴重だ。
今後はネタバレ自体への忌避感が薄い人がいることを世間が知る段階になるだろう。そういう人は主流にならないだろうが、無視するほどではない。そうすると必然的に「答えはCMの後で」戦法は通用しなくなる。
例えば同じ作品の宣伝で「この中の誰かが死ぬ」という予告では食いつかず、aとbが死にcが犯人、と伝えたほうが受けが良いかもしれない。
コンテンツがあふれる世の中では、結末を匂わせるのではなく、ストレートに伝える手法がドンドン出てくるのではないか?
予め結末を知るか他者の言葉や感想を求めた上で自身で内容を確認する人々の声が高まれば、まず結末や誰かの死が先行し、そこにストーリーが入ってくる形が出てくるかもしれない
とりとめも無い話だが、身近にいる何人かを見ているとそうなって行きそうだ
任天堂のゲームは昔から遊んでいてこれからもずっと応援するつもりだった
なのに
そして
まだダイパリメイクは発売してないからもしかしたらグラフィックなんて吹き飛ばすくらい面白い要素があるかもしれないが
正直あのグラ、あつまれどうぶつの森を目指してる気がするんだが(アルセウスのやつも)
まじでやめてくれ
あつまれどうぶつの森はコロナと今までの信用で売れただけにすぎないのに
参考にするなら原神とかにしろや!!!RPGじゃん!!ガチャでそこそこ売上とるんやぞ!!!
もおおおお!!!!
ただただ悲しい…なんでこんなことになったんだもう嫌だ助けてくれ
あつまれどうぶつの森は据え置きゲームの値段払ってるのに無課金ソシャゲやらされている気分になる
ソシャゲは例えればファーストフードみたいなもんで、それがいいとか悪いとかじゃない
こっちは懐石料理を食べたくて買ったのに!!
あつまれどうぶつの森はハンバーガーだしてくるんだよクソ!!!懐石料理分の値段でな!!
アプデで追加しますってあつまれどうぶつの森独自の新規要素もほぼないし
ワープも家具もそもそも島での生活が面白くなきゃ何の意味もないっつーの…
もう悲しい…何もかもが悲しい
所謂DMMがサービスを提供してるえっちぃタイプのやつなんだけど
まず何が楽しくないってUIが楽しくない。情報過多すぎる。この手のゲームをやらない自分には情報の暴力にしか感じない
そしてキャラも多すぎ。何十だか何百だか分からないけど、あの中からお目当ての子を引けっていう時点でなんかもうやる気を削がれる
それでも頑張ってチュートリアルを進めると、始まる茶番劇。そして始まる何が楽しいのか分からない戦闘
ストーリーを進めましょう、アイテムを装備しましょう、ガチャを回してみましょう、はいチュートリアル終わりです
は?ってなったね。目的がね、ないのよ。えっちぃシーン見るために何十時間も時間かけたくないし、よく分からない茶番劇も見てて楽しくないから
ストーリーも進める気が起きない。ガチャはそもそもお目当ての子が出る確率がすごい低確率らしいので、金を落とそうとも思えない
成長曲線的に言えば、もう少し進めるとやれることが増えて、楽しくなるしログインボーナスがあるから続けるキッカケになるらしいんだけど
まず翌日にこのゲームを起動しようって思えない。起動したところで何も楽しくない。ガチャなんてキャラクターを手に入れる手段ぐらいにしか感じないから大して興味もないし
皮肉抜きで、この手のゲームを続けられる人達ってすごいと思う。何が楽しいのか自分で触れてみても全然わからない
人によってはコミュニケーションツールだったり、暇つぶし?らしいけど他に代替案ないの?っていつも思う
暇つぶしっていうけど、暇をつぶすにしても他に楽しいことないの?
ゲームが趣味だから家に居ても暇な時間なんてそもそも無くて、その暇つぶしでゲームっていう感覚もよく分からなくてアレなんだけど
原神をサービス開始直後からやっているが、多分ソシャゲである限りめちゃくちゃに面白くなることは無いんだろうなと、最近ぼやいている。
勿論全くつまらないということはない。キャラクターのデザインは優れているし、戦闘時のアニメーションも個性があり観ていて楽しい。そのキャラクターを広大なマップで好きに動かせるのも爽快だ。
しかしながらそんな斬新さにも慣れてきてしまい、毎日のデイリーをこなし、既定のスタミナを消費しゲームを終わるというローテーションになってしまっている。
何より原神はソシャゲという形をとってしまったため、ストーリーが一定以上面白くなることはない。いわゆるガチャシステムで収益を得ているソシャゲはメインキャラクターを殺すことができない。どんな窮地に陥ってしまっても彼らは謎のベールに
守られてしまっている。死の危険がない冒険はそれこそゲームのようなもので緊張感は薄まってしまう。
また、そのストーリーも終わりがいつになるか分からない。今のペースだと数年後、もしかしたら10年以上かかるかもしれない。その間キャラクターは増え続けるのだろうか。現時点でもキャラクターに見合うストーリーが少なすぎる気がする。
(おそらくキャラクターに見合うクオリティの、アニメーション、脚本、演出等に時間がかかるからだと思われる)キャラクターを増やさないとガチャで収益が見込めないシステムは自ずとストーリーにも制限を掛けるだろう。
原神が買い切りのゲームであったなら今よりもっと重厚なストーリーで様々なキャラクターを操作できていたかもしれない(相当の課金をしないと全部のキャラを手に入れるのは難しい)。しかしソシャゲ形態の方が長期に渡って収益が出続け、結果儲かるなら仕方がないとも思える。
別のゲームをやれば良いと思われるかもしれないが、原神の世界観やキャラクターは好みのものが多く、キャラクターのテキストやゲーム中で手に入る本等を読んでいると、バックグラウンドの設定の緻密さに驚かされる。
これをソシャゲというゲーム形態に縛られて十分に発揮できていないと思うと残念でならない。ガチャシステムによってあの広大で手の込んだオープンワールドが実現できているのかもしれないが、それによる制限はゲーム性を損なっている。
際限なく増え続けるキャラクター、単調な作業とそれに付随するスキップ機能、終わりがあるようでないストーリー、その果てに何があるのかは分からないが、このまま加速し続けていくのだろうか。
ソシャゲにログインすれば魅力的なキャラクターが迎えてくれ、プレイすることで着実にレベルが上がっていく安心感は自分もプレイしていて常々感じる。
ただ、収益が見込めるという理由で本来の面白さを失うゲームが生まれるのだとしたらそれは1プレイヤーとして悲しい。
最近は原神でBGMを聴きながらマップを散歩するというおじいちゃんみたいな遊び方をしている。これからもプレイし続けるとは思うが、こういったどうしようもない不満を抱きつつ散歩したくはない。
今日は忙しい感じのふりをする日です。
と言うか本当に忙しいのは忙しいんだけど、
べ、べつに忙しいマウントを寝てないマウントのように取りたいんじゃ無いんだからね!
暇になるかも知れないけど、
またいつ呼ばれるか分からないので用心したいところね。
全巻制覇するためにプライム入って読み放題!って思ってたけど、
最初の6巻ぐらいまでは単品買い切り価格の未プライム読み放題で
プライム会員だからって全巻読めるわけではなかったみたいなの。
考えるわねーって策士ばりの策士の作戦ね。
上手いこと商売やってんわね!って
まあそういう所はアマゾンのお手並みが拝見されるところだけど、
商売上手だわー!
まあ、
買い切りを何巻か買ったところで、
安く済んじゃうのよね。
全巻揃えるまでに息絶える人が多いから
最初の2~3巻まで買う人が多かったら、
週刊ディアゴスティーニ・ディアゴスティーニに書いてあったわ。
週刊ディアゴスティーニ・ディアゴスティーニって思っちゃうけど、
それも上手い商魂たくましいわね!って思うのよ。
最初の2~3巻は頑張って買おう!って思うじゃない!
全部そろってからじゃないと、
瓶に入れてる来ることが出来ない、
必殺の最終刊待ちなのよ。
まさか!って思ったでしょ?
そのまさからしくって
開けられなかったという
残ったのは空の瓶だけだったって言うオチよ。
ディアゴスティーニ史上一番失敗したシリーズかもしれないわね。
知らないけど。
でもあの長い長い全巻集めなくちゃ強迫観念に追われるのも嫌だし、
好きなキャラクターは誰ですか?って試されるような質問をされつつも
話題の一つにでも鳴ればと思って聞いただけの店員さんはそのキャラクターしらないんかーい!って
例えば、
カウンター寿司屋さんで大将にまず最初何を頼むかで客の寿司実力が試させられるあの心理戦!
無言で向き合っている
この問題は、
私と仕事とどっちが大切なの!?ってこれも心理戦じゃないかしら?
漫画のバキでも、
柔道でもある
両者間合いを見すぎて技を繰り出さなかったら両者失格になるってのを実際にやったような感じで、
これなら日本柔道もやっと青い柔道着を着用を許すようになったのよね。
どっちも白いからって審判が間違えちゃうぐらいなレヴェルだもん!
驚きの白さ!って
驚きの白さ!ってことなのよ。
まあ大切なのは
新事実!
あとちゃんとすすぎの水はたっぷり使った方がいいらしいってことよ!
うふふ。
あれから一瞬出回っただけで見ないのよね。
人気なかったのかしら?
私は好きだったので、
早くトップの座が変わればいいなという、
こればっかりは変わらないわ。
心は温かいんだかんね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「可愛くて魅力的で皆にチヤホヤされるアバター」を求めることは
アバターが先かコミュニケーションが先かみたいな話になってイコールではないし微妙に話ずれてませんか?
というかバ美肉やる人はみんなチヤホヤされるためにやっているの?美少女になるということが
主体の人もいるんじゃないの。そこをいっしょくたにするのはちがうのでは
その下の3Dアバターを調達する云々も今はフリーのがあるだろうしこの手の3Dアバターは基本買い切りでそんなにお金はかからないと思うが。
上の理想のアバター云々と合わせるとバ美肉は理想の美少女アバターを求めて日夜購入したり作成したりしているのだろうか?
比較対象としての化粧云々の話やルッキズムの話は正直自分には何とも言えないが前半がよくわからんので後半も頭に入ってこず地獄なのかもよくわからん。
よくわからん話だが気になっていろいろ手につかなかったのでこっちに書き捨て。気が向いたら調べる
冬休み始まって(年末また出るけど)少しヒマなので前から言いたかったこと書くわ。
いつからだっけな。
多分DLCが本格化しだした頃からなんだけど「ゲームは一度お金払ったらずっと無料で遊べるべき」みたいな勢力が出てきたんだよ。
その昔からオンラインゲームだとアプデのたびにちょっとずつ課金要素追加されてくとか結構あってユーザーも「まあ金払わねえと潰れるし大型アプデ来んのは歓迎だわ」ってことで割と好意的に金払ってた。
そういう界隈にまで奴らは攻め込んできて「基本無料なんだから全部無料だろ!」みたいなレベルで暴れ始めた。
それが最近はソシャゲ叩きに移行していって「ガチャゲーはクソ。最後まで無料で遊ばせろ」みたいな事言うようになった。
いやおかしいだろ。
趣味じゃなくて仕事で作ってんだからどっかで金稼がないと無理だわ。
『誰かが仕事でやってることは、誰かが給料を手に入れられるようになってないとおかしい』って当たり前のことを理解できてない人は昔のインターネットにはほとんどいなかった。
ADSLが出来た辺りから接続の苦労も知らず親の用意してくれた環境に丸ごと乗っかって全てが無料であるはずと思い込んだ経済観念の壊れたネット住民が生まれだした。
彼らが大きくなって立派な嫌儲民となり、購入厨という意味不明な概念まで生まれて10年ぐらい経ってる。
そうして今やそういった概念はネットでは「歴史のある党派」に数えられるような扱いでやたら堂々と振る舞ってる。
でも一度落ち着いて考えてほしい。
単にネットで長年騒いできた連中が大勢いるってだけで、自分らの言ってることが正しいと保証されることなんて無いってことを。
最近だと特に目につくのが「新作ゲームのガチャが渋い!許せねえ!」ってやつなんだよな。
まあ確かにガチャ誘導まみれのゲームって全くおもしろくはねえんだけど、それならレビューに一言「クソでした☆1」とだけ書いて去っていけば、多くの人が同じ感想ならそれが集まって凄い勢いの低評価レビューとして十分な破壊力を持つと思うんだよな。
これはインターネットの基本として覚えてほしいんだが、10人に1人が帰り際にキレてワンパンかましていくとユーザーが10万いるなら1万発のパンチが叩き込まれることになる。マジでヤバイ威力になる。(そしてそれで相手が死ぬと1万人全員に「最後の一発を入れた可能性」が出てくるので、誰かを殴る時はよく考えたほうがいい)
わざわざ必死になって「このゲーム本当にクソでしたよ[会社名]は本当にクソゲーしか作らないから皆で攻撃しましょうー!!」って呼びかける必要なんてねえわけだ。
ガチャの渋さも含めてゲームの一部なんだからそれに耐えられないならゲームを辞めればいい。
さっき10人に1人が10万集まると1万発のパンチをかますことになると言ったけど、1000人に1人でいいから手紙をちゃんと運営に送ると10万いれば100通の手紙が届く。
100通来てその中の半分に同じ内容が書いてあったら運営もそれなりに動く。
これはとあるソシャゲサイトのマスコットキャラクターが返金騒動が起きた際のことで口にした言葉なんだが、『あいつら騒ぎ立てるわりに意外と泣き寝入り体質で、Twitterとかゲームのコミュニティとかには「コインだけ奪われた!」とか書き込むのに、問い合わせて補填を受けようって発想がないんだよね。にじよめのゲーム以外でも、観察してると「まぢ詐欺だし。ホント最悪の運営です!」みたいな書き込みがちょくちょくあるわけ。そういう叫びを目にして、「おまえらそこであきらめるんだ!? 取り返しに行かないんだ」と最初は目を疑ったよ。』ってのがある。
堂々と請求できる場面ですらこうなんだから、そういう状況でなかったらマジで多くの人は文句たらたらの癖に本人には言わずに帰っていくんだろうなと思うよ。
でもそれって違うだろ?
「言いたいことがあるなら直接言う」ってのは基本じゃん。
お前らの大好きなゲームでもそれテーマにした話いくらでもあるよな?
つうわけでありがちな「このゲーム課金きつすぎますよ!」って愚痴りあいは言う相手間違ってると俺は言いたい。
ツイッターや5chで反対運動を呼びかける前に運営に投書しろ。
だいたい本気で投書するとそれで燃え尽きてもう他所で愚痴るエネルギーはなくなってたりする。
ガチャゲーのガチャ批判はある程度分かるんだが(ゲーム性クソになりやすいし)、買い切りのDLCにまで批判が行くのはちょっと分からない。
「買うほどじゃないなら買わなきゃいいじゃん。買いたいと思ったなら買えばいいじゃん」で終わる話でしかないはずだと自分は思ってるからだ。
モナリザの顔を切り刻んで「最近のゲームは作りかけ」って批判する画像が一時期流行ってたけど、別にアレはDLCが悪いんじゃないと思う。
軌跡シリーズなんてもう海外ドラマと同じような感じでどこまでいっても終わりが見えないモードに入ってる。
DLCに対して皆複雑に考えすぎてるんだよ。
単に追加コンテンツが用意されて、それの制作費を改めてユーザーが支払うってだけ。
無料のほうが嬉しいって人もいるだろうけど、俺は作り手に金払いたいから有料なら有料でいいと思う。
コラボキャラクター1体数百円とかを高いと思う気持ちもあるけど、でもそれ作る過程で色んな人の作業があったろうし、要らん人は買わんってこと考えるとこれぐらいにはなるなと納得はしてる。その上で金出すかどうかは気分次第。
本当どこまでも気分次第でいいと思うんだよ。
本編が30時間クリア6000円なのにDLCマップ2時間クリア1000円ってコスパ2倍以上悪化してんじゃねえかゴミかよって思うのもユーザーの勝手だし、それでも買いたいって思うなら買うべきなんだよ。
結局俺たちは「欲しい物に金を払う」以上のことは考えなくていいと思うんだ。
文句言うところがあるとしたら看板に偽りがあるパターンだけで、たとえばDLCマップクリアに20時間かかるぞ!って言われて買ってみたらしぶとくアイテムドロップ粘ったら20時間ぐらい遊べるかもねのレベルだったときは、まあ愚痴っていいしレビューに書きなぐって「皆気をつけろよ!」と言ってもいいよ。
でもそういうパターンだけでしょ。
金払う価値がどれぐらいあるかが外から見て明白で、そして値付けがしっかりしてるんだったら、あとは買いたい人間が買うでいいんだ。
他人に「でもお前そのバージョンだと◯◯出ないじゃん」って言われても「そうなんだ。でも9割方差はないっしょ?」で終わらせりゃいい。
なんでそれが出来ないのかが不思議で仕方ない。
ゲームのガチャにしたって「俺は持ってないけどアイツは持ってる」って状況でも「じゃあアイツの上げた動画見て満足すっか」とかで終わらせりゃいい。
なんかこう自分が幸せにならない方向に完璧主義拗らせることを「正しい」って思いすぎてねえか?
多分これってオタクの持つある種の「実力主義的階級主義」による悪影響なんだよな。
結局の所オタク社会って体育会系かつヤンキー系な社会で、野球部のエースは女子マネに肩もみ強要させつつ後輩に100円渡してハーゲンダッツ買いに行かせても許されるみたいな世界観なのかなって。
「カラスが白いかどうかを決める権利は誰も持ってない」ぐらいの感覚で生きちゃダメなの?
前置きが長くなりすぎたな。
暇にあかしてって奴か。
今回本当に自分が言いたかったのは「好きなゲームにお金払えるのって幸せじゃね?」ってことだったはずなのに。
いきなり言っても共有してる世界観のすり合わせが出来てないと噛み合わないじゃん?
まず「ゲームにお金払うの反対って意見が多いけどさ」があってからの「でも、ゲームにお金払うのっていいじゃん?」なわけよ。
好きなゲームに課金要素が出来るのってユーザーとしては「プラス」だと思うんだよね。
だってそれはユーザーに金を払わせようと思えるだけの何かがその世界に追加されたってことなんだから。
作り手が何らかの作業をした結果として、その代金を徴収してきてるってことは、そこに商品があるってこと。
フルプライスの商品だと「未来のユーザー購入を見越して企業が人を雇って商品を作る」ってのが見えるし、クラウドファンディングなんかだと「商品がこの世に生み出されるための準備金としてユーザーがお金を集める」って行為が可視化されるからわかりやすいけど、ゲームの課金要素でもそういうの見えにくいだけで結局一緒だと思うんだ。
新しいコンテンツが提供されるから、それをお金払って購入するっていうだけでいい。
ソシャゲで新キャラがガチャに追加されるのも、それはそのキャラを作るのにかかったお金と、そのキャラが出てくるまでの間そのゲームのサーバー借りたりメンテしたりするのに使った諸々の費用を払ってるだけなわけで、そこに納得するならそれに金払えばいいんだよ。
まあ困るのはPvPゲーで課金するとやたら強くなるパターンだね。
アレはもう「金を払うと強くなれる」まで含めてのゲームだと割り切るしかないね。
でもそういう例外を除けば大部分のゲームは「納得したからお金を払う」って形を取れるようにしてると思うんだよ。
だから「納得できないからお金を払わない」をユーザーが選んでもいいし、それについて他人がとやかく言う必要もないと思う。
そして、その両者についてやたらめったら本人以外がわーわー言うのはおかしい。
それでも納得ができないなら、そのときは作った側に投書だな。
そしてお金使ってない人でも楽しんでいいって思おう。
でもGoogleとAppleのアプリストアで今年のベストゲームに選ばれたオープンワールドRPGの原神には、オート機能の類はまるで存在しないんだぜ。みんなが脳死オートを求めてるわけじゃないことはここで分かるだろう。
あと同じようなイラストならPixivとかでって発想がほんとにゲームしない人のそれで全然分かってないみたいだけど、ゲーマーは絵がほしいんじゃなくて、キャラを入手して自分で動かして、少しずつ育てて、強くなって活躍して、ボイスに癒やされて、キャラのストーリーをより深く掘り下げて知ることができる機会を得るためにガチャを回すんだよ。
インタラクティブでナラティブでリアルタイムにアップデートされていく感動共有体験を必要としないなら、時間や気力を日々コンスタントに割いてゲームなんてする必要はないし、気が向いた時に好きな実況者の実況プレイだけ見てればいいんだよ。でもそれでは満足しない人が、それだけでゲームの世界を分かった気になるのは制作者に申し訳ないと思う人が、完全な体験を求めて自分でゲームに取り組むわけ。そこにソシャゲも買い切りも関係ない。良いと思ったものはこちらも力を尽くす。そういう心意気の向かう先がゲームなのよ。