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2023-12-26

唐突10年前のカンボジア旅行について記す(12/27追記修正済)

10年前、中学生の時に生まれて初めての海外旅行カンボジアに行った。初めての海外だったので、たくさん写真も撮ったしメモもした。だというのにそれ全部失くした。当時のパスポートも失くしたので、私の初めての海外旅行の記録がこの世に何も残ってない。それはなんだか寂しいなと思ったので、今のうちに覚えてる限りを記しておこうと思った次第である

最初に断っておくが、10年前の記憶を頼りに書いているので、曖昧な部分、記憶違い、今とは違うなど、事実と異なる部分があるかもしれないが許して欲しい。

●経緯

なぜカンボジアに行くことになったのか。

当時、従兄弟カンボジアビジネスをしていて、その従兄弟夏休みの間に遊びにおいでよと誘われたから、それだけである

しかし私の過保護な母が「娘(私のこと)を1人で海外に行かせるなんて無理」と言い張るので、当時既に70代後半に差し掛かっていた祖母と2人で行くことになった。当時の私は、「ばあちゃんも一緒かー!やったー!」ぐらいにしか思ってなかったが、70代の婆さんを連れてあの広大なアンコールワット遺跡群を歩き回ったの尋常ではないよな。

入国

カンボジアに着いたのは夜。しかも天気が悪かったので周りは真っ暗で何も見えなかった。従兄弟ビジネスパートナー兼飲み仲間で、現地でガイドをしている日本人(タナカさん?ノナカさん?よく覚えてないけど今回はノナカさんと表記することにする)に迎えに来てもらって、トゥクトゥクホテルまで向かった。トゥクトゥクとは東南アジアでよく見かける3輪タクシー🛺のこと。見た目の割に乗り心地は結構いい。ホテルまでの道はガタガタで、中学生ながらに「あぁ、インフラが行き届いていない貧しい国なんだなぁ……」と思ったことを覚えているが、後でノナカさんに聞いたら「外国人スピード出しすぎないようにわざとガタガタにしてるだけ」とのことらしい。本当かどうかは知らん。

アンコールワット

次の日、早速アンコールワットに向かった。アンコールワットまでの道筋はやはりトゥクトゥク🛺

この時初めてカンボジアの様子をしっかり見た。第一印象としては「思ってたより綺麗だし、のどか雰囲気でいいな」だった。道端にハンモック引いて寝てる奴がいたり、トゥクトゥクの中で寝てる奴がいたり、なーんかのんびりしてる印象だった。これも後にノナカさんに聞いたことだが、「カンボジア人は1年の半分は農業をして、もう半分は暇してるから大抵その辺で寝てる。」とのことらしい。本当なんかな?

で、アンコールワットだが、これはもう本当にすごい。想像してるよりずっと広かった。よく知らないけどアンコールワットって規模がデカすぎて1部は未完らしいね

一応仏教寺院らしいが、時代によって仏教統治者になったり、ヒンドゥー教統治者になったりとコロコロ変わったらしい。あと、ポル・ポトっていう本当にやばい共産主義者(ポル・ポトがどれだけやばいかは私じゃ説明しきれないので調べてくれな。)によって壊されたりもしたみたい。

今はどうか知らないけど、私が訪れた時は明らかに現代的なコンクリートむき出しの部分がちょいちょいあった。これは各国が手分けしてアンコールワットの修復を行った時、フランス?だかどっかの修復が強度を重視した結果コンクリートむき出しになったとのことだった。よく知らんけど。

あと印象的なのは江戸時代にはるばるやって来た日本人落書きが残されてたこと。割としっかり残ってて笑った。どうやらその日本人アンコールワットインド勘違いしてて、はるばるインドまで来たぜ的なことを書いてるらしい。

アンコールワット欧米人観光客めっちゃ多かったんだけど、チラホラとカンボジア人もいた。そのカンボジア人たちが何故かうちの祖母とすれ違う度に祖母をガン見したり、中には祖母を拝むやつもいた。これはノナカさん曰く「カンボジア人の平均寿命は50~60代くらいだから、70代後半のおばあちゃんはもはや生き仏なんだと思う」って言ってた。そんな生き仏扱いされてる祖母とずっと一緒だったからか、行く先々でカンボジア人に優しくされた。

で、そんな祖母のことで忘れられないエピソードがある。アンコールワット観光中に祖母が急に立ち止まってガサゴソしだした。どうしたのか聞いたら「持ってきた20万円が無い」とか言い出す。私は知らなかったのだが、何かあった時のために祖母日本円で数十万持ってきていたらしい(何も無くて特に使いどころがなかったら異国で頑張ってる孫(私の従兄弟のこと)にお小遣いとしてあげるつもりだったらしい)。それをホテルに置いとくのが不安だったかアンコールワットに持ってきたけど、どこにも無いと言い出したのだ。従兄弟とノナカさんと私と祖母で探したけどどうしても見つからず、多分スられたんだろうということでその場では諦めた。その一時間後ぐらいだったか、なんかすごく徳の高そうなお坊さんの前で祖母が再びゴソゴソしだしたので、今度は何事かと聞いたら「ブラジャーが後ろに回ってしまって気持ちいから直してくれ」とのこと。どうやったらブラが後ろに回るんだよと思いつつ、祖母を手伝ってあげていたら、ブラの後ろから祖母の汗まみれの20万出てきた。心配性の祖母は、スリ対策ブラジャーの内側にポケットを縫い付けて、そこに現金を仕込んでたらしい。で、そこに仕込んでたことをすっかり忘れて20万円無くなったと騒いでいたってのが事の真相だった。うちの婆さんは、20万円出てきたのは徳の高そうなお坊さんのおかげだって言ってそのお坊さんを拝んでたけど私も従兄弟もノナカさんも大爆笑だった。ちなみにお坊さんはお坊さんで、高齢祖母のことを拝んでいた。生き仏。

まあそんなこんなでアンコールワット観光は終えて市街に戻ることになったのだが、帰路は再びトゥクトゥクを使う。びっくりしたんだけど、朝に私たちホテルからアンコールワットまで送ってくれたトゥクトゥクのお兄ちゃんが待っててくれて、帰りも送ってくれた。我々が観光してた間ずっとアンコールワット付近で寝てたらしい。

あと、アンコールワット周辺にはよく分からない物を売りつけてくる人がいた気がするけど、そんなにしつこくないので怖くなかった。現地の言葉が分かるノナカさんが一緒だったからかもしれない。

別日にアンコールワット以外の遺跡も行った。カンボジア国旗にもなってる🇰🇭有名な遺跡以外にも大小様々な遺跡があって、それらをまとめてアンコール遺跡群として世界遺産登録されてるんだったはず。確か。

プロームとかバンテアスレイ?とかい遺跡に行った。名前がかっこいい。正直どれがどれか覚えてないんだけど、赤い壁が印象的な遺跡とか、イッテQのセットの左後ろにあるデカい顔の実物を見たことを覚えてる。

いちばん面白かったのは、日本人観光客の間でオーパーツじゃないかって話題になってたらしいどう見てもステゴザウルスしか見えない彫刻。これは本当に見れば見るほどステゴサウルスなのでぜひ「アンコールワット ステゴサウルス」で画像検索して。

トンレサップ湖

アンコールワットの他にはトンレサップ湖にも行った。クソデカ湖なんだけど、ここで水上生活してる人たちがいて、従兄弟いわく非常に勉強になるからぜひ行こうとのことだった。

水上生活の様子を眺めつつ、船でワニ園に向かった。このワニ園での記憶は正直ほとんど無い……大分別府にワニ地獄ってあるんだけど、それと雰囲気一緒だったと思う……

あとワニ園で急に写真を撮られたんだけど、これは別に悪用されるとかではなく、遊園地ジェットコースターでいきなり写真撮られるみたいなもんで、旅行の記念に写真を買いませんか〜って商売。気に入らなければ買わなければいいだけ。私の顔写真トンレサップ湖と日付入りの皿を作ってくれた。なんで皿なのかは分からん。正直いらないんだけど、祖母が無断で購入していた。ノナカさんは「日本人で買う人初めて見た……韓国人自分のこと好きだからよく買ってる」って言ってた。

で、トンレサップ湖で生まれて初めて物乞いにあった。

日本普通に住んでると物乞いなんて見ないからすごくビックリした。我々を見て日本人だって判断して、船で近づいてきて日本語で「1ドルください」って言ってくる。誰が日本語教えてるんだろう?欧米人に対しては英語で迫るのかな?

まあ気になることは色々あるんだけども、私は生まれて初めての物乞いにどうすることも出来ず、ただただ慌てるだけであった。そんな中、私の祖母は慌てず何も言わず、行きの飛行機でもらった豆菓子物乞いにあげていた。豆菓子物乞い普通に去っていった。ノナカさんはこれにもまた「豆菓子対応する人初めて見た」と言っていた。

当時の私は、ばあちゃんすげーと思ったけど、今思うと最適解でない気がする。カンボジアに限った話ではないんだけど、物乞いにはどう対応するのが正解なんですか?

食べ物レストラン

繁華街アンジェリーナ・ジョリーも来たことがあるというレッドピアノというパブがあって、そこで食べたピザめっちゃ美味しかった。レッドピアノ雰囲気もイケてて大変良かった。レッドピアノのある界隈は、観光客も現地の人もいてすごく活気があったような気がする。

私が美味しいピザに大満足していたところ、ノナカさんが急に「昨日そこの通りで銃撃事件があったんだよ〜ハハハ」等と言い出した。普通に怖いんだけど。

まり詳しくないが、先述したポル・ポトの残党?ポル・ポト思想に感化された奴?ってのが存在するらしく、度々危ない事件が起こってるとのことだった。

正直食べ物に関してはこのレッドピアノココナッツジュース飲んでお腹したこと以外に記憶が無いので多分可もなく不可もなくだったんだと思う。(この数年後に高校修学旅行で再びカンボジアを訪れることになるのだが、その時に食べた現地の料理あんまりきじゃなかった。なんか、当たり外れの落差がすごかった。同級生も概ね同じような評価であった。)

あとホテルの朝食ビュッフェに関する思い出がひとつある。欧米人観光客がこんな会話をしていた。

「What's this?」「Ah……I think so…… it's TOFU

私は本当に英語が苦手なんだけど、さすがにこれくらいの簡単英語は聞き取れた。豆腐があるんなら私も食べたいと思って欧米人観光客視線の先を見ると、サイコロカットされた牛脂ピラミッドのごとく積まれていた。欧米には牛脂無いの?てかIt's TOFUって言ってた奴は2~3個取ってたけど食べたんだろうか……もしこれで豆腐のことを嫌いになっていたら悲しい。

ショッピングセンター

私のリクエストで、ノナカさんと現地のショッピングセンターに行った。日本ちょっと田舎の寂れたショッピングセンターとほぼ同じ感じで、ショボイゲームコーナーがあった。クレーンゲームクマぬいぐるみが割と簡単に撮れたので、アームの設定は日本より良心的なのかもしれん。あと、プリクラがあった。せっかくなので撮ってみることにしたんだけど、これはとてつもないカルチャーショックであった。

まず、プリクラ入口におばちゃんがいる。お金はこのおばちゃんに支払う。お金を払うとおばちゃんパンフレットみたいなのを渡してくるんだけど、そこに背景やらフレームやらがたくさん載ってて、どうやらここから選べとのことだった。背景はやたら豊富で、普通に日本にもありそうなやつから明らかに違法であろう踊る大捜査線映画ポスターやらがあった。確か10くらい選んでよかったはず。踊る大捜査線ポスターはもちろん選んだ。

で、背景を決めたらいよいよ撮影なんだが、日本プリクラみたいに自動撮影してくれる訳では無い。撮影ブースにおばちゃんも一緒に入ってきて、おばちゃんが手動で「3.2.1」のカウントして、おばちゃんシャッターを切る。撮影した写真は即座におばちゃん確認しておばちゃんが気に入らなかったらもう1テイク撮らされる。もうとにかく何もかもがおばちゃん主体である。最終的にはおばちゃんポーズから表情まで何もかも指示してきて、10分くらいかけてやっと撮影が終わる。長すぎ。

ちなみに落書き制度はなく、撮影が終わったら出来上がった写真を渡されて終わり。写真日本プリクラみたいにシールになってるわけではなく、名刺より一回り小さいくらいのカードであった。無駄に表面にキラキラホログラム加工がしてあって笑った。

カンボジア生活が長いノナカさんも、「普段プリクラなんか撮ることないから知らなかった、マジ衝撃」と言っていた。このプリクラも無くしたんだよな…これが一番ショック。

祖母

私はこのカンボジア旅行中、祖母に何度も助けられた。特にココナッツジュースお腹を壊した時は祖母神様のように見えた。祖母お腹が痛くてホテルのベッドで寝込むしか無かった私に無言でお手製の梅干し差し出してきた。この梅干し祖母が毎年漬けてるやつなんだけど、本当に有り得ないくらいすっぱい。なんで梅干しなんか持ってきてるのか意味が分からなかったけど、祖母梅干しを食べたら嘘みたいに体調がよくなった。日本の懐かしい味を食べてお腹安心したんだろうか。とにかくこの経験以降、祖母梅干しは私にとって必須アイテムです。体調不良がすぐ良くなる。逆に怖いまである

ちなみに祖母はまだまだ元気だしボケてもないので、久しぶりにカンボジアのことを聞いてみたら

暑い階段が多かったか疲れた。やっぱり日本が1番。もう行きたくない」だそうです。

●その他

2023年12月27日 追記ちょっとだけ修正しました。

思い出はまだまだまだあるけど疲れたのでこれで終わりにする。特に何も考えずに思い出を羅列しているだけなので非常に読みにくかったと思う。まじすまん。

私自身、このカンボジア旅行は本当に楽しかったし、初めての経験が沢山で、行って良かったと思ってる。でもこれを機に海外旅行にハマるわけでもなかった。高校入試の面接の際にはこの旅行中のエピソード引用しまくって、最終的には「勉強を頑張って国際理解に努めたい、グローバルな会社に入りたい」みたいなことを言って無事合格したけど、英語が本当にカスで、結局地元企業でしがないOLやってる。今のところ海外旅行に行けるほどの金は無い。まあでもそんなもんだよね皆。

最後に。

読んでくれる人がいて本当に嬉しかった。

ありがとうございました。

2023-12-21

今日海外旅行中の人に駅の場所を訪ねられて、

目の前のビルがその駅だったから「There!」って答えたんだけど、

自分的にはとっさにThereって言えたの凄いと思う。

だけど、これって英語的には超ぶっきら棒な答え方だよね「あれ!」って感じで。

なんかもっと気の効いたことが言えたら良いのにと思う。

さすがに「あれ」ってのはぶっきら棒だったかなーって申し訳ない感じがして嫌な思いさせたかなと

これって

気にしすぎ?

2023-12-15

anond:20231215190312

先週の土曜日パパ活してきた

ケチで口うるさい母親一人暮らししてる大学生の弟の部屋に泊まりがけで遊びに行ってる間にパパをみなとみらいに誘って甘えて友達と行く海外旅行お小遣い引っ張って来た

anond:20231215005233

慶應→夢を諦め切れずオーディション三昧。顧客から大事要望海外旅行ですっぽかす。

早稲田入社うつ病発症休職中に妊娠退職

早稲田→とにかく親友見なしたがり。こいつの誘いで入ったサークル人間関係泥沼具合が凄かった。当然本人はトンズラ入社一年寿退社し、都内から九州へ高跳び。

動力あり過ぎて周囲が迷惑被るやつばっかやで。

2023-12-14

好きな相手を喜ばせるためなら店の下見ぐらいできるはず

好きな相手を喜ばせるためなら年収1000万突破できるはず

好きな相手を喜ばせるためなら給料3ヶ月分の結婚指輪を買えるはず

好きな相手を喜ばせるためなら結婚式を盛大にできるはず

好きな相手を喜ばせるためなら新居に最新の家電を用意できるはず

好きな相手を喜ばせるためなら周りに見られても恥ずかしくない車が買えるはず

好きな相手を喜ばせるためなら専業主婦にさせるはず

好きな相手を喜ばせるためなら小遣い2万で我慢できるはず

好きな相手を喜ばせるためなら利便性のよい立地の家を用意できるはず

好きな相手を喜ばせるためなら平日も休日関係なく家事ができるはず

好きな相手を喜ばせるためなら毎日育児ができるはず

好きな相手を喜ばせるためなら半年に一回は家族海外旅行に行けるはず

好きな相手を喜ばせるためなら半年に一回は妻にブランドバッグをプレゼントできるはず

好きな相手を喜ばせるためなら半年に一回は妻に宝飾品をプレゼントできるはず

好きな相手を喜ばせるためなら相手の親と同居できるはず

好きな相手を喜ばせるためなら相手の親の介護ができるはず

2023-12-06

anond:20231206172823

70年代日本購買力なんて生まれてないから知らんけど、為替が放物線を描いて落ちているから、海外旅行に行きづらいし、観光立国をしていくしかないし、日本若者海外出稼ぎに行くだろうな。

2023-11-30

anond:20231130090329

多分公用語英語だったら外国行っても色々交渉とか出来て移動楽なんだろうなぁと思う事がたくさんあったわ。

日本治安とかサービスもそうだけど、日本語っていう特殊過ぎる言語海外旅行ハードル上げてる気がする。

海外旅行かいう「やっぱ日本って神だわ」するだけの儀式

日本より良い国なんてなかったわ

2023-11-29

言葉が通じる異世界って異世界なのか?

海外旅行でいく言葉が通じない異国の方がよっぽど異世界じゃないか

2023-11-27

認知症祖母が亡くなった

喪服に腰回りが入るか心配をする季節。祖父三回忌がもうじき行われよう、という頃であった。


祖父を追うようにして、と言うには少し年月が経っていた。そして、三回忌になる祖父の死を、祖母認識できていたかは、はたしてわからない。


介護4。祖母認知症を患ってから、もう20年は経っただろうか。


合掌。


**


戦前を知る祖母海外旅行が好きで、アルバムが何冊もある。そのほとんどをめくったことはないし、思い出を尋ねたこともないが…。実に惜しいことをした。


裁縫が得意で、幼少期に好きだったゲームキャラクターぬいぐるみを、ねだって作ってもらったことがある。手作りプレゼント、と思い返すと、今でも気持ちがあたたまる


祖母は長年、自営業だった祖父会社経理を務める傍ら、学童保育なんかの地域活動に勤しんでいた。60歳を過ぎたあたりで、そうした仕事縁が切れてしまったようで、毎日特にすることもなく、会う人もなく、自室に籠りがちになった。


特に具合が悪いとは聞いていないが、時おり部屋を覗きに行くと、散らかり放題。まず、足の踏み場がないくらい服が散乱している。万年床で力なく横たわる祖母の頭上には、布マスクが何枚も干してあり、床には消費期限切れのあんぱんやバナナが、袋に入ったまま潰れている。


当時はげっそりするばかりで、祖母を慮ることができなかったが、おそらく、鬱だったのだと思う。社会に、自分の居場所がなくなってしまったのだ。家族でさえも、居場所を作れなかったのだと思う。


おばあちゃん、なんかヘンだね、と家族話題にあがることもあるが、「しっかりしてよ!」と本人に言うくらいで、解決のしようがわからない。これからしばらく経つと、祖母の口から物や人の名前が出てこなくなり、めっきり口数が減った。


**


次いで、認知症らしい症状が出てくる。


自分食事が済んで部屋に戻ったあとで、入れ歯咀嚼時間がかかり、食事の遅い祖父に対して「まだ食べているのか」「洗い物ができない」と小言を言いにくるようになった。…3分おきに。


まりに頻度が過ぎるので、逆に祖母咎められる始末。でもまたすぐに、小言を言いに戻ってくる。まるでコントのようだが、本人の言い方は鬼気迫っている。見方によっては、祖父にだけは強く出られる、…それは愛情だったのかもしれない。


わかった、わかった、と折れるが食事の終わらない祖父。 その後、また小言を言いにくる祖母祖母老人ホームに入るまで、夕飯時はこのシーンが毎日、繰り返されることになる。


**


振り返って、認知症の決め手に思えたのが、「死んじゃいたい」という祖母発言だった。小言を言うようになって1年ほど経った頃に、祖母ふいに口にしたのだった。


なんてことを言うんだ…! …と驚いた。家庭に、希死念慮のある人がいるとは。


「情けないよ、死んじゃいたいよ」


これを何遍も繰り返す。認知症の人は、直近の出来事記憶はなくなっても、腹が立った、哀しかった、恥ずかしかった、という感情は残るのだという。おそらく祖母は、このときには自身認知症をはっきり自覚していて、それに伴う負の感情が、いよいよ堰き止められなくなったのだろう。


これはもう家族の手に負えない、と思って診断を受けてもらうと、当時は軽度ではあったが、やはり認知症認定をもらったのだった。遅かった、と悔やむが、早ければどうにかできたのだろうか。接し方くらいは、変わったかもしれない。


買い物は危ない。出先で声をかけられたのか、家族登録済みの生協個人でまた登録してしまったり、フルーツ訪問販売に食べきれないほど買わされそうになったり、人の良さや判断能力の鈍さに"付け込まれる"ことは多々あったが、それでも祖母は、自宅で自分身の回りのことをやれるだけの元気はあった。


**


我が家ではねこを飼っている。認知症祖母にとっても、ともに同居する家族にとっても、ねこ存在は救いだったと思う。


相変わらず祖父への小言は絶えなかったが、ねこを愛でるときは、祖母本来の、やさしい気質を感じさせた。


**


祖母と過ごした時間は、祖母認知症を患ってからの期間の方が、ずっと長くなった。


もう祖母の思い出というと、例の夕食のシーンがほとんどだったが、あるとき反物をもらったので、これを浴衣にしてほしい、と無茶を頼んだことがある。


「ずいぶん久しぶりだから、どうかしら…」

ちょっと困った顔をしていたが、やるだけやってみる、と十数年ぶりかに、針と糸とを手に取ってくれた。


数日後、ちょっと丈の短い浴衣が完成していた。物が出来上がったこともうれしかったが、大変だったのよ、とこぼす祖母の"小言"にも、うれしさを感じた。


**


それから私は家を出て、LINE家族から近況を伺うか、たまに帰ると名前を忘れられている人になるか、そういう距離感祖母と接していた。


認知症が進み、施設介護必要になってきた。ショートステイから始めて、遂にホームに入居するようになった。相変わらず、祖父食事が遅いが、それを咎められることもなくなり、家は静かになったそうだ。


一方で、祖母ホームではよく食べるようで、自宅にいた頃よりもがっちりとした姿を写真で見せてもらっていた。


**


一昨年、祖父が持病で亡くなった。


"長生き"が目標。90歳を超えて、呼吸や聴力、咀嚼に難はあったが、認知能力問題はなく、足腰は丈夫で、最後まで自分身の回りのことはこなしていた。友人には先立たれ、お金もあまりなかったようだが、酒と煙草はやめられない。…適量でね。カメラ高校野球が好きな、元気な人だった。大往生だろう。


年齢からすると、祖母大往生と言える。ただ、人生の後半20年は、認知症との並走だった。家族も辛かったが、本人も辛かっただろう。どんな心境だったか、皆目検討がつかない。


本人が「情けなくない」と自分安息できた瞬間は、この老後にあっただろうか? ひとつねこを撫でているときは、そうだったかもしれない。


孫の私は30歳を超えて、訃報を聞いたきょうも、だらしなく生きている。もう倍生きると、祖母認知症が始まった歳になる。


「情けないよ、死んじゃいたい」と、私もいずれ、誰かに言うことになるかもしれない。誰に言えるだろうか? そう口にしてから、どう仕切り直していけるのだろうか?

海外旅行中、現地の子と遊んでたらいきなりクビしめられて

レスリングかなって付き合って遊んでたら

「ただの強盗」だった。

どんなルール?ってキャッキャ戯れてる場合ではなかった。

もっとわかりやすくしてくれぇ

2023-11-26

6年ぶりに台湾に行ってきた。

今年に入ってからクソ忙しかった仕事の方が一段落したので、1週間ほど休暇をとって台湾に行ってきた。

以前台湾にいったのは6年前、最後海外旅行は4年前。

コロナで3年の間、旅行もままならなくなって、今年に入って落ち着いてから国内旅行に留まっていた。

いい歳した独り身のおっさんなので「海外旅行なんぞしてる場合か」という気持ちもあったし、国内旅行高松郡上八幡秩父と行って十分楽しめたので、億劫な準備が必要海外旅行までする必要あるのかと思ったけど、コロナの間で英語学習を初めて、2年半でフィリピン人講師とも多少の日常会話はできるようになったし、今行かないともう海外に出なくなるかもしれないなと思ったので、思い切って行くことにした。

結果的には予想外のやらかしでトラブったりもしたけど、行って良かった。


旅程は 羽田台北高雄(2泊)→台北(2泊)→上海→(トランジット)→成田 4泊5日。


台湾にいってまず気づいたのが、街でマスクをしている人の多さ。

大体半分から6割くらいの人がマスクをしている。

日本でも欧米に比べてコロナの封じ込めが比較的上手くいったため、自然免疫形成が遅れたという話があったが、日本以上にコロナを封じ込めた台湾では、まだコロナ過去の話にはなってないようだった。


台北から高雄への移動は台湾新幹線を使った。

台湾新幹線旅行者向けの乗り放題パスというのを発行していて、特定の3日を1万円あまりで乗り放題になる。

台北から高雄の最寄りの左英駅は片道で7,000円あまりかかるので、往復するならすでにこちらの方が安い。

このパスには大いに助けられた。


またSUICAのような悠遊卡は必須だ。

地下鉄バスタッチで乗れるし、コンビニなどでも決済できるので非常に便利だ。

台湾コンビニ飯も十分美味いし、暑いのでとにかく良くお茶を飲む。


台湾旅行者は6割以上は台北に行くと思うけど、高雄は非常に近代的な台北とは別の良さがある。

南なので11月でも28℃以上あって日差しきもちいい。

台北でもときどきそうなのだけど、飼い犬でもリードに繋ぐ習慣がないらしく、首輪のない犬がおじさんやおばさんの横で寝そべってたり、道をトコトコ歩いていたりする。

高雄では駁二芸術特区という倉庫街を改装したアート特区にいった。

ここは芸術いまいちからない人でもちょっと行ってみた方がいい。

街のゴチャゴチャしたノイズの中ではなく、青い空と遠くに山を望む景観の中に建つ巨大なロボや工事現場作業員オブジェは異様な存在感がある。

オブジェ系はわからなかったんだけど、あれは「どこにあるか」も重要なのだと思った。


港町高雄では六合夜市で海鮮粥を食べた。

莊記六合海產粥という屋台が夜市の入り口にあるのだが、入り口から観光客向けで本当にいい店は中に入って探した方がいいということもなく、素直にここで食べるのが正解らしい。

海鮮粥(ハイシェンジョー)、またはシーフードポリッジといえば出てくる。

中にはエビイカ牡蠣、蛤、虱目魚サバヒー・日本ではあまり食べられてない魚で、火を通すとマグロをあっさりさせたような味と食感がある)などがゴロゴロと入って、生姜の効いた旨味たっぷりお粥を食べられた。


旅の後半には新幹線台北に戻ったのだが、台北ホテルチェックインした後で、財布をおとしてしまたことに気づき、寒気がした。

ホテルの人に問い合わせると、高雄でよった丹丹バーガーに財布があることがすぐにわかり、翌日新幹線でもうひと往復することに。

結構エマージェンシーシチュエーションだけど、英語をやっていて良かった。

そしてここでも旅行者乗り放題パスが役立だった。


トラブルで2往復を強いられた台北高雄間だけど、車窓から見る台湾の緑の山や青い空、田園風景は圧倒的なものがある。

台湾自然はとても美しい。


台北に戻ってからは、台北中心街から片道30分ほどの北投温泉に向かい日本銭湯風の瀧乃湯浴室に行った。

銭湯風とはいっても、別府公衆浴場のように、脱衣所と浴室に扉がなく半分繋がっているようなワイルドな作りで、中も簡単な洗い場と浴室が2つだけ。

その温度設定もぬる湯が43℃、熱湯が46℃というパンチのあるもので、地元おっちゃんが水筒を持ち込んで茹で上がっていた。

北投には日本家屋温泉博物館や、別府地獄谷のように源泉が湧き出す地熱谷などもあり、思いのほか楽しめた。

水着があれば公衆露天風呂なども入れるので、(銭湯風は全裸日本スタイル)持っていくといいと思う。


台北の夕食は寧夏夜市の圓環邊蚵仔煎で、牡蠣オムレツと蛤のスープをいただいた。

コロナで夜市の飲食業はかなりの危機の陥ったと聞く台湾だったけど、寧夏夜市はまっすぐ歩けないほどの大混雑で、圓環邊蚵仔煎は6年前より行列が長くなっていた。

外食文化台湾では、特に若い人たちは夜市で連んで夕食を取る。

11月でも暖かい夜のストリートテーブルを囲んで食事をしている風景は、自然とは違う人の営みの美しさがある。


台湾は街を歩いていても自分達の島に対する愛着のようなものが感じられて、その空気気持ちいい。

ホテルの人がトラブルにも真面目に対応してくれたり、財布の中に一切手がつけられずにもどってきたりと人もいい。


中国本土を悪くいう意図は持ってないのだが、トランジットで寄った上海入国審査の異様な厳重さと非効率性を見ていると、社会に不信感に立脚した緊張感が感じられ、悪く言えばユルい、よく言えば人々を信頼している台湾空気が心地よく感じられた。


財布の件で余計なひと往復があったので、いくつかの予定を諦めざるを得なかったので、もう一度行きたい。

2023-11-23

anond:20231123193141

爺さんになってからでは体力も感性も衰えているので

今すぐ海外旅行

金の使い方が分からん


俺は仕事以外に楽しみがない寂しい人間だ。こうしてたまにボソッと増田愚痴でも書き込む位なもんだ。

そんな俺でも年収はと言えば2千万くらいはある。

でも、住んでる家は家賃8万くらいの安い賃貸だし、飯も自炊してるのでそんなに金はかからない。

時計だの車だのと欲しい物なんて何もない。ロードバイクは好きだが5年ほど前に買った30万くらいのモデルで十分だ。

彼女もいないし、結婚なんてまっぴらごめんだし、女遊びも全く興味がない。

競馬パチンコもしないし、酒もたばこもやらない。休日は、本と将棋盤があればそれで十分だ。

そんなこんなで年収500万くらいでもまるで問題ない生活10年以上続けてる。

気づいたら結構な額が溜まってた。

かに使おうかとも思うが、別に使いたいものもないんだよな。

これがそのまま老後の生活資金になり、

爺さんになって仕事出来なくなってから海外旅行に行きまくるのも悪くないかもしれないが

ちょっと味気ない気もする。ほんの一部くらいは浪費してもいいかなと。

例えば、500万くらい自分の為に浪費するとしたら、お前らなら何に使う?

2023-11-22

思い立ってすぐ海外旅行に行けるってすごいことなのな

コロナ前はよく海外旅行行ってて、コロナ明けの今年も近場のアジア圏何ヵ国か行ったんだけどさ。

 

コロナ海外渡航制限かかってからよく調べたんだけど、多くの国でVISA取らずに済む日本パスポートってすごいのな。

 

極端な話、今すぐ荷造りして、空港に向かう移動中に飛行機チケット取っても、多くの国に入国できる。こんな国は少ない方なんだよな。普通は事前に相手国の領事館なり大使館行って、様々な書類出してVISA取る必要があるのに。

 

別に日本スゴい!って言うわけじゃ無いけど、戦後ゼロからコツコツと外交したり、他国仕事したり、迷惑かけずに観光して来た先人に感謝せんとなぁ、と思う。

anond:20231121230219

こわいよー

義父母に渡した海外旅行土産をググった

2023-11-21

義母ブログをこっそり読んでる

義父母に渡した海外旅行土産をググったらそのお土産感想ブログ記事が出てきて、書いたあった内容があまりにも渡した状況とよく似ていたので他の記事も読んでみたらどう見ても義母ブログだった。しか家族職場についてかなり詳しく書いてある。図らずも義父母、義祖父母その他親戚周り、旦那についてめちゃくちゃ詳しくなってしまった。

さあ嫁(=増田)についてはどんな悪口が書いてあるかな!?好奇心と罪悪感がないまぜになったような気持ち自分のことが載ってそうな記事を探して読み始めたが、「よく喋ってくれる」「明るい」「いっぱいお喋りした」と悪口全然書いてなくてむしろほんのり褒めてくれてることが多くて読み進めるごとに申し訳ない気持ちになった。あとよく喋るとめちゃくちゃ書かれていた。オレはよく喋るぞ!

オープン記事で公開されているとはいえ自分はもう来てはいけない場所だなと思ったのでとりあえずブラウザを閉じた。あと、お喋りマンであることがうるさいかな?とか思ってたが好意的に受け取ってもらってたことが分かってホッとした。おかあさん!またいっぱいお話しましょ。

anond:20231121171703

どの辺りが「人のために生きてますアピール

海外旅行に家建て替えに逐一自慢してきて、自分たちはとっても幸せです人の為に生きてますアピール

ワイが子供の頃に虐待してきた両親が、今金持て余してんのか海外旅行に家建て替えに逐一自慢してきて、自分たちはとっても幸せです人の為に生きてますアピールを繰り返しており、こいつらほんとに人の心がないんだなと思う

虐待サバイバーのご多分に漏れず、ワイ自身は薬飲み飲みごまかしながら日々なんとか暮らせる金を稼いでいるのに

神にすがるつもりもないが、ただ世界に対する不信感とか無力感けがつのるよな

2023-11-20

anond:20231119184324

バス運用の難しさあって不完全な公共交通という印象。

京都旅行時にバス停に停車して、ドアが開いて、閉まる直前くらいに反応遅く手を挙げた人がいたけど、無視して発車した事例に遭遇した。

車内でもそれを見た海外旅行者が「Hey!」と一瞬声を上げたものの、既に発車している状態で見送るのみだった。

バス運転手は恐らく本当に気づかなかっただけだと思うけれど、不満を溜めやす職種ゆえに、あえて無視した可能性もある。

電車であれば規則的に必ず停車・開閉・発車し開閉も数十秒あるけど、バス場合目視で不停止だったり開けてすぐ閉めてとなるので、まず乗るところから不完全な公共交通覚悟して乗らないといけない不便さがある

anond:20231120095215

たことないパッケージでも海外旅行お土産とか言われたら食べちゃいそうだ……

と言うかお土産チョコとかクッキーとか今まで普通に食べてたし

2023-11-19

anond:20231119231317

ワイはそもそも観光地も現地料理も興味ないし友達もいないので旅行なんて15年くらい行ってないやで。

海外旅行も行ったことないやで。

というか近所の名所や美味い店すらまだ行ってないのに、それを差し置いてわざわざ金と時間と体力使って遠出するなんてアホみたいやしなぁ。

文章児童ポルノ犯罪化へ。

文章児童ポルノ犯罪化が、来年のAH委で世界標準化される気配なので、

日本小説家で18歳未満の登場人物の性行為等のシーンがある方は、自分作品原稿含め完全に廃棄するか、

外国法外国籍国外犯処罰規定関係で、海外旅行を諦めるかの選択をしなくてはならない機会が増えるかもしれません。

特に欧州オセアニア方面海外旅行をされる際は、念のため、当該法域の制度運用の動向に注意されることをお勧めいたします。

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