はてなキーワード: 機械的とは
#メモ
主人公は五属性使える。全技術がちょっと使える。史上二人目ですごい。でも属性がケンカしないようにしなきゃなのでキャパが低い。〇〇学入門だけを受けて卒業しようとしてる。留年生みたいな気まずさと初代校長以来の五属性使いという妙なすごさが同居してる。陰キャなので呪文を詠唱しない(神経と連動して使用する契約をしている)。使い魔も5体いる。
相棒は有能戦術開発者で戦闘シミュレーションの猛者。でも低容量ザコなので学会で発言権がない。それゆえにシコシコシコラーの異名を持つ。戦術を組む上で稀有な三属性以上を1秒オーダーで切り替えて使う必要があると痛感している。機械的な使い魔がいる。
第三の男はエネルギッシュで人にエネルギーを分け与える役。不器用なザコ。心やさしいオーク的なやつ。汚えげっ歯類を使い魔と呼んで使役している。
人権というのはめちゃくちゃ理性的で、イコール機械的で非人間的。
なので、人権思想的に邪悪な考えを完全に排除すると、人間を阻害することになりますが、それでいいんですか? という話になるのよね。
俺は、それでいいのだ、と言うべきだと思うし。
返信元の悩んでる増田は、己の人間的感情が生み出す受け入れ限界を、阻害して無視して見ないフリして、「安心を求める」などというお気持ち基準を捨てねばならないのだろう。
法律やルールは属性(男女など)で区別するのではなく状況(経済状態など)で支援するしないを決めた方がよいだろね。人間の本能には今となってはバグといえるような物もある
140年前にサムナーが「忘れられた男」で指摘したとおり、法の下の平等の前提は行政や司法から情緒を廃して機械的に運用することなんですよね。情緒がからむと泣き叫ぶ者が優先され、黙っている者が割を食います。
対象がよくつかめなかったのだが氷河期世代の見捨ては私も怒っているよ。男性のためを銘打った相談窓口ももっと手厚くあっていいと思う。女子供ばかり二重三重にそりゃ見えるよ
https://president.jp/articles/-/65205?page=1
上に引用したのは沼田牧師が書かれたかわいそうランキングに関する上記記事に付けられたブコメの一部だが、この3つのブコメはどれも司法、行政の平等について論じていて、概ね司法、行政にはかわいそうランキングに影響されない価値中立性が確保されるべきだという意見だと思われる
あくまで例として引用させてもらったが、他に付けられたブコメも概ねこの様に司法、行政の観点から論じたものが多い印象だ
だがしかし、沼田牧師が件の記事で論じているのはそういうことではないだろうと俺は思う
共生社会について考えるなら、一流のアスリートを見るのもいいけれど、まずは「この人、ほんとうに嫌な人だな」という感情を避けられない人とどうやって生きていけばいいのか、そこから考えてみませんか。
上に引用した部分には沼田牧師がこの記事を通して読者に訴えたい内容が端的に表現されていると思う
かわいそうに思えない弱者
そうしたかわいそうランキング下位者を我々個人が拒絶せずに関わり続けていくためにはどうすればよいのか、それを沼田牧師は問いかけているのだと思う
一方で記事に付いた多くのブコメはあくまで司法、行政の平等についての言及に留まり、かわいそうランキング下位者と我々個人との関わりについての言及は少ない
これは俺の偏見かもしれないが、かわいそうランキング下位者については公共セクターが対応すればよい、といった雰囲気さえ感じられた
もちろん、公共セクターはかわいそうランキング上位者と下位者を差別することなく運用されるべきだが、仮に女性相談窓口と男性相談窓口が、女性センターと男性センターが均等に配備されたとしても、それはあくまで公共セクターの平等性が高まっただけの話であり、かわいそうランキングを超克したことにはならない
我々一人一人が、かわいそうランキング下位者を拒絶することなく関わり続けていくこと、その実践を通して初めてかわいそうランキングを超克することができる
AIイラストにやや否定的な立場なんだけど、なぜ否定的なんだろうなと考えてたので便乗。
自分は稀に趣味絵を描くが基本的には消費者、かつAIは機械学習の分野を過去にちょっと齧った程度で、多分に想像や自問自答を含む。
結論としては "自分たちの領域にAIが入ってきて声を荒げているだけ" という説を自分では否定できなかった。自分たちの領域が侵されたらそりゃ声を上げるし上げて何も悪いことはないとも思うけど。
とはいえAIイラストが嫌い、イラストAIの利用者が嫌い、イラストAIが嫌いはそれぞれ微妙に異なる背景がありそうなので、試しに分けて書いてみる。
(前提として以下は「絵を描かない人間がAIイラストをSNS等にあげることを、なぜ絵描きが叩くか」、という観点から見ている。もう一つの大きな要素である商用利用(仕事を奪う事)への批判については含まれていない。(そんなの既存のイラストレーターがAI使うようになるだけやろと思っているので。))
これは多分、絵を描く行為と「AI生成したもの自体をイラストと呼ぶこと」の相性が悪いから。
だいたいの絵描きは模倣から始まるが、人間はコピー機みたいに精密ではないから模倣の過程で個性が生まれ入り込む余地がある。
絵なんてRGB値で表せる色の点の集まりが二次元的に並んでるだけでしょ?と思うかもしれないがそのじつ配置やサイズ比、コントラスト(明暗比)や色相変化だとか、一つの平面内にいくつもの関係性が詰め込まれていてその組み合わせにこそ絵描きのこだわりがあったりする…らしい。
「一見して似てない(パクリに見えない)からOK」だけでなく「自分なりに再構成したかどうか」とか「製作者の意図があるか」という模倣の過程における主体性が重要なんだろうね多分。
(余談だが現代のCGイラストレーターはブラシやテクスチャ、ストックフォト等の共有リソースを当然のものとして受け入れているから、似ているのが悪いとか楽をするのが悪いという風潮はあまりない。イラストAI自体、ツールの一つとして導入する流れも既にある。)
その視点でいえば現時点のAIの文脈における「学習」は「AI利用者の意思」が介在しない模倣であり、機械的な抽象化は「創造性のうわべをコピーし盗む行為」であり、
そんなAIツールから出力されたま生のモノをイラストと呼ぶと絵描きはキレる、という論理めいたものが見えてくる。
生成に使った呪文それ自体には創作性があるかもしれないがそれは呪文の創造であってイラストの創造ではないぞと。
どんなに多数の学習データで希釈されモデル内で分解・抽象化されていようと、そのブラックボックスが最終的に出力しているものは性質的に既存の作品を意思も悪意も無いままコラージュしたものでしかないぞ、という考え方。
(だから多分、現時点でもAIを作るところから自分でやれば十分に「絵を描いた」ことになるから、AIが出力した絵をそのまま出してもそういう作品として受け入れられるんじゃないかなとも思う。絵を描くとは絵を描くことではないのか?)
ということで、絵を描く人間にとってイラストAIから出てきたAIイラストがイラストには見えないとする。
そんなものを1人が手書きでせっせと投稿するならともかく、大量生産して流されたら嫌がらせや荒らしでしかない。AIイラストならそれが現実的なコストで実現可能であるから、その量を原因として否定される。
(もっとも、これを表立って言うと「お前のへたくそな絵こそ俺にとってはスパムなんだよ」という不毛なバトルが始まりかねないので多くの人はこれを言えないだろう。インターネットでナワバリバトルするな。)
(量的問題)
感情的な理由でいえば、AIイラストをイラストとして流しているからだろう。先の理由により、絵描きにとってAIイラストとイラストは別ジャンルだ。
サッカーしてる所にラグビーのルールで突っ込んでくる人、嫌だし迷惑でしょ。しかも通常の人間ではありえない速度で大量に。
使ってもいいけどよそでやれ、という考え方。
多少論理的な理由があるとしたら、小説と絵の性質の違いに由来するのかもしれない。
小説は時系列の創作だが絵は時間的に静的な平面の創作だ。一言で創作物と言っても共通点は少ない。
時系列を持ったチャンクの膨大なつながりからなる小説と、実世界の解像度でもせいぜい数十センチ四方の平面からなるイラストではイラストの方が「ぱっと見の印象が似てる作品」は生まれやすい&判別しやすい。
この特性上小説AIは過去の作品の盗作と呼べるほどのものは滅多に出さないが、イラストAIは割とあっさり出す印象がある。特徴的な絵柄やキャラクターがそのまま出てしまったりね。
またimage to image等の悪用しやすいAIの存在や、AI以前からトレパクや転載で荒れがちな環境も既にあった。
盗作と呼べるレベルのものが見つかったとき、イラストAIというブラックボックスから出てきたからパクリじゃありません!機械のやったことです!なんていうのは被害者からすれば理不尽だし、お行儀の悪いAIとその利用者がいればなおさらだろう。
技術的に問題があったり悪用可能なものを公共の場で使うな/公開するな、という考え方。
好き/嫌いどちらのスタンスの人もいる。当然だが。
イラストAIはが好き、あるいは積極利用する動きはある。「AIイラストを嫌う理由」で書いたように、ツールの一つとしてイラストAIを取り入れようとしている人はプロ/アマともに見かける。
法的に問題もないなら便利なツールとして使おう、という考え方。
これは体感だが、実際のところ絵描きの間でもこのスタンスの方が優勢だ。「自分の絵にイラストAIをツールとして利用すること」にまで否定的な人は少ない。(だから元増田の "AIに対して怒っているのではなく、自分たちのアイデンティティを奪おうとするから騒いでいる。" という指摘はよくわかる。例外的に「嫌われるAI」は明らかによくないデータを使ってるAIとか、絵師の絵を下書きに別の絵を生成しますとかに悪用されたAIぐらいだ。)
そもそも一部の絵描きが嫌おうがイラストAIの利用が止むわけもないので今後よほど大きな事件でもない限り画像生成AIの利用拡大と画像処理ソフトへの統合は既定路線だ。嫌うことに意味はない。Adobeも画像生成AIの利用に前向きだからこの流れはもう止められないぞ。
あれ?なんでこの増田書いてるんだっけ…
まあぶっちゃけ今ある感情的・技術的な問題は放置されたままイラストAIが飽きられ、問題の大半が勝手に解消されるっていうが一番あり得えそうなオチなのかね。
寝よ。
「例えば、二次元少女が過度に露出する広告を批判するなら、同時に二次元少年が過度に露出する広告もおかしいと批判した方がいい。」
なんでフェミニストがそこまでやらなきゃならないの?
このポスターがそんな不快だと思うなら不快に思う人達が「近畿2府4県鉄道警察隊に対して」抗議すればよろしい。
でも実際にはよく引き合いに出されるananの表紙と同様、あくまでもフェミニストに対する当て擦りしかしないんだよね。
https://www.police.pref.osaka.lg.jp/sodan/sodan/1/13360.html
ていうか見る限り、このコラボポスターで性的に取れなくもない要素があるのは右端の一枚だけだし
それだってフェミニストから性的搾取の要素として常々指摘される、恥じらいや無防備等の要素がゼロなんだよね。
単に肌面積の露出のみで判断してエロいかどうかを機械的に決めてるならそうなるんだろうけれど
でもほんとはそうじゃないってちゃんと分かってるんでしょ?
右端のポスターはTHE 虎牙道っていう元格闘家のグループらしいし、この程度の露出は経歴に合っていて自然ともいえる。
まあ、このポスターが二次元の少年の性的表現だと本気で思っているなら近畿2府4県鉄道警察隊に抗議したらいいよ、別に止めないから。
でもどうせしないんだろうね?アンチフェミの目的はフェミニストに難癖をつける事にあるのであって二次元の少年の表現を本気で問題だと思っている訳でも何でもないし、何よりも警察のような公権力への批判は怖いから。
・他人の言葉をよく引用する、引用するだけで自分の意見や考えは述べない
・ルールや規則を重視しすぎる、ルールや規則に書いていないことはやらない、やりたくない、無関心
・「ルールがおかしい」「規則には書いていない」ことだけは強調する(=批判だけで対案を出さない)
・何かを手伝ってもらうのを当たり前と考えている
・無理を言って手伝ってもらっているにもかかわらず、それに必要な情報や環境は与えない
・管理職自身も、自らを駒や道具の1つに徹している感あり、機械的で無感情、冷徹な印象
うーん、そういう問題じゃないんだよなあ俺の場合。自分でもよくわからんが…。
そもそも自分が車で移動するときに(家族とかでない)他人が乗ってるという状態からして嫌というのはあるな。
じゃあ完全自動運転の車だったらいいのかと考えると、それはまあいいかもしれない。
どれだけ匿名化して機械的にやり取りできるようにしたとしても、運転手が人間(他人)であるという時点でもうダメな気がする。
もちろんタクシーもかなり嫌ですね。
自動運転と見せかけつつ遠隔で誰かが操縦してるタイプの車があったと考えるとそれもかなり嫌だな。
人間が介在してる感じがする時点でだめ。
<ゴールドマン・サックス証券 チーフエコノミスト 馬場直彦氏>
日銀の説明通り、今回の決定は市場機能の改善を目指したものであろうが、同時に長短金利操作(YCC)を機械的に運用しすぎ、円安効果が増幅されたことも一因ではないかとみている。さらに、政府・与党から日銀に金融政策の柔軟性を求める発言が多くなってきたことも関係しているのではないか。
米国は来年2月と3月、5月に0.25%の利上げを実施すると予想している。ターミナルレートは5%強で、米10年債利回りのピークは年後半に4.25%となる想定だ。現在の水準からやや距離はあるが、日銀が長期金利の変動幅を拡大しても、ドル高/円安は再び進行し、140円を超えるような水準へ到達する可能性がある。
<クレディ・アグリコル銀行の資本市場本部シニア・アドバイザー、斎藤裕司氏>
前日の日銀決定会合での長期金利の許容変動幅拡大はサプライズ。米連邦準備理事会(FRB)は利上げペースを鈍化させ、市場は米国のリセッション懸念から、23年末に利下げに転じるとの見方が強まる中、日銀が金融政策を転換させるのは難しいと思っていた。ただ、改めて考えると、イールドカーブコントロール(YCC)のさらなる変更やその先のゼロ金利撤廃を見こして新執行部に対する一番重たい舵を切ったのではないか。また、リセッションのさらなる織り込みが進めばタイミングを逃す可能性があり、時期は12月しかなかったのだろう。
次の日銀総裁に交代するまでにさらに調整が必要な可能性がある。日銀によるさらなる政策変更やいずれマイナス金利を解除する可能性がでてくるとみられ、海外勢や投機筋など市場参加者は一段の円金利の上昇はありうるとみている。一方で、米金利は上昇が一服していることことから、ドル/円は下方向に向きやすい。
足元のドルは8月初旬に付けた130.40円がサポートとなり、下げ止まっている。ただ、2022年の高値と安値の半値である132.70円を割り込んだことから、次は61.8%戻しの128.10円が視野に入ってきた。また、弊社調査部がFXモデルを基にした試算によると、125円程度まで下落する可能性があるとみている。
<あおぞら銀行 チーフ・マーケット・ストラテジスト 諸我晃氏>
ドル/円はレンジを切り下げながら緩やかな円高方向に向かうとみている。前日の日銀決定会合での長期金利の許容変動幅拡大は市場の織り込みがなかったため、サプライズとなった。日銀が来年の早い段階で修正に踏み切るとみていたため、行動が前倒しとなった格好だ。
日銀の決定を受けて米金利が上昇したことから、短期ゾーンを中心に日米の金利差は変わっていない。日本の貿易赤字はいずれ縮小する可能性があるものの、目先は実需によるドル買いが続き、ドル/円の下値を支える。
一方、投機筋の円売りポジションの構築は見込めず、短期的な円ショートのアンワイドが入りやすいほか、オプション市場でも円高方向のヘッジをいれてくるだろう。投機筋のポジションがなくなるため、ドル/円の上値は重くなる。
心理的な節目で、一目均衡表(週足)の雲の上限になっている130円を維持できるかがポイントだ。同水準を割ると127円-128円が下値として意識されやすい。
日本のインフレが賃金上げを確認できる形で2%を超えていくのかが今後の注目。米国の景気が悪化していく中で、明確な数字がでてきづらいのではないか。現時点では日銀がイールドカーブコントロール(YCC)のレンジを引き上げるという思惑があるものの、当面現行のプラスマイナス0.5%程度を継続していくとみている。その場合、日銀に関する材料は剥落し、その後は米景気動向がテーマとなっていく。
日銀が決定した長期金利の変動幅拡大と国債買い入れの大幅増額は、利上げでも金融引き締めでもなければ、金融緩和政策からの出口でもない。安定的な2%の物価上昇目標の達成はまだ見通せず、金融政策の枠組みや出口戦略について論じるのは時期尚早だと考える。
11月以降の日米10年国債金利差とドル/円の相関関係から試算すると、現在の金利差と整合的な水準は136円半ば。日銀の決定を受けて5円程度、円高方向へシフトしたことになるが、この程度の振れは今までにもあった。
これが元の相関に戻るかが注目点になるが、ファンダメンタルズを考慮すれば、短期的に130円前後でいったん底入れし、来年にかけて140円台へ切り返す可能性があると予想している。
中長期の通貨の強弱に影響しやすい短期金利でみると、日本と世界の政策金利の加重平均値との差は、既に390bpまで拡大し、円キャリートレードが活発化した2005─07年のピークに近づきつつある。
日銀が金利を引き上げるめどはたっていない。今後マーケットのボラティリティが低下した場合、円キャリートレードが活発化するとみている。
https://jp.reuters.com/article/japan-economy-boj-idJPKBN2T5054
女は股さえ開けば働き口がいくらでもあるって言う人おるけど、そういうもんでもないぞという話。
風俗嬢って肉体接触のストレスがある以前に、とても高度なサービス業だと思う。
気持ちよさそうな最適な反応を返したり、気持ちいいところを探して攻めたりするのは
相手の様子を見てないとできないし、
また、攻めが得意じゃなく受けの方がいい子でも、イチャイチャして恋人気分を出したり
その嬢はどれも上手くできなかった。
入室の際にピンポンがある部屋だったが、それを押す訳でもなく
ひたすらガチャガチャガチャ!とドアノブをいじってドアを開けさせ
「イチャイチャって私よく分からなくてぇ、他の子とどういう感じにしているか教えてくれませんか~?」とか
「前のお客さんにディープキスの仕方を教えてもらって、その前のお客さんには~」と、
聞いてないのに他の客とのプレイを延々と喋ったり、
よく言えば正直、悪く言えば社会常識やコミュニケーションに難がある感じ。もちろんムードもへったくれもない。
この時点で何となく嫌な予感はしていたのだが、、、
お風呂に入ったあと、ベッドに入ってなんとかプレイを始めてもらうも、
やはりこちらがお願いしたことをひたすらやってもらうだけという機械的な感じ。
キスをしようとすると、ずっと単調に唇を押し付けてくるだけ。乳首舐めがいいと言うと、
ひたすらずっと乳首を舐め続けるだけ。
キス→乳首舐めが終わり、上にかぶさってもらって胸を触っているときに、
もう少し反応がほしいというお願いをしたところ、テンションが下がったのか、
プレイを急に中断して「イチャイチャするとか演技するとかがわからない~」とか
「これまでの仕事もいろいろうまく行っていなくて~」という内容の身の上話を始められた。
風俗もうまくいかない(ここが3店舗目だった)という話をずっと聞かされ、
プレイできるようなテンションじゃなく萎えてしまい、結局15分前のタイマーが鳴るまで
腕枕の姿勢で(完全に一仕事終わったような姿勢で)ずっと話は続いた。
「ちゃんとお金払ってるはずなのにこれ何の時間なん・・・?」という気持ちになったのと同時に、
良くも悪くも諸々正直すぎる、生き方も対人関係も手先も全てが不器用な子だったなという印象も持ち、
こういう子ってどういう道に進んだらお金の心配がなくなって安定的に幸せになれるんだろうな、と
増田に星の数ほど書かれた発達障害系のエントリを思い出して考えてしまった。
あれって強者男性と1対1で番えるレベルの女性たちからすれば、ゴミをゴミ箱にあてがって大切な伴侶を余計な虫が寄り付かないようにすることなんだから得なんだよね。女性は「同担拒否」という言葉を作るぐらい独占欲の強い生き物なんだから
あてがえ論というのは例えばるしあがどうたら言ってるオス豚とまふまふがどうたらいってるメス豚を養豚場につないどくもので、愛し合う二人を引き離して豚と番わせるものじゃない。善男善女の皆様に危害を与えるものではないのになんでこう悪魔化されるのか
まあこれがなんでかって言うともちろん弱者男性とお似合いな自覚のある弱者女性が叩いてるんだよね
これに対して「女の優秀な遺伝子を残したいという本能を無視するな!!」とか優生学チックなこと言ってくんだけど、これ優生学にすらなってない。なぜなら男が淘汰されたところで女はどんな下等な人間でも生殖できるゆえ、女側から不利な形質が素通しになるだけだから種の改良のためという観点すらあてがえ論に軍配があがる。非モテ男に非モテ女をあてがっても、男女の人口差によりあぶれオスが発生するから、これでゆっくり淘汰していく方がおまんこ下剋上が存在する現代より優れた人類に進化できるはず
あと少子化は既婚カップルが経済的理由で「産み控え」を行ってるから起きるわけではないんだよね。子供が増えてる頃から夫婦当たりの子供の数は全く減ってないわけでつまりは婚姻率の低下が原因である。実際先進国で唯一出生率が2.1を超えているイスラエルは非常に婚姻率が高い国だ
だから少子化にしっかり対応すると自ずと事実上のあてがえ論になる。
とはいえまさか機械的にあてがうわけにもいかないから、現実的には先進国で相対的にスコアのいいイスラエルとアメリカの真似をすることになるんだろうな。
例えばイスラエルは男女ともに兵役があるが出産したものは兵役に行かなくともいい。いわば出産が「良心的兵役拒否」として認められてるわけだ
アメリカではプロムが婚姻率の上昇に一役買ってるかもしれない。プロムとはアメリカの高校で学年末にある男女一組になって行うダンスパーティーのことでアメリカのカップル文化の象徴とも言える。男女一組かぶりなしというのがミソで、これによって自分にふさわしい男はどこらへんなのかわからせられるのだ。かと言って参加しなければ一生馬鹿にされる。「メスガキわからせ行事」と言える
両者の溝は深い。
つまり、どういうふうに表象を浮かべているのか、とか表象を中心に読解の営みを考えているうちは絶対に理解できない程度には相異なった受容をしているわけだ。好んで小説を読む人の多数派はな。
具体的にどう異なっているのかは、俺もまた二派のうち表象ありきで読解しか考えられない側だから説明できないのだけども。
なんというかそれが読解の速度の溝にもなってる気がするね。
というのも俺は高校共通入試レベルまでは国語は機械的に満点量産できる科目だったんだが、高校になったらもう時間間に合わなくなって下の上ぐらいの点しか取れなくなった。
表象ありきで本を読んで、普通の人と同じように読めてる気になっても、それは発達界隈でいう擬態に過ぎないのかもしれない。高校レベルで擬態しきれなくなったんだなあ。