なるほどエゴイストには小説の執筆は向いてないということなのかもしれん。
人物の意識下にある物体の描写にしてもどこまで細かく書けばいいか、そもそも地の文だともっと鳥瞰的に世界を描写するがどこまで細かく書けばいいか。
自分の思う浮かぶ世界・空間どおりの表象を読者に喚起されたいがために、しかし読者が結局どういう表象を得ているのか直接映像として引き出せないのでどういう文章なら自分の思い通りの表象を想起させられるか有効なフィードバックは得られず、ついには推理小説も呆れるほど1ページごとに立面図側面図拡大図を貼りまくらなきゃ気が済まなくなる。
という考え方自体小説を消費する側のマジョリティの感性の構造とは違っているので、この二派がいくらお互いすり合わせを図ろうとしたりしても話自体噛み合わない。
小説執筆には、感性や表現方法が重要です。エゴイストであるからといって、必ずしも小説執筆に向いていないということはありません。また、物事を細かく描写することが重要である...
で、どうやってフィードバックさせるんや? 報告書なら概念のレベルで伝わりたいことが伝わればいいから一通り文章が書けた段階で他人に読んでもらってどういうことを理解したか確...
両者の溝は深い。 つまり、どういうふうに表象を浮かべているのか、とか表象を中心に読解の営みを考えているうちは絶対に理解できない程度には相異なった受容をしているわけだ。好...
表象ありきではないということのついてかろうじてなんとなく言えることは、 たとえば雲一つない空と書かれていたとき、読者間では想像する空の明度などで朝9時ぐらいのときのか真昼...