はてなキーワード: 安全とは
我が家で夫婦とも寝込んだときには幸いカーテンレールがぶっ壊れただけで、本人の怪我は軽くて済んだが
本人たちが遊びたがっている状態だと、体調不良の親の都合を理解して遊ぶのを我慢できる歳ではない。
2歳だとテレビ見せとくにも本人の集中力の限界がある(30分持てば御の字)
あるべき姿のハードルが上がって勝手に苦しんでいるというよりも、祖父母と同居じゃなくなって最低限の安全を担保するハードルが上がって苦しいという部類な気がする
コーネリアーッス
本日は世界鎌状赤血球症デー、ベースボール記念日、日本においては京都府開庁記念日、朗読の日、桜桃忌、ロマンスの日、プログラミング教育の日、理化学研究所創設の日、元号の日となっております。
日差しが強い日が増えてまいりましたので野外での活動の際は熱中症等に気を付けて作業してくださいね。
ということで本日は【適度な休憩よいか】でいきたいと思います。
適度な休憩よいか!適度な休憩ヨシ!
読みづらくてごめん。
両陣営の人にきいてほしい。
【現状】
女性スペースや女子スポーツについては、はっきりいって保守派が負けてる。
トランス当事者がトイレやシェルターを使えないのは権利侵害。アウティングの懸念も理解できる。
修正案:ペニスフリートイレが一定数あればそれでいい。(聞き入れてもらえない可能性が非常に高いけど)
【防犯防犯って、犯罪者扱いするな!】
あえて議論しないが、
私は小さい子がいたらかわいいなと思ってガン見しないようにしてる。
ペニスがないと嘘をつかれるのが怖いというのは仕方ないと思う
まさに、性被害を軽視したせいで、無関係のトランス女性が苦しんでるわけだ
女性に対し、その人のパーソナリティが安全かどうかではなく、ペニスかどうかで判断せざるを得なくした不作為はよくない。
【相互尊重】
反対意見が出るのは女子トイレと女子スポーツの問題がほとんどだと思う。
同じ弱者としてシス女性を尊重します、一緒に考えていきますと言ってくれたらどれだけ安心できるか
マジョリティがマイノリティに一方的に慈悲を向けるのが平等ではなくて、
だから、MtFと全く同値として扱われるとアイデンティティが傷つくし怖いっていう気持ちもキャンセルしないでほしいな
【対話拒否】
アンコンシャスバイアスやマイクロアグレッションはよくないが、犯罪ではないそれを大量殺人と同レベルの罪ととらえ、
発言者へのヘイトスピーチを行う残念な人もいる(そう、ターフは殺せ踏めってやつ)
反対意見ということを理由に差別だとレッテル貼りし、封殺する勢力がいる
差別団体であるという主張は名誉毀損にあたる可能性のある不法な発言という認識を私は持っています。
いかなる問題でも、言葉が血気盛んな人の言うことは聞く価値がない。
自陣を焚き付けるために話が通じない反対陣営のふりをしてる人もいる。
【差別について】
トランスの人たちが感じてたと思うと、
けど、本を焼いたり言論弾圧するのは、差別の解消に逆効果になると思う。
それは対話ではなく争い、ゼロサムゲームになってしまう。世界はゼロサムゲームではないはず。
しっかり対話をすること。相手の言う事を頭ごなしに否定しない。誹謗中傷や人格否定はしないこと。
これは両方の意見の人がするべきこと。
【私はどうするか】
・もともと「女性」だと思っていたものを「シス女性」と言い換え、シス女性を自認する。
(他のジェンダーアイデンティティを排除するという意味ではなく、Lの人がLであると思うのと同じように、自分はシス女性である、と考える)
両親の不貞や不仲って、世間が思うよりずっと子供の心を抉り続ける。自分は一番多感な中二のときに父の不倫が発覚し、子を三人育て家事に仕事に駆け回っていた気丈な母が涙を流していた。不倫の事実よりよっぽど堪えるものがあった。いまでも疲れている時やストレスが溜まっている時、あの日の母の啜り泣きの夢をみる。
うちは離婚しなかった。母が父を許すかたちで結婚生活は続き、ここ最近孫ができた。不倫が発覚したとき、兄二人はすでに家を出ていたので、その事実を知らない。言おうにも言えず、それをひとりで背負うことになった。もちろん自分と母でその話をできるわけもなく、芸能人の不倫のニュースがテレビに映るたび、喉の奥がヒュッと冷えるのを感じた。それが今の今まで続いている。笑い話に昇華できるのはあと何年必要なんだろう?
自分の身体には、つらさと悲しさでつけてしまった傷がまだ残っている。わかりやすくおかしくなって、でも誰に助けてと言っていいかわからなかった。メンヘラというのは、本人の責任だけだろうか。大人になったいま、それが「イタい」のも勿論理解できるし、やめたほうがいいと思う。でも心の痛みに身体が伴わないのは変だった。みんなが眉毛を整えているカミソリで、腕を切った。
親は自分を愛してくれていた。それは確かな事実だと思う。大学まで行かせてくれたし、大切に思ってくれていたのはわかる。でもつらかった。しんどかった。「不倫」で笑えるのはいつになるかわからない。安全だと思っていた家の床が突然抜けたような、驚きとトラウマに満ちた半生だった。いまでも常に不安で仕方ない。
もう30歳を過ぎて結婚していて、その幸せは甘受しているのに、ふと昔を思ってひとり泣くことがある。子供だった自分を抱きしめてやりたい。
リテレーッス
本日は自閉症プライドデー、世界スシの日、持続可能な食文化の日、日本においては海外移住の日、考古学出発の日、おにぎりの日となっております。
持続可能な、多少されてる奴はSDGs発端のやつですね。
なんだか、こういうことはよくありますね、だから日本においてのとか区分けしてたりします。
世界においての普通が日本においての普通ではないし、日本においての普通も世界においての普通ではないのでしょう。
いや、世界と考えるから訳がわからなくなる訳で、日本と別の地域で考えると「そりゃ、違うに決まってんだろ」とは思いますね。
そういうのをよく考えて楽しんでいきましょう。
ということで本日は【ルールの把握よいか】でいきたいと思います。
間違えないことに血道をあげてきた。
正解したい、とも違う。「正解」がいかなるものかなんて本当はどうでもよく、赤ペンの○がすっすっとテンポよくつきさえすればいい。とにかく死なないために、下手を打たず安全に行くこと。当然、百発百中とはいかない。仮にうっかりペケがついたとしても、正解を求めて努力したそのポーズさえ崩さなければ、許される。そういう世界で、そうやって生きてきた。
いつまで経ってもエントリーシートが書けない。書けないんじゃなくてお前が書かないだけだろ、早くやれ、と発破をかけて鉛筆を手に取る。その辺のノートや裏紙に、各項目、思いつくままに書いてみる。「志望動機」「長所と短所」「自己PR」「活動
歴」。
手をつけてみれば、案外楽しいかもしれないぞ、と思い始める。しばらくして、やっぱ普通に苦しいぞ、と思い始める。
これを出すのか。あと、スーツ用意して、ちゃんとした写真取らないと。めんどくさいな。
まあそう言わず、せっかく書いたんだから出してみりゃいいじゃん。
わかってるけどさ、しないといけないって。待てよ、ほんとにしないといけない?
そりゃあ。どこに職探しに行ったって求められる手順は大して変わらないんだし。いい練習になるんだからさ。大体甘えた贅沢言うなよ。今の生活だってなんも当たり前じゃないんだぞ。
自問自答、全てが苦しい。いま楽をしたい自分と、後で楽したい自分との弁護合戦。きっとどちらにも、ちょっとは正しいところがある。正しさで殴り合って、より強度の強い方が勝ち残るのを待っている。全ては私が間違えないため。
おおむね後者が優勢だが、前者も中々に粘る奴で、延長戦に縺れ込む。このところ、私の気力と体力はほとんどこれに費やされていて、自分の死による試合の強制終了を試みたこともある。
こんな作業はやれば大方は得で、絶対に終わらせられることだ。なのに、どうしてこんなに躊躇うんだろう。(やるべきことに取り組む上で、こんなことを考え始めたらもう終わりなのだが)
ふと立ち止まった時、体の下の方から強烈な感覚が立ち昇ってきた。
間違えたい、という感覚。
このボタン押したら、どうなっちゃうんだろうっていう、小学生の頃のあれ。
性的な文脈で感じる、めちゃくちゃになりたい、戻れなくなりたい、わけがわからなくなりたい。みたいなあれ。
完全に冷静さを欠いていると頭でわかる。頭ではわかるのに、視界の端でチラつくその感覚を体が無視できない。
結局、安全に行かないと死ぬという呪いを、危険を冒すことで解きたいのかもしれない。愚かな選択に全振りすることで、その果てにあるものを確かめたいのかもしれない。運良く生き延びられたら、うっすらとした勝利の感覚すらあるだろう。あるいは、死んでしまったとしても、思うがままに進んだ結果ならきっと解呪はできる。どちらに転んだって、道なりに転ぶだけだろう。
間違えても大丈夫。大丈夫じゃなくても、大丈夫。私は私の間違いに付き合うし、私の愚かさを可愛がる。クズで愚鈍で考えが足りない、周りに生かされてる最低の奴。だから、弁護はしない。しようがない。でも、見放しはしない。更生を期待するでもない。ただ、私は私というそういう人間が生きて、死ぬまでを見届けるだけ。
机の上のESが目に入る。そもそも、この紙切れを出す出さない程度の、全然大した話じゃない。
でも、世に言う「自己肯定感」とはこういうことかもしれないと、ようやく体感した。
そんなこと言って、根が愚かなので明日には気が変わってるかもしれないが、まあ、それもよし。
クルックーッス
だんだんと暑くなってまいりますと、乾いてくる感覚を覚えてしまいますね。
あと二、三度くらい雨が降りやすくなる時期は来ると思いますが、そこを越えたらまた夏なのでしょう。
うんざりしてきましたね。
ということで本日は【気温の確認よいか】でいきたいと思います。
トランス女性が女風呂入れるって喚くとか、いや外性器が女じゃなきゃ女風呂には入れないよとか言ってるけど、外性器が女だから何なんだろう。
女が女湯を盗撮みたいな事件、たまーにあるじゃん。男→男の性犯罪は言わずもがな。性犯罪の動機は性欲より他の要因が大きいとも聞くし、ならなおさらセクシャリティは安全を保証しない。
現実的には女に性欲を向ける人間の大部分は男だし、男の犯罪率の高さ性欲の強さを考えればレズやバイの女より男の方が危険度は圧倒的に高いだろうし、だからこそ男風呂女風呂に分けることで比較的安心になってるわけだけど、でもそれって差別じゃない?
犯罪率の高い外国人はこのエリアに入れないので安心ですって言ってるのと変わらなくない?
さらに言えば、社会の大部分の空間で人間は体表の一部を晒して声や体臭を振り撒いて生活しててそれに欲情する人間もいるのに裸や性器を晒す空間だけ区別するのも多数派の性嗜好を前提にした差別じゃない?
男↔女は互いの裸体を晒し合うと性的な感情が発生するっていう大多数はまあそうだよねってことを全体に当てはめて風呂、トイレ、更衣室みたいな空間を男女に分ける差別は歴史があって、かつ実際にかなりの度合いの安全は保証してるから市民権を得てるんだろうけど、でもマジョリティ中心の発想がここまで批判されるようになった時代に「そもそもこれって差別じゃね?」って話にならないのかね。
増田が大家として便宜的にタトゥーNGというカットラインを設けていることに問題はないだろう。
これ見よがしにタトゥーを入れている奴はろくでもない人間である「可能性が高い」というのは(現時点で)実際そうなんだろう。
単なる商売人である増田に「誤射」を無くす義務は無いのである。
しかし何の利害関係もなくて「そうだそうだ、タトゥーを入れている奴はまずロクでもない人間と見做してよい。これは差別ではない」という声はどうだろう。
例えば在日クルド人は日本人平均より犯罪率が高いので来店お断りとラーメン屋が掲示したらそれは差別になる。
「タトゥーは民族出自と違って自分の意志で入れたんだから自己責任だろう」
それはそうだが、例えば底辺高校卒業者は一流進学校のそれよりクズの可能性が高いのでウチの嫁としては相応しくないというのは差別になる。
まあ過度な一般化というやつだ。
内心の自由というのがある。また社交上のマナーというものがある。我々は差別について完全に無辜でなければ生きる資格がない、わけではない。各々まあこのくらいはOKだろうというラインを設定して日々生活している。
私の基準は、個人でやってる大家が裏足切りラインとしてタトゥー忌避している話を読めばふーん面白いねとは思うが、そこで「そうだそうだ、タトゥー入れてる奴なんてろくなもんじゃない」と同調するのは違うというものだ。同調してるようでそれらの間にはけっこうな距離がある。
あと「〇〇は差別の要件を満たさないから自己責任!」と、なるべく判定を狭くしようとする感覚も自分とは違うなと思う。オレの視点からは問題ないと思われることでもグサグサ刺さる人もいるだろうから、なるべく安全側の判断を心がけるほうが無難だろうと思っている。
これは全くの印象論なんだけど、「経済難民や単なる犯罪者も申請があればフリーパスで難民と認めるべきだ、認めない入管行政は鬼畜生だ」と主張する和式リベラルで、入れ墨者や低学歴や田舎ヤンキーはいくら差別してもよい、というか「差別じゃない!自己責任だ!」とかいう奴、少なからず居そう。
大学1年生の上京して数ヶ月経った頃、テレビを買った時に配達と一緒に設置をしてもらったことがある。
今考えると、箱から出してただコードを挿すだけなんだけど、それすらも何もかも分からない18歳だった。
ものの数分で設置が終わり、配達のおじさんが帰って行く際に「玄関はチェーンをかけたまま出ると良い」ということを教えてくれた。
「宅配がきたらチェーンの隙間からサインを書いて、荷物は外に置いておいてもらって、配達員がいなくなった頃に部屋に入れるほうが安全です。僕らはチェーン付けられたまま対応されることに慣れてるので全然気にしなくて大丈夫!今日みたいに部屋の中に入る必要がある時以外はチェーンは開けない方が女性は安心ですよ」と。
当時住んでいたアパートは、オートロックやインターホンなどがなかった。そのため来客の応対の際はドアを開けるしかなかった。
わたしは配達のおじさんが来た時、覗き窓からチラッと顔を見て「テレビの配達かな?」と思うとすぐに玄関ドアを全開にして招き入れていた。
おじさんにとってはちょうど娘くらいの年齢だったんだろうか。無防備な18歳の女の子を見て心配に思って親切に教えてくれたんだと思う。
それまではチェーンをかけて対応するのはなんかちょっと失礼かな…と思ってしまっていたので「慣れてるから気にしなくて大丈夫!」とカラッと言ってくれたのがすごくすごくありがたかった。
「よし、次。」
学園の試験官は、前の受験生が投げた球がギリギリだが的に当たったのを見届けてから、次に待つこちらに声をかける。
左手に握った球を見る。力を入れて握っても変形しない良い球だ。これならば秘められた左手の力を開放しても大丈夫だろう。
「どうした。ん、何だその持ち方は? まあいい、早く投げろ」
試験官の言葉を受けて、指定のラインまで進み、予備動作を行って全身をめぐる力を左手に伝え、そして指先へ、乾いた軽い音を立てて球が手を離れる。
直後、
ガコン! 球が的に当たり、的は倒れた。
自分が異世界に転生したらしいということに気が付いたのは、赤ん坊の頃に目の前に自分の手を伸ばした時だ。自分の思い通りに動く手を見ていて過去の記憶を思い出したのだった。そして過去の記憶から、この世界には前の世界には無かった不思議な力があることが分かった。前の世界で読んでいた空想物語で似たようなものがあり、超常能力や不思議力のように呼ばれていたのだけど、後にはこの世界の言葉を使って手法と呼ぶことにした。
過去の記憶があっても、まだ成長途中の幼年体だったので、成長に合わせて訓練をしていった。最初は手と足を使っての移動であるハイハイを練習し、少し成長してからは移動は足だけで行い、自由になった手で手法の可能性を探っていった。
物をつかんだり投げたりといった今となっては基本的なことも、最初は難しく、力の加減を間違えて物を壊したりもした。この世界での親は寛容な人であったので、安全には配慮したものの、自由な行動が妨げられることはなかった。ある手法の訓練のための教室に通いたいと言った時も、こころよく了解してくれた。自分のためだけでなく、この世界での親のためにも、手法を極めて社会的成功を目指そうと思うようにもなった。
訓練用の教室だけでなく、野外で行う別の属性の手法についても訓練を行った。同年代の子供と一緒になり、球状の玉を投げたり、取ったりといったことや、棒を使って動く球を叩くこともやった。前の世界ではまったくやったことが無かったので最初の内はうまくできなかったが、訓練の成果もあって、手法の技術は進歩していた。
「しかし、相変わらず、すげーな。あんな変な投げ方なのにな。」
一緒に受験した友人のアカイが、倒れた的を戻すのを手伝ってくれながら言った。
いつものように答える。アカイは自分の番はもう終わったので、こっちを見に来てたみたいだ。
そこへ、
と、別の友人ナナオがやってきた。
「わかった。それじゃあ。」
「でもホシノはすごいですね、2つも試験を受けるなんて。」
移動しながらナナオと話す。
少し上の方にある彼女の頭を見上げるようにして話す。
「それに、」
そう言って、彼女の手を取る。
「どちらもこの手でやることだ、基本は同じだよ。」
彼女の手も、毎日の練習によって強い力が出せるようになっている。
「もう、いきなり手を握らないでよ。まあ、別にいいけど。」
矛盾したことを言うナナオの手を放そうとしたが、逆に握ってきたので、そのまま手をつないで歩く。
ナナオによれば、僕の試験は最後に回してもらっていたようで、なんとか間に合った。
今度の試験は室内で、魔道具ならぬ手道具を使って行う。弱もしくは弱強と呼ばれる手道具に沢山並んでいるレバーを押すことで、対応した音が発生する。あらかじめ決められた方法で書かれた順番に合わせてレバーを押すことで、一連の音が発生するという具合だ。レバーの押し具合で、弱く押せば弱い音、強く押せば強い音が発生する。
レバーの数は多いとはいえ有限なので、出せる周波数はとびとびになる。これが弦の長さをアナログ的に変えながら振動させる手道具なら、理論的にはいくらでも細かく周波数を変えることが出来る。残念ながら、僕に弦属性はなかったようで、この手道具ではかろうじて音が出せるくらいにしか使えない。小さなころは同じ強弱の手道具を習っていたナナオは、この弦属性の手道具の使い手でもある。僕の2属性を誉めるナナオにしても、2つの手道具を使いこなす複数属性の適正者なのだ。
「よし、はじめ」
試験官の合図で開始する。右手と左手で別々に、しかし関連させながらレバーを押すことは、簡単なようで難しい。幼少期から通っている教室での訓練があって、はじめてできることだ。
「あっ。」
見ている誰かの声。それは、風で目の前にあった手順を書いた紙が飛ばされてしまったからだろうか。
2番目の試験も無事に終わった。
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ホシノ 主人公。おそらくは手足が無い生物が住む世界からの転生者。
ナナオ ホシノの友人。将来はバイオリニストになって、ホシノと一緒に演奏会をしたいと思ってる。
https://kakuyomu.jp/works/16817330653986494310/episodes/16817330658943054917
特に、過激派同士がトンデモ理論で殴り合っていると人類の創造性を感じずにはいられない。
そういう争いをもっと見るため、争いが起きる場があれば両陣営に扮して対立煽りをしてきたし、なんならまとめサイトも作った。
メインの層が10代〜20代、クリエイターを盲信している若年層。
年齢高めの層もまともな教育を受けておらず、精神年齢は子供並み。
インターネットに慣れていないキッズは釣りやすくて助かる。かわいいね〜
あまりにもチョロすぎて手応えがなかったから、対立煽りの手法を公開する。
などの言葉を投げつけてやろう。
もちろん呼称はもっと沢山ある。クリエイターなだけあって言葉遣いも創造的ですねw
最近は誹謗中傷での訴訟も始まってるみたいでワクワクしてきた。
・自分では新しい用語を作らない(過激派が作った言葉を借りる)
ように注意している。
「○ねばいいのに」という言葉でも敗訴している。過去の判例を見ることで、引き際のラインが分かりやすくなる。
あくまで自分は安全圏から、他人の争いを眺めるのが最高の娯楽だ。
曰く、
「学習元画像の制作者にも還元できるシステムがあった方がいい」
「現時点ではAI学習は合法だから個別のユーザーを叩くより法改正を求めるべきだ」
とか。
AIへの生理的嫌悪で理性を失っている人間が大量にいて絶好の争いのタネなのに、冷静になってもらっては困る。
こういった中立派気取りには「裏切り者」みたいな言葉を投げかけて議論に参加する気を失くしてやろう。
そうすると過激派が残り、過激派の言動の流れ弾に当たった人間がまた新たな過激派になってくれる。争いは終わらない。最高だ。
まともに論理が通っていない言説(ダブスタなど)を振りかざしている層にはまず煽ってやる。
反応してきたらあえて論破せずに、極論を言ったり、論点をすり替えたり、詭弁を駆使すれば良い。
論破しない理由は、「自分のほうが上だ、自分のほうが正しい」と勘違いさせたままにさせておくためである。
(まあ論破したところで理解してもらえないだろうから、どっちも大して変わらないという可能性もある)
「反対派閥には話が通じない」と思い込ませることができれば、あとはエコーチェンバーで勝手に先鋭化する。
「男子三日会わざれば刮目してみよ」とは言うが、ちょっと見ないうちに人は簡単に狂っていくのである。その様を眺めるのもまた一興。
まあそもそも近年人気のイラストレーターなどに関心のある層がこのあたりに集まっているというのと、「技術革新によって環境が変わる様を体験したことがない」層が変化を嫌っている。
ベテランのイラストレーターは流石に冷静に受け止めている人が多く、経験の違いを感じた。
アフィリエイトによる小遣いが少々。アフィッフィッフィッフィwwwww
怨嗟が渦巻くインターネットから生み出される迷言が好きで、それらが発生する土壌を生み出そうとしているだけだ。
知ってる。
でも最近だと「ペ◯スを押し付けるように女性に知識を押し付けるのをやめてください」は面白かったろ?
あれが面白いと思ったらなら、お前も俺になれる素質があるよ。
つまるところ、常識的な頭をしていれば到底思いつかないような語録を追い求めているのである。
理解出来ないモノを叩く時、人々は常識のフィルターを外すことができる。
でたらめな言説を真顔で喋っている人間は、常識改変されているみたいでとても興奮する。
寿司食べたい。
ユリウーッス
本日はブルームの日、アフリカの子どもの日、日本では和菓子の日、ケーブルテレビの日、スペースインベーダーの日、麦とろの日、無重力の日となっております。
南アフリカ共和国では青年の日となっており、青年の日もアフリカの子どもの日もソウェト蜂起に因んで作られた記念日となっております。
アフリカの若者達が自分達の使わされてる言語に対して不満を抱いて始まった騒動で最終的に死者を百人以上、負傷者を千人以上出す大惨事となりました。
そしてそんな言語や教育の為に立ち上がった多くの学生達を忘れない為に、アフリカの子ども達について考える為に、アフリカの子どもの日や青年の日というのを作られたのだそうな。
暴力は最後の最後の自分だけが責任持てる範囲になったところですね。
一般常識では否定しておいた方が安全に物事が進みます、暴力のフェーズは別ベクトルに行っちゃうので。
やっぱり大量の人間対大量の人間が一触即発になるのも宜なるかなって感じです。
それでも最後の最後まで言葉でやりとりすることは念頭に置いておきましょう。
ということで本日は【適度なコミュニケーションよいか】でいきたいと思います。
適度なコミュニケーションよいか!適度なコミュニケーションヨシ!
安全ピンは加害じゃないのかしら……?
ブコメで「女性は男性にとって、飯炊きとオナホを足して二で割ったようなものに見えていると思っておくくらいが丁度いいんです。」って言われて平気なのか?とのがあったけど、「穴モテ」みたいな扱いを受けてチヤホヤされてると勘違いして人生損する女も多い以上、そう思ってるほうが安全だし、実際、男に散々貢いでる女に対して「あんたは家政婦兼オナホとしか思われてないわよ」って言うのとか普通にあるなと思った。
40歳になったら、常に機嫌良さそうにふるまうようにしなさい、なぜならば、普通にしてても周りの人たちに不機嫌そうだと思われて委縮させてしまうから
という話を聞いたことがあるけど、それと同じノリでは有意義なアドバイスなのではないかと思った
ただ、各々に感想を書くと、
上記2については、世知辛い世の中だなと思うし、都内だけかもとも思うし、都内でも小規模でみんな顔見知りみたいな小所帯のマンション(そんなとこあるか分からないけど)だとそんなことないだろうから、あまり一般的な話でもないかもしれない。