両親の不貞や不仲って、世間が思うよりずっと子供の心を抉り続ける。自分は一番多感な中二のときに父の不倫が発覚し、子を三人育て家事に仕事に駆け回っていた気丈な母が涙を流していた。不倫の事実よりよっぽど堪えるものがあった。いまでも疲れている時やストレスが溜まっている時、あの日の母の啜り泣きの夢をみる。
うちは離婚しなかった。母が父を許すかたちで結婚生活は続き、ここ最近孫ができた。不倫が発覚したとき、兄二人はすでに家を出ていたので、その事実を知らない。言おうにも言えず、それをひとりで背負うことになった。もちろん自分と母でその話をできるわけもなく、芸能人の不倫のニュースがテレビに映るたび、喉の奥がヒュッと冷えるのを感じた。それが今の今まで続いている。笑い話に昇華できるのはあと何年必要なんだろう?
自分の身体には、つらさと悲しさでつけてしまった傷がまだ残っている。わかりやすくおかしくなって、でも誰に助けてと言っていいかわからなかった。メンヘラというのは、本人の責任だけだろうか。大人になったいま、それが「イタい」のも勿論理解できるし、やめたほうがいいと思う。でも心の痛みに身体が伴わないのは変だった。みんなが眉毛を整えているカミソリで、腕を切った。
親は自分を愛してくれていた。それは確かな事実だと思う。大学まで行かせてくれたし、大切に思ってくれていたのはわかる。でもつらかった。しんどかった。「不倫」で笑えるのはいつになるかわからない。安全だと思っていた家の床が突然抜けたような、驚きとトラウマに満ちた半生だった。いまでも常に不安で仕方ない。
もう30歳を過ぎて結婚していて、その幸せは甘受しているのに、ふと昔を思ってひとり泣くことがある。子供だった自分を抱きしめてやりたい。