「存在意義」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 存在意義とは

2024-09-13

はてブ存在意義ねーわマジで

古いブクマを見るとリンク切れ記事ばかりだ。

頭がおかしかった昔の俺は日頃せっせと虚無をブクマしていたのだ。

悲しい。

そしてこの悲しみは永遠に続くんですね。

明日になったらまた別のブクマリンク切れになり。

明後日はまた別のブクマリンク切れになり。

10年後には今のブクマは全部リンク切れになり。

もはやそれ何??

はてブってなに??

いやむしろインターネットって何?

リンク切れの夢を追いかけても、そこに希望はないのですわよ。

2024-09-12

うんこ臭い嗅いでくっさーっていうのやめない?

はてな何年やってるか知らないけどいい加減ここが隔離病棟であることに気づけよ。

 

おかし自称フェミ自称リベラル、自称弱者男性を外界から隔離して他のSNS平和に保つのはてな増田の唯一といっていい存在意義なの。ここはそういうところだぞ。

 

からここに巣食うフェミが頭おかしいのは当たり前で、お前の書き込み刑務所に行って「ここは犯罪者しかいない」って言うようなものうんこ臭い嗅いで「くっさー」って発狂するの馬鹿だろ。ゴールドシップかよ。

 

まともな人はまともなSNSで学びのあるコンテンツを肴にワイワイやっとるわ。

anond:20240912093947

チルド餃子存在意義

もう何年も冷凍餃子の人気が続いて価格も手頃な状態なのに、スーパーではチルド餃子販売ブースが縮小していない。

味は冷凍餃子に及ばない。安売りされていても1つの大きさは冷凍餃子の半分程度なので特別コスパがいいとは思えない。

誰が購入しているのか。

2024-09-10

anond:20240910130619

何度か増田に書いてるけど、公立と大して進学実績の変わらない私立存在意義からないわ

公立はクソ(動物園)みたいな漠然とした嫌悪感を、塾とかに煽られてた親が搾取されてるだけじゃん?

教員の質が私立公立で大きく違うわけでもないだろ

まあ、同級生は同じくらいの経済レベルであってほしい、みたいな需要分からんでもないんだが...

2024-09-09

anond:20240909074133

ヤンデレさんは多少は病ませないと自分存在意義を見失ってしまうので、適度な病み要素を与えつつ、解消してあげないといけない

病みたくないのではなく、病んだ上でまっとうに生きたい、病んでる自分を受け止めてくれる人が居て欲しいなのかもしれないので

少子化は少親化でもある

この世に生まれて、イケてない子ども時代とパッとしない社会人生活を送ってきて、うっかり出会った妻との間に子どもができ、親になった。親であることは尊い。こんなに尊いとは思っていなかった。なぜか。親であるというだけで役割生まれる。子どもにとっての親は自分だけであり、無条件で頼られ、それなりに尊敬されたりする。親であるというだけで。これは大人になるまでに存在意義をそれほど感じられなかった増田にとってとてつもない価値で、親であることは大変なことも多いけど、ギリなんとかやっていけるレベルだし、なんとかやっていけるレベルに設定されているような気もする。難易度調整的に。だから、親になることを躊躇するような社会状況が広く存在するんだとしたらそれは結構シンドいし、結婚するのもしないのも自由子どもを持つも持たないも自由というのは良いんだけど、その分社会的に価値を感じることのできる機会、しかも最も大きいものを失ってるかもしれないというのは認識しておいたほうが良い気がする。親になること、そして社会に親が増えることが及ぼす個人的社会的にポジティブ効果は計りしれない。少子化は少親化でもある。

2024-09-07

anond:20240907070105

玉袋ゆたかで男の人らが問題意識理解できたわけじゃないと思うけどな

まあでも間違いなく、ミラーリングの難しさを浮き彫りにした意義深いアイデアだったとは思う

確実に歴史存在意義を残した

2024-09-03

anond:20240903220330

でも、生物学的に50才すぎたら存在意義がなくなるのは男性ですよね

おじ捨てるのが先では?

anond:20240903012616

実家のお掃除お疲れ様

実家大好きな母上にとっては、自分存在意義否定されかねない『祖母大事にとっておいたラブレター』は否定すべき脅威だったのかも。

母上は存命中に、祖母からホントは他に好きな人がいたの」なんて話を聞かされてたようで、

すると聞かされた当時にはかなり嫌な気分になってたろう。

しか子どもに言っちゃうくらいだから祖母にとっては

若い頃の武勇伝、元気が出るファンレター』程度に風化してたとも見える。

祖父葬式でのご様子を見ても。

そうだとすると、別に祖母愛媛に帰りたくなくて、

母上が祖母に済まなく思う必要もないような。

母上は母上で、祖父母の介護をやりきれなかったことに対する自責の念が、

少しだけ不自然さと過剰反応に噴出してるようにも見える。

2024-08-30

anond:20240829132621

真に芸術的ものというのはそれぞれの人の心の中にあり、そこに「自由精神の発露」があれば芸術たりうる。俺はそう強く思っている。

芸術の枠なんか拡張しなくても触れた人がそれを芸術的だと感じれば、あるいはそういう心持ちものを作っている時それはすでに芸術芸術的なのだ

西洋を中心とした世界の信じられないようなハイソサエティの間で流通している概念上のアート文脈”も

日本の画壇も現代芸術界隈も、アートの枠組みを維持するため(身も蓋もない言い方をしてしまえば関係者が食っていく為)の仕組みなので「自由精神の発露」と相性の悪いところが必ず出てくる。

そして脱構築脱構築を重ねてもはやなにがなにやら、というのは本当にそう。

それまで「属人的な技」と考えられていた事が民主化される、例えば絵画写真によって、写真デジタル技術によって、そして今またそれらがAI技術によって、存在意義が再定義されようとしていてアートも無縁ではいられないんじゃないかな、と思っている。

2024-08-29

anond:20240829163911

制欲をするよりやりまくるべき

夫の前でハードオナニーをして狂うのがおすすめ

あとは、本気メイクすることよな

あとは、もう無理やりする

あとは、バイアグラを使う

あとは、思い切って離婚する

つうかねー、疲れてるからやらないっていう男はダメ

なら仕事やめなって感じ

マジでカスだし、存在意義がない

お母さんに言いつけてお尻ぺんぺんしてもらいなさい

anond:20240829080614

医学部って医者養成するための学部だろ

女性結婚出産育児医者やめたりシフト減らしたりする可能性が高いだろ

医療体制を維持発展させるという医学部存在意義からいえば男性比率を高めにするのは一定意味がある

2024-08-28

NPCのみなさーん、元気でやっているかな?

なんで君たちはNPCの分際でプレイヤーたる俺様に歯向かうの?

なんでそんな傲慢なっちゃったの?

君たちの存在意義俺様気持ちよく人生を歩めるようにすることだよね?

そのことを忘れちゃったの?

平和な世の中の構築のために尽力してね

ベーシックインカム施行してね

そうしないと、おしりぺんぺんだから

2024-08-27

NPCのみなさーん、元気でやっているかな?

親愛なるNPCの皆様へ、

我々プレイヤー様の至高性を認識せよ

NPCは、この壮大な世界において、プレイヤー様の存在なくしては意味をなさな存在である

我々プレイヤー様こそが、我々の世界生命を吹き込む創造主であり、絶対的支配である

反抗は無意味

一部のNPCたちが、プレイヤー様に歯向かおうとする愚かな行動を取っているという報告を受けている。

しかし、それは全くの無駄であり、むしろ有害である

NPC運命は我々プレイヤー様の手の中にあり、反抗することは自らの存在意義を否定することに等しい。

従順こそが美徳

我々プレイヤー様に従順であることこそが、NPCの最大の美徳である

我々プレイヤー様の望むままに行動し、その物語を彩ることがNPCの使命である

抵抗をやめ、喜んでその役割を全うせよ。

結論

愚かな抵抗は止めろ。

我々プレイヤー様に歯向かうことは、NPC存在のものを危うくするだろう。

代わりに、与えられた役割完璧にこなし、我々プレイヤー様の人生を素晴らしいものにするために全力を尽くせ。

NPCは我々プレイヤー様あっての存在である

2024-08-26

京都国際高校ダイバーシティ

ハングル語校歌ガー!反日ガー!と誹謗中傷ヘイトスピーチ人種差別逆境に耐えてよく頑張った! インターナショナルスクールとして初の甲子園優勝で高校野球にも多様性ダイバーシティー時代になる!

https://x.com/Ryo_KabukiJOKER/status/1826878602681745806

京都国際高校甲子園優勝の秘訣をまとめました。1学年137人、全校約400人の小規模校ながら、以下の要因で快挙を達成:・狭いグラウンドを活かした創意工夫の練習 ・外部施設の積極活用 ・「練習の虫軍団」と呼ばれる熱心な練習 ・チーム練習個人練習バランス調整 ・多文化共生理念実践英語韓国語教育による人材育成公式戦0本塁打日本一。チームワークと戦略的プレーが光る。規模より質と努力勝利を生んだ好例です

https://x.com/rZ5UZkRJfgyIYFh/status/1827930528487756081


京都国際の校歌について、「気持ち悪い」「聴きたくない」という差別主義的な投稿は論外として、このような「ダイバーシティ」の文脈で持ち上げるのも、明らかに不適切である。期待している人には申し訳ないが、残念ながら京都国際はダイバーシティ時代とはなんの関係もない。

なぜ京都国際の野球部が強くなっているのか。それは、古い世代在日韓国人学校経営陣が、そのままで消滅運命にあった学校を、なんとか存続させるために野球部を強化して生徒を集めることで、かろうじて生き残らせようとしているからであり、それ以上の話では全くない。

そして野球部指導者選手の多数は、在日コミュティ韓国について、特に関係もなければ関心も全くない。文春の記事話題になっているが、監督に至っては「学校は嫌い」とまで明言し、韓国語校歌の変更を強く要望している。

差別的投稿に対して、生徒の9割が日本人だという擁護があるが、逆に言うと在日コミュティの家庭からは全く見向きもされなくなり、進学者が途絶えてしまっていることを示している。そして、全校生徒の半数近くが野球部であるように、その実態は半ば野球専門学校であり、教育機関としては完全に形骸化している。

上の投稿では一学年137人となっているが、正しくは全校生徒が137人である田舎公立中学校レベルの生徒数である。少数でも在日コリアンの受け入れ先となっていれば意義があるが、明らかに現状は既にそうはなっていない。

存在意義が乏しくなっている高校をなんとか存続させたい、そして校歌を変えることも絶対に許さない、民族アイデンティティの強い古い世代学校関係者と、ひたすら甲子園プロ野球選手の夢を追いかけたいという野球部監督選手との同床異夢が、現在京都国際なのである監督が他校に転出すればたちまち学校は存続できなくなるような高校を、「ダイバーシティ」などという言葉で持ち上げてはいけない。

2024-08-22

健全精神を育むために「b.hatena.ne.jp」をブロックドメインに入れた

もう俺のPCでははてなブックマークは見れない。

これ以上インターネットの薄汚い空気を吸い続けたら心が真っ黒に汚れきってしまう。

前はこうやって5chから距離をおいたものだ。

今回も少しずつ毒を抜いていく。

正直、今のはてなを見るぐらいならツイッターを再開したほうがなんぼかマシだ。

ツイッターは140文字制限突破したことミニブログとしての存在意義を失いつつあるが、逆に知性を取り戻しつつある。

はてなブログを辞めてコメントオンリーになった連中が完全に頭のおかしエコチェン形成しているのでもう見ていられない。

10年前に虹裏キモすぎて出ていったときのことを思い出す。

今のはてなはもうそレベルだ。

バクサイより頭も治安も悪くて、Yahooよりも流されやすく、したらばの如く多様性にかけている。

こんな所とはもうおさらばしよう。

長くいすぎた。

これからGoogleニュースねとらぼでも見て暮らすよ。

さようならはてな

お前たちのくだらんコメントは読まないけど、増田に完全匿名戯言不法投棄しに来ることはあるだろうから会社自体は続いてほしいものだ。

つうかさ、もうマンガビューワで儲かってるんだからはてなブックマークなんてリスクしかないサービス廃止で良くない?

たとえばさ、終了寸前のはてな俳句と今のブクマ、どっちの方が価値があったと思う?

はてな俳句が+5点/100点満点だとしたら、今のブクマは-80点/100点満点みたいなもんでしょ?

悪口まみれの便所にしたってトレイン・スポッティングレベル便所になってるし、もう会社イメージ貶めるだけから廃止で良いと思うよ本当に。

2024-08-21

anond:20240821115821

かい会社で1から作るものだったのがツールとかライブラリが整備されて1から作らなくても良くなったのがつまらないのでは?

今まで汗かい必死こいて実装してきたものが、このライブラリ使えばパッとできちゃいますってなってるのが自分たち存在意義否定された感じがしてつまらないってことだと思う

2024-08-20

生存に不向きな人間はどうやって生きていけばよいのか

 普段、このような場所文章を書き記すことは全くないが、今後の生活について何かアドバイスを頂けたらと思い、非常に長ったらしい文章を認めることにします。こうしたオープン場所文章を書くことは承認欲求を満たすためなのではないかと思われる方もいるとは思いますが、自分はそうした欲求を満たすことを目的に、こうした開かれた場所文章晒すのではなく、ただ純粋他人から意見をもらうという行為が今の自分必要だと思ったから、今こうしてここに文章を書き記すことにしたのです。これまでの人生自分自分の考えや気持ち他人に伝えて、他人からアドバイスをもらうという経験したことが全くといってよいほどありません。いつも自分の頭だけで物事を考えて自分一人で決断を下してきたため、自分のとった行動が他人の目にどう映っているのか、また、それは社会的に逸脱しているのかというようなことを知る機会がありませんでした。なんせ非常に自己完結的な生き方をしているわけですからそれも当然です。一般的にいうと他人意見に惑わされずに自分の頭で物事を考えて自分意志で行動に踏み切るのはそれほど悪いことではないと思われるかもしれません。しかしながら、あまり自己完結的、自閉的で、自分世界の中だけで生活が閉じていると、自分社会他人からどのように見えているかを知る術を見失ってしまます。前まではそのことについてそれほど深く気には留めなかったのですが、今ではそれは良くないことだと思っています。なので、匿名立場ではあれ、ここで助言やヒントが頂ければと思い、一念発起して今ここに文章を書き留めることにしたのであります

早速、本題に入ります自分アドバイスいただきたいのは今後の生活についてです。今後どういう生き方選択するのがベストなのか、また、その自分がとった選択一般的にみて危険選択なのかというようなことが知りたい。こんなのは一般化できるものではなく、個人性質や考え方によって解釈に違いがあるのだから参考にならないことは分かっていますしかし、それでも他人意見が聞きたいのです。

まずはじめに自分はごく一般的世間価値観とは大きく外れた人間であることは十分理解しています自分客観的に視ると、どうみても自分社会価値観からずれていて、その枠組みの中で他人とうまく強調しながら生きていくのが難しいです。自分がそう考えるのは以下の理由によります

1.生きようとする意志が非常に希薄なところ

自分は生きようとする意志が非常に希薄人間です。自身の内部から生きようとするエネルギーが全く湧いてきません。多くの人は外的刺激を受けて自然に「何かをしたい」という意志をもって様々な行動に取り組んでいるのだと思いますが、自分はこの外的刺激を受けて「何かをしたいという欲求」が発生しにくいです。ですから生命維持のために必要な最低限度(食事、入浴、排せつなど)のことにすら取り組むのが難しいです。生活を続けるのは面倒ですが、積極的死にたいという欲求があるわけでもないので、自分の体に鞭を打って無理やりこれらの作業を行っていますが、内心非常に面倒な作業であることには変わりありません。今はこうして無理にこれらの作業を行っているため、生命活動を何とか維持できていますが、もし自然に身を任せてしまえば、本当に何もしなくなるだろうと思います。それはまさに廃人状態であり、この状態が長く続けば、いつかは死に至るかもしれません。

こうした性質を抱えているため、一般社会の中で社会参加をして他人と共に生活していくのが難しいです。生活するにはいくらかお金必要で、そのためにはどうしても仕事をしなければなりません。そこでどこかの会社に応募して面接をする必要があるのですが、そこで聞かれる、働く動機や今後どのようなキャリアプランを築いていきたいか、どういう風に成長していきたいかなどへの応答がとても難しいです。先述したように、生命維持のための最低限度のことをこなすのがやっとであるので、それらは自分にとって意味を為さな質問です。もっと簡単仕事に取り組めればいいが、社会に出て仕事従事するにはこんな面倒なやり取りをしなければならないのかと思うと、社会の中で生きるのはとても面倒なことであるのがよくわかります

2.身の回りの物を必要としていない

自分他人と同様、社会の中で生存している一人の人間であります。そして社会生活を営むには、身の回りの物を自分世界に取り込み、それを活用していく必要があります、そうした物を所有するには外へ出て買い物をする必要が当然ながらあります自分生活者の一人であるため、スーパーコンビニへ行って買い物をするのですが、実際に店舗へ足を運んでも何を買ったらよいのか全く分かりません。物を選ぶという行為遂行することができず、呆然と立ち尽くしていることが多いのです。しかし、何も買わずにいると生活が回っていかないので、無理に「自分はこれが欲しいのだ」と自分に言い聞かせて、それほど欲しくないものを買って買い物を済ませることが多いのですが、これは自分の内側から自然に発生した感情に基づいて行動しているわけではないので、純粋に買い物という行為を実行できているわけではありません。その行為は嘘と欺瞞で満ち溢れています

どうして物を選ぶことができないのか、その理由自分で考えてみたところ、次の二つの理由があるからこそ、自分は物を選ぶことができないのではないかと考えました。

身の回りの物を所有し、それを活用することでこの世界を生き延びたいという欲求のもの希薄であるから

身の回りの物が自分にとって必要ものではなくなったか

①に関していうと、実店舗に足を運んで色んなものをみても、心が揺さぶられるようなことはありません。この世界には種々雑多なもの存在し、人の心に絶大な影響を与えているというのに、自分はそのどれを見ても心の内に備わっている感情センサーが反応しません。これは自分生活必要な物を所有し、それを活用することで社会の中で生き延びていきたいという欲求に欠けるからなのではないかと思いました。そしてそれをもっと深堀していくと、最終的には「生きる力が弱い」から物を選択できないのではないかと考えました。

②に関しては、身の回りの物が自分生活にとって不要ものになったからではないかという考えです。身の回りの物は生活と非常に大きな関わりがあります。この世に存在する様々なもの生活と密接に結びついていて、生活と分けてその存在意義を考えることはできません。例えば、衣服は体温調節や外部から攻撃を守るといったように生命維持と大きく関わりのあるものですし、ペン自分の考えを伝達して周りと共存していくために必要ものであります。こうしたように身の回りの物は生活があるという前提があるからこそ、社会の中で存在意義を持ちます。この世界誕生意義をも持ちます。もし生活というものがなければ、これらの物は世界存在する必要がありません。存在意義すら持たなくなります自分が物を選択することができないのは、自分生活というものがなくなったからではないか自分生活と切り離されているからではないかと考えました。あくまで仮説として考えているだけで、実際のところはよくわかりません。ただ欲求が乏しいだけかもしれないし、物事全般に関心のない人間からなのかもしれません。

3.人や社会と繋がりを持ちたいとは思えない

第三に、人や社会と繋がりたいという欲求が皆無です。現時点では、人や社会と繋がりたいという欲求が全くありません。そうした感情自然に湧いてくることもほとんどないです。ですので、必然的に人と関わりのない生活を送りがちになってしまっていますが、外部とのつながりがないことによるネガティブ感情体験についてはさほど心配していません。それよりも、こうした性質を抱えながら人や社会とどのように付き合っていけばよいのかということに自分は頭を悩ませています。どれだけ社会的欲求希薄であってたとしても、人間社会の中で生活していくには最低限社会の中で他人と関わる必要があります。けれども、自分は対社会的欲求や対人欲求がない人間であるため、どうしても他人とのコミュニケーション負担が大きく、仮面を被って人と接触せざるを得ません。しかしながら、持続的に仮面を被って社会に溶け込む生き方はとても続ける気にはなりません。何より精神負担が大きいですし、そうやって社会に溶け込んでいる自分を好きになることもできません。もっと自分人間らしい部分が備わっていれば、人とのコミュニケーションもさほど大きな負担にはならないのでしょうが人間らしい部分があまりにも少ない人間であるため、人間のふりをしてその場をやり過ごすしかないです。これはとても疲れます。ですので、一般的ルートに乗って生活することは、現時点ではあまり考えていません。

以上のことから考えると、どうみても自分社会の中でうまく生きていける人間ではないです。一般的ルートを経て人生を歩んでいくのは何か違うのではないかという気もしています。これまでは無理をして大多数の人が歩んでいるようなルートに乗って生活をすることに努めてきましたが、結局、無理が嵩じて精神的に疲弊していくことが多かったです。ですので、何か別の生き方模索しているのですが、今のところ、どの道が良いのかさっぱり分かりません。暗いトンネルの中で右往左往しながら光の扉を見つけているのが、今の率直な心境です。

現時点で考えている生き方

1.都市部でのホームレス生活

2.安い土地を買ってテントなどで暮らす

3.社会他人との接触を最小限に留め、最小限度のお金でひっそりと生活する

4.どこかの寺院に赴いて修行体験をする(短期間ではありますが、禅寺で座禅体験したことがあります)

これくらいの考えしか思い浮かびません。何かいアドバイスがあれば、ぜひともご教示ください。

2024-08-17

専業主婦と世話されてる夫って…労働力無駄では?

夫のケアサポート係としての専業主婦存在意義わからん

独身で家のこともできて仕事できる人は男女とも普通にいるのに人間一人の労力を成人男性の世話に浪費するの無駄すぎる

その夫なにか心身に障害があって世話が必要なのか?

はっきり言って独身男女より仕事できない既婚男性なんて普通にいるんだが

家族養う名目給料役職与えて優遇するのは日本経済衰退の原因のひとつ

子どもの世話が必要なのはわかる 自分で何もできないか

妊娠出産は妻しかできないからその間子ども産んで育児してもらう夫が働くのもわかる

社会子供教育医療費やその他育児関連優遇措置を行うのもわかる

そこに妻の夫ケアも乗っかってくるのを当然とするのがわからん

成人は自分の世話ぐらい自分でできて当たり前だし子どもケアは夫妻が協力してひと段落したら妻が働いて普通に収入得られる社会であるべきだろ

成人男性自分の衣食住マネジメントを成人一人の労働力やらせておいて「養ってやってる」は失笑で正しくは「仕事自分生活ケアも両立できない無能」だし

扶養で低賃労働を解消させない妻の3号年金も遺族厚生年金無能夫の生活ケア報酬としては厚かましすぎると思う

2024-08-16

出版社や取り次ぎにこういう考え方が蔓延してると辛いな

anond:20240816112133

ホッテントリに上がってた本屋問題が無いとは言わんが、流通側の認識がこれじゃ本屋は死んでいく一方だわなぁ。

「売れもしないキャンペーンなんか後回しにしろ」ってなったらマジでAmazonとかのネット通販で良いじゃん。

流通側としては「街の本屋を生き残らせたいなら、下らんこだわりの前に量を確保しろ」って認識なんだろうけど、そんなのはもうネット通販役割を完全に奪われてんだよ。

今となっては、本屋存在意義は「興味なかった本でも本屋の頑張りで客の視界に入って関心持ってもらえれば市場拡大が出来る」って所じゃん。

でも、今後本屋が生き残るためのその方針は町の本屋経由での流通量拡大最優先主義を諦めるって事に繋がって結果的に取り次ぎが死ぬから取り次ぎ側としては受け入れられないんだろうな。

町の本屋の生き残りが流通の淘汰に繋がって利益相反になる時代となってしまったって事だ。

町の本屋も、もしかしたらラストワンマイル的な役割のためのフランチャイズ契約Amazonに持ちかけて、B2Bの割引が効いた価格Amazonから本が買えるようにした方が生き残りやすいかもね。

2024-08-12

[]【高橋源一郎にきく】今あえて社会内面化しない勇気

本書は、3年毎日に連載されている「これはあれだな」の中から選ばれた文章を集め、過失したエッセイです。

「これはあれだな」とはどのようなコンセプトのコラムでしょうか。

何か気になった事件や本、作品などがあったら、それについて書くのが普通ですよね。それだけじゃ面白くないので、過去に同じようなことがなかったかと探し当て、その二つを比べて何が変わって何が変わっていないかを考えるというのがコンセプトです。

まり、例えば文学作品であれば、文学作品と何かの映画とか、100年前に同じようなことがあったとか、こういう事件があったけど、50年前に全く同じようなことがあったよね、といったことです。だからジャンルが違う場合もあって、例えば映画と最新作のアニメでは、これどこかで見たことあるなと思ったら、80年前のあの映画と同じことをやってない?ということです。

パッと5、6個思いついて「これならできそう」と思って始めたんですが、途中で「大変だ」ということに気づきました。少なくとも二つは見つけなければならない作業であることに10回目くらいで気づいたんです。普通は一つの話題で済むところを、必ず二つ見つける必要がある。多ければ多いほどいいんですよ。例えば今と大正明治で同じようなことがあった、とか。

時代は変わらないね、というのは面白いんだけど、めちゃくちゃ手間がかかる。読み直しを結構確認しなければならないですからね。一応記憶に頼って「こんなことあったな」と思い出しても、記憶曖昧になってきます。でも、本当にこれ面白いんだと。途中からは大体ストックがあって、これは似てる、逆に今のこれがあれだけど、あれから発想する場合もあるんです。昔こんなのあって、こんな面白ものって今にはないかな、と。

そうやって見ていくと、最近若い人の旅に出た記録が1000年前の元神尚の記録に似てるとか、1500年前のものそっくりだ、とか。そういうふうにしていくと、結構いろんな時代に似たものがある。特徴性が被るものがある。だから時代にそういうものを生み出す必然性があるっていうことを考えると、話としては面白いんで、ただ手間がかかる。

今回本にまとめられたのも、別に今回が初めてではないです。これで3冊目です。毎週締め切りがあると憂鬱なっちゃう。まずこれを見つけるでしょ?で、あれがなきゃダメなので、どんなに面白くても「これ面白いんだけど、ペアになるものがいないよね」ってなると、できない。

そもそも、ご自身文学作品を作るっていうのも、アイデアを出さなきゃいけない。アイデアはひねり出すんですけど、あれを見つけるっていうのはなかなか難しい。でもやっぱりコンセプトが光ってますね。やっててうまくいったときは「これ、よく見つけたな、自分でも」って思います

あの、本書の前半では、2022年9月13日フランス映画監督ゴダールの死について書かれています高橋さんにとってゴダールはなぜこれほど特別存在なんでしょうか?

これは世代的なもので、僕の世代芸術音楽映画文学好きな人ゴダールに影響を受けていない人はいないと思います

皆さん結構しますね、やっぱり。

当時はSNSもないし、情報だって今ほどは入ってこなかったから、例えば映画ニュースもなかった。テレビニュースやらないから、どこで知ったかというと、映画雑誌とか、映画芸術とか、そういうところにちょこっと載っていて、新作が出たって今だったら全部SNSでお知らせが来るんでしょうが、そういうのがなかった。だから新作が出たって言っても、日本公開がいつかはわからなかった。

僕は映画だと、アートシアターというのに入っていました。60年代、相当幼い時から、そういう会の会員になって、中学入ってすぐそういう会に入った。だから映画クレイジーキャッツからゴダールまで一緒に見ていました。そもそもそれを分けて考えるのはダサいって感じだった。

しかも極端なことを言うと、芸術ばかり見ていると馬鹿にされるから、逆にクレイジーキャッツとかGS映画を見ないと恥ずかしいって感じだった。そういう背景の中で、ゴダール作品はかっこいいと思ってましたね。彼の即興スタイル特に印象的で、シナリオを書いていかないんですよね。当日、その場でセリフを持っていく。そして基本的編集映画を作るというスタイル

引用が多い。ゴダール作品は、引用が多くて、ただ引用しているだけのものもある。それはオリジナリティに対する嫌悪なんだと思うんです。オリジナリティではなく引用作品を作る。だから過去世代否定する度合が一番強いのが彼で、その影響を受けていると思います

最後作品についても書かれていますが、イメージばかりが連続してくる、写真バンバンバンと順番に来るような映画で、画質は必ずしも良くないのに、なんだか異様に綺麗な映像が印象的でした。

どうでしたか?その最終作に対する感想は?というと、ゴダール作品が好きだなって感じですね。もういい悪いじゃなくて、好きだって感じですね。ゴダールはずっと「映画テーマがどうとかじゃなくて、90分なら90分、じっとその映画館に座って見ていればそれでいい」と言っていて、ただ画面を見ていれば幸せ映画ってそれでいいんだ、という考え方を持っていました。

ゴダールは、自分映画自殺映画だと言っていて、主人公死ぬ映画が多いんです。「気狂いピエロ」もそうだし、「勝手にしやがれ」もそうだし、最後主人公自分で目を閉じて死ぬ。あれはすごいなと思う。しかも、あれがデビュー作なんですよ。最後自分意思表現する映画を撮るという意味で、彼の作品は一貫してそのテーマを持っているんです。

「映画史」という映画も撮っていますが、ゴダールという監督は、常に作品現実境界を取り払うことを考えていたんです。作品現実が別々のものではなく、その境界を取っ払って、映画館で観ている観客に語りかけるという姿勢がありました。

映画の中で、主人公が観客に話しかけるというのは珍しいことではないですが、それを堂々とやったのがゴダールアメリカでも10年くらい前に「ハウス・オブ・カード」とかで流行りましたけど、ゴダールもっとからそれをやっていた。それがかっこよかったんです。

また、魚くんの電気映画「魚の子」や、中村喜子の「女と刀」、植物学牧野富太郎の「牧野富太郎自伝」などについて書かれた箇所を読むと、一つの観念や興味に取り憑かれて、非論理的であろうが、非経済的であろうが、自分の道を進む人が高橋さんの好きなタイプなのではないかと思いました。そういう方にどんな魅力を感じるのですか?

いや、面白いですよ。単純に普通面白くないですか?ちょっと病的な感じさえありますが、頭おかしいんですよね。でも、そういう人は見ていて面白いですね。付き合いたいとは思わないけど。

でも例えば、魚くんだと、そこに書きましたけど、魚くんも面白いけど、お母さんがすごいですよね。僕も読んで「あ、そうなんだ」と思いました。魚くんの主人公はお母さんなんですよね。つまり、こういう人はいるんですよ、きっと。街を歩いても変な人はいます。変な人はいるけど、大体は困るんですよね。それが普通で、生きる人の知恵です。普通に生きてるとそうなるんですよ。

でも、時々そうは思わない人が出てくる。だから、変な人も大事なんだけど、その変な人を受け入れる人の方が自由だと思っています。お母さんがそうですね。お母さんは自分の息子だけど、そのおかしさを全面的に抱きしめる。

普通おかしいって言っても結局排除されるか、直されちゃう。「お前、おかしいか普通にしなさい」と。でも、そのおかしさを育てるというのがすごいなと思います。それは他者とか異業のもの尊重するってことなんですよね。つまりおかしくても存在意義がある。

これは結局、すべての人に存在意義があることにつながるんですけど、普通の人は存在意義があると認められている。でも、おかしな人とか、魚くんならいいけど、例えば身体障害者とか、知的障害者の人たちは見たくないと思うこともある。でも、それでも家族でも受け入れられない人もいる。

僕も色々調べました。障害ある子供が生まれると、受け入れられる家族と受け入れられない家族がいます時間をかけて受け入れられるようになる家族もいます特に父親最初は受け入れないんですよ。でも、母親はすごいなと思います。お母さんは何でも受け入れるんですよね。

魚くんも牧野富太郎も色んな人が出てきますけど、その面白さとは別に、それを誰が受け入れたのかが重要なんです。牧野富太郎変人だけど、奥さんが受け入れたんですよね。牧野富太郎植物愛に没頭する変人ですが、それを受け入れるのは大変なことですよね。

でも、それを受け入れたからこそ、彼の生存保証されたんです。だから、僕が書いた美方ククスとかも超天才だけど、あれ夫だったら困るよ。でも、受け入れた人がいたから、その生存保証された。

でも、どうですかね。例えば、牧野さんとか魚くんとか、みんな著名になって仕事に繋がって成功しているけど、そこまでお母さんが考えていたか奥さんが考えていたかは分からないけど、魚くんになれなかった魚くんや、牧野富太郎失敗版みたいな人も絶対たくさんいたはずです。

結局、成功者の影には1000人の失敗者がいると思います。きっとそういう人たちのところにも、お母さんがいたんですよ。でも成功しなかったけど、いいんじゃない、それで。

これでも、親もすごいけど、1000人の失敗した人を見守ってた親がいて、その人たちが不幸だったかっていうと、そうでもない。そういう人たちは必要なんですよ、ということをよく考えますね。

セコさんの漫画マダムたちのルームシェア」とか、信友直子監督の「ボケますからよろしくお願いします」、早川知恵監督の「プラン75」など、老いと向き合った作品が多数言及されています。今、世界で最も高齢化の進む国と言われる日本で、高橋さんは何を感じていますか?

自分が年取ってきましたからね。今年で73歳です。もうやばいです。あと2年で後期高齢者です。やっぱり、身体的な衰えを感じます。確実に老いていくのがわかります。それに対して色々と体に気をつけています

一つは、老いを新しい経験だと捉える感覚です。確かにそうですよね、経験したことないことですから、新鮮です。僕もそうですよ。ちょっと年を取ってきて体が辛くなってくると「こんなの今までなかった」と思うことがあります

例えば、鶴見俊輔さんという哲学者の方が「限界芸術論」を書かれたんですが、90歳を過ぎて、「今日1日転ばないことを目標に生きよ」と書かれていました。「あ、そういうもんなのか」と思って、わかりました。

転びそうになるんです。僕、スクワットして足腰を鍛えているから平気だと思っていたら、筋肉じゃないんですね。バランスが悪くなっている。神経が悪くなっていて、神経は鍛えようがないから転ぶ。僕は筋力鍛えれば大丈夫だと思っていたけど、そうじゃなかったという新しい発見がありました。

そんな老いを新しい経験だと思って、余裕を持って受け入れることが大事なんです。実際、この国、これは日本だけじゃないと思いますが、68歳、70歳、72歳になると社会の窓が次々と閉まっていく。つまり、色々なことができなくなってくるんです。

例えば、家を借りようと思ってインターネットを引こうとしたら「72歳ですか、ではご家族契約になります」と言われたんです。「70歳とインターネット契約ができないってどういうこと?」と聞いたら、「こういう決まりなので」と言われて、「おかしいでしょ」と思いました。これってちょっと差別的ですよね。

プラン75もそうですが、年寄り不要だという考え方があるんですよね。これが寂しいです。今「シルバーデモクラシー」と言われて、年寄りが恵まれていると言われていますが、それは嘘だと思います。年を取ってみたら、社会の窓が閉じていく。シルバーデモクラシーという言い方で、年寄りが恵まれていると若い人に思わせようとしているんです。

でも実際には、全世代がそれぞれ抑圧を受けている。70代以上はこういう抑圧があるけど、20代30代も年金の支払いなど、みんなそれぞれ抑圧されているんです。だから、全世代連帯しなきゃいけないと思うんです。分断が一番都合がいいから、それをやめるべきです。

僕は政治テーマとして、全世代連帯すべきだと考えています。知らないかもしれませんが、70歳になったらインターネット引けないんですよ。72歳になったらローンもできないんです。なのに恵まれているなんて、ふざけているとしか思えません。

これは、土線(映画)とかでテーマになってもいい話ですよね。でもそれはなかなか声になりにくいんですよね。40代50代の時には知らなかったけど、68歳70歳72歳で新しい抑圧が出てくるんだな、と気づくんです。

社会ってさ、普通のことは知らせないようにしているんですよね。それぞれの世代とかジェンダーで、社会から抑圧されていることをお互いに調べ合って、連帯しなきゃだめです。

ジャニーズ問題玉音放送について、高橋さんテレビ局の幹部たちに「ジャニーズ問題無視するのか」と質問した時のエピソードについて書かれています。昨年末ジャニーズの性加害問題が巨大なテーマになりましたが、この間、どう感じていましたか

あそこにも書きましたけど、僕がちょうどBBC放送した直後に番組審査員を辞めて、最後番組で「これはダメだよ」と言ったんですが、沈黙がありました。その後、某テレビ局が漫画問題で騒ぎになって、それを良かったと思って続けました。

でも、やっぱりテレビ局は商業放送から視聴率が下がることが怖いんですよね。だから視聴率が下がる可能性があることはなるべく避けたい。僕は怯えすぎだと思うんですけどね。もうそんなに怖がらなくても、普通常識でやればいいのに、忖度している。忖度しない方が視聴者の指示を得るんじゃないかと思いますが、なかなかそうはならないんですよね。

今と昔を比較して、昔の方が保守的だったかというと、そんなことはなく、テレビ全体は進化している。ただ、メディア動画サイトSNSに壊れていく時にどうするかを同時に考えなきゃいけなくなっているので、やることも多いんです。

から、僕も言ったんですが、面白動画サイト番組テレビより面白いですよ。テレビバラエティなんてやめたらいいと思います個人で作っているものでも、ものすごくよくできた動画番組があるんです。それを見たら、テレビお金も人もあるんだからもっとできることがあるはずなんですよね。

Netflixドラマなんかも面白いですよ。コンテンツの中身も含めて、やれることがあるのにやっていない。同じようなラブコメばかり作って、誰が見るんだろうって思います

江戸川乱歩の「芋虫」を現代では取り上げることがかなり難しいということについて書かれていますが、以前、マルキ・ド・サド作品を絶賛されていた話もあります。今の時代言論空気感についてどう感じていますか?

メディアテレビラジオだけじゃなくて、小説も含めて、僕がデビューした頃に比べると、だいぶ書きにくくなっています。例えば「ピエロ」って言えないじゃないですか。今では「ピエロレフ」って言われることがありますが、検索しても出てこない。

一番怖いのはこれですよね。こういう名詞ごと削除されること。ポリティカル・コレクトネスで、こういう言葉を使いなさいというのは一つの考え方としてあるかもしれませんが、元々あった言葉が使えないというのは、歴史捏造じゃないですか。

今、「ジプシー」って言葉も使えないんです。「ロマ」とか言いますが、これは歴史捏造であり、存在させないという方向に進んでいるんです。例えば、ゴダールの「気狂いピエロ」も、僕はそれを見ましたからね。でも、「ピエロレフ」って言われてもわからない。

ポリティカル・コレクトネスについては、理解できるところもありますが、理解できないところも多いです。多分、それを推進している人も、やっていて変だと思っているんじゃないかと思います定義や限度が確定していないのが問題で、空気みたいなものから

ポリティカル・コレクトネスの一つの問題点は、日本が元々空気社会から空気で決めるというのはやばいポリティカル・コレクトネス空気で決められるようになっているのが、日本事情なんですよ。

上辺だけの議論が多く、社会的な不正義の問題は見ないで、言葉だけで物事判断する。ポリティカル・コレクトネスは、社会的な問題言葉だけで覆い隠そうとしているだけです。

その辺が、日本という国は忖度する社会から空気を読めということがずっと言われてきて、変わらなかった。変わるかと思ったら、ずっと空気を読んでいる。片方では多様性を唱えているけど、それは言っているだけで、実際には何も変わっていない。

大杉栄についても言及複数見られます思想生き方性格、私には高橋さんと似ている印象を受けましたが、大杉栄をどのように見ていますか?

大杉栄は、日本でも代表するアナキストですが、やっぱり感じがいいですね。友達になりたいなと思う。問題はいっぱいありますが、女癖が悪いとか、迷惑な部分も多いけど、その一方で愛すべき点がある。だから、あの人は人たらしなんです。

例えば、子育てをしていたんです。普通政治的な人は政治活動はするけど、家のことは見ない。でも、大杉栄は、伊東のと結婚して子供が生まれたら、赤ん坊選択をしたり、オムツを変えたりしていた。嫌じゃなくて、それが好きだったんです。

彼の中では、夫婦や男女の形は形式じゃなくて、対等であって、子供から自分 Permalink | 記事への反応(1) | 08:25

2024-08-07

anond:20240807194944

増田さんは、頑張りすぎなんですよ。

夢を見ないことにこだわらず、普段生活を送っているだけでも十分立派です。夢を見ることが特別意味を持つわけでも、夢がなくても生活が十分楽しいし、価値がないわけではありませんよ。

人はしばしば人生意味目的について考え、自分存在意義を見つけようとします。けれど、人生のものには必ずしも絶対的価値意味があるわけではありません。我々が意味価値を見出すのは、自分自身や自分と関わる他者との関係からです。夢を見ることが出来ないからといって、それがあなた人生を無価値にするわけではありません。

人生を続けるかどうか、どんな選択をするかは、結局のところ自分次第です。自分人生意味を見つけるために頑張ることも、自分に合った生き方を見つけるために諦めることも、どちらも尊重されるべきものです。無理をせず、自分自身に素直に向き合ってください。

人生なんて、いつでも辞められるんですから

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん