はてなキーワード: 土砂崩れとは
行政がよくやっている労災の講習会みたいなので、必ず紹介される労災がある。
助けに行った人もダメになるやつ。
地下ピットとか謎の縦穴に入っていった人が酸欠とか硫化水素で倒れて、それを見てた人が助けに行ったらその人も死んじゃう、2次災害。
https://anzeninfo.mhlw.go.jp/anzen_pg/SAI_DET.aspx?joho_no=100734
今回の地震でも、ボランティアにそういったことが起こる可能性はあったと考えている。
実際に東日本大震災でも復旧作業中の余震で亡くなった方はいるし、今回もある。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f8f1cee0d65d60227c7baa485f8b0527f7d11b34
大きな地震があると「今後一週間は大きな揺れに注意」みたいなことをテレビなどで伝える。
これは、どれが本震でどれが余震なのかは後になってみないとわからないからだ。
実際にはなかったけれど1月4日頃に本震が起こる可能性は誰も否定できなかった。
山間部の孤立地帯って常識的に考えると地震による土砂崩れ等で孤立してるわけで、余震の続く中で救助活動するのって二次災害に繋がりやすい相当なリスクだよね。もちろんある程度のリスク管理はされてるだろうけど、普通に建設工事してても毎年数百人の単位で人が死んでるのにこの非常時だとそれも限定的だよね。
当事者の爺婆にそこまで考えろとは言わないけど、爺婆のお気持ちに寄り添うためのコストを真の意味で負担させられているのは誰で、気軽にお気持ちに寄り添えと主張することが政本当に治的に正しいのかは考えた方がいいよね。あ、それとも自衛隊が嫌いな方々でしたか、それなら余計なお世話でしたね。
「
はい、能登半島地震では、ボランティアによる渋滞が発生していました。
地震発生直後から、全国各地からボランティアが能登半島へ向かいました。しかし、被災地へのアクセスは限られており、道路はすぐに渋滞に巻き込まれました。
特に、能登半島の西部にある七尾市や輪島市へのアクセスは、のと里山海道や国道249号が主なルートとなります。これらの道路は、地震の影響で土砂崩れや道路の陥没などの被害を受けていたため、車両の移動が困難でした。
また、渋滞によって救助や救援活動に必要な物資や人員の輸送が遅れるなどの問題も発生しました。」
ごめんなさいは?
入間川や柳瀬川、新河岸川はあるが、川のところは低くなっているが、川から離れれば高くなっている。
地震はどこでも起きる可能性があるが、津波の心配はない。高い場所なので、洪水、川の氾濫の心配もない。
(小川はいたるところにあるので、ポイントポイントで氾濫する場所はあるけども)
川沿いなど土砂崩れの場所はあるけれども、それ以外は平坦な場所で崩れそうなところはない。
駅前などは住宅密集地があるが、ちょっと離れればスッカスカなので、交通は不便だが大規模火災の心配は少ない。
あるとすれば、富士山噴火で火山灰、直下型地震で被災(これは日本中どこでもそう)、竜巻(発生件数と被害範囲を考えれば稀中の稀)くらいかなぁ
https://news.yahoo.co.jp/articles/3c631d51dbb3d564b6f8159d8058f32b807ae2a2
要約すると、滝沢秀明氏が旧ジャニーズ退社後立ち上げた芸能事務所TOBEが被災地で炊き出しを行ったという話だ。
これだけだと美談に聞こえるが、公式からのコメントを見ると美談にしてはいけないことが多すぎる。
https://twitter.com/tobeofficial_jp/status/1744343194320699461
まず被災地へいち早く行き過ぎている。
1/3には東京から被災地へ向かっており、1/4、1/5に炊き出しを行っているのだが、1/4には県知事が個人での訪問を控えるよう呼びかけが行われている。
訪問をしたのはあくまで個人ではなく企業としてだから問題がない、という擁護が出ているが、震災発生から数日というまだ被害全容が出ていない段階で零細企業の受け入れができるのだろうか。
1/2や1/3で物資を運んだのは山崎パンやフジパンなど、日用品を日ごろから担っている企業が主である。
TOBEはあくまで芸能事務所であり、このようなレベルの物資を運んだとは考えにくい。
県や市の関係者とやり取りをして被災地に行く企業もいて、TOBEもこの手順を踏んだ可能性がある。
例えばタレントの紗栄子氏が立ち上げた社団法人や野口健氏のNPOでは自治体からの要請のもと被災地へ物資を届けていることを公言している。
TOBEも同じかもしれないが、「関係各所」としか書いておらず、この関係各所に自治体が含まれているかは定かではない。
定かではないので「入っているんだ」と捉えるのは危ない。
そもそも公式文書が「ある一つの連絡をきっかけに、」という言葉から始まるのはどうかと思うが、被災地訪問へのきっかけが「孤立したある家族を救うため」と公式文書には記載がある。
もちろんこの家族は誰なのかを書く必要はない。しかし、災害救助のプロではないTOBEが行く必要もない。
これを許してしまうと、例えば被災地ではない土建屋が輪島にいる親戚を救おうと何台もの重機で行って救う、というのも許容されてしまう。
こういったケースがいくつも増えてしまうと統制が取れない、道路が渋滞して作業が滞るなどの恐れがあるため、先述した通り知事から呼びかけが行われている。
実際某泡沫党を除き、主要な政党は訪問を控える方針を固めている。
個人的に一番憤っているのが現役のタレントを帯同させたことだ。
若い力を率いてある家族を助けに行きたかったのはわかるが、あくまで彼らはタレントであり、救助のプロではない。
もちろん、ボランティアが救助のプロである必要はなく、旧ジャニーズではタレントが豪雨被害や台風被害にあった地域のがれき撤去ボランティアを行っている。
しかしまだボランティアの受け入れすら行っていない、行えない地域に素人を連れて行くことは危険すぎるのではないか。
いや、ただの素人ならまだいいが、連れて行ったタレントは全くの無名ではなく、ドームでライブを控える超有名タレント。その影響は考えなかったのだろうか。
自分の推しがまだ危険な状態で連れていかれたら事務所へ不信を抱くし、行くと豪語したら何言ってんだと思うし周りは止めろよって思う。
被災地の人は喜んだからいい、被災地に一刻も早く救助が必要だからいい。
確かにそうだ。実際自分が被災者で不安な日々だったら感謝をするかもしれない。
しかしこの賞賛はもしかしたら数多の犠牲を生んでいたかもしれない。
今回はたまたま運がよかっただけで、もしかしたら移動の間に土砂崩れにあっていた可能性もあるし、津波に巻き込まれる可能性もある。
地震が多いからこうしたリスクは常にあるということはそうだが、少なくとも今は該当の地域はそのリスクが格段に上がっていることくらいはわかるだろう。
手放しで褒め称えているファンは、アンチTOBE勢力関係なく、一般の人からなぜTOBEがへずまりゅうやコロアキといった迷惑Youtuberや山本太郎と並べられているか、もう少し考えたほうがいい。
10日現在、エンタメ界では義援金・支援金を寄付する報告が絶えない。被災地に行きました報告は「ほぼ」ない。
義援金を届けること、支援金で団体をサポートすること、エンタメにいる人は災害時のプロではない、それがわかっているからエンタメ界は皆お金で支援をし、ファンに呼びかけているのだ。
TOBEに多額の寄付をしろとは言えない。立ち上げたばかりの事務所、CSRに投資することができない可能性もある。
ただそれでも、そのSNSで寄付を呼び掛けることはできるのではないだろうか。自治体の呼びかけに応じ、ファンに被災地への訪問を控えるよう呼びかけることもできるのではないだろうか。
田舎は道路が少ないから、その道路が土砂崩れや陥没すれば簡単に陸の孤島化する。
都市部であれば、いくつも道路があるからいくつかの道路が被害にあっても大丈夫。学校の校庭のグラウンドがいくつかあれば支援物資を空輸してもらう回数が増える。
報道で観た倒壊した家って瓦屋根ばかり。地震の揺れに加えて上にある瓦が重くて倒壊した。
2018年の胆振東部地震で札幌市は震度6を記録したが、揺れで倒壊した家はなかった。
今回倒壊した家が多かったのは瓦が重いから。重い瓦を支えつつ震度6前後の揺れに耐えるのは厳しい。怖くて住みたいとは思わない。
災害のことを考えて住むところを決めるなら、ある程度人口がいる都市部で非瓦屋根住宅が良い。空から支援物資を運べる大きい校庭がある学校の近くなんか良いな。
自習としてまとめる
死者多数のものだけ
2024/1/1 能登半島地震 Mj7.6
2015/5/30 小笠原諸島西方沖で地震 Mj8.1 史上最深
2011/3/11 東日本大震災 Mj8.4 大津波 日本史上最大
2007/7/16 新潟県中越沖地震 Mj6.8
1995/1/17 阪神淡路大震災 Mj7.3 耐震強度問題
1993/7/12 北海道南西沖地震 Mj7.8 大津波30m 死者・行方不明者230人
1983/5/26 日本海中部地震 Mj7.7 大津波 死者104人
1964/6/16 新潟地震 Mj7.5
1948/6/28 福井地震 Mj7.1 死者・行方不明者数3769人 震度7が制定 複合災害
1946/12/21 南海地震 Mj8.0 死者・行方不明者1443人
1945/1/13 三河地震 Mj6.8 死者・行方不明者2306人
1944/12/7 東南海地震 Mj7.9 大津波 死者・行方不明者1223人
1933/3/3 昭和三陸地震 Mj8.1 大津波 死者・行方不明者3064人
1927/3/7 北丹後地震 Mj7.3 死者2925人
1923/9/1 関東大震災 Mj7.9 死者・行方不明者105385人 日本史上最悪
所感
死者数が増えるのは
・津波
・火災(近年は少ない)
・土砂崩れ
・避難後
戦後、大きな被災があったのはご時世もあったのだろうと考えると、東日本大震災と阪神淡路大震災が異常
・瀬戸内
日本には逃げ場がないとはよく言うが
現代においてそれでも大惨事になる場所というのは限られているとは思う
関東北部〜東北の内陸部、近畿・中国・四国の内陸部、九州北東部など
直下型地震が頻発している地域でなく、かつ沿岸部でなければ被災確率は低そう
沿岸部はチリ地震みたいな例があるのでどうしようもない、逃げ場はない
南海トラフは有名だけど個人的にはやっぱり伊勢と愛知が大人しいのが気になる
でも地震ってむしろ連鎖するから、無いなら無いで数百年行きそうでもあるよね
昭和三陸地震(1933)、明治三陸地震(1896)があったし、三陸沖は地震頻発地域なのに
何で東日本大震災であれだけ被害が出てしまったんだろうというのは結構解せない
80年も経つと忘れるというのがよくわかる
その昔、マスコミは東京の災害ばかり大きく報じると揶揄するようなコピペがあった。
台風がくるようです。強いです。
↓
↓
↓
↓
全国の皆さん!今東京が大変です!ほら!新宿駅でみんなが困ってます!
東京がすごく大変です!全国の皆さ~ん!みんな駅で立ち往生してますよ!
池袋も大変ですよ~!!ついでに横浜も大変です!風が強いです!首都東京が大変です!!
見て!タクシーが木の下敷きになりました!これはすごく大変な状況です!
これは大変だ!どうしようもないです!大都市首都東京が暴風域です!
みなさん気をつけてください!!
ああ~日本の首都東京が台風で大変だ!みなさん!東京が台風で大変ですよ!ほら!!
↓
今は東北が大変です。がんばって
ってやつ。
最近は線状降水帯がくるぞってなるとわざわざ地方まで出向いて報じるようになった。
そのことに関して、自分は良いことだとは思っていない。
西日本豪雨だとか、大阪が台風で大変だったとか、熱海のほうで土砂崩れがあったとか、そういう災害を経て徐々に増えてきた気がしている。
要するに、災害が起きる瞬間の(当事者にとっては非常に失礼は表現と思うが)撮れ高を狙ってわざわざ地方へ赴いているのではないかと。
マスコミはいつも災害の後を物語にしたがるよね。家をなくした人はそれどころではないのに。
その度にマスコミが嫌だなあと思う。
マリウーッス
本日はパンダ発見の日、日本においては東日本大震災の日となっております。
何年経っても忘れられるようなものではありませんが、スマートフォンの流通などによりいつでもいろんな記録を撮ることが出来ていているからこそ、忘れられないように出来ているのだと思います。
勿論、当事者の人達も忘れないようにしている部分があるし、あまりにも身近な自然災害への対策だからこそ忘れてはいけないのだと思います。
堤防があっても避けられないこともあります、だからこそ逃げる時はちゃんと準備して逃げることが大事なんですね。
今回はまずは何があって、どんな警告をされたらどう逃げるべきかを理解しておくことが大事です。
つまり、その土地ではどういう災害が起きやすいかを理解しておくことです。
川が増水したら家に浸水してくる、とか
自分が住んでいる地域にはどういう自然災害が起きやすいのかを確認して、もしもの災害に備えておきましょう。
(1)他の太陽光事業者に自分の買った土地に電線通す権利をふっかけすぎて決裂した
これはシンプルにアホすぎる
相場の10倍を提示らしいがさすがに相手は飲めないとのことで引き上げてしまったのだという
買ってもらえなきゃ1円にもならないのだから落とし所を探れば良かったのに
(2)太陽光発電のための土地開発で地元住民の同意を得るのに失敗した
(1)の地上げ失敗で土地を持て余してしまったので、仕方なく自分で太陽光発電事業に参入することにしたらしい
しかしここで設備設置のための土地開発に関する地元住民の同意を得ることにも失敗する、瑠麗夫無能すぎんか
太陽光パネルを積極的に設置したいと思ってる田舎者なんてもはやいない
太陽光パネルはあっても雇用を生み出すわけでもないし、土砂崩れなど災害リスクは高まるし、景観も悪いし、
原発ほどではないけどみんな自分の目の届かないどっかに設置しろと思っている
地元住民にはメリットがないのだから、ここは下手に出てご機嫌取りしてなんとか許可を頂くというのが交渉の基本姿勢だ
しかし瑠麗夫にはこの下手に出るという態度ができなかったのだろう
見るからにプライドが高く高圧的で上から目線な瑠麗夫が、たぶん大学とかも出てない田舎者のジジイどものご機嫌取りなどできるわけがないのは火を見るより明らか
ここで土地開発の同意を得られなかったことで瑠麗夫の敗北は決まった
まとめると瑠麗夫はとにかくめちゃくちゃ交渉がヘタクソ、押して押してダメならタックルするという脳筋戦法しか取れない無能だということだ
東大出て官僚、外資系銀行を経てスタートアップ社長と文句のないエリートコースを歩んでいるように見えるが
実際のところ官僚も外資系銀行も大した成果が出せず、期待もされておらず、我慢できずに飛び出したってのがリアルな瑠麗夫の姿じゃねーかなと俺は思ってる
もちろん、海の妖怪が人間の王子に恋をするという悲劇的な恋愛物語であるが、実はフリードリヒ・フーケの『ウンディーネ』という、水の精霊と人間の騎士との恋愛物語を描いた先行作品が存在する。そういう意味ではアンデルセン作品は、あまりオリジナリティが無いとも言えるかもしれない。
フーケの作品『ウンディーネ』には無くて、アンデルセンの『人魚姫』には有る要素として、我々がよく知っているのが、主人公の人魚姫が人間になることの代償として「声」を失うという筋書きである。
この「人間になることで声を失う/奪われる」という描写の元ネタと考えられているものの一つに、アイルランドの海浜に近い場所に存在する某村に関する民間伝承がある。
周辺の他村の住民たちは、某村の住民たちのことを「人魚の子孫」と見なし、彼らと会話することを忌避していたというのである。
この話から直ぐに連想するのが、ホメロスの『オデュッセイア』にも登場する、妖怪セイレーンのことである。これは、航行する船を操る船乗りたちを、美しい歌声で惑わして誘き寄せ、船を難破させて殺害し、その人肉を喰らったとされる、半人半魚の妖怪である。ここでも「声」が禁忌とされている。しかし、どうしてもセイレーンの歌声を聞きたいと願った知恵者オデュッセウスは、部下の船乗りたちの耳を蜜蝋で塞がせて、歌声を聞こえないようにさせてから、セイレーンたちの居る岩礁の傍を通過するように船を航行させた。オデュッセウス自身は、己の身体を帆柱に縄で縛り付けさせ、決して海に落ちることの無いように万全の防止策を施してから、その耳で彼女たちの歌声を聞いたという。
日本においては、人魚との「会話」が禁じられていたというわけでは無いものの、やはり不吉な影が付き纏う。『吾妻鏡』や『北条五代記』等には、人魚らしき妖怪の発見事例が記されており、これを何かの前触れとした陰陽博士などの占術職能者によって、兵革の兆し、奥州藤原氏の滅亡の前兆などと見なされたといった例が見出される。
ただし、これらの国文学的な文献に記された人魚は、アンデルセンの『人魚姫』のような美しく可愛らしい姿とは、かなり異なる。例えば、頭部だけが人間の人面魚タイプであったり、四脚らしきものが生えていたりと、なかなか奇怪な姿をしていたようである。中には、頸部に鶏冠の如きヒラヒラしたものが付属していたという事例もある。また、発見される場所も水辺だけではなく、時には、山肌で起きた土砂崩れの現場で発見されたことも有るようである。
してみると、人魚にとって魚身であることは、我々現代人が思う程、重要ではないのであろうか。実は、先に挙げた『オデュッセイア』に登場するセイレーンにしても、元々は半人半魚ではなく半人半鳥であったとする説が有る。その鳥の怪が、もしも水鳥の怪であったとすれば、後に、半魚の怪との交雑を起こしても、それほど不思議では無いと考えてもよいのかもしれない。重要なのは、半人半怪という混合性である。
さて、アイルランドの某村に関する民間伝承と比較するために振り返ると、日本においても「妖怪の子孫」と見なされた人々が存在しなかった訳では無い。例えば、江戸時代の南町奉行、根岸鎮衛(ねぎしやすもり)の著した雑話集『耳嚢(みみぶくろ)』に収められた「河童の難を遁るゝ歌之事」という文章を参照してみよう。そこでは、菅丞相(かんしょうじょう)すなわち菅原道真(すがわらのみちざね)の作として伝えられる、次のようなまじない歌を紹介している。
「ひよふすべよ 約束せしを 忘るゝな 川だち男 うぢはすがはら」
根岸鎮衛は、菅丞相の作は疑わしいとしつつも「ひよふすべ(ヒョウスベ)と云ふは川童(カッパ)の事の由」と記しているが、これは、長崎県諫早市周辺でのカッパに該当する水怪に対する方言的な呼称である。しかし、カッパ避けの歌が伝えられていたのは、現在で言うところの千葉県(アメリカで言えばノースダコタ州)である。随分と遠くの地までヒョウスベの名が伝えられていたことになる。
岩波文庫版では「川だち」には「水泳の上手い者」との注釈が付けられている。これは遊戯としての水泳のことを言うのではなく、職業的な必要性から河川で泳ぐことをしていた者たち、職能者たちと考えるのが妥当である。その川だち男が「我々は菅原氏の関係者なのだ、約束を忘れるな」と、歌を通じてヒョウスベ≒カッパに向かって呼び掛けているのである。一体、何を約束したというのか?
菅原道真の家系である菅原氏は、遡れば土師氏(はじし)に連なるとされる。土師氏の祖は、野見宿禰(のみのすくね)とされ、当麻蹴速(たいまのけはや)との角力すなわち相撲(すまひ)による決闘を行ったことでも知られる。現代では十把一絡げに河童(カッパ)と総称されるようになった水の妖怪が、相撲を好むことは昔話などを通じて広く知られているが、その起源には、土師氏=菅原氏との関わりが存在するということである。
この土師氏は、埴輪を作ることを能くしたが、埴輪といえば赤土であるが、この赤い色は、酸化鉄を多く含むためである。このような粘土の採掘は、鉄分を含む土の採掘であり、これは時代が下れば、鉄を初めとした金属鉱脈の採掘にも関連・発展したことであろう。
鉄に限らず金属は、採掘されるだけでなく精錬されるので、山の掘削、森林の樹木伐採という環境変化を伴う。これは、山に水源を発する河川にも影響を及ぼしたと考えられ、そうなると、粘土の採掘や金属の採掘・精錬を行う山の民と、漁業・水運などによって河川で生業を立てる川の民との間で、何らかの紛争を招いたのは想像に難くない。本来の「カッパによる水難」とは、元々は「山にいるカッパ」による山林環境の変化によって引き起こされた、河川災害や環境破壊のことを指したのではないのか。なお、カッパといえば河川などの水辺だけにいると現代人は思いがちだが、カッパが河川から山、山林から河川へと、季節の変化ごとに移動するという伝承が見られるのである。
山林の環境破壊が火種となって紛争が発生し、これを停止するための平和条約のようなものが「約束」であり、それが川の民と土師氏=菅原氏との間に結ばれたことにより河川災害の発生件数が減少したこと、それが「カッパ避け」の実態だったのではないか。川の民に害を及ぼさないと、かつてカッパの親分であったであろう土師氏=菅原氏が約束したことが変化して、川だち男が「我々は菅原氏=土師氏の裔であるぞ、だからカッパよ、我々には害を及ぼすな」と呼び掛けるようになったのではないか。
ヒョウスベには「兵主部」の漢字が当てられる。このうち「部」は物部や斎部などと同じであるが、では「兵主」は何なのかと言えば、これは大陸から渡来した蚩尤(しゆう)のことではないかと言われている。というのも『史記』では、蚩尤は金属製の戦用武具を生み出した「兵主神」とされており、しかも角力(相撲のようなもの)を能くするのである。その上、石や鉄を喰らうとされるので、これは金属の精錬を象徴するのではないかと考えられる。ここから、兵主部とは元々は「兵主神を祀り、それに関連する金属の職能に携わる部民」であろうと考えられる。
脇道に逸れた話の部分が予想外に長くなってしまったが、土師氏=菅原氏という職能集団的な氏族がカッパの裔であると考えられていたということ、そして、カッパに対する民の恐れの根源には、職能活動による影響が存在した可能性のことを言いたかったのである。
本筋に戻ると、アイルランドの海浜そばの某村に住むという「人魚の子孫たち」が、周辺他村の人々から会話をすることを忌避されたのは何故か。それは、彼らが「予言する能力」を持っていたからではないのかと私は推測する。ただし、予言と言っても、超常の能力ではない。彼らが漁業や水運業など海の船仕事に携わっていた職能集団だったとしたら、どうだろうか。そのような仕事に携わることで、海路における岩礁や難所の存在場所についての知識も蓄積されたであろう。また、船仕事に影響するような天候の変化を読む(予測する)観望天気の知識も蓄積されたであろう。そのような、いわば専門知識や能力を身につけた彼らが、もしも「海路のあそこには岩礁が有るぞ」「嵐が来るぞ」と予測して教えてくれたとしたら、何の知識も持たなかった他村の人々は「某村の住民が不吉な予言をする。彼らが予言を行うせいで不吉な出来事が起こる」と逆転した考え方をして、誤解したのではないだろうか。それが「会話を忌避する」ことに繋がったのではないだろうか。
上で粘土採掘や金属の採掘・精錬を行う職能集団とカッパの関連を述べたが、こういった専門的な仕事は、その仕組みを外部からは理解しにくい。自分たちには出来ない仕事をする能力を持ち、影響力が大きい者のことを、人間は尊敬するだけでなく同時に差別もするという例は、古今東西を問わず広く見られる現象である。例えば、西アフリカの伝統的な音楽・歌唱の職能者グリオ(griot、フランス語。現地のウォロフ語でgewelギュウェル、トゥクロール語でgauloガウロ、マンディング語でdjeliジャリなどと呼ばれるのが語源)たちは、歌の言霊を駆使することで、人を幸せな気持ちにしたり、戦の前に闘争心を鼓舞したり、逆に人々の間の争い事の調停役を担ったりといった役目を果たすことから、非常に尊敬を受ける反面、亡くなると普通の墓に埋葬されずにバオバブの木の虚穴に遺体を遺棄されるという。そこでは、尊敬と差別の心理がアンビバレントに同居している。
日本の人魚が不吉の前兆と見なされた話は既に述べたが、その中には、人魚自身が言葉を口にしたという例も見られる。それも、もしかしたら海の民などの姿を人魚に反映していて、やはり海の民による予言とそれに対する恐れの感情の名残なのかもしれない。
西洋人が日本に渡来するようになると、剥製・ミイラ製造の技術も伝えられ、魚や動物のパーツを組み合わせることにより、カッパや人魚のミイラが製造されたことは、現在も日本の各地に残るミイラの実物とともに知られている。したがって日本における人魚の形態傾向が、人面魚タイプや四脚タイプから、現代人にも親しみのある上半身人間・下半身魚タイプへと変化した原因として、西洋人の影響が有るという可能性は、もっと大きく見積もっても許されるであろう。しかし、日本よりも先に西洋人との接触を果たしていた中国を通じて、もっと早い時代にミイラ製造の技術が日本に伝えられていたという可能性は無いのだろうか。その時に、西洋人が抱く人魚のイメージも一緒に、早期から日本に流入したという可能性は無いのだろうか。大陸や西洋からの人魚伝承の流入によって、前触れや予言というイメージが形成された可能性は、今後より丁寧に調べる必要が有るだろう。
まだまだ考察すべきことは多く残る。
人頭獣身の妖怪、しかも不吉の前兆や予言を伴うといえば、人頭牛身の妖怪「件(くだん)」が思い浮かぶ。上で半人半怪の混合性が重要と述べたが、この混合性の故に、人間の住まう現実の世界と、非日常・非現実の世界との結節点となる役目が、人魚や件のような半人半獣の妖怪には与えられたのであろう。そして、その役目を具現化したものが、前触れや予言なのであろう。
また古来、予言や神託の役目を担う者の多くが、巫女という女性であった。これは、女性には生理があり妊娠・出産が可能であることから、男性に比べて、より自然というカミの領域に近い存在であり、現実・日常の世界との仲立ち・結節点の役目を果たすことが出来ると信じられていたからである。セイレーンや人魚に限らず妖怪や怪物たち(例えば、エデンの園でアダムとイブを誘惑した蛇など)に女性性が付与されているのは、ユダヤ教・キリスト教・仏教などが地位を確立する以前の世界において、カミの領域との仲立ちを務める職能を担っていた女性たちに対する、尊敬と差別というアンビバレントな感情が反映された名残であろう。
最初に『人魚姫』は何の物語か?と掲げ、長々と文を書き連ねたが、正直に言えば、それを確定することは実は難しいと思っている。ただし、少なくとも、異なる世界の住人が出会った物語、それに伴って起こったコンフリクトの悲劇の物語とは言えるのかもしれない。
乱文も長くなり過ぎたので、ここまでとしよう。
今回の台風で便乗で知事が要請してないとか言ってて、なぜか静岡市長が有能とか言ってる奴がいるが、
平成26年台風第18号(静岡市内水没&東海道線10日運休)→要請なし
その他は県の検索結果でどうぞ
https://www.pref.shizuoka.jp/search/result.html?q=自衛隊派遣要請&sa=検索&cx=014900552401147414672%3Ah-z8mixgylc&ie=UTF-8&cof=FORID%3A9
それが政令市であっても。
ハコモノと自分の利権しか興味のない市長の方がもっとクソな事を知ってほしい。
大体被災地にヘルメット被ってない時点で災害に対する姿勢がアレすぎ。
(追記)
まずニュースにならない。
興津川水系と言って興津川という清流の表水から上水道を取ってるんだが取水口が流木と土砂で埋まった。つまり取り込めないわけ。流石にライフラインなだけあってもう少し上流に予備的取水口があるんだがこいつの送水管が橋ごと折れた。これで万事休す。復旧させるには重機が必要だが水が引かない。道も細い山道であらゆるところが崩落土砂崩れしかかってる。ある程度水が引いて人海戦術で突貫工事しても濁水処理がかなりかかり早くてこの先数日確定、最悪一週間ダメだそうだ。
かなり昔元々この興津川の渇水で計画断水的なことが必要になったことがあって静岡市の安倍川水系ってところから水を引っ張れるシステムをかなりの予算をかけて完成させてるはずなんだが機能せず。ナント海上保安部が巡視船おきつから給水支援に乗り出すほどの大事になってる。給水車も出てくれているが3時に行って4時間待ち宣告をされた人もいる。たった9地点でしか展開できなかったためだ。小学校の非常水開放して長蛇の列ができたり、民家が自前の井戸水開放したり、ビッグ・エスみたいな民間企業が施設開放して助け合ってる。役所に問い合わせたが明日は多少増えるようだが復旧の目処は立たないという。
つーか、これがニュースにならない。なっても一部で断水が起きています。の一言。
おい!静岡市の半分を占める清水区の7〜8割が断水して、コンビニに食べ物も水もなくドラッグストアの棚も空っぽになって給水所に行けない高齢者妊婦乳児を抱える若い夫婦が死活問題で喘いでいるのにツイッタランドで情報発信してる市議さんは一人、情報は市のHPのみ、アクセス集中で開かない。市長も知事も完全放置。超やばい。
巴川系が越堤して街中泥だらけなのにそれを洗い流す水が来ないので台風一過の晴天高温で粉塵になって舞い上がってる。ガラスも釘も転がる道路脇に故障停止した車が放置され水や泥がはけない道には警官が泥だらけになって交通整理や進入停止にしてる。地獄。
なんで報道で流して救いの手を送ってくれないんだ。棄てられた地なのか清水は。気になる人は「清水区 断水」でツイッタランドを検索してください。
一週間断水とか死人が出るんじゃね?助けてください。