はてなキーワード: 博士論文とは
劣等感ほどは無いんだけど、
高校の同級生の天才が東大理1から東大数学科博士を出て、旧帝大で数学のポストについている。
僕は普通に社会人になって、でもコツコツと数学自体は勉強している。
数学のレベルだが、自分は一応は大学レベルの数学は理解している。
代数学は雪江先生とかハーツホーン、幾何学は多様体と数え上げ幾何学、解析はルベーグ、関数解析とか。
佐藤幹夫先生の数学が好き。工学の微妙な数学を数学に昇華してくれてて溜飲が下がるっていうか。
適当な修士とか博士論文をコツコツ読んでるけど、それすら難しい。
普通は数学科の人は25くらいには研究レベルには到達してるんでしょうね。
僕は人より時間がかかるみたいです。
どんなに学生が優秀でもこんなもんだよ。元増田は旧帝大っていってるけど、東大か京大である事を伏せるためにそう言ってる可能性も十分ある。
自分は基礎物理の実験系だけど、学部生が半年かけてやることは助教がボタンひとつでできちゃったりするし、修士論文の内容なら一週間でできる。博士論文の内容だと、さすがにひと月ふた月はかかるか。なんでそういうことになるかというと、それらの学生というのは、そう実験や測定のバックグラウンドとなる概念や手法を一つ一つ学ばないといけないから。測定にしてもうまくやるポイントというのがあって、それを試行錯誤して体得し学んでいくプロセスにいる学生と、全て分かった上で実行するだけの助教(そこには学びはない)では全然効率が違う。
それでも、全ての実験を助教がやるわけにはいかないし、レバレッジを効かせるためには、時間をかけて学ぶ機会を与える事は、研究の継続性のために非常に重要なファクターなんだ。断じて効率だけが重要な要因にはならない。その上で、それらのノウハウを体得した学生が、助教や先生達の持つ知見を越えていって、新しい知の地平を拓けるかどうか、ということが重要なんだ。
承前 : Part-3 https://anond.hatelabo.jp/20201005082738
次回 : Part-5 https://anond.hatelabo.jp/20201008100556
L4は一人前の技術者と目されるランクである。L3で入社した社員の多くは数年以内に昇進するし、逆に5年たっても昇進していない技術者は赤信号である。実際、3年以内に昇進していない技術者を昇進させるか退職させるか上司に促すような会社さえある。
またまたlevels.fyiから報告されている平均値を見てみよう。今回はFBとみんな大好きGoogle。
FB Title | Salary | RSU etc (/year) | Bonus |
---|---|---|---|
E3 (L3) | $119,919 | $43,253 | $15,838 |
E4 (L4) | $159,690 | $80,076 | $18,804 |
GOOG Title | Salary | RSU etc (/year) | Bonus |
---|---|---|---|
L3 | $127,890 | $39,840 | $20,594 |
L4 | $155,159 | $81,337 | $27,385 |
まだまだ家を買うには無理をしなければならないが、日々の暮らしはずいぶん楽になる。
ところで、levels.fyiを引用してLいくつと記述しているのはlevels.fyiがそう書いているか或いは対応関係がそうなるよう描画しているのだ。必ずしも自分がそうだと思っているわけではない。例えばAmazonのSDE 3がL6というのはarguable。
場合によって正しくもあり、間違ってもいる。Part 2でも言及したが、会社が違うのだから完全な翻訳ができるはずがない。
ともあれ、FBとGOOGのL4までの対応関係は明白。転職時にもそのまま換算される。
さて、L4になるには昇進以外でもうひとつ手段がある。入社時点でL4のオファーをもらうのだ。大抵は以下の二つ
自分の感覚ではFBよりGOOGの方が前者の条件に厳しい。ほかの会社ならばL4のオファーを出す応募者にもL3だったりする。
ただし、分野やhiring managerに依るので一般的なところは不明。
L4或いはL4に相当する応募者はエンジニア自身の生産性や専門性が評価されたことになる。
さらに上のランクから見ればまだまだひよっこであるが、自分の武器となる材料が出来たのだ。
であれば目ざとい人のやることは一つ、交渉である。給与交渉あるいは転職、大抵は双方の組み合わせだ。
L3で給与交渉をやる人はあまりいない。転職もL4になってからの方が条件がいいのでそれを待つ人が多い。それでも始める人は現在の会社ではダメそうと見切りをつけている場合だ。残念ながらそういう新入社員はいる。
こういった交渉は上のランクになるにしたがってより重要になり、かつ社員もそつなくやるようになる。
L4の段階での交渉は見ていて危なっかしいものが多かった。材料もまだ大したものではない上に、交渉の正しい仕方をわかってないのだ。
しかし、交渉を全くしないのも、それが正解とも思えない。自分が見た中で苦い思いをした失敗例を2件する。交渉の成功例は次回以降に。
ある年、自分はある学生を夏季にインターンとして採った。彼はPhD取得間近のいわゆるABDであった。
少し寡黙だが真面目で働き者、専門分野の吸収も早い学生なので就職もうまくいくであろう。
その後、そろそろ彼が卒業するだろうという頃に彼の教授から怒りの連絡が来た。ある会社に就職するというのだ。私の最初の反応は、まぁいいんじゃないか、であった。academia就職にもあまり興味を示していなかったし。その教授も同感であった。しかし問題は別にあったのだ。なんとその会社にインターンしたときに付いて来たstandard packageをそのままacceptするというのだ、しかもPhDを取得せず修士のままで行く、と。
補足するといくつかの会社ではインターンの終了後、生産性の高かった学生すべてにstandard packageのオファーを出す。多くは一年間有効だ。しかし、その内容はPhDに向けたものではない。前述のように彼はL4が妥当である。$100k/yearをテーブルに残している。まったく説明がつかない。その教授は学生の幸せだけを考えて、なぜそんなオファーを受けるのか、と怒っていたのだ。
その教授からその学生の翻意を促すよう頼まれて、彼と話をした。自分は、彼の経歴ならL4が妥当であって、PhDを取得して多少の交渉をするだけで済む。ほかの会社でも面接すれば、必ずL4相当のオファーをもらえるのでそれを見せれば一発だよ、と説明した。また彼の段階であれば交渉がいかに有用か、ということも。
しかし、彼の反応は一貫して「money doesn't matter」であった。反応に困った。
そう言われると言い返せないが、それはどうなの、という。ロマサガのラファエルか。
その後も彼と話を続けたが、結局のところ彼は交渉をする、というそのこと自体が嫌なようであった。
実際、交渉というのは性格によってはコードを10万行書くよりも抵抗がある。
彼にはほかの会社でも面接するように念を押したが、結局しなかった。そもそも面接も嫌いであったように思える。
そのままの内容で就職。博士論文の完成だけは入社以後でもいいから、と説得した。さすがにPhDをdoesn't matterとは言わなかった。
そんな彼も今は一児の父。シリコンバレーではnannyが糞高いし、家を買うのに苦労してなければいいのだが。
さて、ここまで書いて30分をとうに過ぎていることに気づいた。次回はこの学生の正反対の例を書きたい。そちらはもっとずっと苦々しい記憶だ。
推理小説に関して、「後期クイーン的問題」とかいう問題がある。
ざっくり言ったら、推理小説が「完璧な論理的推理」をひたすら求めていくと、結局そんなものありえなくなるんじゃない? って話だ。
起点になるのはエラリー・クイーンって作家の、初期の何作かに限定したすごく狭い話だった。
でも話の発端を作った法月綸太郎と笠井潔って二人の作家が煽りまくったせいで、推理小説の前提が崩壊するのでは? 根本的な問題なのでは? って話にもなった。
でも推理小説は一応続いてる。結果的には、「後期クイーン的問題」は(法月・笠井をうまく無視しながら)推理小説の可能性を広げる原動力の一つになった。
きちんと知りたい場合は、諸岡卓真『現代本格ミステリの研究』が視野の広さも議論の説得力もピカイチだと思う。この問題について真面目に考えたかったら必読。
一方、きちんとしてない言及の一つに、「第一の問題」と「第二の問題」っていう問題の分類がある。
「第一の問題」はさっき言ったような、完璧な推理って無理なんじゃない? って話。「第二の問題」は、(完璧な推理なんかないんだから)そもそもただの人間の探偵に謎解きとかする資格あるのって話……らしい。
でもこれ、法月・笠井の二人は前者の話しかしてない。第一と第二なんて分類もしてない。誰が言い始めたか、出所がよくわからない。
自分が知る限り、「第一」「第二」の一番古い言及がWikipedia日本語版の「後期クイーン的問題」だ。
これを書いてる時点の最新のバージョンを貼っておく(https://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=77682984)。
2009年10月27日に「Corwin」というアカウントが「後期クイーン問題」の項目を作成した(https://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=28693991)。
この時点ですでに、後期クイーン的問題が「二つの問題の総称」であり、「第一の問題」と「第二の問題」があるというふうに書かれている。
(ちなみに諸岡卓真の本は2007年度の博士論文を2010年3月に本にしたものだからWikipediaには触れていない)
でもよく見ると、「第一の問題」は今でいう第二の問題(倫理的な話)、「第二の問題」が今でいう第一の問題(解決の不可能性)だ。
これが入れ替わったのは11月4日(https://ja.wikipedia.org/w/index.php?diff=28825317)。
だから「第一」と「第二」の順番(もしくは「第一」と「第二」)に根拠はなくて、Corwinが適当に付けてただけとも考えられる。
もちろん、そうでない可能性もある。11月2日にはCorwinが項目名を、俗によく使われる「後期クイーン問題」から専門的な「後期クイーン的問題」に変えている(https://ja.wikipedia.org/w/index.php?diff=28790012)。これと同様に、根拠になる文献を改めて読んで、「第一」と「第二」を入れ替えたとも考えられるわけだ。
そうは言っても、個人的な心証では「第一」「第二」っていうのは書いた人の勝手な考えだろうと思ってる。
ちなみに「Corwin」は日本語版Wikpedia黎明期の2003年から編集に参加して、推理小説とSFを中心に現在も活動しているベテラン。
めちゃくちゃなことを書いて怒られたような経歴はないみたい(「後期クイーン問題」も、「第一」「第二」以外はそんなに変なことは書いてない)だが、立ち上げた項目には内容が薄いのとか、出典が少ないのとかが多い。
一応、「第二の問題」がいつの間にか湧いてきたのは相応の理由があると思う。
後期のエラリー・クイーンが書いた『十日間の不思議』『九尾の狐』とかの作品で、名探偵は推理そのものというより自分の存在について悩む。それはもう悩む。
そして、この時期の作品は初期に比べて「完璧な論理的推理」という点ではゆるいというのが一般的な評価になっている。
だからこの作品群では、笠井潔たちが考えたような、「完璧な論理的推理」を求めると究極的には無理が出てくる、っていう問題よりも、
推理に失敗して、倫理的な立場に悩む名探偵のほうが読者の印象に残るはずだ。
発端になった法月の作品だってそうだ。「初期クイーン論」が出たのは1995年だけど、1990年の『頼子のために』と1992年の『ふたたび赤い悪夢』では、精神的に追いつめられる名探偵の姿を描いている。
だから、法月の文章の以前から、作家や読者からすれば「完璧な推理の不可能性」よりも「自分の立場に悩む名探偵」というのが後期クイーンのテーマ、っていうふうに理解されていて、「初期クイーン論」以降も、現在も、塗り替わりきらずに続いてる、っていうのが実情なんだと思う。
だからいつの間にか「後期クイーン問題」っていうタームにもふわっとそっちの意味がくっついていった結果、「第一」「第二」っていう区分が誕生したんじゃないだろうか。
今年から雇ったポスドクがいる。このポスドク、面接時には、あれもできます、これもできますと話していたのに、雇ってみたら業務に必要な能力が全然足りていない。だから、もう雇用して半年になるけどひたすらトレーニング教材をやらせている。悪くない給料を出しているのに詐欺にあった気分。
業績として提出してきた論文とか博士論文、どうやってデータを解析したんだよ?と聞いたら、指導教員が細かいところまでお膳立てして、彼は機械的に言われたことをやっていただけだった。そんな奴に博士号出すなよ、某一流大学の某教授。まともに学生を育てろよ。職務怠慢だろ。
自分のこれまでの専門でないので。。。とか言い訳していたけど、履歴書にはこの分野の名前がついた授業を某大学で教えたことがあると書いていたろ。まじで何を教えていたんだよ。学生に謝れ。
仕事中、こいつがブツブツ教材を読みながら、ぽちぽちとやっている音が聞こえるだけですごいストレス。
私もこの分野に必要なスキルは博士号取った後に独学で学んだけど、ちゃんと研究で使えるようになるまでにそんなにかからなかったぞ。
おまけに、こいつは仕事中に雑談をしたがる。うるせぇ。何かと世話も焼ける。オフィスの蛍光灯が切れた、エアコンの調子がおかしい、税金の書類が来たけどどうすればいいとか、いちいち私に助けを求めてくる。お前、もう30代だろ。そんなことで煩わせないでくれ。こいつが仕事できない分、私が一人でやらなきゃいけないことが多すぎるんだよ。
小さい会社を経営している。博士号を持つメンバーを中心に顧客の研究を支援する仕事をしていて、今期は黒字になりそうだ。
こう書くと自分で読んでも順風満帆に思うが、私の心持ちはかなり違う。
毎年新年度を迎えると人件費の確保に心を砕き、年度内は払えるようになると次年度を想像して震え上がる。そういう繰り返しがここ数年のパターンになっている。最近、ふとしたことがきっかけで、現状を疑問に感じるようになった。
すこし昔の話をさせて欲しい。
私は地方の、おそらくそう貧乏でもないラボで大学院生をしていた。時々教授が外部資金をとってくれると、研究資材をストックして細々と使う。スタッフはいない。ホームページやサーバーの管理は学生が交代でこなした。
大学院生のとき、卒業したら研究から離れてサラリーマンになろうと思っていた。私の研究は、とても役に立ちそうになかった。それがたまたまビッグデータ/データサイエンスの流行に乗り、博士論文の研究で特許を取って会社をつくった。もちろん何年もやるつもりはなく、流行りの間だけ研究費が稼げれば儲けものだと思っていた。
幸運が度重なり、会社の人は増えた。会社から発表した論文も正確な数が答えられなくなった。そんな中である日、数百万円分の資材がダブついていることがわかった。大学院生のときの私に渡したなら、きっと嬉々として全部持ち帰っただろう。
いまの私は、余っている数百万円分の資材の楽しい使い道が思い浮かばなかった。それでいいのか?私はいったいどうなってしまったのだ?何のために仕事をしている?
いちど違和感に気づくと、自分のあらゆる行動が不適切で、問題を抱えているように見えた。研究の費用を捻出することはいつの時代も大変で、まだシニアのような信用を勝ち得ていない私の年齢で、数百万円、数千万円の研究費を使える機会は稀有であろう。年間一千万円近い研究費は、ふつうそのキャリアの黄昏に、膨大な業績リストの上に支給され、組織運営等沢山の業務の合間を縫って取り組むものだ。その頃には自身の眼や手はかなり自由が利かなくなっていて、スタッフに頼んだり、あるいは学生の成長に期待することになる。
振り返ってみると、数ヶ月前も研究拠点になりそうな建物への先行投資を考えたことがあった。来年の体制維持に怯え、場所だけでも研究者でいられるように確保しようとしたのだ。思うにいまの私は「金勘定で忙しい今が落ち着いたら研究をしよう」と考えている。これでは鬼に笑われる。
単年でも研究できると思ってはじめたはずだ。それがいつの間にか、いま研究に没頭していない言い訳を、来年の経営の心配のせいにするようになっていた。研究をすすめるための振る舞いの代わりに、研究者を名乗るための、名乗り続けるための振る舞いをしている。
よくある意見に、「さすがに東大法学部と底辺理系なら、東大の方が上だろう」みたいなのがあるが、間違いだ。
もちろん「底辺」というのが「ボーダーフリー」の意味なら話は別だが、偏差値50前後の誰でも行ける大学という意味なら、
だ。
まず、日本の大学の文系と理系とでは、卒業に課せられる要件がまるで異なる
ほとんどの理系学部では、卒業するためには学位論文(学部なら卒業論文、大学院なら修士論文・博士論文)を書かねばならず、その前提として求められる専門知識も高度である。
一方、文系は遊んでいても単位は取れるし、卒業するための「提出物」も簡単に書ける。
一方、文系の卒業論文なんて、先生の指定した文献(素人でも読める。というか、卒業するだけなら読む必要すらない)を読んで、サーベイもどきの読書感想文を書くか、アンケートかなんか取って小学校レベルの算数でまとめるだけ。
「日本軍慰安婦被害者が日本側の基金を受け取らないように勧めた事実はない」という韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)の釈明と相反する被害者証言が出てきたことが確認された。
韓国挺身隊研究所研究員出身のキム・ジョンラン氏が2004年に書いた博士論文「日本軍『慰安婦』運動の展開と問題認識に対する研究:挺対協の活動を中心に」によると、1990年代に日本が政府次元の「国家賠償」ではない、市民が集めたアジア平和国民基金を支給しようとした当時の状況が詳細に出ている。
論文によると、挺対協は1997年1月に被害者7人が日本の国民基金を受領することにした事実が明らかになると、「ごく少数のおばあさんの行動は他の多くのおばあさんにさらに屈辱的だ」としてさびしさを示した。
実際に活動家らと国民基金を受領した被害者の間の葛藤を見せる証言もある。論文が引用した証言集で被害者のソク・ボクスンさんは「私たちは年を取ってどんどん死んでいく。どからであれくれるお金を受け取って使って死にたい。多数がこうだ…。おばあさんたちの要求は無理でもなく、そこでこんどはまた挺対協で(国民基金を)与えるなと日本に噂を言いふらしたんだ」と話した。
ソクさんはまた「何であれ何千万ウォンもくれるならそのままおばあさんたちがもらえるよう放っておけばいいのに…おばあさんたちはみんな死にかかっているじゃないか。ところが募金を受け取るな、それを受け取れば汚い金だ、売女だ、こうした耳障りなことばかり言う」と吐露した。
論文によると挺対協は「日本と被害者の間で信頼回復が先行しないため」「国民基金は日本軍慰安婦犯罪に対する免罪符を日本政府に与えるもののため」「被害者の名誉と尊厳をもう一度踏みにじるもの」という理由で国民基金の受領に反対した。当時挺対協は声明で「日本の国民基金を受け取った7人のおばあさんの行動は正しくなかったと評価されるほかない」と言及することもした。
論文著者であるキム氏は中央日報の電話取材に、「論文は具体的な資料に基づいて作成した。当時論文内容に挺対協が反発したり異議を提起したりはしていない」と話した。
これに先立ち日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯のハン・グクヨム運営委員長は20日にソウルの旧日本大使館前で開かれた1440回目の水曜集会で、「日本政府が1994年8月に発表した国民基金を挺対協が受け取れないようにしたという批判を受けている。被害者に受け取るなと勧めたというのは一抹の真実もない歪曲だ」との立場を明らかにした。
ハン委員長は2015年の韓日慰安婦合意後に被害者が日本政府の出資金で設立した「和解・癒やし財団」の支援金を受け取らせないようにしたという疑惑に対しても否定した。彼は「この合意によって韓国政府は国連など国際社会で慰安婦関連発言を中断し、撤去の危険に直面した平和の少女像を守ろうと若い学生たちが寒い冬の道路で夜を明かした。その時の不正義な状況と挫折感を私たちはみんな忘れることはできない。その渦中におばあさんに支援金を受け取るなという原則に外れたことを挺対協がどうしてするだろうか」と話した。
正義連と尹美香(ユン・ミヒャン)前代表をめぐる後援金流用をはじめとする議論は7日に李容洙(イ・ヨンス)さんの記者会見で始まった。李さんは正義連に向け「水曜集会をなくさなければならない。ひとつも役に立たない。参加した学生たちが出した義援金はどこに使ったかもわからない」と批判した。
カンファレンス3日目の最後の発表と4日目の冒頭で、カリフォルニア大学サンディエゴ校の数論学者キラン・ケドラヤが望月教授がABC予想の証明にこのフロベニオイドをどのように用いようとしているかを説明した。彼のレクチャーにより、望月教授の手法において何が中核を成しているかが明らかにされ、それまでの時点で最も意義深い進展となった。望月教授の博士論文の指導教官であったファルティングスは、ケドラヤの講演が「インスパイアされるものだった」とメールに記している。
「ケドラヤの講演は、そのカンファレンスにおける重要なポイントでした」と出席したスタンフォード大学の数論学者のブライアン・コンラッドは語る。「その日たくさんの人に連絡しました。こんなテーマがケドラヤの講演で話されたから、明日とても興味深いことがわかるだろうってね」。ただ、結局は、そううまく事は運ばなかった。