はてなキーワード: 卑下とは
それは、b:id:kash06さんとb:id:kidspongさんだ。
ブコメの内容から二人とも俺と同世代(30代半ば~後半?)と思われるが、俺なんかよりずっとしっかりしている。
それも自分の経験に基づいた、地に足の着いた、飾らない、他人の借り物ではない、自分の言葉で。
真摯に、誠実に、自分に嘘をつかないブコメは「それが俺の言いたいことだったんだ」と心の中で叫ぶ。
上からでも下からでもない、自慢でも卑下でもない、水平な目線を持っている。
そうかと思えばアニメ、ゲーム、漫画にも強く、大喜利も切れ味鋭く、幅の広さをみせつける。
両人とも独身らしいが、「結婚できない」ではなく「結婚しない」と考えるのが自然ではないか。
本人が気づかないだけで、ひそかに想いを寄せる女性もいるだろう。
俺が女だったら一目ぼれするに違いない。
2~3日間増田ブクマで姿を見かけないこともあるが、私生活が充実しているのだろうかと嫉妬してしまう。
(もちろん充実していることに越したことはない)
俺の書いた増田に二人からブクマされると「おおっ」と思ってしまう。
もちろん他の人からブクマしてもらうことに差はない。他意は無いので許してほしい。
俺もいつかお二人のようなブックマーカーになりたい。
b:id:kash06さん、b:id:kidspongさん、いつもありがとう。
ついでにb:id:death6coinも。
誰に好かれずとも、むねをはって生きていいと思います。
たとえ障害があったり、
育ってきた環境のなかで人並みに成長できなかった部分があったとしても、
誰にでも起こり得たリスクです。
生きることは大変なことなのです。
食料の確保、安全の確保、
それこそが生きることの全てなのです。
人類は協力しあってここまで発展し、
生きることが当たり前になり、
生きる意味さえ求められるこの頃ですが、
生きることに意味などないのです。
遺伝子を残すための行動、
それこそが生き物の本能です。
生きることに必死なのが、
生き物の本来の姿なのです。
死ぬのがこわくて当たり前なのです。
世界中にどれだけいることでしょう。
個人の問題だと思わないでください。
他の人間にも必ず発現し得るのです。
育った環境が悪かったとすれば、
同じような環境で育ち、
同じような悩みを抱える人間が発現し得るのです。
同じような人間はきっと少なくないのです。
もしもそうであれば、いかにできそこないに生まれた人間の尊厳を守りつつ排除するかを、
あなたがそのような生きにくさを抱えながらも、
ここまで生きてきた。
それはすごいことです。
いかにすれば幸せになれるのか。
その答えが出るまで、
あなたが生きているだけで、
この広い宇宙で、ちっぽけな地球に生まれた人類は協力し合わねば生きていけません。
チーム人類の一員として、
元増田です。トラバやブコメの多さに驚いた。皆お金に困っている人の話好きなのかな…。
もう見る人も全然いないと思うので書いています。コメントを下さった方見てないと思いますが、どうもありがとうございます。
「6万も貯金できる?」「なんで車のローンを?」などなど、色々ツッコミ頂いておりますが(笑)
貯金はできます。時々4、5万円にならざるをない時もありますが、大きな出費が無い限りは6万確保する様にしています。
車のローンは仕方ないんです。厄介な父親がいたので…今はいませんが…(父親が亡くなってることは彼には伝えています)
親戚諸々色んな絡みで私が払わないといけないことになってます。
(生活費は少額でいいから貯金しなさい、と。少額でもいいから払うよう言ってくれてるのは多分、私が情けない気持ちにならない様にする為の母親なりの配慮でしょう。車のローン以外だとそのくらいしか家に入れてません。)
だから貯金ができています。すねかじりです。母親には頭が上がりません。
プロポーズされたと書きましたがまだ具体的な話は何も振られていないし、私は保留のスタンスをとっていますので、まだ結婚すると確定したわけではありません。まだ「うん」という覚悟もないし、十分な話し合いもできていません。でもどこかフワフワと結婚に対する憧れがあり、ただそれだけの感情で「受けるつもり」と書きました。
コメント見て、自覚してなかっただけで舞い上がってるんだなーと気付きました。
仕事お金住居子どもの話題って、どのタイミングで出るのが一般的なのか、よく分かっていません。世間的には私が思っていたよりもずっと早く話をするみたいですね。
結婚ておとぎ話みたいな甘いもんじゃなくて普通にシビアな「生活の柄」の話なんだなぁと……自分が能天気過ぎました。
詳細は違うけど、夫の方が年収も立場も才能もビジネスセンスもコミュ力も努力する力も多彩さも人を惹きつける力も容姿もあらゆる面で上
その上、こっちは過労で倒れて会社も辞めてしまったから完全に夫におんぶに抱っこ状態になってるし、あなたの言うような勝ち負けでいうなら完全に私は負けてる
けど、夫は夫、自分は自分、家庭の為のお金は家庭の為にって割り切ってるよ
変なプライド持ったり卑屈になって人としての勝ち負けとか言ってたら、自分より下と思える人じゃないと受け入れられないのでは?
金銭感覚に限らず、結婚したら共感出来ない所も譲れないことも次々出てくるし、今のうちにお互いの差異について話し合って落とし所を見つけられる様に、まずは金銭感覚の違いを確認してみればいい
素直に、嫌味を込めず、「30万は私にとってすぐに用意できる金額じゃないから行けない」って言うとか
相手はどうだか知らないけど、少なくともあなたは相手と自分は別だという意識はあるようだし、「凄い人に見出された私」とか「格上男をゲットした魅力的な私」とかって変なステータス化せず、相手と自分は別世界の人間だとかお金多く出して貰っているとか自己卑下にもならず、収入や社会的立場どうこう以前にお互いは対等な別個人であると思えるようになれればいいね
色んなコメント頂きましたが、これが一番、心に響きました。ありがとうございます。言わなくちゃいけない、と思いました。
彼に「今すぐイタリアに行ける程のお金は用意できない。」「あなたの金銭感覚が私にとっては辛い」と正直に伝えました。彼は15万くらいなら援助するから(その援助が自分にとってプレッシャーにならないならば。でもそういうの抜きにしても僕は単純に増田ちゃんに来てほしいから)おいで、と言ってくれました。
お金に困っていることは何となく気付いていたけれど此方から聞くのはなんだかデリカシーがない気がして、言い訳して全然向き合おうとしなくてごめん、何も聞かないまま振り回してごめんと。涙が出ました。
手取りが12万円しかない事。父親の車のローンを今でも払ってること。奨学金のこと。
父親がいないので、将来母親の介護は間違いなく私がしないといけないこと。
今の仕事のこと。下積みは12万だけど、技術が身に付いたら手取り30万は望めること。誇りを持てる大好きな仕事であること。できれば続けたいということ。
彼がイタリアから帰ったら、とりあえず全部思っていることを話してみて、お互い歩み寄れるか、彼の為に何だったら犠牲にできるか考えます。
もし駄目だったら彼の年齢のこともあるしすぐにでも解放してあげなきゃと思うので…
あと
創作、釣り、自虐風自慢といったコメントの方。自虐風自慢と思われると思ったから増田に書いたんですけど…貴方達に思われても構わないけど知り合いに思われるのは嫌なので…
あともし私が増田文学作家なら自分をわざわざこんな事故物件設定にせずにバリキャリな感じで書きたいので……そんなマジにならないでください…
「最近の若い人は」って言葉を聞いて、嫌な気分になったことある人は多いと思う。
自分に関係あってもなくても、誰がが言ってるのを見たり聞いたりするだけで「なにいってんだろ、この人」って思う。
この前、アラサーの人の「最近の若い人…、20代前半とか10代の子たちは」って発言を見た。
たしかに年の差が数年だろうが、何十年だろうが、その人から相対的に見ての「最近の若い人」には違いない。
その人は別に「最近の若い人」をディスったりはしていなかった。
ただ「自分とは違う」という話の中で、出てきた言葉なんだと思う。
でも、なんだろう、この違和感。
年齢差に関係なく、年長者が年下に向けて発せられる「私はあなたたちのことはよくわからないんだけどね」という自嘲とも自負ともとれる感じ。
別に非難されてるわけでもないのに、なんとなく上から言われてる、見下されてる、もしくは自嘲・卑下(でもちょっとした自負も入り交じった)。
そういったものに対して、言われた方は、その後に続く言葉がなんであったとしても「あぁ、嫌だなあ」と感じるのではないか。
自分が「最近の若い人は」って言われて嫌だった頃のことをみんな忘れてしまうのかな。
それとも、その頃に言われたことの復讐としての「最近の若い人は」なのかな。
だったら言う相手を間違えている。
学生時代、サークルの一つ下の後輩男子で、おそらくはてな界隈的に典型的な非モテ男子が居た。中高一貫男子校で背が低くてひょろくて、本当に非モテかは分からないが自分はモテないと嘆いていた。
サークルの代表をやっていた私の同期も、彼と同じように中高一貫男子校で背も彼と同じぐらい低かった。私が見る限り、男ぶりも同じぐらい冴えない感じだったと思う。人のことは言えないけども、ごくありきたりの一山幾ら程度の容姿。
変な顔でも気持ち悪い顔でもないごく普通の冴えない男子大学生だった。
ただ当然だけど、二人は性格は違う。同期は義理堅くかなり寛容な性格、悪口や噂話は好きな邪悪さはあったがあまり酷いことは言わない男だったが、後輩はそねみが強く悪口も粘着質で自分を卑下する。飲むたび人を嫉み自分を卑下する悪酔いをしていた。
酔わなきゃそれなりに明るいし面白いやつだったし後輩としてかわいがってたんだけど、単に飲み癖の悪いやつだという認識で飲み会の席はなるべく遠くになるようにしていた。
ある時、飲み会で、私の隣に割り込んで来て「同期さんと僕とのあつかいに差がありすぎる」と絡み出した。
でろんでろんに酔っぱらって曰く、同期さんと僕はスペックは同じむしろ僕の方が良いぐらいなのに、私さんは同期さんとばかり仲良が良い、僕とも同じぐらい仲良くしなきゃ話がおかしい、と。
友人を選ぶ基準に容姿やスペックの良し悪しを考えたこともなかった(もっといえば彼氏にもあまり要求しない)ので、謎理論に茫然としつつ、悪酔いした後輩がのしかかってこようとしたので、取りあえず手に触った居酒屋のメニューでひっぱたいてやった。
お前酔いすぎだ、友情や愛情を一方的に要求するのはストーカーだぞと、取りあえずその場でその話を聞いていた者から袋叩き状態になって、その後別の後輩に家まで護送されていった。私が4回生の時の話。
護送された後、送ってくれた親切な彼の友人に「俺と同程度の低スペックな先輩には気安くやらせてくれそうな感じでいつも一緒にいるのに、俺には触らせもしない」「アイツ(私)が好きなのかと言えば分からないけど」と涙ながらに語っていたらしい。
私と同期には友人以上の関係はまったくなかったし、飲み会で同期といつも近い席になってたのは、非モテ後輩が隙あらば触ってきたり絡んできたりすることを相談した結果のことだったので、こいつばかじゃねって本気で思った。
そもそも私にはずっと付き合ってる同じサークルの先輩の彼氏がいたし、同期にもその頃人生初の彼女ができて初めての春を謳歌していた時期だったのだ、そんな関係になるわけがない。
非モテな人たちの言い分を聞いていると、この後輩のことを思い出して心底気分が悪くなる。
彼らは相手と自分の距離を測れない。なぜなら、彼らは、相手がどう思っているかに興味がないから。どんな気持ちでいるのかどころか、相手がどういう人であるかすら意識が向いていないように見える。
非モテな自分を拒否しない=告白→セックスできる・結婚したい、に謎な直結をしてしまうのは、今この瞬間から将来に至るまで、相手がどんなことを考えているのかに思い至ることがないから。
自分の中に作り上げた感情ストーリーにしか興味がないからだ。人が誰かを拒否しない理由にはいくつもあって、例えば、酒癖は悪いけど悪いやつじゃないから、ということだってあるわけじゃないですか。
悪いやつじゃないから嫌いはしないけど、触られるのはイヤだから距離は180cm以下には詰めたくない、ってだけのことだ。なのに奴らときたら自分の頭の中のストーリーとは違うからか、まるで裏切られたかのような逆ギレをする。
もっと言えば、変に気を持たせるようなことして悪かった、誤解されるのも本意じゃないから、本当に好きな人以外にはそもそも近づかない方がいいのかな、って防御すると
今度はキミたち、これだから女どもは俺ら低スペックは見向きもしねぇ!イケメンがお好きなくせにって、また勝手な脳内ストーリーで逆ギレしだすじゃないすか。
わたしら、好きな人を選ぶ権利もないですか?普通に気の合う人と楽しく過ごしちゃいけませんか?飲み会で誰の隣に座るか決める権利もないですか?
かわいそうな非モテくんからだったら、突然降ってわいたように告られても無条件で受け入れろと?近づかれるのは怖いなと思っても慈母のようなほほえみと共に受け入れろとおっしゃるか。
勝手に脳内にかわいそうな俺ストーリー作って勝手に劣情をかきたてたり勝手に逆ギレしたりしてっから、いつまでたっても非モテなんだ。
君らがキモイとしたら、勝手な俺ストーリーを無理に押し通そうとしてるからだ。ストーカーと同じメンタリティ。イケメンも、そして女にも同じようなキモイのがいるから見た目の問題じゃないぞ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.black-gamer.com/entry/motenai_otaku_marunage
この辺の恋愛話で自己肯定感の低さ云々が話題になってますけど、この自己肯定感の低さをどう克服するのかってのは割りと生きていくうえでも難しい問題なんですよね。
個人的にも自己肯定感の低さを抱えたまま人生生きてるので共感できる部分もやっぱあります。
基本的に自己肯定感が低いと、自分の発言・行動に価値が無いと感じていたり、少し重くなると権利がないと考えるようになります。
自分から発言することが周囲に迷惑をかけてしまうのではないかと考えたり、そもそも自分みたいなクズの意見は発言するべきではないという強固な信念があるからですね。
困ったことに自分はクズという信念だけは心から信じてしまっているのでなかなか難しいところです。
周囲の人間に責任を担保させすぎてしまったり負担をかけてしまうことが実害としてあげられます。
一旦こういう状態になってしまうと積極的に自己を卑下したり、罵られることに寂しさと同時に安心感を覚えるようになるのでなかなかぬけ出すのが難しくなります。
基本的に自分の考えを肯定されることは少ないですから、「自分はクズである」という唯一の思想を肯定されちゃうので麻薬のようにはまっていくんですよね。
また、迷惑かけたので頑張ろうという気持ちもあったので意外と任された仕事は頑張る時もあるんですけど、頑張り過ぎると論理的に矛盾がドンドン発生するようになってくんですよね。
そうすると他人から褒められるようになったり、気づいたら数値で明確に他の人より成果がでるようになっちゃったり。
そうすると「自分はクズである」という思想から外れてしまうので途端に不安になります。
俺は屑だ、俺は屑だと思ってるのに数値では明確に自分が上の立場なのでおかしくなっちゃうんですね。
これをどう解決したのかというと、それは徹底的に「出来事」を客観視することでした。
これだけじゃちょっと具体的じゃないのでもうちょい書きますね。
「俺はゴミを捨てちゃ駄目だが、他の人は捨ててもいい。なぜなら俺は屑だから、権利がないから」
全体を俯瞰視する見方に変えて一旦自分を評価軸から消去します。
これをやったのが俺じゃなくて他人だったら?
っていう考え方に変えるんですね。
なるべく自分を世界にかかわらせることをやめることで普通の対応に見えるようになります。
自己肯定感の低い人がおかしな対応をするのって基本的に自分が関わっちゃうからなんですよね。
ただし、考えるのに時間がかかって結構ぎこちない対応になったりしちゃいますけど。
10年前、研究者を志し研究に励んでいた。しかし当時たまたま知り合った先輩(玉木浩貴、自称:国立印刷局の研究職候補)が「博士課程にメリットはなく、正規の研究者(アカポス)になれない」などと博士課程を卑下した発言を何度も繰り返しており、だんだんと感化されるようになった。結局それなりの研究実績はあったものの、大学院を去り、就職した。
一方で、研究が楽しいとそのまま大学院で研究を続けた周囲の学生・ポスドクの人達がいた。
当時は自分の選択は最良と思っていた。周りのように、今が楽しいからと厳しい現実を逃避し、なれもしないアカポスに憧れるのは哀れだと思っていた。
<大学院で研究を続けた周囲の学生・ポスドクの今(大学・大学院の所属研究室で自分より±3学年)>
<俺の今>
<先輩の今>
これらはあくまで俺が大学・大学院で所属した研究室のみの状況。他の研究室や学会で知り合った人を入れればもっと多くなる。
先輩の当時の論調では、大学院に残った人はその後落ちぶれてゆくということになるが、現実はそんなことはなかったのだ。
確かに、俺が大学院を去って最初の数年間は周囲はパーマネント職には就けず、惨めなものであった。しかし、5年経った頃(つまり5年前)にはアカポスをゲットする人が急に増えた。大御所だった教授達が大量に定年を迎え、ポストが一気に空いたからだ。
現在、俺と周囲の人ではどっちが良かったかどっちが上かは一目瞭然。その中には10年前俺よりも研究実績がなかった人も少なくない。先輩の言うことを信じて大学院を去ったことを非常に後悔している。
「大切なのは邪念に惑わされないこと。諦めたら負けだ。」
論旨はわかるんだが、なんで
ってことになるんだろう。
自分を卑下するフリをしながら「そこから抜けだした自分」として、そういう「押したことのない人」をバカにする発言って感じ悪いよね。
ちょっと早いけど。2014年のはhttp://anond.hatelabo.jp/20150110001952です。
まあまあ仲はいいけど時々性格的に引っかかるところがあるんで恋愛対象じゃあないなって男友達と飲みに行った。
性格的に引っかかるっていうのはやたらとDTアピールしてくるところで、「俺、女の子にうまくアピールできないんですよね」っていう自己卑下的な発言を会うたんびにされるんで内心やめてくれないかなと思いながら薄笑いでかわしてた。それ以外の会話はそこそこ面白いところもあるやつだった。
飲んだのは私のアパートの最寄りの駅周辺だったんで、終電近くなってそれじゃそろそろって駅まで徒歩10~15分のところで別れた。
別れ際に「大丈夫?道わかる?」って聞いたら「わかるわかる。大丈夫」って強調するんでならいいやと思ってそれ以上追求しなかった。
したら私がアパートに着いて少ししたら「道に迷って終電逃しちゃったんだ。泊めてくんない?」って電話がきた。
その瞬間心底ウゼーって感じた。
これは最初からそのつもりだったなってことにやっと気づいて自分の甘さを悔いた。
まじで帰って欲しかったから心を鬼にして「いや無理」とか言って電話切った。
それからどうしたかわからないけどなんかそれ以来連絡がとれないでいる。
自分的には一度別れたところでもう気分がオフになってるから、多分本当に好きな人から同じことされてもウゼーって思った気がする。
自分を無能だと卑下するような価値観を提示する一方で、その原因を自分を夢中にさせてくれる女性がいないからではないかと責任転嫁する思考など、典型的なセックスできるお母さんが白馬に乗ってやってきてくれることを待っている童貞男子のそれであるが大丈夫。
そういう人は掃いて捨てるほど世の中にありふれているので安心して良い。多分ウェーイ系のイケイケ男子よりはるかに多い凡庸な存在だ。昔は結婚しないことへの社会的圧力が半端無く、お見合いなどの制度で半ば強引に引っ付けられていたから目立たなかっただけだろう。
女性との交際にがっつく人のほうがリスクを踏む可能性の高い欠陥人間で、腰の落ち着いた増田のほうが優れた存在と言えるだろう。
自信がないことに長年悩んできたけど、どうも自信というのは、
他人からちょっと秀でていたり、優れていたりして持てるものじゃないらしい。
ちょっと意外だったけど、当たり前なのかもしれない。
何せ、上も下もいくらでもいるわけで、他人と比べていい悪いで自信をもっていたら、
しょっちゅう浮き沈みしなければならなくなる。
正しいというのに根拠がないと、自信なんて持てないよ、と思っていたけど、
自分が正しいということに根拠なんて特になさそうだというのが個人的な見解だ。
しいて言うならば、この世界を自分という視点から覗き込んでいるのだから、
自分が絶対的な観点だ、ということが、自分を正しいと思う根拠だ。
じゃあ他人から見たら間違っているかもしれないじゃないか、と思うが、
とにかく、自分くらいは自分を正しいと思ってやらないと、誰がほかに自分を守ってやるんだね、
よくよく話をきいてみてごらんよ、のたうちまわるような恥ずかしいことも、
眠れなくなるような後悔も、原因を考えてみれば、ちゃんと理由があるんだから、
そんなに卑下することじゃない。
くらいの自己肯定感で、なんとか、自信を持とうと日々奮闘している。
ある時彗星が降ってきてあままこさんに能力が宿った。能力の名は怒り。しかしその能力は青春時代がすぎると失われるもの。途中怪しいシロk・・・やヨーク・・・科学者たちに命を狙われたりもしたが、無事生き延びて長く苦しい青春時代がようやく終わったようだ。めでたい。
この怒りについてだが、あままこの怒りはどこまでも身勝手なもので、それを正当なものだと信じる程度の愚かさがなければ持続出来ないものだったと俺は感じてる。いつまでも身勝手な怒りを持ち続け、それを正当だと信じ続けられる特殊な能力の持ち主をはてなアイドルという。その怒りを支えるのは圧倒的な被害者意識だ。自分の現状を惨めだと思って心の底から自分で自分を哀れむことができる。自分を卑下しつつもそんな自分を可哀想だと慈しみ恍惚の表情を浮かべながらキーボードを叩くことができる。表面的には自己卑下しつつもどこまでも自分をベタベタに甘やかすナルシス気質。これが才能でなくて何といえばよいのか。しかも己の悲惨さはすべて他人のせいにできる。なぜならぼっちだから。自分の苦境を訴える友だちがいれば、その友達に心を開かない自分のせいになる。それすらもなかったのだからナルシス気質のぼっち。何一つ持たざる者であることが逆にあままこの強さを作り出していた。
じゃあなんで怒りが失われつつあるかっていったら、たぶんだけどあままこさん、昔みたいにもたざるものじゃなくなったんだじゃないかと。なにか価値あるものを見つけたんだ。きっとそうだ。うん。
1.塩の決め方
ソースと麺の種類、合わせ方に依って変えるのがベストなんですね。
ゆうて濃度計なんて使っていちいち測ってられないし、プロもそんな事しません。
大体目安として、"お吸物よりわずかに塩がきつい"というのが基準点で
それだと1.06% アリオ・オーリオみたいなオイル系は麺自体にきつ目に塩をします。
1.09%ぐらいで僕は決めます。それだと"お吸物よりわずかに塩がきつい"より半回りきつい塩です。
逆にクリーム系や麺のセモリナ粉の割合が低い場合は基準点より下げます。
蕎麦やうどんやそうめんと違い、セモリナ粉が入っている"パスタ"という物は小麦の香りが非常に強いので
それ自体塩をきちんと効かせてやらないと、粉の香りにすべてが負けてしまうのです
いくらソースに塩を効かせたからといってもすべてちぐはぐな物になってしまいます。
2.オイルの量とにんにくの決め方。
アーリオオリオの話をします。
これはまあスタイルによっていろんなのがあるんですね
いわゆる乳化、完全にエマルジョンさせたものやまったくさせないもの
どちらもきちんと作れば美味しいです。
某増田の言ってるのは"油っこくて塩っからいもの"はうまいよね"、でジャンクフードと同義の話です。
ただ、オイルの量というのはおいしさの持続力を決める要素でもあるんですね。
あなたも感じた事があるとおもいますが、パスタ食ってる途中で最初はよかったのに最後の方は
麺がぼそぼそになって口当たりが悪いな
これはオイルの量がすくないんですね。時間が経つと麺はどんどん水分を吸ってしまうので
それをオイルで膜をしてやる、またオイル自体の口当たりが当たり前ですがなめらかなので。
食べる時間や食べる人などTPOに合わせてオイル垂らしましょう。やっぱハイカロリーですし
みじん切りだと難しいんですね、臭みが出やすい上に焦げやすい、だから包丁の背でつぶして芯だけとって
フォークでつぶしながらオイルに香りを移すやり方が僕は一番好みです。みじん切りやスライスでも良いですが
難しい上にめんどくさいんですね。かんぜんに大きさを揃えてやらないとこげと生が出ますしやはり臭みが出過ぎちゃうので。
唐辛子にしてもにんにくにしても、焦げると台無しなのでまず"絶対に焦がさない"ことが最低条件なんで
そこで難易度が上がるみじん切りやスライスはその面でもおすすめしません。
3.最後に
塩にしてもオイルにしても量にしても、食べる人の"全部食べてフォークを置いた時の瞬間の心地よさ"から逆算して、そこから料理します。
それ考えたら簡単ですし、なによりそれが素敵だと思うからです。
僕はそういう料理を作りたいし、食べたいです。