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はてなキーワード: パートナーシップとは

2019-10-01

□という名のハンペン

真フレ、相変わらず理論ガバガバすぎない?

また今更になって◯◯◯みたく🚬は自社買いだと言わんばかりのTweet見かけたんだが、資本金1000万程度の中会社が自社買いで1万もBD買ったら6000万、半分でも3000万も使う訳だが。それで利益どんだけ出るんだよ……

普通予算なら半分の5000枚で何とか2期が見える程度には売れてるわけで、そこで自社買いなんてしたら利益も帳消しだろうが。いくらパートナーシップ方式だとしても初の試み、予算は大きく変わらんだろ……

大会社新人等のDVD/CDを自社買いするのとは訳が違う。大会社なら多少の自社買いは痛くないが、中小企業ならBDみたいな高価格商品の自社買いなぞ下手すれば命取り。再度市場(Amazon)に流したところで流通等のコストが再びかかるようじゃ無駄な出費でしかない。そんな事をAmazonが許すとも思い難い。

たつき監督ネームバリューが有るだけでも既に宣伝効果があるのに、他の外道戦術を用いるとか信頼と利益を落とすだけの愚策だろjk……

大会社にお雇われの方は理性や知性が無いのですかね?みたいな感覚しかない。

2019-08-16

禁忌」としての同性愛が好きです

オタク

現実創作は違う。それは知っている。

私は性別がどうであれパートナーと法的に結ばれたい気持ち否定するつもりは一切ない。

でも現実同性愛普通になったら、創作上でどう扱えばいいのだろう。

一昔前の価値観オタク時代の流れについていけない。

どうやら同性愛を禁断愛だかタブーとするのは、もう古いという。

じゃあ「禁忌」としてのモチーフはどこにいってしまったのか。

教師と生徒は年齢が上がれば、よくある話。

不倫離婚すればただの夫婦。

まらない。もっと当人達ではどうしようもない壁で悩め。

その点、同性愛完璧だった。

日本ではどんなに望んでも結婚できなかったし、普通でないと後ろ指を差す人が多かった。

それを解決するためのハードルも高く、八方塞がりなのがよかった。

創作とわかっていても夢を見るのにうってつけの題材だったのだ。

けれど、LGBT当事者達が声を上げ始めた。認知が上がってきた。自治体によってはパートナーシップ制度が導入された。

現実的には悪いことではない。わかっている。

その上で言わせてほしい。

今の日本では同性愛の「禁忌」感が薄れてしまった。

いつかの日本では当たり前のように同性愛が扱われるだろう。

だが創作としては面白くない。

葛藤しろよ。周囲から隠せよ。悩み続けろよ。

タブーとして必要なすべてを兼ね備えた関係性は他に一つしかない。

近親相姦に手を出すしかいか

2019-08-06

anond:20190806174816

かに結婚ってなると色々向こうも面倒なのか。苗字だの税制優遇だのは別に望んでないから確かにパートナーシップ制度みたいなのが全国に広まってくれればいいな。

2019-07-22

anond:20190722174313

横だけど同性婚もいけんの?って調べたら

https://www.nttdocomo.co.jp/info/notice/page/151023_02_m.html

同性婚パートナーシップ証明する書類 とか出さないとダメなのかよ、

一応進んでるが男女の事実婚は同居の事実だけでいいのに相変わらず差別ひでえな

20代のアホの選挙

はてな見てると自民党に反対する人とか、消費税増税反対な人多く見えるんだけど世間はそうじゃないんだなあ。

社会人なりたての2年前?3年前の選挙はとりあえず多数派だし自民党入れておくか、他は名前がかっこ悪いし(希望とかみんなとか幸福とかなんなの?ばかなの?)

共産党は何か怖そう、ロシアとか中国とか?なんかやばい奴らなんでしょ。

よくわかんないか投票所に向かう途中にあったポスター笑顔の優しそうな眼鏡のおじさんに入れた(自民党の)。

あれから3年ぐらい経って、

消費税10%になるとか、なんか統計改ざんされてるとか、老後2000万必要(!)だとか聞いて、

あれ?このままだとやばくない?っていうか毎月めちゃめちゃ税金とられてるけどこれってちゃんと使ってもらえてんの〜〜!?って。

あと去年子供生まれて、出費も増えて、お金ちゃんと貯めないとっべーなっていう。

保育園無償化とか大学学費一部無償化とか…恩恵受けないしなあ。

っていうか保育園無償化大事だろうけど保育士給与改善して保育園の数を増やして欲しいんご。

から今回は「保育士待遇改善するぜ〜」、「消費税増税やめるぜ〜」、って言ってる党に入れたぜ

あと選択夫婦別姓…?とかLGBTパートナーシップ…?とか、多様性ばんばんざいじゃん。

今回はちゃんと各党のことも、自分の区の候補者のことも調べた!

出来るだけ若い人がいいなあ、って思って若い人に入れた。

入れたい人が二人いて、どっちに入れるか悩んだけど票が競ってる方に入れた。

これで良かったのかは正直わからん

配偶者がどこに入れたの?って聞くので、「どこに入れたの?」って聞き返した。

自民党しか入れない」だって。なんでだろう。

2019-07-09

anond:20190709110130

したいよ

おれはむしろそういう形で終わることのほうが興味無いかなあ

パートナーシップ制度はもちろん知ってるけど、結婚とは程遠いし

あなたがヒュー!って感じで満足するように、おれは社会的に認められれば満足です

anond:20190709104701

レズビアンだけど今度渋谷引っ越しパートナーシップ制度やって式とかもやりたかったらドレス着てピューロランドとかでやればいいよねヒュー! って感じなんだけど、結局自分が何で満足するかによらない?

増田結婚というか、どうしても好きな人婚姻届を出して、どちらかが苗字変えたい? 本当にそれがしたいの?

2019-07-07

選択制別姓に対する不安

参院選の「安死」のHPを見たら、「選択制なので選びたくない人は選ばなければ良いのです」と大きく書いてあったけど、それはどうだろう。

同時に思ったのが選択制別姓でよく「選択肢が増えるだけなのに反対している人は何だ!差別だ!頭が固い!」ということを言ってる人がいるのを思い出した。

もし選択制別姓が導入されて、夫婦別姓ができるようになったら世の中がハッピーになるのだろうか。

例えば夫婦同姓を希望して夫の姓になった女性保育園とかで他のお母さんたちと一緒になったとき

「同姓なんですか?今どき変わってますね」

「働く女性はみんな別姓ですからね」

「わざわざ同姓にしたんだ、改姓の手続きって大変だったでしょう」

旦那さんが無理に進めたんじゃない?モラハラじゃない?」

「別姓って楽だよねー」

などと無邪気に聞かれないだろうか。

選択肢が増えることに何の問題があるんだ」っていう人は一度立ち止まって考えて欲しい。

選ばなかった人のことを本当に尊重できるのか。

もちろんできる人の方が多いと思うけれど、必ず出現する一定数の「そうでない人」にはどう対処するのか。

安楽死制度を導入しても必ず「そうでない人」が出現すると思う。

安楽死選ばないの?苦痛に耐えるの?だっさー」みたいな悪意が出現したとして、それでも「選択肢が増えただけです、選ばなければよいのです」って言える?

今のネットの言説を見てると到底そうは思えないので今のところ安楽死夫婦別姓も反対。

仮に制度を導入したとして、制度の導入に掛かるコストがどうなるのか未知数なところも今のところの反対の理由

役所手続きはどうする?

安楽死なら新しい資格必要

子供戸籍はどうする?

制度を受け入れられない人への対応は誰がするの?

もちろんこの手の問題が解消するなら「いいんじゃないの」とは思う。

それよりも「パートナーシップ制度」を拡充するほうがそういう手続き上のコストは低くていいんじゃないかと思うけど。

後は好きに罵ってくれ。

2019-06-24

ソ連結婚制度は失敗した

パートナーシップ制度はその失敗を犯そうとしている

問題ソ連と違って独裁ではないのですぐにやめられず少子化が止められないことだ

同性パートナーシップ制度の対案

結婚した女は直ちに妊娠し、出産しなければならない。

違反した場合都道府県婚姻を解消できる。

2019-06-18

[]本日活動

マカダミアナッツクッキーをもらって食べた。

チョコミント小枝をもらって食べた。

ダノンビオのヨーグルトをもらって食べた。食べ過ぎだ。

ウィキペディアでヒョウのハチの項目を死ぬほど読み返す。この記事死ぬほど好きすぎる。

渋谷区税金オールクレカ決済を始めるニュースを読む。

渋谷日本東京パートナーシップ制度もあるし引っ越したい。

増田をたくさん書いた。来週の仕事まで終わらせた。

帰りはジムに行って本日活動おしまい

2019-06-03

オタク的に『コブクロ』の人生ストライクすぎる話をしたい

皆さんは『コブクロ』というデュオをご存知だろうか?「ゆず」と区別のつかない人、身長差がある方です。

今やその名をインターネット検索すれば焼肉の部位よりも上位にヒットするようになった彼らは、2001年に『YELL〜エール〜』でメジャーデビュー2007年日本レコード大賞を受賞した『蕾(つぼみ)』や、卒業ソングとして知られるようになった『桜』も耳に馴染みがあるのではなかろうか。

知名度が高いゆえ、さまざまな印象を持つ方がいるかと思う。

卒業式で歌った!」という方、羨ましい。

「ゆったりした応援ソングばかりのイメージ」という方、間違ってはいない。ロックな曲も多いがヒットするのはバラードばかりなのが歯痒い。

ゆず区別がつかない」という方、わかる。私も区別がつかない歌手は山ほどいる。

自分は歌が上手いと思っているおっさんが部下を連れたカラオケで得意げに歌う歌手」という方も、まあそういう人が周りにいるのだろうから間違ってはいない。

「正直一時期流行りすぎて聞き飽きた、歌詞がサムくて胸焼けがした」と感じている人もいるかもしれない。コブクロ歌詞綺麗事が多いから、そういうのがアレルギーな人もいるだろう。ただこれに関しては、小渕さん(小さい方。詞曲ギター担当する)が「自分が落ち込んでる時に言われたい言葉を書いている」と言っていたので、そういう側面が大きい。ちなみに私は綺麗事理想論を貫くタイプ創作物が大好きな人間だ。

栄光の架橋?」、それはゆず

ケミストリー?」、顔面偏差値が違う。

スキマスイッチ?」、豆知識だがコブクロスキマスイッチはかなり仲良しだ。

ゆず?」、違う。大先輩。

はてな語で書いているので前置きが長くなったが、本題は「コブクロ人生がほぼ漫画」という話だ。

ことわっておくと私はヤバいレベルアニメオタクだ。ツイッター廃人で、ソシャゲ課金しまくり、dアニで毎日ホビアニを観て泣いている。同人誌も出している。家にはたくさんの漫画小説がある。舞台も観に行く。映画ドラマも好きだ。

つまるところ「人の作った物語」が好きなのだ。人の作った物語には「テーマ」や「意図」があり、それを直接台詞で、あるいは暗喩で伝えてくれる。「これはこういう意味で描かれたんだなぁ……」と思うのが好きだし、作品を観ていて「なるほどこれがこの話のテーマだったのか、これを伝えるためにここまでの本編の全てがあったのか」と分かったときの感動は凄まじい。そういう意味ホビアニテーマが明確なので最高だ。子供でもわかるように作ってある。

と、話がまた脱線したが、『コブクロ』という物語の持つ「テーマ」を私は「パートナーシップ」だと思っている。「パートナーシップ」というもの念頭に2人を見ているとエモくてエモくて仕方がないのだ。

まず、コブクロ誕生までのバックグラウンドを語っておこう。

小渕さん(小さい方)は宮崎県の生まれ現在42歳。18歳の時に亡くなったお母さま(有名な『蕾』の母だ)と、4年前に亡くなったお父さま(この時のことを歌った『星が綺麗な夜でした』という楽曲がある)は民謡を教えており、音楽に触れて育った。BOØWYに憧れるギター少年だった。

黒田さん(大きい方)は大阪府の生まれで同じく42歳。オトンとオカンの話はライブでも頻出するのだが、所謂ベタな"大阪人"家族だ。子供の頃から背が高く、ランドセルを背負っているとおかしいからと小学校は途中からトートバッグで登校させられていたらしい。めっちゃかわいそう。

2人が出会ったのは1998年、小渕さん(小さい方)は音楽で食べていきたいという夢をとうの昔に諦め、故郷を離れ大阪堺市サラリーマン仕事に精を出していた。シロアリ駆除会社営業主任をしていたそうだ。当時21歳で……すごいな……。そして仕事憂さ晴らしに毎週末ストリートライブをしていた。いや元気すぎるだろ。ちなみにこのサラリーマン時代経験から会社はクソ!!!!」みたいな曲も幾つか作っている。強すぎる。

黒田さん(大きい方)はニートの傍ら(?)堺市銀座通り商店街ストリートライブをしていた。「大きい方ってギターとか弾けるの?」と思った方、実はあまり弾けない。ノリで弾いていた。冬は軍手をして弾いていたらしいがそれって音とか出るのだろうか。にわかには信じ難いが歌がうますぎるので許されていたのだろう。

2人は偶然にも同じ時期に同じ商店街ストリートライブをしており、双方声がデカすぎるので徐々に周りから他のストリートミュージシャンがいなくなっていった。そして交流し、互いの歌を認め合い、「オリジナル曲を作ってくれないか」と頼んだのは黒田さん(大きい方)だった。カバーしか歌っていないのは小渕さん(小さい方)も同じだったがせっかくだからと了承し、仕事の合間を縫って少しずつ歌を考えた。そうして手探りで出来た歌が『桜』だ。テーマはうっすらわかるが、歌詞のまとまりがあまりなく、フレーズごとの繋がりがフワフワと宙に浮いているような感じがするのもそういう経緯が理由だ。

黒田さんは曲を貰うと早速ストリートで歌った。小渕さんが気になって聴きに行くと、歌はめちゃくちゃ上手いが相変わらずのめッッッッちゃくちゃなギター珠玉名曲『桜』は歌われていた。見かねた小渕さんが「イヤイヤイヤなんじゃその演奏!!!!!貸せやい〜!!!!」(※イメージです)とギターを奪い取り、ノリでハモって一緒に歌い上げた。すると商店街の道を塞ぐほどの観客が集まり、その後二人はコンビを結成する。『桜』の歌詞カードに「こぶちとくろだだから、『こぶくろ』」と書いて配ったのが、コブクロ誕生の由来だ。

ここから先も時間があればあるだけ語れてしまうような長い道のりがあるのだが、あまり長すぎても読んでもらえないと思うので泣く泣くカットして「パートナーシップ」の話をしよう。

オタク的なデフォルメ説明をするなら、コブクロの二人は「夢を諦めた天才と、夢を直向きに追い続けてきた天才」のユニットだ。

夢を諦めてサラリーマンをしていた作詞曲の天才が、ガツンと頭を打たれたような衝撃と共に歌の天才出会い、「この声世界に届けたい、この声を一番生かせる歌を書けるのは俺しかいない」と創作意欲を刺激されて再びギターを握った(一人でストリートをしていたのでギターはずっと握っていたが、これは比喩です)物語だ。

いやもうキンプリのコウジとヒロじゃん?(オタクすぐそういうこと言う) オタクこういうの好きでしょ?うたプリ1期でもハルちゃんが言ってたじゃん、「皆さんの歌を作れるのは私しかいません!」って。まさにそれ。

1998年の夏、人生を変える出会いをしたんですよ二人は。ジョジョ4部か?

今でも小渕さんは黒田さんの歌が大好きで、ライブ黒田さんの『流星』聴いて泣くんですよ。好きすぎか?普通相方の歌聴いてステージ上で泣くか?

すごいのが、小渕さんわりと「小渕さんから見た黒田さんのことだろうな……」って歌詞を書いて黒田さんに歌わせるんですよ。黒田さんどういう気持ちで歌ってんだろうな、これ……てなる。

「夢を拾った桜の下で君に出会わなければ今ここにいない」(『STAGE』より)

子犬のようにびしょ濡れでうずくまった rainy day 心にさす傘を探し彷徨った lonely days 君の声だけがどんな雨も避けてくれたんだ

(中略)いつでも 僕らここで一つになれる 夢だけ忘れないでいたなら」(『One Song From Two Hearts』より)

「短い針が止まれば長い針も止まる 同じ痛みを分け合えることいつしか喜びに変わるから (中略)出会えてよかった」(『時の足音』より)

イメソンだ〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!(ニコイチに弱いオタク叫び)

いや……イメソン天才か?

これらの曲以外にもコブクロはめちゃくちゃ自分たちのことを歌ってくれてるので、私オタクコブクロのことを「二人のパートナーシップを題材にした少年漫画」と勘違いしてしまうんですよね。音楽コンテンツみたいな。

前述したように私はテーマや作り手の伝えたいことが見えるものが好きなので、こうもはっきりそれを伝えられてしまうと大歓喜をしてしまう。先程歌詞を挙げた『時の足音』なんかは特に顕著。

「誰もが一人 一つ 一瞬 一秒 一度きり 巻き戻せない時を躊躇わず生きていける そんな出会いを探してる」

という歌詞、まじで、コブクロのことじゃん……自分がそういう出会いをできたから、こんな歌が書けるんだ……てなって泣くんですよ。

私は常々「誰か一人に向けたたった一つの強い感情が一番多くの人の心に届く」と思っていて、まあこれも実は小渕さんに気付かされたことなんですけど。

小渕さんが以前インタビューで「千人に向けて歌っても誰も振り向いてくれない。だけどたった一人に向けて歌えば、千人が千通りの受け取り方をしてくれる」と仰っていたことがあって。全然違う場所だけど、映画ボヘミアンラプソディ』でもQueenが『Bohemian Rhapsody』をレコード会社に「意味わからん」と言われた時に「意味聴く自身が受け取ってくれる。聴き手はみんな自分のことだと思ってこの歌を聴くんだ」みたいなことを言ってて、マジでそれ〜!!!!と思った。

コブクロNo. 1ヒット曲の『蕾』もそう。ただ一人、世界でたった一人しかいない自分母親に向けて作った曲だからこそたくさんの人の心に届いた。うたプリの初期曲だって春歌のためだけに作ったラブソングがめちゃくちゃ私たちの胸に響くし、伏見弓弦の『ずっとそばで…』とかたった一人の愛しい人に向けてるからこそ強い力を持った曲になってる。大衆向けにぼんやり作られた歌は、やっぱりぼんやりとしたメッセージしか持てない。

そういうわけで、コブクロの曲っていうのはメッセージを伝えたい相手がたった一人であることが多い。小渕さんが自分自身に向けてのメッセージを書いてることも多い。ファンに向けて書いてる曲も。他人の歌じゃなく、自分たちの中にある物語を歌ってる。

から私はコブクロが大好きだし、コブクロの歌を「胡散臭」と思っている人たちにこの『コブクロ』という物語イメージソングとして聴いてみてほしいと思っている。

コブクロファンが 『桜』のことをやたら大切にするのは、この曲がヒロとコウジで例えた時の『pride』だからだ。あんスタで例えた時の『ONLY YOUR STARS』だからだ。うたプリで例えた時のオーディションソングからだ。

二十代の女が40過ぎのおっさん達に2次元アイドルさながらのコンビ萌えをしているのもどうかと思うが、ここで語ったことはコブクロに強く心惹かれる要因うちの一つであって、黒田さんの歌の強さ、声のすごさ、トーク面白さなどなど複合的な理由で私は一生コブクロオタクをやめられないと思うし爆音コブクロを聴いては「歌がうめえ……歌詞エモい……イメソンじゃん……歌うま……ここのしゃくりが最高……」と一生泣いてると思うし、これからライブに行きまくると思うし、とりあえず大阪移住したい。

何言っとんのか分からなくなってきたけど、とりあえず終わり。今年のツアーのオープニング映像を見て生きてる人間同士の映画のような奇跡出会い、共に20年歩んできたパートナーシップへの尊さが爆発して書きなぐったオタクの長話でした。

2019-05-21

anond:20190521211525

自分はどちらの立場でもないけどこの問題提起ちょっと考えた

同性婚友達との共同生活区別つかないよね

ということは同性婚が認められたら2人の共同生活であるならば性別思考わず婚姻者と同等とみなし税金控除することになるよね、現行法律上だと

異性婚だと子供が生まれるのは7割8割確実だとして、同性婚だとそれはないよね

そうすると、次世代の国力と考え保護する、っていう考え方からは外れるよね

でも同性カップルだって子供ほしくて子供育てる人もいるわけで

そういう人たちに婚姻とは別の形で控除するしくみはあってもいいと思う

もっというなら同性カップルじゃなくても

婚姻に準ずるパートナーシップであり、次世代の養育の責任を担うならば

控除等の法的な補助制度があって然るべき

anond:20190521094519

うーん。一個前の増田だけど、俺は「性/生殖」の話はしたが「性愛」の話はした覚えがないなあ。「性/生殖」に絡むパートナーシップ(すなわち1対1の子作り関係)と、育てる-育てられるというコミュニケーションからまれる親子の情的な何か、が「家族」と言われるものの原点と思ってるし、そこに「愛」なるものが入り込む必要はもちろんないと思うね。その点は同意するよ。


そして、性も愛も親子の情も全部一緒くたにぶちこんだのが近代家族像であって、それが近代国家が求めた社会の最小単位だった、というのは確かなところだよね。だから近代制度規定する「家族」なるものがそういう近代不自由さを背負っている(だからそんなものにこだわる必要なんてない)という元増田の話は、実は俺は結構もっともな意見だとは思ってる。ただ、現行法の下にある現在「家族」の姿全てが、近代国家が求めた(つまり新たに作った)「家族」像かというと、必ずしもそうではなく、そこにはもう少し古い時代から伝わる「家族」の姿が入り込んでいるだろうと思うし、それはそんな簡単に変更できないと思うんだよ。だからこそ、「同性」によるパートナーシップを結ぼうとする人々が「結婚」という形式にこだわったからといって、必ずしも近代的な結婚制度に囚われた迷妄とかではなく、もっと古い時代から伝わる「家族」の姿を踏襲することにこだわっていると捉えてもいいんじゃないかと思うのだ。

それはなんというか、「自分背中を任せられるあったかい生き物に寄り添い、寝食を共にすることの喜び」みたいな、そういうもの。「結婚」って、赤の他人との間でそういう「家族」を作る契約じゃん? 「新しいパートナーシップ」とやらは、そういうものすごく原始的私たち感覚に、本当にちゃんと寄り添えるのだろうか? そこを疑問に思うのだ。

anond:20190521084501

パートナーシップ制度先進運用共同体安定のネガティブ要因になるって認識なのは理解しました。

(たぶん信念からして相性悪いけどしかたないし増田は悪くない)

 

多少横道に逸れるけど、前近代家族観認識のずれの方が気になった。

今となってはそれが極論に過ぎないという批判も多い

お手数だけどこれの根拠があれば紹介請う。自分観測範囲ではE.トッド『家族システム起源』で、人類原始的家族形態核家族だと示したものだけど、これも数年前の書籍だ。

 

古事記情報を求めるなら、近代から見て異様な婚姻エピソードが記されたイワナガヒメコノハナサクヤヒメを出してみたい

実の姉妹が同一の男性に嫁ぐ話で、一方の縁談を断ったことにより厄災が加わるのだが

このエピソードが古くからの多くの人に受け入れられた背景に同様の婚姻システム存在をみるのだけど

 

なお、横増田の「性愛婚姻を結びつけるのが極めて近代的」という話も気になるけど、

もう少し考えをまとめてから

anond:20190520103759

別ツリーを参照してもらうといいんだけど、意外と庶民レベルでは一夫一婦だったんじゃね? と思ってる。古典作品とかね。江戸時代かにフリーセックスだったのは、それこそ「血気盛んな(結婚して落ち着く前の)若者」や「後家」などであって、思うにそういう連中に対してはそれこそ「共同体の安定のため」にフリーにするのが得策だったのだと思うがどうだろう。


俺が言いたいのは、共同体は「共同体の安定」のために自らに適した制度をその都度事後的・後追い的に承認していくのであって、人間社会の本性に関わる部分は特に理論的にこうあるべき」的に作った制度(たとえば元の増田が考える『新しいパートナーシップ制度』的なやつ)ではうまくいかないんじゃねーの? って話。それよりは、現実に広がりつつある同性婚を、(それがどんなに「近代結婚観をなぞった欺瞞的なものであるとしても)後追い的に承認するのが自然じゃね? みんなそんなに一足飛びに「新しい制度」に乗っかる「新しい人間」にゃなれんからね、ってことなんだよ。

anond:20190520203308

(1)「『同性婚を推進すべき』という意見に対する肯定根拠が見えない」という指摘について

増田にならって自分が指摘したいことをまとめると

◦ 現行の婚姻制度共同体の安定の機能のためなるべく「現状を肯定することを前提に」運用する

パートナーシップ制度は「共同体の安定」のために先進的な制度「の導入については慎重を期す」←同性婚は「現状」に沿った形で「現行の婚姻制度」の柔軟な運用により対応する

となる。増田意見とは結構真逆な結論になるよね。つまり増田提案する「新しいパートナーシップ制度」が、極めて近代的発想に基づくもので、それがうまく「共同体の安定」に資するビジョンが見えない、と言いたいわけです。分かりにくくて申し訳ない。


極東ブログ意見は、それこそ「(我々のイメージする近代的)家族はなかった」という話に過ぎないし、引用している本も40年ほど前の本だよね。それこそ「近代見直し」が盛んだった時代の論としてはありがちな意見だけど、その時代意見については、今となってはそれが極論に過ぎないという批判も多い。

いずれにせよ、江戸時代初期までは、日本社会の多数の庶民には、父子の関係は薄く、母子関係はあっても家族はない。

これが極めて極論であることは、たとえば古事記を引いてもいいだろう。ヤマタノオロチに娘を捧げなくてはいけない状態にあった老夫婦アシナヅチテナヅチ)を見たスサノオ大蛇退治をする、というストーリー。この人たちが当時として特異な「家族」として描かれているように読めるだろうか? むしろ普遍的理解される家族・親子の姿として描かれているのでは? あるいは「物語のいできはじめの祖」とされる「竹取物語」ではどうだろうか。「子供の出来ない老夫婦が、子供を拾って家族となる」ところから話が始まるのではないだろうか。宇治拾遺や今昔物語などを調べてみてくれてもいいが、「一対の夫婦がいて子供がいて共に暮らす」というのはむしろ多くの物語で見られる「一般的な『家族』の姿」だよ。

もちろん増田の言う「ひょっとすると近代作品が伝わるにつれて近代にそぐわない婚姻スタイルの話が継承されなくなったのかもしれない」という想像100%廃するわけじゃないけど、それを主張するなら、むしろ「確実に古代から伝わっている多くの本」に描かれたこれらの姿をどのように説明するかについての納得のいく説明必要じゃないかな。

2019-05-20

anond:20190520143902

増田共同体の安定の観点から結婚制度を見ているのはわかった

ただ、今までの議論では同性婚を現行制度に追加して容認する動機は見えなかった

この2本構成で行くというのなら話はわかるし、俺の理想もそんな感じなんだけど

> 少し考えて欲しいのだが、ごくごく一般的庶民が、二人も三人も嫁をもっている前提のストーリーが、古典作品にあるだろうか?

簡単に言うけど名もなき庶民結婚形態を把握するって相当むずかしいぞ

とりあえず日本実態としては

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2012/10/post-6075.html

地方領主家長として隷属民の家族形成支配していた」が正しいんだろう

これが歴史フィルタを生き残った家族形態なんだけど、今これを再現したい?

 

ちなみに古典作品庶民の複婚のケースでは狂言「鈍太郎」などがある

ひょっとすると近代作品が伝わるにつれて近代にそぐわない婚姻スタイルの話が継承されなくなったのかもしれない

パートナーシップ婚姻もいらない

行政ノータッチでいいじゃん。

各種控除は子どもに付け替え、遺産事実婚と同じように処理すればいい。

結婚教会で好きに挙げれば。

同性婚について調べたけど

かなりの国がパートナーシップに相当する制度法制化してから同性婚が認められる流れじゃん

ニュージーランドなんか婚姻よりもむしろパートナーシップ制度が普及するレベル

そりゃパートナーシップ作れって話になるわな

何が反対じゃないから賛成だよwww

明確な反対者が相当数いるんだからそんな理由なら同性婚なんていつまでもたってもできないに決まってんだろ

ってか、日本リベラルポーズだけで同性愛者が一緒に暮らしていくって現実に即した提案を何もしてこなかったってことじゃん

挙句自分無知を指摘されて顔真っ赤だもんな

救いようがないだろ

anond:20190520153722

反論できなくてくやしいんですねわかります

というか、この増田の方が世界同性婚の現状捉えてて

ブクマカって自分無知なのを受け入れられてなくて発狂してる感ある

どう考えても世界で行われてるパートナーシップ婚姻の併設の方が合理的戦略的にも早く実現可能だし

anond:20190520113341

(1)「個人主義自体歴史の中では非常に特異な考え

自分共同体ベースにして考えており、「個人自由のために同性婚を許容すべき」派ではない、というのはご理解のとおり。

現代においてなお「個人」なるもの集団から屹立して成立しているようなタフな社会は到来していないと思う。個人主義者、あるいは単純にネオリベ勘違いしているのはそこのところで、彼らの多くは集団から多大な恩恵を受けつつも「個人自由」を過剰に追求する、要するにただのフリーライダーであり、それを「上手いやり方」だと勘違いしている。みんなある程度読み書きができて理屈が通じてそれほど暴力的でなくてルール従順で…という社会が、どれだけの無償努力によって成立しているか考えたこともないお坊ちゃん達だ。そもそも個人主義というのは歴史的に見ても相当特異なものの考え方であり、次の、その次の世紀にまで引き継がれるスタンダード思想になるとはとても思えない。よって、自分そもそもそこに基盤をおいて考えない。

(2)「制度」が社会現実を反映するという発想こそが近代主義

重婚否定は長い歴史のなかで共同体の安定に役立ってきた」

近代以降しかかめられてないと思う。一夫多妻制の歴史の方が長く、汎世界的にわたっていた

少し考えて欲しいのだが、ごくごく一般的庶民が、二人も三人も嫁をもっている前提のストーリーが、古典作品にあるだろうか?

王様貴族商人、といった「社会的に富と権力を抱える支配層」が妾を複数置くという話はいくらでもある。それをもってあなたは「制度としては一夫多妻だった」と言いたいのだろう。しかしそれはむしろ、妻を複数もつ彼らが「慣習的な一般常識を超越しうる存在であった」ことを示しているに過ぎないのではないか。つまり一般庶民、村や町といった所に住む普通の人々にとって、二人、三人と恒常的なパートナーシップを結ぶことは、むしろ現実的であったことを示しているに過ぎないのではないか? 中国古典にも純愛の話(一夫一婦)はたくさんある。日本の昔話でも、じいさんとばあさんがペアで出てくることは多いが、嫁や夫を複数持つという状態が「常識」であったりすることはほぼない。イスラム世界一夫多妻だろうという声もあるだろうが、イスラム戒律が厳しくない外国に行き、経済的ものすごく恵まれ状態でない限り、結構すぐに嫁から不満の声が上がるというよ。一夫多妻(あるいは多夫一妻)を、民衆の多数の同意の下、安定的運営してきた共同体なんて、むしろ現実存在するのかな? 男女の誕生比率世界の何処でも大きく変わらない限り、簡単破綻するのは自明の理屈と思うけど。

近親婚の話は、上の個人主義の話との関連で、特に補足する必要は無いな。

もっとも、増田の言ってることは十分面白い別にから否定したいわけではなくて、こうして意見交換をするのが思考実験としても面白く思っているので、「あえて」反論している所もあるよ。一応。

anond:20190520102818

婚姻制度共同体の安定に資するべきである」という立場であり、

個人自由尊重し、望むものがいて自分個人が損しないのなら権利を認めたい」という立場ではないのね。

それならそれでちゃんとした考え方だし立論は認めます。俺とは相容れないけど

 

その場合同性婚の許容は本当に共同体の安定に資するか考えてから賛成すればよいと思う。今までこのツリー積極的な賛成の要素は出ていなかったので例があればよろしく。俺も考えを変えるかもしれない

 

以下、気になった点

重婚否定は長い歴史のなかで共同体の安定に役立ってきた

近代以降しかかめられてないと思う。一夫多妻制の歴史の方が長く、汎世界的にわたっていた

これが禁止されたのは個人自由人権利の観点からだ思う(女性の権利が低く抑えられる実績があった)ので

増田の言うような共同体安定の要請ではない

なお俺個人意見といては共同体の安定のために個人権利を阻害するのは嫌なので

一夫一婦制はのこしてもらいたいところ

パートナーシップは好きにするといい

 

・近親婚の否定共同体安定に役立ってきた

共同体の安定のために個人選択否定する必要があるという立場なら問題ない

俺のように個人自由を重んじたい人間場合どう立論すべきか悩んでるだけ

 

増田が考えるほど私たちは「近代的」ではない。

→そこは十分理解してるんで、現行制度差別的であってもなるべく手を加えず、新しい制度を作ろうとしている

anond:20190520102818

共同体の安定維持のための手段として「共同体によるパートナーシップ承認」を用いることが「個人主義人権思想とは相容れないもん」だって話では?

anond:20190519212542

現行法制下の「結婚」というシステムベースにした考えに拘泥して、逆に全体が見えなくなってるのでは?


結婚前近代的制度」云々というが、そもそも前近代近代」の対立よりずっと以前から婚姻というものは汎世界的に存在しているわけで、「共同体によるあるパートナーシップ承認」が共同体の安定維持のための手段として適切であることは歴史的証明されていると言っていい。だから、現行の社会で、あるタイプパートナーシップ社会的に認知されているなら、共同体の安定維持のためそれを共同体として「公認」するのは何ら不自然なことではない。同性婚を「現行の結婚制度に載せること」と「同性によるパートナーシップ婚姻と呼ぶこと」とは別なことと考えてほしい。そして、前者の困難さは後者否定する理由にはならない。ことの本質はそういうことだと思う。


その観点からすれば、そもそも増田の疑問や反論範囲の狭い問題提起であることが分かる。

たとえば「重婚否定」は、別に男女の権力性に基づくものでなく、単に「パートナーシップ制度自体不安定にするから問題であるとか。近親婚の否定は、むしろそれこそ大人子供権力性による制限や、また、家族制度という(もう一段階上の)社会基盤を不安定にするという問題を含んでいるか問題になりうる。そもそも現代においても、私たちの暮らす社会は「完全な個人主義世界」にはほど遠く、たとえば子供の育成一つとっても、家族という基盤無しに行うことは現実的に考えづらい(言い換えれば、それを実施するには大きな負担が各所にかかる)。増田が考えるほど私たちは「近代的」ではない。同性婚というものが過渡的で不完全なシステムしかないことにはもちろん同意するが、だからといって一気にパートナーシップ制度を激しく「近代化」しても、それは私たちの実感とはほど遠いものしかならないだろう。「婚姻」というシステムから一気に人々と解放するというのは残念ながら空理空論レベルの話だと思う。

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