はてなキーワード: スタンド・バイ・ミーとは
恐怖の四季って一冊の中にスタンド・バイ・ミーとショーシャンクが入ってるとか・・・
ドラハラはスタンド・バイ・ミーあたりの話かと思った
スタンド・バイ・ミーって今だと児童喫煙で発禁になんのかな
・【小説】ライ麦畑でつかまえて / J・D・サリンジャー
・【映画】スタンド・バイ・ミー /
追記: コメントで教えてもらった創作物を追加しました。 まだまだ募集中
・【クラシック】ラプソディ・イン・ブルー / ジョージ・ガーシュウィン
・【クラシック】ローマの松 アッピア街道 / オットリーノ・レスピーギ
・【音楽】1001のバイオリン / ブルーハーツ
・【映画】最高の人生の見つけ方 / ジャスティン・ザッカム
・【小説】マルコポーロの見えない都市 / イタロ・カルヴィーノ
・【映画】プリシラ / ステファン・エリオット
・【TV】ドキュメント72時間 / NHK
・【映画】グランド・ブダペスト・ホテル / ウェス・アンダーソン
・【映画/小説】モーターサイクル・ダイアリーズ / エルネスト・チェ・ゲバラ
・【映画/小説】イントゥザワイルド(荒野へ) / ジョン・クラカワー
・【音楽】My Favorite Things / オスカー・ハマースタイン2世 とリチャード・ロジャース
・【音楽】AMBITIOUS JAPAN! / TOKIO
未成年の喫煙シーンを格好良く描いていた「スタンド・バイ・ミー」も批判されているよ。
スタンド・バイ・ミー見てないだろ、的外れな言及になってるぞ
スタンド・バイ・ミーを見た。
自分の昔を思い出した。
お前、早熟で嫌味っぽかったよな?自己中で打算的に動くのは良くないって通信簿に書かれたよな?
結局、仲のいい友達なんて一人もできなかったよな?そりゃそんな性格だもん。当たり前だわ。
今の俺が当時の俺を見たらぶん殴りたくなるわ。
その割には運動もだめ。勉強もだめ。不潔。口は臭いし、風呂嫌いだから体も臭い。
昼休みも放課後もずっと一人で家。何をするわけでもなく一人で家。
THE無気力。
昔からそうなんだよ。不器用でグズでのろまで、人の気持ちも踏みにじるタイプのやつ。
勉強だけじゃないわ。
何か意見求められても自分の意見とかないから答えられないでやんの。好きな食べ物は?特にない。好きな芸能人は?興味ない。
つまんねーーーーーーやつだよ本当に。話したくもないなってみんなそりゃ思うわ。
遊びにも誘われなくなるわ。
中学入ってちょっとがんばって運動部入ったよな?中学の間は頑張ったけど、結局大会すら出してもらえないの。
いや俺なりには当時は頑張ったつもりだったんだけどさ、今思うと死ぬほど練習してないし、友達に練習付き合ってもらってもないし、
本も読んでないし、動画撮ったり、助言求めたり、そういうことなんもしてないの。
そりゃ冴えないやつが一般人がしてるような努力すらしてなかったら冴えないまんま。
当たり前だよな?
高校入って運動部入ってもそんな調子だから1ヶ月でやめたよな?
お前今何歳だよ。そろそろ切り替えろよ。
大学は頑張って国立大に入ったよな。それだけは俺の人生で一番凄いことだったと我ながら思う。
でもな、部活もしてなくてゴリゴリ勉強して苦労してやっとそれ。同級生は秋までサッカーして、急激に追い上げて合格。
つまりその程度なの。一般人よりちょーーーースペック低いのわかる?
だから大学でサークルで酒飲んでウェイウェイしてるやつとか、体育会のやつとかに余裕でGPAとかまけんの。
過去問だってもらったよ。授業も全部とは言わないけど出たし、ノートもとった。
けど、その程度なの、お前は。地頭が悪いの。わかる?
意識高いやつとか留学するやつとか正直こころのどっかで見下してたよな。
でも今になって思うわ。そういうことチャレンジするのが怖かったんだろ?本当は自分もチャレンジしたかったんだろ?
けど、ないからバカにする。保身する。くっっっっっっっそダサいよ。
社会人に成ってから留学したくなったり、無性に海外旅行に行ったりしてんの。
その裏返しだよ。わかってるんだ。
なんにも価値を生み出せないのが嫌すぎた。
でも、過去の自分は変えられないし、今の自分を変えるしかないんだよな。
スタンド・バイ・ミー見て思うよ。俺もこういう少年時代を過ごしたかった。
けど過ぎ去ったことはどうにもならなくて、今を生きていくしかないんだよな。
スタンド・バイ・ミー(私によって立てると私のそばにいる)
ないんだよな……。
間接的な影響を考えると月姫とKANONなんだよ。子供の頃好きだったブログ、あの頃は個人HPだったかな。リアルでちょっと接点があった従兄弟よりもう少し遠い血縁にいる面白い兄ちゃんがやたらと面白い面白い言っててさ、それで気になって、結局ゲーム自体はまだやってないんだが気づいたらそういう道にな。
その兄ちゃんがそういうゲーム始めてなかったら、きっと俺ももっと別の道を進んでたんだよ。ゲームといえばFFとスマブラとモンハンでさ、大学でワンダーフォーゲル部にでも入って適当に彼女でも作ってさ、そういう人生だったんだと思うんだ。
んでまあ今は当然のようにいい歳こいてゲームや漫画に相変わらず囲まれてるんだけどさ、それでも人生を変えた作品とかねえなあって。
コミックボンボンって言う今はもうオタクぐらいしか覚えないような子供漫画雑誌に載ってた漫画なんだけどさ、エッシャーとかティム・バートンの影響とか受けまくってるような作風でさ、子供心にセンスいい漫画もあるんだなって思ったんだよ。王泥棒ジンは普通に面白いから読んでくれよ。キノの旅とルパンとティム・バートンを足して割ったような漫画だと思ってくれれば大体合ってるからそれで興味持ったらオススメな。
小学校以降に読んだ作品で特にコレに影響受けたーってのはないんだよな。読んであーなるほどなるほどーってなる作品はあっても、価値観が揺さぶられたりはせんのよな。lainや攻殻機動隊見てスーパーハカーかっけーと思っても自分がIT系に行きたいとは思わなくて、今は普通に商社マンだしさ。銀河鉄道の夜を5年おきぐらいに読み返すと、妹萌えとかBLとか少しずつ理解していってる自分が汚れたのか多様な価値観を学んだのか考えちゃうけどさ、だからって俺には萌える妹も男友達もいないからかんけーし。
たまに有名人が「この作品で人生変わりましたー」って言うけどそういうのあるのかね。イラストハウツー本買ってお絵かき始めた時はこれで人生変わると思ったけど、気づいたら10年ペンタブ握ってねえしなあ。何も変わってねえよ。太った後でダイエット本読めばなんか変わるのかな。
不良にでもなろうと思ってた時にファイトクラブ見て俺はここまで出来ねえからグレるのは無理だなーって諦めたとか、メンタル死にかけてる時にニュー・シネマ・パラダイス見て涙流してからふと俺にここまで最高な関係は一生気づけねえんだろうなあってスタンド・バイ・ミーのラストみたいな事考えていよいよ死にたくなかったら精神科のドア叩いたりしたけどさ、そういうのって作品がなにかを及ぼしたんじゃなくて、俺の中で1週間後に組み上がる予定だったパズルをその予定よりちょっと早く予定通りの形で組み上げただけだから「人生変えた」じゃないんだよな。
寂しいわ。
本題:「宇宙よりも遠い場所」vs「スタンド・バイ・ミー(原題:「THE BODY」)」
比較 | 宇宙よりも遠い場所 | スタンド・バイ・ミー |
行き先 | 南極 | 30km隣の町 |
方法 | 観測船 | 歩き |
期間 | 3ヶ月 | 数日 |
目的 | 青春する | 有名になる |
メンバー | JK | 悪ガキ |
死体 | 母親 | 他人 |
上の表から分かる通り、宇宙よりも遠い場所(以下「よりもい」)は主要な要素のほぼ全てがスタンド・バイ・ミーと比べてスケールが大きなものとなっている。
そのスケールの違いは単純な距離の比較だけでも500倍という途方もない差となっている。
そもそもジャンルが違うじゃんと君は言うかもしれないが、この2つの基本骨子は極めて似通っている。
「見知らぬ地にて死体との邂逅を果たす4人組の冒険譚であり、その時代を代表する青春活劇の一つとして親しまれている」
スケールこそ全く違うが「よりもい」も「スタンド・バイ・ミー」も、目指す姿は若者たちにモラトリアムの間にだけ訪れる青春を描き出すことを目ざしているという点において、ジャンルとしては完全に一致しているといって差し支えないのだから。
さて、この両者は基本骨子は同じでありながら圧倒的にスケールが違う。
そして、それぞれの作品がそれぞれの時代において「バズ」っている。
これは私の根拠のない言い分に過ぎないが、もしも「スタンド・バイ・ミー」の時代に「よりもい」があったとしてもキャピキャピしていながらもときおり妙にまじめぶった歪な作品としてカルト的には話題になっても、今のように国民的な認知を得られるような立ち位置には来なかっただろう。
同時に、現代の世の中に「スタンド・バイ・ミー」が作られていても、感性下劣な不良物語として消費されるだけで、それを青春のスペクタクルとして感じ取れたのは、昔を懐かしむ半グレ親父やレトロスタイルの不良ぐらいだったのではなかろうか?
なぜこのような偏見を私が持つに至ったかというと、私にはどうも現代の世の中が「意味」を求めることに必死になりすぎているように映るからだ。
近所の街ではなくて南極に行くのも、自分たちだけではなく観測隊に同行するのも、数日の旅ではなく三ヶ月の大旅行であるのも、一時の名声ではなく青春というキラキラした影を追っているのも、冴えない悪ガキではなく美少女混じりのJKたちであるのも、たどり着く死体が肉親であるのも、時代が「意味」を求めてやまないその声に応えたものなのではないだろうか。
少なくとも、この作品がこの時代に成功した原因は、作り手がこの物語の中にいくつもの「意味」を盛り込み、それが受け手の心にフックしたからであろう。
「よりもい」という作品において主人公たちは南極での意味多き青春を通して何度も成長していく、物語が終わって家に帰ったとき、彼女たちの前に広がるのは暖かな日常であり、そこにいるのは一皮剥けてなおモラトリアムの時間を残す未来輝く若者たちだ。
「スタンド・バイ・ミー」はそうではない。物語が終わった後、彼らが疎遠となっていき、久しぶりに再開を果たしたときには4人のうち2人が帰らぬ人となったことが語られる。冒険を通した成長は、命の終わりという形で失われ、色褪せぬ青春の思い出すらもそれが二度と手に入らぬ時間であったことの自覚と共にセピア色に染まっていく。小さな青春は思い出の中に封じられ、この先の彼らの人生からは失われてしまったことが語られることで物語は終わる。
「よりもい」を見終えたものは希望と共に自分の人生へと帰るだろうが、「スタンド・バイ・ミー」を見終えたあとに残るのは哀愁である。
ここまで書いて、ようやく私も気づいた。「意味」の求められ方は確かに時代と共に変わったが、一番変わったのはそのスケールではなく有り様なのではないか。
現代の世の中が求めるのは人生に活力を与えてくれるような、希望を手にできるような意味であり、端的に言えばパワーに満ちた物語を人々は欲している。
対して、過ぎ去った時代の中で求められた意味は、人生というものを静かに俯瞰するような、落ち着きを与えてくれるような意味であり、それは見るものから余分なパワーを奪いクールダウンさせるような物語なのだ。
意味、というよりも求められる「青春のイメージ像」が変化しつつあると言ったほうがいいのだろうか。
『現代人の中にある青春は「まだ続いているもの」であるが、青春とは「既に過ぎ去った物」であると捉えられていた時代があった』
多分。
"Romeo & Juliet" は米国人歌手、ステイシー・アール(Stacy Earl)の楽曲。
1992年1月発売のデビューアルバム"Stacy Earl"からの2ndシングル。
プロデュースは、ポーラ・アブドゥル(Paula Abdul)のヒット曲"Opposites Attract"等で知られるオリバー・リーバー(Oliver Leiber)。
"Opposites Attract"と同じくワイルド・ペア(The Wild Pair)と共演している。
1985年「ソングライターの殿堂」、1987年ロックの殿堂入りした「リーバー&ストーラー(リバー&ストラー)」と呼ばれる米国の作曲コンビ、
ジェリー・リーバー&マイク・ストーラー(Jerome "Jerry" Leiber and Mike Stoller)。
エルヴィス・プレスリー(Elvis Aron Presley)がカバーした『ハウンド・ドッグ(Hound Dog)』、エルヴィスの為に作られた
『監獄ロック(Jailhouse Rock)』、『スタンド・バイ・ミー(Stand by Me)「ベン・E・キング(Benjamin Earl King)との共作」』
など、数多くのヒット作で知られる。
この作詞作曲家コンビの作詞担当、ジェリー・リーバーはオリバー・リーバーの父親である。
https://en.wikipedia.org/wiki/Stacy_Earl
https://www.discogs.com/Stacy-Earl-Stacy-Earl/release/501302
https://www.discogs.com/artist/115387-Oliver-Leiber
Stacy Earl ft. The Wild Pair - Romeo & Juliet
アメリカの影
エルマー・ガントリー
G・I・ブルース
ワン・ツー・スリー
荒馬と女
噂の二人
草原の輝き
片目のジャック
底抜けもててもてて
101匹わんちゃん大行進
樹々の大砲
昼下りの決斗
野望の系列
ハッド
鳥
たたり
5月の7日間
未知への飛行
裸のキッス
殺人者たち
イグアナの夜
赤死病の仮面
不意打ち
ラブド・ワン
ファスタープッシーキャット キル!キル!
キャット・バルー
シェナンドー河
ミッキー・ワン
銃撃
テキサスの五人の仲間
ある戦慄
招かれざる客
ドアをノックするのは誰?
フェイシズ
泳ぐひと
華やかな情事
愛すれど心さびしく
甘い抱擁
明日に向って撃て!
夕陽に向って走れ
雨のなかの女
ジョンとメリー
アメリカを斬る
ハズバンズ
真夜中のパーティ
キャッチ22
さすらいのカウボーイ
断絶
愛の狩人
ラスト・ショー
白い肌の異常な夜
ゴングなき戦い
夕陽の群盗
フリッツ・ザ・キャット
アメリカン・グラフィティ
地獄の逃避行
こわれゆく女
カンバセーション…盗聴‥
三人の女
地獄の黙示録
チャンス
マンハッタン
ロング・ライダース
アルタード・ステーツ/未知への挑戦
レイダース/失われた聖櫃
評決
ダイナー
ハメット
シルクウッド
スター80
再会の時
ラヴ・ストリームス
レポマン
チューズ・ミー
バーディ
ミシマ
最後の誘惑
存在の耐えられない軽さ
ダイ・ハード
ヘア・スプレー
ドラッグストア・カウボーイ
ヘザース
ゴッドファーザーPARTIII
グリフターズ
バートン・フィンク
希望の街
殺人課
夫たち、妻たち
ボブ★ロバーツ
アメリカンレガシー
摩天楼を夢みて
エル・マリアッチ
ショート・カッツ
ナイトメアー・ビフォア・クリスマス
リトル・オデッサ
クラークス
リービング・ラスベガス
デッドマン
誘う女
真実の囁き
スターシップ・トゥルーパーズ
クンドゥン
プライベート・ライアン
バッファロー'66
マーシャル・ロー
メリーに首ったけ
π
スリー・キングス
子供ってのはスタンド・バイ・ミーをBGMに例え遠くでも見たいものを見に友達同士で旅に出るんだよ。
昨日、嵐のライブツアーが終わった。
終わってから1日以上経った今でもなんだか気持ちがふわふわしていて、言葉にもうまくまとめられないんだけど、とにかく心にあることをここに書こうと思う。支離滅裂な文を読むのが嫌な人は、できればここで読むのをやめてほしい。それほど、ちゃんとした文章を書く自信がない。そもそも文章力なんて皆無なのに、その上感情がまとまっていないので、よりひどいことになっていると思う。それでもいいと思った人は、よかったら私の独り言に付き合ってほしい。
今回私は3公演コンサートに行った。今まで1年に1回しか行ったことがなかったんだけど、運良く周りの人や自分が当選したので、幸運にも3公演も入ることができた。
最初は12月末。東京公演の最終日だった。私は大阪に住んでおり、遠征は初めてだった。一年ぶりのコンサート。半年ぶりの生の嵐(ワクワク学校というイベントに6月に行ったため)。沸かないわけがなく、結果喉を使いすぎて風邪をひきさらにはインフルエンザももらってきた。席はスタンド下段の真ん中あたりで、いわゆる天井席(スタンド上段の、ほぼ天井といった席)ではないがファンサは望めない席だった。けれど、トロッコが来れば騒いだしペンライトも振った。
次は1月13日。スタンド下段の1列目(アルファベット列というやつが前にあったため、最前列という訳では無い)だった。前は上から見ていたステージをほぼ横から見ていた。近いし、肉眼で顔が分かるし、とにかく幸福感が半端なかった。一緒に入った友人が騒ぐタイプの子でなく、それに影響を受けて私もあまり騒げなかったが(こんなときも恥を捨てられないのかと少し後悔している。今後は隣に構わず声を出すところは出そうと思った)、それでも終わった後意識はぼんやりしていた。
最後は昨日、最終日だった。いわゆる「オーラス」というやつで、過去数年間を見ているとこの公演だけアンコールが多かったりするので、ファンの間では正直特別視されている公演である(もちろんオーラスの他にも誕生日だとか特別視されている公演はあるけれど)。オーラスに入るのは初めてだったのでとにかく緊張していた。今年は挨拶が定型文だったので、自分達の言葉での挨拶も聞けるんじゃないかと期待していた(実際聞けた)。席はスタンド上段、しかも横で、ファンサはおろか演出もすべて楽しめないんじゃないか?という席だった。結論から言うと今までと違う視点で見られたので新たな気付きが山ほどあったし、伝わらない演出もあったけどそんなの気にならないくらい楽しかった。嵐を好きでいてよかったと思った。そして、これからもずっと好きでいたいと思った。
そして翌日である今日。ふとした瞬間にコンサートのことを思い出して、何度も泣きそうになった。というかこれを書きながら今大泣きしている。
あれで、嵐が「untitled」というアルバムを引っさげて行うコンサートは最後なのである。もうあのセットリストでコンサートを行うことは二度とない。何なら、一生行われない曲だってあの中にはあるのではないかと思う。自分が見られる最後の公演だ、と思ったわけでなく、嵐が行う最後の公演だ、と思うと泣けて仕方なかった。
特にそれを感じてしまい涙が止まらなかった曲がある。UBという曲である。二宮和也と相葉雅紀のユニット曲だ。そもそも私はこの二人のコンビが死ぬほど好きなのである。ユニット曲のメンバーが発表されたときは2週間くらい信じられなかった。それゆえこの曲は私にとってはいっとう大事でいっとう好きな曲だ。そんなこの曲、間奏で行われるダンスが「コンタクト」というもので、簡単に言うと組んず解れつ、知恵の輪みたいに手と足を絡ませ合うものである。
MC中、思い出深いことは何か?という質問に、二宮和也が「最終日のこのダンス」と答えた。「やりながらいっこいっこなくなってく。もうやらないから。これおわりこれおわりこれおわり…って」と言っていた。その言葉を聞いて涙が止まらなかった。ああ、もうこのダンスはしないんだ。二人が引くくらい近い距離で高難易度かつ密着度の高いダンスをすることも、相手のパートを口パクで歌いながら近付くことも、曲が終わってスタンド・バイ・ミーの振り(20年前に二人が出た舞台で行われていたハンドサインで、手を突き出してからサムズアップ、というものである)をすることも、もうないのである。そう思うと悲しくて悲しくて仕方がない。
UBに限らず、どのパフォーマンスも、これからしないのが寂しくてたまらない、素敵なコンサートだった。
さて、ここまで支離滅裂ながら思ったことを簡単に書き出してきた。しかしとにかく読みにくく、本当に言いたいことが伝わらない文だったと思う。というか本当に言いたいことはここまで言っていない。ここからが本題である。
私は相葉担である。自担である相葉雅紀には昨年末、熱愛報道が出た。昔から女ネタに耐性がない(恋愛ドラマも苦手なレベルである)私は大きなダメージを受けた。そんな矢先のコンサートだった。
女がいると分かっているアイドル(もちろん彼女がいないと思っているわけではないが、週刊誌によってその存在が証明されたり結婚発表によって公式に認められたりするのと、勝手にファンが「彼女いるんだろうなあ」と想像するのには、私たちの心持ちには大きな違いがある)を歓声をあげて応援するなんてできやしないと思っている私は、前から「嵐誰か結婚したら担降りする」と言っていたし、正直今回のコンサートも女の影がちらついてしまい全力では楽しめないんじゃないかと思っていた。
しかし先述の通り、死ぬほど楽しかったのだ。これからもずっと応援していたいと思えるコンサートだった。確かにコンサート中女の影がちらついた時は山ほどあったが、それでもそんなの気にならないくらい彼らは魅力的だった。
だからこそ悔しいのである。女の存在が明らかになることで、ファンが離れ、少しずつでも彼らの人気が落ちていくのが悔しい。彼らはこんなに魅力的なのに。女絡みだけでなく、褒められたところではない点もあるけど、それ以上に彼らは魅力的だ。それでもファンは離れていく。ましてやこのまま結婚なんてしてしまったら、彼らの人気はどうなるかわからない。少なくとも、今より上がるようなことはないだろう。
私が言いたいのは、「嵐、頼むから結婚なんてしないでくれ」、ただそれだけだ。こんなところで言ったところで本人達に届くわけがないのは分かっている。けど、こんなところで吐き出さないとやっていられない。
もし結婚してしまったら、素直な気持ちで応援できなくなるのではないかと思う。私たちがいま大好きだと歓声をかける相手には、家に帰れば最愛の妻がいるのだ。そんなの耐えられない。
中にはアイドルが結婚するのを嫌がる心理がわからない人もいると思う。納得しなくていい。その気持ちを理解しなくていい。けど、私たちにとって女の存在は大きなものであるということだけは知っていてほしい。
アイドルだって人間だと思うかもしれないけど、人間であるけれどアイドルなのである。疑似恋愛を商売にしているアイドルなのである。結婚してしまった時点でファンの夢は覚める(覚めないファンもいるし、そこまでの夢を見ていないファンもいると思う)。その時点で彼らはアイドルではなくタレントである。
人気が落ちるのを見るのが寂しい。まだトップでいてほしい。そして何より、まだアイドルである彼らを応援していたい。だからどうか、嵐の皆さんは、もう少しだけ結婚しないでいてください。
(本当はもう少しと言わず一生結婚しないでほしいし、嵐に限らず全"アイドル"はそうであってほしいと思うけど。おわり)
結果最初から最後まで支離滅裂、取り留めのない文章でした。ここまで読んでいただいた方に深く御礼申し上げます。
もちろんすべてのファンがこのように思っているということはありませんが、中には私と同じようなことを思っている方もいらっしゃると思いますし、逆に一切わからないという方もいらっしゃると思います。こちらで話したものは一ファンの意見に過ぎません。嵐ファンの総意であると勘違いなされることはないよう、お願いいたします。