はてなキーワード: ショートケーキとは
言うほど人生においてケーキの切り方は重要だろうか。ケーキなんて切らない。切る機会がない。シコる機会はある。そもそもホールケーキを買う方が悪いのだ。あんなまんまるでっぷりとしたケーキを、同じ味の一つ食べるなんて間違っている。ケーキを食べたいなら、色んな味のショートケーキを食べるべきだ。ホールケーキが余ったりすると悲惨だ。同じ味しかないのですぐに飽きる。同じオカズもすぐシコり飽きる。拷問だ。GOGO拷問肛門だ。その点、ショートケーキはいい。おちんちんもショートがいい。好きな味を選べるし、違う味を食べれば飽きが来ない。嫌いなものがあってもショートケーキなら避けることができる。スルースキルは大事だ。嫌いなものを無理に食べなくてもいい。今は理解できない性癖でもそのうち理解できる日が来る。人間はそんなものだ。だから今はスルーする。そうすべきなんだ。
無論、元記事や本ではケーキの切り方がわからないのが悪い、というわけではないのだろう。ケーキの切り方が分からないという問題を入り口に、色々な社会問題とかを論じているのだろう。それはとても有意義なことだ。有意義なことだけれど、おちんちんの気持ちいいシコり方も論じて欲しい。だって、ケーキの切り方よりよっぽど必要な知識だよね。おちんちんはいつも気持ちよく凝って欲しい。欲しがっている。もっともっと気持ちよくさせて。そう言っている。だから、もっともっと気持ちいいシコシコの手法をもっと集めて公開するべきだと思う。それが一番社会に対しての貢献になる。そう思うよ。
これだけタピオカが流行ってるのに、スタバがタピオカドリンクメニューかたくなに出さないのは上層部のプライドなのかな。
「うちフラペチーノ売ってるけどあくまでコーヒー屋だしww ジュース屋じゃねえしww」みたいな
スタバがタピオカトッピングできるようになったら、老舗和菓子店が店頭にショートケーキを出すみたいなことになるんだろうか
スタバでタピオカトッピングできるようにしてほしいけど今タピオカブーム全盛期だから、今さらタピオカの在庫を大量に確保するって、無理なのかな。全国チェーンのスタバがタピオカトッピングできるようになったら地方でも気軽にタピオカが楽しめていいんだけどな。
https://matomedane.jp/page/28029
Twitterを見ていると、
「ただのファンアートじゃん」とか「何が問題かわからない、ただのいちゃもん」とか、
あげくのはてには「外圧勢の攻撃だろ」とか言ってる人が思いのほか多くて驚いている。
今回、サテー氏は絶対にやってはならないことをし、燃えるべくして燃えた。
なのにこの「この人のやったことは明らかにアカンことなんだ」ってのが、いまいちわかっていない人が多い。
わかってない人が多いせいで、信者VS外圧の問題にすり替わりつつさえある。
というかそもそも肝心のサテー氏が自分のしたことのなにが悪いのかをわかっていなかった。それは炎上後の対応のまずさにも見て取れる。
なので、なにがいけないのかを解説しようと思う。
・今までのサテー氏の漫画
これまでサテー氏は「1コマFGO」と題して、FGOのファンアートを定期的に描いてきた。
ゲーム内の印象的なシーン、または界隈で起きた印象的な出来事。それを抜き出して「ダイジェスト」にする、というもの。
サテー氏の個性の一つに、このダイジェストを少ない枚数の中に極端に高密度に詰め込むという独特な手法がある。
彼が今の人気を築いたのは高い画力もさることながら、この独特な手法があったからこそと言っても過言ではないだろう。
ただ一方で、最近の「1コマFGO」は、1シーンだけを抜き出してイラストにすることも増えてきていた。
というよりも、彼の「1コマFGO」は、以前と比べて、「ページ数が増え」かつ「ダイジェストのシーンが減って」きていた。
この変化が実は、まずもっての発端である。
・直近のサテー氏の漫画
炎上した件の漫画の一つ前に描かれたものは、ある種の分水嶺として捉えることができる。
これ。
https://twitter.com/syatey_12/status/1119573130098331648
(余談だが、この漫画のことを炎上した原因だと勘違いしている人が一定数いるけど違うよ!)
この作品は、見ればわかるが、イベント「極東魔神戦線1945」のストーリーの、クライマックス部分をほぼそのままダイジェストにしたものだ。
この漫画は大勢の人に絶賛され、受け入れられた。経験値氏本人もRTしている。
・「ダイジェスト」のさじ加減の話
……なのだ、つまるところ。
従来の、というより初期のサテー氏の「1コマFGO」は、たとえば1ヶ月とか3ヶ月の間にあった出来事、いうなれば「1000の中から印象的だった10を選び取りダイジェストにした」ものだった。
それは、時間とともに少しずつ変化していく。
有り体に言うと、投稿スパンが短くなり、絵の密度が下がり、選ぶシーンのネタバレ度が強くなった。
「1000の中から"印象的だった"10を選び取る」が「500の中から"めちゃくちゃ印象的だった"10を選び取る」となり、
やがてそれは、この「絶剱」と題された漫画のような「100の中から"重要な"10を抜き出す」ものになっていく。
サテー氏がこの手法に疲れてきたのか、承認欲求のためにイラストの投稿回数を増やしたかったのか、原因は定かではない。
ただこのさじ加減が間違ってきていることに、きっと彼自身は気付かなかったのだろう。
勘の良い方ならもうおわかりかもしれない。
「絶剱」の後に投稿された、炎上した”幕末昔噺「龍が如く」"は、
「100の中から80を抜き出す」どころか「100の中から重要でない20を削ぎ落とす」ほどの、「ダイジェスト」を超えた「リライト」になってしまっていたのだ。
プロの創作物は「成果物」と呼ばれる。仕事の結果であり、作品であり、同時に商品でもある。
いみじくもプロのクリエイターであるならば、同じ立場にある「プロ」の作った成果物について、敬意を払わなければならない。
この経緯とは何か。それは「製作者のコアの部分には立ち入らないこと」だ。
たとえばブーディカは蒼月タカオ氏のデザインしたキャラクターだが、たくさんの人によってファンアートが描かれている。
そこにはプロとして活動している人も多くいて、中には蒼月タカオ氏よりも上手い(上手い下手の定義はいろいろあるが本記事では置いておく。「経験値氏よりサテー氏の方が絵が上手い」程度の意味合いとして捉えて欲しい)人もたくさんいる。
だが、彼らプロ作家のファンアートに「ブーディカのカードの構図やポーズ、背景をなにからなにまで真似た『俺の描いたブーディカさんのカード』」なんてものがあるだろうか。
断言してもいいが、絶対にない。あったとしてもそれはセミプロ、もしくはアマチュアの手によるものである。
何故なら、それは「製作者のコアの部分に土足で立ち入ること」だからだ。
「製作者がその仕事によって得た社会的評価までもを己の創作に取り込んでしまう行為」……と言い換えたらわかりやすいだろうか。
それはひいては、製作者に成り代わろうとする行為であるとも言える。
好きだからこそとか。良かれと思ってとか。宣伝のためだったとか。
いかなる理由であれ、結果がどうであれ、線を超えたのなら戦争なのだ。
好意による領分の侵犯という意味で、フラゲした雑誌のキャプチャーでアニメ化情報を拡散するとか、違法アップロードされた動画を使って紹介するとか、そういうのと本質は変わらない。
サテー氏の件の龍馬とおりょうさんの漫画を、コミカライズ、と形容している人がいた。
奇しくも言い得て妙だと思う。
コミカライズだとかノベライズとかいうのは、作品を作った人間、原作者の成果物のコアの部分に踏み込む行為である。
だからこそ「公式」なのだ。公式に版元がプロに依頼し、原作者がそれを承諾し、コアの部分に入ってくることを許可した上で描かれるのだ。
作品の成果を、その作品によって得られる社会的評価を、原作者と分かち合う行為なのだ。
彼は無断でコミカライズをした。それも「漫画をコミカライズする」という、よりコアな部分に踏み込む方法で。
経験値氏が得るはずだった感動の声を、賞賛を、サテー氏は横から割って入ってきて、不当に食い漁った。
公式のメディアミックスをクリエイター同士のセックスとするなら、これは強姦に等しい。
------------------------------------------------------------------------------------
結局のところ今回の問題の原因は、
「サテー氏にプロ意識がなかった」
これに尽きる。
前段のことは、プロであるなら誰しも肌感覚でわかっているはずのことで、一方でプロのクリエイターとして活動していない人には今ひとつピンとこないことであろう。
サテー氏はピンとこなかった。「ファンアート」と「侵害」の境目がまったく理解できていなかった。
その後の謝罪を見るに、たぶん今でもよくわかっていないと思う。
>「幕末昔ばなし」はもっと詳細が描かれてて細かい事情がわかるのでですね…ぜひお手にとってもらえると
ショートケーキのイチゴとクリームを先に食べさせておいて「スポンジも美味しいので残り物を買ってね」とはまったく恐れ入る。
これをきっかけに経験値氏の原作を知った人たちが不憫でならない。彼らは本来なら経験値氏へ向けるはずの感動や興奮をサテー氏に向けた。
いみじくもプロならば、経験値氏が「原作」で描いていない寺田屋騒動あたりのことを「想像して」「創造する」とかにするべきだった。
どうか経験値氏の「ぐだぐだエース」を購入して、騒ぎの元になった「マンガ幕末昔ばなし」を読んで欲しい。
あの独特なデフォルメ絵に手書き文字を、真っ白のスカスカ漫画と思う人もいるだろうし、下手だと思う人もいるだろう。
ばあちゃんはもう90近い。
母親と離婚した親父とは定期的に飲んでて、その報告によるとしばらく前にばあちゃんはでかい病気をしてもともと耳が遠かったのに加えて脳もバグってしまい、
いとこの子供(中学生)と中学生のころの俺の区別もよくわかんなくなってんじゃねえかと言っていた。
ばあちゃんは保育園時代、共働きの親のかわりに毎日迎えに来てくれて親が帰ってくるまで面倒を見てくれた。
駄菓子屋に連れてってくれたりスーパーのメダルゲーム(100円で11枚メダルが出てくるジャンケンポンのやつとか)で遊ばせてくれたり卵を落としたサッポロ一番塩らーめん(世界一うまいラーメン)を作ってくれたりした。
小学校で引っ越して会う頻度が減ったけど、大学に入ってまた家が近くなったので久しぶりに会いに行ったら6歳のころと変わらぬ「ちゃん」付けで俺のことを呼んで「大きくなったねえ」と言っていた。
俺はばあちゃんが好きだったので大学時代はちょくちょく会いに行っていたが、行くたびに小遣いで1万円をくれるので正直たまに小遣い目当てで会いに行くようなこともあった。
大学を卒業してまた疎遠になった。その間にばあちゃんはいよいよ耳が2キロくらい遠くなり認知症で誰が誰やらわからなくなったと聞いた。
俺の話をして「中学は行ってるのかい」とか言ってたらしい。親父は「死ぬ前に顔見せとけ」と言った。
そんで今日、会いに行った。一時はちゃんと歩けないレベルだったらしいが最近リハビリを終えて小康状態に入ったらしい。
家に行ったらばあちゃんは寝ていた。
そっと起こして「俺だよ」と言ったらばあちゃんは曖昧な顔で「うん」と言った。耳が聞こえないからだ。
親父たちが筆談用に使っているホワイトボードに俺の名前を書いて見せたら、ばあちゃんは10年前よりくしゃくしゃになった顔をもっとくしゃくしゃにして「大きくなったねえ」と言った。
昔と変わらず世話焼きのばあちゃんは「いらないよ」と言ってる俺を無視して(聞こえないから)、きびきび立ち上がってお茶を入れてくれた。
歯がなくてやわらかいものしか食えないばあちゃんは、お土産のショートケーキをぺろりと食べた。
俺は買ってきた缶ビールを2本とばあちゃんが入れてくれたお茶を飲みながら適当なテレビを見た。
ホワイトボードに「元気?」と書いたら「元気だよ」と言っていた。
「昔はこんなに小さくておぶって駄菓子屋に連れていってね」という10年前にも聞いた昔話を2回くらいしてた。
帰り際、「またおいで」と言われたので「また来るよ」と言った。
多分聞こえていないので肩をポンと叩いた。笑いかけたつもりだけどちゃんと笑えてたかはよくわからない。
10年前、そして30年前と同じようにばあちゃんは家の外に出て手を振りながら見送ってくれた。
また行こうと思う。
バナナじゃない。
アイス(チョコ&バニラ)とクリームと、シリアルとチョコレート、あとなんか焼菓子のフレークとナッツの取り合わせを食べたいんだ。
バナナじゃない。
パフェ食いたくてメニュー見たらチョコレート系がチョコバナナパフェしかないとか、心底ガッカリだ。
チョコレートパフェと称していてもよく見ると潜り込んでいるだろ、バナナが。
ハワイアンピザのパインはあれがハワイアンピザのアイデンティティだからしょうがない。
自分は食わないがな。
これに出くわすのは別途オプションとか言える環境じゃないから困るんだ。
この前出くわして固まったじゃないか。
それが好きだと言うやつは取り分けた後に自分で好きなだけ混ぜろ。
好きな人は好きなんだろうが、デフォルトで入ってるとこっちはとても困るんだ。
リンゴもミカンもパインも単体では好きだが、そこにいられると困るんだよ。
■追記
プリンアラモードのフルーツはプリンアラモードをプリンアラモードたらしめていると思う。
いちご大福は名前そのものにいちごが入っているので、いちごを外せと言ったらアイデンティティの真向否定になる。それはしたくない。
(だからチョコバナナパフェと称してるならそれ自体は否定しない。それ以外のチョコパフェがあればいいなと思うけど)
でもチョコレートパフェと称してるならバナナは別に必須じゃない。
バナナはチョコレートパフェのアイデンティティを構成していない。こっちからすると異物とも言える。
同様にパイナップルは酢豚のアイデンティティを構成しているわけじゃない。
レーズンだってドライカレーをドライカレーたらしめる要素ではない。
・昨日は連休の中日だったせいか、お酒の入ったお客様が多かった。お酒が入ってるからといって迷惑行為をして来たりはしないので、助かる。まあ、夕勤帯のお客様の大半は、お店の近所の住民なので、お客という立場でもヘタなことはしないよね。
・十数年前、飲食店のアルバイトをしていた時は本当に毎回嫌で嫌で仕方がなかったものだ。毎回何かしら嫌な事があった。
・飲食店とコンビニではお客様の民度が違うという事なのか、時代の違いなのか、私自身の若さとか未熟さとかが厄介事を呼び寄せていただけなのか、よくわからない。
・わからないが、飲食店よりもはるかに、コンビニバイトは快適である。
・一緒にシフトに入る人次第というのはある。
・真面目にやれば無駄に仕事のレベルを上げるなと怒られ、その一方でやることなす事一々姑かテメエは!ってくらい文句つけられると辛い。完璧にやれと完璧にやるなを同時に言われてるようなもんで。
・まあそれはオーナーが悪いよなぁと思う。従業員が真面目に仕事してるとどんどん要求を吊り上げてくるのは良くない。
・ところで土曜日、近所のスーパーに買い物に行った。そしたら洋生菓子のコーナーで、10歳くらいの女の子がショートケーキ二個入りのパックをおもむろに掴み上げると、パックの側面にぶっちゅ~~~っと唇をつけた。
・もろに目があった。あ、やめさせないと!と思った瞬間、女の子は脱兎のごとくに走り去ってしまった。
・そういえば、去年末にオーナーから注意喚起があった。最近、お店の食品にイタズラをして陳列棚に戻すという動画をインターネットに公開するというのが子供の間で流行っているらしいので、子供が来店した際は売り場に出てフェイスアップをしながら子供の動向を監視し、イタズラさせないように、との事。
・この間のくら寿司とかセブン謝罪の件もあったし、大人には見えない子供だけのコミュニティがあって、食品にイタズラをしてそこで勇者扱いされる事を目指ししている子供達というのが、まじでいるんだなぁ。
苺のショートケーキって手に入りやすいし可愛いし定番っぽく選んでしまうけど
買って行ったら姪っ子が苺苦手だと知った時には困った
エビとか嫌いな人いないでしょ、と思ってたのに
友人が食べられないと聞いた時にも驚いた
ショートケーキとケンタッキーのチキン、小さいけれど気の利いたクリスマスツリー。
私の実家のある環境は、他の地域よりちょっとだけ恵まれた場所でした。
老舗のお惣菜屋さんのローストチキンはチェーン店のチキンより安くて美味しくて、チーズケーキが自慢のケーキ屋さんがあって。
そんな地元で買ったローストチキンとチーズケーキを並べて、母親がつくったツリー柄のパッチワークを飾るのが、私の実家のクリスマスでした。
心のどこかに、テレビCMみたいな典型的なクリスマスへの憧れがありました。
だから、今日改めて「典型的な日本人のクリスマス」を過ごせることに、心から感謝
したかったのに!
したかったのに!
題名の通りだが、胸中を整理しないと仕事が手につかないので、初めてこうやって投稿してみることにした。何も考えずだかだかと打っていく。
敬語は省略させてもらう、何故ならひと様を気遣うリソースが今己には無い。
そして「どっちもどっちだろ」や「こういう所が悪い」や「文章から性格の悪さ感じられるわ(笑)」や「自業自得だな」や「クソどうでもいい」など、芽生えたその素直な感想は申し訳ないが嚥下していただけると幸甚である。
手負いのアラフォーを傷つけて良い事は何もない。ただそういった言葉を飲み込むと善行を積んだことにはなりますし、優しいぬるま湯みたいな励ましやお言葉をくださると天国に行けます。
【別れた理由】
些細なすれ違い。もうこれに尽きる。
①問われた事に対して都合が悪い(確認事項含む)とLINEを返してこない、放置
(こちらから数日待った上で再度聞くしんどさ、お分かり頂けるだろうか)
(特殊な仕事なので常に了承、文句を言ったことは無い。労いの言葉もかける)
③何をするにもまず自分の要望優先(こちらの都合を聞かない、考えない事が多い)
④計画性が無い
(任せた旅行先で、ノープラン。気持ちはわかるが飛び込みで宿に泊まりたくない)
などなど。
ちなみにデート時のお店や旅行先のプラン・予約などは、交代で行っていた。
ちなみに「こうしてほしい」という要望は都度伝えていた。
あまり言いすぎると、「俺だって忙しいのに」「もう責めるのやめてよ」と拗ねて怒るのでやんわりと言葉に気を付けていた。
【別れの際について】
残念ながら喧嘩別れのような形にはなったが、自分からはもう二度と連絡はしない。
【好きだったところ】
見た目。なかなか無いぐらいにストライクだった。イケメンだと私は思う。
業界が似通っており、彼が仕事が出来る人なのも分かっていた為、尊敬していた。
高収入。持っているものがセンスがあり素敵だった。お金に余裕があるので心に余裕もあった。
家庭環境もお互い似ていて、気を遣う所が無く有難かった。
【今の気分】
仕事の合間につい考えてしまう。ついと言うか、考える合間に仕事をしている。
何を考えてしまうかと言うと、「あそこでこう言えば良かった」や「やっぱり私が悪いのでは…」や「あ~~~もうあんな人現れないのに…」など。
この後悔、および反省がぐるぐると脳内を回っては、不安感や焦燥感を煽る。色を付けるなら濃いグレー。
しかもどろっとした粘度があるので、掻き分けても掻き分けても終わりが見えない。
しんどい。
辛い。LINEばっかり気にしてしまう。通知切りたい。でも切ったらまたアプリを開いたり閉じたり開いたりしてしまう。
ありがち。本当にありがちすぎるが、自分が経験するとなると、また別だ。
すごいな、世の中の失恋した方々はこんな思いを抱えて生きて、克服して次を見つけているのか…?としみじみしてしまう。
ただ、私はこの年齢だ。それも更に心に重苦しく厚い暗雲を乗せる一要素になっている事は、間違いない。この年齢でこのスペックの男性と別れて次があると思うか?いや無い、といった対話が常になされており、己のこれからの人生を考えて更に心が重くなる。
色恋沙汰において「年齢は関係ない!」という力強い言葉はあるが、それは場合による。
どんな場合かと言うと、年下のイケメンが年上の女性に対して口説く際に使用する場合のみだ。覚えておいてくれて損はない。
話が逸れた。
だけどこうして何も考えずただただ文字にしてアウトプットをしていると、整理出来て有難い。
つまり、今の気分は
①反省と後悔が凄くてしんどくて辛くて嫌だ
②この年齢でこのスペックの男性と別れたらもう次は無い怖さが嫌だ
という二点につきる。
②については、もう真正面から受け止めて「諦める」という選択肢を受け入れるしかないのでは???
どちらもなかなかきつい気がする。
できるものなのか…でもするしかない。この、LINEを気にする苦しさが永遠と続かない事を祈るし、他に気が逸れることも祈りたい。
まだ好きなのかと問われれば、好きなんだろうけれど、もうあの付き合っている間のしんどさを続ける気は無い。
お願いしても真っ向から言っても自分を変えようとしてもどうにもならなかった。致し方ない。
二年か~~。長いのかな?
旅行の時の楽しさや、プレゼントを選んでサプライズで渡してくれた時の事や、仕事がつらかった時にずっと隣で慰めてくれた時の有難さが、ふっと蘇っては苦しくなる。
でもその度に、言われて傷ついた事や、嫌いになったきっかけを上書きするようにして思い出す。
甘くてふわふわのショートケーキに自分でコールタールをぶっかけて台無しにして、それを眺めながら「仕方ない、これが今の自分には正しかった」と己を懸命に説得している気分だ。
例えが長いな。
とりあえず昨日の今日だし、今日は早く帰って美味しいものを食べよう…
残念ながら食欲はある。
広義をとれば指すことはある。
しかし「その人固有の性格、人間的特性」くらいの意味であれば、ヤンキーに憧れるとかサッカーを始めるだとかは偶有的属性であり、
それ以前の、アウトローに格好良さを見出したり、競技を通して自己実現しようと思ったりするところまでがそうだろう。
何で「明らかに」なの?
まず、自分ならば老女ものポルノをいくら見せられようがたまたま見てしまおうが、老女を性的に好むようになったりはしない。
他者の観察経験や各種の知見からも、もともと受け手に素地が無い性的欲求を植え付けることは出来ないと考えている。
が、それにあなたが同意しないのならばそこは尊重し「明らか」は撤回する。
しかしそこを措いても、「幼児を性的に意識するから、ロリ漫画を読む」のと外形的に区別は付き難いはずであり、ロリ漫画を読むことで幼児を性的に意識するようになると考える根拠の提出は必要だろう。
(それとも「ロリ漫画を読む奴は、幼児を性的に意識したりする」は影響の因果関係ではなく単なる事実の説明なのだろうか。そうとも読めるが、それならば影響の例として挙げること自体不適当だからそれはないか)
誰もそんな事言ってないんだけど、誰と戦ってるの?
前投稿の冒頭で言ったように、多くのオタクの言う「影響」は「犯罪が増える」といったメディア悪影響論に対する反論として出てきている、ごく狭義のもの。
そしてそういう文脈のなかに割って入ってきて「影響がある」と言ってのけることはつまり、「犯罪増加として顕在化するレベルの悪影響の存在」の肯定となる。(そういう「影響」はないよ、という立場を「いやあるだろ」と否定する以上はね)
もともとアウトローやら競技やらに親和的なやつが創作物の影響で、ヤンキーを好もうが清水次郎長を好もうがサッカーを始めようが野球を始めようが、その観点では「影響」はないと言っていい。(これはショートケーキかチーズケーキかに相当する話)
「その表現物が無ければ起こすはずのなかった逸脱」を起こさせるほどのものがここでいう「影響」であり、その要因となる「その表現物が無ければ起こらなかったはずの性向の変化」が「人格的影響」と呼ぶに値する、そう自分は考える。(これが「奪ってでも手に入れる」とか「甘いもの好かないやつがスイーツ好きに」に相当)
わかりにくいようですまんね。
多くのオタクが「影響はない」とか言う時、それはメディア悪影響論に対する反論、つまり「表現の存在によって犯罪が増える」とか言う意味での「影響」だからね。
あなたの挙げている例も「人格に影響」と言うにはあまりに表層的なものばかり。予め受け手の側に志向や目的が存在してすすんで影響を受けているもの(1、2、3項目め)や、そもそも創作表現でなく人から誤ったメッセージを伝えられ続けて判断が歪む例(よく知らん例だから間違ってたらすまん。4項目め)。ロリ漫画云々に至っては因果が明らかに逆だろう。
甘い物好きの奴がチーズケーキ選ぶかショートケーキ選ぶかに影響してるじゃん! レベルの"影響"の例を以って、そもそも甘いもの好かない奴がスイーツ好きになるとか、奪ってでも手に入れたくなるとか言うレベルの「影響」と一絡げにして「影響はある」と無理筋を通そうとするやつは、わかっててやってるなら卑怯だよね。
そりゃおまえ、大人になったんだよ。
タバコは今時は流行らないが一昔前には標準的な大人の趣味だったな。
子供の頃はいくらでも食べられたショートケーキもガリガリ君も、もうそう多くは食えんのだろう。
カレーよりはお新香、コーラよりはビールってな具合に、食べるものはトシを取ると変わる。
同じように一緒に過ごす仲間、寝る前に読む本、そして余暇の過ごし方も当然変わる。
周りを見てみろ。同年代の連中の話題にしていることはなんだい?
女・金・酒、それだけだ。
別に落胆することはない。すぐに慣れるさ。
すぐに慣れて、大相撲で誰が落ち目かは即答できるようになるし、天皇杯で二番目に速かった牝馬も言えるようになる。
そして赤提灯のカウンター席で管巻いて、喧々諤々の政治談議に花を咲かせるようになるんだ。
とにかくまあ一杯やりなよ。