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はてなキーワード: 入学式とは

2023-11-02

anond:20231102124651

かに入学式体育祭の勢いは好きだったわ

そもそもヴィランヴィランになった理由もクソつまらん奴が多かった

壊理の下りとか一番いらんやろ

2023-10-24

私立中学校問題がある子がいた話

私が通っていた私立中学は偏差値が50だった。

元々公立中学校に進む予定だったが、私が入る前年にそこで問題が起き、急遽受験することになった。

たった三か月ほど集中して勉強すれば受かる程度の学校

しか学校都心一等地にあり、学費はそこそこ高かった(らしい)。

荒れている公立中学に行かなくて済むのが嬉しかったが、同じクラス問題のある子がいた。

入学式の時からの子は異質で、幼稚園の子どもみたいに足をぶらつかせ、周囲にちょっかいを出してみんなを困惑させた。ここは本当に私立中学なのかと私は頭を抱えた。

中学生だというけれど、私はその子小学校3年生程度にしか見えなかった。

汚い話を平気でする、クラスで回し読みしている漫画の順番が待てず癇癪を起こして泣く。

成績も毎度赤点だったと思う。そもそも字があまり書けないのだ。

明らかに、知能が未発達な子だった。

授業中、その子の奇声に悩まされたり、集団行動の出来なさに辟易していた。

それは3年間続いた。

そのまま内部進学できる高校は、偏差値が一気に60まで上がる。

さすがにその子は内部進学できず、別の高校に行ったらしい。

らしいというのは、それっきり交流が途絶えたから。

しようと思うクラスメイトもいなかったのだと思う。

私の母は「その子の親が必死に頼み込んで入れてもらったのよ。懐深いいい学校ね」なんて言っていたが、私は冷たく「そのせいで授業に集中できない私たち権利はどうなるのか」と言い返した。

母は苦笑いをして、それっきり黙ってしまった。

高い学費を払って環境のしっかりした私立に通ってしっかりと教育を受ける権利を壊されるのは正直言ってごめんだ。

なぜ私の学校彼女を受け入れたのか、いまだに解せずにいる。

2023-10-18

大学に入ったら学科の同期みんながスマホLINE使ってて絶望した話

を思い出してつらくなったから、ひとしきり書き出して安らかに眠りたい。

マジで俺以外全員がスマホLINE使ってて、俺だけがガラケー電話メールしかできなかった。

いやもう何年前だって話だけど。

何年も前の話だ。

ガラケー電話メールしかできないように設定?契約?されてた。

家族全員PC派で固定回線も引いてたから、わざわざケータイ電話メール以上のことをやろうとは思わなかったんだな。

もちろん俺もその1人だった。

高校も大半がスマホなんてことはなく(そもそもケータイ禁止校則もあり)コミュニケーション上の問題が発生するなんてこともなかった。

(本当に何年前なんだろうな)

で、大学に入ったらこれだ。

みんなスマホLINE使ってて何ならつながってて、友人関係どころか大学生活上のあらゆる連絡をLINEでとり合ってるときた。

連絡網がつくられることは予想できてたが、俺の予想だとそれはメーリングリストか何かだった。

実際は何もかもLINEだった。

使ってみたらそれも納得の利便性があったけど、当時の俺は知る由もなく。

当時の俺のケータイの設定じゃ絶対LINEはできなかったから、そのことをみんなに伝えて、俺には誰かがわざわざメールしてくれることになったと。

めちゃくちゃ絶望した。

俺がいなきゃLINEグループで済んだものを、そいつにはメールの手間をかけさせているわけだ。

迷惑をかけ続けるわけにはいかない。

入学式から帰って、まずはPCLINEが使えないか試した。

使えることは使えるようだったが、肝心のアカウントケータイ作成しなきゃいけなかった。

めちゃくちゃ絶望した。

実家の両親はLINEを毛嫌いしているのだ。

しかし、そのままでLINEが使えないから、親に相談しなければならない。

説得はかなり難航した。

親がLINEを嫌っていた理由は、まさにそのLINEアカウントケータイ作成しなきゃならない点、LINE電話番号や連絡先(アドレス帳)を知りたがったりする点にあった。

ケータイ契約問題もあった。

それまでは電話メールしかやらなかったから、電話メールやり放題みたいなプランに入って、他のデータ通信のことは考えてもなかった。

けどLINEアクセスする(通信料がかかるようなことをする)となると、そのあたりも考慮して契約を見直さなきゃいけない。

俺のために手間をかけさせている相手がいなきゃ、在学中ずっと電話メールのみだったかもしれん。

幸い、1週間くらいで親が折れてくれて、もう1週間くらいでLINEアカウントが用意できる運びとなった。

通信料がかかるからなるべくPCを使うようにと厳命されたが、構内じゃだいたい同期と一緒に行動することになったから、これといった問題はない。

けど、まったくなかったわけじゃなくて、俺は再び絶望することになる。

LINEって単に文章のやりとりをするアプリじゃなかった。

他にもいろいろなコミュニケーション機能がついていて、たいへん結構なことだった。

一部機能スマホアプリのみ対応なことを除けば。

長文機能とかだったと思うんだが、結構な頻度で使われる機能がいくつかあって、それがPCにもケータイにも対応してなかったもんだから、結局、誰かに手間をかけさせ続ける日々は終わらなかったのだ。

たいへん絶望した。

一応は相談したが、さすがにスマホにさせろと強く要求するわけにもいかず、迷惑をかける大学生活は続く。

俺はなんかもうずっと心苦しかった。

いたたまれなかった。

罪悪感が半端なかった。

果ては、あまり気にしないようにしていたことまで思い出されてきて、どんどんどんどんつらくなる。

俺が入学式に出たときには、なんか、みんなすでにつながってたんだよな。

なんか入学式の前に集まる機会があったらしくて、そこで同期と知り合って、入学式の後のことについても連絡があったらしい。

入学式が終わってから、途中で教授に止められなかったら、学科で集まることも新歓があることも知らずに帰ってたと思う。

知らずに帰ったのとどっちがよかったんだろうな。

ひとしきり書き出したらすっきり眠れるかなと思ったのに、つらくなる一方だ。

悪いのはケータイなんかじゃなくて俺だって突きつけられるからかな。

ケータイ半年後とかだったかな、親がスマホにかえてくれて、同期にはやっと「今までありがとう」を言うことができた。

大学生活はてんで駄目。

同期とはうまくつき合えず、サークルは会費がかかるってんで入れず、もう何もかもつらくて、大学にも行けなくなって辞めた。

今日今日までクソみてーな人生が続いてる。

こんな年齢になってまで俺は悪くないって思ってる。

大学生なら人の話は黙って聞けると思ってたのに動物園と変わらなかったし、勉強だけする場所だと思ってたのにそういう場所でもなかったし、みんなが買ってもらえたものを俺だけ買ってもらえなかったし、みんなが見せてもらえたものを俺だけ見せてもらえなかったし、そんなだからみんなと一緒じゃなくていいなんて、みんながいいって言ってるものよりこっちのがいいって、酸っぱいぶどうが好きだって大学までに価値観を完成させられればよかった。

中途半端価値観じゃ中途半端に期待して、「みんなと一緒」に振り回されるんだ。

俺が悪い。

俺は悪くない。

俺は悪くない。

俺は悪くない。

2023-10-11

とにかく大学が怖かったコミュ障の話

大学が怖かった。

今思えば、最初入学式あたりからもう駄目だった。

小学校からエスカレーター式の私立出身。これまでずっと、仲のいい少人数イツメンの閉じたコミュニティーにいたため、大人数にとにかく圧倒された。

大人数でワイワイやるということに慣れていなかったし、本当に苦手だった。

一応クラスはあり、ゼミにも所属していたので飲み会の誘い等も無くはなかったが、すべて断るくらいもはや飲み会恐怖症だった。

大学は実はぼっちに優しいんじゃないかと思う。友達を作ろうとしなくてもクラス単位で行動することがほぼないため、

ハブられているという目で見られることがない。

授業も一人で受けようと思えば全然受けられるし、お昼を一人で食べていても一人席を使えば色眼鏡で見られることがない。

その環境に甘え、私は大学で一人も友達を作らず卒業した。

転機が起こったのは卒業後だった。私は営業に配属になった。

強制的毎日不特定多数人間営業をかけ、足を運び、社内の飲み会にも参加せざるを得なくなった。

4年間ほぼ誰ともかかわらず過ごしていたので、私のコミュ力は地に落ちており、毎日それはもういろんな人から怒られまくった。

3年ほど罵倒されまくって今があり、最近転職活動をしていたのだが、

あれほど苦手で緊張しまくって変なことを口走っていた面接が、得意とはいかないまでも人並みに話せるようになっていた。

そして、あれほど苦手だった飲み会普通にふるまえるようになっていた。

振り返ってみて思うのだが、やはりこういった気質を直すのは暴露療法的な方法しかないのではないかということだ。

コミュ力コンプレックスがある人はいっそのこと営業になってみるってのもありかもしれないぞ。

まあでもクッソつらかったか事務転職するんだけどな。

2023-09-26

anond:20230925201124

上野千鶴子氏は2019年の東大入学式において、以下のような式辞を述べている。

フェミニズム弱者弱者のまま尊重されることを目指すものです」

弱者弱者のまま尊重されるって、突き詰めると、そういう話になってくるんじゃないの?

喪女喪女のまま死んでいけばいいし、LGBTも「生産性がない」と批判されることな尊重されながら死んでいけばいいのではないか

2023-09-10

奇形界隈に告ぐ 顔整い気にする暇あるなら勉強バイトしとけ

醜形恐怖症にとらわれている奇形界隈の若い子達に伝えたいことがある

増田簡単プロフィール

・女 02line 大学在学中

高校時代一時奇形界隈に居た

・埋没済み

結論ズバリ

タイトルの通り「奇形界隈に告ぐ 顔整い気にする暇あるなら勉強バイトしとけ」だ

これは実体から言える確かな事実

中高生奇形界隈の子は少しでも後悔の無いように過ごして欲しいから読んで欲しい

ガチ顔整いの母親と一重デブチビハゲ親父からまれ増田は幼い頃から奇形だった

奇形自覚幼稚園の頃からあった

お遊戯会で眠り姫をやることになったあの日、眠り姫が大好きだった増田は真っ先に眠り姫に立候補した

あの時の先生言葉は今でも覚えている

増田ちゃんちょっと違うカナー。他の役やってねー。」

その後、キッズモデルをやっていた生まれながらの顔整いマリちゃん仮名)が選ばれたのを目の当たりにし、この世は顔が全てだと悟った

小中は顔が原因でいじめられて完全に自分顔面が嫌いになった

厚い唇 分厚いまぶた 激強蒙古

コンプレックスでいっぱいだった

高校生になってTwitterをはじめて、自分コンプレックスを調べるうちに奇形界隈と出会った

居心地が良かった

なにより自分と同じ感情を抱えながら生きている人がいて安心した

でも本当にこれでいいのか ここに居て良いのかという疑問が湧いた

だっていくら顔整いを気にしたところで変わらないから 自分の顔は

そこから自分の顔をいか人間に近づけるかに専念するようになった

アイプチが一瞬で白いカスと化すほどの激重一重の増田は埋没で二重になることにした

流石に高校在学中に整形するのは

いくら

常に単独行動 

授業中指名された時以外は口を開かない 

休みは一人校舎裏ごはん 

文化祭シフト時間以外トイレ籠りのガチぼっちだった増田でも無理なことは知っていたから、

受験終わったらやらせてくれと親に頼み込んだ

元々親は増田が幼い頃から

自分の子と思いたくないやら川から拾ってきたやら言ってきた分、

罪悪感があったのだろうか 

私が志望していた某国公立大に受かれば費用負担すると言ってくれた

それからTwitterを開くことも忘れて日夜勉強に励んだ

頑張れば整形できると思うとそれ以外のことはどうでも良くなり、

間食を食べたり娯楽に時間を費やさなくなった結果、体重は落ち成績はぐんぐん上がり、学年首席になった

3年になって担任が変わった

その時の担任オブラートには包んでいたもの

友達いないのはどうかと思うけど勉強だけして実績をウチの高校に残してくれればいいよ」

という旨の声掛けを初面談の時にしてきたのでより一層勉強だけに意識を傾けることができた

模試のたびに偏差値も全国順位もぐんぐん上がり「これはイケル」と思えるようになってきた

埋没ができるかもしれないという状況に

ハイのようになっていたのだろうと今では思う

クラスメイトからは裏で

増田さんって狂ったように勉強してて怖いよね。」と言われていたのを覚えている

それすら褒め言葉のように感じるほど当時の増田は異常だった

自分の顔をどうにか人間に近づけたいという欲

たったそれだけのために社会性も何もかもかなぐり捨ててとにかく勉強していた

そして無事に共テと二次突破し念願の志望校合格と埋没の費用を掴んだ

合格したその日にカウセの予約をした

カウセ当日は二重のライン決めと料金プランを立てた

極厚まぶたは脱脂と3点止めでようやく人並みの二重になることが分かった

金プランは取れることも想定して念のためかけ直しアリのプランを選んだ

数日後施術をした

笑気麻酔を吸うと視界がサイケデリックレインボーに包まれ全身が高揚感で満たされた

正気が戻ってきて

薬吸うとこんな感じなのかなとか思っていたら

急に現実が襲ってきた

まぶたを縫う感触気持ち悪い

痛くて呻いていると

もっと吸って!」と声をかけられた

どうやら息を吸うのを止めていたようだ

その後鼻から必死に笑気麻酔を吸い続けていると施術が終わった

手に持たされた鏡で自分顔面を映すと人間が映っていた

やっと人間になれたという喜びで涙を流れた

ダウンタイムは軽めで済んだけど想像以上にダウンって感じで少々病んだ

大学入学式の頃にはまるで生まれつき二重だったかのようにナチュラルに良い感じの幅になってくれた

顔がようやく人間になれたという事実想像以上に増田の心のささえになった

入学式隣の席の顔整いに意を決して話しかけると普通にニコニコしてくれた

それだけで今までの人生が救われた気さえした

だって今までは話しかけるだけで嫌な顔をされ続けてきたか

しか意気投合して友達になれた

やっぱ人生顔だなと再認識するとともに、やっと人間になれたから今度こそまともな社会性を持って暮らそうと決意した

すると中学時代部活に入って即退部したのが信じられないぐらいサークルは楽しくて、一緒にご飯を食べたり遊びに行くような友達もできて、人生大逆転した

今は毎日楽しく生きてる

長文すまん

結論

結局どれだけ綺麗事を言っても顔の良さと社会の優しさは切っても切り離せない

増田場合は整形してありえないぐらい生きるのが楽しくなった

からこそ、若いうちに容姿によるハンデをカバーするための学力や特技は伸ばすべきだし、

整形願望があるなら親を説得したり

説得できなければ資金を稼ぐ努力はすべきだと思う

顔整い気にしてる時間マジで無駄

その時間勉強バイトに充てて、将来の自分幸せに歩いていくための道の舗装をしよう

終わり

2023-08-29

こんな社会福祉学部は嫌だ

2000年ごろ雨後の筍のように生まれた「社会福祉学部」を持つ大学(すでに学部から社会福祉を消した大学も多い)から脱出した教員たちの証言を集めてみました! 特定されないよう適宜改変しています

・学園の理念に「優しい」「明るい」「素直」「従順」が入っている。

学長による入学式祝辞が「全員に挨拶をしよう」

福祉専門職必要ものとして「思いやり」「やさしさ」を謳う。

入学式理事長学長が「父兄」と呼びかける。

教職員から学生から自殺者も有罪者もだしている。

学生相談室の設置案に「教員自分仕事押し付けるつもりか」と理事却下

社会福祉国家試験に準じただけの最低限のカリキュラム

心理学経営学の授業が大量にある一方、社会学系の授業がほとんどない。

・1年次から国家試験対策合格率は高め。

国家試験受験勉強のため、卒論選択科目となっているおり、ほとんどの学生が書かない。

人権労働差別エスニシティジェンダーなどのテーマの授業が皆無。

・専攻に関係なく、宗教家から宗教学教職免許を持っているか教育実習、子持ちだからから家族支援論という謎基準事務が授業担当教員を決める。

・「経済学」と「政治学」、「心理学」と「社会学」、「日本史」と「宗教学」など、異なる分野の科目を一人の教員が教えている。

図書館ではなく図書室。

雑誌コーナーに『世界』『思想』『現代思想』がなく、『正論』『WILL』『HANADA』がある。

全国紙が揃わず新聞データベースもない。

・蔵書は、試験参考書中心。

岩波新書新潮新書という謎チョイスで新書を揃えている。

障害学生はできる限り受け入れないよう画策。

多目的トイレ掃除道具入れになっている。

バリアフリー設備が後付け。

エレベーター車椅子1台分のスペースしかなく介助者が入れない。

・最終学歴学士卒の教員が多い。

施設経営者、あるいはその縁故者がゴロゴロいる。

2000年代には研究禁止の御達しがなされていたため、開学の際にいた研究志向教員が他出、残ったのは病人か「けんきゅうってなに?食べられる?」という人ばかり。

研究してる人には散々辞められているからか、募集停止からヘッド(?)ハンティングしてくる。

研究や本に対して敵対心を示す人が多い(例えば、授業公開に行ったら、教員が「著作権料で食ってる人」というのをdisっていたのを聞いた、とか)

理事が「公募では人物がわからないので絶対しない」と宣言している割に、直接、大学履歴書を送りつけて採用された人が多数いる。

学長は外から連れてくるお飾り。

学部長が社会福祉学者ではなく学園縁故者。

入試問題現代国語を併設高の教員外注しているらしいのだが、常に昭和文章

卒業式理事が「ジェンダーフリーが家族を滅ぼす」とか「人間にはそれぞれ分というものがある」とか熱弁。

・式典では日の丸君が代はもちろんのこと、日の丸敬礼させられる。

東日本大地震地震兵器論者、中国脅威論、Qアノン信者など、教員陰謀論蔓延

学生シバキ主義発破をかける維新信者教員がいる。

アメリカ中絶禁止について薄ら笑いで歓迎する教員がいる。

北欧高齢者安楽死をしているから「寝たきり老人」がいないと講義解説する教員がいる。

少子化女性高学歴化が原因と講義している教員がいる。

家業保育士を雇っていることから保育士給料が高すぎると言及する教員がいる。

血縁関係教員事務員がたくさんいる。

事務女性が若く、皆美人(併設短大卒業時に声をかけ採用している)。

卒業パーティ男性理事たちが女子学生を膝の上に座らせている。

・有志で実施した教職員対象ハラスメント実態調査が握りつぶされた。

ハラスメント委員会相談握りつぶす御用委員会

・朝礼がある。

・オプキャン入試で土曜の時間外手当をつけないために週休1日制。

裁量労働制だがタイムカードがある。

部活担当で年間労働時間推定4000時間越えの教員(!)がいる。

部活顧問全国大会へのバス運転まで全部やらされており椎間板ヘルニア発症した。

・引っ張ってきた部活顧問(授業担当なしで教授)が体罰を多用し、退学、休学が相次ぐ。

福祉時代だ!」と言われて福祉マインドもないのに儲かるから学部を作って、梯子を外されたんだな。

(追記)ちなみに私(旧帝大博士号持ち)の場合就任当時は真面目で伸び代がある学生に恵まれており、そこには不服はなかったことは付け加えておく。

2023-08-28

F欄の割にはまともな文章が書けてる

私は、Fラン大学出身です。私は、大学入学後、入学式の学科オリエンテーション学部から講義に出とくだけで進級できるとか思わないでください。」と言われました。

これは、おそらく、講義に出とくだけで進級できると勘違いしている学生がいると思ったから、言ったんだと思います

じゃあ早稲田慶應明治などの学生でも講義に出とくだけで進級できると勘違いしている学生は、いるんですかね?

f欄ってもっとボキャ貧爆サイ民みたいな鳴き声じみたワンパターンなことしか書けないのかとか思ってたよ

2023-08-20

専門家無職は年中「来月から気を抜くな」と言い続ける

専門家

1月:正月成人式コロナになるぞ

2月:入試で人が動き、集まるからコロナになるぞ

3月:送別会卒業式コロナになるぞ

4月:花見入学式コロナになるぞ

5月:ゴールデンウィークコロナになるぞ

6月:梅雨で室内にこもるからコロナになるぞ

7月:夏休み開始と海の日連休花火大会コロナになるぞ

8月:お盆帰省コロナになるぞ

9月:新学期開始とシルバーウィークの移動でコロナになるぞ

10月:祭りや行楽シーズンハロウィンコロナになるぞ

11月:気温が下がり始めるからコロナになるぞ

12月:クリスマス忘年会年末帰省コロナになるぞ

 

無職

【1月】 初っ端から飛ばすと後でばてる。2月から本気を出す

【2月】 まだまだ寒い。これではやる気が出ない。3月から本気出す

【3月】 年度の終わりでタイミングが悪い。4月から本気を出す

【4月】 季節の変わり目は体調を崩しやすい。5月から本気を出す

【5月】 区切りの良い4月を逃してしまった。6月から本気を出す

【6月】 梅雨で気分が落ち込む。梅雨明けの7月から本気を出す

【7月】 これからどんどん気温が上昇していく。体力温存の為8月から本気を出す

【8月】 暑すぎて気力がそがれる。9月から本気を出す

【9月】 休みボケが抜けない。無理しても効果が無いので10月から本気を出す

【10月】 中途半端な時期。ここは雌伏の時。11月から本気を出す

【11月】 急に冷えてきた。こういう時こそ無理は禁物。12月から本気を出す 

【12月】 もう今年は終わり。今年はチャンスが無かった。来年から本気出す

2023-08-12

anond:20230812222954

個人体験としては、通信高校時代に、入学式で隣に座ってたおばあちゃんが3年生になった頃には英語ペラペラになってたことはあったな

あとこのまとめとかも助けになるかもhttps://togetter.com/li/1880148

自身は頭悪いからなんとも言えんけどやりたいことがやれたらいいね応援してる。

2023-08-03

うたプリさようなら手紙



最初に言っておきたいのが、私はうたプリにもうたプリ運営(ブロッコリーとか)に対しても何の不満も持ってないこと、何にも怒ってないこと。

うたプリオタクを始めて今年で10年目?になる。

2013年の春、高校入学とともにiponeを手に入れた私は、当時2000%がドッカンドッカン来ていたうたプリアニメ一期を暇つぶしのために見始めた。それがきっかけだった。

トンデモすぎるシナリオ無駄キラキラしているイケメンたち、やたら上手い歌、でもやっぱり意味がわからない演出に笑いまくって、面白い作品は数あれど心を楽しいという気持ちでいっぱいにしてくれる作品は私にとってうたプリが初めてだった。

そのあとはニコニコ動画検索し、さまざまなキーワードでググりまくって、ドキドキしながらpixivを覗いたり、バイト代を握って初めてアニメイトに行って、金額の高さに卒倒しながら中古ショップPSPソフトを買った。

ゲームうたプリアニメよりさらエキセントリックで、どいつもこいつも理解できない、なんでそんなことするの!?攻略対象にもヒロインにもキレながら全てのエピソードを集めて全てのエンドを回収して、金額に卒倒しながら続編のソフトを注文した。

アニメゲームだけでなく、プリンスたちが本当にこの世にいるかのようなプロモーションにも私は夢中になった。プリツイ(公式キャラアカウント)のために毎秒TLを更新して、東京の駅に広告が出されているのをTwitterのレポで見てドキドキし、ポップアップストア(シャニストと言う)に行くために人生で初めて竹下通りに行った。

当時の私は実家との関係が最悪で、とにかく孤独と怒りを持て余して、バイトギリギリまでしないと携帯代や定期代や食費を賄えないし、まあそういうアレでとんでもなく荒んでいた。うたプリ楽曲2013年当時でも結構な数があって、少しずつ履修していたころにwelcome to UTAPRI worldを聴いて、私の孤独に今1番寄り添ってくれているのはうたプリなんだと感じて、あまりにも優しくてキラキラしている歌に涙が溢れた。

年末年始風邪を拗らせて、でも掛け持ちで詰め込みまくったバイト休みたくなくて、お金がなくて食パンを齧っていた年明け、プリツイの更新が急に来て、自担(音也くん)の呟きを目にした時も熱に浮かされながらボロボロ泣いた。あの年って、うたプリアイランドの再リリースは今年中と言っておきながら全然音沙汰ないからもうこのまま来ないんじゃ?と思ってたら大晦日滑り込みリリースしたよね。みんな覚えてる?

思い出は書ききれないくらい(なんせ10年だから)沢山ある。人生初めてのライブ横アリに行ったこと、学校の校外行事が終わったあとその足でアニメイトに行ってASASを受け取ったこと、ライブのために一人でホテルを取ったこと、専門学校入学式に向かう電車で緊張を慰めるためにマジラレボリューションズをえんえんと聴いたこと、社会人になってから社用車運転する時にひたすらうたプリプレイリストを流すのが楽しかたこと。

本当に色々な思い出があって、うたプリを通じてたくさんの初めてを経験した。その日々の中で、うたプリしょっちゅう炎上していたけど(在庫とかグループ不遇とか色々あったよね)、私自身はコンテンツ運営に怒りを抱いたことはなくて、ずっとずっと大好きだった。ライブ物販のために真冬たまアリを始発から6時間並んだ結果ペンライトが売り切れで買えなかったとか、入場がごたついて会場入りできないままライブが始まってしまい泣きながら歓声が漏れ聞こえる西武ドームを見上げたこともあった(これぞうたプリって感じ)。けどそんなことよりも、ライブの楽しさとか、夕日がドームの中に差し込んですごく綺麗だったこととか、うたプリが好きで胸が苦しいと思った記憶の方がずっと強い。

今年の4月に、10年間オタクをやっていた中でも1番なんじゃないかぐらいの炎上ネタがあって、さすがの私も苦笑いというか、脱力感を強く感じたけど、でもやっぱりうたプリのことも運営のこともちっとも嫌いになれない。

ちっとも嫌いじゃないのに、怒りも失望もないのに、去年の映画だって本当に素晴らしかったのに、蝋燭の火が消えるみたいにうたプリに対する関心が消えてるのが分かる。

前のように夢中になれない。心がいっぱいになれない。うたプリのために働いたお金を全て費やすなんてことは今の私には出来なくて、将来のための貯金がしたいし、休日ゲームをしたりイベントに行くよりも、家のことをして資格勉強をして本を読みたい。

あんなにも大好きで、人生を捧げたいくらい大切で、何よりも夢中だった作品に対する心の動きを「飽き」の一言で纏めたくない。けれどそういうことなのかもしれない。好きという気持ち一心に燃やして、燃やし続けた結果もう焦げついてしまったのかもしれない。

うたプリのことは本当に好きで、大切で、世間はいろいろ言われていたけど、この作品を作るための、表には出てこないたくさんのスタッフさんの努力キャストさんの愛があるのを知っているし、怒る気持ち失望する気持ちも少しもない。けれど、私の心はもう昔のようには動かなくて、もう私はうたプリオタクではないし、さよならを言うタイミングが来たのだと思った。

当時15歳だったこから社会人数年目の今まで、うたプリのことが大好きだった。あんまり沢山のコンテンツに触れるのには向いてなかったので、本当にアニオタでもゲームオタクでもなくうたプリオタクだった。

うたプリのおかげで知らない場所に沢山行けたし、子どもなりに苦しんでいた10代でも楽しい気持ちが沢山残っているのはうたプリのおかげだし、数えきれないくらい沢山幸せ時間を過ごすことができて、心から感謝している。

今後も、きっとたまにうたプリプレイリスト再生して、当時この曲を聴きながらどんな気持ちで生きていたか、どんなことがあったのか、曲を聴きながらどんな景色を見ていたのか思い出すと思う。

たかだか作品に飽きたというだけの話でこんなに長くなるか?と今自分で書いてても思うけど、本当にそれくらい大切で、10年間思い切りうたプリに触れながら生きてきた。ありがとうございました。

うたプリにいつか飽きて興味がなくなるくらいなら大好きすぎていっぱいな今この瞬間に死にたいと思っていた10代の私が読んだら本当に憤死するかもしれない。ごめん。あんなに好きだったのに薄情だよね。でも大切な気持ちは今でも本当に変わらないんだよ。

2023-07-22

学級運営シミュレーションゲームとか出ないか

プレイヤー教師役で、複数いるNPCの生徒のステータス管理をしながら、入学式から始まって学校行事成功させたり試験成績とか進学・就職実績を上げたりして、卒業式後に三年間の回想が流れて最後クラス評価とか、生徒から好感度とか出て、生徒から好感度が高かったら生徒からメッセージとかたくさん流れて、評価が低いと寂しい感じのEDになったりする感じ

最初学校の方向(進学校とか実業系とか底辺校)とかが選べて、自分の三年間の目標(進学就職実績upとか、生徒から好感度とか)選べて、クラスの人数も20〜40人から選べたりしてその辺が難易度調整になってたりしてさ

実績解除で制服の種類とかが増えてブレザーかセーラー・学ランか私服か選べたり、女子校男子校共学とかも選べたら楽しそう

アイデア料いらないから誰か作ってくれ

2023-07-18

anond:20230718111028

入学式用で買うならパンツが正解。

大学生、地味にスーツ着る機会がたまにあるけど、座敷席の場があったりするからパンツスーツの方が良い。

大抵の人は、スカートで足出すより細見えのパンツスーツの方が好印象だし。

スカートは「綺麗だな」より「ヤれそう」に傾きやすい。

割とガチで、日本就活ってヤバいと思ってる。

入学式用のスーツ買う時にパンツ買おうとしたら、

インターンの時はパンツでもいいけど、就活本番はスカートじゃないとダメなんですよ」

って店員に言われて唖然とした。




なんで?


女子パンツ履くことの何が悪いの?スカートパンツで何が変わるの?

2023-07-11

北海道感想

行った場所

すすきの札幌

東室蘭登別

長万部おしゃまんべ)

ニセコ小樽

富良野旭川

  

すすきの札幌

すすきのは飯屋や大人のお店が多い。新宿みたいだ。新宿を半分くらいの大きさにした感じ。

アイドルとかが売り子したりしてて、都会なんだな〜と思った。

札幌は、いろいろな企業が、新商品を全国に出す前に、札幌で出してみて反応を見たりするらしく、やはりいろんな新商品が置かれていた。

コンカフェで楽しめたが、コンカフェ東京よりレギュレーションが激しいというか、変なサービスは一切なかった。ちなみに、日本一すごいという噂のダークマターというコンカフェ札幌で、そっちはリスカで作ったドリンク提供で一時閉店などで話題になっていたところで、逆にすごいらしい。

札幌は、レベル高いところと新しい突飛なもの交錯するカオスでいい感じだなあって思った。

  

ホテルは高くて予約も一杯でなかなか泊まれないが、ニコリフレってカプセルサウナは安くていつ行っても泊まれたので、ニコリフレ宿泊おすすめか。

二乗市場ってのが海鮮で有名らしいが、夏は時期じゃないのか、そこまで海鮮うまいと思わなかった。昔、春先に函館で食べた海鮮は美味しかったのになあ。

  

東室蘭登別

東室蘭は、札幌北海道の真ん中らへん)と函館北海道の下の方)の中間地点くらいにある。

札幌函館中間地点は結構寂れたエリアなんだけど、登別洞爺湖ニセコなどの温泉キャンプスキーで有名な場所がある。

その辺りの地域には、東室蘭という、埼玉田舎くらいの栄え具合の街がある。東室蘭からなら、登別洞爺湖にはバス比較簡単アクセスできる。

ちなみに、東室蘭は本当に泊まるだけだったが、住むだけならギリギリ行けるかなくらいの坂ええ具合がある程度なので、東室蘭目的観光微妙

室蘭東室蘭よりだいぶ寂れてるらしいかスルー

  

登別とか洞爺湖とかが温泉街として固まってるエリアがある。

今回は登別へ。

温泉改装中とかで入れない温泉が多かった。夏の時期はそんなもんなのかな。

入れるところもあったので、入ってみた。登別温泉は確かに一流温泉だなあとは思った。

ただ、バスでの移動に数時間とかかかるエリアなので、東室蘭以外からときいかも。

  

長万部おしゃまんべ)

東京理科大の基礎工学部という学部の生徒は、東京入学式の途中に、長万部に連れていかれるという謎の制度がある。

1年間、長万部の校舎で寮生活をするらしい。ちなみに現在では基礎工学部ではなく国際デザインという学部長万部流しにあうらしい。

そういう、変な制度があると聞いてから、一度は見てみたかった東京理科大長万部校舎。

結構小さい建物で過ごしてるんだなという感じ。東大とかの建物1つ分くらいの中で、講義があって、食事があって、体育館があって、寮があってって感じ。

長万部校舎出身の人に聞くと、楽しい生活だったらしい。

田舎高校とかの寮生活みたいな雰囲気だった。

ちなみに、学食部外者は食べられない仕様

  

駅前で有名だというカニめしを買って食べたが、う〜ん、普通駅弁カニめしって感じ。

  

ニセコ小樽

ニセコスキー世界的に有名で、英語バリバリ通じる地方とのことだが、マジで普通田舎だった。

外国人土地を買いまくって、億ション立ちまくりだ!みたいな話を聞いてワクワクしていたが、景気の良さは一切ない。単なる本当の田舎

夏はキャンプ場が有名らしい。

普通に街をぶらぶらした後、駅前温泉へ。

駅前温泉は完成度高かったw

  

小樽は飯を食うだけで寄った。

飯は美味かったけど、飯屋の女主人の絡みがうざかった。

小樽の印象はこの飯屋の女主人一発で最悪になった。

  

富良野旭川

富良野ラベンダー畑youtubeで見れるような感じまんまが広がっている。

観光客は無茶苦茶多く、噂では1日数千万円の売り上げとかってタクシー運転手が言っていた。

北の国から感はない、結構栄えている。

まあでも、田舎田舎って感じではある。一面ラベンダーというより、一面田んぼ水平線の向こうまで続く山々って感じ。その中にラベンダー畑がある。

  

ノロッコという、ガタガタ電車旭川へ。

旭川は、東京でいえば駒込くらいの栄え具合だった。ホテルはどこも高くて予約でいっぱいだった。星野リゾートがあるからかな?

旭川ラーメンは、2か所で食べてみたけど、辛いって味だった。

旭山動物園は、展示頑張ってるなあと思ったが、小さめだか時間的にはすぐ終わってしまう。

夜のニュークラ(キャバクラ)では、苦学生が多くて、ビビった。旭川には塾講とかで稼げるところはないのかなあ。

  

追記

ちょっと伸びたので、ランキング

  

1位:銀座サウナ (旭川

旭川に、銀座があるとは、、、銀座って感じはないが、なんか、こち亀で出てくる昔の浅草みたいな素朴な通りが銀座って呼ばれてる。

そこにある、銀座サウナは素晴らしい!

  

2位:東室蘭スナック街 (東室蘭)

スナックママが、みんないい人だった。

家庭で塩茹でした素朴なカニをご馳走してくれてありがとう

  

3位:東京理科大 長万部校舎 (長万部)

高校の頃、田舎寮生活したのを思い出す。

男子生徒の猿のような声が聞こえてきて、微笑ましい。

こじんまりした感じ大好きだ。

  

4位:北海道大学(札幌

これぞ北海道に期待していた、デカすぎるキャンパス

学食も、北海道らしい素朴な見た目の学生たち。

大自然を感じながら、アカデミックな風を感じて気持ちいいね

  

5位:すすきののニュークラ(すすきの

高級な内装で、王様気分で飲めました。

女の子たちは、就職終わったばっかりらしく、弛緩した雰囲気の子たちが多かったね。

  

追記追記

ニセコって、ニセコ町じゃないよ

これマジ??

ニセコって駅に行って、心配になる程駅がど田舎駅そのもので、わけわからん鐘が置いてあるところが寂れた村感マシマシで。

村役場あるじゃん、ここにいけば、流石にニセコの中心でしょ」ってニセコ村役場まで歩いて。

マジで単なる田舎で、「ニセコ億ションどこよ?」で帰ってきてしまった。

まさかニセコ駅ではなく、全然ニセコから遠い倶知安町駅にニセコがあるってそんなあ。。。

  

二条市場典型的観光客向けの市場からコスパ悪いよ

そんなあ。。。

これトラップすぎない?すすきの駅降りたら、二条市場が呼びまくってる感じマシマシの看板群なんだけどお。

なんだよあの「海鮮ならここ!!」!みたいな案内。

トラップすぎるじゃん。

しかも、「千歳空港佐藤水産でもなんとかなる」ってなにそれえ。空港で食べれるんなら、北海道旅行の意味ないじゃないですか地元で最高の海鮮出してくださいよ!

  

>元旭川から ラーメンで辛いってどこで食べたんだろ 濃いはあっても辛いラーメンがよくわらん

新子っていう、鳥の丸焼き照り焼きソースかかったやつがラーメンと一緒に出てきて。

ホルモン塩辛くって、新子塩辛くて、ラーメンの味がしないくら塩辛かったです。

でも、たくさんラーメン店があったから、あれは旭川ラーメンじゃなかったのかも。

旭山動物園の旭山ラーメンの方は、普通に美味しい味噌ラーメンでした。

  

>「北の国から」の舞台の辺りは富良野市街地から山の中に大分入らないと行けない。

全然寂れてないじゃん。って思ったら、富良野の中でも格差さらにあるんですね。

「まあまあ田舎だけど、北の国からで栄えちゃって、北の国から世界無くなっちゃったか?w」とか思ってました。

2023-07-10

就職が出来ないまま、アラサーになった。

どこに吐き出せばいいのかもわからない自分気持ちと、きっと誰の記憶にも残らないであろう自分人生増田に投下したい。

要旨はタイトルの通りでしかないが、就活に失敗し続けて無職のままアラサーを迎えてしまった。今年はもう就活すらしていない。

就活は売り手市場だなんだと聞いていたが、それは結局平均的にコミュ力のある人間にとっての話であって、自分のようなコミュ障で陰気な人間にとっての話ではないのだなと痛感した。

ふと思い返せば友達が居た記憶があるのは小学生の頃までだったし、その頃もたまたま流行っていたポケモンに詳しかたから仲間に入れてもらえていただけだったんだろうなと今になって思う。

中学入学したあたりでクラスバラバラになり、小学生の頃のグループ自然消滅してしまった。

誰にも声をかけられることはなく、かといって声をかける勇気もなく、本当にただ孤独に過ごしていた。

部活にも入らなかった。正確には入れなかった。

聞こえてくる話を聞く限り、中学入学した時点で皆は入りたい部活まで既に決めている人が多かったようだった。

特にスポーツ経験もなく、かといって文化的素養もない俺にそのようなものはなかった。

「この部活に一緒に入ろう」と声をかけてくれるような人も当然いなかった。

経験部活の仮入部に飛び込む勇気もなかった。気がつくと入部届の提出日は過ぎていた。

そこから孤立の日々だった。

友達はもちろん欲しかったが、既に俺以外の人たちで完結しているように見えたコミュニティに入り込めるような人間ではなかった。

最初入学式の時点で、席が近い人たちか、同じ小学校出身の人たちで話して仲良くなっていた。俺だけが孤立しているような錯覚を覚えて、行きたくもないトイレに逃げて泣きそうになったのを今でも覚えている。

中学生にもなると皆携帯を持ち始めるようになっており、誰々とメアドを交換したとか言う話題が聞こえるようになった。

親にねだって携帯を買ってもらった。結局誰1人としてメアドを交換することはなかった。

中2の時だったと思うが、モンスターハンター3rdが学年中で流行っていた時があった。

みんなで放課後に誰かの家や公園で集まって一緒にプレイしているような話が聞こえてきた。

親にねだってPSPモンハンを買ってもらった。話しかけてもらいたくてわざわざ学校PSPカセット持って行き、わざと休み時間に机の上にそれらを出した上で寝たふりをしていた。

国語先生に見つかって取り上げられ、皆の前で叱られ、反省文を書かされた。あの瞬間が中学生活の中で1番みんなからの注目を集めた瞬間だったんだろうな。悲しすぎる。

今にして思えば、ポケモンに詳しかたことで仲間に入れてもらえた小学生の頃の成功体験を引きずり続けて、同じ手法でなんとか挽回しようと考えている自分の浅ましさがもう情けないよな。

勉強だけは頑張った。成績が良かったテニス部クラスメートが色んな人に「勉強を教えて!」と声をかけられているのを見たからだ。それもまた、今思えば笑ってしまうくらいに浅はかだけれど。勉強ができるから声をかけられていたのではなく、テニス部の人気者だから勉強理由に声をかけてもらえてただけなのに。その構造を見抜くだけの頭の良さは残念ながら当時の私は持ち合わせていなかった。

勉強甲斐あって、地元で1番の公立高校合格した。親以外に祝っては貰えなかったが、それでも良かった。

合格と同時にiPhoneを買ってもらった。LINEインストールした。

中学の頃は初手で部活に入ることに失敗したことや、コミュニケーションを取ろうとアクションする前に既に人間関係ができてしまっていたことが敗因であると考えていた。今回は入学式の日からちゃんと人に声をかけると強く決意した。

失敗した。

出身中学が同じもの同士で既に固まっていたし、何より塾が同じもの同士での結びつきもかなり強固であった。

3~4日目にして、ついに席の近いクラスメートが声をかけてくれたことでクラスラインに加入することには成功したが、人数から察するに私が最後メンバーであった。

私が入った頃にはクラスラインでの会話は殆ど無く、既に仲の良いもの同士でより小さなグループを作ってそこでコミュニケーションをしていた。

同じ塾での繋がりから合格発表があったその日には学年のグループができており、入学式の日にはもうクラスラインが出来ていたらしい。

結局、中学生の頃に友人を作れなかった負債高校生になっても苦しめられるのかと思った。

部活動にも入ろうと思った。未経験でも最初の入部の時点であれば飛び込めるのだと学んでいた私は、新歓で惹かれた剣道部に入部した。

2ヶ月で辞めた。

私以外の入部者が全員経験者であり、初心者が私しかいなかったからだ。

先輩はもちろん自分のために練習に付き合ってくれたが、同級生や先輩達のレベル自分立ち位置があまり乖離しており、自分1人だけが別で初歩的な練習をしているのが、晒し者にされているような気がして嫌になり、逃げ出してしまった。

自分けが初心者だという引け目から同級生ともろくに話せずに終わってしまった。

ここで投げ出さなければ…と今なら思えるが、やはり当時の自分には無理だったのだろうなという諦めのような感情もある。

同じような基礎練習に打ち込む初心者がもう1人でも居れば…と仮定しては、さも自らが理不尽な状況下にあるかのような想像をして自分正当化しようとしていたことを何故か今でも覚えている。

幸いだったのは学校自習室があったことで、これにより部活動の時間分を自習室勉強することで、親には部活動を続けているようなフリをし続けていた。今思えばバレていたのだろうか。

中学の頃から帰宅部であり、友人と遊ぶようなそぶりすら見せてこなかった俺を、親はどう思っていたのだろうか。

何も言わないでいてくれた親の気持ち想像すると、胸が苦しくなる。

高校Twitter流行った時期もあった。例に漏れず私もアカウントを作った。当時のTwitterはまだ身内感が強かったこともあり、高校名や氏名で検索しては片っ端から同級生フォローした。

フォローバックも多少はしてもらえたと思う。

しかしながら、結局何もツイートすることはできず、ただ同級生の動向を監視しているだけの気持ち悪いアカウントに成り下がっていた。

一言も喋らない陰気な奴が変なことをツイートしたらどう思われるのだろうかと、怖くて何もツイートできなかった。

一瞬、LINEツムツムが流行たことがあった。

LINEを交換しているもの同士でスコアランキング形式で共有されるのだが、たまたま引いたマレフィセントというツムで圧倒的なスコアを叩き出したことがあった。

その時にクラスメートが「上手いんだね!」と声をかけてくれたことがあったが、気の利いた返しが浮かばず、ぎこちない笑みを返すことで精一杯だった。

3年以上碌に会話をしていないのだから当たり前なのだが、もはや会話をするという行為自然には出来ないようになってしまっていた。うまく言語化できないが、相手の言っている内容を理解した上で、それに対する返答をいくつか頭で構成し、そのうち最適なもの選択して口からアウトプットするという一連の行為自然に出来ないようになってしまっていた。目を合わせるだとか、自然な表情を作るだとか、そんなことは言うまでも無くできなかった。

その会話での失敗は自分の中でも忘れられず、次に同じように話しかけられた際の返答を何度も何度もシミュレーションした。

ツムツムも継続してスキルを磨き、ランキングではトップを取り続けた。

当たり前だが、次の機会は来なかった。

高校3年間は最も密度の高い青春の3年間だったと知り合いの誰かがTweetしていたが、俺の3年間は思いつく限りの思い出で上記限界だと思うと、本当に虚しい気持ちになってしまう。

大学は通える範囲にある旧帝大合格した。

今度こそ失敗しないようにと臨んだが、やはりダメだった。

講義における自由な席のシステムや、そもそもクラスなどが存在していないという状況で、自ら人に話しかけるだけのスキルを持ち合わせていなかった。出身高校予備校基本的には違うはずなのに、即座にそれぞれで仲良くなれていたのが不思議で仕方なかった。

サークル新歓にも行った。バーベキューだった。同じ机に先輩が2人、新入生が3人の5人で座っていたのだが、気がつけば私を除いた4人での会話になっていた。

先輩が時折私に話を振ってくれていたのだが、明らかに気を遣ってくれているのだとわかり、余計に苦しく、惨めだった。

新歓用のライングループがあったようだが、私には加入の声もかからなかった。

勉強に逃げようと思ったが、逃げる先も見つからなかった。

自ら興味のある分野を見つけ、そこに飛び込むだけの主体性すら持ち合わせていなかった。

テストは同じ授業の過去問を持ち合わせているかどうかで対策の可否が大きく変わるものだった。友達のいない私には非常に厳しかった。

授業に一度も来てないようなテニサーの奴よりも、私の成績の方が悪かった。友人は居なかったが、それでも勉強だけは出来た自分にとって、学業の成績は唯一の精神的支柱であったのだろう。かなりメンタルにきたのを今でも忘れられない。

しかし、そうは言っても今更友人を作ろうと発起するのも見苦しいように思えて、結局何の行動も起こせなかった。

ゼミはそれなりに興味のあった行動経済学ゼミを志望したが、人気ゼミ面接に通るはずもなく落ちた。

結局、不人気な統計学ゼミに入った。幾つ上かもわからない留年生と私の2人だけだった。

自分存在は何度も留年を繰り返す謎の男と同じ程度なのだと言われているようで苦しかった。

そして就活の時期を迎えた。

まず情報弱者だった自分は出だしからつまづいた。

講義室で聞こえる会話で周りが既にインターンというものエントリーしていることを知った。その後、焦って就活について調べ始めるものの、そもそも特にやりたいこともなく、また、特段興味がないものに対して熱意があるかのように見せられるだけの技量もなかった私は、悉くインターンにも落ちた。

志望動機経験(あまり好きではない語彙だが「ガクチカ」と呼ばれるもの)に嘘や誇張した内容を書くような人々を見下していたが、結局採用されるのは見下していたはずの人々だった。

奴らは汚いことをしているのだと内心見下すことで、倫理的には彼らより優位にあると思いたかったのだと思う。そんな卑屈さで小さなプライドを守ったところで、何一つ実利はなく、ただ不幸になるだけだということに気づけなかった。

その後、大学名の威光もあってか1dayのインターンには通ったものの、グループワークが中心の1日に馴染めるはずもなく、ひたすら透明人間を演じた上で、最後儀礼的に連絡先だけを交換して終わった。

同じグループの人は関関同立(関西ではそれなりの地位にある大学群)の同学年だったが、グループワークでのリーシップの発揮ぶりは私とは比にならなかった。社員の見る目も違っていた。もちろんその後を知ることはないが、きっと大手企業内定を得て働いるのだろうなと思う。

休みの会話で、高校は私と同じ地域にある偏差値50程度の私学であることを知った。指定校推薦大学に入ったらしい。

学業しか縋れなかった私は、恥ずかしながらも内心では関関同立を見下していたし、偏差値50程度の高校に行った人とは今後交わることすら無いものだとすら思っていた。卑屈な選民思想を持った自分が恥ずかしかったし、完全に下に見ていた人々にも逆転されたという事実を突きつけられたのはかなりショックでもあった。

後日講義室で聞こえてきた「1dayインターン意味がない」という言説を信じ、1度きりで申し込むのを辞めた。今思えば、傷つきたくないがために縋ってただけなんだろうな。人は信じたいものを信じるように出来ているとはこういうことなのだろう。

そうこうしているうちに、気がつくと本選考の時期が到来した。最終的に50社くらいはエントリーしたと思うが、全落ちした。

就活対策の本を立ち読みしたが、内容のバカバカしさに呆れて買うこともしなかった。ここで変な意地を張らずに素直に買って、その内容を再現できていれば結果は変わったのだろうか。正直そうは思えないが。

他にも面接対策をやっているサークルの一室を訪れようとしたが、室内の華々しさに気圧されて扉の前で踵を返してしまった。

あんな楽しそうに就活に臨んでいる人々はどうせ碌な結果を得られないのだと自分に言い聞かせて帰路についた。

ゼミ教授の勧めで留年することにした。

無職で世に放たれるよりは学生身分があった方がいいとの計らいだった。多分留年を繰り返していた彼も、同じような配慮留年を続けていたのだと思う。本当に有り難かった。

しかし翌年の就活も失敗した。諦めて卒業した。

結局、面白くもないyoutubeを観ていただけの1年だったと思う。観ていた動画の内容すら思い出せない。

卒業の翌年、公務員試験を受けることにした。

勉強だけは出来たのだから学業勝負するのが自分にとって最適な戦略だと今更思い至った。

予備校に通い勉強をしていた。数年振りに自分の得意分野で勝負ができて、純粋に楽しかたことを覚えている。

筆記試験には合格したが、その後の面接(厳密にはこれも試験という名前ではある)で落ちた。

国家だけでなく、地方すらも落ちた。

周りを見るに自分と同程度にはコミュニケーション能力が疑わしい者も散見された。少なくとも就活面接では考えられないほどにレベルは低かったと思う。それでもダメだった。

いよいよ俺に出来ることはないんだろうなと深く絶望した。

無職の悪いところだが、時間だけは無限に持て余しているせいで、絶望的な場面が何度もリフレインしてしまう。

あの時こうしていたら…という後悔があまりに多すぎる。

どこが俺の人生の岐路だったのだろうか。

どうしていれば俺はこうならずに済んだのだろうか。

1年引きこもってもその答えは出せずにいる。

何度考えても、命を絶つ他にないんだろうなとは思うのだけれど、それにしたってどの選択を取っても両親に多大なる迷惑をかけるんだと思うと踏み切れない。

ここまで育ててくれて、何も言わず無償の愛を注いでくれた両親に、最期に出来ることは何かないだろうか。

こう振り返ってみても、本当に家庭環境も含め、両親には恵まれ人間だと想う。だからこそ、その結果がこのザマで本当に情けなく、申し訳ない。

せめて迷惑だけはかけずに、ただ俺1人だけが苦しむだけで済むような方法を取りたいとは考えているが、それすら踏み出せないのかもしれない。

ここまで読んでくれて本当にありがとう

想像の通り俺に友達なんてものは1人たりとも居ないし、今まで生きてきた人生も、今まで抱いた感情も誰にも共有できず、誰の記憶にも残らずに終わったんだと思う。

その意味で、誰か1人でもこれを読んで、誰かの記憶に少しでも残ることができたかなと思うだけで、なんとなく心が軽くなった気がする。

増田があって良かったよ。ありがとう

2023-06-19

郡道美玲、逝く……

犯罪告白しようが契約解除決まってるくらいのやらかしをしようが

表向きはいったん「休止」にしてきたにじさんじ公式が初めて「謹慎」って言葉を使った案件だったし

復帰は絶望的だろうとは思ってたが、やっぱダメだったよ。

6月21日付で引退が発表された。

 

郡道は今となっては裁判Vtuberとして有名になってしまった夢月ロアと同期デビュー

デビュー当時はみれロアとして仲睦まじい営業を行っていたが、後に解消。

入学式たまたま隣の席に座った子と仲良くなるじゃないですか?

当時は、その子しか友達がいないけどいざ学校が始まると、お互いにメッチャ、メッチャ、仲のいい友達や気の合う友達ってできることあるじゃないですか。それでその子と話さなくなる事は悲しい事ですか?

と、配信者系Vtuber文化として加熱する「同期てぇてぇ(仲良し)営業」に楔を打った。

 

その後も度重なる暴言アンチ煽りなどでヘイトを買いながらも、

同僚や他企業Vtuberからは「すごくいい人」「郡道さんだけは信用できる」との評価を得ていた。

 

今回の謹慎WBC中に「選手の頭にボールぶつけてまえばええんちゃう?(意訳)」といった発言を行い炎上

それを受け、公式から

複数回渡り不適切言動を行っており、都度当社から注意を行っていた

と累積アウトでの「謹慎」を命じられていた。

謹慎」という言葉が公ににじさんじ公式から発せられたのはこれが初めて。

 

登録者数は45万人。

2023-06-17

俺の家族

母親境界性パーソナリティ障害最近統合失調症になりかけていたから縁を切った。

父親分からん

義父:婚活で知り合った弱者男性消防士)家にいる間はほとんど寝転がっていて動かないし喋らない。挙動気持ち悪い。

俺:わりと真面目に勉強して国立大合格したものの、入学式中高一貫校出身の奴らが「俺は勉強しなかったからここに来た」とか言っていたのを聞いて絶望する。典型的弱者男性

2023-06-05

24歳男、人生を振り返る

ヤッホー、みんな!24歳男の俺が、人生を振り返ってみたよ!社会理不尽さについて、高校生時代大学生時代、そして社会人になってからエピソードシェアするから、楽しんで読んでくれよ!

高校生時代

まずは高校生時代の話からだ。あの頃はピーチパフューム匂いと、大量の宿題に囲まれてたよ。クソ暇な授業に耐えるために、友達とノリノリでダベってたら、先生に怒られる日々だった。理不尽ってやつは、校則バカバカしさと、教師の偉そうな態度に具現化されてたな。運動会で騒いだら、即刻停学!何の罪もないのに、みんなで楽しんでるだけなのにさ。社会の先輩たちに教えられたのは、「ルールってのは絶対に守らないといけない」ということだった。

大学生時代

次は大学生時代エピソードだ。入学式の日、緊張とワクワクで胸がドキドキしてたよ。でもさ、大学生活っていうのは、なんかイメージと違うんだよね。授業はまぁまぁ楽しいけど、それ以外はホントに退屈。バイトしてもカツカツで、友達と遊びまくる暇もないし、彼女作るどころか、出会いすらなかった。大学ってのは人生を楽しむための場所じゃないのかって、モヤモヤしながら過ごしてたよ。理不尽なのは、将来の希望について真剣に考える必要があるのに、何も教えてくれないことだったな。

社会人になってから

そしてついに社会人になったんだ。おめでとうって言ってくれ!でもさ、社会ってのは思った以上に大変だったんだよ。朝早くから夜遅くまで働いて、ストレスまりまくり会社上司上から目線で、自分意見もないって感じ。仕事が終わっても残業が当たり前みたいで、自分時間なんてなかった。給料も微々たるもんで、将来の夢に向かって進めるはずのお金が足りない。理不尽ってやつは、社会の厳しさと不公平さを毎日味わってる感じがしたな。でも、経験を積んで、自分の力で変えていけるって思えたのが救いだったよ。

以上が俺の人生振り返りブログだ!高校生時代バカバカしさ、大学生活のつまらなさ、そして社会人になってからの厳しさ。でもさ、どんなに理不尽なことがあっても、前向きに頑張っていけば、自分人生を切り開いていけるっていう希望を持ってるんだ。苦労もたくさんあるけど、みんなも頑張って人生を楽しんでいこうぜ!Keep fighting, guys!

2023-06-04

震災と地続きの生活

忘れそうだからどっかに残しておきたかったんだけど、どこもしっくり来なくてここに書き散らす。

震災の話を書くので苦手な人は読まないでね。

___

仙台実家があってその時地震が来た。

家には父(無職)と犬(デカいけどビビり)と自分(高3。卒業式も終わって春休み中)

そもそも宮城地震が多くて、震度5〜6も数えるくらいだけど体験してた。最初はいもの感じかなーと思ってたんだけどなんか長くて、ヤバさを感じたからとりあえず犬を抱えた。犬は震えながらテーブルの下にいた(避難訓練やってたんか?)。ちなみに父はテレビ押さえてた。

そしたら揺れが大きくなって台所食器棚が倒れて皿が割れデカい音と砂煙が舞って(マジかよ〜)って気持ちになった。多分正常性バイアス

家にいるのも危ないのか?と思い犬を抱えたまま外に出ると大人がたくさんいた。近くの一軒家のブロック塀が崩れてて(本当に崩れるんだ)と思う。

母は出勤してたので出迎えも兼ねてたんだけど、場所が悪くてすれ違いになり「どこいるの?」とメールが来る。空にはガァガァ鳴いて飛んでる白鳥の群れと雪がチラついててなんだか絶望的な気持ちになった。

(家の近くで白鳥は飛ばないので、普段と違う様子の怖さと寒さのせいだと思う。それと人間が大変なことになっても変わらず雪は降るのか…っていう無力感)

家に戻ると母が割れ食器を片付けてた。割れ食器の中に神戸旅行で買ったレトロなお皿もあった。勿体無いから使わずに取っておいてたんだけど使わないまま割れしまった。

確かその時は電気が通っててテレビが付いてた気がする。緊急事態の時の縁が青い画面で、右下に被災地域の地図沿岸に赤いライン。確か津波来るから逃げてくださいって言ってた気がする。

こんな地震でも電気来るなら大丈夫かなって思ったけど夕方?くらい?には電気も止まった。

家にいるのも危ない気がしたので近所の中学校体育館避難する。父は犬と家に残った。

体育館には結構人がいて、ストーブが炊いてあった。ストーブ囲って近くの知らない大人ちょっと話した。携帯ニュースを見るけどイマイチ状況がわからない。充電もなくなるので寝た。

余震マジで1時間に何回も来ててうんざりした。

朝、体育館入り口河北新報だか朝日新聞号外が貼ってて、デカデカ気仙沼石巻松島?の火事写真が載ってた。

えーここに住んでる人どうしたんだろう…と思う。

家にいても学校にいても同じなので、次の日からは家で寝ることにした。

この後の記憶はなんとなく時系列順に箇条書きするけど順番間違ってるかもしれん。

・こういう時ってご飯どうするんだろうって思ってたけど、うちはお歳暮お菓子(マドレーヌとか)があったのでそれで食い繋いでた。元々少食だけど不思議な事にお腹はそこまで減らなかった。

ライフライン全部止まってるのでトイレは2回したらちょっと流す でやりくりした。ご飯も水も最小限だったのでトイレ自体あんまり行かなくならなかった気がする。

・近所の集会場の水道が出るって話を誰かから聞いて、バケツとかペットボトル持って並んだ。並んでたら夜になって星がめちゃくちゃ綺麗で、こんなに星見えるんだ と思った。

タバコ屋のじいちゃんがやってる自販機も開けて飲み物売ってくれてたらしいけどコーヒーしかなかった、と父が言ってた。(買って来てたかは覚えてない)

コンビニロープ張って立ち入り禁止になってた(スナック菓子とか売って欲しいなと思ったけど従業員被災者からな…と諦める)

ヨークベニマル食品を売ってくれるらしいという噂を親が仕入れて来たので行ってみる。駐車場一帯を大きく円を描くように人が並んでた。(こんな時でもちゃんと並んでてエラい と思う)店舗の前で長机に電卓でお会計してる店員さん、カート運んで並んでる人に商品選ばせてくれる店員さん、みんな家族がいて自分被災者なのにありがたいなぁと思う。

・なんか父親ががっくりしてる日があった。何かと思ったら津波被害を受けた地域祖母宅がある場所だったらしい。具体的にいうと陸前高田祖母と連絡が取れない日が続く。ラジオではずっと同じニュース

・とうとう電気が復旧してくる気配を感じる。マンションから夜外を見てると市役所がある方が明るい。数日に1度?電気が付いてる区画が広がる。母と明日かな?明日かな?と言い合う。電気が戻ったときは歓声がわいた。ガスと水はまだなので2,3週間くらいお風呂に入ってない。

大学入学式は予定通りやると連絡が来た(進学先はあまり被害がなかったらしい)。この3週間風呂に入ってない、しっとりツヤツヤヘアで入学式出ろと!??と驚いた。っていうかそもそも出席できなくね?2,3日後、式は1ヶ月後にやると連絡が来た。電気も戻るまで3週間かかったのに1ヶ月後に入学式出れるのか???と思う。(結局出れた)

・ガスか水道が戻る前に高速バスが復旧した。進学先の他県にアパートは借りてるので食料調達兼入浴に出かけた。びっくりドンキーでほぼ1ヶ月ぶりくらいにちゃんとしたご飯を食べる。食べたら秒で腹壊してトイレに駆け込む。固形ほとんど食べてなかったから胃がビックリしたんだと思う。勿体ない…。そのままアパート温泉かに入り、まだ電気開通前の部屋で凍えながら寝た。(引越し前なので布団もないかフローリングにそのまま)

これ以降は更に時系列あやふや入学式普通に出れた。また父がグッタリしてる日があって母に聞くと震災で亡くなった方の特集を見てたら高校の後輩?が出てたらしい。

震災1ヶ月後くらいやっと落ち着いた時にまた5強?とか来て片付けたものがまた落ちたり倒れたりして地球氏ねって思った。

余震死ぬほど来てたので震度4くらいじゃビックリしなくなった。

祖母とも連絡取れたらしい。家にそこまで被害はなかったけど壁が壊れたとかでGWに父と高田に行く。

車に乗っててそろそろ近くまで来たな〜と思ってるとなんか訳わからない丘に漁業船が乗ってる。

こんなんあったっけ?と思ってると瓦礫まみれになって行く。

でも場所がわからないので元々瓦礫まみれの土地なのか、津波でこうなったのかわからない。道も当たり前に変わってるので検討がつかない。

えーどこなんだろうここ、そろそろ祖母宅着いてもいい頃なんだけどって思ってたら見覚えのあるアパートが建ってた。

そこで今瓦礫まみれの場所帰省の時使ってた道だった事に気づく。

コメリは?隣にあったスーパー(名前なんだっけ わかる人いたら教えて欲しい)は?お食事処のキリン看板は?過去にあそこですれ違ったはずの人たちは?

突然の事でボーッとしてしまう。唯一残ってたアパートもよく見たら窓が割れてて、勿論誰も住んでなかった。

___

とりあえずここまで。読んでくれた人ありがとう。その後の話はまた別で書きます




【追加】

コメントの返事のやり方全然からないんだけどなんでみんな普通に使えてるの?私が風邪で休んだ日に学校で習ったの???

2023-05-28

[]5月28日

ご飯

朝:ナポリタン。昼:なし。夜:天かす、オクラ味噌汁ネギ納豆たまごかけごはんサンドイッチ。間食:プリングス。柿の種ポテチ。スーパカップ

調子

むきゅーはややー。お仕事は、おやすみー。

ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生

・はじめに

わずとしてれた名作中の名作でゲームとしてのシリーズ展開だけでなく、小説漫画アニメなどでのメディアミックスもたくさんある、ダンガンロンパシリーズ第一作目。

勿論僕もプレイ済みなのだけど、シナリオライター小高和剛さんの超探偵事件簿 レインコードという完全新作がリリースされるということで復習としてもう一度遊んだ

超高校級の様々な才能を持つ高校生入学式当日、奇妙な目眩に襲われ気付くと閉鎖された学校に閉じ込められていた。

そこで巻き起こるコロシアイとその犯人(クロ)を特定する学級裁判の果てに絶望意味を知っていく、という後にダンガンロンパフォロワーがいっぱい出るのも納得な魅力的なあらすじ。

デスゲームじみたルール分析解釈の楽しさに、ミステリっぽいフーダニットめいた展開、そして何より超高校級の才能を持つキャラ達の魅力さ、それらとシステムガッツリ絡み合ってまさにゲームになっているのが楽しいポイント

ノンストップ議論という発明

システム部分はアドベンチャーゲームではあるものの、学校を探索するためにキャラ操作するパートや、音ゲーシューティングっぽいミニゲームに、それらを有利に進めるための育成要素もあったりと、出来る範囲で手を変え品を変え楽しませてくれる。

特にノンストップ議論呼称されているパートは抜群の面白さだ。

ミステリ系のアドベンチャーゲームでよくある尋問や追求のようなパート自動文字送りにして、かつ狙い撃つシューティングの要素を足した感じなんだけど、ゲームシナリオの融合が素晴らしい。

ミステリの大きな魅力の一つに議論があるにだけれど、どうしても文章での表現となると「タイミング」や「合いの手」や「野次」みたいな部分が削ぎ落ちてしまうのだけど、ノンストップ議論はそこをゲーム的なレベルデザインに落とし込むことで、議論をディフォルメしつつ楽しめるようにしてくれている。

発言の中の気になる点をシューティングの的にして、証拠証言弾丸見立てて、的を撃ち抜いて論破するからダンガンロンパ」という作品タイトルになるのも納得に素晴らしいシステム

声優さんのボイスや、立ち絵演出バッチリ決まっていて、ノンストップの名に相応しいハイテンポで楽しくかつロジックで考える謎解きの妙がある緩急も良き。

こういうゲームらしい楽しさと、テキストを読む楽しさが、相乗効果でどちらも楽しくなるようなシステムは大歓迎だ。

ただノンストップ議論以外のシステムちょっと取ってつけたというかミニゲームかなといった具合なのは残念だが、それだけで十分お釣りが出るほどに楽しめた。

・魅力的がすぎるキャラクタたち

公称でサイコポップと呼ばれる雰囲気でまとまっているデザインも素晴らしい超高校級キャラたち。

なんといってもココがダンガンロンパ最大の魅力だろう。

自分のことは棚に上げつつ主人公に信頼を要求する強引さが素敵な霧切響子御曹司頭脳明晰ながら割とポカをする十神白夜ギャンブラーとしての生き様が格好いいセレス、オドオドしてて小動物系の愛らしさがある不二咲千尋ギャルとしての一面だけでなく様々な表情を見せてくれる江ノ島盾子辺りが僕の好きなキャラだ。

通信簿会話と呼ばれる好感度を上げて読むことができるキャラ個別シナリオが楽しめるのも嬉しい。

話の都合上すぐリタイアしてしまキャラもそちらで楽しめるのが救いだ。

・腐川冬子好き

僕は自発的にお風呂に入らない女性キャラクタが大好き。

ドMで陰気でオドオドしている割に忘れてたとかでなく自発的にお風呂サボるし言われないと歯磨きもしない、可愛いなあ。

まあこの好きは癖の好きなのであまり掘り下げないでおこう。

・閉鎖空間ならではのフーダニット面白

今作の事件トリックらしいトリックもあるものの、概ね誰が行ったかが焦点に当たる展開が多い。

そのため超高校級の魅力的な仲間たちを疑わないといけないんだけど、これが辛くて面白い二つの気持ちに挟まれる。

なにしろ少し前まで楽しく好感度を上げて個別エピソードを読んでいた相手を疑い告発するのだから

今回リプレイだったこともあり、あえて先回りしながら犯人個別エピソードばかり読んでたんだけど、この辺の構造が辛面白かった。

突然閉じ込められてゲームに巻き込まれ現実にはありえない突飛な設定に加えて、主人公達の中に科学捜査が出来る人がいなかったり、色々ありそうで色々ない閉鎖空間の都合などもあってホワイダニットハウダニットは少な目なんだけど、この辺も良い意味で割り切ってると感じられて謎を解いていく部分が物足りなくはなかった。

仲間を疑うからこそのストーリー葛藤も作中に用語で言う「絶望」らしさがあって恐ろしいからこそだ。

希望絶望の結末はもどかしい

そんなわけで大絶賛なんだけど、締め方は少し雑だったかも。

希望絶望という大きなテーマの掘り下げは正直ちょっと不足していた。

要しちゃうと諦めずに生きるか諦めて死ぬかの二択になってしまうのも、要しすぎただけかもだけど、希望絶望ではなく生対死ってことになっちゃって、そりゃ絶望が不利だよと思ってしまう。

前提条件のために大きく無茶な設定を作ってしまったので苦労している感じの伝わってくるので、この辺はシリーズが続いて良かったなあ、と前向きに捉えておきたい。

・おわりに

10数年ぶりのリプレイだが楽しかった。

犯人トリックを知っていても楽しめるのは本物の面白さがあるからこそだ。

当時なかったスクールモード通信簿会話をお手軽に読めたり、システム面の改修がされているのも嬉しかった。

レインコードまでに2とV3も遊ぼうと思う、特にV3は途中でリタイアしてしまったので、楽しみだ。

2023-05-10

シュナムル氏 娘の年齢設定について

だいぶ周回遅れではあるが、気になったので備忘録に。

すでに別の方が同じ疑問を呈しているので参考にそのスレ

https://twitter.com/Natsu_Rayfield/status/1533010620055842816?t=ysiCpl6Sp1MuPwhnmogxtA&s=19


このスレをみると2016年にシュナムル氏の姪と一緒に七五三をしたとある

シュナムル氏が某氏のおかげ(?)でかなりツイ消ししているようで、七五三下りのツイの原本は見つけられなかった。

一応、数え年七五三をしたとすれば矛盾しない。

※それはそれで姪は満年齢でやったことになるが、例えば弟一家は弟の妻、シュナムルからみて義妹一族方針にあわせて

七五三の祝いをしたと考えれば大きな矛盾とはならない。そもそも本来、五歳は男児のみ。


七五三以上に気になったのは、シュナムル氏の娘の年齢の表現である

参考までに、以下シュナムル氏のツイートリンクを貼る。

見れなかった時用に概要文を記載する。


https://twitter.com/chounamoul/status/1298114794218590208

2020年8月25日で9歳

https://twitter.com/chounamoul/status/1038299328060612608

娘の誕生日夏休み

https://twitter.com/chounamoul/status/1655798965508648961

https://twitter.com/chounamoul/status/1644289144619941888

2023年現在、娘は中学生になっている

2020年8月25日時点で9歳とあるが、誕生日夏休み中なら遅くとも8月31日までに誕生日を迎えることになる。

また、2023年時点で中学生なので、2020年にシュナムル氏の娘は10歳となる。

そう考えると、シュナムル氏の言い回し違和感がある。

普通、こういうときは「もうすぐ10歳になる」と表現するのではないか

なにせ遅く見積もっても誕生日まで1週間を切っている。

そのまま誕生日前の年齢を言うより、誕生日を迎えた時の年齢で表現するのが自然な気がする。

無論人によると言われたらそれまでではあるが……。

https://twitter.com/chounamoul/status/1639992252008402945

参考:娘の入学式を目前としたシュナムル氏のつぶやき

不妊による憎しみや妬みで想像力が欠如してしま

不妊の人「インスタのヘアアレンジ動画タイトルが「入学式ママのヘアアレンジ」みたいなのどうにかならんの?入学式だろうがデートだろうがちょっとそこまでだろうが用途は何でもよくない?「簡単ヘアアレンジ」でよかろうもん。なぜママというワードを入れたがるんだ?」

まさに入学式に出席する予定の母親が「入学式 ヘアアレンジ」で検索するからなんだが??

不妊治療しているということは自分ママになりたいし、子供入学式に出席したいんだろ?

なのに「入学式」「ママ」というワードを憎んでどうする

2023-04-30

anond:20230430233455

テーラー、正直めっちゃ興味ある。

でも女性オフの日にスーツ着て過ごしていいものか、なんだぜ…?

女性らしさを損なわず、かと言って入学式のお母さんにもならない、ちょうどいい感じのオフの日スーツをいい感じの値段で…」なんて初心者にしては注文が過ぎるように思えてしまってな。

2023-04-29

懺悔

懺悔をしたい。

から14年前だった。私はその年受験生クラスで一番仲の良かった友達と一緒の高校へ行こうということになっていた。その年は新型インフルエンザ流行っていて学校でもバタバタと倒れていった。友達受験の直前にインフルで倒れた。どうしようとメールで喚いていたが、私は必死に治るよ、大丈夫だよ、と画面越しに励ましていた。

の子は完全には治りきってなかったが、試験には受けられるような体調になっていた。

それでも受験当日、彼女は来なかった。

理由はただ一つ、私が嘘をついたからだ。

試験の前日、この日は2時間授業で放課後教頭先生から受験エールを送るという名目集会があることになっていた。

友達インフルで倒れて休んでいたが、ちゃん学校に来れるのもこれで最後からとこの日は学校に来ていた。ただ、病み上がりだったためにその集会には参加しないと言っていた。

そして、帰る際にで私はやってしまった。冗談のつもりだった。その友達カバンを持って玄関に向かう際に私は彼女を追いかけてこう言った。

「昨日先生が言ってたんだけどインフルの影響で試験日程が延びたんだって、本当に急だから学校も連絡が追いついてないみたい、明後日になるっぽい」

友達は「マジで?」と言っていた。

もちろん嘘だ。試験日は予定通り明日だ。

そして私はそのまま友達玄関まで見送った。嘘だよと明かさずに。

翌日の試験友達は来なかった。

その高校を受けた同級生は私を含めてみんな受かった、その友達を除いて。

5日後に卒業式があったが、その友達は来なかった。嘘を信じたと思っていないどころか嘘をついたことすら忘れてしまった私は、のんきに卒業式に来なかったんだ…と思っていた。

私の嘘のせいで友達高校不合格になったと気づいたのは高校入学してすぐの時だった。

入学直後はクラスになじめずに中学時代クラスメイトと一緒にお昼ご飯を食べていた。私のクラスにも顔見知りの同級生がいたので、昼食をとってると

「○○ちゃんいたでしょ?」とその同級生が私に聞いてきた。○○ちゃんとは例の友達の名だ。

「うん、落ちちゃったの残念だったな」

「その子ね…試験日程間違えちゃったんだって本来試験日の2日後に会場に来たっぽくて」

それ以降のことは覚えていない。私はこの際冗談のつもりでやったことが冗談でないと今更ながら気づいたのだ。高校時代は私のやらかし所業がばれてしまわないかだけを考えながら、おびえた3年間を過ごした。大学に行っても、社会人になってもその傷は治ることはなかった。

その友達は噂だと滑り止めの高校半年でやめてしまったらしい。

まりの辛さに私はきっとどこかで彼女彼女なりに幸せ暮らしているはずだと思うようになってしまっていた。

だが、現実は違った。

去年の11月、私は親戚の不幸があったので地元に少しの間帰省していた。その際に違う高校に行った中学同級生と会って少し話す機会があった。その同級生友達と家が近く、中学に上がる前は一緒に学校に通っていた仲だったらしい。

私はその嘘をつかれた友達がどうなってるか聞いた、聞いてしまった。

あの後、彼女は退学したのちに精神を病んで今も引きこもってしまったのこと。両親も精神病み、一軒家からアパート引っ越したのことだった。

まり私の嘘が原因で友達の家庭は崩壊した。

泣いた、ひたすら泣いた。

許されるべきではない、それは分かっている。

あの時、なぜあんな嘘をついたのか、もしかしたら自分合格確率が少しでも上がるようにやったのかと言われればそれまでだし、テンションおかしくなって嘘をついていえばそうだ。

ただ私は悪意のつもりでやったわけではなかった。

その同級生から住所を聞き出し、後日菓子折りを持って土下座したが、友達の両親は冷めた目で私を見るだけであった。2人ともやつれていて生気がなかった。

この謝る日の少し前、私は某掲示板にこのことを書き込んだが、やはり私が悪いとのことだった。そりゃそうだ。スレ民も友達の両親が優しすぎた、普通だったら怒鳴り込んできてもおかしくないと書いている人がいたが、あの様子を見るに怒鳴り込む気持ちすらなかったんだと思う。

ちなみにそのスレは何故か釣り扱いされている。(私に成りすまして嘘を書き込んだ人がいるっぽい)

ただ高校受験を欠席すると高校から中学へ連絡が来るいう情報を見たがそういうのはなかったのだろうか。それだけが疑問である

いずれにせよ、私の嘘で友達の家庭は崩壊した。

なぜ今更書き込んだかというと入学式のシーズン高校制服をきた生徒たちが電車に乗り込んで楽しそうに話すたびに耐えられなくなってしまたからだ。

友達はどうしているのだろう、いまもあの暗い部屋で引きこもっているのだろうか。

私は死ぬまでこの十字架を背負えねばならない。

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