はてなキーワード: 入学式とは
○ご飯
朝:ナポリタン。昼:なし。夜:天かす、オクラ味噌汁。ネギ納豆。たまごかけごはん。サンドイッチ。間食:プリングス。柿の種。ポテチ。スーパカップ。
○調子
・はじめに
言わずとしてれた名作中の名作でゲームとしてのシリーズ展開だけでなく、小説、漫画、アニメなどでのメディアミックスもたくさんある、ダンガンロンパシリーズの第一作目。
勿論僕もプレイ済みなのだけど、シナリオライターの小高和剛さんの超探偵事件簿 レインコードという完全新作がリリースされるということで復習としてもう一度遊んだ。
超高校級の様々な才能を持つ高校生が入学式当日、奇妙な目眩に襲われ気付くと閉鎖された学校に閉じ込められていた。
そこで巻き起こるコロシアイとその犯人(クロ)を特定する学級裁判の果てに絶望の意味を知っていく、という後にダンガンロンパフォロワーがいっぱい出るのも納得な魅力的なあらすじ。
デスゲームじみたルールの分析や解釈の楽しさに、ミステリっぽいフーダニットめいた展開、そして何より超高校級の才能を持つキャラ達の魅力さ、それらとシステムがガッツリ絡み合ってまさにゲームになっているのが楽しいポイント。
システム部分はアドベンチャーゲームではあるものの、学校を探索するためにキャラを操作するパートや、音ゲーやシューティングっぽいミニゲームに、それらを有利に進めるための育成要素もあったりと、出来る範囲で手を変え品を変え楽しませてくれる。
特にノンストップ議論と呼称されているパートは抜群の面白さだ。
ミステリ系のアドベンチャーゲームでよくある尋問や追求のようなパートを自動文字送りにして、かつ狙い撃つシューティングの要素を足した感じなんだけど、ゲームとシナリオの融合が素晴らしい。
ミステリの大きな魅力の一つに議論があるにだけれど、どうしても文章での表現となると「タイミング」や「合いの手」や「野次」みたいな部分が削ぎ落ちてしまうのだけど、ノンストップ議論はそこをゲーム的なレベルデザインに落とし込むことで、議論をディフォルメしつつ楽しめるようにしてくれている。
発言の中の気になる点をシューティングの的にして、証拠や証言を弾丸に見立てて、的を撃ち抜いて論破するから「ダンガンロンパ」という作品のタイトルになるのも納得に素晴らしいシステム。
声優さんのボイスや、立ち絵の演出もバッチリ決まっていて、ノンストップの名に相応しいハイテンポで楽しくかつロジックで考える謎解きの妙がある緩急も良き。
こういうゲームらしい楽しさと、テキストを読む楽しさが、相乗効果でどちらも楽しくなるようなシステムは大歓迎だ。
ただノンストップ議論以外のシステムはちょっと取ってつけたというかミニゲームかなといった具合なのは残念だが、それだけで十分お釣りが出るほどに楽しめた。
・魅力的がすぎるキャラクタたち
公称でサイコポップと呼ばれる雰囲気でまとまっているデザインも素晴らしい超高校級のキャラたち。
なんといってもココがダンガンロンパ最大の魅力だろう。
自分のことは棚に上げつつ主人公に信頼を要求する強引さが素敵な霧切響子、御曹司で頭脳明晰ながら割とポカをする十神白夜、ギャンブラーとしての生き様が格好いいセレス、オドオドしてて小動物系の愛らしさがある不二咲千尋、ギャルとしての一面だけでなく様々な表情を見せてくれる江ノ島盾子辺りが僕の好きなキャラだ。
通信簿会話と呼ばれる好感度を上げて読むことができるキャラ個別のシナリオが楽しめるのも嬉しい。
話の都合上すぐリタイアしてしまうキャラもそちらで楽しめるのが救いだ。
・腐川冬子好き
ドMで陰気でオドオドしている割に忘れてたとかでなく自発的にお風呂をサボるし言われないと歯磨きもしない、可愛いなあ。
まあこの好きは癖の好きなのであまり掘り下げないでおこう。
今作の事件はトリックらしいトリックもあるものの、概ね誰が行ったかが焦点に当たる展開が多い。
そのため超高校級の魅力的な仲間たちを疑わないといけないんだけど、これが辛くて面白い二つの気持ちに挟まれる。
なにしろ少し前まで楽しく好感度を上げて個別エピソードを読んでいた相手を疑い告発するのだから。
今回リプレイだったこともあり、あえて先回りしながら犯人の個別エピソードばかり読んでたんだけど、この辺の構造が辛面白かった。
突然閉じ込められてゲームに巻き込まれる現実にはありえない突飛な設定に加えて、主人公達の中に科学捜査が出来る人がいなかったり、色々ありそうで色々ない閉鎖空間の都合などもあってホワイダニットやハウダニットは少な目なんだけど、この辺も良い意味で割り切ってると感じられて謎を解いていく部分が物足りなくはなかった。
仲間を疑うからこそのストーリー的葛藤も作中に用語で言う「絶望」らしさがあって恐ろしいからこそだ。
そんなわけで大絶賛なんだけど、締め方は少し雑だったかも。
希望対絶望という大きなテーマの掘り下げは正直ちょっと不足していた。
要しちゃうと諦めずに生きるか諦めて死ぬかの二択になってしまうのも、要しすぎただけかもだけど、希望対絶望ではなく生対死ってことになっちゃって、そりゃ絶望が不利だよと思ってしまう。
前提条件のために大きく無茶な設定を作ってしまったので苦労している感じの伝わってくるので、この辺はシリーズが続いて良かったなあ、と前向きに捉えておきたい。
・おわりに
犯人やトリックを知っていても楽しめるのは本物の面白さがあるからこそだ。
だいぶ周回遅れではあるが、気になったので備忘録に。
すでに別の方が同じ疑問を呈しているので参考にそのスレも
https://twitter.com/Natsu_Rayfield/status/1533010620055842816?t=ysiCpl6Sp1MuPwhnmogxtA&s=19
このスレをみると2016年にシュナムル氏の姪と一緒に七五三をしたとある。
シュナムル氏が某氏のおかげ(?)でかなりツイ消ししているようで、七五三の下りのツイの原本は見つけられなかった。
※それはそれで姪は満年齢でやったことになるが、例えば弟一家は弟の妻、シュナムル氏からみて義妹一族の方針にあわせて
七五三の祝いをしたと考えれば大きな矛盾とはならない。そもそも本来、五歳は男児のみ。
七五三以上に気になったのは、シュナムル氏の娘の年齢の表現である。
https://twitter.com/chounamoul/status/1298114794218590208
https://twitter.com/chounamoul/status/1038299328060612608
https://twitter.com/chounamoul/status/1655798965508648961
https://twitter.com/chounamoul/status/1644289144619941888
2020年8月25日時点で9歳とあるが、誕生日が夏休み中なら遅くとも8月31日までに誕生日を迎えることになる。
また、2023年時点で中学生なので、2020年にシュナムル氏の娘は10歳となる。
普通、こういうときは「もうすぐ10歳になる」と表現するのではないか。
そのまま誕生日前の年齢を言うより、誕生日を迎えた時の年齢で表現するのが自然な気がする。
無論人によると言われたらそれまでではあるが……。
懺悔をしたい。
今から14年前だった。私はその年受験生でクラスで一番仲の良かった友達と一緒の高校へ行こうということになっていた。その年は新型インフルエンザが流行っていて学校でもバタバタと倒れていった。友達も受験の直前にインフルで倒れた。どうしようとメールで喚いていたが、私は必死に治るよ、大丈夫だよ、と画面越しに励ましていた。
その子は完全には治りきってなかったが、試験には受けられるような体調になっていた。
試験の前日、この日は2時間授業で放課後に教頭先生から受験のエールを送るという名目の集会があることになっていた。
友達はインフルで倒れて休んでいたが、ちゃんと学校に来れるのもこれで最後だからとこの日は学校に来ていた。ただ、病み上がりだったためにその集会には参加しないと言っていた。
そして、帰る際にで私はやってしまった。冗談のつもりだった。その友達がカバンを持って玄関に向かう際に私は彼女を追いかけてこう言った。
「昨日先生が言ってたんだけどインフルの影響で試験日程が延びたんだって、本当に急だから学校も連絡が追いついてないみたい、明後日になるっぽい」
そして私はそのまま友達を玄関まで見送った。嘘だよと明かさずに。
その高校を受けた同級生は私を含めてみんな受かった、その友達を除いて。
5日後に卒業式があったが、その友達は来なかった。嘘を信じたと思っていないどころか嘘をついたことすら忘れてしまった私は、のんきに卒業式に来なかったんだ…と思っていた。
私の嘘のせいで友達が高校を不合格になったと気づいたのは高校に入学してすぐの時だった。
入学直後はクラスになじめずに中学時代のクラスメイトと一緒にお昼ご飯を食べていた。私のクラスにも顔見知りの同級生がいたので、昼食をとってると
「○○ちゃんいたでしょ?」とその同級生が私に聞いてきた。○○ちゃんとは例の友達の名だ。
「うん、落ちちゃったの残念だったな」
「その子ね…試験日程間違えちゃったんだって本来の試験日の2日後に会場に来たっぽくて」
それ以降のことは覚えていない。私はこの際冗談のつもりでやったことが冗談でないと今更ながら気づいたのだ。高校時代は私のやらかした所業がばれてしまわないかだけを考えながら、おびえた3年間を過ごした。大学に行っても、社会人になってもその傷は治ることはなかった。
その友達は噂だと滑り止めの高校を半年でやめてしまったらしい。
あまりの辛さに私はきっとどこかで彼女も彼女なりに幸せに暮らしているはずだと思うようになってしまっていた。
だが、現実は違った。
去年の11月、私は親戚の不幸があったので地元に少しの間帰省していた。その際に違う高校に行った中学の同級生と会って少し話す機会があった。その同級生は友達と家が近く、中学に上がる前は一緒に学校に通っていた仲だったらしい。
私はその嘘をつかれた友達がどうなってるか聞いた、聞いてしまった。
あの後、彼女は退学したのちに精神を病んで今も引きこもってしまったのこと。両親も精神を病み、一軒家からアパートに引っ越したのことだった。
泣いた、ひたすら泣いた。
許されるべきではない、それは分かっている。
あの時、なぜあんな嘘をついたのか、もしかしたら自分の合格の確率が少しでも上がるようにやったのかと言われればそれまでだし、テンションがおかしくなって嘘をついていえばそうだ。
ただ私は悪意のつもりでやったわけではなかった。
その同級生から住所を聞き出し、後日菓子折りを持って土下座したが、友達の両親は冷めた目で私を見るだけであった。2人ともやつれていて生気がなかった。
この謝る日の少し前、私は某掲示板にこのことを書き込んだが、やはり私が悪いとのことだった。そりゃそうだ。スレ民も友達の両親が優しすぎた、普通だったら怒鳴り込んできてもおかしくないと書いている人がいたが、あの様子を見るに怒鳴り込む気持ちすらなかったんだと思う。
ちなみにそのスレは何故か釣り扱いされている。(私に成りすまして嘘を書き込んだ人がいるっぽい)
ただ高校受験を欠席すると高校から中学へ連絡が来るいう情報を見たがそういうのはなかったのだろうか。それだけが疑問である。
なぜ今更書き込んだかというと入学式のシーズンで高校の制服をきた生徒たちが電車に乗り込んで楽しそうに話すたびに耐えられなくなってしまったからだ。
友達はどうしているのだろう、いまもあの暗い部屋で引きこもっているのだろうか。
まず生活の話で、私は人が朝からたくさん来る公園の近くに住んでて、365日人の声がめちゃくちゃある。友人にはよくここ住めるね!?て言われたくらいには本当に騒がしいと思う。大家はちょっと嫌がってた。
そういうのは承知で部屋決めたし普段は元気だなー騒いでても子供だしねー面白い話してるなーてか都会に産まれたこの子たち田舎から上京してきた私からしたら勝ち組でQOLも違うし羨ましい!なんて微笑ましく思ってる。歩いててすれ違う子たちもかわいいし、
でも限度ってある。金切り声みたいなのは流石に無理で、一瞬ならまだしも結構長い時間だとしんどい。あと成長具合にもよるけど外で必要以上に騒いじゃいけないて子育て関係なく普通にマナーとしての躾じゃないのかと。私はある程度ガヤガヤした店での声は許せるけど飲食店で走り回るがどうしても無理。危ないし。学生時代アルバイトで店内爆走した子にぶつかられて周りの客巻き込んで料理ガッシャンしたこともある。あれは今でもトラウマ。
スープストックの件も喫煙スペースとか今までみたいな限定店舗拡大みたいなので分けて棲み分けできればいいのにね。オムツ替えスペース欲しいみたいな呟きもあって、施設内にはトイレあるしわざわざテナントで同じ空間にそれは勘弁してくれ思った。
もう静かな場所にいたいのは店がターゲット変えた時点でこっちが移動するしかないって諦めるし、通ってた人は私も含めて気の毒だなとは思うけど。それを独身を攻撃する為の道具になってるのが嫌。子供がいない女性が幸せ見せつけられて本能で嫉妬とか意味がわからない。子供嫌いじゃないけど別に自分には欲しくない人が普通に割合として多いと思う。だから独身なんだし。子育ての経験が人格になんていうのも子育て面では変わるかもだけど昔自分と同じくらいの年齢の娘がいるお局様たちと上司にいじめとパワハラされた経験あるから関係ないね。別に独身だけが異常者なんじゃなくて独身にも子持ちにもイカれたやつはいて個体差ってだけ。
あと仕事面は出産子育てが身体的なものだから色んな面で差が出ることを前提とした制度じゃないと無理では?と思ってる。
いつもこの話になると将来介護で休んだ時とか年金でお互い様って独身が言われるけど、介護は子持ちだろうがなかろうが親いるし関係ないし、自分達に使われない分の出産とか子供の補助金払ってんだよね税金で。控除も無いし。私はそれを子供産めなくて人口に貢献できない分の支払いとして思ってるんだけど違うの?
プライベートに関しては急病みたいな緊急とかは全然仕方ないねというかこっちも体調崩す時はなるからいいけど、休みを取る際に子供の入学式みたいなイベントは大事なのに独身の遊びに行く予定が蔑ろにされるのは納得いかない。制度的に見たら同じプライベートの用事じゃん。そりゃ資生堂ショックだって起きるよ。
仕事の不平等はいきなり中小は無理でもとりあえず大企業とかで子育て枠の課みたいなのあればいいのでは?子育て中の人同士で仕事回せばそれこそ仕事量とか接客なら土日出るとかも本当の意味でお互い様だし人数足りないなら給料8割とかで少なめの仕事で回すとか。正社員扱いで子供が成長したら普通の部署に異動して元に戻る的な。評価はやってない人よりはやった人の方が出世早くて上なのは当たり前だしどうしようもないけど途中から再スタートできるのはいいかなって。ちょっと理想論気味ではあるけど。
甥姪のこと思うと子育てしてる兄弟偉いな〜私は自分の孫を親に見せられないからありがとうて感謝してるし、この子たちが生きやすい世の中にはなってほしいとは思うけど、じゃあ私ら独身が犠牲になりますね!なんてのは嫌だよ。税金払って幸せになる為の義務果たしてんだから。
ちょっとうまくまとまらなかったけど、どうしてもお互い様なんて無理だし分かり合えない部分だってあるんだから、そろそろ制度や物理で分けてくフェーズに来たんじゃないかなって思ってる。みんなお金がある世界だったら良かったかもしれないけど、子持ちも独身も余裕無いのに感謝と気遣いの気持ちでお互い様!社会で子供を育てようなんて無理だって。
https://news.yahoo.co.jp/articles/96f03821dedaf7d270db7546e41ff7082d083fce?s=06
このニュースを読んで、学校の対応に疑問をもった方も多いだろう。
このケースについて要因を断言することはできないが、似たようなことが以前の勤務校にあったので、書いていく。
まず大前提として、私は既に教員を何年も前に退職し、今は会社員として人並みに働いている。
また、特定されないよう内容にはフェイクを混ぜている。参考程度に聞いてほしい。
某所の中学校。
私が裏口入学の中の人をやらされたのは、新卒一年目のことだった。
私学適性検査(私立教員就活のセンター試験みたいなもの)の点数がかなり良かった私は、偏差値も立地も給与もいい感じの学校に就職でき、担任も任され、まさにこれからといった感じであった。
母校でもなく、地元を遠く離れ、同期に同郷や同大学の先生はおらず、今思うとアウェーではあったのだが、当時は特に気にならなかった。
何より生徒が賢かった。振れ幅は勿論あるが、素直で真面目な良い子が多い。
生徒との関係もおおむね良好で、どたばたしつつ充実した毎日を送っていた。
入試準備の時期になると、作問者に抜擢された。大役である。手当も出る。
隣のクラスの先生にも「新任ではなかなかないですよ、期待されてるんですね〜」なんて言われて、責任を感じながらも喜んだ。
作業は大変だったが、作問も入試も滞りなく終わった。ここまでは良かったのだ。
採点の日が来た。
配点と採点基準は事前に提出しているため、それに従ってつければ良いだけなのだが、なぜか私だけ別室に呼び出された。
呼ばれたのは狭い部屋で管理職の教員が二人おり、私が席につくと一人がドアの前に立ち塞がるように立った。
完全に怒られると思った。問題に大きな不備が見つかったのだと思った。
固まる私に、管理職は「いや〜入試無事終わったね!ははは」みたいな感じで、朗らかに話しだした。
あれ?怒られないのか?と思っていると、管理職は封筒から受験生の回答用紙を一束取り出し、
「ちょっとこの束だけ先に採点してみてくれない?あ、回答用紙に直接点数書き込まないでね」
と言った。
よく分からなかったが、私はその通りにした。
採点が終わると、管理職は点数のメモを見ながら何やら考え込み、おもむろに回答用紙の目隠しを外した。
目隠しというのは、記名欄を隠しているものである。つまり公平性を保つために、採点者から見てどれが誰の回答かわからないようにしているものだ。
私はビックリした。えっ?それ外して良いの?
顔に出ていたのだろう、管理職は私を一瞥すると「あ〜良いから良いから笑」と手を振った。
そして名前を確認して1枚の回答用紙を引き抜き、「これなんだけどさあ」と私の前に置いた。
男の子の回答用紙だった。削られていない、潰れた鉛筆で書いたのか、筆圧が高いのか、凄く太い線をしていた。字は汚い。
記述は必要以上にいらないことまで長文で回答しているものの、覚えてくれば答えられるような一問一答はことごとく間違えていた。
そして、試験時間中に紙をゴシゴシと擦ったのか、ところどころ変に黒くなり、破けていた。
「この子、点低いよね?」
管理職が言った。採点ミス?と思ったが、明らかにこの子の回答には点が高くなる要素がない。
私が黙っていると、管理職が口を開いた。
「この子、この教科が得意科目らしいんだよね、この子が合格になる感じにね…採点基準変えて欲しくて」
耳を疑った。え?何言ってるんだ?と思うと同時に、まずい、この子裏口入学?どうしよう、不正だよな、と思って動悸がした。
しかし、私は自己防衛に走り、適当に返事をして、その通りにした。
その子が合格するような採点基準に変えるというのは、ほとんど換骨奪胎だった。
一問一答の比重は著しく下がり、記述は余計なことを書いていてもとにかく意欲があればOKみたいな感じになった。
同じ束の中でも、点の下がった子がいた。字のきれいな女の子だった。逆に点が上がったラッキーな子もいた。
平均的にはそのままの子も多かったが、私が最初意図した試験とは違う結果になっていた。
そして全体の採点が終わり、家に帰った。
夕飯を食べながら、入試の日に保護者誘導で見かけた女の子のことを思い出した。
本校が第一志望なのだろうその子は、お母さんに抱きしめられ、絶対大丈夫!頑張って!と言われ、お父さんに大きく頷いて、お守りらしきものを握りしめて会場へ向かっていった。
あの子の点が下がっていたらどうしようと思った。
それから合格発表、新入生登校日があり、入学式を経て、新年度の始まりまで、誰にも不正のことは言わずそしらぬ顔して過ごした。
そして新年度、授業を受け持つ生徒の名簿を見た。
ヤバい子だったらどうしよう。しかし、新入生登校日にも入学式にも特に変な話は聞いていなかったので、大丈夫だと思い込んだ。
結果、ヤバい子だった。(以下、Aと呼ぶ)
床に寝る、騒ぐ、叫ぶ、殴る、人を突き飛ばしながら走る、窓から物を落とす、トイレでおしっこスプラッシュ、下半身を露出して女子を追いかけ回す、ゴミをぶちまける、他のクラス(なんと、上の学年にもだ)の教室にいきなり入って因縁をつける、考えうる悪行は一週間でほぼ全てこなした。
授業中も凄かったが、私の教科は自称得意科目なのもありまあまあ真面目に聞いていた。
それでも授業中に立ち上がり、他の子の筆箱を取り上げてぶちまけるくらいのことは平気でやった。目眩がした。
危険な道具を使う技術家庭ではほとほと困り果て、家庭科の先生は泣いてしまった。
すぐに教員のシフトが組まれ、Aくんには常に教員が一人以上つくことになった。私も何度かついた。
前述の通り、素直で真面目な子の多い学校だ。異質な彼の噂は瞬く間に広がった。
面白がる子もいたが、幸い同調する子は少なく、みな教員に協力的で、何か起きると何人もすっ飛んできて教えてくれたが、残念ながらAくんのクラスは学級崩壊に近かった。
担任している子たちには、あのクラスの授業をやってるなんてと哀れまれた。
Aくんの親はどんな連絡をしても悪びれなかったようだ。
そりゃそうだ、裏口入学させるような親なんだし。
Aくんの学年内では、教員も生徒も色々な理不尽があったと思う。
物を壊された生徒は多数。
職員室でAくんの学年の教員が管理職に怒鳴られているのを何度も見た。
教員内で情報共有はなぜかされなかった(生徒指導部ではしていたのかもしれない)が、意外と生徒たちの方が詳しく、生徒づてに色々な事件の話を聞いた。
職員室では、なんであんな子がうちに入ってきたんだという話が頻出するようになった。
「裏口入学なんじゃないか?」と言われるたびにどこからともなく出る台詞が、「でも、実際得意教科でガッツリ点とってるんだよなあ」
冷や汗が止まらなかった。
その内、Aくんがクラスでこんなことを言うようになった。
「ここの理事長は俺の手下なんだ、俺に楯突いたらお前ら退学だからな」
男子は真に受けなかったが、意外と女子が真に受けて怯え、教員への不信感をつのらせた。
たぶん、Aくんの保護者(もしかしたら年齢的に祖父母かもしれない)が家でAくんに言ったのだろう。
不正の結果ヤバいことが起きた人なら分かると思うが、こうなるともう本当に怖くて仕方なかった。
バレる夢を何度も見た。げっそりしている担任に申し訳なかった。何より生徒にバレたらと思うと恐ろしかった。
俺が殴られたのは、私が追いかけ回されたのは、物を壊されたのは、授業をまともに受けられないのは、先生が不正を許したからだと恨まれるのが怖かった。
ここは母校でもなく、地元でもなく、同期に同郷や同大学の先生はおらず、何より忙しすぎて親睦を深める余裕はなかった。
よくしてくれる先輩はいたが、皆裏口入学なんて当たり前だと思っているかもしれない。
先輩たちもみんな通った道なのかもしれない。
今思うと考えすぎなのだが、当時はそんな風に考えていた。
作問担当に決まったとき、「期待されてるんですね」と言われたが、なんのことはない。
どこかにチクるツテの無い私はうってつけだったのだろう。
で、まあこれだけが理由ではないのだが、他にも普通に忙しすぎるとかやっぱり地元に帰りたいとかもあって、しばらくして私は教員をやめた。
先生方とはそれっきりだが、生徒とは今も連絡を取り合っている。
このことを、機会があって母校の恩師に愚痴ったところ、慰められたが微妙に言葉を濁された。母校でもありそうな感じだった。
多少は清濁併せ呑んで働くべきだったのかなと思った。
以上である。
【追記】
本文中に発達障害という言葉は意図して使いませんでしたが、コメントを見ていると逆に良くなかったと思うので追記します。
私はAくんの保護者に会ったことがないので深く触れませんでしたが、裏口入学を依頼する親と受け入れる学校が悪いのは明らかです。
子どもは得てして欲望剥き出しの生き物です、親が提示した裏口入学に分別なく飛びついても責められません。
冒頭に貼った記事の児童も、Aくんも、親さえまともならどこにでもいるただの「支援が必要な子ども」に過ぎなく、これ自体に善悪はありません。
発達障害には天才も含まれるとのコメントをいただきましたが、それは当然として、他の圧倒的多数を占める「平凡な発達障害児」と比べてもAくんの問題は明らかです。
たしかにAくんの障害は(おそらく)重度ですが、この場合は「裏口入学をさせるようなクズ親に育てられたこと」と「重度の発達障害を持っていること」が掛け合わさって問題が生まれています。
発達障害と一口に言っても程度や種類は様々で、それぞれ色々な生きづらさや問題を抱えていると思いますが、Aくんを取り巻く問題はその中でも外れ値です。発達障害全体の話題として捉えられるのは本意ではありません。
また、発達障害の方に、自分もAくんのように周囲を困らせていたのかもしれないと思わせてしまうのも申し訳なく、本意ではありません。
大変だなあと思うから急な子供の発熱も学校行事にも快く送り出していたんだけど。
もうダメだ。
というか、もう嫌になった。
ずっと、本当ーーーーーにずっと、週の半分以上は遅刻、 中抜け、早退。
それも当日に。
いや、仕方ないんだよ。仕方ないんでしょ。
病気は当たり前に子供全員移る、何なら親も感染して、卒業式だ、入学準備だ、面談、送迎、春休みだからお昼は長めに取りまーす、明日は入学式でーと、びっくりするほど業務時間内に来ない。
当然、その人の仕事はこっちに降りかかる。
話し合いの場にそもそも来ないのに、あとからノコノコやってきて「あの件どうなりました〜?」と始まる。
議事録読めと突っ返したこともあったが、読ませても何かと質問してくるのは変わらないのでやめた。
なので配偶者にバトンタッチしてから仕事の続きをするらしいけど、ドシンプルにそんなのフルタイムならやって当たり前なので、わあ夜中に頑張ったのえらいすごいありがとー、とは全く思わない。
当然、夜中でもやっといてくれれば良い事務処理だとか、一人で勝手に進められるような雑な仕事しか任せられなくなる。
じゃこっちは?というと、自分の仕事だけじゃなく、その人を頭数に入れられない分もやるしかない。
そのうえ、会議にいないワーママワーパパ社員に情報連携するために、わざわざ丁寧な補足を議事録に書き足すだとか、口頭でちゃちゃっと話して合意を取りたいのにいちいち個別でメールで聞かないとだとか、地味なコストまで降り積もってく。
いない間の決定事項を教えてる最中に「あ、ごめんちょっと電話が!」と走り去って行ったとき、自分の中で何か目が覚めたような気分になった。
作業再開した自分の元へ、ごめんごめん続きお願い〜と言いながら駆け寄ってこられた時、自分はワーママだとかワーパパだとかいう人間に搾取される側だと自覚したのが臨界点だった。
仮にあったとしても、他人の子供が育つまで長時間労働するのは無理だ。
経営陣からは、いつの間にか部署代表は自分ということにされていた。
全員平なのに、育児中社員への期待値をしれっとこっちにスライドしてきやがったなという感想を持った。
そういう制度にした会社が悪い?無能は会社と上司?ワーママワーパパに言うのは間違い?
そりゃそうだ。会社が悪いよ。
だから辞めることにした。
本人には何も言ってねえよ。
先週だって、Xくん入園式だったんすねー写真見してくださいよーうわ制服可愛い大きくなったすねーとかお世辞言って、最後までニコニコ応じたよ。
去り際、退職理由として会社には文句の一つでも言ってから出ていこうと思ったけど、言ったところで変わらないし、幸い知り合いの会社にツテもあるしでさっさと退職届を出した。
何も言わない増田が悪いって俺がいつ経営陣に現場の不満として一度も文句言ったことないなんて書いた??
それこそずっと言ってたわ。変わってたら辞めてない。
俺だってガキの頃は毎月熱出したし、親というその人を責めても仕方ないからそうはしないってだけ。
ただ、もっと工夫して効率化してくれとか、調子に乗んなとは心のどこかでずっと思ってたんだろうな。
例えば夏休み期間、子供の昼飯ごときのために毎日2時間3時間、本当に使う必要あるのか?前の日にカレー作っとけば1時間で帰ってこれるんじゃ?とか、それこそ電話が鳴るたびに電話優先すんのやめろとは思ってた。こっちの話終わってから掛け直すじゃダメなん?親だからって仕事適当にしていいわけじゃない。
でもそんなん俺たち外野が言っちゃいけない世の中になってんじゃん。
家庭ごとに事情があんだろ、育児にはとっくに創意工夫こらしてんだろ、その結果たどり着いた仕事との両立方法が「会社の風潮にズブズブに甘えて仕事に穴作りまくっても気にしない」なんだろ。
お察しの通り有給ははちゃめちゃに余ってるから、辞めることは消化開始日ギリに育児中社員に伝えてやった。
今まで我慢してきた分、ここだけは明確に悪意を向けさせてもらった。
頑張ってるワーママは沢山いるとか、お前もいつか分かるよとか、社会全体で子育てしようとか、他人の綺麗事は何も聞きたくない。
あの「うちの子が〜」と言われたら何もかも許さなきゃいけない感じ、もう全部嫌だ。
増田に本音書くことすら「ブラック企業容認、子持ちを生きづらくさせるメッセージ」と叩くなら、それこそ「俺にどうにもできない無理難題の責任転嫁すんな、俺の口を塞いで子持ちを生きやすくさせることばっか考えてるから子無しを生きづらくさせてんだろ」と俺は言い返す。
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こんなんバズったのか。
俺が責任感強いからダメ、フォローしないで仕事コケさせろ、もっと手抜いてやらないと〜とか言ってる人。給料下がるの俺だから黙って。
残業代の違法性説いてる人、訴えろと言ってる人、俺疲れたから代わりにやってくれ。
全ての子持ちを一緒にするな分断するなって人。そんなこと俺書いてないけど大丈夫そ?
俺の効率が悪い、会議録画しといて見させれば良いじゃん、子持ちのフォローも増田の仕事なんだからやれよって人。ド正論ごちそうサマデース。じゃあお前が会議録画できるよう経営陣の説得、予算獲得、社内システム構築してマニュアル作成してツールの使い方を全社員に丁寧に教え頭の固い経営層にガンガン申し入れしお前が説明責任負って、お前の考えた最強の組織に改革してくれ。あ、もちろんワーママとワーパパのフォローも手抜くなよ、だってお前の仕事なんだから。
夏休みにカレーは食中毒が心配で作り置きは無理〜!とか例え話通じない人、笑いをありがとう。
自分に読解力が無いだけなのに俺の論理破綻だと思い込んでドヤってる人、サポートが必要そうだから当該の箇所に補足したよ。そうそう、こういう作業で俺は疲弊したんだよなってほっこりしたわ。
子持ちだけどあの手この手で穴作らないように自分は頑張ってるよって人。俺はあんたみたいな人のことは今でも応援してるよ。
最後に退職祝ってくれた人、俺の幸せを願ってくれた人、どうもありがとう。
全人類お互いお疲れ。
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誰も興味無いだろうけど報告しとくな。
何かしら事情のある人、子供がいたり持病があったりはもちろんいるが、だからと言って組織や他人に甘ったれる人もいないし、甘やかす経営者もいない。
子供が熱を出せばスパッと休むし、休んだのだから仕事になってない、だから評価は上がらない。全員それでいいと思っている。
正直、たったそれだけでストレスフリーになるとは思わなかった。俺、例の育児中社員のことけっこう嫌いだったんだな。
仕事自体は簡単じゃないが、やれることもやり甲斐もあり、何より集中して働けるのがデカい。
俺が辞めたのが損失になってそう、とまで言ってもらってたようで有り難い。
損失かどうかは向こうが決めることだが、現場の悲鳴は正直漏れ聞こえているので、役に立ってたとは実感してるよ。
転職して忙しくしてるうちに、育児中社員のことなどどうでも良くなり、俺の中でこの件は終わったので、これを最後とする。
全人類お互いお疲れ。
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message2023_03.html
このテキストしか読んでおらず、聞いたり動画を見たりはしていない。この人も今回初めて知った。
今の学生、特に今東大を合格した人に対するスピーチとしては出来が良くないと思う。前の千鶴子の方が今読んでもだいぶインプレッシブで、メッセージ性も強い。
4月といえば、出会いのシーズンなんていうだけあって、入社式だとか入学式に向かうフレッシャーたちと街中ですれ違う機会というのも多いものですよね。
スーツでピシッと決まってる立派な姿を見ると、他人ではありますが、思わず親の気持ちにもなってしまいます。「あんた、こんな大きくなって……」
嬉しい反面、親元を離れていくことに少し哀しさも覚えます。思わず涙がこぼれてしまうことも。
けど、振り返って、すれ違った立派な彼女たちの後ろ姿、ジャケットのベントの部分をみると少し安心しちゃうんですよ。スーツには不格好な白いしつけ糸。「ああ、まだまだ子どもだなあ。」
10年前、長男の大学の入学式の朝、しつけ糸が付けっぱなしになってるのを教えてあげなかったことを思い出した。いじわるなお母さんでごめんね。「しつけ糸」は親離れしてほしい思いと親離れしてほしくない思いの混ざった複雑な親心が課す最後の試練なのかもしれません。
慣れない革靴で歩きづらそうにしていた長男も上京してもう5年、来月には結婚が決まりました。何歳になっても、家庭を持ってもいつまでも母親でいさせてください。
つまり、アマゾンのレビューを、「ご入学おめでとうございます」をアタマに付けてあたかも入学式でのスピーチかのように演出して、誰が気付くかな〜?ってやってたということ?
心理学では統計が重要だというのは知ってたから、疑問を抱かずによみとばしてたよ…。読みにくいのは講演書き起こしだからだと勝手に納得していたよ…。
そしてアマゾンレビュー見てきたけどのどの部分かあんまりよくわからなかった。元増田の一部をコピーして検索しても、うーん。いつも思うけどアマゾンのサイトもわかりにくいしな〜。
レビューみんなツイッターがどうのこうの書いてあるけど元増田でツイッターって単語出てきたっけ?かなり改変してる?いや、そもそもまだ元増田をキチンと読んでないから…でも読みにくいんだよ…
身寄りのない高齢者 https://anond.hatelabo.jp/20230329152826 を書いた者です。ここ数日は朝晩先生のところに行き、おむつを替えたり水筒にお湯を汲んだりそうめんを茹でて届けたり恨み節を聞いたりしておりました。
コメントで、築50年、1970年代に作られたマンションの様相についてイメージしずらい(しづらい)方がいるようなので書いてみようと思いました。
このマンションは1970年ごろ、23区内の都心ではない地域に建てられた。8階建て、64戸。間取りは3LDK。私鉄の駅から続く商店街を徒歩五分といった立地だ。私は昭和55年、1980年くらいから住み始めた。幼稚園生だった。
小学校に入学するとなったとき、この地域には集団登校というものがあり、そこに参加することになった。マンションの一階のたまりに50メートル半径くらいに住む小学生が集まり、6年生の班長を先頭に行列して登校していた。下駄屋のせがれが班長、レストランのせがれが副班長。スーパーのむすめにはよくからかわれていた。この集団が30人ほどで、うち15人ほどがこのマンションの子供だった。統計を見るとこの区の当時の小学生の数は今の倍で、同級生が5人いた。幼稚園のころ、鉢合わせるといつもいじわるをしてくる「とおせんぼうのおねえちゃん」と私が呼んでいた子が、入学式で同い年だと判明した時の驚きは今も覚えている。親同士も入学式を機に急激に関係を深めていった。それぞれ多様なルーツと職をもつ家庭同士が「同級生の子育て」という繋がりで協力関係を築きはじめた。地元の零細土建屋の社長、理工系の技術者、保育士、共産党員、福祉従事者、学者など様々な職種の親たちだった。仕事の忙しい時は子供をあずけたり、おかずを分け合ったり、土建屋のおやじが釣ってきた魚をさばいて集まってみんなで宴会したり、うちの母が子供たちに勉強を教えたり、醤油や砂糖がないときは借りに行ったりというつきあいがはじまった。そういう関係性は同級生以外の世帯にも波及し、私が成人するまでは本当に長屋のような雰囲気があった。おばさまたちはたくましいコミュニケーション網で、マンションだけでなく地域の情報を過剰に共有していた。マンションが商店街に面していたこともあり、町内で起こったことはすぐに衆人の知るところになるような状態だった。救急車が来ればすぐに誰がどうなったかの情報が回り、火事が起きたら皆が集まり、私が近隣で悪さしようものなら、すぐに母の耳に入るような、そんな街だった。
おそらく80年代はほぼ全世帯が持ち家だった。新築で購入した住人ばかりだった。私の両親も、新築で買った父の弟が海外に赴任になり、譲り受けたものだった。なので高齢者はほとんどいなかった。近所にワンルームマンションというものができたという話が広まり、住民がいぶかしがるような時代だった。独身者はアパートに住み、地元民は一軒家に住み、新興の移民がマンションに住むという構造だったのだと思う。商店街にコンビニやレンタルビデオ店が出現したのは80年代後半だったか。街が進化しているという雰囲気があった。(しかし資料をみるとこの街の全盛期は遥か昔にあり、戦前から駅前には映画館や集会場があり、商店街はその枝葉の脇道にまで飲食店や遊興施設にあふれていたらしい。私が知る商店街はメイン通りだけだ。映画館なんて想像もつかない)90年代後半に私が実家を出るまでは、商店街には勢いがあったように思う。オリジン弁当のはしりのような店で私はバイトしていたし、中規模の本屋ができたり、中古ゲーム屋ができたり、インディーズのコンビニができたり、まあたらしい店舗が次々に出現した。外国人も増えていった。皆が東京の未来を信じていた時代だったのだと思う。
その後私は実家からそれほど遠くない、もうすこし大きな駅で自立する。歴史も規模も地元とは一味違った。そこではじめて都市生活者としての暮らしがはじまったように感じた。近隣に知り合いなどおらず、非常に個人的で閉鎖的な生活がはじまった。恋人と同棲していたのでそんな環境でも寂しさはなく、気楽で自由な暮らしを謳歌していた。文化的な地域だったのでアーティストやら文人やらといった有象無象とのつながりもでき、地元とは違うコミュニティでの生活は心地よかった。新興サッカークラブのファンの繋がりなどもあり、自立して新たな人生をこの地域で歩んでいるという満足感もあった。今思うとJR沿線と私鉄沿線では街の成り立ちが違っていた。どちらがいいのかはわからない。
そんな2000年代。わが地元のマンションは活気を失っていく。子供たちが出て行って高齢化したからだ。私が実家を見切った大きな動機の一つに衛星放送問題があった。マンションの世帯は四方にあり、衛星放送のアンテナを南西だか南南西に向けられる世帯は限られていて、我が実家はどうしても衛星放送が受信できなかった。90年代後半に普及したCS放送を見るためにどうすればよいのかと苦心していたとき、マンションの理事会が開かれるという。私は屋上に衛星アンテナを設置し、各戸に配線することによってどの向きに位置する住人でも衛星放送を視聴できる環境を実現するべきとの議案を提起した。私は住人のおじさまおばさまへ向けてプレゼンしたのだが、投票の結果は否決だった。そのとき、長老のひとりのおばさまの「わたし意味がよくわからなかったけど、反対にしちゃった」というつぶやきが耳に入り、ああもうここに住んでいてはいけないと思った。ここは朽ち果てるのだと本気で思った。この街には何の魅力も感じなかった。若い方には意味が分からない話かもしれない。固定電話でインターネットに繋いでいた時代の話だ。
「マンションの向かいの部屋」という記述がわからないというコメントがあったので、マンションの構造について記す。我がマンションはいわゆる「内廊下」である。エレベーターはマンション中央部にあり、廊下も完全に屋内にある。外から各戸のドアは見えない。ホテルのような構造だ。階段も内部にあり、非常階段だけが外部に設置されている。一階のロビー(といってもたまりと集合ポストがあるだけなの空間)に受付のようにガラス窓の事務室のような管理人室があり、そこは居住空間にもなっている。管理人は住み込みで管理会社が雇っている。部屋の所有者は管理会社だった。初代の管理人は私が物心ついたころにはおじいちゃんだった。気のいいおじいちゃんで、前述した「先生」もこの管理人とは懇意にしていたそうだ。彼が引退した後、何人か後任が変わり、今の管理人は勤続20年くらいか。気さくな夫婦で住民とは打ち解けている。数年前、管理会社の方針で住み込みでの雇用は打ち切るとなったとき、マンションの自治会が自治会費で管理人室を買い取り、管理人を雇用することになったとのことだ。そのときの声明文で「高齢者が多くなっているこのマンションにおいて住み込みの管理人は不可欠」といった文言があったそうで、先生はそれを根拠に管理人に介護を強いろうとしているところもある。管理人はそれを個人の裁量で判断する領域だと主張しており、それに対しては他の住民も管理人に同情的な態度でいる。介護するほどの給料は払っていない。
マンションのふもとには公園がある。サッカーコートくらいの広さに、20メートルほどの高さの木々がぽつぽつとたっている。子供の頃は木々をよけながら野球やサッカーをよくした。さして広くない公園なので、子供の打球でもしばしばボールは柵を超える。超えた先は民家や我がマンションの一階世帯だ。植木や窓や壁を破壊することもある。住人としてはたまらない。子供たちをどなりつけにくる。われわれ悪ガキはそんなこと関係なしだ。ホームランを打つと出てくるモンスターとしか思っていないので、どうやって攻略してやろうかという遊びの延長としてとらえ、慣れてくるとからかったりする。怒り心頭の大人は行政に働きかけ、公園には「サッカー野球等の球技は禁止です」の看板が立つ。そんなものも我々にはなんの効力もなかった。そんな折、被害にあっていた一階の住人である医師の夫人が、先生の師範学校の先輩だったそうで、先生に「あなた現役の教員なんだからここらの悪ガキに説教して頂戴」という指令が下った。先生はしかたなしにひきうけ、我が家に集められた子供たち親たちを前に話をすることになった。先生はそのとき、野球だサッカーだ窓を割るなとかいう話は一切せず、私が教えている学校には、いろいろな子供がいて、それぞれ固有の好奇心があり、自由時間には絵を描いている子もいれば、本を読んでいる子もいる、おしゃべりをしてる子もいるし、折り紙をしている子もいる。子供というのは自由な環境があってこそ成長するものであるという話をしたらしい。私は覚えていないのだが、聴いていた父はいたく感心したらしい。先生にはそういう一面もあったようだ。
たまに実家に帰るたびに衰退し活気を失っていったわがマンションも、2020年代から変化が訪れた。年寄りが死んで子育て世代が移り住んでくるようになった。私の幼少期とは数が違うが、小さい子供をよく見かけるようになった。外国人も増えた。賃貸の住人も増えた。私は離婚しひとり身になっていたところに、父の介護が必要になり再びこのマンションに戻ってきた。父を自宅で看取り、そのまま母との二人暮らしがはじまった。職場も近いし、近隣にはなじみの人々がいて、それなりに快適に暮らしている。スーパーのむすめも今となってはわたしをいじめないし、買い物に行けば談笑くらいはする。先生は最近どうなのという話題は常にあがる。先生はスーパーや下駄屋の軒先で店主をつかまえて延々と話し込むのが日常だったし、出歩けなくなってからは困るとスーパーにも電話してきて助けを請うので、みな戦々恐々としているのだ。なぜ先生のことをそんなに詳細に知っているのかというコメントもありましたが、こんな地域では先生の詳細なくらしぶりなど、個人情報というより災害情報のように扱われているのです。ケアマネもすぐにその輪の中に取り込まれる。そんな地域なのです。
メンタルをわずらい、正気を保っていられなくなったのでずっと引きこもっていた。
会う人といったら病院の先生くらいだったので、見た目でちゃんとした印象を残そうという気が全くなくなった。
それまで女性らしい服を好んでいたが、引きこもってから不思議な無性別な服を着ていて、化粧もしなくなった。
それから2年。
幸いにしてメンタルが復活し、規則正しい生活が送れるようになった。
気力も回復した。
いよいよ社会復帰のタイミングがきた。まずはバイトの面接を受けることにした。
きちんとした印象を見せようと思うのは久しぶりだ。
Youtubeでメイクの流行を調べ、化粧品も新製品を購入した。
メンタルをわずらう前にしていたように、シャワーを浴び髪を整え、メイクをしてアイロンをしたシャツとパンツに着替え、鏡の前で全身を映した。
なにこれ。と思った。
完全におばさんじゃん。
中学生の時の数学の先生を思い出した。おそらく当時彼女は今の私くらいの年齢だったはずだ。
彼女はピーターラビットが好きで、ピーターラビットのスタンプをよく提出物に押していた。
痩せてはいないが太ってもいない、つまり中肉中背だったのだが、おばさんかと言われると完全におばさんだった。
でも本人がおばさんであることに戸惑っているような、納得が行っていないような、そんな印象があった。
まさにあれは今の私だ。
そういえば最近郵便局に行った時、「これはお子様の口座ですか」と聞かれた。
お子様のかどうかを聞かれたのは他の場所を含めてもこれが初めてだった。
確かに小学生の子供を育てている主婦の写生大会があったらモデルができそうなくらい、絵にかいたような主婦っぽさが今の私にはあった。
2年前可愛いと思っていたちょっと良い服は、子供の入学式で着用しそうな恰好に変化している。
愕然とした。
おそらく引きこもっていなければ少しずつ訪れる見た目や雰囲気や扱いの変化を徐々に受け入れていけたのだろうが、2年間引きこもりその機会をスキップして突然変化を目の当たりにすると、愕然としてしまうものなのだ。
でも要因は分かっている。
一番は太ったことだ。
よく考えてみたら私はふつうにおばさんの年齢なのだが、痩せている時はそう言われなかった。
太っていると全てそっちに引っ張られてしまうのだ。
仕方ない、痩せるか。
https://anond.hatelabo.jp/20170206102543
いま家族旅行に来ているが、もうみんな寝てしまったので、缶ビールを飲みながら徒然なるままに思うところを書きつづる。
前回の記事に書いたとおり、当時小6だった長男は中学受験に挑戦し、俗に御三家と呼ばれる男子校に進学した。
それからの6年間、長男は部活に勉強に学校行事にと精を出し(なお恋愛)、仲の良い友人もたくさんでき(なお恋人)、とても充実した日々を送ってくれたようだ。
その高校の卒業式に出席したが、決して厳かとは言えない雰囲気。
いちおう詰め襟の標準服が制服ということにはなっているが、入学式以外で着ることはほぼなく、体が大きくなっても作り直したりはしないので、制服を着ている生徒は一人もいない。
ほとんどは親に借りたと思しきスーツだが、中には普段通りのカジュアルな格好もちらほらいるし、奇抜な格好をした目立ちたがり屋もいる。
その全てが許されている。
後で長男に聞いたところ、一人はネタだが、他はトランスジェンダーらしい。
彼ら(彼女ら?)の勇気には敬服するし、トランスジェンダーの問題に限らず、素の自分を臆することなくさらけだせる環境、校風を作り上げてきた学校と生徒たちを賞賛したい。
生徒たちも何かというと「自由」を声高に叫ぶ。その一方で責任についてもしっかりと言及するあたり、なかなかしっかりしているな、と思わされる。
ただ自分が卒業した関東の公立高校もそれほど変わらない程度には自由だったし、この学校が果たしてそこまで特別なのかどうかは分からない。
「自由であらねばならないという不自由さ」に囚われているような気がしなくもない。
ともあれ、校則はないし、制服も(実質的に)ないし、髪を染めたり休み時間に校外のコンビニに行ったりしても怒られない(らしい)。
最近ネットで高校生のやらかしがSNSで拡散され退学処分になるニュースを聞くが、たぶんこの学校では同じことをやっても退学になることはない。
退学させてしまったら、更正のための指導・教育ができなくなってしまうではないか。
高校が勉強を教え、その出来を評価するだけの場であればそれでよいのかもしれないが、この学校は「人間を育てる」ことをとても重視してくれていた。
先生方はとても熱心で、生徒たちの将来を非常によく考えてくれている。
PTA役員を2年間務め、校長を含む先生方とも様々な機会で交流させてもらったからこそ、自分もそれを実感できる。
卒業アルバムを開くと「この学校に6年間通えてよかった!」という長男のコメントが書いてあった。
今となっては長男がこの学校に通うことになって自分もよかったと思う。
卒業式から一週間後、受験した大学の合格発表があり、第一志望の「東.*大学」に合格した。
ソフトウェアエンジニアにはおなじみの正規表現というやつでぼかしたが、面倒なので以下「東大」と略すことにする。
この東大というところは、多くの人にとって特別な意味を持つ大学のようだ。
老衰で死にそうなばあさんや、鬱で生きる気力のなくなったじいさんでさえ、東大合格を伝えると笑顔を見せて喜んでくれた。
実際、長男はよく頑張った。鉄なんとかという塾の宿題にもしっかり取り組んでいた。
しかし自分は田舎の公立中高から塾にも通わず、東京のとある国立大学に進んだ身だ。
大学入学後、御三家校を含む都会の私立高校出身のやつらから聞く高校生活には、自分のそれとは全く違う華やかさがあった。
全国から集まった同級生の中には、自分には理解できないくらい裕福な暮らしをしている者もいた。
こちらは築数十年の4人部屋学生寮に月5000円で住んでいる。
寮生活は楽しかった。何なら人生で一番楽しい時期だったかもしれない。
しかしそれはそれとして、都会育ちのエリートや金持ちにはある種の妬みや反感を持っていたのは否定できない事実だ。
それから30年。
よりにもよって自分の息子が、当時の自分が妬んでいた側の人間になってしまった。
合格した夜、そんな複雑な気持ちを抱えながら、こんなことを伝えた。
「お前はよく頑張った。それは誇っていい。でも周囲の環境に非常に恵まれたことは忘れるなよ。お前と同じくらい素質があったがお前ほどには環境に恵まれなかった人は全国にたくさんいる。決して自分が人よりも偉いだなんて思うなよ。」
もう自分が父親として彼に教えられることはそう多くは残っていない。
自分は次男にも中学受験を勧めはしなかったが、長男がそういうルートをたどった以上、そうなるのは必然だった。
小3の冬のある日、次男が「塾に通いたい」と言い始めた。
反対する気はないものの一応「何でだい?」と尋ねてみる。
ウソである。本当は学校の仲の良い友だちが通い始めるからである。
しかしこんなことを言われて、長男も通わせておいて、ダメと言えるはずもない。
次男は別に勉強ができなくはないし学校の成績も良いのだが、中学受験という競技においては長男ほどの才能はなかった。
そして今は第4志望くらいだった学校に楽しそうに通っている。
偏差値の高低は重要ではない。次男にとってはその学校が合っていたのだと自分は満足していた。
ちょっと面食らったが、もともと大学は海外に行くことを勧めたい気持ちはあったので、それがちょっと早まるくらいだと思い了承することにした。
日本人が通えるアメリカの高校は、基本的には全寮制のいわゆるボーディングスクールというやつになるらしい。
でも本人がやる気になっている今になって、やっぱりダメとは言えない。
ここはもう腹をくくることにした。
そして留学エージェントの力も借りて、先日めでたく合格をもらうことができた。
ところでアメリカの高校は4年間あって、1年生から入るには日本の中学3年の秋からアメリカに渡る必要がある。
つまりいま通っている私立中学を中退してアメリカの高校に入学する。
なので、もしホームシックをこじらせて志半ばで日本に帰国するようなことになると、日本における最終学歴は「小卒」になってしまう。
まあ本人はネタとして面白い、とあっけらかんとしているので、それほど心配はしていない。
1ヶ月前に勤めていた会社を辞めた。
ただ何もしないととことん堕落しそうなので、シニアタレントオーディションというのを受けてみることにした。
最近は団塊ジュニア向けの商品やサービスの広告モデルや、テレビの再現VTRなどで、40代以上のシニアタレントの需要がそこそこあるらしい。
そしてめでたく合格した。
4月から3ヶ月ほど演技のレッスンに通うと、タレントの仕事を紹介してもらえるようになるらしい。
まあ入所料やレッスン料を支払わないといけないので、最初は習い事みたいなものだ。
そういうビジネスだと思えば、たぶんお金さえ払えれば誰でも合格できるのだろう。
タレントになるのが早いか、ITエンジニアとして再び働き始めるのが早いか、将来のことは自分にも分からない。
妻も職場の資格試験に合格したらしいので、一家全員合格祝いの家族旅行になった。
それにしても海外に来ると、円安と長く続いた日本のデフレを痛感する。
タレントとして成功しない限り、次回はちゅうちょしてしまうレベル。
以上、深夜のワイキキビーチより。