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2017-04-20

大東建託分社化って

建築サブリース管理・入居募集区分けを鮮明にしたってことですか。地場不動産業者に入居募集をお願いしていたのを、これからはなるべくダイレクトでやるという根こそぎ儲けてやろうという作戦ですよね。さらサブリース案件証券化フィニッシュですね。わかります

2017-04-15

日本人の大半は努力自由も嫌い

努力っていうのは短時間低労力で効率的に同じアウトプットするように仕組みを変えていく事だ

長時間労働とかブラック企業での仕事に耐え忍ぶのは努力じゃない

仕組みなんか変えたくないんだ

上司からの指示を、属性区分けされた役割を、直接反論はせずに、嫌々ながらもこなしていくだけがいいんだ

反論はしないが、愚痴は言いたい

ずっと愚痴だけを言い続けたい

世の中が悪いのは、中国韓国在日外国人生活保護者や悪いって事にしておきたい

愛国ポルノを見て、日本SUGEEEEとか言いながら、それでも自分未来がないのは社会的弱者が狡賢しい利権を持っているからだと怒りを募らせるだけで過ごしたい

自由なんか欲しくない

自由努力したい奴らには必要なのかもしれない

でも自分以外の狡賢い奴らのメリットしかならない自由なんかいらない

こっちは努力なんかしたくないんだ

国や会社の言われたことを、黙ってこなして、裏で愚痴をひたすら言い続けたいだけなんだ

自由やら努力やらを望んで失敗したら、とたんに責任が振りかぶる

責任なんか取りたくない

言われたことだけをやっているだけでいい

どうせ未来は暗いんだし、余計な事は何も考えたくないんだ

なあ、そう思わないか

2017-02-27

http://anond.hatelabo.jp/20170227143902

貰える人もいるし、障害者手帳は級で区分けされてて3級でも手帳持ってれば電車免除されたりする

2017-02-23

男女差別を巻き起こしてるのは体力テストでの男女の区分けだ!!

ここから無意識差別スタートする

2017-01-29

久しぶりに銭湯に行った

久しぶりに銭湯に行った

注意書きに「体をじろじろ見る、触る等しない」ってあったけど、昔からこんなんあったっけ?

これも昨今のLGBTの風潮かな、いずれは銭湯区分けが男女じゃなくなる日もくるのかな

2017-01-22

夢じゃないけど」という前置き-夢小説が好きです-

夢じゃないけど」という前置きについて

最近よくツイッターを見るようになって、審神者やぐだ(これを夢でなないとする派閥も居ることは知っています。ですが私はオリジナルキャラであると考えているため、このたとえを使いました。)

の話を見ていると、「夢じゃないけどキャラクターに○○したい、されたい」といったツイートをよく見るようになったと感じています

また、先日バズっていた、「夢作品は見るけど自己投影をせずカプ的な目線で見たい」といった発言を拝見しました。

個人的感覚として、夢小説あるあるタグや、自己投影なんておこがましいなどの無神経な、よくそれを鍵なしで言ったな!突っかかられても絶対被害者面するなよ!よろしい、ならば、な発言により、夢はどうにも「昔のもの」「黒歴史であるという認識から抜けれていないように感じ、それはなぜなのかということについて考えてみたいと思いました。

個人感覚・疑問をもとにして書いているため、偏りや誤解などがあるかと思われます

どうしても捨て置けねえ、こういう考えもあるんだよ、というご指摘はありがたく拝見していきたいと考えています

夢が黒歴史扱いされがちな理由として、一つ目に

キャラ×自分などというおこがましい、キャラクターにふさわしくない自分なんかがキャラクター恋愛ができるほどの立場にない」

という気持ちがあるのかなと思いました。

これは、自己投影や夢と腐について紛議する際にリツイート先やリプライなどで個人感覚吐露しているものを読んで感じた点です。

別にその卑屈になった自意識を救ってあげたい♡だなんて思っていないです。他人妄想の中ですら自己投影なんて恥ずかしいものだという価値観をおしつけて平然としていられる傲慢さは抱いたままそこに居て出てこないでほしいと思います

ただそれを公開アカウントで言って突っかかられたときに悪気はなかったとは言わせないからなという

次に、「自己投影は恥ずかしいもの」という意識がなぜか根深く残っているのではと考えました。

冒頭に述べた、「夢じゃないけどキャラクターに○○したい、されたい」「夢作品は見るけど自己投影をせずカプ的な目線で見たい」という発言について、こちらで感じたのは

「なんでそれ夢じゃないと思うの?夢じゃだめと思う理由は?」です。

個人感覚についてつっかかることの不毛さはわかってるけど、夢だと思ったものが夢でいいと思うけど

審神者騒動ときにあった「創作審神者夢じゃないからたかないで」に似た悲しさを感じたというか

腐の界隈で「夢じゃないけど」の接頭語をつけないということは、「自分キャラクター恋愛がしたい身の程知らずの恥ずかしい人間であるという烙印を押されると恐れているのではなんて勝手想像している。

自己投影しているかしていないかなんて自分でもわからないような状態の人はたくさんいると思う

それなのにこうも自己投影を締め付ける発言が広まるとしんどい

そもそもどうして自己投影しているかしていないか自分の中でケリをつけなければならないかという

投影しているかしていないか、そんな踏み絵みたいなクッソくだらない基準二次創作フォルダ分けをすることが一番くだらない。


最後に、何度目の指摘かわかりませんが、あまりに夢界隈を知らなすぎるというのではという推測をしています

夢小説とは何かと考えるきっかけになった記事を紹介させていただきます

http://makun0uch1.hatenablog.com/entry/2016/11/26/222114a

結論というか願望としては、自己投影しているかしていないかという区分け撤廃と、夢に関しての無神経発言が許されるような風潮がなくなったらうれしい。

二次創作に貴賤はないと私は思います

2016-12-20

というか女性向け漫画って男性向け漫画と比べて対象年齢の区分け曖昧すぎる気がする。

花ゆめとマーガレットってどっちが対象年齢上なの?みたいな。

2016-09-28

http://anond.hatelabo.jp/20160928005843

いやでも、そういうふうに「金がすべてじゃない、金より大事ものがある!」っていう増田だってアメリカの子供のために毎月の給料の8割を寄付したりしないでしょ? (2割でさえアフリカの大半より富裕層に当たるわけだけど)。

そういう指摘に対して「国が違うじゃないか!」と反論するのならば、それはもちろん国が違うけれど、その種の「金を払わないために相手自分カテゴリ所属が違うのだ」という理屈なんて、いくらでもわいてくるよ。国じゃなく、性別でも、年齢でも、居住地でも、資産額でも、何でもいい。

もしそういうカテゴリじゃなくて人類平等人権倫理問題だというのならば、世界人口の上位5%以内に入る日本人としての富と収入生活犠牲にしてボランティアすべきだし、そうでなくカテゴリ所属のなかでの公平を叫んでいるだけなのなら自分恣意的区分け押し付けるのと同様、他人恣意的区分け押し付けられるべきだ。

日本左派が周囲をまったく説得できないのは結局上記のような理屈のなかで「俺にもっと金や利権をよこせ」以上の説得力ある話を展開できてないせいだとおもうよ。

2016-09-15

長嶋有「愛のようだ」感想

長嶋有の「愛のようだ」を読んだ。

感想を言う相手も書く場所もないので、ここに書くことにする。



作中で言及されている通り、登場人物が"ちゃんと疲れる"ロードムービーだった。

その手口は「水曜どうでしょう」に似ている。

どこで読んだか忘れたが「水曜どうでしょう」の面白さを分析した文章で、

「あれは出演者の"疲れて何をやっても面白い状態"に視聴者を巻き込むことで成立している」

的なものを読んだことがあるが、それを思い出した。


水曜どうでしょう」ばりの徒労と混乱とハイテンションを経て、"疲れているか面白い"、ではなく、"疲れているから感じ入る"。

作中一番の盛り上がり。第四話のラスト、「愛のようだ」という詩的(俳句的)でストレートで派手なタイトル言葉を、

語り手の友人がそのまま呟くという凄い場面。

ここは語り手も読者も、道中で疲れているからこそ、「愛のようだ」と、感じ入るのだ。



ところで、この作品の帯には

"大切なものを失う悲しみを、まっすぐに描いた感動作。"

"最初最後の「泣ける」恋愛小説"

という、なかなか凄いコピーが載っていたが、なるほど作者の「感動的な恋愛小説をちゃんと書こう」という気概を感じる作品だった。


まり主人公(=語り手)に好きな人がいるけれど死んでしまって悲しい話なのだ

世界の中心で愛を叫ぶ」であり「ノルウェイの森なのだ

こうやって書くと何だか馬鹿にしているような感じになってしまうが、

何と言うか、本当に「主人公好きな人がいるけれど死んでしまって悲しい話」をちゃんと書いているのだ。


作家が「主人公好きな人がいるけれど死んでしまって悲しい話」を書くことが

どれほど恥ずかしい(照れ臭いことなのかわからないが、

その恥ずかしさから逃げることなく、と同時に読者が引いてしまわないよう配慮して、

手続きを踏んで、抑制の効いた方法で、その「悲しさ」がきちんと書かれていた。

とてもかっこいいと思う。


前述の友人が「愛のようだ」と呟く場面は、とても感動的でポジティブで素敵な場面だった。

が、そこで語り手はあくま第三者で、言ってみれば読者と似たような立ち位置だった。

友人が愛のようであることに気付く場面に(第三者的に)立ち会ったその余韻が残るエピローグで、

死んでしまった好きな人から最後メッセージを受け取る。

それは、映画の「ニュー・シネマ・パラダイス」を彷彿とさせるような、チャーミングで切ないメッセージなのだが、

そこで語り手に訪れる悲しさは、とことん「当事者になれなかった悲しさ」なんだと思う。



それと、この小説を語る上で外せないのが、全編通して大量に登場する固有名詞だ。

漫画アニメテレビCM映画、J-POP(歌謡曲? その辺の区分けがよくわからない)といった

サブカルチャーポップカルチャー(この辺の適切な総称もよくわからない)から引用べらぼうに多い。

作者は、以前からエッセイ小説内の固有名詞の使い方について論じたりしているし、

というか、そんな前情報がなくても一目見て明らかなくらい大量の固有名詞意図的意識的に使っている。


これが、例えばキン肉マンを知っている人に「ほら、キン肉マンだよ」とサービスするための符牒じゃないことは明らかで、

じゃあ何のための引用なのかと言ったら、キン肉マン自体を書きたいわけではなくて、

「会話の中ですぐに"そういうの"を引用する人(達)」を書きたかったんだと思う。(当たり前か)


世の中やら自分やらを見て把握して語るときに、ごく自然漫画登場人物ポップス歌詞

重ね合わせがちな人が(特にある世代以下には)たくさんいる。

それは、ふざけているわけでも遊んでいるわけでもなくて、その方が断然実感があるからだ。


フィーバー状態伊勢神宮に願掛けに行く、っていうふざけたような言い方なんかも、

切実な思いを実感のこもった正直な言葉で表した美しい祈りの言葉なのだ

長嶋有が描くそういう言語感覚は、読んでいて楽しいし、時にとてもぐっとくる。



最後に、この小説長嶋有にしては珍しくとてもマッチョ小説だったと思う。

「この人のこと女だと思ってたわ」作家で上位にくる長嶋有だが、

「愛のようだ」に関しては、知らない人が読んでも男の人が書いた小説だと思うんじゃなかろうか。

2016-09-04

一郡一村、一郡一町について

郡という区画にはもうほとんど意味はない。かつての地名を留めんとする意識や、○郡A町、○郡B町……と何となく似た感じかな的にまとまるのがせいぜいと言ったところだ。まあそれでも区分けという点では役割果たしてはいる。

問題は一郡一村とか一郡一町ってやつだ。例えば長野県下水内郡栄村とか北海道日高郡新ひだか町とかな。こいつらが何をしたいのかわからん。一々下水内郡と書かせなくてもいいじゃないか長野県栄村シンプルでいいじゃない。報道でもそんな風に伝えてるじゃない。何でゴテゴテつける?5文字じゃさびしいの?

新ひだか町なんか見てごらんよ。静内郡静内町三石郡三石町2006年合併して日高郡新ひだか町。それまで使っていた郡名への思い入れすらない。なのにわざわざ郡つける。1回言えば日高ってわかるのに繰り返すなんて馬鹿か。北海道新日高町、これでいいだろうよ。

2016-08-13

日本は昔から階級社会なんだけれども

ハイソサエティハイソサエティ向けのインフラの構築コストケチって

底辺込みの通常インフラに一緒にぶら下がってるから攘夷10%がカリカリちゃうことになるんだよね

一緒にぶら下がるから貧乏人に混ざって生きざるを得なくなる

まぁ厳然たる区分けをしてしまうと下層民がamazon配送料500円のところ同じ荷物ハイソサエティ向け配送業者に運ばせると送料50000円を

下層民が1000円カットしてるのに同じぐらいの手間で髪を切るのにハイソサエティ向け理容師100000円のお支払いをいただくような感じになるけどね

ここで同一労働同一賃金とか言い出すようなのは経営者には向いてるかもしれないがハイソサエティの住人には向いていない

2016-07-12

ハイファンタジー」の定義をめぐる問題

小説家になろう」のジャンル再編の影響で、「ハイファンタジー/ローファンタジー」の定義について議論になっている。



ジャンル変更のお知らせ || 小説家になろう



問題の原因は、「ハイファンタジー」の定義が、「異世界舞台としたファンタジー「異世界歴史文化が作りこまれ重厚ファンタジーとに分裂している点にある。特に後者定義採用している人物が、Web小説ライトノベルファンタジーを指して「あんものハイファンタジーではない」と発言し、周囲の反発を招くことが多い。以下、便宜的に前者を「舞台」派、後者を「重厚」派と呼ぶ。



まずは「小説家になろう」の定義を見てみよう。ジャンル改編に際しての説明の中で、「なろう」の運営は「ハイファンタジー」を以下のように定義している。

ハイファンタジー

現実世界とは異なる世界を主な舞台とした小説

ローファンタジー

現実世界に近しい世界ファンタジー要素を取り入れた小説

まり舞台」派である。異世界転移系の扱いについて当初は混乱があったが、「主な舞台」が異世界であれば、異世界転移系でもハイファンタジーに分類するのが、「なろう」基準では妥当だと思われる(実際に多くの作品がそう分類されている)。



次にWikipediaを参照しよう。

ハイファンタジー (High Fantasy) は、ファンタジーサブジャンルの1つ。「異世界ファンタジー」と呼ばれる事もある。

独自世界観歴史もつ架空世界(異世界)を主な舞台とし、現実世界(の直線的な歴史風俗)とはかかわりが薄いのが特徴の物語で、ロー・ファンタジーと対比して使われる語句である。明確な定義ではないが、

どうやら「舞台」派の定義採用されているようである

ただし続けて、

本稿では主にハードファンタジー視点とした内容を記述する。

として、「その世界に生きる者や世界の成り立ちそのものから作られている」「作品傾向としては重厚」「シリアスなトーンで進行する」「叙事詩エピック)的である」「勢力の壮大な対抗をテーマとする」などの特徴が挙げられている。「重厚」派にも配慮した記述と言えよう。また、異世界転移系はハイファンタジーに含めないことがあるとも書かれている。



英語版Wikipediaも見てみよう。筆者に英語力は皆無なので誤訳もあろうかと思うがご容赦願いたい。

High fantasy is defined as fantasy set in an alternative, fictional ("secondary") world, rather than "the real", or "primary" world. The secondary world is usually internally consistent, but its rules differ from those of the primary world. By contrast, low fantasy is characterized by being set in the primary, or "real" world, or a rational and familiar fictional world, with the inclusion of magical elements.

ハイファンタジーは「現実世界」とは異なるもう一つの架空世界を描いたファンタジーとして定義される。異世界の内側には一貫した法則性存在するが、それは現実世界のものとは異なっている。対照的にローファンタジーは、現実か、もしくは現実に近い架空世界の中に、魔法的な要素が内包されるという点で特徴づけられる。

やはり「舞台」派であるハイファンタジーにしばしば含まれる特徴的な要素として、「特別な才能を持った主人公」「ビルドゥングスロマン」「善と悪の対決」「エルフドワーフゴブリンドラゴンなどの種族」「魔法使い」「人工言語」などが挙げられている。また異世界転移系もハイファンタジーに含められているようだ。「重厚」派の一部には、「エルフゴブリンが出てくるようなゲーム的なファンタジーは(始祖たる指輪物語を除いては)ハイファンタジーとは言えない」とか、「善なる英雄が悪を倒すというようなファンタジー(いわゆるヒロイックファンタジー)はハイファンタジーではない」とする者たちも存在するが、英語版Wikipedia記述は彼らの主張とは異なるように思われる。



ちなみに英語版Wikipediaが「High Fantasy」の命名者として指定しているLloyd Alexanderのエッセイ「High Fantasy and Heroic Romance」(1971)はこちら。

High Fantasy and Heroic Romance

読めねえよ。なんか神話的な側面を強調しているっぽい。



実際に「ハイ=異世界」「ロー=現実世界」が明確に定義されたのは、R.H.BoyerとK.J.Zahorskiによって編纂された「Dark imaginings」(1978)の序文によるらしい。

舞台」派の用法が、ごく最近になって現れたものではないということが分かる。



もちろん、これをもって「重厚」派が完全に否定されるわけではない。

辞書的な意味の裏には「ローファンタジー」的な物語に対する差別的ニュアンスがあったのかもしれず、それは最初期の用例を詳しく調査してみなければ分からない。

ただ、いずれにせよ「ハイ=異世界」「ロー=現実世界」という区分けをしたほうが、より明確で、より平和であることは間違いないだろう。



追記。

ハイファンタジー」「異世界ファンタジー」を巡る問題についてはこちらも参照のこと。

『ロードス島戦記』は異世界ファンタジーではない……のかもしれない。 - 前島賢のラノベ以外

2016-06-17

認定厨気持ちが一分もわからんチラ裏

自分関係のない他者認定暴言を投げつけて一体そいつはなんの得をするのか。

まして認定拒否されるとしつこく攻撃する特徴が大体の認定厨の行動だったりする。

そこで若かりし頃にレッテルを貼りたがっていた自分をよく思い出してみると、自分の弱さゆえに許容できないものをバッサリ分別するために決めつけてたような気がするんだよね。

それは自分意志があるから切り捨ててるんじゃなくて、自信の無さの裏返しとして切り捨てててる感じ。

そうすると整理されたような気がして当人はすっきりすると思ってんだけそ、どこかでいつもわだかまっている。

整理されないのよ、そういうのは。自分自身もやもやして区分けできないから切り離したいと考えているだけで。

もちろん粘着してきたりする奴に真摯対応を見せる必要性もないけど。

嫌いなものに対して存在してる事自体勝手にすればいい、という感覚がないんじゃないかと。

存在を許さない感じになっちゃう。まあ、実際気持ち悪い奴に当たると瞬間的に死ねって思うけどね。

後でどう感じるかが大事



からなんだけど煽り屋の気持ちも一分もわからんね。

ファーストコンタクトで人をバカにするという品性のなさが理解できないし、まずはその人物を知ることが多分大事なんじゃないだろうか。

一発目の印象が最悪なやつだっている。物腰が丁寧なフリして笑顔が嘘っぱちで胡散臭かったり(このタイプ理解できない)、威圧的空気を出してるのに言ってることはオブラートに包まれていて相手を圧殺するタイプもいる。

そういうのは理屈じゃなくて感覚的に拒否していいだろう。

だけど少なくとも文面のやり取りにおいて開口一発で煽る、おちょくるという心理がわからない。

一種病気かよほど卑屈なのかのどちらかだろう。



で、この文面も多分絡まれる予感アリアリ。一昼夜やり通せる人だけ絡んでね。

2016-05-28

ウヨサヨリベラルときっちり区分けできると思ってる人たちとは会話ができないし

区分ける以前にレッテルを貼りたい人は昨日の味方を今日の敵にしていることに気づいたほうがいい

2016-05-25

http://anond.hatelabo.jp/20160524144116

なにが言いたいのかわからない

「会見に来たフランス宿泊業界団体代表規制に胡坐かいて質の低いサービス提供してただけの

 自由競争普通に淘汰されようとしてるだけの自業自得さん」

てこと?

小粋な文体にするまえに要点をわかりやすくしてくれ

ちゃう

民泊の不都合な真実とかって題名フランスから来た業界団体の話が出てるけど、

はてブのコメント違法ホテル(闇ホテルってネーミングはエエな)前提の人が多いから書いたんやで

最初からあの会見理解できた人には不要やで

要点は「あのフランス人が言ってたんを理解するには、日本フランスでは前提が違うっちゅうのをおさえとき」やで。



日本の「民泊」で要点書くの難しいんやで。

なぜなら報道がゴチャマゼだからや。

流石に消防庁あたりはクリア検討してるけど、それも防火とかの観点で整理できるからやで。

フランスのオッサン無視して、「オレの考える要点」は、4つあるで。

  1. ホテル業界への圧迫
  2. 防災公安上の問題
  3. オリンピック特需(&今後の観光需要
  4. いまある「規制緩和民宿」との整合性

ホテル業界への圧迫

これは、前のエントリで書いたけど、もっと要点絞るで。

ワイのとっ散らかった文章から要素を拾ってくれた手腕に期待して細かく言うと

  1. ツーリストホテルビジネスホテルに、いまは明確な区分けはない
  2. ツーリストホテルを探す人(旅行者需要)のうち、相当数がシェアリングエコノミーに流れる
  3. ハンパな立ち位置ホテル廃業する

フランスの流れはコレ。

日本だと、前提となる「違法ホテルを潰す」部分でモタモタしてる。罰金もとらんしな。(だからより悪いわけやが)

家賃が高くなるとかってのは、元々宿代も賃貸代もAirbnb無関係に上昇傾向だったってのは押さえとくべきやな。

防災公安上の問題

防災はほぼ火災対策

オレが言うより消防庁資料見ると一発なんやが、

http://www.mlit.go.jp/common/001111881.pdf

日本災害が多いので、すでにして民家やマンション結構ガチガチ規制がかかってる。

なので、「息子の出てった部屋を旅行者に貸すで」なら、消防設備は基本不要

マンションも、現状で結構しっかりしてるから不要ですわ、みたいな見解

たぶんこれからポイントは2つで

(例えば、日本人は寝タバコすると死ぬってしっかり刷り込まれてるが、外国の人はどうだ?)

実は築浅のマンションは、かなり安全なんやで。

公安テロ及び感染症の追跡

外国行くと、入国審査で何しにどこ行くか聞かれて、ホテル泊まる時パスポート見せるやろ。

旅行者ガッチリ追跡が、基本やで。

これが違法ホテルに潜伏されると追跡できなくて困る。

シェアリングエコノミーでも宿帳おけやってのは、コレの話やな。

ホテル通報逮捕とか多いやろ。それをどこまで民泊に求めるか、やな。

オリンピック特需(&今後の観光需要

モメる筆頭がコレなんやが、だいたいこんな感じ。

コレおっそろしいことに、基本増やす方向で話進んでる。

防災OKで、追跡OKだと、周辺に説明会とか無くてもゴーになりかねないのよね。

課税周りとかちゃんとしといたほうが良いと思うんだけどなあ)

いまある「規制緩和民宿」との整合性

アグリツーリズモとかグリーンツーリズムとか聞かへんか

ざっくり農業体験型民宿なんやが、これ規制緩いんやわ。(農林漁業体験民宿業)

それと賃貸の変形版な。一週間以上貸すタイプ

あと、法律で網かける時に問題になるのが、花火大会とかの一時的民宿扱いな。

反復継続して業としてやらんときは、自宅提供現行法上OKなんやで。

この辺とのまあ、棲み分けやな。

特に農林漁業体験民宿は、Airbnbに何年も先行してんのに、あん流行ってないしなぁ……

何が言いたいかというと

フランスからきた代表者は、まあ、恨み言主体だが、エエコトは言っとる。聞くべきや。

ただ、ジブンらはナンモ変えんと、生き残りたい!言うんは、ちとムシがエエとは思う。

日本場合は、違法ホテルオリンピック特需合法化するんは、ヤメるべきや。

防災公安、衛生、全部ワヤクチャなるからな。法律があっても違反取り締まれからや。

シェアリングエコノミーは、既存農業体験とかと上手いこと融合させる方向にいかんかな、と。

ずっと家に居る定年後のオッサンオバハンが、部屋を貧乏学生旅行者に貸すのは、エエことやと思うからや。

まあ、一番言いたいのは「投資目的違法ホテル開業したいヤツ」を潰して、

シェアリングエコノミーで、観光需要を満たす」方向に行って欲しいってコトや。

シェア全面押しで、実態違法ホテルってのが一番マズイが、分けて理解してないとミソもクソも一緒になるからな)

蛇足

増田に書いたのは久々やから、指摘はもっともだと思ったで

遅なったし読んでくれるか判らんが、サンキュー

2016-04-13

絶賛派の負のエネルギーを和らげたい②

http://anond.hatelabo.jp/20160413011057

正負のエネルギー

負のエネルギー対義語は正のエネルギーなのでしょうか。

正のエネルギーとは必ず正しいエネルギーたりえるでしょうか。仮にそうだとしても絶賛派の持つエネルギーはそれにふさわしいものでしょうか。

恐らくそ根拠としては何事も賛美することや推進することこそが正のエネルギーだという思想なのでしょうけれど、悪事や間違いを推進することは正のエネルギーと呼べるのでしょうか。悪事や間違いを批判することも負のエネルギーなのでしょうか。

そしていきなりそのような立場に立ってしまうと、議論する物事善悪や正誤の考察をする前提をすっ飛ばししまっているように思われてしまます。そしてそのような所に絶賛派ラブライバー宗教的だとか、盲目的で妄信的だと呼ばれる所以があります


また、そもそも私的体験の話をすれば、アニメ1期の時点では自分アニメの内容の嫌な部分に目をつぶりながら作品全体の動向をポジティブ応援しようとしていたのです。しかし2期以降、先述のように作品展開の裏切り汚染が加速拡大していくのを目の当たりにし、目を覚まして絶望するしか無かったのです。


絶賛派の大多数は初期作品群を否定していません

とありますが、肯定をしている様子も殆ど見受けられません。ただ踏み台として蹴落とされるべき歴史としての存在を認めているだけに過ぎないでしょう。先述のメディアミックス理論の持ち出し方にもそれが現れているように思います

アニメ版を叩くだけの負のエネルギーを注ぐのでなく、自分の好きな初期作品の素晴らしさをポジティブに語るべきでしょう。


自分の好きな作品を褒めるために他の作品を叩く行為は忌み嫌われることを増田もご存知のはず。増田が良いと思うものポジティブに語る事で初期作品への注目も上がるのではないですか?


アニメ版を叩き貶める事で初期作品が注目されるのでしょうか?むしろその行為ラブライブ!作品群の全体を貶める行為となっている事実に気づいてほしいのです。

と、絶賛派ラブライバーは最終的にとりあえず批判する奴が悪なんだという方向に持っていきたがります。そこがアイドルヲタクというよりジャニーズヲタク的で、女々しく感じます

また、批判への批判ですら批判であることや、何かを肯定する時には別の何かの否定を孕んでいることが多いことも留意しなければならないように思います

恐らく全てを好みの問題で済ませられると考えているか脳天気に、表立って批判する奴が悪いと言えるのでしょうが盗作問題などをはじめとした不可解な部分、問題があると指摘した部分を深く検討していただけないと原案派への本当の理解や同情は難しいと思います

悪い所があったり、悪いことをしていたりしてもそれを批判することは悪いことだという考え方にはぞっとするものがあります。まるで盲目的な自分達を認めてほしいから目を覚ますようなことを言わないでくれと言っているかのようです。

ただ単につまらない、嫌いというだけで批判しないで済む状態であれば態々大きく批判しなくていいかもしれませんが、そのような甘く生温い状況ではないことを2期以降に強く痛感したのです。その内容の説明は既に先の記事でも今回の記事でもしていますが…。

それと、乱雑な感情論理から導かれる暴力的な賛美や批判と、真摯感情論理から導かれる賛美&批判を一まとめにして考えることはナンセンスだと思います

そのような指摘をみても、やはりアニメ劇場版ラブライブ2013年以降の作品プロジェクト全体は、積み重ねや面倒臭い決め事を破棄して、表面的で浅いつながりで結ばれた妥協馴れ合いの間に合わせで叶えた物語好きな人に支持された作品だったんだなと思えてきます

好きだからこそより高みを目指したい、好きだからこそ勿体ない部分を指摘する、批判するという発想がないのでしょうか。ラブライブはもはや好きとはいいがたい作品に成り果てましたが、自分は好きな作品でも問題のある部分については批判します。好きだからこそ正直で誠実に向き合いたいからです。その点の行動をするかしないかについては好みで問題ないとは思いますが。


 あえて単純化して例えれば、ピカソキュビズム絵画に対して『もう少し現実に合わせてもいいんじゃないか』と主張するくらいナンセンス議論なのです。

この点は先述のレストランの例えで説明しましたが前提のズレがありますラブライブ場合、写実画というには写実的から程遠く、キュビズムの方向に傾かせたというには写実的すぎるという半端な状態です。それがいいといえばそれまでですが、それが悪いといえばそれもそれまでです。

そしてそれらが地味で不規則な所を見ると、ただのミスなのではないかという気がしてなりません。また、ラブライブ芸術作品という意味ではキュビズム絵画と同じでも一枚の絵でも一つの彫刻でもありません。ストーリー作品キャラクター作品物語なのです。さらにあのアニメ内でも『みんなで叶える「物語」』などと言ってしまっています

まりラブライブという作品キャラクター性や物語性の描写の在り方について審議されるのは当然ですし、ましてやそれを無視してしまうだけでなく、無視して見る方が正しいかのように主張する態度は、作品評価をする上で致命的な怠りがあるように思います


 増田の観たかったものは、キャラクター内面リアルに掘り下げたドラマ。誤解を恐れずに言えば、スクールアイドル版のアイマスじゃないのでしょうか?

アイマスといっても色々ありますが、本家アイマスシンデレラガールズ(一応双方アニメのとしておきます)などはアニメラブライブよりはともかく、物語性などについても、キャラクターが多すぎることや、原作主人公であるプロデューサー存在が軸となりすぎていることもあって内面の掘り下げについて理想には少し遠い面があります。またアイマス原作ギャルゲー風の育成ゲーム芸能界作品ですし、そのような物語性やキャラクター性などの部分への描写を前提する要素がラブライブより少ないことがその部分において許されやすい部分はあるかもしれません。

ただ、アイマス声優などの外部のネタキャラ作品に持ち込む二次創作的な風潮がラブライブより強く、そこが支持されてもいますがそこは自分にあまり馴染まない部分ですし、そこはラブライブには真似してほしくなかったのですが結果的追従するように似たような道を歩んでいってしまった印象があります

それでも、アイマス原作ゲームであるという絶対的な軸があり、キャラクター的にもその区分け比較大事にしているので、ラブライブよりはファン棲み分けがしやすくなっているように思います

自分ラブライブ応援する以前にアイマスが好きだったのですが、アイマス2騒動距離をとるようになりました。あれも作品公式運営への不信感を感じる騒動でしたけれど、その後アイマスは先述の区分けのおかげでなんとか致命的に沈み込むことはなく持ち直していったように感じています。また、当時のファンの多くが大きく問題視して糾弾したのも現状に対して盲目的で内容に興味があるのか疑問を抱いてしまラブライバーの多くとは違う点でしたね。あまり高く評価するつもりはないのですが、結果的にはアイマス場合ファン意思がある程度「プロデューサー」として作用し反映されたおかげかもしれません。

対して、ラブライブに期待していた広い意味でのコンテンツの在り方は前回の記事http://anond.hatelabo.jp/20160330020728言及した通りですが、そこでも述べた通り、ラブライブというプロジェクトファン意思存在を「みんな」の中から排除したものだったという気がしてなりません。


京極監督花田さんは物語性の軛からラブライブ!を解き放った。漫画小説では表現できないアニメならではの特徴を最大限利用してアイドル表現したのです。

アニメならではの特徴を利用したとしても、アニメでも表現できることを怠りすぎていたので批判されていることも考えていただきたいように思います

物語性を「軛」と表現していますが、それは致命的な配慮の怠りで思い上がりですね。絶賛派は似たようなことを言うのである意味信頼できますが苦笑します。

別のとある絶賛派の人はキャラクター描写について批判する人をキャラクター至上主義ダメ批判したりしていますが、裏を返すと絶賛派は表現至上主義なわけです。

また、キャラクター性や物語性の描写の拙さを批判する人達別にアニメ表現演出のあり方を否定していません。

対して絶賛派はあの表現演出さえあれば物語性やキャラクター性の描写不要だ、ない方がいいくら否定的に捉えているわけです。表現演出をそれらの免罪符のように扱っているのですから

しかし、先述の例えのようにシリーズアニメにおいて表現演出というのはキャラクター物語性の拙さを打ち消す免罪符に足るものではありません。

まあメタ的に、「アイドルアイドルファンというのは実はこんなに狂気的で下らないものだ」というのを、アニメ全体を使って表現したというのであれば、それはある種のテロリズム芸術として評価できるかもしれません。

そういうものオリジナル作品勝手にやったのであればそういう作品性面白い有意義だと手放しでいえた可能性があったと思いますしかし、元々の作品の指針としてコンセプトが違う原案存在する作品を預かりながらそれを行い、それらを生かしたとは到底言い難い状態にある作品となったので好き嫌いを超えた善悪問題批判しているのです。

現実的であったり表現主義的であったりする要素を作品にあってはならない要素だとは思っていませんし、何度もいうようにそこを特別批判しているわけではありません。

せっかくのシリーズアニメ作品で、物語形式だったのですからそのような最重要の部分を十分生かして欲しかったのです。

そして批判派の多くは勝手ミュージカルをするなとか急に踊り出すなとかいうのを言っているのではなく、そのような表現主義的な意図があるとは思えない単純な所でもただのミスではないかというような違和感を抱く描写があり、その点への指摘や批判すら絶賛派が、全ては芸術的表現からそれでいいんだというように無理矢理擁護してしまうためにうんざりしているのです。

仰っているような表現方法などに特化しただけのものでいいのならオリジナル作品や、またはそれこそ、PVだけ作っていてくれればよかったと思います

それに対して「いやあの形のアニメからいいんだ」と主張する場合理由は、おそらく知名度が上がりやすく人気が出やすからでしょう。

確かにラブライブというコンテンツは人気が出て欲しかったですし、知名度さえ上がれば元のままで高く評価されることが可能なポテンシャルは十二分にあったと感じていましたが、絶賛派が表現主義的に評価するアニメを、あの形でアニメ化しなければならなかったとする根拠を考えると、人気が出た作品ファンを名乗りたいという表面的な所に帰結していくように思います

今となってはアニメ化せずに人気が出なくてもアニメPV付きシングルがもう何曲も出ていた方がただのファンとしてなら幸せだったなと感じます

表現方法などが優れているとしても、前の記事でも言ったようにかつての作品の在り方とそれらの表現手法などは両立できたでしょうに、最初からしない道を選んだことを批判しているのです。

また、それがオリジナリティに溢れていたならまだしも、元々の原案に沿うことを拒絶しながら他の無関係作品は平気で参考にして適当になぞらせるようにストーリーキャラクター設定を(前回の記事説明したような)稚拙配慮の下に歪ませてしまったことが甚だしく受け入れがたい問題点なのです。

2016-03-11

命の軽重、何で決めます

すべての命は別け隔てなく大事ではないが、その評価基準は実務能力だけで測られるべきではない。

より穿った言い方に変えれば、人間性を実務能力として評価してエゴグラムのようにグラフ化すればいい。

しろこれによって完全に価値のある人間価値の無い人間がはっきりと別れる。

実務と人間性両方のパラメータが低い水準であった場合、その人物は大切な命に該当しない。

水準は段階式に分け、各カテゴリで最も秀でたものは他の分野の数値が低くても大切な命として法的に保護される。

こうした考え方は努力などの後天的価値よりも先天性によるところが多いため、皆後天的実務能力の方を磨かざるを得なくなる。

後天的に獲得した性格先天的性格区分けできることが前提。



で、こういう息苦しい社会自分にとって理想かどうかといえば、

ちょっと前の自分なら支持していただろうが、今はしんどいのでパス

でも命の軽重を現実で問うならこうなるほかない。あと容姿とかも加算対象になるので、ここも不公平を生むだろうしね。

2016-03-09

ラノベ文学はある程度区分けできると思う

元増田の言うことには一定の理解を示したい。

ただし賞の傾向を考えても角川で純文をやりたいなんて考える人は多分少ない。

からあのサイトに対しラノベ以外の人は反応しなかったんじゃないかと思う。

その前提はあれど、ブコメおかしいのは本当だ。

じゃあラノベってなんだろうと明確な定義なく考えてみた場合(※)、映像作品に寄せて作ったもんじゃないかと思う。

それらには概ねこういう特徴がある。

id:shinichikudoh ラノベSFミステリ等のジャンル分けもできるから一般小説との境界線曖昧だ。アニメ風のイラストがあればラノベだと考えたら活字だけのネット小説ラノベじゃない。イラスト次第では純文学すらラノベたりうる。

えーっと、この人は何をいってるのだろう。定義破綻している。

SFミステリ分化ができる上に綺麗な扉絵付きなら漫画ラノベなっちゃうし()

※多分ラノベ定義文学定義も「明示」できない。その場合前身であるソノラマを考慮する必要性が出てきて、文学と照らし合わせるとなると膨大な情報量になる



http://anond.hatelabo.jp/20160309211821

2016-02-20

http://anond.hatelabo.jp/20160219235608

「(規制に賛成する)マトモな男」「(オタクコミュニティの)異常な男」こんな主観的区分け自明の理としているお前の方が陵辱ゲームよりずっと怖いわ。

負の感情を抱くもの規制して良いのか

http://anond.hatelabo.jp/touch/20160219013645

まとめサイトで取り上げられたこともあって多くの意見が寄せられているこの話題だが、このエントリーの筆者(以下筆者)の考えはおよそ普通女性(筆者が本当に女性かは、そもそも釣りかもしれないとかキリがないのでさておき)が陵辱という言葉に対して抱くであろう普通の考え方だと思う。

さて事の発端は女子差別撤廃条約の定例報告会が2月16日に行われたが、この条約批准状況を検討する同条約委員会から今回の報告会のテーマの一つ(しかまとめサイト見出しにあるような筆頭扱いではなく実際の質疑項目としては7番目)として女性に対する性的暴力を伴うビデオゲーム漫画販売を「禁止」することを求めたものが波紋を呼んだことだ。

まず念頭に置きたいのは、この委員会には安保理決議国連総会のような権限は無く数多ある国連関連機関のひとつに過ぎないことと、国際的批判だとかの重々しい話ではなく委員会を構成するのは各国から選ばれた弁護士など専門家であって国家代弁者が集う場ではないということだ。

また定例報告会とあるように日本けが特別に呼びだされて叱咤されたのではなく、直近ではアイスランドスウェーデンを含めた数か国が同様に報告会を行っている。

そして日本においてはゲームマンガの話だけでなく雇用年金での男女格差など複数の議題があったものだ。

この委員会がどういうところに突っ込むかを言えば、アイスランドに対しては最高裁判事が男性しかいない点や強姦事件での有罪の少なさを指摘する。スウェーデンに対しては割礼と強制結婚の防止に関するデータの提出を求めるなど、一見してかなり細かい。つまり女子差別と見なせるものは手当たり次第とも言えよう。


話を戻そう。政治的には無視できないものの影響力は微々たるもので昨日と変わらぬ明日が来る程度の見解というのが今回の報告ということになり(国連の威を借りたい各種団体はいるが)しかしこういったことをきっかけに色々と考えるのは良いことだ。

冒頭リンク先の話はまさにそうで、ひとまずリンク先筆者の意見を要約すると以下のようらしい。

妄想自由だけど、形にして世に流通させるのはまた別だよ。そんなもんはせめて、裏の世界で超高額で売買するか、無償でひっそりとやり取りしてほしい。

その理由は、そういった表現まで法で肯定されていたら、怖くて、不快で、侮辱的で、女性の名誉を毀損されてると感じるから

被害者が、実在する特定の属性を持っていること」「その属性を持っている存在を、その属性を持っていない存在危害を加えること」「加害行為がその作品のメインコンテンツであり、その描写によって快楽・興奮を得ることが目的に作られている」この3つが揃った時、その作品は表現の自由の範疇を超えてしまう。ゆえにそれなりの規制はあってしかるべきということ。

中略省略は挟んでいるが概ねこうだ。特別意見という感じではなく、ごく普通感覚と言えるだろう。

しかしこのような普通感覚とされるものが本人が想像しない危険性をはらんでいることに注意したい。

その事を踏まえて、このエントリー意見していきたいと思う。


表現の自由日本において既に制限下にある。

憲法保障されている表現の自由だが、古くはチャタレイ事件わいせつ定義が成され、公共の福祉のためにならわいせつ物の規制は妥当であるとされた。つまり公共の福祉に反しないということが表現の自由大前提にある。

近年でそれを強く受けているのが松文館事件で、成人向けマンガにおける消し処理の甘さを指摘したものだが、どのような成人向け作品もいつ告訴されるかわからないしされれば有罪は免れないことを改めて認識させられたものだ。

わいせつ対象は変わる

定義のものは変わらないが社会の変化とともにわいせつ要件合致するかは変わる。チャタレイ夫人の恋人しろ悪徳の栄えしろ現在文庫化され気軽に手に入る。つまり今現在悪だとされたものが数十年先にどう判断されるかはわからないのだ。無論、今は悪だとされれば裁判にかけられれば有罪になることに変わりはない。

気持ち悪いから規制するのではない

怖くて、不快で、侮辱的で、女性の名誉を毀損されてると感じるから表現規制されるのではない。公共の福祉に反するから規制されるのであって、法的には代表的なのはわいせつ図がに当たるから違法となる。誰かが不快からという理由規制してしまうことは表現のみならずあらゆるもの違法としてしまえる危険な考えであり、この先も健全な法の精神がある限りそれは守られるだろう。

規制ではなく禁止しかない

先述したようにあらゆる成人向け作品は現在でもいくらでも禁止できる。だがそれは陵辱物に限ることではないし、また販売を特定の書店に限るなどの規制ではなく違法出版物として流通そのもの禁止することになる。いくら筆者が「全面禁止しろよ」とは言ってないとしても、法で規制しろということは即ち禁止しろということになる。

ゾーニングでの対応

現在は法ではなくその下の条例単位で成人向けとそうでない作品が分かれている。先述したように作品のジャンルではなく性的表現のものが法的に重要なのであって、陵辱も純愛もそこには関係ない。この手の話は東京都青少年健全育成条例改正や児童ポルノ法改正などで過去に各所で散々出尽くしているが、行政出版社もすでに作品のジャンルではなくもっと大きな単位での区分けがされている。コンビニで成人向け雑誌が他の雑誌とは別に置かれているのはそういう理由だ。

こっそりやれよという話は

コンビニ雑誌の表紙やスマホ広告に載せるなよという筆者の言葉には、最近コンビニにおける成人向け雑誌の表紙に女子高生が~という似たような話題があったと思う。これに関しては出版社広告代理店などが対応する問題であって難しい。スマホに関しては広告表示に関する設定やアプリを導入する自衛策があるし、コンビニ雑誌についてはコーナーが明らかに区分けされている以上、不快なら見るなというほか無い。存在自体不愉快だというのであれば、それは行き着く先はやはりそういった出版物のもの禁止するべきだという論になるだろう。なにしろ全てのコンビニや書店から撤廃され特定の小さな通販サイトしか買えないとなって筆者がそれに満足したとしても、世の中には筆者より恐らく強力で熱心な団体存在する。今回の女子差別撤廃条約委員会見解についても各種民間団体が絡んでおり、そもそも今回の見解では規制ではなく女子に対する性的暴力ゲームマンガの廃止を求めている。筆者は廃止された所で安全安心な世の中が得られるだけだろうが、それは当初のこっそりやれという目的から外れているが、筆者は何ら疑問の声を挙げないだろう。結局は自分不快ものを消し去りたいだけと言えてしまうのだ。そうではないと言うのなら、ならば筆者は禁止すると法が言い出した時に「そこまではしなくて良い」と声を上げられるだろうか?

特定の思想から直すべきか?

そりゃいろんな嗜好があるから、中には、対象を虐げたり傷つけたりしないと駄目な人もいるかもしれないけど、それって異常者か精神疾患ではないの?病院行けよ。

筆者は最初には嗜好と言いつつ特定の嗜好については健常者ではないとしている。性的嗜好というのは千差万別だがある種の思想を持っている場合は矯正するべきだ、というのは他者に対する尊厳を踏みにじる行為だ。50年前のアメリカならば白人に逆らう黒人矯正するべきだとなるし、50年前の日本なら夫に逆らう妻は矯正するべきだとなる。いずれもその時代には当たり前のことであり、しかし現代人から見ればひどく差別的だろう。だからといって他者を傷つけるという行為が50年後に許容されるとは思わないが、しかし現代でも黒人差別亭主関白を頭の中で考えることを誰が違法にできるだろうか。

特にこれは性的嗜好という、教育思想などと違い本能に関わる難しい問題だ。法では正しい性道徳という考えがあるが、これを基本にして正しい嗜好を持つように義務付けられるような世界が筆者は望ましいのだろうか。無論、そんなことになれば事態は正しい性道徳に限らず、正しい社会規範や正しい労働者など、あらゆる面で模範的で優秀たる人間性を義務付けられるのは想像に難くないが、まさか筆者に都合の悪い趣味嗜好だけ消える世の中になると考えるほど筆者は愚かではないだろう。

いずれはこうした性的嗜好も脳機能の解明によりそのプロセスが明らかになるだろうが、まだ犯してもいない罪に対し犯罪的思考を消し去ることを是とするならば、それは個々の人格倫理的かつ道徳的操作しても良いということであり、当然筆者もその対象として正しい真人間にされる覚悟はあるだろうか? 少なくともこの筆者には、他者人格一方的精神疾患と判定するという独善的思想治療する必要あり、と判断されるのではないだろうか。

筆者もまた女性から視点だけ

現実的に、女性が男性に性的虐待を加えるというのは、①腕力・体格差があるので〈無理矢理〉が成立しにくい。②女性が見ず知らずの男性をいきなり襲っても、反撃されて傷つけられる可能性が高く、現実の犯罪率から言っても一般の男性にとってリアリティが無い。③むしろやってほしい、多少痛くてもご褒美、という嗜好の男性も散見される。

まず①に関しては、近年強姦罪が男性被害者適用されないことが問題視されているように男性の女性から性的被害については筆者のような「ありえない」という考え方が男女ともに強いので泣き寝入りするケースが女性性的被害より深刻であるさら女性被害者のような支援も充実していない。②も同様だが、犯罪率という観点について指摘がある。犯罪における男女比は細かく分けるとだいぶ違うが、総じて女性が20%ほどである。無視できるほどの数字ではなく、具体的には平成26年の殺人犯967人のうち227人は女性である。これをリアリティが無いという数値とは言えないし、また最近ではデートDVに関する大阪での調査女性から暴力を受ける男性が倍以上の率であることが明らかになるなど、暴力で女性が敵わないからリアリティが無いというのは例え話の喩え話にしても筆者の知識不足である。③にも関連することだが、筆者自身陵辱系ゲームマンガに対して怖くて、不快で、侮辱的で、女性の名誉を毀損されてると感じるから規制して欲しいと語るのに、ならば男性の性的被害者に関してはとなるとリアリティの無さやあろうことか一部の男性は好むからという理由で蔑ろにしている。

このことから

他の属性に対する一方的な暴力や虐待だってもちろん良くないし

もちろんLGBT凌辱だってアウトだよ

などの言葉に一切重みを感じられない。

筆者が女性として一般的な恐怖を感じるのと同様に、また筆者は女性として男性に対する陵辱などに想像が及ばないし世の男性が実はBLゲーム表現に恐怖しているかもしれないなどという考えもない。故に男性に対し筆者は、思慮が足りないなどということは出来ず、陵辱ゲームに対する意見自身嫌悪感からの消し去りたいという個人的要求が第一であると知るべきだろう。

筆者の定義表現の自由を犯す理由にならない

被害者が、実在する特定の属性を持っていること」「その属性を持っている存在を、その属性を持っていない存在危害を加えること」「加害行為がその作品のメインコンテンツであり、その描写によって快楽・興奮を得ることが目的に作られている」

を筆者は規制されるべきものとしている。二番目でちゃっかり同性愛物を省いているのはわざとか天然かはさておき、いずれもどうとでも解釈できるものであり、極めて危険極まりない規制理由である

まず第一の

被害者が、実在する特定の属性を持っていること」

被害者という言葉について、そもそも創作表現上の被害者とはなんだろうか。作中で犯罪被害に遭う存在だとして、それを現実の法で守れというのはナンセンスな話だ。大体被害者定義はどうするのか。家が燃えたら家は被害者から作者は建造物放火罪になるのだろうか。人間だと限ってもその属性は幅広い。誰かを殺せばその人物の役職大統領から実在する特定の属性になるから規制だと出来てしまう。性別に限らず年齢も服装人種も、なにもかもが属性である以上、そもそも創作表現で一切の犯罪被害者は出せないことになる。ミステリーでも刑事物でもだ。

第二に

「その属性を持っている存在を、その属性を持っていない存在危害を加えること」

は、これこそ差別的だ。男性が男性を殺すのは良いが男性が女性を殺す表現は駄目だとか、それに属性定義が難しい。男性同士の殺人であっても片方が日本人で片方がアメリカ人なら属性を持ってないから規制対象だろうか。双子であっても服が違うから駄目だとか、どうとでも言える。

第三に

加害行為がその作品のメインコンテンツであり、その描写によって快楽・興奮を得ることが目的に作られている」

これもまたどうとでも解釈できる。大体だ、その描写によって誰が快楽・興奮を得るのかが不明だ。推測するに筆者にしてみれば病的な嗜好を持つ読者なのだろうが、表現規制より悪質な思想規制がここにある。なにしろ読者が興奮すればすべてアウトにできるわけだが、虫オスがメスを組み伏せる交尾の動画に興奮する人間がいたらそれはアウトにできるのだろうか? アウトに出来るのならこれほど馬鹿げた話はないが、出来ないというのならそれは筆者の嫌悪感に基づく趣味嗜好の篩分けを是とする危険な考え方だ。「普通の人は虫の交尾に興奮しない」を後者定義としてセーフの条件にするならば、同様に「普通の人は陵辱物に嫌悪感を抱くので興奮しない」と出来るのだが、そこを捻じ曲げてアウトにしたいならば「こういうのに興奮する人がいるから」や「これだけは例外」など法に頼らない独善的判断でなくてはならない。

恐怖は抱いている限り消えない

仮に筆者の希望通りに陵辱物といえるもの規制され目につかなくなったとして筆者は満足するだろうか? 一時的には満足するかもしれないが、まず一度自分の願いが達成された万能感と高揚感、そして正義感は覚え続けることだろう。そしてそもそも筆者は女性性的対象とする作品に目をつけるだろう。なにしろ成人向け作品そのもの性的にかつ男性向けとしてあるならば、当然そこに映る女性純愛にせよ男性にとって都合の良い女性に違いない。それを筆者は不快だと言わないでいられるだろうか、それとも女性現実味のない都合の良い存在として描かれておりそういうのを好む男性がいるのだと不快を覚えるだろうか。私はきっと次の規制対象に選ぶだろうと推測する。

そうやって限りない規制を繰り返しついに女性性的に取り扱うことも差別的に取り扱うこともない輝かしい作品ばかりになったとしよう。筆者はようやく安堵するどころか、さら不安を募らせるのではないのだろうか。なにしろ事の発端はそういった陵辱物を好む男性がいることであり、そこに恐怖や嫌悪を覚えていたのであるたかが創作表現描写されている行為にすら嫌悪していた筆者が、果たして我慢できるだろうか。

人格改造か、去勢義務化か、男性の隔離か。筆者は妄言だと笑い飛ばしたいだろうが、筆者の考えの行き着く先はこうなのだと私は言いたい。筆者がなにかに恐怖を抱き続ける限り、目に見えなくなったからといって安堵することはないし、対象を滅ぼしたとしてもまだ生き残りがいるかもしれないと恐怖し続けるだけだ。

表現の自由規制に都合の良い制限などない

程々で良い、少しで良いなどという考えは行政や国といった単位に上がった時、当初の理念とは大きく外れてさらに巨大な制限となる。最近児童ポルノ法改正で様々な規制への波及を危ぶむ声が出ていたのは、つまり個人での裁量によるあれは良いこれはダメという基準法律存在しないということだ。

最初の話になるが、女子差別撤廃条約委員会は陵辱ゲームマンガの「禁止」を求めている。これを錦の御旗として掲げ、その通りだと禁止を呼びかけることはできるし、この先にそういった団体が動くことは目に見えている。だがその禁止が成った時に、一つの創作表現が失われることに筆者は恐らく何も抱くことはない。むしろ嫌悪するものが消え去って小躍りしたくなるだろう。だが筆者の語る所の病気である嗜好の持ち主たちは悲しむだろう。そんな奴らが悲しんだ所で筆者は何も困らないが、しかし筆者が趣味嗜好とするものが何らかの形で規制を受ける時、彼らは味方することはないしむしろ仕掛け人かもしれない。

筆者は自分が悲しむ対象になるようなことは無いと思っているだろうが、表現の自由に手をかけるとはそういうことだ。たか創作物というもの負の感情根底とした規制をかけられるということは、創作物以上に影響力のある現実的存在にも同様に手をかけられるということだ。筆者が好む筆者が健全で正しいと思う存在が、誰かにとって不快で汚らわしい存在でないと言い切れるだろうか?

目を瞑ることが肝心要

自身自由でありたいと思うのならば、他者自由も許容しなければならない。それは現在のこの国において公共の福祉という最低限度の規制を受けるが、それ以上に自分自身負の感情理由とする個人的要求を、同様の理由合致した他者と共謀して排除しようという試みは慎むべきだろう。現実に犯罪を犯せば処罰される。逆に言えば犯罪を犯さないかぎり自由であり、それを無理矢理に犯罪者に仕立てあげて住み心地を良くしようなどという考えを持つならば、あなたもまた誰かに犯罪者として告発され自由を奪われることを許容しなければならない。

世の中には不快と思えるものが多くある。しかしそれをすべて排除して生きたいというのは無理のある話だし、かといってすべて許容するのも無理な話だ。

しかコンビニ雑誌の表紙が不快ならば、あなたは見ないでやり過ごすことが出来る。Permalink | トラックバック(3) | 09:02

2015-12-27

http://anond.hatelabo.jp/20151227022037

世の中には、町で唯一の販売店がコンビニという場所もあるから、一概に一律規制は難しいんではないだろうか。

ただ、うちの近所のコンビニは、売ってないところもあるし、売ってても成人コーナーの区分けをして売っている。売る店舗規制なのかもしれんな。

これこそPTA本領発揮。まだ小学校未満だったとしても、近所の小学校PTA相談してみたら?

2015-12-16

http://anond.hatelabo.jp/20151216033210

ノースカロライナ州の税法に詳しくは無いけど、

発電所がtown limitsの外側、extraterritorial sectionsに位置するので、町は税収を得られない(※訳者アメリカ法制度に疎いのでどういう意味か分かりませんでした)

これ、アメリカだと(特殊な州を除いて)一般的な話だと思うよ。



知ってるかもしれないけど、アメリカは以下の枠組みで区分けしてる。

CountryがUnited StatesStateがNorth Carolina、CountyがNorthamptonで、TownがWoodlandね。

市や町の隣が即他の市や町になる日本には生まれなかったんだろうけど、

町と町との間がなんにもないので、郡っていう行政区分管理してるわけね。

(郡と契約して行政サービスアウトソーシングしてる市もあるから、郡と市との関係上下というより区分けね)



よく映画なんかで街の看板が出てたりすると思うんだけど(ラスベガスへようこそ的な)、あれが市境ね。

それで普通はCity limitsとか言うんだけど、その境界の枠内は、市や町の権限が及ぶ、とされてる。

アメリカは大抵の州で市や町の権限が強くて、いろいろ決められるわけね。

から、town limitsの内側なら課税規制が及ぶ。



から、ウッドランドの町境の外なら、当然治外法権(町の権限が及ばない)ので、税収は得られない。

なので、発電所資産税をノーザンプトン郡に直接納税する形になるはず。

知ってる限りでは、ノースカロライナ州でも地目変更なんかは所有者と直接交渉するハズで、たぶん「郡管轄土地を、町が所有している」という状況なんだと思うよ。

別に珍しい話じゃなくて、管理外にしとかないと面倒だからとか、歴史的な経緯で近所の土地持ってるとか。日本でも役所保養所とかあるよね)

消防訓練云々も、一番近所の消防署がウッドランド町だってことかな。治安維持はたぶん郡の仕事



まあ町の持ってる土地をどうする?って話で、近所にデカ発電所とか作んないで欲しいなあ税収も増えないし、という話じゃないかな。

ルート66とか有名になったけど、すぐそこに見える距離で新しい道路ができたら、ほんのチョットズレてる町がガッツリ寂れるのもアメリカだし。

ピクサー映画Carsの寂れた町に、町保有の近所の土地太陽光発電所立てさせてくんないかな、と大企業がよってきたイメージで大体あってる)

個人的には感情論だとは思うんだけど、ちっちゃな町で近所に巨大施設出来そうなのをイヤだというのはわかる。

地目変更に町が絡まない)郡の土地だけで発電所建てちゃおうと思えば出来るとは思うけどね。たぶんしないんじゃないかな。

グーグルマップで見ても緑豊かな郊外な感じだし、まあ植生にダメージ与えるからだっていう人が出てくるのはしかたがないんじゃないかなー

2015-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20151204172500

エロコンテンツを見たくない人の目に触れさせないことが必要、ってのがあって、その対策としての区分けゾーニングって呼んでるんじゃん。

マーケティング用語ゾーニング拡大解釈して…、なんてあり得ねーだろ。

どんな思考回路してんだ。

http://anond.hatelabo.jp/20151204171642

ゾーニング自体は「区分け」でしょ、文脈によって意味するところは変わるし、今はそういう意味で使ってるの

2015-09-24

http://anond.hatelabo.jp/20150924213406

いやお前、

何かを罵る文脈で「高卒」を使えば高卒人達不快な思いさせるのは当たり前じゃねーか。



つーかな、

大学なんつっても多すぎるからお前みたいなガイジレベル発達障害児まで大卒になってしまう。

括りが大雑把過ぎるから偏差値学校ステータスでもう少し細かく区分けして欲しい。

俺等の大卒マーチ以下の大卒駅弁クラス大卒

最低でも3ランクぐらいは区分けが要るだろ。

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