2024-01-10

難癖をつける習慣

テレビネット賞賛されてる人や団体、賞賛されている活動があったら粗を探して難癖をつけたくなる。

というか強迫観念的に「何か悪いところ探さなきゃ!」ってなって必死になって弱点やボロを探し出してそれをコメント欄やここで指摘するんだ。

それに対して賛同者が現れた瞬間のドーパミンがすごい。

俺には信念とかは一切ないんだと思う。

この前は取り組みが賞賛されて表彰もされていたフリースクールを知って、休日返上必死に粗を探して不祥事を探し出してそれを指摘した。

この前はドイツ環境保護団体とそれを母体にして世界中政界進出しようとしてる政党の粗を必死に探し出し「エコビジネス」であり「将来世代のための活動ではない」という論理構成した。

とにかく賞賛されたり、正しいとされたり、良いこととされたりしている物事が許せない。

最近能登ボランティアとか募金も許せない。

原点は小学生中学生の時にあると思う。

俺は声が小さかったし聞こえるような声で歌うのも恥ずかしかたか合唱祭ではいつも口パクで「お前声出てないよ」と先生同級生から指摘され怒られた。

体育祭では必死にやればやるほど遅くて不恰好でダサく格好悪く見えるから手を抜いてたら「何やってんだよ」と肌の黒い同級生の男たちから詰られた。

うるせえばか。一生懸命走ったりボール投げてもお前らみたいに様にならないんだよ。笑われるだけなんだよ。お前らみたいに格好良くて速い走り方ができたり、見てて惚れ惚れするようなフォームや動きができるなら俺だって頑張るわ。

やりたくもないことをやっているのにその上なんで詰られないといけないんだと泣きそうになった。

合唱祭で最優秀賞をとったり、体育祭で優勝した際にはクラスメートは泣きながら喜んでいた。俺は「ようやく終わった」という感情はあっても「嬉しい!」という感情はなく喜べなかった。すると今度は「冷めてるやつ」という烙印を押されるんだ。

みんなにとっては毎日放課後時間を使って合唱練習して本番では大きな声を出して歌い、体育祭では炎天下の中で練習し、結果が出ればみんなで泣きながら喜ぶことが「良いこと」とされるんだよな。

から俺はみんなから「良いこと」「正しい」と一般的に思われていることが大嫌いになった。

あの頃は反論できなかった。

でも今は反論ができる。難癖もつけられる。批判ができる。一方的賞賛させられたり、参加させられたり、巻き込まれることを拒むことができる。

から俺は難癖と屁理屈を続けるよ。

  • はてな村に過適合してる

  • (^^)https://www.irasutoya.com/2016/09/blog-post_998.html?m=1

  • 詰ってきた奴らに当時反論できてたらこんな人間にならなかったのに、、、

    • その場で何も言えずに黙ってたわ 夜にアクセラレータ(一方通行)と同じ能力持った中学生になってそいつらぶっ殺す妄想してた

  • それが日々の慰めになりはしても、お前の傷付いた心を芯から救済することはなく、むしろお前を地獄に長々と引き止めるための悪魔の囁きと知ってなお、それを続けようというのか。

記事への反応(ブックマークコメント)

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