はてなキーワード: 校風とは
[B! 教育] ワークマン初のランドセルは税込8800円、「低価格・高機能・軽い」バランス重視の開発の裏側
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.fashionsnap.com/article/2024-03-05/workman-school-bag/
なんだかブコメが粗ぶっていたので、今まさに小学3年生の現役子育て世帯として、現代のランドセル事情(東京都下)についてまとめる。
高齢者は今時の常識へアップデートしてほしいし、これから出産・就学する親御さんたちの参考になれば幸い。
ここからの話は東京都下の公立小学校での話なので、私立や都心部のリッパな学校、地方の話はまた違うんだろうと思うけどね。
まぁ、あちこちで言及されているように、ランドセルと言えば本革の黒と赤、男子は黒で女子は赤、というのは全く持って時代遅れ。
もちろん黒・赤の保守層も一定割合いるが、もう半数前後かそれ以上がこの二色以外のパステルカラーやアースカラー、ブラウンなどカラフルなランドセルを使っているのがふつう。黒・赤でもアクセントカラーが入っていたりおしゃれ要素がある。
うちの子もなかなかに目立つ色のランドセルを自分でチョイスしたので、入学前は多少気をもんだが、無印のランドセルの話でも出ていたように、「同じ色の子」「あの子は~色のランドセル」などとそれぞれの種類や色が個性や識別のきっかけとして受け取られる時代であるらしい。目立つ色で孤立していじめられるとかそういうことは滅多に無さそう。嘘だと思うなら近所の小学生の通学風景をよく見てみるといいんじゃないかな。
それと、女子のピンク・パープル・スカイブルー、男子のモスグリーン・マリンブルーなどはそれぞれプリキュア・仮面ライダー等の影響を感じるのは別の意味で日本の子育てならでは。
そんなのこじゃれた東京の学校だから、と思うないなら、ランドセル大手のホームページを見てみるといい。
例えばシーズンになるとTV-CMもよくみかける「天使のはね」のセイバン
https://store.seiban.co.jp/shop/pages/instagram_user.aspx
それぞれ男の子・女の子の商品ラインナップを見れば真っ黒・真っ赤なモデルはかなり少数派、色以外の要素もめちゃくちゃ多様なのがなのがわかると思う。ふつうに古典的なランドセル型の製品だけでもこうで、さらに今回話題になったランリュック的なモデルを使ってる子もいる。そういう時代なんだよね。
よくあるのは「祖父母にリッパなランドセルをプレゼントしてもらう」って奴。
あれはほぼ子供のためよりも祖父母に対する家族サービス。
孫と一緒に買いに行って「これはおばあちゃんに買ってもらう」というシチュエーションを祖父母に楽しんでもらうイベントなわけ。
まぁ経済面で助かる、というのもあるが、安い製品は2万円台で買えて十分に丈夫で見た目も良いデフレ時代にそもそも高くて高級なランドセルを買う必要性って今ほとんどなくて、金銭面での理由付けは順位が低くなっている。
さらに、本革でオシャレなランドセルを背負わせたいという親の気持ちもわかるし、そこで親同士の見栄の張り合いとか、量産品をけなしたりする親もいるんだろうけど、それは完全に親のエゴで子供にはあまり関係ない。まぁ、都心の立派な学校にお受験するような世界ではなんか違うのかも知れんけど、自分的にはそういう世界はちょっと嫌だなと思う。
それから、子供をランドセル専門店に連れていくと、5歳児のセンスなので、当然派手なカスタムモデルや、くるくるの革細工で装飾されたモデルなんかに食いついたりする。そしてそれらは当然いいお値段になる。だから、実際に連れていくのは結構順番を慎重に考えた方がいい。「今日は色を選ぼう」とか「「ここでは買わないと思うけど見てみよう」などの予防線を張ってみるのもよいかもしれない。カタログも同様。本気で親の本命モデルがあるなら、偵察は親だけで行き、子には敢えていろいろ見せずにまっすぐ行った方がいいかもしれない。
あとは購入時期、一時期「ラン活」などと言われ、入学前年の夏ころには売り切れる、などと話題になっていたのは上記のような贈答用や見栄用の高級品の話。
それこそ一品物に近いような手造り製品からヨーカドーやニトリで買える大量生産の工業製品までピンからキリまで選択肢があるのが今の日本の豊かさと言えると思う。
量産品なら入学直前の3月に駆け込んでもまー多少選択肢は限られるけど買えないなんてことはない。
ランドセルで検索すると、先ほどのような大手メーカーから専業メーカー、皮工房など様々な製品が並ぶ。実際、幾つもショップを巡ったり子供を連れて行ったりしたが、本当に様々だし、質感や使いやすさなど今のランドセルはよくできている。
けどさ、使うのは小学一年生なわけ。ボッコボコにぶつけるし、床や地面に放り投げる、あまつさえランドセルを座布団替わりに使ったり、踏んづけたり、ソリ替わりにして斜面を下ったりしかねないわけ。
で、「だから、6年間使える丈夫な本革」というのは多分かなり時代遅れな発想で、そもそも今の量産品のランドセルは合皮でめっちゃ軽い。というかそれ以前にランドセルがデカい。
1. 教材が増えた
3. 学校に教材を置きっぱなしにできない(全くではないが)
4. タブレットやChromebookなどを持ち歩く
等の要素が大きい。
そして、ランドセル以外に手持ちで運ぶ習字セットや絵画セットも立派でデカい。
とにかく、今の小学生の荷物の量は自分ら親の世代から見ると異常なレベルで、自分の頃の倍ぐらいの荷物持って歩いてるんじゃないかな?
正直、親から見ると子供がかわいそうだし理不尽さを感じるレベル。ただ、この辺りは学区や校風等さまざまな要素で変わるとは思う。
そういう状況でランドセルに求められるのは「収納力」と「軽さ」なんだよね。そこで「本革は時代遅れ」という話に繋がっていくわけ。大きいほど重くなる本革は今のランドセルの要求仕様に向いていない。
もう一つ、ランドセルの使い方でポイントになるのはランドセルカバーの使われ方。
学校や自治体・学区によって変わるだろうけど、低学年はランドセルに黄色い安全カバーを付けさせられる学校が少なからずある。
そしてその延長線上で、黄色いカバーがなくなると、様々なデザインのオシャレカバーを付けるという話が出てくるんだよね。
ランドセル自体もカラフルだから、おしゃれ要素としてカバーを付けていても全然違和感が無いので、当然女子の間では「~ちゃんが~なカバー付けてる」みたいな話がでてきて、友達と仲間外れも気の毒だから親も買わされるわけ。そんなところもランドセルの多様性に繋がる。逆に、ランドセルと言うフォームファクターが決まっているからできる要素ではあるかもね。
ランドセルは本当に乱暴に使われる、乱暴に使わせないのが躾だというかもしれないが、まぁ、そういう家は頑張ってお受験してよい学校に行けばいいのではないか?
上で述べたように、今のランドセルは軽くて丈夫だしデカい。なので、6年間はまぁ使われても問題ない強度だと思うのだけど、一方で安い製品は本当にお手軽価格で買える。
なんで、そもそも6年間1つのランドセルを使い続ける、という事自体発想が古いのではないかと思うんだよね。
ここまで説明したように、皆で同じものを最後まで使う、という均一なコミュニティの時代ではなくなっているのだから、ボロボロになれば、高学年になれば新しく買い替える、ランドセルを止める、というのができる時代になっていると思う。
そもそも、小学6年生まで大きくなればほぼ中一なわけで、その背丈でランドセルもおかしくね? って子も出てくる。
ランドセル専門店のカタログを眺めていると、6年間大事に使ったランドセルを海外に寄付しようとか、リフォームして思い出のアクセサリーに、なんて話も色々載っていて、それはそれで楽しいね、とは思うけど、例えば中一になった男子がそんなこと考えると思う? たぶん、それはそれで親の楽しみなんじゃないかな、と思うんだ。
だから、これからランドセルを買わなきゃという親御さんも、そんなに気張ったり焦ったりする必要はないんじゃないかなと思う。
やりたい風にすればいい、色々なやり方がある、今の日本は多様性と選択肢があることを喜ぶべきなんじゃないかな?
ランドセルを作る側にしたって、色々なアプローチを試してみればいいと思う。売ってみて売れなければ撤退すればいいじゃない? 安いランリュックでいじめられたら買いなおせばいいじゃない? 外野がとやかく言うような話じゃないと思うよ。
別に身内の肩を持つわけではない。
価値観の合わない身内に対して「お前たちと同じ釜の飯を食ってるのが恥ずかしいから、意識改革をさっさとしろ」と檄を飛ばしたいわけでもない。
学校と生徒には相性があり、ウチの学校はそういう生徒を育てるのに向いてないなと感じているという話だ。
お役所的な手続きの練習にもなるし、自分で一連の行為を行うことで受験が自分事になることにも一役買う。
こういった手続きは必要以上に軽んじても、重んじても、社会生活において負担になる。
ESの提出をやたら怖がったり、電気代をいつまでも滞納したり、そういう人間にならないための社会経験として、「願書を出す」「ちゃんと受け付けてもらう」「その結果として受験が出来る」という流れを生徒には体験して欲しい。
その機会を奪うような学校は教育機関として重要なことを見失ってると思うし、そんな学校の言いなりになっているような生徒は自主性が足りていないように感じる。
私の価値観に基づいた話を続けるが、正直、生徒は被害者ではあると思う。
判官贔屓的に救いたくはなってしまうが、こういった生徒のワガママな行動が周囲に及ぼす悪影響を考えると、「出来ればうちの学校には来てほしくない」と感じてしまう。
ワガママな生徒を育てる余力のある学校、成績が全ての弱肉強食を貫ける学校、自由な校風がテンプレートの丸写しではなく実際にそうなっている学校、ルールに盲目的に従ってしまう生徒を求める学校、そういった学校に通って欲しい。
校風と生徒の相性だ。
「受験で忙しいから願書はまとめて出しておくね(お前らにまかせて失敗されても面倒だからな)」という方針に粛々と従ってしまう生徒に対して、「ウチの学校向きじゃん」と思う学校も普通にあるだろう。
ただ、私の学校はそうではない。
「こういう生徒はいりません」という学校があっても、別にそれはそれで良いんじゃないかなと思う。
学校と生徒の関係は、企業と社員の関係のように、お見合いのような面があると私は信じている。
なんとなく第一印象が合わないとどちらかが感じ取ったなら、その時点で次の出会いに進む方が互いに幸せ何じゃないだろうか?
いっぱいコメントありがとうございます!
めっちゃ教えてくれてうれしい。
こんなの自分の周りで話しても自分と同じ価値観の人しかいないから聞けなかったと思うとネットって偉大だな~って思ったよ。
みんなが自分の思う最高の自分でいれる社会になりたいねはやく。
でも想定と違って、「別の指標があるからどうでもいい」じゃなくて「ブスだから」とか「家族がからかう」とかが多いのが気になった。
学校が厳しくても興味あってやりたいな~と思ったらプライベートでやると思うので、実際は校則とかあんまり関係なくて上記の2点がネックなのかなと思った。
校則も関係あるっちゃあるのかな、忌避観がなんとなく育ちそう。
ブスだからという意見に関しては、そんなことないよ!みんなかわいいよ!!!と思う。まじで思っている。
人生でブスに出会ったこと一回もない。クラスにも会社にもいない。たぶんそれは親とかから与えられた呪いで、私みたいな赤の他人が言っても意味ないんだろうけど。
興味はあるのに自分の容姿に自信がないというだけで手が出せなかった人から新しい趣味や生き方が生まれる可能性を潰したすごく罪深い呪いだと思う。「色気づいて」みたいな家族からのからかいもそう。そういうこと言う人に限って女らしさを求めてきそうなイメージがあるよ。あなたたちはかわいいので自信を持ってほしい。
コメントくれた人の中に、「鼻が大きすぎるとコンプレックスだったがメイクすると目鼻立ちがバランスとれることをおしえてもらった」って方がいたんだけど、たぶんきっとこういうことなんだよ。あなたたちのコンプレックスは絶対活かせるし、他人からしたらどうでもいいことだし、なんなら羨まれている可能性もある。
わたしも鼻が横から見てまっすぐ伸びている友人をうらやましいと思っていたら、本人はそれがコンプレックスでわざわざシェーディング入れて鼻の付け根の高さを消しているし、あなたみたいなおでこから鼻先までがくるんとなっている横顔がうらやましいよと言われたことがある。全然傷つく必要ないよ。コンプレックスに対して自信持てとは言わないけども!!!
スターターパック欲しかった人、その時そばにいたかったなと思った。憐れみとかではなくこれから沼にハマってくれるかもしれない人を見ているオタクの気持ちです。
田舎者でドラストコスメメインで頑張ってたからそこら辺の金銭的なアドバイスができた自分がその場にいれば沼に引きずりこめたのに!!!と無念な気持ち。
いろいろ指標はあると思うけど、勉強好きな人とかかっこいいなあと思った。いいよね、人生の指標があるということ。
あと生理的に無理だっていう人がいるのが全く未知の価値観で面白かった!面白かったって言うと変な意味に聞こえるけど、interestingのほうです。
女の子は誰でもどこかではお姫様になりたいと思ってると思っていたから、やっぱこれってあくまで個人の意見で、たまたまそういうコミュニティに属しているだけだったんだなあと思う。
気分が上がらない人がいるのも知らなかったなあ。でもそうだよね、私もいくら価値があってもブルーアイズホワイトドラゴンもらっても気分は上がらないし。
確かに筋トレと似てるのかも~~!って思った。筋トレと違ってメイクは切り替えできるところが強いかも。筋トレって気軽に体型変えれないからね。
あくまで私の中でなんだけど、武装のメイクと普段のメイクって違うんだよね。
武装のメイクは競争相手がいるときに自分を奮い立たせるためにやってた。それこそ高校のイベントごととか、就活とか、ガルバで働いてた時とかかな。
普段のメイクはあくまで「今日自分が過去最高にかわいいな~」と思えるメイクであって、対人を意識しないで済むメイクだからかな。
自分がかわいくて最高と自分自身で思えることがミソなのよ。なので他人からの評価はどうでもいいってなるし、武装の時と真逆の価値観でメイクしてるなという発見がありました。
正直クラス対抗の時とかは「おら~~~かわいいと言え~~~~????」の気持ちでメイクしてた。
それはまじでそう。
しかもメイク道具も安くないし、人におすすめしてもらっても、その人に合うものが自分に合うかなんてわからんしね。
そしてうまく合致するスタイルになかなか出会えなかったらもうええわってなるのも仕方ないことだわね…と思った。だってめんどくさいし実際。
世間でおもしろいと噂のAPEXやってみたけど全然操作うまくいかなくてすぐ辞めたの思い出した。
楽しいとこまでたどり着けなかったらそりゃそのまま興味のない人生を歩むよね。
そりゃそうよね、だったらメイクしないよね。
たぶん世間一般だとメイクしていない=身だしなみが云々ってなるんだけど、そういうことではないよね。
女らしいスタイル以外に好きなスタイルある人はそのスタイルの中で自分の好みを突き進んでるんだから、身だしなみはちゃんとしてるでしょと思う。
というか自分のおばがそのタイプだったと思う。今で言うと無印良品みたいなシンプルな服装とパンツスタイルが好きな人で、メイクも全然しないんだけど、眉毛とかはいつもきれいに整っているし、髪の毛もショートでちゃんとセットしているし、肌もすごいきれいな人だよ。最近会えていないけどきれいな人という印象だもん。その癖笑顔がまあめちゃくちゃかわいくてギャップなんですなあ。
おばのろけに脱線してしまったけど、髪の毛ボサボサとかならともかくメイク就活で必須みたいなの嫌だよね。この方はちゃんと自分を貫かれて、今もそれでいけてるのですごくよかった。
ここで強要されて心がおれちゃう人、めっちゃいるんだろうなあと思った。私も就活メイクは上で言った通り武装メイクだったから普段とは全然違ってかわいいメイクしたいよおおってなったから、就活のメイクについてはどんなメイクでも、していなくてもいいよとなってこの文化が薄れていって欲しいと思う。内定欲しかったから武装メイク作戦に切り替えたけど。
「ブスだから上方修正意味ない(意訳)」、「しなくても問題ない容姿だからいらなかった」系のコメントがめちゃくちゃ意外だった。
なんか、かわいくいたいって感情と、メイクによって自分が上方修正されているという感覚が一致しなかった。伝わるかな。
あくまで私の場合趣味みたいなもので、かわいくなりたい!ではなく「かわいいの最高値ですよ」なので、そこが感覚違うのかなと思った。ネイルがわかりやすいかな。ネイルしたところで自分の顔がかわいくなるわけではないけど、めちゃくちゃかわいい自分にはなれるじゃん!そういうことなんだよね。メイクしてて顔面偏差値上がったわ見たいな感覚は正直ない。武装メイクの時はスキルをかっ込むので顔面が上方修正されるけど。
メイクめちゃくちゃ大好きで、子どものころに子供向けメイクセット?みたいなのもらってからたぶんずっと好き。
おばあちゃんの家にあったうる星やつらで、塗った人同士の口をくっつける口紅をラムちゃんが作る回があったんだけど、そこだけ死ぬほど読み返したりしてた。
うる星やつらで記憶に残ってるエピソードこれとラムちゃんがツノを溶かすクリームみたいなの使って転校生の振りするみたいな回しかない。どんだけこういう系好きだったのかって感じ。
周りもそうで、母親はデパコス結構使ってたしクソでかスチーマー兼美顔器が家にあって、たまに使わしてくれたりとか。ちょっとしたお出かけにも眉毛をかいたりしてた。
おばあちゃんも毎日カーラーでかわいく前髪を巻いていて、口紅軽く塗ってて本当に絵本に出てくるみたいなふわふわしたかわいいおばあちゃんなの。
もう一人のおばあちゃんは脳梗塞かなんかの後遺症で早逝したしあんまり記憶にないんだけど、写真とか記憶の中だと赤くてかっこいいリップをいつもつけていて、片手でお化粧してるの見せてもらった記憶もある。
そんなんだから中学入るころにはメイベリンかなんかの色付きリップをカバンのポケットに忍ばせてて実際学校でも塗ってたような性格で、自然周りにもメイク大好きな子が多かった。
進学校(かしこいという意味ではなく、大学進学以外の選択肢がないという意味で)だったので、美容系の専門学校に行った友達こそいなかったけど、メイク上手な子とかファッションがいつも決まってる子は結構美大に行っていた。美大に行ったらメイクとファッションが進化していて、アイラインとかめっちゃ大胆な色とか構図で引いてた。かっこよすぎる。
うちの学校は結構成績さえよければなにやってもいいよな感じで、そもそも生徒側も叱られるようなラインを間違える人はあんまりいないんだけど、結構自由にやらせてもらっていた。
そんな感じなので、自然体育祭とか文化祭、クラス対抗では女子の装いがガチになる。
手作りのカチューシャとか、こったヘアアレンジとか、メイクいつもより濃くするとか。
これは何もメイク好き・ファッション好きに限らなくて、「普段はノーメイクで学校来るけどこの日はメイクしちゃう」って子もいるし、「まったく経験ないけどやってみたい!教えて!!!」っていう子もいる。
私もそうなんだけど、うちの学校のメイク好き・ファッション好きはやたらとお姉さん気質が多かったのか、後ろの黒板に「クラス対抗ヘアアレンジします! メイクは○○まで」みたいなのを書いておいて、興味はあるけどやったことないからどうしよう…という子が声をかけてくれたら事前に教えるのも、当日早く来て武装するのも手伝うのをやっていた。
なにもうちのクラスだけではなく、クラスとか学年違っても同じ感じでなので校風だったんだろうな。
あと仲いい子とそのために安いスポンジとか綿棒とかヘアゴムとかアメピンとか割り勘で買って準備するのも楽しかったし、やっぱり武装含めてイベントだったんだなと思う。
あんまりよくないけど、「うちのクラスのほうが髪かわいいよね~おソロだし~~」とか言っていた。気分はプロデューサー兼メイクアップアーティスト兼スタイリストだった。
家に親のクレンジングがあるかわからない子には、ウェットティッシュみたいなタイプのクレンジングを百均のジップロックに詰めて押し付けていた。アフターフォローもばっちり。
こんな感じの雰囲気の学校だったので、友達の中でメイクしない子がいてもドラストコスメ巡りに付き合ってくれたし、男でもメイクしてみたい!という子にやったり、男子改造計画みたいなのを夏休みにやったり、デートの服を何人もの人間で選びに行ったり、初めてのコスメ会に行くのに付き合ったりと、かなり装うということに関して土壌が豊かな環境で育った。
でもイオンもないような田舎だからデパコスも全然なくて、みんなセザンヌとキャンメイクとKATEとメイベリンしか選択肢ないし、服もGUはないからUNIQLOとハニーズで何とかするしかない。
遠出して電車に3、4時間揺られないと一般的な駅ビルがあるような都市にたどり着けない。そんな場所のわりにみんな楽しんでいたと思う。
余談だけど、うちらが中学の時に高校の先輩方がイベントで女装してるの見て、これもイベントにならんかなと思って生徒総会で男装女装コンテストをネタで提案したらしっかり通ったことがある。3年生の時に実現したので1年分しか見れなかったけど、男装の方はガチレイヤーの人が優勝し、女装の方はうちのクラスの総プロデュース男子が優勝した。どんなもんだよ。
なので大学も社会人になっても周りは変わらずファッションとかメイクとか好きな人ばっかだったし、なんならジェルネイルが追加された。金ドブですよあんなん。あんな爪がかわいくなるなら何万円でも払わせていただきます…。
でもこれたぶん私の周りにたまたまそういう人が類友で集まってただけで、クラスにメイクしない子もいたはずだし、社会にはなおもっと興味ない人がいるはずなんだよね。
私は幼少期からこんななので、もう生まれ持った素質の民だと思うんだけど、友達の中には大学からメイク本格的に始めた子もいるし、職場にはメイク手抜きでいくって子もいるけど、みんな会うときはいつもお互いに「自分の中での最高値にかわいい自分で!」というのが共通してるんだよね。
髪型も髪色もネイルも服もメイクも、そのすべてを使って、「好きな人に会うときは最高値にかわいい自分でいたい」というのが我々のような人間の最たる欲求だと思う。私もすっぴん部屋着でスーパー行くし。
好きな人にかわいい自分を見せたい欲求がない人もいるのかなとここ数日のXを見て思った。かわいい服買ったらかわいい顔と髪型合わせたいし、好きな人に会うのにかわいい自分を自慢しないわけにいかないと思わない人がいるんだなと。
働いててメイクめんどくさいな~と思う体調の日もあるけど、メイク好きな私でさえめんどくさい日があるんだから、メイク興味ない人はいわんやだよね。私もオンラインゲームを毎日強制されたら死んでしまうと思うし。
すごい紆余曲折したけど、私からしたら「かわいくいたい」がたぶん人生で一番でかくて、そりゃ好きな人にかわいいと思われたらなお幸せなんだけど、一番大事なのは「自分が自分をかわいいと思えていること」なんだよね。
だからメイクしない人?興味ない人?の感覚がうまくわからない。人生で一度も「かわいい自分でいたい」と思う瞬間がなかったということだと思うから、たぶんその人はその人で「自分がこうだったら最高!!!」と思う指標があるんだろうなと思った。これは私の中ではある種の「エウレカ!」だった。
これが…多様性……となった。
多様性ってこんなレベルでいいよね。魚好きと肉好きがお互い存在してもいいように。私は今まで魚は生が一番おいしいと思ってたけど、世界には生魚食べるの生理的に無理な文化の人も嗜好の人もいるもんな。
だからさ、そういう「メイクガチで興味ない」っていう人がどうしてもメイクしなきゃいけないときにさ、スターターパック用意してあげるのもいいけどさ、私みたいな装いキチ(見方を変えればルッキズム)の人が横でバカみたいにメイクとかに金使って幸せそうにしてるのを見てもらってさ、こいつらがこんなに熱中してんだからいっちょ私も楽しむ気持ちでやったろうかなとか思ってくれたらうれしいなって。
どうせやらなきゃいけないなら楽しいほうがいいよ。勉強も仕事もメイクも。
だから今日からも私はストーリーでキチっぷりをひけらかすのを辞めないと決めたよ。フォロワー各位覚悟してね。
あとごめんメイク興味ない人の心情を勝手に書いたけど、全然違うって人もいると思うからそれはごめんね!!!!
タイトル通り教えてくれると嬉しいけど、それは私の知的好奇心が満たされたくて呻いてるだけなので、優しさとかではないので…。
1998年の漫画「なるたる」の小沢さとみって、「理解ある彼くんw」揶揄に苦しむ女を先んじて描いてたな
万朶学園は中高一貫校で、高等部からの入学に関しては進学率を上げるためにペーパーテスト重視だが、中等部は違う
中等部は家柄も厳しく審査し、片親家庭や両親高卒のような家の子はテストができても落とされる
さとみの父はブルーカラーで社宅暮らしで収入低め、母親は高校在学時にさとみを妊娠し高校中退して出産し今はパート勤め
中等部入学試験をさとみは完璧にこなせたが、両親の経歴や肩書が校風にそぐわないため受からなかった
小学校の時から可愛くて気弱で泣き虫なさとみは、男子にいじめられて煙草の購入を強要されたり殴られたりしていたが、そいつらと同じ公立中に進学することに
いじめの内容自体に性的な要素はないが、嗜虐心をくすぐるからターゲットにしているんだし、そのうち性的なものに発展しかねない危うい感じがあった
万朶中の受験を志したのはそういうDQNらと離れるためであったが、行けなかったので中学生になってもさとみはいじめられる
内気すぎて女友達もおらず一方的にいじめられるさとみであったが、彼女には高野文吾という幼馴染の素敵な彼くんがいた
文吾はDQNをボコボコに殴って武力でもうさとみに手出しさせないようにした
その日のうちに13歳ぐらい同士で初セックスしてラブラブハッピーになるわけだが、さとみはその幸せには浸れなかった
さとみと同じ小学校には、万朶に進学することのできた「校風にそぐう真っ当な家庭」の女の子・新川がいた
新川はさとみが中学受験に失敗したことを知ると「また3年間あのバカどもと一緒で大変だね。でもいざとなったら高野くんに守ってもらえばいいから」と発言していた
現代では「理解ある彼くんw」という短い言葉で定型化された、「お前は一人前ではなく男に依存し体を開くことで生きられる無能力の脆弱な娼婦だ」という意味合いのこもる相手をコケにするこの上ない侮辱だ
さとみは文吾と結ばれるよりも前に、そうなることをコケにされてしまった
だから「いじめから守ってくれる素敵な彼とラブラブ」という本来素晴らしいはずのシチュエーションの中でも彼女は幸せになることができなかった
さとみは文吾とセックスする時、どこか後ろめたいような顔をしている
「男に守られてその代わりに体を差し出すような生き方なんて…」みたいな葛藤をしている
17歳現在のさとみはかつてとは違う居丈高で高慢な振る舞いをするようになっているが、呪いを払拭しようとあがく虚勢丸出し
一緒に大人になっていく中でいつかは新川の呪いの言葉を払拭できたかもしれないが、さとみも文吾も超常の存在と出会ったことで大人になれず人間としての余命は残り僅かな存在となった
「男に依存して自立できないクソ女」というニュアンスの呪いの言葉に蝕まれていたさとみが、一番最後のカットでは、ショック死したらしき文吾の体を抱き支えている姿はなんとも皮肉だ
みたいなイメージが地元で強いらしく何気に人気の伝統校だったけど。
入学1ヶ月くらいは12歳の子供らしく席が近い同級生同士がちょい他人行儀に会話したり、とりあえず一緒に帰ったりして緩く仲良くなり始めるんだけど、1ヶ月経ったくらいから明白なマウント合戦が始まる。
いとうせいこうみたいな髪型で強度近視用のメガネ掛けてる「いかにもお坊ちゃん育ちです」って見た目の連中(ていうか半分くらいそんな外見だった。入学初日にクラスのメガネ率弾き出したら8割超えてて仰天した記憶がある)でも、
歳の割に体格良かったり元々の気性荒かったりする奴なら弱そうな同級生に突然馬乗りになって鼻血出るまでボコボコにしたり、
「顔が暗いから笑」で前の席の奴の後ろ髪をライターで炙ったりしてた。
そんな様子を傍から見てて
「こいつらなんて恐ろしい奴なんだ……目つけられたら殺される」
と俺は震え上がってたけど、冷静に考えるとそいつらも皆お勉強頑張ってきたお金持ちの家のお坊ちゃんなんだよな。
粗暴とかけ離れたタイプにしか見えない中学1年のメガネくんが、
血だの火傷だの失明リスクだのにひるまず大笑いで同級生たちを痛めつけてるのは結構異様な光景だったと思う。
あと、家が寿司屋の同級生が裏でめちゃくちゃ笑いものにされてて衝撃を受けたのも思い出した。
下の毛が生えるかどうかの歳で職業の貴賎的な概念をすでに周りは普通に備え持ってたようで、年齢相応に幼かった俺はひたすら
「人の親のことバカにするのは思いっきりタブーだろ。ていうか寿司屋で何で笑ってんの?」
と混乱してた。
一部の人間が大人になって身につける類の嫌な差別心をそんな歳でどうやって身につけてたのか未だに分からない。
野球部が圧倒的に偉かった。
野球部がカーストトップで周りがビビって何も言えないみたいな風潮は多くの学校であるあるなんだろうけど、うちの野球部員はとにかく暴れまくってた。
休み時間、虫の居所が悪ければ金属バットで教室のロッカーベッコベコにするし、鉄アレイとか周りの人間の机を砲丸投げみたいにぶん投げまくって大暴れするし。
パフォーマンス感は全然なくて、本当に突然癇癪起こして気が狂ったみたいに暴れ出してたからみんな震え上がって嵐が過ぎるのをひたすら待ってた。
でもそんな彼らがタバコだけは絶対に吸おうとしてなかったのは今でも不思議でならない。
かくいう学生同士のカーストが下位の自分もどういうわけか大学途中くらいから
と、悪い思い出をなかったことにして気づけば母校愛が強いOBの1人にすっかりなってたけど、
最近になって、なかったことにしてた思い出が急に色々脳裏に蘇ってきてモヤモヤしてたのでここに吐き出した。
あいつら何不自由のない裕福な家に生まれ育って、同世代平均を上回る知能があって……
要するに恵まれてたくせに、なんであんな小さい時分から粗暴だったり差別的だったりしたんだろ。
父子2代どころか祖父、父、子3代でOBみたいな家も珍しくない学校だったけど、俺は自分の子供は絶対に入れたくない。
以前ネットで慶応大学野球部の就職先が凄いみたいなのが話題になってて見たけど、うちの学校の同級生連中のほうが良かった。
中高一貫のくせに「現役で早慶受かったら凄え」程度のレベルでしかない学校だったのにもかかわらず、明白にウチのほうが良かった。
1億積まれても入れたくない。
わたしが育った田舎の小さな中学校は、当時いくつかの小学校から生徒が集められていた。
メインとなる小学校から来る子どもが半分、そのまた半分を別の学校が、さらにその半分づつを別の小学校からの生徒が占めていた。
その中の小学校のうちの一つは、人数が少ないのに個性的な子どもが多かった。
さなちゃんは、色が白くて、黒目がちな瞳がくりくりしていて、ベリーショートの髪が真っ直ぐぴんとしていた。当時流行っていたウルフの襟足の所の毛が首筋に沿ってきれいに流れていて、アイロン毎日やるの大変なんだよねとからっと話していた。
細くて無駄な肉のないすらっとした手足は、量産型の制服で隠されていてもすぐに分かった。
サバサバした話し方なのに、一人称が名前呼びで、さなはねって話するのが、ちょっとあざといようで、でもそれもまたよかった。
とにかく、さなちゃんは、とてもとても可愛い女の子だったのだ。
さなちゃんは、可愛いだけでなく、所属していた部活でも副キャプテンとして活躍していた。それでいて、勉強も出来て、センスも良かったから、男の子からも女の子からも人気者で、友だちも多かった。
わたしとさなちゃんは、特別仲がいいわけではなかったけれど、中学生らしく、たまに手紙を交換する仲だった。
当時はキャラもののメモ用紙とかレターセットとかが流行っていて、カラフルな紙をハートやイチゴの形に折ってそっと休み時間に渡しにいくのが定番だった。
さなちゃんの手紙はだいたいシンプルな白い紙や、いらなくなった理科のプリントを工夫して作ったお手製の便箋が多くて、そこにいろんなイラストや書かれていた。ただのファミリーマートで買った無印の水性インクのペンで無造作に書いただけの線でできてる便箋さえ、おしゃれに見えた。
ひらがなが多めのさなちゃんの手紙は、文字ひとつとっても、小さくきゅっとして不揃いにならんでいて、それだけでも他のどの女の子よりも可愛かった。
読んでいるだけでワクワクが溢れてくるし、使う言葉のセンスがすごくよかった。唐突に出てくるイラストや、仕掛けにいつも早く返事が欲しくなった。
あの頃のわたしにとっては、さなちゃんと手紙交換出来ていること、それ自体がとにかく自慢だったのだ。
他の人に大きい声で自慢したくなるような感覚さえあった。
さなちゃんからの手紙を受け取ると、自分がなんだかそれだけで価値のあるものに思えた。
手紙を貰えるくらいに、仲良しなんだと。
さなちゃんは、中学校の時に、わたしがずっと好きだった子と付き合い始めた。
彼はクラスの中心にいて面白くて足が早くて、数学が得意で、背が高かった。顔はカッコよくないのに、ギャグセンが高くて、いつも人を笑わせていた。でも飄々としてて掴みどころがなくて、そこもまた人気だったのかもしれない。
さなちゃんだったら、クラスで1番のイケメンとかとも付き合えるはずなのに、ちょっと癖の強い彼を選ぶセンスも最高だと思ったし、並んだらお似合いだなと思った。
さなちゃんは学区内で1番の進学校に行った。そこは、ちょっと真面目な子たちが行く高校で、指定の制服がダサい学校だった。
黒いブレザーで、校風もあるのか、なんか地味。
高校の入学後に、4月に駅でばったり会ったさなちゃんは、中学生の時よりもっとキラキラしていた。
わたしがダサいと思っていたブレザーに包まれたさなちゃんはキラキラした小物やアクセサリーで彩られて、それが黒い生地を背景に輝いていた。
綺麗に細かく折られたプリーツスカートは少し短めになっていて、そこから細くて白い足がすっと伸びているのも、品がない感じがしなくて、ヘルシーなのにちょっとドキドキもさせてくる感じだった。あまりにも可愛く着こなしていたのに加えて、お化粧をしていたからかもしれないけど、とにかくその姿が眩しくて、こんな山奥の駅にいたらいけない存在だ、と思った。
間も無くして、さなちゃんは中学校の時の彼氏と別れて、同じ高校の素敵な先輩と付き合っていると風の噂で聞いた。
その後、中学の時の彼氏と復縁したとかまた別れたとか、聞いてなくても誰かが教えてくれた。
久しぶりにさなちゃんと会ったのは大学卒業後に開かれた同窓会だった。
相変わらず可愛い姿を振り撒いているさなちゃんは、卒業アルバムから出てきたみたいに何も変わっていなかった。そこにいるだけで輝いていた。
大好きだったパティシエの仕事についていて毎日忙しいこと、大学時代から数年付き合っている彼氏と結婚まで秒読みなのだということ、聞きたい聞きたくないに関わらず、居酒屋の隣の席でいいなー!と絶叫する旧友の声で知ることになった。
きっと、ウエディングドレスも似合うんだろうなと思った。おしゃれな会場で、白いドレスもカラードレスも着こなすさないちゃんの姿は、パンフレットに載ってるモデルさんと代えても遜色ないくらいに素敵だろう。
さなちゃんのことを久しぶりに思い出したのは、さなちゃんの親友だった友人と久しぶりに会った時のことだった。
たっぷりサイズのアイスカフェオレを頼んで涼んでいたら、友だちが教えてくれた。
さなちゃんが、付き合っていた彼と結婚したものの、その後、同窓会で再開した同級生とW不倫の末に略奪デキ婚したという話を聞いた。
相手は、やっぱりクラスの中心にいた、おちゃらけ系のみんなから好かれていた、いわゆるいい奴。事業に成功してお金もあったようだ。さなちゃんのお店を出すのをサポートしていたらしい。
昔からさなちゃんのことが好きだった彼は、同窓会の幹事をやる中で、改めてさなちゃんに惹かれたようだ。
彼には長年付き合っていた歳上の奥さんがいたが、その方との間に子どもはいなかったとのこと。
そして、さなちゃんは、子どもが産まれたものの、その彼ともお店もあまり上手くはいっていないようで、結局お金を貰いながら実家で子育てをしているのだという。
わたしは喉が異常に乾いて、焦るようにグラスを手に取り、ゆっくり飲んだ。
喉を通るあの液体の冷たさを思い出すたびに、わたしの中のさなちゃんが、14歳のままの姿で蘇ってくる。
決して色褪せないまま。
追加
そっか、フェイク入れなきゃと思ってパティシエにしたから嘘っぽいのか…本当はペット系のお店です。山奥なのは本当です。徒歩圏内にコンビニなくて猿が出るレベル。過疎地域ではない。
オタクの身だしなみについては度々燃えているので、外見なんかどうでもいいよ! 恋人なんかいらないよ! という人はスルー推奨。
今の環境は大好きだけどそれはそれとしていない歴=年齢のこじらせた女オタク、まあつまり私のような人はぜひ。
長い女子校生活は、それはそれは楽しかった。まわりにはオタクもいっぱいいたし、オープンにしてる子も多かった。おっとりした校風だったから、多分、オタクの多い学校だったのだと思う。「誰に仕えたい?」というアンケートに跡部景吾が出るくらいだった。
もちろん大学も女子大を選んだ。同じような、おっとりした校風。アクスタやぬいを抱えてカラオケやお泊まり会に繰り出し、高校時代より充実したオタク生活を送っていた。
その影で、私には特大コンプレックスがあった。これまでただの一度も彼氏がいた事が無かったのだ。2年生になり、年齢が20代に入ると、コンプレックスはさらに加速した。
というのも、私の周りのオタクたちは、ほぼ全員が女子校から上がってきているにもかからわず、彼氏がいた事のある人が大半だったのである。彼氏の有無がすべてではないし、いてもいなくても生活に支障はない。が、「私だけ彼氏がいた事がない」という事実は、やがて大きなコンプレックスとなった。
さて、そんなこんなしているうちに、私はソシャゲから卒業することになる。
別に嫌いになったとか引退したとかではない。某俳優に沼り、触らなくなっただけである。結局オタクやってるやないかい! とツッコんだそこの君、落ち着きなさい。
この某俳優、決して2.5次元俳優とかではなく、朝ドラとか大河ドラマとかに出てるタイプの人。ゴリゴリの芸能人。
なので、課金の機会(厳密には課金ではないけど、お金をかけるという意味で)はグンと減る。ファンクラブの会費、グッズ、ライブ程度。どれも低額なので、必然的にお金に余裕が出来た。そしてそのお金は、服や靴、美容院、眉サロンへ回った。
別に、オタ活のお金を外見に回したところで大きく見た目が変わるわけでもない。一緒である。「オタクだけど外見にお金をかけてる」というマウント心だけだった。ただ、これのおかげで、だいぶ自信が持てるようになった。いや、自信が持てるようになったというより、「私なんか」という卑下した気持ちを持たなくなった、という方が近い。
そうして調子に乗った私は、マッチングアプリを始める。マスク有りの集合写真だったけど、やはり年齢の力は強い。捌ききれない量のいいねが来る。
アプリの話はここでするつもりはないので省略すると、彼氏ができた。私にはもったいないような人。かつてソシャゲに使っていたお金は、彼氏との外出、旅行などに使えるようになった。
さて、ソシャゲやめたら彼氏が出来たとは言ったけど、もちろん「ソシャゲやめる=即彼氏」というわけではない。ソシャゲやめる→お金に余裕ができる→外見にお金使える→自信に繋がる→彼氏 というような流れだ。
ちなみに「自信に繋がる」と言えば聞こえはいいが、いわゆる「マウント」に1番近い。というかマウント。オタクだけど外見にお金かけてる私、ソシャゲに無駄金溶かしてるお前らとか違う──そういう気持ちをものすごく綺麗な言葉にすると「自信」になるのだと思う。ただ、私はそういう気持ちが原動力でも別にいいと思ってる。綺麗になるには努力が必要、努力には原動力が必要だから。
いない歴=年齢は、歳を重ねる毎にコンプレックスが強くなる。そして男性からも「いた事ないのは事故物件なのでは?」と思われるようになる。失礼な話だけども。
これ言うとガンダムファンの方々に怒られるかもしれないけど、水星の魔女、旧エヴァとかと色々被った。
いやでも、パクリとかって叩きたいんじゃないんよ。そうじゃなくてめっちゃ面白いって言いたいわけ。
うまく伝わるかなぁ。
今回出てきたエヴァっぽいとか思っちゃったのが、ガンダムの中にエリィ(の魂?)がいる(のかも?)とか言う話。
そう言えば、エヴァとGUND-ARMの仕様の類似(特有の物質を介して人間の神経を外殻マシンと接続して動かすが、一般に操作可能な者は限られるか、搭乗者への負荷が高すぎるかして、兵器としての汎用性はあまり高くない。しかし、ある素養のあるものは天才的に動かせる)とかも似てる感はある。
おまけに今週、エアリアルが本気になったら地球のガンダムの胸の点灯が赤から青に変化して支配されていましたよね。青く反応するといえば「パターン青! 使徒です!」で自分にはお馴染み。
というわけで、自分の中の理解では、上記の旧エヴァっぽさに加えて、あの奇妙な決闘が奨励されている校風でのウテナらしさとかと、昔から培ってきて今の技術が磨き上げたガンダムらしさ(音楽、絵作りの凄さやアクションのかっこよさ)の合わせ技を1作品で楽しませてもらえてるって思ってて、すごくお得感がある。
むしろウテナで学んだ漫画らしいが不可思議な学園感覚や、旧エヴァでなんか馴染んでいた巨大ロボットを特殊な技術で動かす感覚とかが、毎週楽しめるわけで。
しかも、プラモデル化できるくらいキチンと造形されている新型巨大ロボットのバトル、謎、百合や友情、父と子の確執、母の過去、奇妙な主人公、戦争という名のビジネス、ライバルキャラの急な退場、などなど、ストーリーの立体感が半端ない。
なにしろ、ウテナもエヴァも、放送当時に見ることができなかったもんで、今頃になって毎週ごとにこんなに楽しく苦しめてもらえる作品に出会えるってめっちゃついてるモンだなってなってる。
おしむらくは昔のアニメと違って1年間やってくれないこと。仮にこのクールで終わっちゃうとしたら……話数、少なすぎない? 色々と大風呂敷にしか見えなくて、たたみきれなかったりしたらどうするんだろうと思ったり。でもまあ、今週の急展開をみたら心配ないかな。
それにしてもなあ。てっきり今期は地球の魔女と水星の魔女が競い合っていく学園青春ロボットモノになるかと思ったら! そんな甘いモンじゃなかったようだ。
ともあれ、ゲンドウにしろプロスペラにしろ、子どもをある種、自分の道具にもしちゃおうとする大人はロクなモンじゃない。とはいえ、巻き込まれた子供にもそれなりの責任は生じるわけでさ。シンジ君は最後に自分なりのオトシマエを付けてくれたけど、スレッタはどう向き合う? 色々、知らなかったじゃ済まされないこともある。どっちの作品も親が子供にある種の呪いをかけちまってるのも似てる。それをどう打開していくのかは見ものだろうね。
あとミオリネさんもスレッタとは別の意味で親に呪いをかけられちまってるわな。クソ親父、とっとと復活しやがれ。そして娘に引導をキチンと渡されろ。このままこの世を引退するとか絶対許さない。
放送日に3回も見直しちまうアニメなんて久しぶりだわ。スレッタって何者なのかますますわからなくなったし(エリィ自身ってわけじゃなくなったし、クローンだとすると年齢設定がおかしくなるし、小説版ではエアリアル自身に人格があるし)。いったいぜんたい、どうなってるの?
https://anond.hatelabo.jp/20170206102543
いま家族旅行に来ているが、もうみんな寝てしまったので、缶ビールを飲みながら徒然なるままに思うところを書きつづる。
前回の記事に書いたとおり、当時小6だった長男は中学受験に挑戦し、俗に御三家と呼ばれる男子校に進学した。
それからの6年間、長男は部活に勉強に学校行事にと精を出し(なお恋愛)、仲の良い友人もたくさんでき(なお恋人)、とても充実した日々を送ってくれたようだ。
その高校の卒業式に出席したが、決して厳かとは言えない雰囲気。
いちおう詰め襟の標準服が制服ということにはなっているが、入学式以外で着ることはほぼなく、体が大きくなっても作り直したりはしないので、制服を着ている生徒は一人もいない。
ほとんどは親に借りたと思しきスーツだが、中には普段通りのカジュアルな格好もちらほらいるし、奇抜な格好をした目立ちたがり屋もいる。
その全てが許されている。
後で長男に聞いたところ、一人はネタだが、他はトランスジェンダーらしい。
彼ら(彼女ら?)の勇気には敬服するし、トランスジェンダーの問題に限らず、素の自分を臆することなくさらけだせる環境、校風を作り上げてきた学校と生徒たちを賞賛したい。
生徒たちも何かというと「自由」を声高に叫ぶ。その一方で責任についてもしっかりと言及するあたり、なかなかしっかりしているな、と思わされる。
ただ自分が卒業した関東の公立高校もそれほど変わらない程度には自由だったし、この学校が果たしてそこまで特別なのかどうかは分からない。
「自由であらねばならないという不自由さ」に囚われているような気がしなくもない。
ともあれ、校則はないし、制服も(実質的に)ないし、髪を染めたり休み時間に校外のコンビニに行ったりしても怒られない(らしい)。
最近ネットで高校生のやらかしがSNSで拡散され退学処分になるニュースを聞くが、たぶんこの学校では同じことをやっても退学になることはない。
退学させてしまったら、更正のための指導・教育ができなくなってしまうではないか。
高校が勉強を教え、その出来を評価するだけの場であればそれでよいのかもしれないが、この学校は「人間を育てる」ことをとても重視してくれていた。
先生方はとても熱心で、生徒たちの将来を非常によく考えてくれている。
PTA役員を2年間務め、校長を含む先生方とも様々な機会で交流させてもらったからこそ、自分もそれを実感できる。
卒業アルバムを開くと「この学校に6年間通えてよかった!」という長男のコメントが書いてあった。
今となっては長男がこの学校に通うことになって自分もよかったと思う。
卒業式から一週間後、受験した大学の合格発表があり、第一志望の「東.*大学」に合格した。
ソフトウェアエンジニアにはおなじみの正規表現というやつでぼかしたが、面倒なので以下「東大」と略すことにする。
この東大というところは、多くの人にとって特別な意味を持つ大学のようだ。
老衰で死にそうなばあさんや、鬱で生きる気力のなくなったじいさんでさえ、東大合格を伝えると笑顔を見せて喜んでくれた。
実際、長男はよく頑張った。鉄なんとかという塾の宿題にもしっかり取り組んでいた。
しかし自分は田舎の公立中高から塾にも通わず、東京のとある国立大学に進んだ身だ。
大学入学後、御三家校を含む都会の私立高校出身のやつらから聞く高校生活には、自分のそれとは全く違う華やかさがあった。
全国から集まった同級生の中には、自分には理解できないくらい裕福な暮らしをしている者もいた。
こちらは築数十年の4人部屋学生寮に月5000円で住んでいる。
寮生活は楽しかった。何なら人生で一番楽しい時期だったかもしれない。
しかしそれはそれとして、都会育ちのエリートや金持ちにはある種の妬みや反感を持っていたのは否定できない事実だ。
それから30年。
よりにもよって自分の息子が、当時の自分が妬んでいた側の人間になってしまった。
合格した夜、そんな複雑な気持ちを抱えながら、こんなことを伝えた。
「お前はよく頑張った。それは誇っていい。でも周囲の環境に非常に恵まれたことは忘れるなよ。お前と同じくらい素質があったがお前ほどには環境に恵まれなかった人は全国にたくさんいる。決して自分が人よりも偉いだなんて思うなよ。」
もう自分が父親として彼に教えられることはそう多くは残っていない。
自分は次男にも中学受験を勧めはしなかったが、長男がそういうルートをたどった以上、そうなるのは必然だった。
小3の冬のある日、次男が「塾に通いたい」と言い始めた。
反対する気はないものの一応「何でだい?」と尋ねてみる。
ウソである。本当は学校の仲の良い友だちが通い始めるからである。
しかしこんなことを言われて、長男も通わせておいて、ダメと言えるはずもない。
次男は別に勉強ができなくはないし学校の成績も良いのだが、中学受験という競技においては長男ほどの才能はなかった。
そして今は第4志望くらいだった学校に楽しそうに通っている。
偏差値の高低は重要ではない。次男にとってはその学校が合っていたのだと自分は満足していた。
ちょっと面食らったが、もともと大学は海外に行くことを勧めたい気持ちはあったので、それがちょっと早まるくらいだと思い了承することにした。
日本人が通えるアメリカの高校は、基本的には全寮制のいわゆるボーディングスクールというやつになるらしい。
でも本人がやる気になっている今になって、やっぱりダメとは言えない。
ここはもう腹をくくることにした。
そして留学エージェントの力も借りて、先日めでたく合格をもらうことができた。
ところでアメリカの高校は4年間あって、1年生から入るには日本の中学3年の秋からアメリカに渡る必要がある。
つまりいま通っている私立中学を中退してアメリカの高校に入学する。
なので、もしホームシックをこじらせて志半ばで日本に帰国するようなことになると、日本における最終学歴は「小卒」になってしまう。
まあ本人はネタとして面白い、とあっけらかんとしているので、それほど心配はしていない。
1ヶ月前に勤めていた会社を辞めた。
ただ何もしないととことん堕落しそうなので、シニアタレントオーディションというのを受けてみることにした。
最近は団塊ジュニア向けの商品やサービスの広告モデルや、テレビの再現VTRなどで、40代以上のシニアタレントの需要がそこそこあるらしい。
そしてめでたく合格した。
4月から3ヶ月ほど演技のレッスンに通うと、タレントの仕事を紹介してもらえるようになるらしい。
まあ入所料やレッスン料を支払わないといけないので、最初は習い事みたいなものだ。
そういうビジネスだと思えば、たぶんお金さえ払えれば誰でも合格できるのだろう。
タレントになるのが早いか、ITエンジニアとして再び働き始めるのが早いか、将来のことは自分にも分からない。
妻も職場の資格試験に合格したらしいので、一家全員合格祝いの家族旅行になった。
それにしても海外に来ると、円安と長く続いた日本のデフレを痛感する。
タレントとして成功しない限り、次回はちゅうちょしてしまうレベル。
以上、深夜のワイキキビーチより。
この続き
高齢子供部屋オジさんニートとかいう限界おじさんだけど、看護学校受かった。
自治体運営のところで、トータル学費30万くらいなので、バイトをしながら学費も自分で払えそうで嬉しい……
こういう学校は増田のスペックじゃ受からんと思って、大学の看護学部の受験も予定していた。こっちだと4年で250万はかかるので借金背負いながらのスタートになるところだった。
校風は高校の延長のようで、18歳の子たちに混じって学校祭とかもやることになる。謙虚な気持ちで、邪魔にならないように、でも何か役立てるよう頑張ろうと思う
看護師はキツイ仕事だ。サビ残当たり前って聞くし、夜勤は命削りながらやるとか聞くし。3年奉公したら介護施設とかクリニックとか比較的楽なところに転職してもいいらしいが、増田はスペックが低いので一生キツイままなことも覚悟している。
なんにせよ、ニートよりはマシだ。
私は、修士課程のころ、指導教員の印鑑を勝手に買って使ったことがある。
他人の印鑑を勝手に使用することは有印私文書偽造罪と立派な犯罪だが、なぜかバレなかった。
その研究室は、専攻分野の中でも際立った研究をしており、かなりの実績を出していた。
担当教員もかなり力のある人物で、設備も充実していたことに魅力を感じた。
研究テーマも、他の学生と全く異なるものを任せてもらい、やりがいもあるだろうと思っていた。
そこで論文執筆や国際学会発表をたくさんこなして博士課程まで進み、アカデミックに残りたいと思っていた。
だが、研究室に入ってすぐ、そんなことはできるわけがない現実に直面した。
まずコアタイムが厳しく、コアタイム外のゼミ会が毎週あったり、それ以外の時間も暗黙の了解で残らせるところだった。
夏休みも学部生が1カ月以上あるのに対しこちらは長くて1週間、春休みはなし。
書かれていないことは暗黙の了解に過ぎないと無視していたら、指導教員直々に「お前やる気なさすぎ」とまで言われた。
雑用当番や研究室行事も頻繁にあり、ただですら研究で疲弊しているところに追い打ちをかけるようだった。
また、研究室が優秀ならメンバーも非常に優秀ですぐについていけなくなった。
そんな中、研究成果をうまく出せず、指導教員に叱責される毎日を送っていた。
指導教員は言うことが頻繁に二転三転するうえ、こちらの意見は全く聞き入れられず、ストレスが溜まっていった。
うまくいかない実験に関しこちらが改善案を出しても一切認めず、ただやり直せと言うのみでにっちもさっちもいかなくなった。
学生相談制度で別の教授と会ったときも「ここまで緩い研究室すら無理なら退学すべき。就職も今は人物重視だから問題ない」と言われた。
学内の相談員も同様に、遠回しな言い方ではあったがやたらと退学を勧めてきた。もしかしてそういう校風だったのだろうか。
そしてある日、ついに限界を迎えてしまい、半ば喧嘩別れの形で研究室を飛び出してしまった。
その後は好きな講義を受講するなど学部生に準じる生活を送っていた。
ところで、私は学内で国際教養を認定するプログラムに入っていた。
それは対象の講義をいくらか受講し、さらに留学すると大学から認定証とともに国際教養のお墨付きがもらえるというものだ。
もちろん国家資格とかじゃないからこれで食えるわけではない。ゆく先々話のネタにはなる程度だ。
ちょうどお金もたまっていたのでそれに応募しようと思った。
しかし、大学院生は何をするにも教授の許可がいる。授業の履修だけでなく休学・退学ですら例外ではない。
もちろん留学にも指導教員の許可が必要で、願書には指導教員の記名押印をもらう必要がある。
しかしその時の私は指導教員と仲違いしており、のこのこと研究室に出て「ハンコ下さい」なんて言うわけにもいかなかった。
実際、これまでのことを謝罪しに行ったことはあるのだが、取り付く島もなく追い返された。
となるとどうにかして印鑑を押してもらったことにするしかない。
研究室へ行くとバレてしまう。ならば指導教員と同じ苗字の印鑑を買って押すしかない。
ダメで元々店に赴くと、かなりメジャーな苗字だからか簡単に入手できた。
指導教員の名前はWordで印字し、買った印鑑を押したら問題なく受理された。
(後で知ったが「記名押印」は印鑑さえ押していれば氏名は印字やハンコでもOKだという。氏名も手書きが必要なのは「署名捺印」)
申し込むとすぐに「学内選考合格。返済不要の奨学金付きで先方に推薦するので応募手続きを進めるように」という返事が来た。
そのまま応募手続きを進めたところ、留学先による選考にも合格してしまった。
ちなみに、一番大変だったのは英文の履歴書と志望理由書の作成だった。インターネットで調べて何とか出来たが。
留学担当部署へ合格を報告すると、選考だけでなく留学にあたり書く申請書にも指導教員の印鑑が必要だとわかった。
ここまできて引き返すわけにはいかないが、同じことをすればいいので良心の呵責はなかった。
こちらの行動がバレるきっかけはいくつかあったが、追及は全くなかった。その原因を考えてみたい。
まず印鑑を使った段階についてだが、これは簡単だ。印鑑を買って押したところは目撃されていないのでわかるわけがない。
書類を受理した側についても、建前上指導教員の許可が必要としているが、実際は印鑑の有無を事務的に見るだけだからだ。
銀行ではないのだから印鑑登録をしたり、その真正性の判定や所有者への確認はしない。
もし不備が見受けられるのなら書類を突き返して作り直しを命令するだけでよい。
受理された後も、書類は関係する諸手続きにしか用いない。つまり用が済んだら即時破棄が普通だ。
そこで一番バレる原因になりそうなのが教授会だ。
国際教養プログラムの担当教員によると、プログラム修了認定の議題を教授会に出したという。
となると、配布資料または口頭で私の名前が出ており、それを指導教員が認知しているはずなのだがなんの追及もなかった。
不思議に思ったので原因をいくつか考えてみた。
私としては、ありそうなのは順に③、①、②だと思う。
確かに指導教員の許可を要する物事は数多く存在するが、そうでないものも多い(証明書の発行、通学定期の購入など)。
従って、国際教養プログラム参加には指導教員の許可は不要と思っていた。
当然、私が無断でやったことにも気づいていない。
講座の受講や留学には指導教員の許可として記名押印が必要である。
指導教員は許可などした覚えがないのに私が勝手に受講を始めてプログラム修了まで至っている。
しかしながら、それを立証する証拠がない。留学の応募書類などを開示してもらうことはできるがこれでも立証は難しい。
(なお、卒業生については事務局が学位・単位の修得状況だけ保有し他は破棄するため、現在は教員による立証は不可能)
私を呼び出して話を聞こうにもいくらでもすっとぼけられてしまう。教授会の開催も私の修了間近と追及する時間的余裕もない。
もし事前に立証できているなら、学科内のエライ教授に話をつけて懲戒処分に持っていけるはずである。
とはいえ、私がこんなことをしていようとも指導教員自身や研究室には何の実害もない。
それに、ヒエラルキーの非常に強いアカデミックの世界だ、こんな不確かなことで騒ぐのはもったいない。
下手に騒いだせいでお偉いさんに目をつけられるとキャリアが台無しだ。
特に、私を大学から追い出さないといつまでも居座られる。ならば研究成果が不十分でも修了判定を出すしかない。
(一応、学生を放置することで在籍可能期間を満了させて除籍に持ち込むことはできそうだが、問題になるのだろう)
大学教員は如何に予算を取ってきて研究成果を出し出世するかが大事。
こんなことどうでもいいし、私がやったことについて調べるのも面倒。
帰国後は残りの単位を修得し、国際教養プログラムの認定要件をクリアした。
学内カウンセラーの方に仲裁してもらい、無事研究室にも戻れた。
研究室には指導教員とは別にもっとエライ教授がいたが、私が不在にしている間、何の前触れもなく退職した。
私以外のメンバーにも退職日や理由などを事前に知らされなかったそうだ。
そういえば私が研究室に入る前、その教授は「近い将来指導教員を独り立ちさせる」と言っていたので、それ絡みだろうか。
研究室に来なくても研究を進められるようになった。連絡は口頭でなくチャットソフトを使うことになった。
研究や生活面、あらゆることでこちらを詰めてきたはずの指導教員も対応が事務的になった。
今までは研究報告でさんざん貶されていたところを、提出したらすぐに「よいと思います」と言われるようになった。
高圧的に命令してきたところが、丁寧語で提案するような口調になった。
「どんなことよりも研究を優先せよ」だったのが、「やりたいことがあるならそちらを優先した方がよいです」と言うようにもなった。
ただ、「発言が二転三転する」と言われたのが心外だったのか、何度も「研究ですので変更もありえます」と言うようになった。
発表資料も何度も突き返されたところを、指導教員が大枠を作り、こちらはデータだけ書き加えればよいことになった。
雑用当番やゼミ会、研究室行事も免除となり、学部生に準じる夏休みももらえた。
修士論文は序論として先行研究に続いて自分の研究背景をまとめ、あとは研究報告書を要約していけば完成した。
その代わり、
・私の研究ポスターや発表実績を外部(研究室ホームページや研究棟の廊下など)に公開しない
・修了間近に私のデスクを片付けに行ったら、そこが荷物置き場になっていた(最も、研究室を飛び出す前からよくこうなっていたが)
など、私をいなかったことにしたいようだった。
学位記授与式を過ぎ離籍しても、就職先への出社日前日まで研究をさせるところだったが、私は修士論文を出した時点で解放された。
(本当はこれ、部外者を研究に従事させているので万が一のことがあった時を考えるとマズいことなのだが…)
結局、修士の学位記と認定証、そして「修了おめでとうございます。さようなら」とそっけない言葉をもらい大学から去った。
(なお、博士課程については、1年次後期の時点で指導教員直々に「テメーはダメだ」と言われたので断念していた)
何のつもりか研究室からの寄せ書きもくれた。数人はメッセージなしか当たり障りのない内容だったけど。
一応研究ノートとかは返してないが、こちらも特におとがめなし。まぁ「門外不出にする価値もない」ってことなんだろうけど。
研究室に感謝する義理もないので、研究室のパソコン内のデータや研究実験用ソフトなどを全消しするプログラムを仕組んでおいた。
バレにくくするため、研究室を去ってから数か月後に全消しプログラムを作成してから消えるパッチファイルだけ入れておいた。
全消しプログラム生成からさらに数か月後、そのプログラムが作動しパソコンがダメになるというわけだ。
今頃どうなっているか気になるが、今は部外者で研究室とも仲が悪かったため覗きに行くことができないのが残念だ。
ところで、私が去った後の研究室や専攻の方針がどうなったのか気になるところである。
私のような学生のニーズに最大限配慮した研究・進路指導をするようになったのか。
20年は前の話なんだけど。弟が小学校低学年のとき、夏休みの自由研究で賞をもらった。
全校集会の際に表彰された。自分のことのように…自分のこと以上に、私はうれしかった。
私の弟だよ!!すごいよ!!って叫びたいぐらいうれしかった。叫ぶ代わりに手が痛くなるくらい思いっきり拍手したのを覚えている。
っていう、ほのぼの話をさぁ……両親にしたらさぁ。実はその裏話が過酷だったらしい。
セミが脱皮する様子を一晩中見守って、写真にとって感想と一緒に提出したものだった。そこまではいい。
「写真だけじゃなく絵に描き直してくれ。もちろん本人の手書き」
「文字も(略」
「家でやってくれ」
突如発生する夏休み1ヶ月並みの(は過言だけどまあそれなりの)作業量。
低学年の元気男児に。共働き家庭で、学童保育、食事や風呂…のあと寝るまでの時間。
「毎日、(弟)につきっきりになって。あなたには、ごめんねごめんねって言いながらやったのよ」といわれた。お、覚えてない…。
割と校風良かったのに……そうか……自由研究の賞ってそういう、大人ウケ・コンクールウケのために組み直されることもあるんだね。そりゃそうだ。
…いやまて。そりゃそう、か?それでいいのか教育よ。しんどいわぁ。
件の日、私は先に寝たけど、脱皮したてのセミの写真はとてもきれいだった。見知ったセミが、真っ白だと別の生き物みたいに見えた。覚えてる。
弟と両親で固唾を呑んで、カーテンに留まらせたセミを見守っていた背中も、覚えてる。
才能 * 努力 = 結果 だとして、結果が伴わなかった時のための言い訳用だと思ってた。
努力して結果が伴わないと才能無しと自ら示しているようなものだからね。
40代だけど、試験前に「全然勉強してこなかった」みたいなことを積極的に言うやつがたまにいた。
( ´_ゝ`)フーンと聞き流していた。
俺も別に努力したらかっこ悪いみたいなことを思っていたわけではなく、上記の式を意識していたのか積極的に勉強したことを喧伝したことはない。
ない...が、徹夜で試験勉強して備えるのは自分で考えたメソッドではないはずで、友達がそうやっているのをまねしたんだと思う。
だから、「勉強してこなかった」と主張する奴もいれば、「昨日は徹夜で勉強した」と主張する奴もいたな。
「徹夜で勉強した」と言ってくる友達には、「俺も夕食食べて風呂入ってコーヒー飲んで徹夜で勉強した~」と答えていたと思うが、
「昨日勉強した?」と言ってくる友達には、「まあまあ」みたいな答えをしていたと思う。
ここまで書きながら、元増田の学校のレベルや校風もあるのかなと思った。
自分の通っていた学校では「努力するのが素晴らしい!」「やらないと結果は伴わない!」としきりに教師が言っていたのでそこにそんなに抵抗はなかった。