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はてなキーワード: 学童保育とは

2024-02-20

anond:20240220112308

トー横はガキが集まる施設じゃないだろ

学童保育にでも集まればいいだろ

2024-02-14

平成女児チョコレート

私も姉と一緒に学童保育で作ったなぁ。

通学路にあるガソリンスタンドで働いてるおじちゃん姉妹揃ってプレゼントした。

めちゃくちゃ嬉しそうだったけど、今考えるとそりゃ嬉しいよな。

2024-02-08

学童保育」のことを「学童」と略すのはやめろ

学童」を辞書で引いてみろ、「児童」っていう意味だぞ。

子どもを預けるあれは学童保育。

それを学童って略すのは、認定こども園を「こども」って略すようなもんだ。

でもまあ普段の会話ならいいとしよう。

ありえないと思ったのは、テレビニュースでも学童保育を学童って呼んでいたこと。

おかしいだろ。

2024-01-05

anond:20231014165438

キレイ体裁かいてるから読みやすいけど外国人かChatGPTみたいな事しかかいてなくて草。

1 増税して教員給料を増やす

教員だけ特別扱いできないので←特別会計って知ってるかな?普通に公務員全体のサビ残なくすだけでもよくね?あるいは都会みたいに全校私立化でもよかんべ。公務員サビ残対策いつやるの、今でしょ

 

2 学校教育コマ数を減らして負担軽減

コマ数が減った分教育レベルの差が大きくなります。←スマホリテラシー性教育だけでももっと「まともに」やろうや。情報Iをやるまでまってるうちにお子様ケイタイ出会い系いっちゃう子がでてるわけでさ。社会をおしえてない社会科って本当に必要?あるいは生物でいつまで亜熱帯に向かない朝顔そだててんの?

 

3 部活動廃止

暇を持て余した帰宅部が増えます猿山を作りたい人たちが暇になるので暴走族などが結成されやすくなります。←いつの話してるんよ。塾だよ塾。

4 外部委託推し進める

待遇が悪くて人が集まらない正規教員より更に待遇が悪い外部委託に人が集まるのでしょうか?そこをまず検討したほうがいい意見です。←学童保育って知ってるかな、すでにあるんだけど。

5 式典や集会を減らす

式典に参加する経験が積みにくくなります災害発生時の点呼などで綺麗に並ぶのに時間がかかるようになるかも知れません。←これ本気でいってる? セルフレジフォーク並びできる世代やぞ。

6 修学旅行体育祭文化祭等を減らす

日常下での集団行動経験が積む機会が大きく減ります。← これだけはちょっともったいないコミケいこうぜコミケクールジャパン教育

 

7 家庭訪問廃止

虐待貧困発見が難しくなります。家庭環境の違いによって起きるコミュニケーションのズレなどを予測しづらくなります。←教員がやらずに民生委員がやればいいのでは。

私は「素手便所掃除をさせる」「農作業を手伝わせる」といった各校ごとのオリジナリティあふれる教育方針とやらを完全に廃止するべきだと思っています。 ←どんだけ遅れてるんだろうね。

8 教育のやり方を決める権利学校から奪い取れ

これが私の出した答えです。←極論いっとけばワンイシュー政権とれるとおもってるアホ野党ってよくあるよね、元NHK党とか女子党とかなんとか

2023-12-28

虐待されてる子に初めて遭った

追記:伸ばすつもりはなかったので念のため半分以上削除しました。

ーーー

 

児童相談所に対する期待が地に落ちた

虐待されてるなら児童相談所行けよ」と思ってた

評判悪いのは分かってたけど、言うて令和やぞと思ってた

でも話聞くと、評判より更に悪かった

一時保護刑務所よりキツイらしい(3人くらいに聞いたけど皆同じ意見だった、別の地区で)

今その子児相虐待を感づかれないようにしている

あざとか傷とか見えないように隠してる

地獄だよね

 

児相も悪気があるわけではないんだろうけど、週に数回ヒアリングされて

ダメなら一時保護or施設送りで一家離散

上で書いたとおりなので、気分は仮釈放中の犯罪者よりしんどいだろうと思う

親が色んなことしてくれないので自分でやるしかなくて(例えば学校手続きとか、学費の援助申請とか)

忙しい上に児相時間を奪ってくる

一時保護されたら勉強できなくなるので詰み

どうやって抜け出すんだこの状況

 

施設に入りたくなり理由

兄弟がばらばらになる

・他県の施設になるから友達ともお別れ

私物も何も持っていけない

から嫌だとのこと

かにこれは生きるか死ぬかの状況にでもならなきゃ選択しないね

何で近くの施設に入れないのかと言うと、空きがないかららしい

年齢・性別で振り分けられてるのだとか

 

片親のほうがまだまし

両親どっちもクズというパターンが一番キツイと思った

片親虐待っ子はまだ何とかなってる

両親どっちも働いてないから、片親支援すら受けられない

(なお片方が消えたら自動的施設行きらしい、かなりギリギリのところに居る、拒否権はない)

 

給食があまりにも重要

給食くらいしかまともに食べてないとか

食べてるとしても炭水化物だけとかそういう感じ

の子兄弟全員よりにもよって痩せの大食いらしく、ご飯と塩だけとか、パスタに塩と油だけで食べてるらしい

 

何とかギリギリ死んでないのは結局周りの人間

近所のおばさん(他人)がちょいちょい助けてくれるらしい

逆に助けたり手伝ったりということもあるとか、日本でもそういうのまだあったんだな

あと何人か事情を知ってる友達も助けてくれるらしい

昔は学童保育も助けてくれたとか

それでもギリギリ、正直周囲の助けって何人か居ないと無理なんだと思う、まるっきり面倒見るわけにも行かないし

 

18歳未満の権利の弱さが人権を疑うレベル

中学生はともかく高校生が自立できない国になってしまった

18歳で成人にしたのにね

特に高校生が意外としんどい中学生義務教育からね、高校生義務教育でもないのに人権がないっていう意味分からん存在になってる

家出もできない、知ってると思うけど家出して誰か大人の家に無断で泊まったらその人は誘拐罪になる(虐待親は気まぐれで過干渉になるらしい)

そりゃあ「親ガチャ」なんて言葉流行るわな

 

文化がない

クリスマス無し、正月無し、誕生日無し、お盆無し

世の中がキラキラするほど憂鬱になるのは非モテだけじゃないらしい

 

全体的に国も自治体も冷たい

児相の評判が悪いのは人手不足

施設が足りないのは予算不足

この国は相変わらずだなと思う

まあ人のこと言えないけどね

 

日本の子ども支援シングルマザー支援が薄いのは、その対象になる割合が少ないかららしい

海外もっと割合が多いから、その分手厚い

と言うか日本って「最も不幸な1割」に厳しいイメージが有る

基本無視してると言うか

 

本人の努力だけでどうにもならんのだなっていう感想

 

____

 

一時保護施設の話を何人かからいたことがあるんだけど

そもそも不良の子虐待の子を一緒に入れておくのが違和感あった

問題児たちを集めておく施設」と捉えるとしんどさはわかるでしょう、昭和初期の学校みたいな状態

私語厳禁でトイレ自由に行けず学校にすら行かせない、ずっと自習

これはNHK取材だけど、他でもあまり変わらない様子

https://www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20230414a.html

https://www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20230414b.html

人手不足なのもわかるし、子供を何人も預かるならそうなるしかないというのはわかる

わかるけど経験者は「刑務所みたい」「もう行きたくない」という場所になっている

けっして避難所ではないから、虐待の気がある人に安易に「児相相談しろ」って言えなくなった

 

施設に入りたくない理由そんなにわからないか

3つ隣の県とかになる可能性とかもあるんだよ

しか一人ぼっち

例えば両親がいなくなったとか、一人っ子とか、いじめられてるとか、友達がいないとかならともかく

弟妹が居て、友達がいて、近所と仲いいとかなら回避しようとするでしょ

高校だと転校も簡単ではないからね

2023-12-20

anond:20231220181235

貧乏人なので麦(オートミール)を毎日食ってる

パンはたまにしか食わん

貧乏人らしくリーンなパンが好きな大人に育っちまった

VIRONとメゾンカイザーがわりと好き

CITY BAKERYが嫌い

あとさ、貧乏片親家庭出身者の私としてはオヤツって「学童保育で食べるもの」なのよ

から片親パンって名称を作った人ってどういうシチュエーションでそのパンを与えられてたのか純粋に気になった

朝食かな?

うちはケロッグシリアルか、8枚切りトーストマーガリンジャムタップリつけたものが多かったよ

食パン銘柄特に決まってなかったし、超熟も本仕込もダブルソフトロイヤルブレッドも何でも食べてたわ

菓子パンだと、薄皮シリーズはあまり買ってくれなくて、5〜6個入りのあんぱんやクリームパンスティックパンは親が気まぐれに買ってくる程度

かに親が気まぐれで買ってきて食べてたのはヤマザキの「高級つぶあん」「北海道チーズ蒸しケーキ」「ホワイトデニッシュショコラ」「ナイススティック」「ケーキドーナツ」「カレーパン

小田急線沿線に住んでたから、たまーにHOKUOチョコ菓子パンを買ってくれることがあって、これは超贅沢なことだった

木村屋あんぱんはなぜか滅多に食べたことがなかったな

親が買ってこなかったので大人になるまで食べたことがなかったのはヤマザキの「スイートブール」

親がたまに買ってきたけど、好みじゃなくて親以外だれも食べなかったパンといえばヤマザキの「スペシャルサンド」「ミニスナックゴールド」「アップルパイ」だね

というわけでさ、片親パンとか言ってる人は片親家庭の代表ヅラすんなって話

たとえ貧乏片親家庭だろうと好みに合わねーもんは誰も食べないの(知ってんだろそのくらい)

そもそも低価格効率的エネルギー摂取可能にする代表的なパンは袋入りスティックパンとかじゃなくて食パンだっつーの

どうしても片親パンという言葉を使いたいなら食パンに対して言えよ

2023-12-15

anond:20230719001237

数年前に引っ越して来たペット可マンション柴犬飼ってる人が住んどって廊下エントランスであのムッチムチモフモフの食パンみたいな色合いの体を左右にユッサユッサ揺らして日の丸弁当みたいなお尻をフリフリしながらくりんくりんの尻尾を左右にピョコピョコさせて一生懸命歩いてるその柴犬のことをすれ違いざまにいつも姿見失うまで凝視してて毎回ギュッとしておでこにちゅっちゅして顎の下撫で回しながらモフモフして布団に連れ込んで抱っこしながら一緒に寝落ちしたい衝動に駆られるけどそこは気持ちを抑えて幼少期に数年通ってた学童保育で飼ってた柴犬を日が暮れて親が迎えに来るまでの時間ひたすらモフり倒して毎日散歩してうんちの処理してたまに一緒に昼寝してた最強の記憶を思い出しながらうちの8kgあるプヨプヨ長毛猫を抱っこして額にちゅっちゅちゅっちゅして夜はお布団に連れ込んで頭と顎の下撫で回してゴロゴロゴロゴロ言わして寝落ちしてるから猫は猫でたまらんしその度にうちの子世界一可愛いからまあ柴犬ちゃんは見逃したろと思うけど後日あの柴犬ちゃんとすれ違うとまたプリプリ日の丸弁当みたいなお尻にガツンとやられて両手でお尻もみもみしてモフモフしたい欲がムラムラ湧いてきて飼い主さんに挨拶しつつ柴犬ちゃんもついつい赤ちゃん言葉で声をかけるけど飼い主さんは会釈するだけで柴犬ちゃんも相当訓練されとるようでこちらには一瞥もせずカッチカッチカッチカッチ爪がコンクリートに当たる音を響かせながらそそくさ通り過ぎてくから未だ何の進展もないけどかと言って別の柴犬を飼って愛でるのは違う気がするしそういうときはまた我が家の8kgあるモフモフプヨプヨの長毛猫のフサフサケツをもみもみして額にちゅっちゅちゅっちゅしてギュッと抱っこして夜はお布団に連れ込んで頭と顎の下撫で回してゴロゴロゴロゴロ言わして最後はウザがられて見事な高速猫キックを喰らいつつ脱出されて寝落ちするけど通勤途中にちょっと寄り道すると庭でミックス犬放し飼いしとる家があるから時間があるときはいつも寄り道してこちらを補足したら一目散に駆けつけてピョンピョン飛び跳ねながら一生懸命吠えて番犬ウバウするその姿にほっこりしながらいつもおうちまもっててえらいでちゅねえきょうもおっきいこえだせてげんきでちゅねえけさもおいちいごはんたべまちたかいっぱいなでなでちてもらいまちたかぁって話しかけてるけど未だ飼い主さんには見られてないか別になんも恥ずかしいことはないしまだまだいけそうやからそのうち絶対柵越しに頭とマズルと顎の下撫で回せる仲に発展させてキュンキュンキュンキュン言わして優勝したるで

2023-12-14

気になったこ

毎日、「お前は無能だ」「お前のせいで家が貧乏になった」「成績が悪いから、俺たちの老後がなりたたない」と説教される

(略)

家は埼玉県

最後に「両親は死んでいる」と明かされるわけなんだが、毎日説教してる奴って誰なん? 親戚? 恋人? それともイマジナリー両親?

その「家」って何なの? 元々の持ち家に住んでんの? 親戚の家?

自立ができない。お金がない。塾の講師ができない。一度、首になったから。暗い、何を言ってるか分からない、自信がなさそう、それで生徒からの評判が悪すぎた。

かに滑舌も悪く、何を言ってるかわかりにくく、視線をまともに合わせることもできない。

生活費どうしてんの? 親の遺産

私の両親は、両方とも国家公務員だった。

母はまじめだが家事はしない。残業帰宅20時になる。父も定時で帰れることはない。

から子供の時、ずっと私は保育園で泣いていた。みんながお迎えで帰る中、私一人だけが夜遅くまで残っていた。

しかった。夜遅くの部屋で、一人、私はずっと泣いていた。それが子供の時の記憶だ。

そうですか。大変でしたね。

小学生の時の記憶はない。

なぜだろう。

しかったような、楽しくなかったような。

ただ、勉強ばかりしていたかな。

なんでここでいきなり具体性がぶっ飛ぶの?

そら「大した思い出が無い」ことはあるだろうけど「記憶が無い」って何なん?

保育園時代の延長であるなら学童保育かなんかに行ってたんだろうし家で親を待っていることもあっただろうが、それを全部ひっくるめて「勉強ばかりしていた」はちょっと雑すぎじゃね?

設定作りこむのがめんどくさくなった?

中学生の時は楽しかった。

彼氏がいたせいもある。

誰かと一緒にいる時間は楽しかった。

学校帰りに食べたカップラーメンがおいしかった。

でも、彼氏は転校していなくなった。

キスもしていない。当然、肉体関係もない。

この唐突な「セックスしてません」告白はなんなの? 本筋にまったく関係なくね?

高校受験の時、母が精神疾患んで入院した。

いつも私に罵声を浴びせかけていた。

しね、ころされろ、お前がいるから私が不幸なんだ、お前がいるから、お前がいるから。

地元のそう偏差値も高くない公立高校合格した後、母は死んだ。

退院後、すぐに自殺をした。

そのレベルだと恐らく「措置入院」してんだけど、何で退院できたの?

死に方が凄惨だったな。

自宅のリビングで、手首と首を切り、血しぶきが家中に飛び散っていた。

警察が来て、わたわたしていた。

血しぶきが飛び散るレベルは首をそうとうスッパリやらないといけないんですが、本当に飛び散っていたんでしょうか。

父は、それ以降、気が狂った。

父はうつ病になり、仕事休職したが、失踪した。

先週、失踪した父が亡くなったという連絡が警察から届いた。

川で溺れたらしい。は?

勝手に死にやがって。

知らんし。

生活費どうしてたん? お母さんの遺産? 遺族年金

私はどれだけ空虚時間を過ごしたと思ってるんだ。

誰か助けてよ。

私は、どうしたらいいんだよ。

何も分からないんだよ。

とりあえず増田釣り投稿するのをやめてみてはどうでしょうか。

anond:20231212233127

2023-12-03

人手不足学童保育職員を集めるには・・・

学童職員足りない、給与低く人材流出暮らしていけない」…待機児童解消の壁に : 読売新聞

https://www.yomiuri.co.jp/national/20231203-OYT1T50020/

悪さしたガキを殴っていい、不遜な態度をとったガキを叱りつけていい、癇癪を起こして暴れるガキを閉じ込めていい、っていう当たり前のしつけを法律保障してくれれば、「それなら私にもできる。社会のために子供の面倒を見たい」って低賃金でも大勢の応募が集まると思うよ

2023-11-27

認知症祖母が亡くなった

喪服に腰回りが入るか心配をする季節。祖父三回忌がもうじき行われよう、という頃であった。


祖父を追うようにして、と言うには少し年月が経っていた。そして、三回忌になる祖父の死を、祖母認識できていたかは、はたしてわからない。


介護4。祖母認知症を患ってから、もう20年は経っただろうか。


合掌。


**


戦前を知る祖母海外旅行が好きで、アルバムが何冊もある。そのほとんどをめくったことはないし、思い出を尋ねたこともないが…。実に惜しいことをした。


裁縫が得意で、幼少期に好きだったゲームキャラクターぬいぐるみを、ねだって作ってもらったことがある。手作りプレゼント、と思い返すと、今でも気持ちがあたたまる


祖母は長年、自営業だった祖父会社経理を務める傍ら、学童保育なんかの地域活動に勤しんでいた。60歳を過ぎたあたりで、そうした仕事縁が切れてしまったようで、毎日特にすることもなく、会う人もなく、自室に籠りがちになった。


特に具合が悪いとは聞いていないが、時おり部屋を覗きに行くと、散らかり放題。まず、足の踏み場がないくらい服が散乱している。万年床で力なく横たわる祖母の頭上には、布マスクが何枚も干してあり、床には消費期限切れのあんぱんやバナナが、袋に入ったまま潰れている。


当時はげっそりするばかりで、祖母を慮ることができなかったが、おそらく、鬱だったのだと思う。社会に、自分の居場所がなくなってしまったのだ。家族でさえも、居場所を作れなかったのだと思う。


おばあちゃん、なんかヘンだね、と家族話題にあがることもあるが、「しっかりしてよ!」と本人に言うくらいで、解決のしようがわからない。これからしばらく経つと、祖母の口から物や人の名前が出てこなくなり、めっきり口数が減った。


**


次いで、認知症らしい症状が出てくる。


自分食事が済んで部屋に戻ったあとで、入れ歯咀嚼時間がかかり、食事の遅い祖父に対して「まだ食べているのか」「洗い物ができない」と小言を言いにくるようになった。…3分おきに。


まりに頻度が過ぎるので、逆に祖母咎められる始末。でもまたすぐに、小言を言いに戻ってくる。まるでコントのようだが、本人の言い方は鬼気迫っている。見方によっては、祖父にだけは強く出られる、…それは愛情だったのかもしれない。


わかった、わかった、と折れるが食事の終わらない祖父。 その後、また小言を言いにくる祖母祖母老人ホームに入るまで、夕飯時はこのシーンが毎日、繰り返されることになる。


**


振り返って、認知症の決め手に思えたのが、「死んじゃいたい」という祖母発言だった。小言を言うようになって1年ほど経った頃に、祖母ふいに口にしたのだった。


なんてことを言うんだ…! …と驚いた。家庭に、希死念慮のある人がいるとは。


「情けないよ、死んじゃいたいよ」


これを何遍も繰り返す。認知症の人は、直近の出来事記憶はなくなっても、腹が立った、哀しかった、恥ずかしかった、という感情は残るのだという。おそらく祖母は、このときには自身認知症をはっきり自覚していて、それに伴う負の感情が、いよいよ堰き止められなくなったのだろう。


これはもう家族の手に負えない、と思って診断を受けてもらうと、当時は軽度ではあったが、やはり認知症認定をもらったのだった。遅かった、と悔やむが、早ければどうにかできたのだろうか。接し方くらいは、変わったかもしれない。


買い物は危ない。出先で声をかけられたのか、家族登録済みの生協個人でまた登録してしまったり、フルーツ訪問販売に食べきれないほど買わされそうになったり、人の良さや判断能力の鈍さに"付け込まれる"ことは多々あったが、それでも祖母は、自宅で自分身の回りのことをやれるだけの元気はあった。


**


我が家ではねこを飼っている。認知症祖母にとっても、ともに同居する家族にとっても、ねこ存在は救いだったと思う。


相変わらず祖父への小言は絶えなかったが、ねこを愛でるときは、祖母本来の、やさしい気質を感じさせた。


**


祖母と過ごした時間は、祖母認知症を患ってからの期間の方が、ずっと長くなった。


もう祖母の思い出というと、例の夕食のシーンがほとんどだったが、あるとき反物をもらったので、これを浴衣にしてほしい、と無茶を頼んだことがある。


「ずいぶん久しぶりだから、どうかしら…」

ちょっと困った顔をしていたが、やるだけやってみる、と十数年ぶりかに、針と糸とを手に取ってくれた。


数日後、ちょっと丈の短い浴衣が完成していた。物が出来上がったこともうれしかったが、大変だったのよ、とこぼす祖母の"小言"にも、うれしさを感じた。


**


それから私は家を出て、LINE家族から近況を伺うか、たまに帰ると名前を忘れられている人になるか、そういう距離感祖母と接していた。


認知症が進み、施設介護必要になってきた。ショートステイから始めて、遂にホームに入居するようになった。相変わらず、祖父食事が遅いが、それを咎められることもなくなり、家は静かになったそうだ。


一方で、祖母ホームではよく食べるようで、自宅にいた頃よりもがっちりとした姿を写真で見せてもらっていた。


**


一昨年、祖父が持病で亡くなった。


"長生き"が目標。90歳を超えて、呼吸や聴力、咀嚼に難はあったが、認知能力問題はなく、足腰は丈夫で、最後まで自分身の回りのことはこなしていた。友人には先立たれ、お金もあまりなかったようだが、酒と煙草はやめられない。…適量でね。カメラ高校野球が好きな、元気な人だった。大往生だろう。


年齢からすると、祖母大往生と言える。ただ、人生の後半20年は、認知症との並走だった。家族も辛かったが、本人も辛かっただろう。どんな心境だったか、皆目検討がつかない。


本人が「情けなくない」と自分安息できた瞬間は、この老後にあっただろうか? ひとつねこを撫でているときは、そうだったかもしれない。


孫の私は30歳を超えて、訃報を聞いたきょうも、だらしなく生きている。もう倍生きると、祖母認知症が始まった歳になる。


「情けないよ、死んじゃいたい」と、私もいずれ、誰かに言うことになるかもしれない。誰に言えるだろうか? そう口にしてから、どう仕切り直していけるのだろうか?

2023-11-20

anond:20231120162754

ランドセル体操服・シューズなど学用品全部無償配布+給食が豪勢な小学校

+夜20時までスプラしてあそべる学童保育があれば

家で子供に金がかかることなんてほぼないよ

義務教育が国の義務じゃなくて親の義務になっとるのおかしいやで

2023-10-11

anond:20231011152043

社会状況があまりにも違い過ぎるからねえ

誘拐犯の数や治安や、学童保育や野生生物危険度まで


そういった部分まで含めてアメリカと同じにしようというなら(アホだけど)分かるけど、県議風情だから環境は変えられないけど児童への扱いだけはアメリカ並みにしようって、端的に言って県議さん達知能足りなすぎない?という感想になるでしょ

2023-10-10

まあでも虐待ではあるよね

小3以下の子供を1人で留守番させたり、大人の目が届かないところで子供だけで遊ばせるのは虐待だよ。

問題は、止むに止まれずそうしている親に何の解決策も提示せず虐待だと言うだけなところで、例えば学童保育毎日20時までやりますとか、何らかの解決策を同時に提示すべきだった。

からと言って、子供を1人にしておいてもいいという話にはならない。虐待を「他にやりようがないか虐待じゃないことにしよう」というのはおかしい。親も「条例撤回しろ」と言うんじゃなくて、「虐待だと言うなら預け先を作れ」と言うべき。

2023-10-08

埼玉県虐待禁止条例は全国に広げるべき

反対派(特に女)が多くて驚いてる。

子ども一人で留守番させれないと言うが、対象小学校3年生以下。子ども一人を車や家に放置して外出は良くないのは当然


共働きひとり親家庭

保育園学童保育ファミリーサポート利用すればいい

子どもを置いて買い物行けなくなる

→連れていけばいい

子どもが熱を出したら買い物に行けない

ネットスーパー宅配利用すればいい

朝のゴミ捨て

保育園に送るついでに捨てるとか、小学生なら子どもが家を出てから捨てれば良い


懲役罰金はないんだし、もし本当にやむを得ない事情一時的子どもを一人にした場合児童相談所通報されたとしても子どもを取り上げられることはないだろう。

この条例に反対する人が多いってことは普段それだけ放置してる親が多いということ。

本当に日本やばい

anond:20231008120024

民間保育が高くて使いたくないから、公的学童保育を充実させろって話だと思ってたよ。

パワーカップル民間保育で満足してるなら、公的な保育は多少質が低くても問題ないのかな。

色々と問題は頻発しそうな気もするけど、ないよりはマシだろうし。

子供一人で留守番ってのがあんまり良くないのは確かなんだよなぁ

俺の家は両親共働きで、祖父母が同居してはいたんだが二人共病気がちで俺や妹の面倒を見れる状態じゃなかった。

そんな家庭だったので、小1くらいか祖父母調子悪い時に家の事を色々やるようになった。

簡単料理作ったり、洗濯機を回したり(取り出して干すのは手が届かなかった)とか程度だけどね。

その程度の家事でも今考えると危なっかしい事やってたなぁって記憶結構ある。

目玉焼き焼いてるフライパンをうっかりひっくり返してあわや大火傷ってなりかけたり、洗濯機の中に落ちそうになったりとかね。

ちゃんとした料理じゃなくてもお湯を沸かして使うだけでも、小さな子どもにとっては結構危険行為だ。

でもお湯も湧かせないんじゃカップラーメンすら食べられない。

から一人は大人子供の側にいた方がいいのは確かなんだよなぁ。

かといって核家族化が進んだ現代家族の誰かが面倒みるのは難しい。

ベビーシッターや家政婦さんを派遣するのも、マンパワーが不足していくこれから日本ではどう考えても現実的じゃない。

学童保育もやる気がある人のボランティアで成り立ってるようなところがあるからなぁ。

予算人員をつっこめばいいって人もいるだろうけど、仮にそれをやると絶対に保育の質は下がるんだよなぁ。

首都圏子育てしてるって一人親を除けば世帯収入の多いパワーカップルが主流な訳で、そういう人達が満足する様な質の保育を規模を拡大しながら提供するのはまず無理だと思う。

ドラえもんでも作らないと、この問題解決できないんじゃないだろうか。

2023-10-05

結論的には少子化対策は、子作りの努力目標化と45歳以降の子無し税

子作りは個人の「子を持ちたい」という願望への依存だけでは、必要十分ではない。→人間が生まれる源である共同体の維持、持続性には個々人で子作りの負担を分担しようとしないと維持できない。今より格段に貧しかった先祖の苦労で生存できているのに、自分の代になれば、辛ければ後世を残すという責務はなくて良いのか?子作り育児の困難をいかに取り除こうとするのではなく、絶対負担がある子作りの困難をいかに受け入れられるようにするかが肝心。子作りの「位置付け」を、苦労で諦めてしまう「個人意思や願望でもうけるものから個人、および共同体の持続性に必要不可欠なもの位置付け、税のように広く必ず「共同体負担すべきもので個々人が協力すべきもの」へ。現代人の自由人権を守って、貧しければ子供を作らずに少子化でどんどん日本人が減少し、移民主体の国に置き換わっていくか、個人が貧しくても子育て負担を受け入れて生き残るか、突きつけられる究極の2択ーー。いや、子を持ちたい人を支援すれば、子供を欲しがる人の意思だけで、増えていくハズ←増えませんでした(確定事実・少しでも出生率改善しているわけでもないので、量が不足していると考えるより、方向性が間違っていると考えるべき)。

出生率低下の原因】

現代は昔と比べて出生の要素が減少した(子作りを個人意思コントロールできるようになった)。

出生率が高かった時代の子が生まれてくる要素は①「子を持ちたい願望」に加え②「農業労働力や後継男子が生まれるまで子を作ろうとした(インセンティブがあった)」③「道楽としての性欲」④「避妊堕胎がなかった」←そもそも出生率が高かった昔も親の子供を持ちたい希望だけで、人口が維持、拡大できたわけではない。つまり、本意でないのに作っていた群もいて、その結果、人口が維持拡大できた。いわば、不本意でない出生が人口維持や増加を支えていた。もちろん苦労もあり、苦労と出生数はトレードオフ関係だった。

しか現在日本(他の先進国も)は①子を持ちたい願望だけの「一本足打法」になった

子供が生まれる要素が減り、これだけでは出生率2以上には足りない。もともと、子供を持ちたい願望のある世帯だけでは、出生率2に足りない。

・個々人にとって結婚や子作りに消極的な主な理由経済環境があげられるが、人間社会にとっては少子化になったのは願望や愛情をそそぐ満足感を得るためのものになった(子供位置けが生産材→消費財へ)

・原因は子作りや結婚経済環境的な障壁ではなく、障壁に感じるかどうか。

→それは、結婚や子作りが個人主義の台頭でほぼほぼやるべきものから個人裁量対象になり、個人志向

依存することになり、(例・ペットは狩りができなくなったのは、ペットに聞けば狩りは難しい事を原因に上げるが、本当の原因は人間に飼いならされてしまたから)

理想の子供の数の平均は2.5人程度だが、これは貧しければ簡単に諦める人も含まれる「熱量」が全く考慮されていない数値。資本主義という制度上、必然的存在する貧しい層の存在に対し、「賃金を上げられれば」など、無責任で実現できないタラレバを唱えても時間の浪費と共に少子化が進行するだけ。

・したがって、いくら育児支援をしても、子を欲しがる人の数が足りないので効果が出ない。アンケートでも、金銭面や環境面だけではなく、自分時間が潰れるのが嫌だからという回答多数。

先進国ほど少子化、豊かになるほど少子化 ←エンゲル係数は下がり、全自動洗濯機など家電は便利になり、家事負担も減り、保育所の整備は進み、待機児童も減り、育児休暇率も上がり、男性育児参加も進んでいるのに、出生率は低下。結局、子作りや育児負担がある限り、また別の何かに不満や負担を感じてしまう←不満や負担問題解決ではなく、どのみち解消できない不満や負担を受け入れることが重要

個人自分にとって最適な行動(コスト負担を避けるために子供を作らない)をするほど、出生率は低迷する

過去と比べた場合出生率低下の原因=1970年代前半まで既婚率97%、貧乏人でもほぼ結婚して子供を作っていた。「個人主義の台頭による子づくりの優先順位の低下」(経済環境で諦める対象になった。子作りにおける世代扶助より自己実現を優先)経済環境は原因ではなく結果。

・昔「みんな必ず、大変でも子供は作りましょうね」→現在「子作りは各々の自由ですよ〜」→当然、経済的、環境的に大変な人は子作りを避けるようになる

・逆にいうと、子作り圧力などにより、先代が結果として自己利益犠牲(昔の方がエンゲル係数が高かった→昔は今より無理して子供を育てていた)にした結果、現代人が存在できる。

社会のレールは「子作りと仕事の両立」ではなく、実際には「完全に仕事を優先」(新卒一括採用の掟)してしまっている

教育費が高い問題子供の数が少ないから、教育費に金をかけられる→金をかけるから金がかかるになる。

出生率向上の上でのポイント、注意点】

負担回避しようとする(無理=その間に少子化がどんどん進行してしまう)のではなく、いか負担を受け入れてもらうか。出生を子育て世代の願望による産物ではなく、生物学的な道理摂理に根ざしたものにすべき(人口維持に必要な数を目標にすべき)。→手順や方法ではなく、結果(出生率)に拘る。ターゲット戦略型にする

・子作りは楽ではなく、元々大変なもの問題なく少子化解決できる「魔法聖杯」を探し続ける時間が長いほど少子化は進行してしまう。

移民政策では、出生率低下により減り続ける日本人少子化問題解決しない。→単純に減り続ける日本人の代わりに移民と置き換わるだけで、共存が続くわけではない。X字のように、時間の経過とともに、人種構成移民と置き換わるだけ。日本人がいなくなっても日本列島に移民がいれば解決ではない。

少子化対策は質より量を目指す。数字ありきが正解。←質を保ちつつ、量を目指してきたが、結局失敗した(量が競争により質を向上させる面も)。

・出生の機序と誤解

生物学的には性欲→性交渉→出生→愛情が芽生えて育児 

子供が欲しいから作る人が大半だが、全てではない。←ここがポイント。完結出生児数が2ならば、100%の人が結婚しないと少子化確定(そんなの無理)。

そもそも、全ての人が最初から結婚し、子供を望んでいるわけではない。←生物学的にも子供本能希望だけではなく、元から全ての要素ではない。←あくまで授かって生まれ子供愛情が芽生えるのであって、愛情最初からあって作ろうとするのではない(本来は順序が逆)。

労働やりがいではなく、出生率を優先すべき。持続性が生命大前提。それが担保された延長線上に個人のやりたいことや夢がある←人間は目先の報酬を優先してしま

・子作りは生物学原理なのに、個人価値観対象としてとらえらてしまっている。→生物自己価値観合致しているか子供を作るわけではなく、あくま本能人間生物額的本能が退化してしまった可能性がある。

共同体の持続性は、個々人の負担で達成される。(個人利益と相反)共同体というプールがあるから人間存在できる。一代(今の自分自身)の人間利益を最大化すると共同体の持続性が毀損され、やがて人間少子化によりどんどん存在できなくなる。

選択肢が多いほど不幸になる「選択のパラドックス江戸時代農村結婚相手が限られていた

・「出生率向上の目標」は子育て環境満足度や子作りの納得感を上げることではなく、出生率の数値を上げること。子育て世代の満足感の向上への努力出生率向上に繋がっていない。納得感、満足感ではなく、出生率数字向上を重要視する(少子化感情モラル倫理観ではなく、「数」で決まる現実を受け入れる)

子供を増やすことによる副作用より、まずは頭数が重要。無理に増やすと、問題も増えるといって対策を打たなければ、プラマイゼロではなく、出生率低迷の長期化による出生数減はどんどん進行する。

・無理やり増やそうとするデメリットより、少子化デメリットの方がはるかに大きい(子供を無理に増やすことの問題が増えても社会は持続できるが、少子化時間の経過で物理的に絶滅する・例=癌と一緒。痛みがなく治る方法を探しているうちに、どんどんガンが進行して取り返しがつかなくなる。

→痛みがない方法はあるかもしれないが、見つからない段階ならさっさと痛みを堪えて切除するしかない)。現状は、「賃金を上げよう。環境改善しよう」と雀の涙給付無責任念仏を唱えるだけ

→これで出生率が上がるわけがない。

・子作りは自由から逆に責任が生まれ責任回避動機から減ってしまう。

子供を作る方法自体は、性交渉であり、実は簡単動物繁殖もやることは分かっているため、簡単。ただ、現代社会性交渉の機会を増やすことは非常に難しい。また、人間で難しいのは人権があるという点。逆に言えば、出生率改善しにくい原因は子育て世代人権保護を「優先」する為と言える。さらに逆に言えば、かつての子育て世代は周囲のプレッシャーなど窮屈な思いをして、自己実現生活水準我慢した結果とも言える。10割、自分の為に生きるのではなく、3割は次世代の為に負担を受け入れるという考え方の共有が重要

少子化解消への解決策】

・子作り(親世代が子世代を作って育てる=「世代扶助」)の重要性を教え、その価値観社会と共有する

→親や先祖による世代扶助(子作り負担)の結果、現代人が存在できるという仕組みを、しっかり社会で共有する(自由人権を主張できるのも、親や先祖の子作り負担の結果、出生できたから)←この因果関係をしっかり理解する。

・子を持つことの「社会位置付け」を変える

→子を持つことを、子育て世代の「幸福の実現手段の一つ」から社会的に共同体にとって「絶対必要不可欠な原理」に変える。←子育て世代の子どもを作ることへの責任感の向上があり、社会からの協力も得られやすくなる。

→子作りを義務的に考えれば、必然的教育競争は弱まる。現在自由意志だから結婚子育て競争になる。(生物学的に必要不可欠な要素は競争ではなく、分配の方が結果的にうまくいく)義務的になれば、無茶な競争意識から解放され、育ってくれればとりあえずOKとなる。実は義務である方が責任がなく子ができた後は精神的にはかるかに楽。自由意志だから責任が伴う。

↓↓

社会的に解決困難な課題個人にとって避けたい行動を導くにはルールを作り、負担社会全体で分担するのがセオリー。つまりルールを作ることが解決策。出生率が高かった時代事実上、ルールとして意識されていた。

ルール化と政府による積極的な子作り推奨・子作りの「社会的な位置付け」の変更←子育て世代希望者だけ子供を作るのではなく、皆で分担して作る→結婚子供を作る人が増えれば、相手も見つけやすくなる。

個人として避けたい負担でも全体にとって必要不可欠な行動はルール化するのが古今からセオリー、例えば税金貧困者も負担する。国によっては徴兵制もある(こちらは国を守るために命を投げ出せと言ってる)

子作り子育て世代になれば、子供を作りましょう(もちろん健康問題がある人は除く)

・子作りのタスク化(個人の願望の産物だと、モチベーション環境に左右されてて必要出生率を確保できない)

政府による要請

政府は期待、支援するだけではなく、能動的に子作りを「要請し、積極的に推奨」する。あらゆる生物共通する、共同体が持続するための『世代扶助原則負担があるから持続する)』を説明すれば多くの人は理解できるはず)

個人の「幸福手段」の一つとして子作りを位置付けるから幸福でないなら子供を作らないという行動になってしまう(幸福手段という位置付けだから、基本「勝手自助努力でやれ」になる)。大前提として子作りを「幸せの実現手段」ではなく、「個人存在の源でもある共同体の持続性に不可欠な存在」と定義する。そうすれば子育て世代は子作りに対する責任感が生まれ政府会社社会負担を受け入れて協力的になるはず。

②有利不利で動機付ける

実質的な「子なし税」の導入

人間は得をするための行動より、損を避ける行動を重要視する(「損失回避」=プロスペクト理論)例えば45歳以上で子供がいなければ、所得10%を課税される→早めに結婚でもして子供を作ろうとなる。また、子なし税は応分負担原則からいっても、共同体構成や成立、持続性において必要不可欠である子供を作らないのに、福祉だけ享受するのは不公平という理屈もある

・多額の給付金(財源は一般会計とは別枠の「子供国債方式」で持続性を担保→時の政権の介入を防ぐ。不正受給を防ぐために日本国籍限定

一生の納税額は少なくとも3000万円。1000万円配っても十分、ペイできる。

財源節約には、最初動機を高める第1子と子供を増やすための第3子以降を手厚くする。親のパチンコ代のために無責任に生まれても、生まれてこないよりもはるかにマシ。

良いこだけ産まれてくればいい、という都合のいい解決策は存在しないことを良い加減、学習しましょう。現代人が存在できているのも、元々は祖先労働力欲しさや性欲など打算の結果でもありす。もともと「子を持ちたい親の気持ち」だけで子孫たる現代人が存在しているわけではない。

子育て支援(そうはいっても大事)

・誰でも使える認可保育園学童保育の24時間営業バカ親に育児放棄されるより100倍マシ、育児負担感は大幅軽減、効果的な幼児教育もやればいい)

繰り返すが、人権個人自由などを一部、我慢して、仮に自身環境が悪くても、後世を残すことに対する負担をしないと、共同体の持続性が損なわれ、やがて個人少子化により、存在できなくなる。いわゆる移民政策を導入しても、減っていく日本人の傾向は変わらず、日本人が滅んで移民に取って代わられるだけで、日本人の持続性を担保できる政策ではない。

負担を受け入れても、子供が増えれば社会希望が増し、投資が増え、国民は豊かになる。

2023-09-08

少子化対策結論的には子作りの努力目標化と独身税しかないと思う

子作りは個人の「子を持ちたい」という願望への依存だけでは、必要十分ではない。→人間が生まれる源である共同体の維持、持続性には個々人で子作りの負担を分担しようとしないと維持できない。結果的に、今より格段に貧しかった先祖の苦労で生存できているのに、自分の代になれば、辛ければ後世を残すという責務はなくて良いのか?子作り育児の困難をいかに取り除こうとするのではなく、絶対負担がある子作りの困難をいかに受け入れられるようにするかが肝心。子作りの「位置付け」を、苦労で諦めてしまう「個人意思や願望でもうけるものから個人、および共同体の持続性に必要不可欠なもの位置付け、税のように広く必ず「共同体負担すべきもので個々人が協力すべきもの」へ。現代人の自由人権を守って、貧しければ子供を作らずに少子化でどんどん日本人が減少し、移民主体の国に置き換わっていくか、個人が貧しくても子育て負担を受け入れて生き残るか、突きつけられる究極の2択ーー。いや、子を持ちたい人を支援すれば、子供を欲しがる人の意思だけで、増えていくハズ←増えませんでした(確定事実・少しでも出生率改善しているわけでもないので、量が不足していると考えるより、方向性が間違っていると考えるべき)。

出生率低下の原因】

現代は昔と比べて出生の要素が減少した(子作りを個人意思コントロールできるようになった)。

出生率が高かった時代の子が生まれてくる要素は①「子を持ちたい願望」に加え②「農業労働力や後継男子が生まれるまで子を作ろうとした(インセンティブがあった)」③「道楽としての性欲」④「避妊堕胎がなかった」←そもそも出生率が高かった昔も親の子供を持ちたい希望だけで、人口が維持、拡大できたわけではない。つまり、本意でないのに作っていた群もいて、その結果、人口が維持拡大できた。いわば、不本意でない出生が人口維持や増加を支えていた。もちろん苦労もあり、苦労と出生数はトレードオフ関係だった。

しか現在日本(他の先進国も)は①子を持ちたい願望だけの「一本足打法」になった

子供が生まれる要素が減り、これだけでは出生率2以上には足りない。もともと、子供を持ちたい願望のある世帯だけでは、出生率2に足りない。

・個々人にとって結婚や子作りに消極的な主な理由経済環境があげられるが、人間社会にとっては少子化になったのは願望や愛情をそそぐ満足感を得るためのものになった(子供位置けが生産材→消費財へ)

・原因は子作りや結婚経済環境的な障壁ではなく、障壁に感じるかどうか。

→それは、結婚や子作りが個人主義の台頭でほぼほぼやるべきものから個人裁量対象になり、個人志向

依存することになり、(例・ペットは狩りができなくなったのは、ペットに聞けば狩りは難しい事を原因に上げるが、本当の原因は人間に飼いならされてしまたから)

理想の子供の数の平均は2.5人程度だが、これは貧しければ簡単に諦める人も含まれる「熱量」が全く考慮されていない数値。資本主義という制度上、必然的存在する貧しい層の存在に対し、「賃金を上げられれば」など、無責任で実現できないタラレバを唱えても時間の浪費と共に少子化が進行するだけ。

・したがって、いくら育児支援をしても、子を欲しがる人の数が足りないので効果が出ない。アンケートでも、金銭面や環境面だけではなく、自分時間が潰れるのが嫌だからという回答多数。

先進国ほど少子化、豊かになるほど少子化 ←エンゲル係数は下がり、全自動洗濯機など家電は便利になり、家事負担も減り、保育所の整備は進み、待機児童も減り、育児休暇率も上がり、男性育児参加も進んでいるのに、出生率は低下。結局、子作りや育児負担がある限り、また別の何かに不満や負担を感じてしまう←不満や負担問題解決ではなく、どのみち解消できない不満や負担を受け入れることが重要

個人自分にとって最適な行動(コスト負担を避けるために子供を作らない)をするほど、出生率は低迷する

過去と比べた場合出生率低下の原因=1970年代前半まで既婚率97%、貧乏人でもほぼ結婚して子供を作っていた。「個人主義の台頭による子づくりの優先順位の低下」(経済環境で諦める対象になった。子作りにおける世代扶助より自己実現を優先)経済環境は原因ではなく結果。

・昔「みんな必ず、大変でも子供は作りましょうね」→現在「子作りは各々の自由ですよ〜」→当然、経済的、環境的に大変な人は子作りを避けるようになる

・逆にいうと、子作り圧力などにより、先代が結果として自己利益犠牲(昔の方がエンゲル係数が高かった→昔は今より無理して子供を育てていた)にした結果、現代人が存在できる。

社会のレールは「子作りと仕事の両立」ではなく、実際には「完全に仕事を優先」(新卒一括採用の掟)してしまっている

教育費が高い問題子供の数が少ないから、教育費に金をかけられる→金をかけるから金がかかるになる。

出生率向上の上でのポイント、注意点】

負担回避しようとする(無理=その間に少子化がどんどん進行してしまう)のではなく、いか負担を受け入れてもらうか。出生を子育て世代の願望による産物ではなく、生物学的な道理摂理に根ざしたものにすべき(人口維持に必要な数を目標にすべき)。→手順や方法ではなく、結果(出生率)に拘る。ターゲット戦略型にする

・子作りは楽ではなく、元々大変なもの問題なく少子化解決できる「魔法聖杯」を探し続ける時間が長いほど少子化は進行してしまう。

移民政策では、出生率低下により減り続ける日本人少子化問題解決しない。→単純に減り続ける日本人の代わりに移民と置き換わるだけで、共存が続くわけではない。X字のように、時間の経過とともに、人種構成移民と置き換わるだけ。日本人がいなくなっても日本列島に移民がいれば解決ではない。

少子化対策は質より量を目指す。数字ありきが正解。←質を保ちつつ、量を目指してきたが、結局失敗した(量が競争により質を向上させる面も)。

・出生の機序と誤解

生物学的には性欲→性交渉→出生→愛情が芽生えて育児 

子供が欲しいから作る人が大半だが、全てではない。←ここがポイント。完結出生児数が2ならば、100%の人が結婚しないと少子化確定(そんなの無理)。

そもそも、全ての人が最初から結婚し、子供を望んでいるわけではない。←生物学的にも子供本能希望だけではなく、元から全ての要素ではない。←あくまで授かって生まれ子供愛情が芽生えるのであって、愛情最初からあって作ろうとするのではない(本来は順序が逆)。

労働やりがいではなく、出生率を優先すべき。持続性が生命大前提。それが担保された延長線上に個人のやりたいことや夢がある←人間は目先の報酬を優先してしま

・子作りは生物学原理なのに、個人価値観対象としてとらえらてしまっている。→生物自己価値観合致しているか子供を作るわけではなく、あくま本能人間生物額的本能が退化してしまった可能性がある。

共同体の持続性は、個々人の負担で達成される。(個人利益と相反)共同体というプールがあるから人間存在できる。一代(今の自分自身)の人間利益を最大化すると共同体の持続性が毀損され、やがて人間少子化によりどんどん存在できなくなる。

選択肢が多いほど不幸になる「選択のパラドックス江戸時代農村結婚相手が限られていた

・「出生率向上の目標」は子育て環境満足度や子作りの納得感を上げることではなく、出生率の数値を上げること。子育て世代の満足感の向上への努力出生率向上に繋がっていない。納得感、満足感ではなく、出生率数字向上を重要視する(少子化感情モラル倫理観ではなく、「数」で決まる現実を受け入れる)

子供を増やすことによる副作用より、まずは頭数が重要。無理に増やすと、問題も増えるといって対策を打たなければ、プラマイゼロではなく、出生率低迷の長期化による出生数減はどんどん進行する。

・無理やり増やそうとするデメリットより、少子化デメリットの方がはるかに大きい(子供を無理に増やすことの問題が増えても社会は持続できるが、少子化時間の経過で物理的に絶滅する・例=癌と一緒。痛みがなく治る方法を探しているうちに、どんどんガンが進行して取り返しがつかなくなる。

→痛みがない方法はあるかもしれないが、見つからない段階ならさっさと痛みを堪えて切除するしかない)。現状は、「賃金を上げよう。環境改善しよう」と雀の涙給付無責任念仏を唱えるだけ

→これで出生率が上がるわけがない。

・子作りは自由から逆に責任が生まれ責任回避動機から減ってしまう。

子供を作る方法自体は、性交渉であり、実は簡単動物繁殖もやることは分かっているため、簡単。ただ、現代社会性交渉の機会を増やすことは非常に難しい。また、人間で難しいのは人権があるという点。逆に言えば、出生率改善しにくい原因は子育て世代人権保護を「優先」する為と言える。さらに逆に言えば、かつての子育て世代は周囲のプレッシャーなど窮屈な思いをして、自己実現生活水準我慢した結果とも言える。10割、自分の為に生きるのではなく、3割は次世代の為に負担を受け入れるという考え方の共有が重要

少子化解消への解決策】

・子作り(親世代が子世代を作って育てる=「世代扶助」)の重要性を教え、その価値観社会と共有する

→親や先祖による世代扶助(子作り負担)の結果、現代人が存在できるという仕組みを、しっかり社会で共有する(自由人権を主張できるのも、親や先祖の子作り負担の結果、出生できたから)←この因果関係をしっかり理解する。

・子を持つことの「社会位置付け」を変える

→子を持つことを、子育て世代の「幸福の実現手段の一つ」から社会的に共同体にとって「絶対必要不可欠な原理」に変える。←子育て世代の子どもを作ることへの責任感の向上があり、社会からの協力も得られやすくなる。

→子作りを義務的に考えれば、必然的教育競争は弱まる。現在自由意志だから結婚子育て競争になる。(生物学的に必要不可欠な要素は競争ではなく、分配の方が結果的にうまくいく)義務的になれば、無茶な競争意識から解放され、育ってくれればとりあえずOKとなる。実は義務である方が責任がなく子ができた後は精神的にはかるかに楽。自由意志だから責任が伴う。

↓↓

社会的に解決困難な課題個人にとって避けたい行動を導くにはルールを作り、負担社会全体で分担するのがセオリー。つまりルールを作ることが解決策。出生率が高かった時代事実上、ルールとして意識されていた。

ルール化と政府による積極的な子作り推奨・子作りの「社会的な位置付け」の変更←子育て世代希望者だけ子供を作るのではなく、皆で分担して作る→結婚子供を作る人が増えれば、相手も見つけやすくなる。

個人として避けたい負担でも全体にとって必要不可欠な行動はルール化するのが古今からセオリー、例えば税金貧困者も負担する。国によっては徴兵制もある(こちらは国を守るために命を投げ出せと言ってる)

子作り子育て世代になれば、子供を作りましょう(もちろん健康問題がある人は除く)

・子作りのタスク化(個人の願望の産物だと、モチベーション環境に左右されてて必要出生率を確保できない)

政府による要請

政府は期待、支援するだけではなく、能動的に子作りを「要請し、積極的に推奨」する。あらゆる生物共通する、共同体が持続するための『世代扶助原則負担があるから持続する)』を説明すれば多くの人は理解できるはず)

個人の「幸福手段」の一つとして子作りを位置付けるから幸福でないなら子供を作らないという行動になってしまう(幸福手段という位置付けだから、基本「勝手自助努力でやれ」になる)。大前提として子作りを「幸せの実現手段」ではなく、「個人存在の源でもある共同体の持続性に不可欠な存在」と定義する。そうすれば子育て世代は子作りに対する責任感が生まれ政府会社社会負担を受け入れて協力的になるはず。

②有利不利で動機付ける

実質的な「子なし税」の導入

人間は得をするための行動より、損を避ける行動を重要視する(「損失回避」=プロスペクト理論)例えば45歳以上で子供がいなければ、所得10%を課税される→早めに結婚でもして子供を作ろうとなる。また、子なし税は応分負担原則からいっても、共同体構成や成立、持続性において必要不可欠である子供を作らないのに、福祉だけ享受するのは不公平という理屈もある

・多額の給付金(財源は一般会計とは別枠の「子供国債方式」で持続性を担保→時の政権の介入を防ぐ。不正受給を防ぐために日本国籍限定

一生の納税額は少なくとも3000万円。1000万円配っても十分、ペイできる。

財源節約には、最初動機を高める第1子と子供を増やすための第3子以降を手厚くする。親のパチンコ代のために無責任に生まれても、生まれてこないよりもはるかにマシ。

良いこだけ産まれてくればいい、という都合のいい解決策は存在しないことを良い加減、学習しましょう。現代人が存在できているのも、元々は祖先労働力欲しさや性欲など打算の結果でもありす。もともと「子を持ちたい親の気持ち」だけで子孫たる現代人が存在しているわけではない。

子育て支援(そうはいっても大事)

・誰でも使える認可保育園学童保育の24時間営業バカ親に育児放棄されるより100倍マシ、育児負担感は大幅軽減、効果的な幼児教育もやればいい)

繰り返すが、人権個人自由などを一部、我慢して、仮に自身環境が悪くても、後世を残すことに対する負担をしないと、共同体の持続性が損なわれ、やがて個人少子化により、存在できなくなる。いわゆる移民政策を導入しても、減っていく日本人の傾向は変わらず、日本人が滅んで移民に取って代わられるだけで、日本人の持続性を担保できる政策ではない。

負担を受け入れても、子供が増えれば社会希望が増し、投資が増え、国民は豊かになる。

2023-08-17

anond:20230816235959

23区では車がなくても子育てをしている人がいるよ

タクシーを呼べばすぐにくるし、トータルのコストも低いよ

・いざとなればカーシェアを使えばいいよ

駐車場代などの維持コストが高いよ

・車の維持費で別のことをした方が幸せだよ

と考えてるかは知らないが、東京都区内で4人の子持ちのママがお友達にいらっしゃる

車の有無は、たぶん旦那さんだけ営業用?自家用車じゃないものをもってるんじゃないか

奥さん運転出来ないと思うが、

ベビーシートが大人一人分以上の場所をとるんだから

大人6人乗りの車が必須

まあワンボックスの3列シートで5歳以下が常に2人しかいないのならなんとか家族全員乗れるかどうかだな

常識的に考えるとじいさんばあさんと同居してもう一台出してもらうところだ

   

逆に超車社会名古屋で車もたないで暮らすのはバカ扱いされるよ

21時に塾の前にお迎え車がズラーリが風物詩だね

安いうまい回転寿司が300mくらいの行列左車線につくったりもしてるけど

それだけのバリューがあるんだ

あそこのマグロぶつ切り山盛り軍艦は今いくらになったか

 

田舎は言うに及ばずだがこの場合関係ないな

 

なので新居選びとおなじというか本当に居住地次第、あと家族運転者の人数次第なんだよ

学校と駅どっちが近いかな?学童保育習い事はどうかな?

医者は夜間診療休日診療が近くにあるかな

タクシーだって深夜はバカ高いし、妊婦や病児を乗せないポリシータクシーもあるけどどうかな

コストコなど駐車場が広くてとめやすスーパーあるかな

 

比較検討の上で車があったほうが便利そうならまず免許をとってレンタカーでも試すところからだが、

眼鏡矯正できないほどのド近眼てんかん免許返納すべき高齢者など

免許が取れない人材ばっかりなら机上の空論だな

そういう肩書きがなくても普通に向き不向きがあるから

運転が疲れない人楽しい人は買えばいいんじゃねえの

都区内っていっても地価治安もさまざまだしな

 

うそう、学童保育学校から保育所までは送迎してくれることが多い

幼稚園バスがあることが多いと思う

どうしてもだめそうなら公的支援まわりを見た方が手っ取り早い肝吸い 

2023-07-27

近所の道

・昔から住んでる高齢者の家

最近再開発だか宅地造成だかで増えたファミリー層の家

小学校

小学校に隣接した学童保育

が周囲に集まってて徐行の標識が立ってる道路があるんだが、ここをスピード出して走ってくるSUVミニバン学童保育駐車場に入っていくパターン多すぎる

遭遇すると危ない思いをさせられるし、いつか事故が起こるのではと思ってる(もし歩行者が絡んだ事故だった場合被害者は高確率子供高齢者になるだろう)

標識に沿って運転しない時点で免許持ってちゃダメだし、ああい運転する人はどうせそれ以外の場面でも自己中だろうし、行き先が学童からソイツの姿を見て育つ子供がいるの確定なので遭遇すると色んな方面ですごく嫌な気分になる

2023-07-23

幼い時に植え付けられたトラウマ、こえー

いやまあトラウマってほど大層なもんじゃいかもだけど。

俺は典型的な多動性障害を持った子どもだった。コミュニケーションが下手な故のトラブルは絶えず、貧乏ゆすりは止まらず、目線は常にあちこちを飛んでいた。発達障害の子どもに多く見られる体幹が弱いっつー特徴も持っていたから、周りからはふにゃふにゃのがちゃがちゃの変なやつだと思われていただろう。冗談だか本気だかわかんないが、「背中ものさしを入れとけば」なんて言われたこともある。

そんな俺でも、幸運なことに、友人や学校先生家族には恵まれ、ある程度の自己肯定感を持って生きていくことが出来ていた。親が転職し、学童保育に預けられるようになるまでは。

オモチャがあって、マンガがあって、オヤツがあっても、あそこは俺にとって苦しい場所だったと思う。

仲良い子で学童に通ってたのが自分だけで、そんでちょっと虐められただとかか、学童のセンセイがイジワルだったとか、色々あったけど。

今でも思い出すのは、オヤツの時間のことだ。

時間になったら、みんなオモチャ仕舞い、マンガを片付け、、席に着く。

センセイ達がオヤツを広げ、紙皿やスプーンフォークを並べる。

そして、その日のオヤツ係が2人、窓際のホワイトボードの前で今日オヤツを読み上げたら、次は、選別タイムだ。

長机に10人くらいずつ、それを何班か、分けて座ってるトコの、「お行儀のいい」班を選んで呼ぶ。

呼ばれた班の子たちからオヤツを盛りに行っていい。そういうシステムが作られていた。

「あそこは、みんなせすじをよくしてるから、よぼう」

「あそこは、あのこがきたないすわりかたをしてるから、あとにしよう」

オヤツ係の2人が、そう小声で相談している。あのこってのは、俺のことじゃないだろうか。こわい、こわいな。ちゃんとまっすぐ、すわれてるはずだよな。そうだよな。息を止めて、まばたきをがまんして、キレイ姿勢を保とうと必死になる。前を見りゃ、対面に座ってる子も、同じ顔をしている。

そうやって、よく分かんねえ、けど確かにくそ重い重圧を、楽しい楽しいオヤタイムの前に味わわされるのだ。

今になって考えて見りゃあ、なんとも残酷な事をしているなぁ、と思う。ジャンケンでもさせて、勝った順に取りに行くって方が随分マシだろと思う。

何が辛かったって、俺がふにゃふにゃがちゃがちゃになる時ってのは結構ムラがあって、そんな時は自分で頑張ろうとやってみたって、ちゃあんと座ることが出来なくなることだ。そんな時は、最後に呼ばれた同じ班の子たちから、恨みを買うことになる。

の子たちからしても迷惑だったろうが、そんなん俺が1番つらいんだよな。どうしろってんだよ。お行儀をよくするためのしつけなんだかわかんないが、ただそばで黙っているだけのセンセイ達は、冷たい目をしていた。

ある日、いい姿勢ってなんだっけ、まっすぐってなんだっけ、ってわかんなくなった。そんで、どうにか、首の角度、手の置き方なんかを調節していたら、がちゃがちゃしてると思われたのか、

「俺さん以外、行ってください」

オヤツ係に宣告された。

泣くかなんかしたんじゃなかったかな、あん時。

覚えてねーけど。

つらかったな、って思う。

から高学年になって鍵っ子ランクアップして、学童をやめた時は開放感が凄かった。鍵を忘れて家に入れなかったりしたこともあったけど。

あれから成長して、歩き方だの座り方だの、そういうのはだいぶマシになったと思う。たくさんスポーツをやって、人前に出るための努力もしたりして、もうふにゃふにゃのがちゃがちゃの子ではなくなった、と思う。

けど、やっぱ人間ってのは不安になってしまう生き物だ。ふと自分がマトモな人間であれているかおかしいヤツに見えてないか不安になってしまう時がある。今変な動きしなかったかな、今あの人に変なことしなかったかな、大丈夫かな、こわいな、ちゃんと出来てるよな。考えれば考えるほど分からなくなっていく。意識が溶けて、保てなくなっていく。

そーいうとき、あの声がしないか不安になる。

「俺さん以外、行ってください」って。

幼くて、残酷な声が。

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