はてなキーワード: 非常識とは
俺達夫婦で自営業をやっているんだけど、共通の知り合いに学会員がいるのさ。
んで、選挙のたびに電話が掛かってくるから、自分には支持している政党・候補者が
いるから協力できないよ、御免ねって断ってきたんだよ。
そんな選挙が近づいた選挙期間前のある日、突然、知らない男を連れて
俺は説伏にきたと思って怖かったよ。勿論、応対しなかったけどなw
で、そのことを妻に伝えたわけ。あまりにも非常識だと思ったからさ。
それ以降、そいつから来る年賀状の宛名には俺の名前がなくなったわw
それだけじゃない、俺たちが経営している店舗にまで、誰それをお願いしますって
押しかけてくるのよ。
で、それを見ていたお客さんが「こちらのお店は特定の宗教と関係があるんですか?」
って不安そうにスタッフに尋ねてきたりっていう被害が発生してるんだよ。
こんなの受け入れられるかって~の。
女性はこの編集部向いてない、女性いないけど大丈夫?って言われてかったので(自分が女だから?)、「大丈夫です」って返したんだけど、その直後に「ジャンプの某作品(タイトルは挙げないけど有名でアニメにも舞台にもなってる)も女性が描いてるんだけど、だから全然面白くない」って返されたことがあった。
もちろんその採用は落ちたけど、そもそも「女が描くから面白くない」理論を編集者が言ってる時点でダメだなーと思ったので気にしてない。ただ、そこまで非常識なことを面接の場で言う人間は見たことなかったので印象に残った。
圧迫というか単に嫌がらせだし、私をどうこうより、今自分の会社を確実に支えてるコンテンツにそういうこと言うんだー、って失望もあった。
今、ジャンプのトイレマーク云々のでTwitterに「気持ち悪い」とか流れてくるけど、こういう社風ならさもありなん、って思う。女を読者としても見てないし、クリエイターとしても認めてない。ただ可愛くて、性的消費できればいい編集部編集者をお持ちだし、それを出すことにも恥が無いんだと思う。
ブロックはいくつかの班に分かれ、町内会に入っている家庭はどこかの班に属している。
その班の中で毎年持ち回りで班長を決める。回覧板のように隣の家に引き継ぐ感じだ。
数年前。隣の家の奥さんが、来年はそちらです、と言ってきた。
某学会の信者で読経がうるさいし、何かと不愉快なことを起こす家庭で何度か苦情を入れたことがある。
旦那はまともなんだが。
自分は病気を患っているからやれる訳ないだろうと言ったら、奥さんがやれませんか?年一回の集金と回覧板を回す位の仕事しかありませんよ、と。
やらないと言ったらやらないと言い追い返した。
こいつには言わなかったが、うちの妻はこいつのような専業主婦ではない。妻も俺も世界有数の企業の正社員だ。
それに、妻が妊娠時の自宅安静の際にママ友や子供と庭で騒いでいた奴らだ。こいつらのせいでうちには子供がいない。
右隣りの奴が話したらしく、今度はブロック長がきた。こういう老人にはとりあえず敬意を払っておけば満足するから断りを入れた。
うちは共働きで、自分は病気なのでやれません。お金は払いますから、と。
それで承諾をもらえたので、うちはやらないで済んだ。うちの左隣の家がやることになった。
この左隣の奴らが非常識。
前々からその行動のおかしさを指摘してやっているのに治そうとしない。
仕方ないので、監視カメラで見張る程度はしている。近隣はうちに感謝すべきだ。
ある日、左隣のヤツが、
と罵倒してきた。
「うちの金もらっているくせに何を言ってやがる」
と返した所、そいつの妻が警察を呼んだので警察が間に入ってその場はおさめた。
こんなのに付き合わされる警察がかわいそうだ。
左隣に向けているカメラやそこに入る音声から、左隣のヤツはうちが病気だとウソをついたと思っているのがわかった。病気が見た目でわからないのは当然のだろうし、普通に働くのだってこと何がおかしい?タバコ吸うのがそんなにおかしいか?
そもそも、右隣りのヤツにも左隣のヤツにもどんな病気かなんて説明する必要なんてないだろう?
町内会の金は払っているんだ。班長やれば千円の謝礼が出るんだろう?それは町内会の会費から出てるんだろ?俺の金はだろう?
きちんと払ってやっているこっちに文句を言う方がおかしいだろう。
金は払っているんだ。地域の掃除なんて出る必要も係をやる必要もないだろう。
専業主婦や老人はどうせ暇なんだ、若い奴らは仕事があっても雑用やる体力があるんだ、そういう奴らにやらせろ。
近隣の安全の為におかしいヤツの家を監視カメラ付けて見張って、牽制して、感謝されるべきなのに、仕事を押し付けようとするなんて。
出産祝いの内祝いが返ってこない。
仲間内でばらばらに送ったんだけど他の子に聞いたら返ってきてるんだってー
同じ日に一緒に会いに行って渡した子にも返ってきてるから送り忘れたってことはないんだってー
私にだけ返ってきてないんだってー
いいんだよーお祝いの気持ちなんだからお返しなんて期待してないんだよー
そういう礼節・常識をぶっちぎるほどに失礼だったり非常識なものをこっちは送ってしまったのかってそれが心配なんだよーーーー
追記:
内祝い、他の子には宅配で届いてるそうなので直接会ったら…とは考えてないと思います。
(もともとそんなにちょくちょく会う仲でもないし)
同じ日に渡した子にも届いてるので忘れてるとも思えなくて…
すぐには使えない食器セットだったのがいけなかったのかな〜
>「故人の友人知人が嫌な思いをした」それはあなたの想像でしかない。
と言いつつ
…と言うからには、否定はできないのだよね。というか、いるだろうという想像の妥当性は認めてるんだよね。
増田が「ちょっと嫌な思いをするくらいどうでもいい」と思う寛大な人であるのは自由だが、増田が寛大であることと世の中の人に同レベルの寛大さを期待できるかってのは全然別な話なわけで、そういう見込みや期待の下に動くのは、あまりに世の中の人に対して楽観が過ぎると思うのだがどうだろう。
>これくらいで店主をクサすような客ってロクな客じゃない
そうだよ。世の中にはロクな客もいればロクでもない客もいる。当たり前の話じゃない?
そして、ロクでもない客であろうが、その店(元の話に戻れば故人)は受け入れてきた。そして、重要なことだが、その「客」はまだ生きている。
なんで増田は好き好んでそういう「ロクでもない人間」から悪意を買いたいと思うのかな。
元の店が気に入らないという理由なら分かる、と書いた。店に対する悪意があって、その悪意を広めたいというなら、動機としてはまだ理解の範疇にある。
でもそうでないのなら、好きこのんでそういう人の悪意を買うようなやり方をするのは、決して賢明なことではないよね。店の権利者もそのロクでもない客も、そして、そこに諍いが起こることで迷惑する周囲も。誰も得しないね。
そういう状況を避けるためにあるのが、これまでの歴史が生み出してきた「儀式」という名の知恵だろう、というのがそもそものこちらの話であって、誰も「俺はジョーシキなんてカンケーないね」っていう増田の人生観の話なんかしてないわけだよ。価値観はいろいろだろう、ってそりゃそうだろう。誰も価値観の話なんかしてなくて、「トラブルを避けるための知恵」の話をしているわけだよ。
そんなんトラブルなんか起きねーよ、特に仲良くもない人の感情なんか傷つけてもどうせ大したことねーよ、ってのが増田の話。
わざわざ人の感情傷つけるようなことをするより、それを避ける知恵が世の中にあるんだから知っておこうよ、というのが俺の話。
価値観の違いとかじゃなくて、増田はそもそも俺の話を理解してないだろってこと。
ちなみに、元記事は消されたようだ。
非常識が社会に広まることを少しでも防ぐという意味では、残しておいて欲しかったものだが、少なくともかような行動やその内心は隠すべき、と元記事の書き手が判断したのだとしたら、少しは結構なことだな。
このエントリーがどうかバズって世の中の
・不在着信だけ残す人
と
・いきなり電話してくる人
に届いてほしいと思う。以下、このエントリーでは上記の人のことを「電話野郎」と呼ぶことにします。
僕は電話が大嫌いだ。もともと人と直接話すのが苦手だということもあるのだけど、
・相手の時間を奪う行為で、相手の時間や行動を拘束・制限する行為だということ。
このことをまずわかってほしい。
電話はリアルタイムで応答が必要なので、何かをしながら電話はできないんだよ。
相手の都合をどうか考えてください。
そんなのわざわざ電話してくる必要ある?という内容のものだったりする。
次あったときに話せば良くない?とかそんな内容。
だからなおさらそんなくだらないことで電話してくるなよ、と思ってしまう。
そんなくだらないことで、あなたの都合で僕の時間と行動を拘束しないでくれと思う。
相手の都合をどうか考えてください。
用があるならまずメールかLINE、チャットで要件を言ってほしいと思う。
もっというとメールかLINE、チャットですまない?その話、と思ってる。
その上でもしどうしても電話で話をしたい・電話でなければいけななら、
「●●●の件で、いついつ頃に電話する」って事前に言えよ。
「今何してる?」とか「明日ヒマ?」とか要件を言わない人もいるけど、
これも同類。
なんでやりとりが増えるようなコミュニケーションの仕方をするのか理解不能。
こっちの都合を聞きたいなら具体的に言えよ、と思う。
メシいこうとかの誘いなんだろうけど、
たとえ時間があってもその内容によっては
そんなことに時間さくヒマはねーよってのは皆あると思う。
不在着信だけ残すやつもたいがいで、なんで要件を留守電に残さないんだよ。
めんどくさいんだよ。
相手の都合をどうか考えてください。
実際の声で伝える必要があったり、電話で話さなければいけないこともあると思う。
混みいった話とか口頭で話をしないといけない場面はたしかにある。
でも、そのときにやっぱり「いきなり」電話するのは失礼だし非常識だよ。
事前の連絡がある上での電話は話が早い。
電話を受けるほうが内容をある程度把握した上で話しがはじめられるし、
いつ電話がくるのかも予定をあわせることができる。
本当に仕事できないやつしかみたことないです。無能が多いです。
相手の都合をどうか考えてください。
仕事においては電話野郎の話は、電話でなくてもいいことがたいがいだけど、
電話で済ますことでその後どう仕事に影響するかを考えていないし、
想定もできていないやつが多い。
それに電話して自分の手もいちいち止まっていることに気づいてない。
それが次に繋がるからです。
電話はなにも残りません。
口頭でのやりとりばかりしてたもんだから、
あとあと言った言わないになったり、馴れ合いになって、
どうかメールや他の手段で記録にのこるやり取りをしてください。
相手の都合をどうか考えてください。
もしいまあなたが親しい人や近しい人に
それは間違いないです。
自分らはそんな仲じゃないしお互い気を使っていない
これまではそれでよかったかもしれない。
相手の都合をどうか考えてください。
本当にそうと言いきれる自問してほしい。
これまでどおりの関係性では続けられないでしょう。
人の感情は、変化していくのです。
いまはよくても必ず変わる。
人間関係のもつれというのはかならず一方の感情の変化が起点です。
相手の都合をどうか考えてください。
でたくないときはでなきゃいいってだけの話じゃんっていう人もいると思います。
そのとおりですけど、それは相手への配慮が足りないと思います。
相手の都合をどうか考えてください。
あと親しいからって夜9時以降に電話してくるやつもいるけど、論外です。
相手の都合をどうか考えてください。
受けた側がいろいろ考えないといけないことが多い。
これは精神的拘束です。
・あとでかけ直すというのも面倒
僕はこれですごく悩んでた。
なんで電話してきたのかを考えるし、かけ直すのも本当にいやでたまらない。
で、いやいやながらも折り返しの電話をして相手が不在だった場合そこでまたモヤモヤする。
ずっと気になる。
その後、電話かかってくる→不在→かけなおす
だけど最近はもう気にしないことにした。
いきなり電話してくるようなやつや、不在着信だけ残す電話野郎は、
相手の都合をまったく考えていないので、こちらも無礼で構わないですよね。
相手にするだけ馬鹿らしいしこっちが悩んだり気が病んだりするのはもう勘弁。
僕の方針はこうだ。
・いきなりの電話は基本でない。
・留守電のメッセージがない不在着信だけの場合は折り返さない。
・不在着信は気にしない、無視する。
とはいってもやっぱり気になるのは気になるんですけどね。
相手の都合をどうか考えてください。
別の手段でも連絡してくるもんです。
それを見て、あ・これは緊急のやつだなと思ったらすぐに折り返すことにします。
あと、世の中にあるネットの予約フォームや問い合わせフォームなんかで、
ネットでわざわざ予約や問い合わせしたのに電話で返してくるバカサービスは滅びろや。
サービス提供側だっていちいち電話でリアルタイムに応対できないから
ネットでシステムで受けつけてるんでしょ?なんで電話で返してくるの?
なんのためのメールアドレスなんだよ。
メールアドレスはたしかに迷惑メールに入ったり、届いてなかったりすることもあるよ?
だけどそれは応答がなかったら電話、という手段をつかえばいいだけで、
電話で直接話したほうが予約が確実になるでしょう。それもわかります。
メールで連絡したけど数日たって連絡つかなかったときに電話をしろよ。
・なんでもすぐ電話してくるな
・電話ですぐ済まそうとするな
・事前に要件をいえ
・親しいあの人も迷惑だと思っているぞ
・いまはそうでなくでも思うときがいつか来るぞ
・どうか相手の都合を考えてください
以上です。
何か意図的に隠しているのかな?
光通信らしく、人材派遣会社の営業に「こいつ今すぐ要らないから」と電話して、契約を解約しようとするし、
「今まで働いていた分のお金は一切払いたく無い」とゴネるという非常識ぶり。
今回は里子対象の子は10代の男の子で、本人も同意の上らしい、って噂だが。
高校生くらいで本人の同意もあるのなら、まあいいのかもしれない。
(まあ乳幼児は特別養子対象になるし人気も高いから、特別養子前提で里子希望の人が沢山いてそっちが優先されるだろうし
それなら現状では特別養子は得られないゲイカップルが選ばれる事はないだろうけど、
というのも、乳幼児は親同伴でないと友達と一緒に遊んだりできない。
昔ならともかく、今時未就学児を親や監督する大人が居ない状況に置くのはネグレクトであり、
友人の家に遊びに行かせるのは、親同士がよほど気心知れた仲でない限り非常識な託児親扱いだ。
なので子供が友人の家で遊ぶとなったら、親も一緒に行くのが普通。
でも男性が家に来る事を許容する、他の母親はどれだけいるだろうか?
母親が他の母親と付き合う分にはただの「ママ友」付き合いでありごく普通の事だが、
同じように「パパ友」と付き合っても良いという母親はほぼいない。
噂も立てられそうだし、その母親の夫も「自分が不在の間に妻が他所の母親を家に入れている」は許しても
「既婚の男女が密室の中にいる=不倫認定」は日本の法律でもある。
「いやあの男性はゲイだから女性と不倫はあり得ないですよ」ってのも通用しない。
それは日本の育児の場が女性のみに押し付けられてるから、父親が阻害されてるだけだ!
父親は父親同士で付き合えばいい!と言う人もいるかもしれない。
他の父親が「パパ友」付き合いしていたとしても、
「あのパパもゲイだったんだ」「ゲイ不倫なんて最低」「うちの夫はゲイだったんだろうか、私は騙されたのか」…となるわけだ。
つまりゲイカップルの父親は、他の母親とも大多数のヘテロな父親とも付き合えず孤立する。
「そんなの専業の子だけでしょ!保育園は親同士の付き合いなんかないし放課後遊んでる暇もないから保育園に入れればいい」って人もいるかもしれない。
でも乳幼児の里子ってのは基本的に「自宅保育出来る人=専業」でないと得られないのが原則。
(施設から出て、また施設(保育園)に預けられるのでは意味がないからね)
保育園には入れない。
そのゲイカップルの片方がMTFなんかで、誰が見ても女性、ってなら多少は許容されるかもしれない。
でも「どう見てもどちらも男にしか見えない男らしい男同士のゲイカップル」だったら、許容されるだろうか?
小学生以上になっても、親同士の付き合いがない子は一緒に遊びにくい。
となると交友関係が完全に親から離れられる年齢(小学校高学年~中学生くらい)まで、その子は孤立し続けるわけだ。
勿論地域差もあり、都心部でそもそも近所付き合いが希薄、入学して来る子の出身幼稚園もバラバラで親同士の付き合いも希薄で
皆塾だの習い事だの行ってるから放課後遊ぶ暇なんかない子多数、ってな所なら支障ないかもしれない。
でもご近所付き合いが過密で、皆同じ近所の幼稚園出身だから親同士は幼稚園時代からべったり付き合いがあり、
放課後も友達の家をお互い行き来して遊ぶのが普通、と言う地域だったらずっと一人だけ仲間外れにされる事になる。
この辺、解決しようがあるのかな。
「既婚の男女が密室の中にいる=不倫認定」という法律を廃止すればいい?
そもそもこの法律は皆ヘテロであるという前提に基づいているからゲイ差別であるとか言って?
「既婚の男女が密室にいようがすぐ不倫認定するのは差別」という風潮も広めればいい?
「妻が他所の男と付き合うのは禁止と言い出す夫は差別主義者」とすればいい?
そんな事できるの?
ブコメに対して
ゲイと友達付き合いすることは許容されるか?という問いに対しては許容されるとしか思えないし、子供がゲイとの友達付き合いを不倫だなんだと勘ぐるならそれは育て方が間違っている
独身なら許されるだろうけどな。
でも既婚者はそうはいかない。結婚したら異性の友達とは距離を置くのが普通だし、ゲイと言ってもバイと区別がつかない以上、同じ事だろう。
長文、乱文注意。
私には1人大阪に友達がいる。小学生時代、大阪に住んでいたのでその時に出来た友達が。私も彼女もアニメが好きな「アニメオタク」であるため話が合い、昔はとても仲が良かった。今も私の父が未だに大阪に住んでいるため、私はよく大阪に行く。そのため、年に数回は彼女と会う。今回はその彼女と会うときに起こったことを書く。
春休みに1人で大阪に行く予定だった私は、フォローし合っている彼女のTwitterのリア垢にDMを送った。「〇日から〇日までそっちに行きます!遊べるかな?」こんな感じに。彼女から返信は無かった。彼女のTwitterは呟き続けているけど。三日待っても返信は来なかったが別に私は気にしていなかった。彼女は昔からそう言う子なのだ。返信がめちゃくちゃ遅い。遅れてくる返信にも謝罪の言葉が一つもないのにも慣れていた。最初はイライラしていたが長い付き合いの中で彼女が根から悪い子ではないことを知っていたので「この子はそういう子なんだ。限界が来るまで我慢して付き合おう。限界が来れば縁を切ればいい」と考えていた。私は人見知りで友達が少ないため少ない一人一人の友達との縁を大切にしたかったのだ。LINEも知ってはいるが、大阪に行くまでにまだ日にちはある。催促するような内容でもないし、何かアクションを起こさず彼女が「ひま」と呟いてるのを見ながらTwitterを閉じた。
五日後、返信が来た。「金がない」と。それに対して「そっか。じゃあ、仕方ないね」と私は答えた。お金がないのか。それじゃあ、仕方ない。バイト禁止の学校なのにその規則を破ってまでバイトしてるけど、ゲームに課金したり、舞台を観に行ったりするお金はあるようだけど、お金がないなら仕方ないね。私は彼女にとって課金よりも舞台よりも下の存在ということだ。それは仕方ない。
彼女とはその後、連絡を取ることは無く、彼女の愚痴ツイートをたまにTLで目にしながらも私は大阪を楽しんでいた。京都や奈良に観光に行った。1人で行動するのが好きなためとても楽しい思い出となった。
とある日、私は明日何するかを考えながらTwitterを見ていた。すると、例の彼女が「今日は忙しいけど明日ひま。誰か明日あそぼ」と呟いていた。一回断られたわけだし悩んだが、一応誘ってみる。「明日あーそーぼー!」返信は無かった。彼女は相変わらず暇だと呟き続けている。私がこの誘いのDMを送ったのが朝の11時だった。
10時間後である21時。返事が来た。「何する?」まさかのOKっぽい返事。断ったのは何だったのだ。「特に何も…何がしたい?」「べつに」ぶっきらぼうな返事。これにも慣れていた私は続ける「ユニバとか行っちゃう?w」軽い気持ちで言ったこの言葉を後に後悔することになる。
まぁ、わかっていたことなので「だよね〜w」と私。この間のやりとりも彼女の返信が遅かったため、この時点で12時を回っていた。私は眠くなり、寝る準備をする。「まぁ、多分何を言っても金がないで断られるだろうし、もし本当に遊ぶ意思があるとするなら明日また決めよう」そう思いながら「今日はもう寝るね」と送り、眠りについた。
何だか眠れず、4時に目が覚めた。スマホを見ると彼女からの返信が深夜の2時に来ていた。「年パス買うからユニバ行ける。7時には着きたいから6時半に〇〇駅に集合。6時に起きる」と。
いやいや、ちょっと待って欲しい。早く目が覚めたため、行けなくもないがこれはあまりにも非常識というか、唐突すぎやしないだろうか。それに、彼女の最寄りの駅から〇〇駅にはすんなり行けるが私の最寄りの駅からは〇〇駅に行くにはあまりにも遠回りである。お金も時間もかかるのだ。
他にも困る点を挙げるならいっぱいある。出かける時、今寝ている父に一応報告しなければならない。しかし、この時間では父を叩き起こさないといけなくなってしまう。毎日仕事で忙しくあまり睡眠を取れていない父にそんなことはできない。私と父は事情があってメールなども出来ない。
私は彼女に「ちょっとその時間とその駅に集合は厳しいかも…」と送った。その返事は約2時間後、6時に来た。「は?」それだけだった。
その後はもう酷かった。リア垢でボロボロと私の悪口を呟くのだ。彼女のリア垢は彼女の高校の友達にばかりフォローされており、私の知り合いは誰1人いないので正直に言うと痛くも痒くもないのだが気分が悪い。「年パスは日付を越えたら申請の準備が難しくて〜」とか「金がないから寝ようとしてた母にお願いして〜」とか。挙げ句の果てには「準備してた時間返せやボケ」と。それを言うならこっちだって彼女の返信を待っていた時間を返して欲しい。金がない、と断られた後に「課金したのに〇〇出なかった。しね」や「舞台当たった〜楽しみだけど、ヒロインの奴マジでブサイクやな。私は生の〇〇(有名声優が出る舞台だったらしい)」という呟きを見た私の精神的疲労を返して欲しい。今まで仲良くしていた自分がバカらしくなりアカウントを変えた。元より一年近く呟いておらず、見るだけだったので支障はなかった。
今思えば前々から彼女の呟きに対して「ん?」と思うことがあった。彼女はとても口が悪い。ネットでもリアルでも。最近では「死ね」と文字数いっぱいにして呟いたり「電車で前に座ってるババアくそキモい死ね」など攻撃的な発言が多く、彼女と繋がってるアカウントで呟いていなかったのも彼女と少し距離を置くためだった。その時点でもう何もかも縁を切るべきだったのかもしれない。
今回の件では確かに私にとっては冗談交じりだったとはいえ、いきなり「ユニバに行こう」といきなり言ってしまったこと、その子の返信が遅いのを知ってながらも諦めて催促をしなかったことなどを踏まえると私も悪い。けれども、彼女は普通に呟いていたのだ。返信する時間は十分あったはず。彼女がもう少し早く返事をくれ、早い時間に明日することを決めることが出来たならこんなことは起きなかったのだ。
私も今回の件を踏まえて、日常会話はまだしも、急を要することにはキチンと素早く対応しなければならないなと強く感じた。また、友達との付き合い方もだ。少しでも「ん?」と思ったのなら少しと言わず縁を切るギリギリまで距離おいた方が良いかもしれないと思った。
そんな住宅街で野焼きをしている家がある。
住んでいる場所の南側のお隣さんである。(私がマンションで隣が一軒家)
住み始めてから一度も関わったことはないが、何度か見かけたことはある。
私は基本的に窓をあまり開けない(シャッターもしている)のだが、ひとたび野焼きが始まると家の中は焼けた臭いで充満する。
洗濯物だけでなく、さげている衣類にも臭いがこびりついてしまう。
とても困っているし、イライラしている。
隣の家の野焼きが法律や条例に引っかかるかはさておき、この住宅街で野焼きをすること自体非常識であると思わないのだろうか。
畑にとって野焼きは重要であることは理解できる。(そもそも隣は畑ではないが)
しかし、それはあくまで“近隣住民に迷惑をかけないこと”を前提に行うものではないだろうか。
私はもういい年の三十路の女です。
最近、SNSで知り合い仲が良くなって、頻繁に遊びに行ったり、自分の部屋に呼んで飲んだり泊まったりできる友人(女性)ができた。
それなりの時間をかけて、トラブルもなく順調に仲良くなっていって、本音も少しずつではあるけど話せるようになっていった。
しかし、それは突然終わりを告げた。
つながりを切られていた。
切られたことに対してのショックはなく、純粋に驚いた。
ネット上だけの関係なら繋がりを切ることに躊躇など必要ないとは思うのだが、自宅に行き来するような仲でもそういうことができるのか、と。
しかし、切られたことに対して攻める気持はないし、あちらからしたらその程度の関係だったということだろう。
と、思ってはいるのだが、これがキッカケで「友人を作る」ということの難しさをまた痛感することになった。
誰しもそうだとは思うが、人間関係で大きかれ小さかれトラブルを経験すると「マイルール」ができてくると思う。
それは事あるごとに変化していくものだが、今回の件でそのマイルールが全て無駄だったと思った瞬間、友達を作ることができなくなるのでは、と恐怖を覚えた。
仲を深める、ということは、会話が重要だと思う。
自分はなるべく会話で相手を知る、自分を知ってもらおうと思っている。
当然、後悔している。
「あの時、なんで話をちゃんと聞いてあげなかったのだろう」
「あの時、ああ言わなければよかったんじゃないか」
よくある、と表現するのは不適切かもしれないが、本当にそう後悔している。
死ぬまで後悔しつづけると思う、だからこの後悔は当然マイルールに影響している。
おそらく誰しもがそうしてるであろう内容なので、書かないといけないのか?と思われるかもしれないが、自分メモとして、ざっと書き出してみたい。
・相槌は必ず打つ。
・相手の立場になって話を聞く。(相手の心情をなるべく理解できるように)
これは私が相手にすることであって、相手が必ず私にしてくれることではない。
他にも、会話の内容だけではないが、自分にとっての常識が他人にとっての非常識な場合もあるし、その時の相手の精神状態などもあるだろうから、一概に全てをこのマイルールに適用させることはあまりない。
そうやって色々、相手のことを考えつつ、自分のことも考えて築いていくのが人間関係なのだと、思っている。
私にはそれができない、できていないようだ。
「気が合う友達」というのが親友以外名前を挙げれないのだが、親友は私に対してそう思ってくれていたのか、今では確認のしようがないから不安と疑問と恐怖でいっぱいだ。
だからと
いって、その気持を払拭するために、もし今後「気が合う友達」ができた時に「私はこう思っているがそう思ってくれているか」なんて聞けることもないだろう。
私は「遊びや旅行などに誘いあえる」「なんでも話ができる」「助け合える」ことができる友人が欲しいと思っている。
突き詰めていけば、もう一人自分がいればいいのだが、この世にコピーロボットは存在しないから無理な話。
しかしどうすればそんな友人ができるのだろうか。
そもそも、人付き合いがとても苦手なのだ。
だから受動的になったというか、自分から率先していくことはなくなった。
自分から見て、この人とは付き合わないほうがいい、と思って離れると、自分だけが離れてしまうことばかりだった。
いつも孤立する側で、周りに人が残らなくて、全てリセットされてしまった。
その度「私がおかしいのだ」と思ったし、今でも思っている。
それと私には「人を見る目がない」から友人がいない。
たまに「あなたは人が良すぎる。もっと自分を出したほうがいい」と言われるのだが、そういうことばかりだと自分はなかなか出すことができない。
どうにかしないと、と思って入るが、出会いの場もそもそもどこにあるのかわからない、一般的に使われているSNS以外のどこで友人ができるのだろうか。
皆どこで友人を作っているのだろう、出会っているのだろう。
よく「趣味の集まりで」等きくが、その集まりはどこでできた集まりなのか。
そこには人と人の繋がりがあってできる集まりと、ネットサービスでの集まり等様々があるのだろうが、そもそもそこにたどり着くプロセスが形成できない。
仕事でも社内以外の人間と接することは一切ないただの事務職なので、その繋がりを作ることもできない。
もし仮にまたできたとしても、コミュ障特有の気持ち悪いしゃべりしかできないので、そこから関係を広げられるかどうか不安もある。
不安を言い出したらキリがない。
そもそも、人と付き合うことに対して恐怖を持っているのかもしれない。
私は「親しくなりたい」と思ってもらえない人間なのだろうとも思う。
どうすればそれを覆せるのかもわからない、多分今までもそう思って行動を取っていたかもしれないが、失敗しているんだろう。
こんな人間が結婚できると思えないし、そもそも結婚願望もない、子供がほしいとも思わない。
ただ、諦めることはなく、これからも友人を作りたいとは思っている。
ずっとこんな気持でいながら作らねばならないのか、と気が重くはなるが。
ここまで読んでくれた人、ありがとう。
人狼民って知ってる?
人狼ゲームっていうパーティーゲームがあるんだけど、それを嗜んでいる人たちのことを人狼民って言うんだ。
で、俺も人狼を少しやったことがあるんだけど、とてつもなく闇が深い。
人狼ってのは、大きく分けて2つに分けられる。1つはネット人狼、もう一つは対面人狼。対面人狼ってのは、実際にリアルで集まって人狼ゲームをするんだ。人狼ゲームのルールについては割愛。
どの辺に闇の深さを感じるのかっていうと。
1.異常なまでのオフパコ率
人狼ゲームってさっきも言った通り、ネットでもリアルでも楽しめるんだよ。だから、ネット人狼で出会った人たちがtwitterとかLINEのSNSを通してリアルでも人狼ゲームをするんだよね。
で、完全に偏見なんだけど、こういうサブカル系の集まりってリアルではモテななかったり、童貞やこじらせた処女おばさんが多い。
そういうやつらが集まると、まーひどいよ。人狼して酒飲んでブスとブスの精子かけあいパーティー。ネジが外れたみたいに誰にでも股を開く女と、劣等精子かけ放題2980円くらいの暴走した男たちがたくさんいるんだよね。
とにかくだらしない。
クソブスと手軽にやりたいならいますぐ人狼ゲームをやるのをオススメする。性病なってもしらんけど。
俺も何回か行ったことがあるんだけど
まーひどかった。
初心者が楽しめる雰囲気作りなんて毛頭無し。ネジの外れた女がワーワー騒ぐわ、暴言は飛び交うわでゲームどころの話じゃない。
毎回がそうってワケじゃないけど。
見ず知らずの女に「そこのチビ眼鏡」って言われた時は、なんなんだコイツと思ったからな。
中にはすごくまともで優秀な人たちもいる。
でも、俺が何年か人狼民と関わって、こんな人がいたってのを紹介する。
などなど
それは学生時代のサークルの(特に同期の)連中である。音楽系だったので、練習はもちろん、演奏会やそれ以外の遊びのときも一緒に過ごすことが多かった。中高生とか大学生の男子というのは一番女子の容姿というものに対して残酷なお年頃であり、可愛い子と自分のように地味なタイプでは天地のように扱いが違ってイヤな思いもしたけれど、大人になって分かったのは、大人の世界でもそういう容姿差別はなくなるわけではなく、ただ、世間のかなりの人がさほど美しくない人にも表面上普通に接する技を身に付けているというのが結論だった。
学生時代の友人たちは思ったことを正直に口や態度に出した。私はいわゆる空気読めないタイプであり、自己中な行動や言動をしてしまいがちなところがあった(…というか今もそれは完治していないと思う)けど、彼らはそれに対して敏感に反応した。あと、「歩き方が変」とか「声が大きい」とかそういう言われたくないことも容赦なしに指摘した。今思い出すと「私は何てことをして(あるいは言って)しまったんだろう」と思うことは数限りないけれど、彼らがそのとき露骨にイヤそうな態度を示してくれたおかげで、自分の行動が世の中の基準に合っていないことに気付いたのだ。
社会人になると、20代ぐらいのうちに厳しい上司や先輩につかない限り、いろいろなことを指摘してもらえなくなる。自分が非常識な行動や言動をしたときに「それはダメだ」と言ってもらえたらありがたいのだということに気付いた。大人になってから知り合った人って、「あの人変」とか「あの行動はおかしい」となるとどこがおかしくてダメなのか言ってくれることなく自分から離れてゆこうとする。私としては多少欠点を指摘されてもいいから、話し相手になったり一緒に遊びに行ったりしてくれる方がありがたいんだけど、向こうはそんな手間をかける気がない。ましてやお局さまと言われても仕方のない年頃になると、後輩などは遠慮して余計言ってくれなくなる。
ただでさえ空気読めないタイプなんだから、自分の言動や行動におかしいところがあれば指摘してほしいのに「自分で察しろ」と離れていかれるのはキツすぎる。自分で察することができる人間は空気が読めるから察せるのだ。学生時代の友人はその点、容赦なく欠点を指摘する代わりにだいたい世間ではこういう考え方やものの見方が普通なのだということを示してくれた。最近は何か大きなイベントでもないと集まる機会もないけれど、職場の同期よりも学生時代の仲間の方が懐かしい。