はてなキーワード: 現実逃避とは
いや〜〜〜〜〜思ってた以上に終わってんなと思ったわ昨夜のTw…Xの様相。
元Jヲタで、嵐のデビューくらいからハマって、そこから色々辿ってJr.に担当(いわゆる“推し”的な意味)ができたけどその子がデビューせず事務所やめたあたりでなんとなくフェードアウトして5年くらい。でもライブは楽しいので入っているファンクラブはあるしオフィシャルサイトの有料会員も続けてた…くらいの中途半端な存在ですが。
SNS上でのオタクの思慮のない動きが話題になる度、まぁ思慮がないから余計なこと言うんだろ、って思ってたし、実際私がフォローしている旧知の社会人オタクの大半はあまり極端なことは言わず沈黙していた人が多かったように思う。たまにこういうのが回ってきて絡めて言及する程度。
https://note.com/ki_nandemo/n/n94b4bf3a74c7
事務所が公式に認めるまでの間にSNS上で強い口調で非難していた連中の中には、単に「無能なイケメンとそれを奉り立てる馬鹿女」みたいな構図が大好きでわざわざ寄ってきていた連中も結構いた。まぁ今もいるよね、はてなこそそういの多いし。というかさあ、ジャニヲタやってると学校でも職場でもそうやってニヤニヤしながらわざわざ人の好きなものを馬鹿にしたがる人たちの相手させられるのがほんとめんどくさかったんだよね。なんかそういうのの延長で…自衛として“外野”の言葉はシカトするスタンスが染み付いてるジャニヲタってけっこういるんじゃないかな〜って。私がそうなので…
でもやっぱり、事務所が認めたことでもうフェーズは変わってるじゃん。全然違うところに来てるじゃん。「性加害」なんて言葉を使ってるけど、自分らで「ファミリー」を自称してるし、実態としては「児童虐待」じゃん。現在進行形のタレントの動きがどうであれ、児童虐待の事実を認めてその責を受けて解体する組織じゃん。そこに対してさぁ、15年前にオフ会で会ったキリだけどなんとなくずっとフォローしあってて結婚して子供できたこともSNS上で報告してた子とか、10年前にライブのチケット交換してからたまにいいねしあってる福祉の仕事で毎日へろへろになってる子とか、わりと今まで沈黙寄りのスタンスだったフォロワーが「#ジャニーズ事務所ありがとう」なんてタグで最後のチャンスとばかりになんか言ってんの見てしまって、たぶん今までで一番失望してしまった。終わってるわ。なんで子供がいるのに、公共のお仕事してんのに、そこで踏みとどまれないんだろ?
なんだろうね、社会性がないんだよね。確かにさぁ、今でいう推し活とかってある種の現実逃避というか。実生活的の、社会とは切り離されたところで楽しむのが推奨されるお作法みたいなとこはあるけど。でもだからといって社会とは無縁ではいられないじゃん。個人的にはこのあたりは東日本大震災の時に色々考えたところで、現実の悲惨さに対してエンターテインメントは無力だけど無力ではない、社会に対しての希望の灯火たる力があると信じることで成り立つものである、っていうのにジャニヲタは賛同してたじゃん。結局は社会との関与なしで成り立つエンタメなんてありえなくて、個々の体験の物語とは別のところで、社会の中でどう在るかが問われるじゃん。社会に対するプラスの作用の話のときだけ盛り上がって、逆のときは見ないふりして居直るのっていいご身分だよなと思うわ。
というかこれはタレントこそそうだろうがよ。この期に及んで他人事みたいなコメントしかしない、看板の話にすり替える、内輪のMCだからって内輪でウケる逆境精神見せて悦に浸ってるのなんなの? いい大人が。名前変えりゃいいってもんじゃないとは思うけど、「名前が変わったところで美しさは変わらない」なら、名前を変えたところであなたたちのその無責任さも変わらないんですかね? 過去時点において1タレントに何ができたわけじゃない意味としてはタレント無罪かもしんないけど、これから変えなきゃ、変わらなきゃいけないって話をしてるところにその態度は少なくとも誠実・清廉とは言えないだろ。
私自身はあの事務所のエンタメへの妥協のなさは大好きだし代替不能な精神性やノウハウのようなものはあると思ってるよ。メディアの露出が多いから大して知りもしない外野も知ったつもりになってて色々うるさいけど、あの事務所の「SHOW」の真髄はそんな外野が一生見ないであろう「現場」にあると信じているタイプなので。女の子の顧客に向けた夢を、女向けの嘲りのない質で提供してくれていた功績は計り知れないと思っている。そういえば先代が亡くなった際に自分のTLで上がっていた話題があって。そのニュースを報じるワイドショーでテリー伊藤が「Jは女性ファンばかりだけど、演出のクオリティが高いから男性にこそ見てほしい。女性は顔しか見てないのでもったいない」みたいなこと言ってて、なんでこいつに既存のファンをバカにされなきゃなんないんだ?ってちょっと燃えてたんだわ。仮にも演出家の肩書を持ってるおっさんがそんなことを堂々と言って褒めたつもりになってるエンタメ界ってほんとクソだし、その中において、侮られずに主体であることを当たり前に許容される場の居心地の良さったらなかった。
そのあたりに関して、先代はそうやって女の子をバカにしなかったよね〜と持ち上げる人もいたけど、一方で、いやあの人そもそも女に興味がなかったよ、って言ってた人たちもいて、私の感覚も後者に近いなー、みたいな話をぽろぽろとTwitterでしてたんだよね。あのじいさんの女の性への興味のなさって要は少年の性へのある種の執着の反転だってうっすら気づきながらも同調して消費“する”側に回れる感覚はなかったとは言えないので、私がオタクとして省みてるポイントのひとつはそこではある。今に至っても証拠の無い言いがかりだ!って吹き上がってられる人はそのへん無自覚で気楽でいいよなって思うよ。まぁでも見てたところによるか。私は最終的にJr.まで見るようになったから余計思ってたかも。嵐とかV6とかだけ見てたら、あのあたりは直近なんかあからさまに興味なさそうだったもん先代は。嵐が近年のライブで、じいさんのウエットさをオミットした形でのイズムの再構築を試みるテーマを掲げていたこともあったわね。ああいうのだけ継承していけばいいのに、事務所の体制と不可分かのように思考停止して外側が何も見えてないのがほんと終わってる。
寝かしつけをしながら、お風呂に入りながら、そう考えてしまうことがよくある。
最初にアイドルになりたいと思ったのは、18歳の頃に欅坂46にハマったから。妹と同い年のセンター・平手友梨奈に惹き付けられた。そこから他の女性アイドルもどんどん好きになっていった。
18歳の私は、高校を卒業してそこそこ良い会社で働いていた。我が家はお金がなかったので高校を卒業したら働くように、と口を酸っぱくして言われていた。だから、言われた通りにしてた。
しかし、18歳にしてアイドルを目指したくなってしまった。どうせ落ちるし、そもそも社会人で一人暮らしの私には親の意見など関係ない!と急に芽生えた自我。色々なオーディションに応募し始めた。
某アイドルグループオーディションの1次審査に通過した。2次審査に行きたかったのだが、行けなかった。
2次審査の日程が4月初旬で、その時ちょうど知り合いに紹介してもらった職場に転職した。その最初の出勤日と重なっていた。
オーディションには行きたいが、紹介で入ることのできた転職先に初日から行かない訳には行かない。諦めた。
その年に、付き合っていた方からプロポーズを受け結婚した。夫のことは今でも大好きで、人間として尊敬している。結婚という選択が間違いだったと思ったことは今までに1度もない。
アイドルは無理でも歌が好きだったので、大きめのカラオケ大会の予選に参加したりなどした。
本大会に出ることは叶わなかったが、予選終了後に1人呼び出され、芸能事務所の方から名刺を頂いたことがある。その時に、結婚していることを伝えた。もちろんそれ以降は何の連絡も来なかった。
時が経ち、今年出産をした。
それまで自分の人生だったのが、娘のための脇役になる。それはとても幸せで、夫婦ともに望んでいたことだった。しかし、育児は自分の思い通りにならないことばかりで、逃げ出したくなることがある。
そういう時にふと、あの時オーディションに行っていれば、なんて考えてしまう。歌を評価されたこともあるし、遠い夢ではなかったはずだ、と。
それはわかっている。
25歳という年齢は、また現役アイドルがたくさん居てテレビを見る度キラキラしている。自分はどうだろう?毎日の育児でヘロヘロで、体型も崩れてきたし、抜け毛や肌トラブルも多い。
羨ましい。
もしアイドルになった自分が居ても、センターで輝いてるとは限らないのに。
でも、未だに夢見てしまう。
ハイ終わり終わり〜!!そんな事してる暇ねえぞ
他人に課金して現実逃避してる余裕なんか、この国にはもうなくなる。いや、もうないからこそ加速してるんだな、推しとかいう麻薬が。
可哀想な使い捨ての偶像にハアハア言ってクソ胴元に金を吸われるのはもうやめろ。才能がある(とその狭い組織のジジババが言ってるだけの)若者を崇めるのはやめろ。他人に元気をもらおうとするな。お前はいつから吸血鬼になったんだ。
崇めるなら2次元でいい。それももっと薄めに推すくらいでとめとけ。依存するようになったら、まず惨めな自分の生活を見直せ。痩せろ。運動しろ。いくら知らねー若者がキラキラしても関係ないんだよ。お前に関係ないの!マジで!いい加減自分がキラキラしろ。誰もがそのために生まれた。
税金や生活や労働環境が悪くなるのを許さない政治活動しろ、資格を取れ、引っ越して転職しろ、他の国でもいいから。恋をして結婚しろ、貯金と投資をしろ、消費で自分を表現した気になるな。簡単に、他人を神みたいに扱うことに慣れるな。気づいたら訳のわかんねえ所に連れて行かれてるぞ。
生きるのが辛かったからな。適当に30ぐらいで竹◯とでも刺し違えて終わりにしようと思ってた。
でももう50年ぐらいしたら世の中変わりそうなのでそれを見届けてから死のうと思う。
今の世の中って「働かざる者食うべからず」「友達いっぱいが一番」みたいな状態だろ?
でもこれって機械が人間の代わりに働くようになったら変わるじゃん。
世界がどんどんバーチャル化していったらバーチャルの交友関係が正しくて、わざわざ人間と関わるなんてリスキーな異常行為みたいになってきそう。
そうなったときさ、その昔にそういう価値観を推し進めてた奴らがどういう事言い出すのかを見たいんだよ。
はだしのゲンで戦争が終わったと同時に愛国愛国言ってた奴らが掌返すシーンがあったじゃん?
アレを見ておきたいんだよな。生きてるうちに。
というか、アレで突きつける側になりたいんだ。
「労働などというものに自分の存在意義を見出してどうなるのでしょうか!!」と声高に叫ぶやつに「あなたは昔逆のこと言ってましたよね?」みたいに迫りたいの。
そこで顔真っ赤にして「昔のことを引っ張り出してきて何だと言うんだ!時代は変わったんだ!」と叫んだ所を「つまり、あなたは何も考えずに周りの言葉を返すだけの壊れたスピーカーだったんですね?」と返すわけだよ。
するときっと「それが『普通』っていうものなんだ!」と相手は反論するだろう。
そうして俺がずっと求めていた『普通』というものの価値のなさが証明された光景を観測できるわけ。
俺はそれがみたい。
とっくに歴史が証明してるけど、俺の人生の中でそれが証明される場面が見たい。
『普通』とやらに振り回されるのが辛くて30まで適当に現実逃避してから死のうと思ったけど、むしろもう50年生きて『普通』のカスさを自分の歴史の中でハッキリと見てから死のうと思った。
だって悔しいじゃん?『普通』に負けて人生終わらせましたみたいなのって。『普通』とかいうカスがみっともなくくたばるのを見てからにしたいんだよ。死ぬのは。
こんな重い話打ち明けられて苦しい。
何でも社会のせい、政治のせいにして現実逃避して逃げられた人間は良いよなと思う。
https://twitter.com/tinytinytinyte/status/1658053556061212673
ポリコレ連中がどんな綺麗事を言おうと、女性の30歳はもう若くはないのよ。
まずこの現実を受け止めて。
30歳で家事ができない女性って、婚活市場の男に換算すると「40歳で年収300万の男性」辺りよ?
実際どちらも配偶者を支えられず、あと数年が婚活のリミットなわけだから。
「40歳で年収300万の男性」に若い美女が来ないのと同様に、「30歳で家事ができない女性」に年収1000万以上の男はやってこないのよ。
(男の年齢が55歳以上とか、何らかの事情があれば別だけどね)
辛いだろうけど、現実を見なきゃ結婚なんて絶対うまくいかないよ。
自分を年収1200万のイケメンだと思いこんでアプローチしてる年収300万のフツメンの結婚がうまくいくわけないでしょ?
でもそれと同じことをやってるのよ貴方は。
時機を逸したけど。
最近のSFも割と好きで、それこそ伊藤計劃みたいに現実の社会問題を扱う作品のおかげで「社会学や社会学SFなんてつまんない」って気持ちをひっくり返してくれたし、最近はキャラクターがかわいいSFが多いんだけど、古典SFのキャラや社会問題よりも、核にある純粋な論理を重んじる姿勢はやっぱり時折読み返したくなる(僕の友人はダンチェッカーはツンデレかわいいとか言ってるけど、それはさておいて)。
確かにこの作品というかシリーズには欠点もあって、特に第3作は陰謀論っぽくてあまり好きじゃないし(人類の愚かさを人類以外のせいにするのはダサいってのが僕の感覚)、ホーガンは途中でトンデモ宇宙論にハマっちゃうんだけど、ロジカルな作品世界が僕はとにかく好き。
確かにこの作品はベストじゃないけど、やっぱりティプトリー・ジュニアは好きだ。「愛は定め、定めは死」がお気に入り。
ある編集者が「最近のSFはつまらん、男らしい作品を書くのはティプトリー・ジュニアくらいだ!」と嘆いていたら実は女性だったって結構笑える。
古い作品って、いろんな作品の元ネタになったりしているから、ダサいと考えるよりも、そこから派生した作品をそっと差し出すと、この作品が好きだって言った人にも喜んでもらえるんじゃないかな? もしかしたら派生作品も含めて好きといったのかもしれない。
ノーランだったら「TENET」のほうが確かにSF度が高くて好き。背景の地球の滅亡の理由もよくわからないし、何となく宇宙に行かずに大地に縛り付けられた農家をバカにしているところあるし。SF設定がザルな個所もかなりあるのは認めないといけない。でも、SF映画の場合リアリティのレベルを小説と同水準に持っていくのは無理があるし、科学的な論理で驚かせるのは小説のほうが向いている。時間旅行SFでは感傷的にして泣かせてなんぼでしょう。そりゃあSF慣れしてたらこれ伏線だろうなとか最後は年齢差で泣かせる気だなとか読めちゃうけど、それが作者が悪いというより僕ら受け手がスレてるんじゃないかって疑うべき。
僕はSF映画に関しては科学的正確さよりも、どれだけ絵になる風景が出てくるかと、作中の機械や装置のデザインがどれ程優れているかで評価している。
それにロボットかわいいじゃん。加速する宇宙船の中であんな角張ったロボット危ないに決まってるけど、人間離れした姿に善意を持つロボット萌え。
基本的に僕は加点評価が方針、そうじゃないとSFに限らず古い作品って読めなくない? 実際、創作してみると科学的厳密性とキャラ立てとわかりやすさとその他色々、トレードオフの関係にあって、理想の作品って滅多に会えるもんじゃないってわかる。
「暗黒声優」とか面白かったじゃない。作中でエーテルが存在するとしたらどのような物理学が現実のものになるかを、虹色に輝く地球の表面として美しく描写してくれている。
好きなんだけどなあ、手塚治虫のSF短編。確かに今読み返すと、当時は最先端だったけど今は陳腐化したネタとか、科学的正確さがいいかげんなのはあるんだけど、それでもつまんないSF映画よりもずっと面白い。ストーリーの語り方・盛り上げ方がすごい。話が面白いと、すでに否定された科学理論に基づいた話でも読みごたえがある。
というかどんなジャンルも書けて、しかも常に一定以上のレベルの作品を出力していた手塚治虫って化け物だよ。創作しててそう思ったよ。
関係ないけど「W3」のプッコ中尉のドタバタはドナルドダックに似てるし、星真一の父ってディズニー版ピノキオのゼペットじいさんに似てる。
作者が弐瓶勉と椎名誠が好きなのがひしひしと伝わってきて楽しい。
あと、この人は一発屋ではなくて、「人間たちの話」だとかいろいろSF短編集を書いてて、とくにこの表題作を読んで「この人こんなウェットなストーリーも書けるんだ」ってすっごく驚いた。ひょいひょいとアイディアがわいてきて、それをスマートに調理するもんだから、頭が良くていけ好かないと感じていたんだけど、この一作で評価が変わった。
「沈黙のリトルボーイ」って短編も原爆SFとしてオススメ。宮西健礼「もしもぼくらが生まれていたら」と一緒に読むと楽しい。
「タイタンの妖女」や「スローターハウス5」のほうが好きなんだけど、最初に読んだので思い出深い。村上春樹の初期の短編とかブローティガンとか好きだし。
あまりにも悲惨な現実を相対化するのは、一歩間違えば現実逃避の冷笑主義になるんだけれど、狂気の世界を別の狂気で批判する方に踏みとどまっているから好き。
気が向いたら「三体」の好きなところとツッコミを入れたいところについても書くかも。
弊社は今後も継続して複写式の領収書を使用すると、全体朝礼で発表された。
皆さんご存知かもしれんが、領収書は必要事項さえ記載されていれば紙はなんでもいいし、領収書の上では角印の法的効力も無いから押さなくてもいい。
社内には複写式の領収書に数時間かけて判子を押す当番があり、それに対する不満が溜まっていた。そこにインボイスの番号の判子を新たに押すことになり不満が爆発した。
このどちらかにするかで盛り上がっていたが、社長はそれを拒否した。
意訳だが、KOKUYOの複写式の領収書に角印が押されていることで会社の社会的信頼の一部となっていると社長は我々に説明した。
だったら①でいいじゃんという意見に対しては「人が判子で押してあるという所に会社の誠実さがある(意訳)」と回答し、朝礼の空気は殺伐とした。
そこそこの年齢ではあるが、典型的な昭和の人間というほど頭も堅くなかったので非常に残念。
https://anond.hatelabo.jp/20230912183624
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アロマンティック(他人に恋愛感情を抱かない)・アセクシャル(他人に性的な魅力を抱かない)を自認して3年経った。
わかったこととしては「カミングアウトしても損しかしない」。以下に理由を書く。
2.カミングアウトしても「無い」を証明できず、他のマイノリティからもあんまり信じてもらえない
一番危惧されるところである。「モテないから言い訳にしてるだろ」が一番反応として多い。
あまりにもそういう返答が多いので「じゃあもうそういうことにしましょう」という気持ちにすらなってしまう。
後述するが、さらにオタクをやっている時点で一気に信用ポイントが下がる。
デブ・ブス加算で「恋愛弱者」のレッテルを貼られてしまい、「違うんです」と言えばいうほど言い訳感が出てきて泥沼化する。
恋愛・性愛を持っている人から「かわいそうだね」と言われたらお手上げだ。
最近悟りを開き「まあ好きに結論づけて良い」と開き直ったが絶対「恋愛弱者の言い訳」と思われているだろう。
アロマンティック・アセクシャルは明日めちゃくちゃ恋するかもしれないという可能性がある。
「Ace(アロマンティック・アセクシャル)は死ぬまでわからない」とも言われている。
だから他のマイノリティにも「いつか好きな人ができたら変わるよ」と言われることもある。
別に良いけど、レズビアンに「男と付き合ったら男の人の良さがわかるよ」と言ったら大騒ぎになるのに、
アロマンティック・アセクシャルはそういうの言って良いんだ〜と思う。
LGBTあたりと明確に違っていて一番理解してもらえないところだと思う。
「愛(恋愛・性愛)」の自由を認めてくれというプライドパレードで、「すみません、そう言うのが無い性的指向でして」とちょっと遠慮してしまう。
恋と性愛でイキイキしている他のマイノリティ・ヘテロが羨ましい。
「無い」を主張してもあまり注目してもらえない。
この世では恋愛と性愛をハッピーに運用していくことが良いことされているので、それを持ち合わせていないアロマンティック・アセクシャルは隅で小さく生きるしかない。
ここで全員「はいはいモテないオタクの現実逃避ですね」で解散してしまう。
別にキャラクターに恋愛感情を抱いているのでは無く、二次創作を通して恋愛とはこういうものなんだろうかというシミュレーションに近い。
ミステリ作家が殺人犯の心の内面を考えたり、男性恋愛作家が女性の恋愛感情を書くイメージというとわかりやすいかもしれない。
個人的には、平井堅が色々な立場の人の心を想像して歌詞を書くイメージが近い。
平井堅は疲れたOLやどろどろの不倫をする女では無いけど、そう言う立場の歌詞を書くのが上手い。
そういうイメージで想像の恋愛・性愛を書いている。もしかしたら「正常に」恋愛・性愛を持つ人にとっては違和感があるかもしれない。
でも確かめる術が無い。
→このようなことから、アロマンティック・アセクシャル(特にオタク)はカミングアウトしても良いことが無い。
なんなら「モテないんですよワッハッハ」にした方が話が通りやすいのではないか。
アロマンティック・アセクシャルの仲間たちよ、もうめんどくさいからカミングアウトしないで言いたいように言わせておけば良いのではないか。
私たちがアロマンティック・アセクシャルを自認することから、カミングアウトして得があっただろうか?
【補記】増田について
誰にも恋愛感情を抱かなかったので、別に誰がどう付き合おうと興味関心を持たなかった。
先述のようにデブ・ブスに20代でメンヘラ属性も加わって恋愛対象として見向きもされなかったこともあったと思う。
しかし恋愛感情があるなら、一方的な片思いで「気になってたA(男女)が他の子と付き合ってモヤモヤする」などの心の動きがあるはずなのに全く無かった。
LINEで不定期にやり取りする男の子もいるが何にも発展しないし、お互い保健室の先生と生徒くらいにしか思っていない。
1人だけ付き合ったことがあるが、1年間一回もセックスしなかった。そのため32歳現在処女。
相手の性器に触るのも自分に触れられるのも苦手で、彼の性欲に一切応じることができなかった。
性嫌悪と言われたらそうかもしれない。でも恋愛感情があれば乗り越えることができたのでは、とたまに思い返す。
・32歳
・「ホワホワしている」と言われるくらいには周囲への愛想が良い。男性にも女性にも。別に男の人には口きかないとかそういうことも無い。
そういう問題じゃあないですね
近々ではせいぜい元友達を親友とか呼ぶ虚構の世界に生きる人が観測されたわ
親友の思い出
https://anond.hatelabo.jp/20230718222319#
こういう人らって自分のことフツー(マジョリティ)だと思っている節があるけど全然フツーじゃないぞ
人は自分と似たような人とつるむから自覚が持てないのかも知れんがの
結婚は自由恋愛して好きな人といっしょに暮らすがマジョリティで、
それと同じで簡単に関係が切れてしまう人を親友と呼ぶのはマイノリティだし、
暇を潰したり、体面のために、好きでもなんでも無い人と一緒にいるってマイノリティだぞ
そういう人らは、友人とは言えぬ薄い関係の知人とつるんだり、商業誌やWebに軽薄なポエムを垂れ流すことが多いやで
五感が正常で、経済的にはそこそこ成功しているのに、虚構の世界を生きている人はもったいないと思う
思ったのは、こうした異常に軽薄な人は地方出身者に多いってことなんだよな
地方は以前は第一産業が主力であり、いま50・60代の親の世代は見合い婚も多かったと思う
自然と向き合い、相性を諦めて自分の妻・夫に向き合い、他人ではないが血縁者でもない地域の濃い関係と向き合う中で、諦めを覚えたのかもね
そしてその価値観が子供や孫に引き継がれたんじゃねーかなって思う。諦めても、日常の生活は続けなければいけないので、
心の健康を保つために、現実ではない世界を作り出すようになったのかもな
(もちろん、文章の装飾やアピールで迷走してしまっただけで、実際はそこまで現実逃避していない・軽薄ではないという可能性もある)