はてなキーワード: 漠然とは
ご自由に読んで頂いて構わないが、支離滅裂唐突に話題が変わったりあと話が長いということを前置きしておく。
ここひと月の間で一番落ち込んでいた、というよりそろそろ心療内科なり精神科のお世話になるべきではないのかと思うレベルの案件だった気がする。
何をどうやっても『死にたい』『どうすれば死ねる』に思考が行き着くわ、『ああまた無駄な時を生きてしまった 僕の代わりに寿命を使ってくれればいいのに』とかそんなことしか頭に浮かばなかったんだ。
次の日何故かそんなことを前日考えていたのが嘘のように元気で、Twitter壁打ち垢を覗けばどうしてこんなこと考えてたのかめちゃくちゃ怖くなって仕方がなかった。
比較的落ち着いたので、そろそろうつ病うんぬんを調べてみようと思って色々見ていたが、正直希死念慮ぐらいしか当てはまらねぇなと思った次第なのである。ここで自殺願望とは書かなかったのは、別に本気で死にたい訳ではなく、死にたいというよりは生きるということに希望を見いだしていないということに近いと言うか、ただ漠然と死んで何もかもから逃げ出せたらいいのにぐらいの感情でしかないんだと今書いてて気づいたレベルなんだなぁもうわかんねぇな。
ただ本当に漠然と死んで全てから逃げ出したい、と定期的に沸き起こる衝動がしんどくてたまらないが、これをうつ病だというのはもっと苦しんでいる人は絶対にいるのにこんな程度でぎゃあぎゃあと喚くのは間違っているのだろうか?
僕はこれからもこの希死念慮を抱えて生きていかねばならないと思うとあぁ死んでしまいたいなぁとループに陥ってしまうのである ほんとどうすりゃいいんだろうなぁ
中学生の頃、とある地方都市に住んでいた俺は、毎日電車通学をしていた。
ある日、学校からの帰り道、駅のホームで電車を待っていた。いつも一緒に帰る友人達とは別行動で、一人ベンチに座って本を読んでいた。遠くの方で同学年の女子達が何やら騒いでいる。どうやらその内の一人が名札を線路に落としてしまったらしい。
本当なら駅員を呼んで拾ってもらうのが正しい行為だろう。だがその時の俺はそうしなかった。ホームから線路に勢いよく飛び降りて、名札を拾い上げた。
あの時の俺は漠然とした不安の中にあった。クラス替えで仲の良い友達達と離れて、反対に気に食わない奴等が集うクラスに放り込まれて磨耗していた。好きだった子に振られた。父が単身赴任で家に不在がち、その代わり母とぶつかった。進学校を自称するくせにやけに厳しい校則が煩わしかった。在学している中高一貫校を抜け出して、別の中高一貫校への進学を考えていた。
今になって思えば、どれも瑣末なことでしかない。でもあの時の俺はその一つ一つが重なり合って、漠然とした不安の中にいた。ふと自分の命が消えてしまってもいい。そんな感覚だった。
あの日、名札が線路に落ちているのを見かけて、死ぬ理由を見つけられた気がした。線路に飛び降りて、名札を拾おうとして、轢かれて死ぬ。あっけない最期。
でも現実はそう上手くいかなくて、地方の路線だから電車が来るまでには時間があった。難なく名札を拾い上げた俺はホームの上までよじ登ると、別のクラスでほとんど話したことがなかったテニス部の女子に名札を渡した。一連の動きを見ていた彼女は驚いた表情で、ありがとうと言った。
片田舎の学校の最寄り駅だからか、ホームには人もまばら。一般客、ましてや駅員さえも俺の行為に気づいていなかった。端から見れば格好つけた中学生の危なげな善行は、誰にも咎められることはなかった。
あれから10年以上。しょうもない希死念慮が湧き上がってきた時、あの日のように死ぬ理由をこじつけられないかと考えてみる。物事はそう上手くいかないもので、理由はどこにも転がっていない。死ぬ理由に遭遇することはなく、かと言って積極的に命を絶つほどの勇気は持てず、そのままだらだらと生き長らえていく。
アメックスカードのキャンペーンで、ビックやヨドバシ等の家電量販店で20%キャッシュバックキャンペーンが開催されている。
ただしキャッシュバックの上限は1万円なので、総額が5万円を超えると、キャッシュバック率も漸減していく仕組み。
増税前ということもあり、5万円まで何か買っておこうと思うのだが、何かいいものある?
自分がその立場だったらこれを買う!みたいなのを教えてくれるとありがたい。
(「お前がどんな人間か分からないから何を勧めたらいいか分からない」は不要)
---
自分的には以下を考えてみた。
・iPadの買い替え→iPad mini(wifi)で5万円ぐらい。買い替えても良いのだが、キャリアのiPad mini(ドコモ・一世代前)をどうしようかなと。
・カメラレンズ→ソニーのα7riiiを使っているが、5万円だとあまり魅力的なレンズがないような気がする。
・ノイズキャンセリングヘッドフォン→ソニーのやつ。3万円ぐらいでも良さそう。
・Pixel 3a→シムフリーなら欲しかったのだが、これも取り扱いなし。
・自転車→ママチャリしか経験していないが、ジャイアント?の初心者向けなら5万円ぐらいで買えるのかな(調べてない)
・HDD→カメラで撮った画像保存用に外付けを買うという手もあるが、味気ない気がする。
・Surface→5万円を超える
・Moverio→エプソンのスマートグラス。興味はあるのだが何に使うか漠然としすぎている。
・ドローン→どこで飛ばしていいかよく分からないし、知ったかぶりジジイとかが法律違反だとか言ってきそう。
・dji osmo→スタビライザー付き動画。楽しそうだけど撮る機会がなさそう。
首を吊る、飛び降りる、ナイフを突き刺す?そんなことを考えているわけではない。
「自殺できる精神状態」になるにはどうすればいいのか、を考えている。
そもそも、自殺する人って何を考えて、どういった過程を経て死んでいくのか。
私は自殺した人はなにかとても大きなショックがあって、衝動的に、考える間もなく、
「死を選んだ」ものだと思っている。
死ぬ方法をあれこれ考えて、緻密に計画を練って、計画通りに死んでいく人もいるのだろうけれど
それはやはり多くはないと思う。
私も死にたいと思ってきっちり遺書を書き、後始末のことも考えていろいろと整えて、
でも死ねない、「死ぬ」のが怖いと思って踏みとどまることが何度もあった。
もしそこで自分の意思ではなく、なにかの事故で自殺のように死んでしまったら
私は「緻密に計画を練って自殺をした人」だと思われるのだろう、全然そんなことはないのに。
まぁ、そんなのはどうでもいいのだけれど
生きるのって、私からしたら辛いことばかり、嫌なことばかり
そんな中で死にたいって思うななんて無理な話です。
身内にも、他人にも、「あなたは生きていてはいけない」「今すぐ死ね」なんて言われます。
でも、そんなことを言われても、自殺ってできないのです。
死に至るまでの苦痛への恐怖、「死」という概念への漠然とした恐怖
そして身近な人が「生きたい」と言いながら死んでいったのを間近で見ていた「死へのトラウマ」
死ぬためには錯乱状態になって考えるよりも先に「死」を選んでしまうような
大きなショックが必要だと思った私はショックを求めていろいろな事をしてみました。
でも死ねませんでした。
生きるのがつらいと思う理由が増えてしまっただけ、たくさん傷ついただけでした。
もうこうなったら開き直って生きてやろうと思いました。
自分以外全てどうでもいいです。全て憎んでます。自分のこと以外考えてあげません。
それがムカつくなら自殺させるくらいのショックを与えてみればいい、
あなたの嫌いな私は消えて、私はやっと死ぬことができて、みんなハッピー!
ただの深夜テンション(早朝だけど)で死にたい!!!と書きなぐってやろうと思ったら
まぁ数時間後には死にたくなっているだろうけれど。
日本時間2007年8月4日14時17分ごろ、この宇宙と神は誕生した。
翌8月5日の11時27分には逆算して宇宙の始まりまで遡り歴史が造られた。
神は記憶を持たずに人間の赤ん坊として生まれ、自分が宇宙を造ったことを何となく実感として抱きつつ、今も普通に暮らしている。
神はいわゆる神の存在を信じていない。信じている人の信仰を積極的に踏みにじる趣味はないが、意思を持った存在が世界を造ったという物語を飲み込めるほど純粋でもない。
百歩譲って創造主がいたとしても、それは人間のような容姿をしておらず、人間の言葉を話すこともなく、考え方も人間とはまったく違ってどちらかと云えば本能で動く昆虫のようなものだと漠然と思っている。
今は都内のITベンチャーで働いている。辞めてみて改めて今と公務員時代を対比すると面白かったので語りたい。結構リアルに書こうと思う。
①労働時間
公務員は言われているほどホワイトではないです。まあ、結構広まってきていると思いますが、私の場合一番忙しい時は平日は終電帰り、土曜日も出勤の時がありました。残業代は勿論全てつかないです。隣の席の人が倒れた時もありました。病んで休職している人も何人もいます。
今の会社は定時上がりです。
②給与
公務員の給与は安いです。大卒新卒で手取り18万くらいですかね。信じられないのが、東大、宮廷卒の人とか普通にいます。いいとこ出てこれは低すぎますよね。
③出世
公務員の出世の能力は何かって結構漠然としていると思うんですが、一言で言えばコミュ力です。人をまとめる能力や、調整力とかですかね。事務作業できてもあんま意味ないっすよ。
④時間の進み方
まあなんやかんやでこれが一番言いたかったんですが、公務員は20年時代から遅れていましたね。ITの世界に来て思いました。未だに紙、紙、紙です。FAXは超現役。データの受け渡しにCD使って歩いて渡しに行くとか普通にあります。上の階級の人たちがみんなお爺さんお婆さんなので、便利なものに疎いです。とにかく周知でも伺いでもなんでも紙に印刷してスタンプラリーです。この作業がなくなったら業務時間は半分で済むかと思いますね。
僕が辞めた身から言わせていただくと、公務員は今からなるのは辞めた方がいいです。これから先、どんどん便利な時代になって、公務員の仕事が残っているとは元公務員としたら考えられません。まず、40年は持たないと思います。で、定年前に不要と言われたらどうしますか?それが怖くて、僕は辞めました。公務員として転職活動で評価されることは皆無でしたので、何年勤めてもその能力が活きることはあまりないと思います。公務員は、定年まで勤められるから安泰、今まではそうだったかもしれません。でも、これからの時代は、お前不要と宣告される可能性が、少なくない確率であるとしたら、安易に安泰を目指して公務員になることはオススメしません。そこに安泰はないですから。
子どもに興味がない。
物心ついたときから子どもに興味がない。というかむしろ苦手なのかもしれない。大の大人でかつ女だが、子どもを前にしても甘やかしたり猫なで声で機嫌をとったりできない。かわいいね〜とか適当な言葉で褒めたりもできない。全部嘘っぽくて(まあ嘘なので当たり前だ)やってられない。感情がわかない。
友だちや知り合いの子どもに対して興味がわかない。生まれたら素直におめでとうとは思うけど別に会いたいとか思わない。どうでもいい。そこまでかわいいとも思わない。一般的な「赤ちゃんかわいい」の感情の範疇を超えない。
アラサー(子どもを生んでもおかしくない年)の女をやっていると、世間からは子どもに興味があると思われる瞬間が多くてとても苦痛。アラサーの女を辞めたいと思う。
男性ならここまでにはならないと思う。
子どもの話をされたときに興味のあるふりをしなければならない(けどできない)のが苦痛。それを求められたくない。なんで求められるの?と疑問。
子どもが欲しくないのかと言われたらそれについてははっきりと答えはなくて、なんとなく、欲しいような気もするが、それは対外的な圧力に勝てる気がしないという漠然な不安を埋めるために急ごしらえした感情のような気がしてきた。(子ども欲しくないの?なんで生まないの?攻撃や、それをぶつけられなくても、あの家はおかしいと疑問視・批判的な目で見られるのではないかという不安)
それを理由に生むという決断をするとしたら、生まれる子どもにも失礼だし、いい加減な判断だからやめたほうがいいな、という気がする。私の本心ではなくなってしまうというか……。
ただ、育児というものをやるには興味がある(もちろん語り尽くせぬほどの苦労があるというのは、経験したことはないがそれなりに承知の上)し、好きなパートナーとの間にできた自分たちの子どもを育てるということに対してはちょっとやってみたいと思う。
そもそも欲しいと思っても、作ろうと思ってできるかわからない。
できるかわからないのに、なんでできる前提で言われるのか不思議。
それ以前に、なんでアラサーの女(と、一応外見で判断される)というだけで、
・異性のパートナーがほしいと思っている
・子どもに興味がある
・子どもをほしいと思っている
上のことが全部前提としてのしかかってくるのか、それが息苦しくて本当に無理な気持ちになる。アラサーの女を辞めたい気持ちが強まる。
人の目を気にし過ぎなのかもしれない。
でも私は、本心を言うと、子どもに興味がないって声を大にして主張しても変な目で見られない世の中になればいいのにと思っている。
子どもは未来の宝なので(この主張をするときにかの言い方をすると語弊がある気もするが)、子育て世帯が優遇されたり保育施策が進められたりすることはとても良いことだと思うし、それをやめろとは言わない。むしろもっと子育てがしやすいようになればいいと思っている。それには賛成するし自分の税金でも何でもどんどんつぎ込んでくれと思う。自分が子どもを持っていなくても。
ただ個人の感情として、子どもに興味がない人間がいるということも認めてほしいというか、許してほしい。
無理に興味を持とうとしても無理なものは無理だ。なんで興味を持たなきゃいけないんだろう。興味を持つことを強要されたくない。そのポーズを取ることがすごく疲れる。
もう少し歳を重ねればこの意固地な感情も変わるのだろうか。もしくはやはり、自分の子どもができて、生めたら変わるのだろうか(それはありそう)。じゃあそれまでは我慢するしかないのか。生むことになるか、生めるかもわからないのに。
ガイドブックでは伝えきれない町の魅力を、住人との交流を経てお伝えして参ります。
今回の町はここ『アノニ町』。
アノニ町の新たな魅力を見つけることはできるのでしょうか。
一緒に覗いてみましょう。
――あ あの子だ
石の水切りを独特なフォームでやっていたのが印象深く ディレクターも強く記憶に残っている
この日は同級生たちと遊んでいた様子
――こんにちは 久しぶりだね
少年:え、だ、誰?
少年:し 知らない……
大男:人さらいめ そこまでだ!
――痛いイタイいたい!
謎の男性:神妙にお縄につけ! 法の裁きを受けよ!
???:待て待て、シロクロ! 判断が早すぎ……ん オッサンどっかで……
――あれ……双子?
少年に何とか場を収めてもらい 話を聞くことに
ディレクターが話しかけていたのはドッペルくん(?)というらしい
――本当に似てるねえ
マスダくん:こいつ変装の達人だからな 特に俺のモノマネは仲間でも間違うことが多い
――へえ それだけ似せられるのは やっぱりマスダくんには憧れてるとか
ドッペルくん:え えーと……
マスダくん:いやー むしろ憧れてるのは俺というより
ドッペルくん:わー! プライバシーポリシー!
なんだか複雑な事情がありそう
彼らも個性的で気になるが 今回はあくまで町の魅力を知るのが目的
今回はプライベートの観光ということにして 番組のことは伏せつつ 隠れた名所を尋ねる
マスダくん:いるよな こういういい加減な問いかけをして 引き出そうとしてくるタイプ
耳当てをつけた少年:(質問が)漠然としすぎてます 僕たちにそんなこと聞いて何を期待してるんですか
一癖ある受け答えをしてきた少年はミミセンくん
――えーと……
少女:私 教えてもいいけど 何の権威もない子供の評価をアテにするより ガイドブックでも読んだ方が参考になると思うわよ
そんな子供たちから予想外のカウンターをくらい たじたじのディレクター
たまらずシロクロと呼ばれている 保護者らしき男性に助けを求める
――すいません 上手いこと説明してくれませんか?
マスダくん:シロクロに聞いても無駄だぞ 俺達の中で一番アタマ悪いんだから
保護者ではなく 歳の離れた彼らの仲間だったらしい
役に立ちそう、必要そうだからと漠然と英語を身に付けたいなあと思っていた
文法書を買い、単語帳を買い、ネット上の役立ちそうなページをブックマークし、3日学習して挫折して、数ヶ月後にまた思い出す
心残りがある限り、挫折しても挫折してもふとした瞬間に再び囚われ、何一つ身に付いていない現実に焦燥感が沸き上がる
幾度となくこうしたループを繰り返していたが、もう一度自問自答を行って、英語は俺の人生にとって必要じゃないと結論を出した
何年経っても身に付けられない現実を目の当たりにして自分自身諦めたいのかと思ったが、はっきり違う
今の俺であれば、飲めば直ちにネイティブレベルの英語を読み書き話すことができる魔法の薬が目の前にあったとしても飲まないからだ
役に立ちそう、必要そうという思考はどこから来たのか、最初にそう思ったのは一体いつだったか、もはやわからない
人生は有限であり、ある物を選ぶことは別のある物を諦めることを意味する
・質問という名の自慢を始める
・友人の幸福を超えたがる
・外では草食 / 家では雑食
・目に見えない敵と常に戦っている
・自己肯定感が低い
・色々なコミュニティに参加して一言二言会話しただけの人と「知り合い / よく会う人」
・彼氏/彼女が出来たら遠回しに気づかせる投稿をする(二人分の料理の写真を載せるなど)
・友人(信じられる仲間)がいない
それでそれは世の中の全部に適用されるんだなって。
「ちょっと辛(から)い」は人によっては「物凄く辛(つら)い」として判定されるかも知れないリスクがある。
その考えていくと「普通」も人によっては「ちょっと辛(つら)い」になるかも知れない。
「甘め」が苦手な人も中にはいるけど、それは「好き嫌い」として処理される。
「辛め」が苦手な人に無理をさせたら、それは「暴力」として処理されるかも知れない。
だからさじ加減が見えない時は「甘め」でとりあえず行くんだ。
でもそれって、「普通」より無難だから出てくる「甘め」はきっと、いろんな形でこの世界に沢山存在するってことなんだろうな。
臆病さから生まれた「甘さ」が世界を包む優しさの正体なのだとしたら、その根底としてて世界を支配しているのは結局のところは「恐怖」なんだ。
目に映る「優しさ」の多くは「愛」ではなくて「恐怖」から生まれているのだろうか。
無難さから生まれたであろう甘いカレーを食べながら憂鬱そうな顔をする僕に、同僚がふと「甘いのは苦手か?」と訪ねてきたけど、それが気遣いをして見せないと社会不適合として扱われることへの「恐怖」から来たのか、彼の本当の「甘さ」から来たのか、それとも、彼にとってはそれが「辛口(かるくち)」だったのか、そんなことも分からない自分への嫌気で頭を一杯にしながら、それがバレないように愛想笑いで「この年になるとカレーって普通は辛いものだって先入観があってさ」なんて少し生意気な返し方をして場を繋いでみせた。
カレーを一皿食べただけなのに、世界がもっとよく分からなくなった不思議な日だった。
それとも、世界のよく分からなさに少しだけ気づいたことで、世界の分からなさが少しだけ解消された夜だったのかも知れない。
とりあえず、「普通」の多様化の中で生き残りたいなら、「甘め」な方が強いんだなってことが漠然と分かったのは、社会適合の役に立ちそうなので備忘録を残す。
■『私が悪い』の私です
『私が悪い』https://anond.hatelabo.jp/20190610002907
相手を特定できるのに私自身は匿名で身を隠している、というご指摘がいくつかありました。
何人かの方が特定なさっている方が私の言う『彼』であるとは私は言っていませんが、
私も名前を出すべきなのでしょうか…。
不公平であるとの上記のようなコメントを見てからずっと悩んでいました。
行き場のない思いを誰かに聞いてほしくて書いたのですが、結果的に良くない方向に行ってしまった気がします。罪悪感が倍になってのしかかってきている感じです。
そして、彼のご家族に与えてしまった不幸と言葉にならないであろう不快感、今の彼の平穏な幸せが、私の今の苦しみの上に成り立っていたら、それで構わない、本望であると考えます。
ですが、本当に浅はかでした。
申し訳ありません。
私が全て悪いと思いつつも、何故彼が数回の電話で私をストーカーと通報したのか、罪がある私なりに傷ついたことは事実です。
ここに書いたことで、より罪悪感とやり場のない想いが募り、初めて首吊りを試みました。
幸せになりたい、前向きになりたいと思いながらもそれ以上につらさが勝ってしまったからです。
ハングマンズノットでドアのノブにくくりつけてしばらく意識がなくなったものの、意識が戻ってしまい、また失敗してしまいました。
少し横になり、考えを巡らせてみて、彼が幸せならそれでいいのかもなぁと漠然と思いました。
いろんな方の、私へのコメントは、私がどうすれば良いか、私がどうしていけばいいかを考える手助けにもなりました。
一方で、被害者ぶるなというコメントを見て、確かにそうなのだけれど、別れ方が、車の中でただ淡々と新しい内縁の妻への思いと、私とは今後関わりたくない、ただそれだけ、30分にも満たなかった別れ話で10年の月日をないことにして捨てられたのがやはり一年以上経った今でも堪えていることを再認識しました。
今は楽しめることがなく、薬に頼る日々は続いていますが、いつか克服できる日が来ることを信じたいです。
仮面ライダーに限らず、なんとか戦隊とか、ウルトラマンとかも全部観たことがなかった。
僕の場合は別に親が厳しかったとかではなく、単純に観る習慣がなかっただけの話だった。
僕もそれなりにオタクなので、人気があるのは知っていた。
でも特撮ってよく分からないし、タイトルが多いし、実写だし、あと独特の文法がある気がするし、大人になってから観るとなるとよほどのきっかけがない限り、着手するのは難しいことのように思う。
多くの人に愛されているということはおそらく面白いのは間違いないのだけれど、やはりどこかで子ども向けだし…と思っているところがあったのかもしれない。
食わず嫌い…とまでは言わないけれども、やっぱりなんとなく敬遠してしまっている節があった。
その日は突然訪れた。
いつか観ようと思ってアマゾンプライムのウォッチリストに入れていた「仮面ライダーOOO」を突然観始めた。完全になんとなくだった。
作業用BGMにでもしようと思っていた。
思っていたのだ。
ビックリした。
作業がてら観るつもりだったのが、観がてら作業をする勢いになった。
映司が、アンクが、比奈が、後藤さんが、伊達さんが、人々が成長していく様子があたたかく、嬉しかった。
キャラクターがいつのまにか大好きになっていて、最終回付近ではいい歳して泣いてしまった。
それから1年ほどの間にクウガからビルドまでのタイトルを全部観た。アマゾンズも観た。
何度も男の子の心がくすぐられ、それ以上に人間としての心がゆすられるのを感じた。
僕はこれまでヒーローに馴染みがなかったので、ヒーローって常に正しいものだと思っていた。
仮面ライダーを観た今、案外そうでもないのかもしれないと思っている。
主人公サイドにはそれなりにまっとうな感性を持った人間が多いが、別に仮面ライダーが全員が全員平和のために戦っているわけではない(これも視聴前の僕が勘違いしていたポイントだった)。
例に挙げるのはズルい気もするが龍騎なんて「永遠の命がほしい」とか「恋人を救いたい」みたいな理由で戦っている奴らもいたくらいだ。それは正義ではないかもしれないが悪でもない。
表が善なら裏が悪というわけでもないのだ。そんなに単純なものではなかった。
漠然と思ったのは「これを観てきた子どもたちはどんなふうに育ったんだろう」ということである。
もしかしたら大人になってからのほうが感じ取る要素が多いのかもしれない。それほど大切なことが織り込まれている。
男とか女とかではなく、人間として相手を慈しみ、共感し、影響しあう関係。
大切な人が大切に思ってくれる自分も大切にしなければならないと自覚すること。
そばにいてほしいと願うこと、自分の目の届かない場所でも構わないから笑っていてほしいと願うこと。
たくさんのものを失い、背負って、それでも進まなければならない使命。運命。
正しいこととは何か。人間とは何か。生きるとは何か。
子どもの頃だったら気が付かなかったこともたくさんあるだろうと思った。
現に名前は知っていても触ることすらなかったくらいだし、仮に当時の僕がこれらを観ていても今みたいには理解できなかっただろう。
でも多分それでもいいのだ。きっとそれでも面白い。
大人になっていろんなことが分かるようになって、読み込んだらさらに面白い。これが良い。
僕には子どもがいないけれども、きっとこういう作品って、大人になる前の人間が観て、その人間を育てる人間が一緒に観るものなのだと思うから、きっと子どもには子どもなりの、大人には大人なりの楽しみ方がある。
そうできるように作られている。少なくとも僕はそう思った。
現に僕だって、観ている最中何度もつらくて泣いた。クウガとか、アマゾンズとか、ドライブとか。
しかしその何倍もの回数、登場人物の愛おしさのあまり泣いた。龍騎とか、Wとか、オーズとか。枚挙にいとまがない。
かなりみっともないが、たくさんの人間の人生の欠片を受け止めてきたのだから、多少の痛みは仕方ない。
令和が始まって、ゼロワンからはみんなと一緒に観ることになる。
老若男女みんなで日曜の朝からツイッターに集まって、あのキャラ良い!とかあの展開エモい!とか言ってる空間こそが平和そのものだ。
ヒーローにあこがれ、愛する人間の一人に、僕もなろうとしている。
彼と僕は三年間とも同じクラスに属し、同じ部活に入っていた。部員数はとても少なかったため、必然的に僕達は仲良くなった。授業が終わったら部活が始まるまで、二人で教室に残って宿題をした。部活が終わったら、夕暮れの中、自転車を押して二人で他愛もない話をしながら帰っていた。
高校二年の冬、彼は肩が痛いと言い出した。僕達は皆、ただどこかでぶつけただけの軽い打撲だろうと思っていたが、その痛みは次の年の夏まで続いていた。さすがに何かおかしいと思った彼が病院に行き、検査をうけると、骨の癌だということがわかった。
彼は、一言でいえば、人望があった。筋骨逞しく文武両道で、理知的だった。それでいてユーモアや冗談が好きで、いつも周りの人々を笑わせていた。何よりも、彼は優しく、思い遣りのある人だった。だから、彼の周りにはいつも人が集ってきた。それは彼の入院中もそうだった。抗癌剤の副作用にもめげずに、面会に来た友人達に気丈にふるまい、退院した後はどうしようかなど、将来の希望を語っていた。実際、彼は退院し、志望していた大学に入って大学生活を楽しんでいた。彼女もできたようだった。
しかし、子供の癌は進行が早い。化学療法で殲滅できなかった癌細胞が他の組織に転移し、彼の癌は再発した。癌切除手術、抗癌剤、退院、再発して入院、手術、抗癌剤、退院、入院、その繰り返し。筋骨隆々だった彼の体は段々と痩せ細り、頬もこけていった。抗癌剤の副作用は彼の精神をも蝕み、面会をする度にぽつぽつとネガティブな言葉を吐くようになっていった。誰が見ても、彼の予後は絶望的だった。
僕にできることは何もなかった。衰弱していく彼を真横で見ていてもなお、死相の出てきた顔を間近に見ていてもなお、僕にできることは一切なかった。そのことが僕はとても悔しかった。だから何か僕ができることを探して、考えついたのが、生命科学の研究者になることだった。
馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれないが、僕は死後の世界について考えていた。人が死ぬとどうなるか、僕達は知りえない。だからこそ、死後に天国のような世界があり、そこに彼がいる、そんな可能性が存在する。死んだ後、無に帰すならばそれでいい。だが、天国のような世界があった場合、僕は生前こんな風に頑張ったと、彼に報告したい。生命科学の発達は、かつては治療する術のなかったような病気に対する治療法を確立させてきた。だから僕は生命科学の発達に貢献し、それを彼に報告したいと考えた。今振り返ってみると、なんて馬鹿馬鹿しい考えなんだろうと自分でも思う。
博士課程を卒業し、がむしゃらに研究活動を行い、数年が経った。どうやら研究者の道で成功するには、情熱、実力、コネ、運の全てが必要らしい。生命科学の発達に貢献したい、という漠然とした動機でやっていけるほど甘い業界ではない。それに最近、ある致命的なことに気づいてしまった。
僕は彼のことが好きだった。片思いだった。高校生の時にはただの憧れだと思っていたが、大学生になり、自分が同性愛者だと気づいてから、彼への想いを認識した。もちろんそのことは彼には伝えていない。伝えないまま、彼は数年前に死んでしまった。しかし、死んでもなお、彼を慕う気持ちは変わらない。僕は、死後の世界で彼と逢えるという一粒の可能性に賭けて、辛い研究生活を送ってきた。
しかし、最近致命的なことに気づいてしまった。なんで今まで気づかなかったのだろう。
それは、もし死後の世界で彼に報告できたとしても、彼は僕のことを気味悪く思うだろうということだ。彼は彼女と一緒にいる方が楽しいに違いない。
彼への想いは今も変わらない。ただ、目的を失った僕は、宙ぶらりんのまま、見えなくなった将来を悲観している。
読んでくれた人へ最も伝えたいことは、大切な人には定期的な検診や人間ドックを受けさせた方が良いということだ。特に、子供には。