それでそれは世の中の全部に適用されるんだなって。
「ちょっと辛(から)い」は人によっては「物凄く辛(つら)い」として判定されるかも知れないリスクがある。
その考えていくと「普通」も人によっては「ちょっと辛(つら)い」になるかも知れない。
「甘め」が苦手な人も中にはいるけど、それは「好き嫌い」として処理される。
「辛め」が苦手な人に無理をさせたら、それは「暴力」として処理されるかも知れない。
だからさじ加減が見えない時は「甘め」でとりあえず行くんだ。
でもそれって、「普通」より無難だから出てくる「甘め」はきっと、いろんな形でこの世界に沢山存在するってことなんだろうな。
臆病さから生まれた「甘さ」が世界を包む優しさの正体なのだとしたら、その根底としてて世界を支配しているのは結局のところは「恐怖」なんだ。
目に映る「優しさ」の多くは「愛」ではなくて「恐怖」から生まれているのだろうか。
無難さから生まれたであろう甘いカレーを食べながら憂鬱そうな顔をする僕に、同僚がふと「甘いのは苦手か?」と訪ねてきたけど、それが気遣いをして見せないと社会不適合として扱われることへの「恐怖」から来たのか、彼の本当の「甘さ」から来たのか、それとも、彼にとってはそれが「辛口(かるくち)」だったのか、そんなことも分からない自分への嫌気で頭を一杯にしながら、それがバレないように愛想笑いで「この年になるとカレーって普通は辛いものだって先入観があってさ」なんて少し生意気な返し方をして場を繋いでみせた。
カレーを一皿食べただけなのに、世界がもっとよく分からなくなった不思議な日だった。
それとも、世界のよく分からなさに少しだけ気づいたことで、世界の分からなさが少しだけ解消された夜だったのかも知れない。
とりあえず、「普通」の多様化の中で生き残りたいなら、「甘め」な方が強いんだなってことが漠然と分かったのは、社会適合の役に立ちそうなので備忘録を残す。