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はてなキーワード: 法則とは

2018-03-25

anond:20180324204110

マクスウェルの悪魔

分子の振る舞いを測定することができれば、熱力学の第二法則無視できるように見える(永久機関が成立する?)」という思考実験。どこがおかしいかで多くの科学者を悩ませた。

中国語の部屋

あなたのいる部屋には一冊の照合表が置かれ、部屋の壁には紙が差しまれ差し出すためのスリットが開いている。あなたに与えられた命令は「○○○」という中国語メッセージが入ってきたら、「△△△」と書いて返せ、というものだ。あなたは指示に従い、外から差しまれ中国語メッセージ中国語リアルタイムで回答する。外の人は部屋の中に中国語理解する人がいると思うだろう。あなた中国語を何一つ理解していないのに。…人工知能言語を「理解」していると言えるのか、という問題

サバイバル・ロッタリー(臓器くじ)

移植技術が完全に発達し、人々は安全確実に他人の臓器を移植して健康回復できるようになった。そうなると、今度は移植用の健康な臓器が足りなくなった。そこで政府は新しい法律を作ろうと考えている。それは「サバイバル・ロッタリー(臓器くじ)」である。このくじは100%公平で、いかなる身分立場・年齢の人も免れることはできない。生きている限り人は全てこのくじをひき、そして一定確率で「体の全ての臓器を、移植を待つ人に提供する」義務を負う。つまり死ぬ。その代わり、あなた健康な臓器を移植される何十人もの人々はそれによって健康回復することができる。このようなくじを行う法律を作ることは妥当か?

箱の中のカブトムシ

(いくつか見かけた説明がどれも間違っているので修正しておきます)人が使う言語の「意味」とは、それぞれがもつ箱の中だけをのぞき込んでそこにいる虫を「カブトムシ」と呼んでいるようなものだ、という話。他人の考える「意味」をお互いにしることができないという思考実験、とされていることが多いですが、この思考実験の真の意味は、お互いの箱の中が決して見えないとしても会話は成り立つ、という点にあります。つまり、Aさんが「赤」と呼ぶ色とBさんが「赤」と呼ぶ色が、それぞれ心の中で全然違う色を指していたとしても会話は問題なく続いていくという可能性があることを示唆した思考実験なのです。【コミュニケーションとはAさんとBさんが「コード」に基づいて「意味」を伝達する行為だ】という古典的コミュニケーション論に対する反論としての思考モデルなのです。

anond:20180324204110

伸びるかなと思ってたら伸びたな。

パラドクス哲学についての回答の1例を記す。

 

テセウスの船

ある物体オブジェクト)の全ての構成要素(部品)が置き換えられたとき

基本的に同じである同一性アイデンティティ)と言えるのか?

これは「観測者」に定義依存する。

観測者が「テセウスの船であることを認めない」と主張した場合は、その観測者にとってその定義有効とされ、

別の観測者が「テセウスの船であることを認める」と主張した場合は、別の観測者にとってはその定義有効とされる。

そして広義的な定義多数決によって執り行われる。

この場合部品を置き換えられた結果の船を周知していながら関連者はテセウスの船である認識しているため、

これはテセウスの船であると言える。

ただし、これにはオリジナルテセウスの船自体主観性がないとする。

日常において構成物質が変わっているのにも関わらず同一個体として認識されているものは「人間である

物体としては焼け落ちた城を再建させた城についても同じことが言える。

この場合も周りの観測者が大阪城と認めるから大阪城定義できる。

 

水槽の脳

あなた体験しているこの世界は、実は水槽に浮かんだ脳が見ているバーチャルリアリティなのではないか

正しい知識とは何か、意識はいったい何なのか・・・

これは仮定としては十分成立する。

反論として現代科学において脳にこのような仮想世界を作り出すために必要コンピュータを作り出すのは物理的に不可能だというものがある。

しかしこれは現実世界科学技術物理法則を元に論じられており、

水槽の脳実在する世界」においては別の物理法則や遥かに進んだ科学技術を持っているという仮定をするだけで条件をクリアできる。

映画マトリックス世界がそうであったかのように。

そのためこの世が仮想現実であるという主張に対して、完全な反論存在しない。

その説そのものが、科学的な進歩において何の有益性もないという科学者や論者がいるが、

その事実仮想現実論の否定とは結びつくわけではない。

 

哲学的ゾンビ

外面的には普通人間と全く同じように振る舞うが、その際に内面的な経験意識クオリア)を持たない架空人間

哲学的ゾンビは存在可能なのか?なぜ我々は哲学的ゾンビではないのか?

これに関しては解答不能である

人間とまったく同じふるまいをする、主観的意識を持たない哲学的ゾンビを作り出すために必要構成物質定義できないから、である

例えば魂と言われる霊的存在主観的意識人間のようなふるまいに必要不可欠であった場合哲学的ゾンビは成立しない。

魂の研究に関してはまだ発展途上の段階であり、最近になって発見されたクォーツなどのように、

仮に未だ見つかっていない法則や粒子が主観的意識構成する物質であり、必要な要素であった場合哲学的ゾンビは成立しないからだ。

まり主観的意識の有無が哲学的ゾンビの成立に関与するかどうかを科学的に証明できない限りは反論可能である

地球が平らであると信じられていた時代においては端にいくとその先に何があるか、という論議は成立するが現代では成立せず、

仮に魂の構成物質機能発見が終わった後にもまた、この問いかけは成立しなくなる。

私自身は魂がまだ未発見の粒子により構成されているという説が正しいと信じている。

 

スワンプマン

ある男が沼の傍で突然雷に打たれて死んでしまう。

その時、もうひとつ別の雷がすぐ傍に落ち、沼の汚泥不思議化学反応引き起こし、死んだ男と全く同一形状の人物を生み出してしまう。

この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。

スワンプマンは死んだ男と全く同一の構造・見た目をしている。記憶知識も全く同一である

沼を後にしたスワンプマンは死んだ男が住んでいた家に帰り、死んだ男の家族と話をし、

死んだ男が読んでいた本の続きを読みながら眠りにつく。

そして翌朝、死んだ男が通っていた職場へと出勤していく。

人格同一性問題を考えるための思考実験

こちらもやはり主観的意識構成する物質存在し、

それがコピーできないもの代替できないものである場合

全くの同一性定義上満たしていないことになる。

職場家族スワンプマンと元の男を見分ける術がないが、

これは素人が本物とよくできた贋作を見分けることができない程度の認識問題となる。

 

また、仮に最初落雷がある男に落ちずに沼に2度落ちた場合は、スワンプマンを含めた男は計3名となる。

しかし3名全員の主観的意識はそれぞれ別個に存在しており、

その点だけをくみ取ってもスワンプマンたちに同一性は成立していない。

よって沼にはじめて来た男とスワンプマンは同一存在ではないと定義できる。

 

哲学において同一性テーマが語られることが多い。

これは魂・霊的存在主観的意識科学において未だに解明されていないことを意味している。

科学的に解明されていない余地があるからこそ、思考実験バリエーションが多く組まれる。

また、観察者の能力についても、人類は正確に把握できていない。

そのため主体性意識を持つ存在認識定義について論じない、触れない哲学も多くみられる。

観測行為観測する者の不在では論じれない量子力学最先端物理学においては必要不可欠であり、

哲学が未だ観測者の能力機能性について、正確に学問体系に組み込めていないというギャップ引き起こしている問題だと考える。

anond:20180325015557

から十まで数えるとき、四=「し」

から一までカウントダウンするとき、四=「よん」

無意識のうちに本能的に必ず不可避に読んでしま法則も見つけました!

anond:20180325001944

ふむ、私の主張としては「結局あの世実在しようがしまいが、心の作り上げる世界には関係ないのだw」なんだけれど、

それはいったん置いておくとして、もう少し詳しく解説をお願いしたい。

・「極楽浄土があるとすると矛盾する」とは具体的にどういうこと?

単に極楽浄土という定義自体矛盾?それとも所謂「死後の世界」という概念全般が抱える矛盾

・「他の人は幻になってるのはやっぱりヘン」とはどういうこと?

「心は脳に依存している」というのは全くその通りで、例えば人の視覚物体のものを映し出している訳ではなく、

観測しているのはあくまでも光の波長で、脳がそれを元に勝手に着色作業などを行って架空世界を作り出し認識させている訳で、

実際の世界が、その色が、私達の心に映し出された通りのものである保証など何処にも無い訳で、

それこそこの世界ゲームの中の世界でない保証など、映画マトリックス』みたいに幻の夢を見させられていない保証など無い訳だけれど、

それを踏まえて「他の人が幻になる」のってそんなにヘンなこと?現世も似たようなものでは?

・「脳が消えればそれもなくなるから無くなる」は確かに一理あると思います

が、逆に脳があるからこそ遮られるものがある可能性は?

例えば、視力を失った人はそれを補うように聴覚などが鋭敏になるもの

同様に、脳という五感認識機能を失ったからこそ、大量の電気信号による情報の波に圧し潰されていた第六感的なもの顕在化する可能性は?

ブラックホール量子力学世界などでは私達サイズ世界での物理法則通用しないと言われているけれど、

そんな風に死後の世界では私達の認識メカニズム法則通用せず、全く別の法則によって成り立っている可能性は?

2018-03-24

科学者って

世界法則が変わったらまた一から研究し直すのか?

2018-03-23

たった8行の『幸せになる方法』が深いがほんの少し話題になったけど

最後の一文に、ドキッとした」 たった8行の『幸せになる方法』が深い

https://www.instagram.com/p/BgHriJQnoy6/

このInstagram投稿

この投稿グノシーなどで紹介されていました。

https://grapee.jp/472530

内容は以下です。

一瞬でも幸せになりたいなら

好きなものを食べなさい

時間幸せになりたいなら

仲のいい人と話しなさい

1日幸せになりたいなら

好きな人と出かけなさい

毎日幸せになりたいなら

今が幸せであることに気づきなさい

yumekanau2 ーより引用

2万いいね以上の共感を得ているすごくいい文章だけど、

これって、

パクリですよね・・・

書いた人は著書とか出している人で、著作権マークつけて自分作品のようにしてるけど、これ有名な文章をもじっただけだよね。

著作権マークはどうかと思う。

Instagramにお問い合わせページがのってたので、みてみると

独自目標達成セミナーとか開催している情報商材系の人。

さきほどの文章も著書にのせているようだけど、有名な言葉をどんどんリライトして本にしているのだろうか。

著書20代の時に学んだ「あかさたなはまやらわの法則

http://recruit-ranking.com/akasatanahamayarawa2

【あ】

「ありがとう」は何度言っても良いこと

元ネタ

https://www.hoppy-happy.com/hoppy-mina/2007-02-18-2305/

こんなのが最近多いよね

2018-03-22

anond:20180322133351

なんで?w家庭料理こそ旬を追いかけるのが大事だよ。1番コスパよくて買いやすくて料理考えなくて良いんだから

味噌身体が欲しがる塩分濃度に合わさる優れた法則なんだよ。健康大事

2018-03-21

anond:20180321190230

あれはひらがなと同じような、発音記号系の文字から

法則さえ覚えれば、意味は分からなくても 読み上げることはできるんだぜ。

2018-03-20

100トラバ<<3ブクマ

抗えぬ絶対法則

分家本家絶対に勝てないのだ。

anond:20180320103923

ニートにとっては男女の付き合いも就職も同じようなもんだし、同じ法則で動いてないならダブスタってこった

とりあえず自己顕示

狂気に憧れる凡人の話

 それはほかでもないぼくのことであるのだが。何よりもまずこのもったいぶっていかにも尊大そうな文章ケチをつけなければならないが、どうしてもこの文章じゃないと書けないのは、普段自分の頭の中をかけめぐる独白の数々がもう常にこの状態で、いくらケチをつかえようにも治らないのである。そしてその結果所々に綻びが生じる。そしてそれを許容するにはあと何十年も人生必要になるだろう。

 明け方明け方といっても現在午前19時である。日当たりのいる部屋に住むせいかカーテンを未だ閉めているせいか太陽を拝むことはないのだが、とにかくこの時間までぼくは寝れずにいた。寝れないときに頭を駆け巡るのはたいてい直近の過去反省か僕が主役の何かしらの劇的な映画である。ある時は正統を追い求めた結果化け物となる主人公を演じ、ある時は自分の人当りを恥じたり、ある時は海外旅行先で危うく性欲に負けそうなった事実を思い出す。現在過去からの逃避のためにぼくは狂気自分を追い求める。その狂気というのは目的達成のために没頭することができて周りを省みずそして周りもまた本人を認めている状態を指す。つまり自己実現自己顕示が両立した理想的状態に憧れる。そしてその状態過去いかなる自分構成している伏線を全て回収し、何等かの今現在の結果にすべて一本の柱で繋がることを求めている。求めているのである現実はそうはいかない。そのような狂気自分自分に舞い降りたことはなく、狂気の結果になったこともない。狂気を演じてみたこともあったがそこに生じたほころびはむしろ自分を苦しめることになった。つまりは結果が伴わなかったのだが、それはそうとしよう。なにより自分自身はどこまでも凡人で、その凡人さと、そして誠実さを追い求めていたという現実に直面したのである狂気理想、凡人も理想。でも現実は凡人。では理想は叶ったと思うが、これもまた難しい。この構造がよくわからない。凡人という層の上に狂人という層が乗っかっていて、その両方を求める自分がいるのであろうか。

 これはぼくの物語妄想に関連してくるのだと考える。ぼくの頭の中の物語、しばしばそれは12歳の頃から文章となって表現され印刷され、多くの人に読ませたりはたまた読まれたりしたわけだが、その妄想こそが平凡の上に狂気コーティングされている。つまり、世のなかに多く知れ渡るフィクションと全く同じ構造を取っている。具体的に言えばスターウォーズ

 例えば運命の申し子になりたがったり、運命に反逆し新しい法則を作り出す存在になりたがる。誰しも考える物語そうかもしれない。だからこの文章ありがちなものになり得る。それはしかし考え始めるとまた大変なので置いておく。

 まず、基本となる法則を追い求める。例えばスターウォーズでいう「フォース」であったり、よくある「運命」だったりする。「強大な支配者」だったりもする。そしてその基本となるものに、自分は「狂人」となり法則に準じて動いていく。妄想世界でこの法則絶対で揺らぐものではない。妄想世界ではぼくは絶対に間違えない。法則を間違えない。

 これこそがぼくの今の状態を作り出すのである。平凡の狂気の同居を求めるということ。つまりそれは究極的には平凡を求めているのかもしれない。絶対正しいとされることを妄信的に突き進めばぼくは幸せになれる、自己実現ができるという、ある意味思考停止を求めた状態なのかもしれない。価値観の氾濫するこの時代である。よく大昔の評論でいう「大きな物語」の終わった時代。それが昔。らしい。ぼくの生まれる五年ほど前にそれは終わり、今は価値観の氾濫する時代になっている。だからこそ強い価値観が生まれカウンタ―も強い。2011以後、それを強く感じている。もはや学べば学ぶほど何が正しいかからなくなり、そして終着点が分からなくなる。よくフィクションで言われる「それは己が決める」そうしたい。そうしたいし、それが正解だと思う。しか自分が間違える存在で、正しいところに合わせなければならず、もし自分がそれを踏み外せばそれすらしばしぼくの責任ではなく(大きく元を辿れば自分責任なのだが)、自捨を求められる「大きな物語」の中にいたぼくが、この物語の氾濫するなかでそれを選択し生きていけるのだろうか。しばしぼくらは尊重される。マイノリティだとしても悪いことだとしても、その個人尊重される。されるべきである。一方でぼくを取り巻く規範がぼくにどう作用するのか。二つの全く異なるコミュニティを行き来してきた僕に何がどう作用するのか。1984よろしく二重思考である「わかっちゃいるけどやめられない」「間違っちゃいるけど間違っていない」恐らくこの二重思考も誤りであるが。そしてぼくはどちらかを選択し逃避する。どちらも正しいと思うのに。どちらも正しいと思うから。これがまたややこしい問題を引き起こす。

 本当のぼくはとても乱暴狂信者である。属する二つのコミュニティ規範に対して。とても乱暴妄信的な狂信者である。その折り合いは結局、この22年間でつけることは出来なかった。そしてもう23年目を迎える。自己実現自己顕示などもう参照ファイルの一個としてもったいぶって時折閲覧する程度でいい時期である。それすらも間違っているのかもしれないが。ぼくのただの達観という自己満足自己実現の1つの妄想の中の確信の1つなのかもしれないが。だがどうしようもない。この疑い逃れに堕ちぬよう絶対を見つけるまで日向ぼっこしかないんだ。何日も何十年も雲のように漂って。とっつきやす欲望転々として理由を探していたけど。ある日ある事あって。また嫌になったんだ。これまでの世界にもこの文章にすらシラケてしまった。ぼくは戻っていった。あきらめと忘却千羽鶴のように歩む生活の往来に。さながら長澤知之である。回想を繰り替えし思考列車回送を繰り返しながらぼくは今日もぐるぐると回り先人を参照して一時満足しまた離陸して宙に浮いて厨二に入ろうする。三十分が経った。整理できただろうか。ぼくはこうして前に進めない。前に進み規範に折り合いをつける技量もない。面白いことに一年前のぼくの就職診断で出た答えは「開祖」であった。宗教をひらけというのだ。つまりはもうぼくはそのようにして列車を止めることは出来ないから、早く駅を作りその駅に留まりまた路線を作り走り出せというのだ。それしかぼくのような人間は生きることが出来ない。社会でやっていくこともできない。

 そしてぼくのようなものは、地球上にゴマンといる。恥ずかしいことにマジョリティなのである。なんとも哀れ。恥ずべきこと。マイノリティを求めること時代マジョリティの発想なのである。この世に溢れるマジョリティを求めるマイノリティ物語などすべてその逆でしかない。この文章自己陶酔の一役目しか果たしていない。道具に頼らないだけマシであるが。

 夜が明けた。今日が始まる。あまり酔った文章を書きたくないのでどう締めたらよかろうか。この自分状態も、外の状態も、宵が明ける。上手い。よしこれで終わりにしよう。

2018-03-19

この世ってつくづく思うけど、地獄のものだな

はてな匿名ダイアリーだけでもそうだけど、

幸せを持たざるものは、どうやっても救われないで地獄絵図を作るキャストしかない

一方、幸せ人生を送る側は地獄絵図なんてほぼ視界の外にして生きている

簡単に言えばアフリカ飢餓孤児お茶の間テレビで眺めながらホットケーキメープルシロップかけて食ってる構図だ

もし真横に異常に腹の出た飢餓孤児がいれば内心穏やかでなく満足に食事も取れずに、

自分が食べる予定だった食べ物を分け与えるか、もう少し頭が良ければ救急車を呼んで入院させ点滴させるだろう

ところがどっこい、これは起こり得ない

何故なら遠いか

ただ遠いから、自分生活と関わりがないからという理由で平然と無関心になれるしご褒美スイーツを食っても心を痛めない

 

今30歳、当時中学生1年の頃にアフリカ飢餓孤児TVで見たときはフーンと思っていた

しばらくそんな国もあるんだと思っていたがふとしたとき気づいた

「俺と孤児のどこが違うの?」

肌の色とか民族とかDNAとかそういうのは割とどうでもいい話で

もしアフリカの民と日本の民がそっくりそのまま場所を入れ替えたら、

俺が飢餓孤児になってアフリカの子どもが食卓目玉焼きを食いながら俺をTVで見ていたんじゃないか

人によっては「日本アフリカ人が住んでもアフリカのようになるだけだ!」みたいなことを言う人もいるかもしれない

もちろん現実アフリカ人を急に移せばそうなるだろう

じゃあアフリカ人が日本列島にたどり着いて日本人がアフリカ大陸に残った別の歴史世界の話でもいい

それとも俺の魂がアフリカの子どもで、アフリカの子もの魂が日本人の体の中で入れ替わって産まれてきた世界でもいい

とにかく、完全に、運なのだ

なのだ

こればっかりはどれだけ取り繕ったところで人生は運に支配されている

努力すれば変えられるという人も勿論いる

だが努力が公平であればあるほど、天才努力に凡人の努力は勝てなくなっていく

甲子園に出場した甲子園球児が全員プロ野球選手になれないのと同じ理屈

プロ野球選手は圧倒的に眼の才能によって大きく分けられる

眼球の筋肉(眼筋)は後天的に鍛えにくい部位であり

ドーピングは単純な筋肉量ではなくこういった鍛えにくい部位の筋力を増強させている

こうすることで恐ろしく早い速度のボールを肉眼でとらえることができヒット率が上がるのだ

結局、ボールバットに当てる才能は天から授かりしものであり、

凡人はドーピングを使った「努力」をしなければそこまで到達できないのである

しかしその努力スポーツ界では認められていない、ただし公には。

 

では逆説的にすべての人間が同じ能力を持つクローン人間だったとしたらどうだろう?

どこにいてもどんなとき出会うのは自分と同じ人間

発想も発明ファッションも日々の生活も何もかもどこを見ても似たり寄ったり。

嫌いなものはこの世から消え去り、自分の好きなものしか残らない。

大した争いも起こらず同じ権利のため競争も起こらない。

ベースとなる人格がよほど凶暴でない、疫病が流行らない限りは一見平和世界に見える。

しかし彼・彼女にとってその世界は本当に楽しいものだろうか?

好きな物・嫌いな物が混在し自分理解を超えたもの存在し、

異文化があり自分と違う価値観があり、日々体験更新していく方が個人人生において充実しているのではないか

自分が作った映画小説など、所詮自分想像以上の産物にはならないだろう

娯楽に頼ろうとしても自分日記を振り返って読む感覚しか得られないだろう

なぜならその経験解釈でさえも彼らは同じような解答しかできないからだ

もし増田に俺しかいないとしたら絶望である

明日明後日も「この世は地獄だ」という日記を見かけるであろう

俺たちがそう思ったタイミングが別々に訪れ、別々のタイミングで同じ投稿をするだろう

そしてそこには同意トラバさえつかず、なぜなら自分が分かり切ったことだから自分独り言に反応する必要性すらなく

ただ独り言が流れ続ける暗闇へと変わるだろう

それもまた地獄と言わずに何というだろうか

 

ここで理想的解決としては運の最低の期待値をせめて飢餓孤児や産まれた瞬間殺される子どもでないように世界を作り替えることだろう

重大な疾患を抱える子ども遺伝的コーディネイトしても良いかどうかは倫理観が問われるところだが

個人的には行ってもよいと考える

なぜなら、元々生まれ必要などこの世には無いからだ

人間原理的に生存繁栄肯定され、そこに疑問の余地を挟まないのが当然だと思われている

しかしそれは誤りである

宇宙地球人間がいつ死んでもいいと思っているし、

絶滅しようがどうなろうが知ったこっちゃないというのが至極当然の感想だろう

この広い宇宙知的生命体が人間しかいないという考えも妄信的で霊を信じるよりも俺にとってはオカルト思想

また宇宙から寵愛を受けているか人間誕生したというのもまた妄信的で人間原理によりすぎた思想

人間宇宙から無関心であることに感謝しつつ、人間選択のものによって理想的世界を手にするべきだ

理想的社会を手に入れるためならば人間は産まれ必要性あるかないか選択することができ

まれた知能と肉体を一定以上備えた状態の子孫を望んだっていいのだ

なぜなら宇宙も神も世界も誰も人間について無関心だから

関心があれば産まれときから不幸な孤児をこの世に産むわけがなく、何らかの救済を宇宙法則として残しているはずである

仏教には輪廻転生という言葉があり罪を減らすために現世に産み落とされるという

では産まれた瞬間からコンビニ袋に入れられ、トイレに捨てられ死んだ赤子はどこに罪を減らすチャンスがあった?

全く宗教が信じられないのはどれも神は人間に寵愛を与えているという観点である

俺は全く信じられない

俺が安心してホットケーキを食うことができるのは飢餓孤児地球から存在しなくなった瞬間だ

それ以外では頭の隅から追い出して生活する逃避行動を取る以外にない

もしくは俺が自分の行動に矛盾性を排除するためには隣に飢餓孤児がいても無視して締めパフェを食う神経を身に着けるしかない

俺がどうしても神を信じて感謝することができないことはその1点だけでも十分すぎることだ

故に神や宇宙人間そもそも無関心であるという解釈を俺は信じている

そしてその上で神や宇宙人間にとって安全装置として機能しないのであれば

人間にそれを作る選択権があることを人間自身が認める権利があるということだ

人間人間必要権利自由を決める上で最も重要なのは法だ

法について話をするのは、また別の機会にしよう

 

話を戻すがこの世は地獄のもの

人間生命は単に誕生することができたか

可能性の隙間があってそこを通り抜けたか存在しているのであって

寵愛を受けたわけでもなければ選ばれた存在でもない

宇宙天体・この世の物理法則自分らの隙間に入り込んだ生命に対しては無関心であり

自分らが身をよじってそれらが絶滅しようが全くの抵抗がない

故に生命は神や宇宙に頼らずに自分たちで選択しなければならない

でなければいつまでも地獄に閉じ込められたままだ

もっと具体的に言えば俺が真に幸福ホットケーキを食べる瞬間は未来永劫来ないことになる

この世は地獄

2018-03-17

5分で読めるホーキングの業績

1. ホーキング放射

“Black hole explosions?” Nature 248 (1974) 30-31 (引用数 2592)


ブラックホールはあらゆるものを吸い込むだけで何も放出しないと長らく考えられていました。

ところで素粒子理論によると真空でも粒子が現れたり消えたりしていることが知られています。(対生成/対消滅

ホーキングブラックホールの表面付近を調べ、これらの粒子が放出されていることを発見しました。粒子が出ていく分ブラックホール質量が減り最終的にブラックホール消滅してしまます




2. ブラックホール熱力学誕生

“Particle Creation by Black Holes” Commun.Math.Phys. 43 (1975) 199-220 (引用数6991)


ホーキング温度

光さえ飲み込むブラックホールは熱放射をせず絶対零度であるとそれまでは考えられていました。

ホーキングは1. の研究に関連してブラックホールの「温度」と「エントロピー」を導出し、ブラックホールにおいて熱力学法則が成り立つことを示しました。

ベッケンスタインホーキング エントロピー

ホーキングの導出したエントロピー

エントロピーブラックホールの表面積に比例する

といういっけんすると奇妙な式でした。

本来ならエントロピーは体積(3次元)に比例するはず。それがなぜか表面積(2次元)に比例している。

ブラックホールーーー重力理論はひょっとして、1次元低い別の理論で表せるのではないか

こうしてホーキングの導出したエントロピーの式から「ホログラフィック原理」の発見へとつながったのです。

量子重力理論

“Wave Function of the Universe ” Phys.Rev. D28 (1983) 2960-2975 (引用数2143)


一般相対論では重力は時空の歪みです。

量子力学ではあらゆる可能性を足し上げて計算します。(経路積分

一般相対論量子力学を融合すると「あらゆる時空の”歪み方”(計量)について足し上げる」ことになります

ホーキングはこの”歪み方”を足しあげるうまい方法提案しました。


ホーキング関連の記事ネタだらけで

業績に触れる記事がないのが悲しかったので自分で書いたよ

専門外なので間違いがあったらごめんね

適当にInspiresしてabst読んでまとめようかと思ったら

citation 1000越えだけで10本、500越えが数十本あって無理だわこれ…ってなった

追悼記事解説記事を書いた人いたらリンク貼るから教えてね

2018-03-16

シロクマ南極にもいる

という主張を目にした。

それ自体はたわいもない誤情報しかないんだけど、そこからなぜ南極にはクマがいないのか、南極クマは住めるのかなんかを徒然なるままに調べようと思ったんだけど、あっさり回答が見つかった。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10155462745

ヤフー知恵遅れなどと揶揄する人もいるけど、やっぱり詳しい人もいるんだなぁ。

クマ比較最近発生した種であるだとか、ペンギンの周りには陸棲大型肉食獣がいないだとか、ベルクマン法則だとかいろいろ勉強になりました。

あらゆる物事がないほうがよいって考えは拡大された自殺願望みたいなものなんだけど、

その背景にあるのは永劫回帰っぽい考えと自然選択アプリオリっぽいって考えなんだよな。

永劫回帰っぽい考えってのは、これから先も自分同類が苦しみ続けるんだろうなあみたいな。

自然選択アプリオリっぽいってのは、物理法則とかはむしろたまたまそうなってるって感じるけど、

自然選択みたいなのはどこでも当てはまりそうって感じるっての。

どんな願いでも叶うとしたら、あらゆる物事をなくすのほうが確実だろうが、

望むものを無条件で苦しまずに死なせる制度を最優先で機能させるでもいいかもしれない。

2018-03-14

つの記事連続でバズらせるとフォロワー激増する法則

週刊誌にしても見出しが気になって読みたい記事が1つだけだと「別に買わなくても立ち読みネットで内容確認すればいいや」ってなる。

しかし2つ、3つと読みたくなる記事が見つかると、「おっ今週は当たりだな、本を買わなくちゃ」ってなる。

実際、今週の文春は、

高橋由美子不倫

加計学園文書改ざん

西部邁自殺捜査

と3つの気になる記事を見つけて「買わなくちゃ」って気持ちになった。

2018-03-13

「はじき」なんて30年前にも教わったぞ

学校じゃなくて塾だったか

「くもわ」「モルグリコ」は恥ずかしながら初耳

あとフレミング法則の語呂合わせを「電磁力」とする先生と「うんち出ん」とする先生がいたのを覚えてる

右手左手かは覚えてない

2018-03-12

「なにものにもなれなかった」とポエム書き始める人は1つの事に打ち込む事を死んでもしない法則

2018-03-11

anond:20180310181502

生存・子孫を残すために女を男が体をはって守るって自然界・理論的に考えてごく普通ことなんだけど

フェミニストトラバ―・ブクマカにとっては物理法則くらいごく当たり前な生物の生きる仕組みも気持ち悪い嫌悪感を覚えさせる理屈なんだろうな

腹に子どもがいる女が前線でて戦ったらそんな民族とっくに滅んでるわ

単純な労働でも見てみろよ、現代日本保育園に落ちただけで死にかけとるわ

 

モテないブス女の声がでかかったせいで

結局、働きたくなかった女まで働くことになって

そのせいで男の給料も下がって

共働き前提になり

そして誰も結婚できなくなった

 

日本人を減らす運動お疲れさまでした

2018-03-10

ツインテールツンデレ」「幼なじみ=負けキャラ」みたいなのって案外少ない

あと思いついたのは「マガジンヤンキー漫画主人公童貞」くらい

マンガアニメのこういう法則って意外と思いつかないもんだな

自分のようなバカがもしいた時のための言語

私は自分の方が少しでも優れている部分があると、自分より少しでも優れていないものへの怒りがおさえられなくなり、攻撃したくなってしまう。

それは、私が過去いじめられたのを自分底辺の劣った人間からだ、という理由で納得させていたからだ。

しかし、劣った人間ではない、と思い込もうとすると世界理不尽に耐えきれなくなるのでどうすればよいのか長年わからなかった。

同じような、世の中の理不尽を受け入れられない状況にいる人達のヒントになるといいなーと思ってこの文章を書く。

たぶん多くの人はこれに気付いているし、わざわざいうこともないから誰も言わないのだと思うが、私のような馬鹿は一生これに気づかず苦しみながら人生を終えることもあるかもしれないので、わざわざ言語化してみる。

私は昔から世界法則を求めたがる人間だった。

いやたぶん人間は多かれ少なかれみなそうだと思う。

災害とかが起こって人が死んだり、飢えで苦しんだりするたびに、そのことを運が悪かったのだと自分を納得させることができなくて、神への崇拝が足りないんだ、とかって納得させるために宗教とか生まれたんじゃないかなあと思うし。

でも、今日読んだ本に書いてあったのだけど、世界って人間には操れないカオスなんだって

いや薄々気づいてはいたけど、気づかないようにしてた。

そして、その自分の作った法則は実際には世界法則なんかなくてカオスなので、歪みがうまれ自分のことをがんじがらめにしていたから上に書いた問題やそれ以外の諸問題をひきおこしていたんじゃないか?と思った。また、それって多くの人がそうなんじゃないか?とも思った。

例えば、どこの国か忘れたんだけど、黒人差別のひどい国では、白人黒人愛人の子供を可愛がる一方で、それとよく似た姿をした黒人奴隷は自分の大便を食わせたり、鞭で容赦なく叩いたりする、という理不尽があった。その理不尽を運が悪かったのだ、ということだけでは納得できず、いつしか黒人自身に少しでも肌が白いものは優れていて、少しでも肌が黒い劣った者を差別していい、という価値観をうみだし、黒人自身がそれより少しでも肌の黒い黒人差別するようになったそうだ。

ネット弱者叩きもそうじゃないかな、と思う。公正世界仮説と呼ばれているけど、世界カオスだということを受け入れられず、世界は罪を犯したものにそれに値する罰を与えるという法則がある、と自分に言い聞かせているので、実際には世界カオス弱者には何の罪もないのにも関わらず、その法則にしたがって弱者攻撃してしまう。

まり世界カオスであるということを受け入れなければ、人間幸福にはなれないのではなかろうか。

しかし、世界カオスであるということを受け入れるだけでは、人間は生きる意味を見失ってしまう。

世の中は理不尽なんだから、何かをやってもすぐに失ってしまう。だから、なにもせず、世界カオスに押し流されるまま生きて、死ぬのをひたすら待とう、しかしそれって生きる意味なんかあるんだろうか、と考えてしまう者たちがいる。たぶん、多くの人はそれに気づかないように適度に麻薬を与えマヒさせながら生きているのではないだろうか。そしてそれがうまくできない人が生きる意味を見失ってしまうんじゃないだろうか。

から人生肯定するということは世界カオスであるということを受け入れた上で、それでも自分人生コントロールすることを試み続けるという矛盾を繰り返すことなんじゃないだろうか。

頭が悪いので全然違うかもしれないけど、ニーチェ永劫回帰とか超人かいう考え方もこれに通じるのではないかな~と個人的には思っている。

自分は何事にも理由法則を求めてしまう愚かな人間なので、自分を世の中が提案するマヒの方法でマヒさせながら生きることができない。上記のような考察をしないと生きられない。

この文章は同じようなマヒさせながら生きることもできずどうすればよいのかわからなくなっているバカに、

まあとりあえず私は、世界カオス大海であるということを受け入れた上で、なんとか自分の持っている船をこいで、何度も押し戻されてひどい目にあいながら、それでも行きたい場所を目指したいと思っている。そういう風に生を解釈してみてはどうだろうか、というマヒのさせ方を提案するものである

少しでも私のような馬鹿が生きるのが楽になることを願う。

理想買春

買春をしているが、どうにも物足りない。チンポが気持ちよくなればなんでもいいでしょ?と言わんばかりの風俗嬢。全くわかっていない。男は風俗になにを求めてきているか?それは女という生命の躍動である。目の前の男と肌を合わせるうちに、世間体とか利益契約といったことなど考えられなくなり、ただただチンポをナマで受け入れ、よがり狂う。大昔からただの一度も途切れることなく続いてきた生命の営みだ。風俗嬢というのは、こういった最近の女があれこてとほざき、忘れていることを思い出させる存在だ。セックスは必ず挿入を伴わないといみがない。そしてナマでないと意味がない。そして、金や権力を介在したセックスであっても、決して金や権力匂いをさせてはいけない。あなたに抱かれたいから抱かれてよがっているのだ、とシンプル法則を常に男に思い出させるような、そういう存在でなければならない。

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