はてなキーワード: 新生児とは
夫に会いたい。
夫と子供たちを会わせたい。
身バレ覚悟で書くけど、5月から出産のために入院し、7月に双子を出産して、産後の肥立ちがよくなかったので9月に退院して双子新生児と3人で実家に戻った。夫のいる自宅は東京。
コロナで面会が制限されていたためこの間、夫とは出産当日の1日しか会えていない。もちろん夫と双子も1日しか会えていない。
退院してからのち、夫には土日に実家に来てもらって双子との絆を育んでもらおうと思っていた。
思っていたのだが…実家の両親の大反対にあい夫は来れていないままなのだ。夫がコロナ満載都市・東京住まいだからである。
いわく、赤ちゃんになにかあったら…私達(両親)も高齢だから…。
では私が双子を連れて東京に戻ればいいのだが、もとより強くない体なのに加えて、双子を出産したことにより大ダメージを負った。少なくとも回復するまで日中ワンオペになるであろう東京に戻るのは現実的に難しそうだ。
そうこうしている間に双子は毎日成長していく。写真は毎日送っているし動画で通話はしているが、新生児期の双子のぬくもり、抱きしめたときの双子の表情、日々ふえていく重み、そういうものが失われ取り戻せないことがとても悲しい。
夫は、父になった現実感が薄いままここまで来てしまった。最初の立ち上がりに参加できず、この先20年以上に渡る子育てに、当事者意識をもてなくなってしまわないだろうか。私は夫と一緒に子育てがしたかった。
そんな理由で母と喧嘩することが増えた。父はまだ外で働いているし、実家住まいの弟などは大学こそあまり行ってはいないがバイトはしており、あまつさえ会食も行っているのだ。なぜ、私と子供だけが、夫に父に会うことを制限されないといけないのだ。
電車のクラスターは出ていない!時差出勤とリモートと半々!なんならPCR検査受けさせるから、せめてこの年末年始は一緒に過ごさせてほしい!
じゃあ出ていきなさい!
こんな喧嘩をしていても、私は子供たちのために実家にいなければならないのだ。母の協力なしでは双子育児が立ち行かないであろう貧弱な己の肉体が憎い。
さて、ここまで書いて、まあ田舎はなあ…ご近所の手前ねえ…東京もんは怖いよね…島根かな?岩手かな?と思われているでしょう。
37.7度。普段35.8度くらいなのでまぁまぁ高熱。
悪寒と倦怠感。あと、左胸の先も痛いので乳腺炎の疑惑もあるけど、熱があるから、かかりつけの母乳外来にいけない(熱があると入れない)。詰んだ…。
倦怠感すごいから横になって休みたいけど、離乳食と哺乳瓶拒否の乳児の面倒をだれがみるんだ…。60代の義母召喚という手も、もし新型コロナだったら悲劇を生みかねない。詰んだ…。
あと私は死んでもいいので、子にうつりませんように。
⬛︎追加(2020/12/21 18:08p.m.)
ありがとう。胸の痛みは授乳したら落ち着いたんでヤバめ。大阪なんで保健所は当てにならない気がする…。このくらいで頼っていいのかもわからない。緊急事態宣言下で新生児を育児し、初孫を見せに帰省もせず、友達にも会わず、支援センターにも行かず、買い物も週1でしか行かず、それ以外の散歩も週2,3だけだったのにな…。もはや運だな
ただの書き散らし。
新生児:圧倒的なピュアさ、まだこの世に定着していないような天上の可愛さ。ただし母親のプレッシャー「生かす」がやばい。頻回授乳やばい。傷が痛い。眠れない。
2か月〜3か月:クーイングが始まる、まどろむ声は耳の奥を抜けて脳天を突き刺す。床上げ、夕暮れなきが始まる。
4か月〜5か月:育児にも少し慣れる、目があうと可愛すぎて脳が溶ける。笑うと脳内世界が震撼する。つかの間の休憩が取れる人もいる。夜寝る子もいるし、寝ない子もいる。
6か月〜8か月:ねがえる。目で第一育児者を追う。人見知りする、泣きながら愛着のある育児者を追う必死な姿は、万難を排しその存在に駆け寄りたい衝動。が、第一育児者の負担パない。何より離乳食。手間。レトルトに頼るとうるさい外野(時に内野)がいる、滅。しかも食わん、食事にかかる手間の激増。
9か月〜12か月:ハイハイする、後追いが始まりし時のいたいけな動きは、生命00億年の歴史の中の貴重な1ページとして刻まれる。至高の存在、ただし自由に動き回り始めると最初の感動をよそに予想外の災害を引き起こし続ける。ティッシュは白い山になる。引き出しはすべて引き抜かれる。
去年の秋、子供産んだ。
第二子。
産んで入園して、あっというまだった。
0歳の可愛さってなんだ、
どんどん大きくなるし、怒涛のかわいいアプデ。めくるめくかわいいの連続。手を変え品を変えかわいいがリリースされる。
こんなに可愛くても、でも何より眠りたい時も逃げたい時もあるけど。
ただ思い出すだけでも、0歳の可愛さ、めまぐるしさ、
・たぶん一生独身
人を愛する素晴らしさは理解しているし、まっとうな人間には必要なことだとも理解している。
煩わしい。
その感情だけを優先して生きている。
右を向いても左を向いても毎日争いあってる。
建設的な議論なら歓迎だが大抵クソしょうもないビジネスのための火付けか、
2020年前とたぶんやってること変わらずに科学技術だけ辛うじて前進し続けている。
ヒトが単純に幸福を目指そうとする社会や、同じ問題過ちを繰り返さないための学習というものを社会が行えていない。
その様をこの先ずっと見せられるのかと恐れてから我が家にテレビを置かなくなった。
私より知性的で賢いであろう大人たちが自分の立場と金のためにこどものような喧嘩を繰り返すのを見続けなければいけないのは地獄だ。
自分の限界を知って適正がないことも知っているが、人生を修正するモチベも体力もない。
自分のやりたかったこともやりたくなくなり、何を糧に生きているのか分からない。
アニメオタクはけものフレンズショックで強制的に卒業させられ、
本を読むのもめんどうで、辛うじて漫画だけは読んでいるが面白いと思う作品は減り続けている。
シンプルに何を自分がすべきかは把握しているが、目的が気力を出す動機として不十分…いや、興味を持てないため行動できない。
心技体とはつくづくよく言ったものだと感心する。
・死が怖くなくなってきた
昔は死ぬ事自体に強いストレスを感じていたが今はかなり薄くなっている。
このまま生き続けていても自分に大きな変化はないのを気づいたときからかもしれない。
元々飽きっぽい性格をしているが毎日に新しい刺激がなくなり、退屈している。
さりとて犯罪者になるわけでもなく、凶悪犯のような他人の幸せを理不尽に奪う順法意識のない人間を嫌悪している。
自分が30円引きのヤマザキパンを旨そうに食ったところで地球の裏では孤児たちが飢え死にしている。
それは国内でも同じことが起こっているし、祈りが今その瞬間に等しく分け与えられるときは永遠に来ないので平穏な食事はあり得ない。
水が上から下に落ちるのが当たり前で、ずっと変わらず起きているのと同じように誰かの不幸の裏には誰かの幸福が隣り合い続ける。
地球を中心に太陽が回っている事をいまさら信じるやつはいないし、千年たっても変わらないものを変わると信じているやつもどうかしている。
誰かの幸せも泡のように消えるのが世の常であり、できることは人生という物語を綴って誰かに忘れられるまで残す程度のものでしかない。
・生まれる前は
死後の世界に興味を持つ人も、正しく生前の世界について話題にしている事は少ない。
どちらも自分がこの世に存在しない世界であるが、死後にどうなるか話題になっても生前自分はどうだったのか気にする人はいない。
何もないところから自分が生まれたのであれば、当然死によって何もなくなり、きわめて低い確率で何らかの生物に生まれ変わるのも可能性としては残る。
正直なところ、自分は二度とこの世に生まれ変わりたくないと思っている。
安寧の無があるのなら自分はそこに入りたい。
所謂神話としてのゼウスのような存在というより、プログラマーとしての神をイメージしている。
プログラムにはすべて目的があり、実在として道具は総て目的があって作られている。
人間の世界でいえばガンプラの目的はプラモデルを作る楽しさをモデラーに提供することであり、創造主はバンダイだ。
単純に考えてこの宇宙を作ったのは神であり、目的までは分からないにしても何らかの事情があるのだろう。
とにかく、在るということを肯定したこの基盤でまた生と死を繰り返す退屈さと苦痛を別の形で味わう事にはなりたくないという思いが、今は死よりも強くなっている。
反出生主義は幸福になれない可能性から誕生を否定するが、私はこの世界で生きる事そのものが悪であり不幸だと思っているのでやや主義が異なるように思える。
私は両親に感謝しているし、彼らの長所や短所も理解している。その上で自分をよく育ててくれたと思っているが、生きる事そのものが不幸だという考えは変わらない。
もちろん実際に自分が死ぬ場面に直面すると本能的恐怖に縛られるのは想像に難しくないが、平時における心境としては二度と神の道具の一部として生まれてきたくないと考えている。
生きる事の罪を業というのは人の口であり、自分はそれを信じていないし信じる気にもならない。
なぜなら何も分からずに遺棄され死する新生児は、何の罪と反省の意識があって死ぬというのだろうか。
宗教は祈れない者を救えない時点で信じるに値しない。
今でも乳幼児が飢え死にしかけた状態でお菓子の袋を破こうもがいた話が脳裏にこびりついて離れない。
神が善良であればあるほど、彼の死は重く、決して許されない。
神の使徒を名乗るのであれば彼を救えたのか。救おうとしているのか。いつになれば救えるのか。
私は忘れない。
・余談
あまりブコメに対する返信というのはしたくないが反応があったのと気になった点があるのでここに追記する。
事故死や病死する、凶悪犯罪者となり懲役刑を受ける、仲が悪くなり絶縁する、他人に殺害される。
もしくはこどもに される。こどもを す。
そういった可能性をこどもを持った地点から自分が死ぬまで抱え続けるという事実にはきちんと向き合えているか。楽観的すぎてはないか。
その不安に目を向けているのであれば危険に対処するための行動ができると思うが、ブコメを見ている限りだと「育てるのが大変な猫を飼った」程度の肯定感しか得ていないように見られる。
悲観的だと馬鹿にするのは少し待ってほしい。
失ってみないと分からないのではない、体験しなければ分からないのではない。
何のために想像力があるのか思い出してほしい。
親であるあなたはまた新しい死、新しい不幸を本能によって作り出したに過ぎない。
生存競争という恐ろしい渦中に新しい命を、あなた自身の意志で落としたに過ぎない。
こどもを抱えて頭の中の快楽物質がそれを正しいと言い続けても、事実は変わらない。
死の連鎖を繰り返した事に対して、そんなものに頼らず真正面から、あなたなりのきちんとした反論を用意しなさい。
あなたは訪れる恐怖の予感から、それは発達障害や鬱であると断定して逃げる事は容易い。
・ソープと筋トレとサウナでは解決に限界があり、彼ら自身それに気づいている
動物的快楽にも個々人に生まれ持った適正があり、それがないものには当てはまらない。
なぜ彼らがここまでソープと筋トレ(とサウナ)を信じて布教させようとしているかは、それらをやめた話を本人から聞くだけで済む。
続けている彼らは自分たちの努力や発散が「報われ続ける」ことを信じている。
意図的な継続の裏側にもまた、恐怖が根源としてある。「やめたらどうなってしまうのか?」という恐怖だ。
他人にそれを勧めるのは自分の信じる神を広めたい、宣教師になりたい動機がある。
いつか終わりが来ることを日々頭の片隅で実感しながらも、それを認められない脱出口として「布教」を選択している。
強い刺激は人の考えを変えさせるのに十分な切っ掛けだが、刺激というのはいつか慣れてしまう。
ソープ、筋トレ、サウナそのものを目的としているならともかく、何かの解消手段として行っている者は慣れた刺激と得られる報酬の差が開き続ける。
その結果、神格化して代わりの新たな報酬として「自己肯定感」を得ようと躍起になる。
「あらゆる悩みが〇〇で解決されると信じる」ことが目的にすり替わる。
筋トレで解消できているんだと、解消できている自分は素晴らしいのだと。
純粋に筋トレによって得られる効果だけで満足しきれなくなっている自分に薄々と気づいていながら。
身もふたもない言い方だが、思春期以来のオナニーと違う新しい刺激に興奮したものの、だんだんと刺激が減ってきて横道にそれた結果が布教という形になっている。
親を選べないせいで生まれた時点から解消不能な格差が厳然として存在していてどうしようもないし、金も手間もかかるくせに誰も何もしてくれない。
こんな状況で自然生殖で少子化解消とか無理に決まってるじゃん。
その代わり、うちらの遺伝子情報を無作為に組み合わせて毎年100万人とか一定数の新生児をクローン技術で産み出せばいいじゃん。
無作為の組み合わせならエリート同士の遺伝子が組み合わされることもないし、生まれた時からの格差もない。
クローン新生児は世界中から集めた税金で雇用される「国親官」がこれまでの家庭のように閉じた環境ではなくもっと広い共同体で育てればいい。地球上のどこに住むかは国親官が決定する。
親の愛情で子どもは育つ?そんなもん知るかボケ。こちとらそんなもん見たことも聞いたこともないわ。
16歳くらいになったら自分で判断できるので(逆に16歳になっても親離れできない今の日本は異常)、各自独立する。
それぞれ勉強を続けるか、職業訓練を受けて就職するかを自分で決める(AI?そんなもんぶっ壊しとけ)。勉強を続けるにしても職業訓練を受けるにしても、費用はタダ。
クローン新生児は精子や卵子が作られないように遺伝子操作をしておく。これで次の世代に自然生殖が受け継がれることはない。
我々第一世代の遺伝子と、クローン新生児の遺伝子は厳重に保管しておく。これらの遺伝子を組み合わせて毎年クローン新生児を生み出していく。
お疲れさま。私は9/27に第二子産んで大体似たような頃合いの赤ちゃんを抱いている。
授乳しながらスマホという僅かな自由時間に辛そうな増田を見つけたので少しだけ先輩風吹かすのを許してほしい。反省を活かしつつ新生児期2周目してるので。
第一子の時に同じくしんどくてしんどくて、産後うつになった。少しの過失でも赤ちゃん死なせてゲームオーバーという不安から夫のご飯まで手が回らなかった。そもそも台所まで2ヶ月くらい行ってない。
日中トイレにも行きたくなくて亡くなった祖母の残りの紙オムツで寝ながら放尿していた事もある。これは隣で寝ている赤ちゃんを起こしたくないのと、骨盤がガタガタだったから。
食べ物は朝の内に夫にお握りを2合分握ってもらって、それを食べながら母乳に変えていた。水は水道水を部活用みたいな2リットル水筒に入れて飲んでた。夫の飯なんか知らん。
風呂なんか遠い世界の話で、3日に一度のシャワーだった。夫の風呂なんか知らん。
授乳Tシャツから乳を放り出してずっと添い乳で寝かしつけ、赤ちゃんに向き癖がつかないよう数日おきに左右入れ替えるくらいしかしていなかった。
不安になってはスマホで検索、斜視に怯え、黄疸に怯え、SIDSに怯えていた。
それに比べて元増田はどうだ。ご飯を作って夫をおだてている。そして他人が読めるまともな文章を書く。無理をし過ぎているのではないか。
うちの夫は母性が強いタイプで、私が交通事故だの病気だのと寝込む度に世話をしていたので、妊娠出産はイレギュラーではない分安心して看病?できたらしい。
元増田も一度寝込んでみるのはどうだ。立ちたくない、横になっていたいと布団の中で言ってみるんだ。
下手に元増田が立ち働くから旦那さんもわからないんだろう。戦場なんだから参戦させろ。旦那さんに頼むのは沐浴ドキドキ体験ツアー参加じゃなく、自分の事を自分で済ませるという一人暮らしの大学生がやるやつだ。
日々の洗濯、埃取り程度の簡単な掃除、炊飯器で飯を炊く、惣菜を買ってきて並べる、風呂に入って歯磨きして寝る。ちゃんと間違えずできるようになったら増田の分も頼めばいい。
寝込め寝込め。
赤ちゃんがかわいくない、泣き声が怖いと思い始めるとお世話するよつらいぞ。もしかしたら既にそう思ってるかも知れないけど、余裕のある状態で見る我が子はかわいいぞ。
自ジャンルに一人のおばさんが居る。
おばさんじゃないかも。年齢?シラネ。何がおばさんかって、あれよ。
それがもう、ダサイの。ホント〜にダサイ。ザ・おばさん。
自ジャンルが連載中のとある少年漫画雑誌の、歴代キャラのコスプレを自カプにさせる。
イマドキBUMP OF CHICKENのイメソンモチーフの自カプを描く。
今度はAVのタイトルから選んだ自カプを描けだとよ。選ばされるタイトル?ダサイ。無論だ。
これがもうホント〜にダサイのよ。
神絵描きや神字描きが参加して断末魔を上げる。あまりにも動画がダサすぎて。
更に悪いことにはこれがまたこのおばさん、声が大きい。
裏で何言われる事か、溜まったもんじゃないから参加者ダンマリ。
そして量産されていくダサ〜イ作品群。
もうね、後からね、入って来るの躊躇う。このジャンル。このダサ〜イ空間の一員になるの?そう思うのよ。
自ジャンルもう直ぐアニメ化するのにな。このタイミングでおばさんによるおばさんのための乗っ取り。はあ。
いいかい学生さん、企画を、企画をな、参加する時にはよ〜く見極めてから参加するんだよ。それが人間、ちょうどいいってとこなんだ
BUMP OF CHICKENは別のおばさんの企画だった。おばさんじゃないかも。年齢?シラネ。新生児に授乳しながら自カプのエロ小説書いてるってTwitterに垂れ流してるから学生さんではない。
私の友人にSNSで妊娠報告をされた。かなり初期段階の。そのあと、友人から妊娠が進まなくなってしまった。赤ちゃんが産める状態ではなくなったと悲しい報告をされた。
SNSで妊娠報告をされたときに、私は友人に言ってなかったのだが自分もすでに妊娠していて、でも友人に言わなかった。
SNSで妊娠報告をする友人の気持ちを想像するとみんなから祝福されておめでとうって言われたいんだろうなぁと考えた。
「妊娠した!(初期段階)」と言ってる人に向かって「おめでとう!実は私も妊娠してていま胎動を感じてるよ!」って報告したらその人はちょっとイラッとすると思う。なんかみんなからチヤホヤされることを想像してたのに、思ってたのとちがうーって思う。
とか色々想像して自分の妊娠のことは隠しておめでとうと言ったのだが、友人に悲しいことが起こってしまい、「自分の妊娠のことはずっと隠そう」と考えた。
しばらく経って、私は出産した。それから、以前悲しいことがあった友人からSNSでエコー写真つきで二度目の妊娠報告をされた。もう安定期らしい。
私は友人の妊娠を祝福する言葉を送り、出産報告を子供の写真つきでした。
そのあと、「これはまずい」と思った。
エコー写真を送ってきた人間に新生児の写真返すって、プライドを傷つける行為だ。私がエコー写真をSNSで送って妊娠報告したあとに妊娠を知らなかった友人に子供の顔写真つきで出産報告されたら色んな意味でショックだ。
でも、私には子供の顔写真つきで出産報告をするしかなかった。私がすでに出産してるのにそれを隠し続けるのも限界があるし。SNSが発達した現在、子供の写真をつけて出産報告をするほうが普通で、ただ文章だけで報告するのは不自然だ。新生児の顔なんてだいたいみんな一緒だから個人情報流失にもならない。
そのあとすぐに妊娠報告があった友人から電話があり、表面上は私の出産を祝福する様子だった。しかし実は私の出産を全然喜んでいないのは明白だった。なぜそう思ったのか色々書きたいけどここでは身バレ防止のためぼかす。もともとその友人と私の関係はビミョーだった。すでに友情は失われていた関係だった。
形だけの友達だった。
結局その友人とのお付き合いはなくなってしまった。
しかしエコー写真に対して、新生児の写真を返してしまった体験はなかなか忘れることができない。その画像を見たときの友人の気持ちや、友人の言葉から想像できる私への気持ち、冗談混じりで、でも本気で友人から投げられた私への暴言。なかなか、頭から剥がれない。でも、忘れたい。
記念撮影のためのドレスを買ったのだが選ぶのも着せるのも楽しい
男児にドレスを着せてはいけないという法律はないが、男児に着せられるドレスは新生児のときのベビードレスくらい。これから数年間は毎年ドレスを娘に着せてあげるんだと思うと楽しい
普段の女児服もレース、リボン、お花とかわいいアイテムがたくさんあって楽しいコンテンツだ。
旦那は次こそは男児をと希望しているが、私は二人目も女の子がいい。姉のために買ったドレスを着せてあげられるし、女児二人を育てるの楽しそう
妊娠が分かった時に「世界が色づいて見えるくらいハッピーになった」ってこともなく、
むしろ、「この異生物と10か月間体をシェアするの?大丈夫なの?」って、方が先だったし。
産まれるまでは、何て呼ぼうかしらって考えていても、
顔見た瞬間、「これは可愛いで済まされる生き物ではない」って畏怖が先に立っちゃって、
新生児に○○さん呼ばわりする謎お母さんになった。
自分が全力を尽くさなければ、簡単に死んでしまうし不幸になってしまう生き物だから、
日々動いてる感じ。
そんな母性的にダメ親だけど「子供たちと向き合ってて良いお母さんですね」と先日言われて、
母性ってなんだろうな、と。
つまるところ、子供や自分よりも弱いものを可愛いと思えたり、守りたいと思うことなんだろうか。
でも、それだったら「君は俺が守る!」的なものと同じであって、男女で生じる差ではない気がする。
母乳を供給できる女性は、食料危機から守る!で母性ってことなのかな。
分ける必要あるのかな。これ。
てか、今の時代、外敵いないし、役割分担してる場合多いけど、生活基盤支えてるの一緒じゃない?
人の世話を焼くのが好きとかそういうのは、持って生まれた個人の性質とか育った環境の結果だよなぁ。
男性は女性に癒されたいのが本能って言った友人がいたけど、私は女性だけど誰かに癒されたいって思ってるわけで。
独身時代は本気でメイドさんが欲しかったし、今でも心底ほしい。
ふわふわした雰囲気の優しい人に「今日は頑張ったね。お疲れ様」って、頭撫でてほしい。
うーん。
自分が心底疲れてる時には、皆優しい声かけてくれるけど、それは男性だって含まれるし。
だとしたら、母性父性ひっくるめて「人をいたわる優しい気持ち」でいいじゃん?
なんか良く分からなくなってきた。
とりあえず、人に向かって母性や父性を言う人には近づかない方が、
お互いの幸せのためによさそうだ。
今のところ急性ウイルス性脳炎でぶっちぎり1位なのはヘルペスさん
単純ヘルペス脳炎の概要
日本では年間100万人に約3.5人に発症し、50~60代に多くみられる一方、新生児や小児がかかる場合もある。
初感染時または再活性化(一度治癒し休眠しているウイルスが再度活発になること)時に発症する。その病態は発症年齢によって大きく異なる。
なお、HSVは世界的に広く浸透したウイルスで、感染経路はHSVによる口唇ヘルペスや皮疹を発症した患者の唾液や病変部との接触や、
性器ヘルペスからの性的感染や母子感染によると考えられている。
I.単純ヘルペス脳炎の症状・徴候(小児)
発症年齢は、6歳未満が多いが、小児期のどの年齢層にもみられる。発生に季節性は無い。ヘルペス性歯肉口内炎の合併は稀。
初発症状としては発熱が高頻度。神経学的初発症状としては痙攣、意識障害、構音障害が多い。
しかし、小児期の他の病因による急性脳炎・脳症と比較して、単純ヘルペス脳炎に特異的な症状は無い。
急性期には、半数以上は重篤な意識障害を呈するが、意識障害が軽い例も存在する。
大学を出て、数年お付き合いした人と20代で結婚して、披露宴で祝われ、子供を産み育てるのが普通の価値観というのなら、私はそれが全て叶わなかった。
病気をして大学を中退し、上京してから見る目ないせいで異性に騙され、30を過ぎてようやく見つけた伴侶と流れるようにスピード婚したら、モラハラ発覚して結婚して1年も経ってないのに離婚することになった。
SNSには同級生が子供と楽しそうに生きている様子が載せられている。表面上はとてもキラキラして楽しそうに見える。私の知らない苦労がたくさんあるのだろうけど、子供といる彼らは傍から見る分にはとても幸せそうだ。
嫉妬とかはないし、友人達が幸せに暮らしてるのはとても悦ばしい。
だけど、自分がそこに至れなかった不甲斐なさや、わたしはずっとしくじり続けるんだという絶望感が大きい。
未婚の知人には「結婚できただけマシ」と言われるが、嘔吐するほど辛い結婚生活は本当に独身よりマシなのかなとボーッと思う。
至って普通の生活すら得られない。強く望んでるのに、何故かしくじる。
最近子供を産んだ友人が、新生児や母体の神秘を語っているのを目にする度、自分は泥の中で立ち止まってしまったなぁとしんどさを感じる。
私は何をしているんだろう。
みんな出来ることが昔から何も出来ない。
多分、普通の価値観からいう幸せな生活というのにとことん向いてない人格なのだと思う。
みんなやっぱりできた人なんだなあ。
新生児遺棄事件、責任を負わない “父親たち” が犯した「罪にならない大罪
https://news.yahoo.co.jp/articles/9bb3951b0a8feecab723682f73bfa5f149b5b63b
「言い方が悪いですが、男性は“出したら終わりの生き物”。身体の関係を持ったら終わりです。でも女性はそこからがスタート。連絡もとって、お付き合いも望みます。妊娠すれば女性は2人の間にできた子だから2人の責任と考えますが、男性はそうは思いません。都合が悪くなると逃げる生き物です」(同)
事件が起きれば「父親は誰だ」と世間は注目するが、公にはならない。社会的制裁も受けず、法的責任もないことが無責任さを助長させる。
未だに明治時代の化石みたいな法律で親子関係を決めるんだよね。
それが男のやり得、逃げ得を許してる。
親子関係なんて有無を言わさずDNA鑑定で確定するように法律を改正して欲しい。
生物上の父親だと判明すれば、認知も結婚も関係なくちゃんと子供の人生に責任を負わせる。
結婚していても妻の産んだ子供がDNA鑑定で夫と違う男性だと判明すれば、夫の責任を外して生物上の父親に責任を負わせる。
今の法律は女性にとってあまりに過酷なものになっているし、本来責任を果たさなくていいはずの男性まで泣き寝入りすることになる。