はてなキーワード: 女性自身とは
フェミニズムの視点では「胸の大きい女性を転職情報のPRに起用する」のはまずいようだ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/yomogidango0909/status/1218363032004329478
上記のような意見を「本当のフェミニズムじゃない」と感じるとしたら、それは間違いである。
それどころか、現在の日本のフェミニズムの主流やアカデミズムの主張から必然的に導かれる結論である。
このような意見はいわゆる「性的モノ化」(あるいは性的客体化、対象化)の議論に立脚している。
フェミニズムを専門とする社会学者小宮友根と、宇崎ちゃん問題の時にイラスト付きで不適切さを分かりやすく解説していたふくろさんによる以下の記事を読んでみよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68864
性的な女性表象の持つ差別性は、フェミニズムの中では「性的客体化(sexual objectification:対象化やモノ化と訳されることも)」の悪さという観点から議論されてきました。
(中略)
たとえばポルノグラフィ批判で有名なキャサリン・マッキノンとアンドレア・ドウォーキンが繰り返し主張していたのは、ポルノは「わいせつ(性欲を刺激するもの)」だから悪いのではない、ということでした。マッキノンたちのポルノグラフィの定義には、女性が「人間性を奪われ」「辱めや苦痛を快楽とし」「性暴力によって快感をおぼえ」「特定の身体部部位に還元される」ような「性的な客体として提示されている」という項目が含まれています。要するに、女性を「性的な客体」として提示することが悪いと考えられているのです。
最初のツイートでの「女性や性的記号を利用してPRする」ことへの批判は、上記のように、女性を性的記号に還元するような悪さへの指摘として正当化できる。
なお、上記引用にもある通り「エロいから悪い」「胸が大きいから悪い」のではない、あくまでそれが表現の中で強調されるなどして、記号として利用されることがまずいのだ。
このように(ブコメでは散々な言われようだが)ツイートの批判は、実はフェミニズムとして至って正気の批判である。
ところが、そこにまずさがある。
フェミニズムがこのような批判を正気にし得るということは、フェミニズムは、時と場合によっては(件のPRのような)本人の意思に基づいた女性の行動や社会活動をも批判し得る、ということだ。
ここで一足飛びにフェミニズム批判に走ってはいけない、まずはそのような主張がどのようにして正当化されるのかを考えるべきだろう。
例えば仮に、件のPRの立案者からカメラマンからモデルに至るまで、すべて女性がやっていたとしても、フェミニズムはそれを批判する必要がある。
女性もミソジニーを持ちうるし、性的記号の不正利用も行える、レズビアンの場合を考えれば女性を性的に欲望し消費するケースもあることも分かるだろう。もちろん男性との共犯関係もあり得る。
行為者が女性であることで(男女の非対称性から)悪さを軽減することはできるかもしれないが、免除することはできない。
ここで問題になるのは主に以下の2つ。
1.女性イラストレーターや女性漫画家のような表現者が女性をモノ化して表象する場合の扱い
2.キャンペーンガールやグラビアアイドル、AV女優、風俗嬢等が、自身の身体を「性的な客体」に還元する場合の扱い
件のPRは2に該当する訳だが、その悪さはともに「性的モノ化」によって説明できる。
つまり表現であれ自分の身体であれ、女性を性的にモノ化、客体化することが悪いのだ。(※1)
ここで「1はともかく2は自分の身体、自分の意志でやってるんだからいいじゃないか」「被害者はいないじゃないか」と反論するならそれは間違いである。
直接的な被害者がいなければいいのであれば1も、宇崎ちゃんやその他のあらゆる表象も問題化できなくなってしまう。
問題は、モデルのいないイラストであれ、合意済みの女性自身の身体であれ、「女性」一般に対するイメージを歪めたり利用したり、モノ化できてしまう、その悪さなのである。
こう言い換えてもいいだろう、「女性」のイメージは女性全体の言わば共有財産なのであり、イラストも女性自身の身体もそれを傷付け得る。
例え女性個人が合意していたとしても、それ以外の合意していない女性へもダメージが波及するために、女性の身体を性的にモノ化することは許されないのだ。
従って、個々の女性の身体や女性の表象もまた、女性全体の共有財産だと言えるし、共有財産である限り、個々の女性が(集団の意に背いて)それを好き勝手にすることは許されない・批判される必要があるのだ。
このようにしてフェミニズムは、女性に対するある程度の自由の抑制や批判、そしてそれによる全体主義を正当化できる、できてしまう。
このようなフェミニズムの在り方に対して、フェミニズム自身による更新は難しい。
何故なら上記のような論理は「性的モノ化」のような基礎的な概念から論理的に導出できる以上、その更新はフェミニズム全体を大きく変えざるを得ないし、
その過程で、これまでのフェミニズムが批判しえていた(主に男性たちの)行為や現状を批判不能にせざるを得ないようなケースも出てくるだろう、そうしたことは、多くの女性やフェミニストにとって受け入れがたい。
あるいはアカデミズム側のみのマイナーな議論としてはそのような更新も期待できるかもしれないが、運動としてのフェミニズムにそれを輸入することは恐らく出来ないだろう。
例えば件のツイートに対しても、フェミニズムによる(その女性の身体を共有財産化する全体主義的な傾向に対しての)批判は期待できない、という事からもそれは分かる。
こうした問題を、フェミニズムはこれからも抱えていかざるを得ない。
そしてそこから目を逸らし続けないわけにはいかない、例えそれが欺瞞でも、解決する能力がない以上は。
https://this.kiji.is/590516105410217057?c=539383836944122977
スマホ・ゲーム規制に関する松井市長の記者会見、該当部分を文字起こししました。条例化や行政による規制について、極めて慎重な態度であることがわかります。大阪市や松井市長がゲーム・スマホを規制するかのような記事は現時点ではミスリードです。ぜひ拡散をお願いします。https://t.co/PrLbeACw1w pic.twitter.com/c3NpLJNtif— 音喜多 駿(参議院議員 / 東京都選出) (@otokita) 2020年1月16日
「大阪市の松井市長、ゲーム・スマホ利用を規制」記事は不正確。真相を解説します
https://otokitashun.com/blog/daily/22414/
ただ一番悪いのは寄りにもよって香川県で炎上している最中なのにわざわざミスリードを誘う様な返答をし、火に油を注いだ松井市長なのだが。
音喜多議員がどう言おうが松井市長自体どう考えているか判らないからね。
駆け出しだったころ、いい上司に恵まれて、その上司が結婚して育休に入った間に転職して合わずじまいになったが、一緒に仕事していたこと、こんなことを言っていた
「女性が大卒で会社に入ってバリバリ仕事をして出産適齢期以降に結婚して不妊に悩むとか、女性を苦しめているのは女性自身で要は自分の自由になる金が欲しいってだけな気がする」と
SNS見てて思うけど、持つのは物質的な欲望だけにすべきなんだろうな
仕事でこういうのやりたいとかあれが欲しいとか、それくらいなら手に入れたらそれまでで、それ以上には絶対にならないじゃん
でも、精神的な欲望を持ち出すとこれはもう収拾がつかない、他者より優れた生活や差が欲しいとか、他者より輝いていたいとか、そんなの明確な基準が存在しないんだから
オタクはオタク自ら「市民権を得た」などと主張するが、女性自身がそうしたことをするのは稀だし、むしろ「女性はぜんぜん市民権を得ていない」のようにアピールするのでは?
ブコメに任意なんだから強制じゃないでしょ、問題ないでしょって言う人もいるけど
ずっとつけてない人がいたとして、でもその人がつけたくなくてそうしてるのかどうか誰にもわからないし
もう閉経してるのかなとか生理ないのかなみたいな視点が「つけてないこと」で生まれてしまって
必ずしも「私はつけたくないからつけていないのです」とならないところに結構問題があると思う
周りの空気とかみんながやってるから、みたいな部分をめちゃくちゃ大事にするというか
周囲と同じことをやってないことに恐怖を覚える人の多い今の日本の現状ではすごくつらい思いをする人がまあいると思うんだよね…
生理のある人で本当はつけたくないけどガマンしてつけてる人とかも出てくるだろうし
そういう人にとってみればあの人はいっつもつけてない、みたいに思う人もいるかもしれない
私はつけるよ!恥ずかしくない!って人にとってみたところで、もしこの試みが長期化したとしてだけれど(でも数週間もあればかなり長い)
ずっとつけない人に対しては何かしらの理由があるだろう、ということそれ自体が「わかって」しまうのが結構乱暴に思えるんだよね…
若い女性にみんな順調に生理が来るわけじゃないし、その理由もホルモンの状態とか病気でとか摂食障害があるとか原因全くわからないとか様々だし
閉経してしまった人は人でその事実をいつも「つけてないこと」で提示してるわけで、これは結構神経にきそう
「場」の中で閉経したことを知られないために生理がきてるんだよ~って示すために嘘をついてつけることもつらそう
妄想しすぎwって言われるかもだけど十分に考えられることだと思う
もしもその人が普段は女性を降りられてラクだわ~、というように思っているとしても、それは他人に対して明示してない状態だったからで
その事実が周囲の女性や閉経のことをよく知らない男性に改めて可視化されることって結構キツいのじゃないかと思う
どう思われてるのかとか考えてしまったり、改めて自分の身体や社会での立場みたいなものを考えてぐらぐらしてしまいそう
それを改めていつも認識し続けることってすごくつらそうに思う すごく若くて閉経する人もいるし 病気で月経に関わる器官を失ってしまった人も黙っているけどいるかもしれない
更年期障害の人も(これも若くてもなる)自分のプライバシーたる生殖能力の状況を外側に向かって公開したりしなかったりすることには
(あとそれを意識している空間の中に自分がいる、と思う事なども)
どちらにしても外側からの意味や感情や評価のようなものがどうしても付加されると思う
まず生理がある/ないだけじゃなくて「ある人」の中でも一人一人あまりにも月経って千差万別で、
重かったり軽かったり痛かったり痛くなかったり出血量ひどすぎて救急車で運ばれたりするレベルの人とかまでいたりして、誰もが同じ「生理」を持ってるわけじゃない
そういう当たり前のことが男性はもちろん女性自身にも広く知られていないのにも関わらず、決まった生理の形がある、と思われていて
こうあるべきとかこうでなきゃならない、もっとオープンにすべきとかそんなこと言うなんてけしからん、みたいなものは方向が真逆だとしてもそれぞれに根深く
一元化して扱うことのできないものだからこそ今はまだ時期尚早なんじゃないかな…という気がしている
「生理ちゃん」のあの回、私も読んですごくいいな!こうなりたい!って思ったけど、私は今よりもうちょっと先の未来の話として読んだ
あそこにいくまでにもっと社会でやらなきゃいけないことがあって、それを侃々諤々しながらやってようやくそこへたどり着いた先の社会の姿だと思ったから、
反応がその物語を受け取ったときと今この現実の出来事を受け取ったときとで違うことはべつにふしぎではないと思う
ああいう理想にたどり着くために「生理ちゃん」のあの回は必要だし、あの社会と今の社会とどこが違ってどうすればあそこに近づけるか、
って考えたときに浮かぶ問題を議論して考えて解決していくのがすっごい大事だと思ってるから、あれを今いきなりやってもきっとうまくいかないと思った
女性の側が生理を穢れとして隠してるのだ!みたいなこともよく聞くけれど
初潮以前の本当に幼い頃から「女の子は性にまつわることはなるべく表に出さないようにするのが嗜み」という風に
やんわりとでも厳しくでも常日頃親や教師なんかに言われたり小言のもとにされて育ってきた中での刷り込みはなかなかうまく打破できなくて、
もちろんそこを変えていくことが女性自身にとってこれからすごく大事なことだと私も思うしそうなっていけばいいと思うから
まず月経そのもののことやそのパターンなんかのことをきちんと教育で両性に周知することからスタートするのがいいんじゃないかなあ…と思ってしまった
生理そのものをわかられていない状態でバーン!といきなりやっても今は社会の側が成熟してないことから発するリスクの方が高いという気がする
こういう下地があって女性同士でも自分の内面にある生理を他人同士で押し付け合う感じに現在でもなってるので
(この表面が可視化されると「女の敵は女」っていう人がいるけど、前述の下地があっての問題なのでそうじゃないですよ、と言いたい)
生理は多様であるってことを女性自身もどんどんシェアし合って学び合っていけたらそれこそが「オープン」ってことなのかなあ…って思った
(元がまとめサイト用にライトな文体で書いてたのもあるが、そうでなくとも適当に書きすぎたので雑文になってしまった。その内に推敲して書き直したい)
相変わらず紛糾してるようだが、しかしあんな無駄な脂肪の塊に何を言ってるのだろうかね……あんなもん相撲取りと変わらんと言うのに。
そういう風に誰もが思うよう、身体的な要素を大衆化し、氾濫させる事で性的な要素を減ずるのが本来的なフェミニズムの在り方ではなかったのだろうか。
別に人間、自分の意思で太ったり背が伸びる訳でもなし、身体的要素の表現自体は規制できないだろう。
聖書でアダムとイブは知恵の実を食べたが故に、体を隠すようになった……エロティシズムの本質とは隠匿や恥じらいといった禁断的表現である。
それを自ら恥じず隠さず表現するのは性的表現の反極地であると言えないだろうか?
そもそもbloomerもミニスカートも女性/自己解放運動の一種で発生した、言わばフェミニストの自主表現である。
それを自己規制しても自己解放しても文句を言うようでは本末転倒であろう。男性が描くのはアウトで女性が描くのはセーフなのか?女性が芸術作品で性的表現をしてるのには何も言わないのだろうか?
男女の有無が問題なら、作者の性別表記を義務化するのだろうか。そうなるとLGBTはどうなるのか?
……とまあ、公開も隠匿も自由じゃないと意味が無いという結論になるだろう。
そうなる故に、何を主張したいのか意味不明だ。男性だって別に全員が性的表現が好きなわけじゃない。我々にも見ない自由、書かない自由が有る。
要するに、表現だけじゃ意図も文脈も分からない以上、それを単純禁止とかしても意味が無いという訳だ。
問題とされた例の作品も、主人公というかヒロインが自分の身体に自信が無いのに強調してる服になってるとかだったら批判するのも分かる、
しかし、そうではない。自分の意思で着た服を否定するようでは、それは女性自身による女性抑圧運動でしかない。
世の女性を抑圧し支配してるのが女性自身になっちゃ本末転倒だろう。何を考えて批判してるのか考えた方が良い。
ただ単に性的表現それ自体を抑圧したいなら、それは本来的なフェミの文脈じゃない。それが目的なら性別を問わずに性的表現全体を規制するべきだ。
子供の目に触れる所に性的な表現を持ち込ませたくないなら、それは今回のポスターには関係ない。献血で性的な事を考える輩は極少数派だし、文句を言うのは献血ポスターでなくて少年誌向けで良いとゾーンニングした小学館に言うべき問題だ。
多様化する価値観の中で何を主張したいか決めずに騒いでるなら、外から杜撰な理解をされても仕方ないと思うべきだ。
こう書くと下手すれば炎上するだろうが、この騒動を悪意的な見方をすれば「アレで騒ぐような人間はフェミじゃなくて、若い子に嫉妬する性欲魔人にしか見えない」……こういう誤解を受けても仕方ないと私は思う。そして、そういう軽率な人間は文脈も見ずに「」内を批判する。
Twitterみたいな短文ツールでは意図が伝わらないのは有ると思うが、少なくとも真に女性蔑視を避けるなら、女性自身が同胞の軽率な言動を諭さなければ何も始まらないだろう。
支配に対して支配で対抗するような女性は、名誉男性である。そういう合言葉を使っていくのが、今後のフェミニストのあるべき形ではないだろうか?
まあ……既に正当な女性を抑圧するのに、その言葉は使われてるかもしれないがね。それでも、最後まで諦めず言論を尽くして理解を求めるべきだと私は思う。
蘇民祭ポスターをどう思うかを、こういう文脈関係なくアンケート取ったら、面白い結果が出ると思うんだよ
そこで「人に不快感を与える要素の高いもの」は、撤去されてもしょうがないってのは同意してくれる人が多いと思うんだ
死霊のはらわたポスターは、そこらに普通にはられるべきか、とかね
争われるべきは、宇崎ちゃんは撤去しなければならないほど人を不安にさせたり不快にさせたりするのかという点
ぶっちゃけ、ポスターとしての問題度は、「マチ★アソビvol22で竹咥えさせられてる鬼滅の刃の禰豆子のポスター」の方がヤバイと思うけど
あれが配布用なら問題ないってなるだろう
そして、宇崎ちゃんレベルが苦痛になる人は、生きるの辛いだろうなとも思う
https://anond.hatelabo.jp/20191016150214
現実の巨乳の人は公的な場で、性的に見られることを許容していませんよ。
その服が巨乳を強調するようなものだったとしても、その人が良いと思って着ているのであって、男性に消費されたくて着ている訳じゃないです(あくまで公的な場では)
こういうのな、「男性に消費されたくて着ている」人を否定してるんだぜ
誰かにアプローチするとか、そういうので着てる人や、そういうので籠絡される側の人を否定してる
公的な場では性的に見られるの嫌だけど、バーとかに行ったら籠絡されてほしいとかになんのかね
そこには、女性自身の性的合意があるからOKで、男は空気読んで駆け引きに応じろとかって話かね
でもでも、女性が性的合意を声に出して言わない限り、どこまで行っても強姦セクハラになり得るからってか
あとな自分のためにって話はよく聞くけどさ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1410808
オタクの人たちは「見た人にエロい感情を呼び起こす意図を持って作られた過度にデフォルメされたラノベ表紙」と「実際の女性が薄着であること」の区別が本当につかないらしい。
オタクは物事の複雑さを理解せずにいろいろなものを雑にくくって同じものとして扱う傾向がある気がする(といっても今回のは全然複雑な話ではないんだが)。
ラノベ表紙は女性の大きい胸をエロい感情を呼び起こすものとして扱っている。これには女性の身体的特徴を道具として利用するという「他者の視点」が入っている。
そしてその他者が男性であることが多い(もちろん女性自身も利用したりするが)。そしてその視点の暴力性が問題になっている。
一方、女性が薄着であることはたしかにTPOによって問題が発生する可能性はある。今話題の女性の画像も見苦しいしみっともないと感じる人は多数いると思われる。しかし、その女性自身が自分の大きい胸を道具として利用しているわけではない。女性の薄着はマナー上問題になることはあっても、暴力性という観点から問題になることはない。
まとめると、ラノベ表紙は女性の身体的特徴を商売道具として利用するという「他者への暴力」が問題になっているのに対し、薄着の女性に関しては女性の身体的特徴を商売道具として利用する暴力が問題になるのではなくTPO上の不適切さが問題になるということだ。だからラノベ表紙を批判している人が女性の薄着に寛容だというのは別にダブスタではない。ラノベ表紙を批判するのは「他者への暴力」が問題になっているからで、女性の薄着を問題にしないのはその女性が自分の意思で薄着を選択しているからだ。もちろんラノベ表紙を批判し、かつ、女性の薄着も批判するという態度もありうる。その場合は前者に関しては「他者への暴力」について批判して、後者に関してはマナー上の不適切さを批判することになるだろう。この場合、両方批判してはいるが、批判する観点が違うということに注意が必要となる。ラノベ表紙に関する批判的な態度を貫いた結果女性の薄着も批判しているというわけではないということだ。
考え方の違いによりいろいろな態度がありうる。もちろんラノベ表紙は擁護し、薄着の女性は批判するという場合もあれば、どちらも擁護するという態度だってある。どの組み合わせを取ってもダブスタだとか逆に主張が一貫しているということにはならない。性質の違う問題についてはその都度どう考えるかが問われているだけだ。
こういう問題の差異も理解せずにダブスタだとか言うオタクはとても頭が悪いように見える。別に難しいことではないと思うんだが……
本業メディア系だけど、会社でまとめ記事出すとなると企画・稟議の許可もらうのがめんどくさいので、フランクな感じでここにまとめます。
基本的に紙系。記者の署名入り記事・オピニオンのほうが、会社の立ち位置がわかるかと。
主要スポーツ紙の反応
・スポニチ
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2019/07/21/kiji/20190720s00041000513000c.html
記事では巨大化した吉本の問題点を指摘。経営陣の会見を求めるなど若干宮迫と亮サイドな感じ
・ニッカン
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201907200000996.html
吉本の御用新聞かと思うような文面。亮の契約解消をいち早く報じたのもニッカン。吉本と親密さを感じさせる記事。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6330696 ちなみにヤフトピにも掲載(ヤフーは吉本の株主)。編集権は独立してるだろうけど一応
・報知
宮迫&亮、吉本からの圧力を暴露 第三者委員会で全容解明を…記者の目
https://hochi.news/articles/20190721-OHT1T50044.html
吉本の対応の遅さを指摘。第三者委員会設置を提案するなど、芸人側に寄り添った記事
・デイリー
【記者の目】社長が“隠ぺい”指示ならコンプライアンス意識崩壊している
https://www.daily.co.jp/gossip/2019/07/21/0012534469.shtml
会見では『吉本興業への取材から得ていた内容とも相当に異なるものだった』と指摘し、『吉本興業という会社自体のコンプライアンス意識が崩壊していると言わざるを得ない』と強い表現で吉本を糾弾。
・東スポ
署名・オピニオン系記事なしだけど、淡々と会見の内容を報じている。
宮迫「こんな最低なやつのために」 涙流して感謝した松本人志の言葉
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/1479951/
週刊誌系
・文春
宮迫&田村亮緊急会見 島田紳助氏にあって、2人にはなかったもの
https://bunshun.jp/articles/-/12938
スポーツ紙記者・吉本興業関係者を口寄せの術で招集し、コメントから宮迫&亮の会見には疑念が残ると指摘。週刊誌らしく角度つけようと島田紳助との比較論を展開するも、『"筋”の通し方が両者の違い』となかなか明後日の方向のまとめ方で結論づけ、最後の5行(全記事の5%未満)で吉本の体制をちょっと批判。おっとこれは系。
・新潮
・女性自身
宮迫博之と田村亮 会見発表の裏側…四苦八苦しながら想い伝えた
https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1758394/
特に吉本、宮迫と亮どちらも攻めるもなく、他の媒体が書かないであろう会場での出来事を綴る。最後に『そこまでしてでも会見したかった宮迫と田村。その思いは、視聴者に伝わったようだ。ネット上では《よく言った》《歴史に残る会見》など、応援の声が上がっている』とまとめ、宮迫と亮サイドの印象。
女性問題だとオタク絵を無くせ、エロい女を無くせ、偉そうな男を無くせ、いじわるな女を無くせ、女を強くしろ。
黒人問題だと、色白を無くせ、白人を黒人に置き換えろ。リトルマーメイドもそう。
これらは一見その人種を尊重しているように見えて、実際は選択肢を無くしているだけ。
ゴーストバスターなんか最たる例で、むりやりおばさん入れた結果「おばさんがこういうのやるとつまらない」
っていう印象を与えてしまってる。あれをみてあのおばさんに憧れる人はいたんだろうか?
作った人は「女性でもええやん」って思えるようにしたかったんだろうけど、実際は違う。
キャラクターっていうのは魅力を出すためにいろんな部分を突き詰めて考えられてる。ポリコレが嫌われるのは、魅力や面白さをスポイルしてプロパガンダとしてキャラクターを利用するから。
勿論良くない表現は、ある程度は間引く必要はある、でも最近は「減らす」ばっかり。実際女性の選択肢は縮まり減っている。
魅力を生かせる世界じゃなくて、今現在の政治的正しさでしか資本を獲得できない事を余儀なくされている。これは女性自身、黒人自身を殺しているのも同義。
「美しくて可憐、男に人気がある」というのはある意味若い女性の強みでもあるけど、それを生かす手立てを殺されている。
ブラックパンサーが興行出て人気になったけど、あの映画が良かったのは、黒人ヒーローというものを打ち立てて、それをカッコよく魅力的に描いたから。
「増やす」アプローチを行ったから、あれを見て良くない思いを黒人に持ってる人も「黒人もいいな」って思えたりする。
今までの作品じゃ、「ねじ込み乙」としか思えなかったけどブラックパンサーは違った。
と言っても「増やす」アプローチってのは、民衆の欲望にジャッジされるから難しい。ポリコレは常に社会的な後ろ盾があって、失敗しても傷つかない。
でも「減らす」アプローチで成功したものは多分無い。何かを変えるのは、いつも「増やす」事をした側だけ。子供が親から与えられた「正しい」ものには興味を示さないのと一緒。
お金も稼げません
性的魅力もありません
でもちんこのお世話して欲しいです
体の仕組みとして妊娠出産がある女性は社会的活動の休止を余儀なくされるわけだけどその間どうするんだろうか
下方婚は男のQOLの為に女性自身のQOLを放り投げろという人権無視なンだわ
今なら自分1人養う分は稼げるなら結婚しない方が幸せだしもしくはお金も稼げて性的魅力のある男と結婚出来るよう頑張ろうという話になるンだわ
下方婚しろと言っている男性は強者男性が作り上げ自身が苦しめられてるホモソーシャル社会に踊らさせられてることに早く気づいて欲しい
芸能人だと「君のことをもっと深く知らないと使えない、使い所がわからない」って理屈で深夜まで酒を飲ましひっぱりまわし
朦朧となったところで「どこかで休もうか」とごく自然に「親密になる」
当然マネージャーも迎えにこない
後で「あれは合意」といいはれる程度にやる枕営業の実態(泣き叫ぶのを・・とかではない まあ泣き叫んだらこいつにはキツイ仕事無理っつってうまい仕事はやらんわけだが)
人脈が強い業界ではなんとでも言い訳できるし仕掛ける本人のなかでも罪悪感なく「これは仕事の一環だから。奥さんのほうが当然大事だし」って理屈が最初からついてる
こわいよねー
圧迫面接の延長線上のちん子脳