はてなキーワード: 圧政とは
中学生の頃の話なので、もう何年も前のこと。
授業で戦争の話を何度も何度も聞いて、そのたびに感想を求められ、何を言えばいいのかわからなくなっていた。
(ある「一定の答え」を求められている気はしていたけど)
あるとき、例の虐殺だったか民間人への圧政だったかの感想を文章で求められ、困り果ててしまい、
「自分がこれだけ悲惨なことを引き起こしてきた人たちの末裔であることを恥ずかしく思う」
と書いて出した。「一定の答え」とはたぶん違うけど、一理あると思ってはいたし、真摯な気持ちを表すには充分だろうとも思った。
あとで先生に呼び出され、『それは違う』と言われた。
少し和らいだ気はしたけど、違和感は残った。
それは『よい感想だ!』とキャッチアップしてもらえなかったかもしれないし、同胞の先人が関わってきたのは確かなのにそれを否定されたからなのかもしれない。
私の両親は私の教育を間違えてたな。テストで悪い点取ると玩具やプラモを壊す。これが間違い。私は玩具を壊されない為だけに勉強した。喧嘩で両親に勝てる高1までこの恐怖は続いた。そして性格が螺旋階段のようにねじくれ曲がった私が完成した。
https://twitter.com/hiromi_kanzaki/status/826965836497719296
「40歳になってもエイルガムのプラモを破壊された時に母親を殴った事を自慢している」事ばかりが取りざたされ、死んで当然の極悪人と扱われている被害者だが
もしもこのツイートが真実なら、あのように育つのは無理からぬ話であったと思う。
激務の事務次官は家に帰れず妻に被害者の子育てを一任していたわけだが、配偶者不在の子育てというものは力での支配が容易であり、それを阻止する者がいないため簡単に歯止めをなくす。
エリートの妻である母が「偉大な夫に相応しい子供を作らなければならない」というプレッシャーを受けていたことは想像に難くないが、
そこで暴力という安易な支配に溺れ信頼関係の形成を怠った結果暴力が親子の法となってしまい、息子の身体成長によって力関係が逆転した時言葉による説得は既に意味を持たなかったのだろう。
(息子が容易に母を殴れたのも恐らくは母親から「力が強い方は不当に相手を苦しめてもいいし、哀願を聞かなくていい」と学んでいたからだ)
被害者が今更更生しえる段階になかったという判断自体は妥当だと思われるが、
だからといって現代であれば明らかに教育虐待に分類される育成を施し、さらにその記憶もないと言い出すような母親(支配の段階にまで達した教育ママというのは概ね狂人であり、暴力から嘘までかなりの事をしでかす)の証言を一から十まで鵜呑みにして全て被害者が悪であったと述べるのは危険を感じる。
狂人の息子に対して父親としての役割を遂行しただけであるから執行猶予を付けろ、等といった言説は論外である。
少なくとも十代の時期彼は真に被害者であり、単独で他の運命を選ぶことは不可能だった。違う道を歩むためにはサポートが必要だった。
父親は息子が廃人になった後でなく、母が圧政を敷いていた時や学校で爪弾きにされるようになった時期にこそかかわりを持つべきだったのである。
さて被害者が今更更生しえる段階になかったという判断自体は妥当だと思われるが、(二回目)
恐らく巷の十代の少年少女には同じように過酷な環境で憂き目を見て、今まさに廃人になりあるいは(自殺を含め)殺されて行こうとしている者が大勢いる。
そうした子供たちに関して本件の反省は生かされなければならないと思う。
今後発生する似たような事案に対しても我々世間が今回と同じように「お前が悪いのだから死で償え」と鞭を振り下ろし続けるなら、それはあんまりだ。
娘をスパルタ教育で潰し、廃人となったそれを疎み粛清する事でリセット、己が被害者であると触れ込んで同情を得る……と言った事が成立する社会はあってはならないのである。(なお世間では既に事実として扱われている事務次官の供述は概ね信憑性を認められていない)
世間はもっと発育という事に関して理解を持ち、それが無理ならより高度なサポート体制が実現するように行政は努力すべきであろう。
今はもう辞めたけど、以前とある掲示板の共同管理人の1人をやっていた事がある。その掲示板の住人は、別の掲示板の圧政から流れてきた人達が集まって形成されていた。それに加えて、はてブと同じくらいリベラルな思想を持った人の割合が多い場所だった。
そういう経緯もあって管理人の役割を担う人たちは自分も含め、出来るだけ表現の自由を尊重するように心がけ、よっぽどあからさまな差別投稿や殺人予告や機械的なスパムでない限り出来るだけ削除もアク禁も行わない寛容な方針を取っていた。
それは決してただ傍観するという訳ではなく、強権を振るえないぶんグレーゾーンには強権ではなく対話による解決を要求され、右からも左からも荒らしからも良識あるユーザーからも袋叩きにされる非常にストレスフルなポジショニングだった。何人もの管理人が心労で掲示板を離れていった。
『ジョーカー』を観て思い出したんだけど、その頃「ジョーカーってただの荒らしじゃん」と思っていた。ここでいうジョーカーは『ジョーカー』のジョーカーではなくて、ダークナイトのジョーカー。
その掲示板によく出没していた荒らしは、パターンが決まっていた。削除されるかされないかのギリギリのラインで住人に迷惑をかけ、削除されると「職権濫用だ!削除の根拠を示せ!」と騒ぎ立て、管理人を精神的に追い込み、辞めさせる。それで何人もの管理人が去っていった。
その荒らしはまるで、バットマンに「俺を殺してみろ」と迫るジョーカーのようだった。「お前ら左翼だって一皮剥けば独裁者と同じじゃないか」と挑発しているようにも見えた。それを肯定するのが嫌で、自分も必死に暗黒面に墜ちないよう踏ん張っていた。そして自分は暗黒面に堕ちることもなく、苦悩する事もない、第三の選択肢を選んだ。力を手放すことだ。
掲示板荒らしにアーサーのようなツラい過去があったのかどうかは分からない。ジョーカーとダークナイトの続編的な繋がりも希薄だ。でもなんとなく、『ジョーカー』が掲示板荒らしの前日譚のように見えて、「うわぁ...」と思ってしまった。
ご存知の通り、2019年7月1日から施行された「改正健康増進法」では、第一種施設(病院・学校・行政機関)では敷地内全面禁煙となった。
例外として「屋外で受動喫煙を防止するために必要な措置がとられた場所に、喫煙場所を設置することができる。」※1 ということで、施設によっては敷地内に喫煙室を用意し愛煙家の方々に配慮をしているところもある。
オリンピックを迎える2020年の4月1日には、全面禁煙対象となる施設がさらに増え、屋内は原則禁煙となる。
この増田では、改正健康増進法の施行から3ヶ月経過した現状を、とある大学を例に挙げ報告したいと思う。
ここに挙げる事例を、2020年4月1日の「屋内原則禁煙」に向けての反省材料として、広く活かしてもらえればと思う。
東京X大学。最近はメディアの露出も増えてきたことで、以前は間違われがちだった他大学と混同されることが少なくなってきた。これを読んでいるあなたも、恐らく名前くらいは聞いたことがある程度の知名度の大学だ。
しかし悲しいことに、都心に位置しつつも、お国からの運営交付金は国立大学の中でも下から数えた方が早いレベル。都内の大学に限っていえば、下から数えるのに五指も必要ない。
そしてこの社会情勢である。「生産性がない」「社会にすぐに還元できる研究がされていない」「論文数が少なすぎる」「運営交付金の無駄だから早く潰したい」とすら考える政治家・役人もいるだろう。
さて、そんな東京X大学にも改正健康増進法の波が押し寄せてきた。
先に書いておくと、もともとこの大学の学生の喫煙率は高い。入試の倍率が高く、成人済みで入学してくる学生が多いのも理由の一つだろう。
数十年前と比較したら少なくなったのだとは思うが、それでも喫煙者は教職員・学生の5%前後はいると思われる。
普段からタバコを燻らせている学生をよく見かけたし、喫煙所には常に人がいた。タバコ臭い研究室でゼミを行うなんてこともザラだった。
心配を横目に、その日は近づきつつあった。
学内のいたるところには「7月1日からは学内禁煙」となる旨を周知するポスターが貼られ、喫煙所であった場所からは灰皿が全て撤去された。
一部(法改正を理解していない)学生の反対運動があったりもしたが、準備は万端かと思われた。
「やればできるじゃないか」
敷地内禁煙のために奔走した事務職員は安堵したことだろう。
改正健康増進法施行後しばらくは、学内で喫煙をする者を見ることはなかった。
「受動喫煙を防止するために必要な措置がとられた喫煙場所」のお陰かとお考えのあなた。
甘い。
運営交付金下位の貧乏大学である東京X大学に、「必要な措置が取られた喫煙場所」を設置する金銭的な余裕はない。
喫煙場所を作らずに7月1日を迎えたのだ。これにはタバコを吸う・吸わないに関わらず、色々な立場の人から異論が出たと思う。
他の大学同様、この大学も7月末には前期が終わり8月からは夏休みが始まる。
タバコを見ないまま夏休みを迎え、そして後期になるのだろう。敷地内原則禁煙は成功したのだ…。
そう楽観視できたのは、7月に入って最初の1週間だけだったように思う。
7月の第2週にはすでに学内のあちこちでタバコの吸い殻を見かけるようになり、第3週には喫煙者をも見かけるようになった。
施行後1ヶ月経たずして、東京X大学では改正健康増進法は形骸化した。
改正法施行前は学内の数カ所に喫煙所があり、灰皿が置いてあった。
喫煙所はなるべく講義室などから遠い場所に設定され、喫煙所に通じる扉は「開放厳禁」とされ、不完全ながらも一定の分煙がなされていた。
非喫煙者からすれば、たまにタバコの匂いがする場所がありつつも、そこに近づかなければ我慢はできるというレベルだった。
一部の喫煙者は喫煙所の掃除こそしなかったものの、灰皿に溜まった吸い殻は進んで捨て、燃えさしの処理もしていた。
しかし喫煙所が廃止された今、モラルは完全に崩壊し状況は悪化しつつある。
もともと喫煙所だった場所は「人目につく」という理由で、一部の隠れニコチタン達から避けられるようになった。
かわりに非常階段や、木々が茂り枯葉でいっぱいの緑地などがヤミ喫煙所として選ばれた。
よく訓練された喫煙者は未だ「元」喫煙所で喫煙を続け、灰皿がないので、その場に吸い殻を捨てている。
さすがに教授・事務職員レベルの教職員は禁煙ルールに従っているようだが、元喫煙所やヤミ喫煙所では、学生のみならず助手や講師と思しき人々の顔を見かける。
敷地内禁煙を訴える張り紙には、居直ったような趣旨の芸術的なラクガキがされている。
喫煙者が開け放った非常階段は煙の吸気口となり、屋内では改正法施行以前よりも濃くタバコの臭いが充満している箇所さえある。もちろん、階段のあちこちに吸い殻が落ちている。
また燃えやすい木材などの陰、枯葉の近くに無造作に捨ててある吸い殻を見かけることもあり、空気が乾燥する時期には失火の可能性もある。
学内のあちこちで狼煙が立ち昇るようすからは、もはや圧政に弾圧されし悲しき殉教者たちより、反体制を胸に秘めたゲリラが想起させられる。
伝聞ではあるが大学としても禁煙問題には頭を抱えていて、たびたび会議の議題にも上がるらしい。
しかし話を聞く限りでは「吸い殻」の方が問題視されているように思える。
「吸い殻が無い = 敷地内禁煙は成功している」ということなのか、いかにも日本的な論理だ。
学内喫煙をたしなめられた喫煙者が「いや、吸い殻は捨ててないですよ!」と慌てて反論しているのを見かけたこともある。
そういう問題じゃないぞ。
実際に国から違反を指摘され罰金を払う、もしくはタバコが原因の火災などの事故が発生するまで、この大学では状況は変わらないだろう。
これは別に組織を批判しているわけではない。何故ならば下で述べるように、問題は大学に止まらないからだ。
施行後3ヶ月が経過し、第一種施設(病院・学校・行政機関)である東京X大学に頻繁に出入りし、改正健康増進法を調べるなかで以下の問題点を感じた。
以下に、詳細を書く。
補助がないと喫煙場所が設置できない懐事情の組織が、実際にある。ここで述べたように、結果として改正法施行前より状況が悪化する可能性がある。
またもう少し積極的に禁煙を推進するような施策を実施しないと、改正健康増進法自体の意味・意義が薄いと感じる。
この法律について、国は要するに「ルールだけ作って、あとは施設の管理者に全てを丸投げ」しているようにか思えない。
厚生労働省などは、この法律の施行にあたりHPに特設ページを設けている※3。施設の管理者に向け改正法をことこまかに解説していて、相談窓口もある。
非常にわかりやすいし必要な情報は一通りまとまっている。一市民として、法律は常にこのように分かりやすくまとめられるべきだと思う。
しかし同時に、施設の利用者向けの情報がほとんどない点も気になった。例えば喫煙場所に不備がある病院を見つけた場合はどうすればいいのだろう?この増田のように、違反者だらけの第一種施設についてはどこに報告すればいいのか?
罰則規定があるにも関わらず、違反者がいた場合の有効な対処方法を考えてないのではないだろうか?
喫煙場所の設置には排煙設備・敷地などが必要だ。組織の規模によっては大きな負担となりうる。施設の管理者側に立てば「滞在中くらいはタバコを我慢できるだろう」と考えたくなるのはよくわかる。
しかし喫煙者のニコチンに対するリビドーを甘くみてはいけない。外を歩いているときに下を向いてほしい。道端に捨てられているゴミのほとんどがタバコの吸い殻だということに気づくだろう。
施設の管理者は「喫煙者のために喫煙場所を用意せねば、必ず環境が悪化する」という認識でいる必要がある。
目先の負担を気にしてばかりいると、長期的には環境維持コストがそれを上回る可能性もある。施設や組織によってはブランドイメージの毀損にも繋がると認識した方が良い(もしブランド力があれば、の話だが)。
もしあなたが東京X大学の学生であり学内喫煙者であるならば、改正健康増進法には罰則規定があること、違反した場合には施設管理者に50万円、違反した喫煙者に30万円の過料が課せられる※4ことを覚えておいてほしい。
学生が払った学費は、いずれ改正健康増進法の過料として支払われることとなるかもしれない。
貧乏大学の学びの環境の悪さを憂う前に、襟を正してみてはどうだろうか。
そしてもしあなたが教職員なのであれば、もう少しちゃんとこの問題に取り組んでほしい。
※1 https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000489407.pdf
※2 中小事業者向けの補助・控除はある。第一種施設については記述を見つけられなかった
※3 https://jyudokitsuen.mhlw.go.jp/
※4 https://www.mhlw.go.jp/houdou_kouhou/kouhou_shuppan/magazine/2018/11_01.html
くだらなくなって来た。
ストリートでは負け知らずの喧嘩屋としてやってきたのに、いきなり総合格闘技に放り出された感じ。
俺は弱いものの味方だった。
俺は「俺らが正義、俺らは強い、俺らが普通」って言うやつにNOを突きつけたかった。
本当の平和はそういった暴力による圧政ではなく、認め合い、高め合い、そう、「愛」だと思った。
ただ、きのこたけのこ戦争はルールのないストリートファイトだったから、「愛」だけでどうにかできない。
たけのこ派は言う「きのこも見た目がクソでなーんにもひねりがない所に目をつぶれば美味しいよね。」
きのこ派は言う「たけのこの里も美味しいよね。クソの中では。」
認め合うように促されたスレでも貶しあった。
勝利もない、敗北もない、ルールもない、失格も正攻法もデータも、なにもない。あるのは混沌だった。
だから俺は何も考えず、戦いに身を投じた。
ただ、踊りたかった。眠れない夜に、何か叫び出したい気持ちをすべてきのこたけのこ戦争に捧げた。
でも、公式がすり寄ってきた。
公式がすり寄ってきた事により、
俺はその秩序の中で踊った。
だが、秩序の中での踊りの結果に、称賛や罵詈雑言があった。そんなもの要らなかった。
気がついたら、くだらなくなっていた。
くだらなくなってきたので、きのこの味方をしていたが、たけのこの里を食べた。
うまかった。
やはりきのこの山に人気がないのは単純にたけのこの里のほうが食べていて楽しいからだと思った。
なるべくしてなった不人気。
分かり合いとか認め合いじゃない。
たけのこの里にはそれがあった。
「香港では圧政に対して民衆が立ち上がっていてうらやましい。それに比べてデモすらやらない日本人ときたら・・・」
これはなんだ?
「ロシアでは少子化対策として出産報奨金が出てうらやましい。それに比べて何もしない日本政府ときたら・・・」
「スウェーデンでは福祉制度が整っていてうらやましい。それに比べて何もしない日本政府ときたら・・・」
諸外国では先進的な政治制度が実現しているのに日本政府が怠けていて実現していない。
それをうらやましがるのが出羽守ってもんだろ。
でも香港出羽守は、持ち上げているものがなんなのかを自分で理解できてるのか?
立ち上がったところだけを見てうらやましがっているんじゃないのか?
それでもどうしても、というなら日本政府に香港の制度を取り入れてもらえばいいね。
期待通り日本人も立ち上がってくれるかもしれない。
英語版wikipedia を参考にするのが良いのではないかと思った。
Cultural appropriation
https://en.wikipedia.org/wiki/Cultural_appropriation
以下要約:
文化の盗用とは、文化の不正流用とも言われるが、ある文化に属する人が他の文化の要素を取り入れることを指す。
このことは強大な力を持つ文化が他の弱小な文化を盗用した際に物議を醸すことがある。
力の不均衡は植民地主義や圧政の副産物であるため、対等な文化交流とは明らかに異なる。
文化の盗用は害悪であると言われる。なぜならマイナー文化とりわけ先住民や植民地下で生活する人々を由来とする共同体の知的財産権を侵害する行為になるからだ。
複数の文化が集まれば避けられないことではあるが、文化の盗用には他文化の慣習、ファッション、言語などを用いることも含む。
批評家によれば、文化の盗用は文化の変容や同化、交流とは異なり、植民地支配の一形態であるとしている。支配国の人が植民地の文化をコピーすることは、コピー元本来のコンテキストの外でその文化を使用することであり、---それはすなわち、コピー元文化の人たちの明確な思いに反している。
大国として襟を正さねばならない。
というわけなので、この件においては
孝謙天皇。
お気に入りの僧侶を後継者にしようとし、それを諌めた者を卑しい名前に改名させるなど、きわめて冷酷かつ感情的に振る舞った。
呂后。
漢の高祖・劉邦の妻。
夫が死ぬと絶大な権力を握り、側室の四肢を切り落として厠に放置、「人豚」と呼んで糞尿を浴びせた。
武則天。
前皇后は四肢を切り落とされて生きたまま酒壺に漬けられ、数日間泣き叫びながら絶命。
アフリカの黒人をアメリカ大陸で売ることで利益を上げて国内の安定を得た。
インドをはじめとして世界中を植民地にして圧政を敷き、イギリス帝国主義の最盛期を迎えた。
650人もの若い娘を誘拐して惨殺、美貌を保つためと称して人肉を食べて生き血を浴び、女性器を切り出して性的興奮を覚えていた。
国内では異教徒を虐殺、対外政策ではコロンブスをはじめとして征服者を援助し、アメリカ大陸から資源を収奪する構造を作り出した。
男性には思いつきもしないような残虐な暴力性が発揮されている。
法的な面で男女同権を推進したリベラル・フェミニズムを越えて、ラディカル・フェミニズムが目指したのは暗黙の圧政を行う父権主義的な保守文化の是正だった。日本的な感覚で言うと、文化ってのはふわっとしたもので責任者が居ないわけだけど、欧米の場合は事情が異なっていて文化の責任者は宗教的な権威、当面の話で言えばローマ法王庁だ。
だからこそ、フェミのある時点のゴールは、法王庁から男女同権を認めてもらうことだったし、LGBTのゴールも法王庁からお墨付きをもらうことだった。日本人からすると奇妙に聞こえるけれど、そこに(当面のではあっても)終着点があるから、権利運動として終わることができた。全員が終わるわけじゃないんだけど、矛を収めるタイミングとでも言うべきものがあったわけだ。
日本には法王庁に相当するような「日本人全体の文化的基調を監督する、お墨付きを与える組織」が、一般的にはない(ことになってる)。だから闘争が終わらないし終結宣言も出せないんだが、唯一それに類似した機関が、東京都青少年健全育成審議会だ。ここは「父権社会がその暗黙裡の搾取精神を持って、あたかも女性が性商品であることを認めるようなみだらな商表現をしてきた」現在を、規制する能力がある組織だ。だから、この審議会で規制を強めれば強めるほど、ラディフェミ的には勝利度があがる。
今は我が国には第二の法王庁があるのだ! 最もこっちの法王庁は女性そのものの権利を保護も推進もしない。(ここではその正しさをとわないが)基本的に表現物を規制するだけだ。しかし、それが日本の学級裁判フェミニズムと最高に相性が良いのだ。ま、そんな東京都青少年健全育成審議会からみても最近規制してるものの多数はBLなんすけどね。
しからばすなわち現今の日本は封建時代先天の日本と、明治時代後天の日本との大激闘の戦場といわざるべからず。(中略)されば今日のわが清鮮爽快なる日本の新天地においてすらなお旧分子の冥々隠々裏りに飛揚跋扈の威勢を逞しゅうするもまたゆえなきにあらざるなり。
抑も明治の維新は、我国未曾有の大改革にして、万国にも殆ど比類なき所なり。封建の制変じて郡県となり、衣冠束帯変じて洋服着用となり、藩兵は変じて鎮台兵となり、孔孟の教衰へて西哲の道行はる。その他、制度風俗より農工商に至るまで、昔日の旧慣地を払ひ、明治の新天地となれり。
このあたりの「天地」というのは「天と地のあいだにあるもの=世界」という意味で、