2019-08-08

きのこたけのこ戦争

くだらなくなって来た。

公式が介入してきたからかな。

自由に戦ってたはずがルールができてつまらなくなった。

ストリートでは負け知らずの喧嘩屋としてやってきたのに、いきなり総合格闘技に放り出された感じ。

 

俺は弱いものの味方だった。

きのこたけのこ戦争大凡きのこ劣勢だ。

からきのこ応援した。

俺は「俺らが正義、俺らは強い、俺らが普通」って言うやつにNOを突きつけたかった。

本当の平和はそういった暴力による圧政ではなく、認め合い、高め合い、そう、「愛」だと思った。

ただ、きのこたけのこ戦争ルールのないストリートファイトだったから、「愛」だけでどうにかできない。

たけのこ派は言う「きのこも見た目がクソでなーんにもひねりがない所に目をつぶれば美味しいよね。」

きのこ派は言う「たけのこの里も美味しいよね。クソの中では。」

認め合うように促されたスレでも貶しあった。

きのこたけのこ戦争」は混沌だった。

勝利もない、敗北もない、ルールもない、失格も正攻法データも、なにもない。あるのは混沌だった。

これはある意味「本物の便所の落書き」だった。

から俺は何も考えず、戦いに身を投じた。

ただ、踊りたかった。眠れない夜に、何か叫び出したい気持ちをすべてきのこたけのこ戦争に捧げた。

一心不乱だった。混沌の中をただ踊っているだけで良かった。

 

でも、公式がすり寄ってきた。

公式がすり寄ってきた事により、

勝利と敗北が生まれた。

ルールが生まれた。

きのこたけのこ戦争に秩序が生まれた。

俺はその秩序の中で踊った。

だが、秩序の中での踊りの結果に、称賛や罵詈雑言があった。そんなもの要らなかった。

気がついたら、くだらなくなっていた。

くだらなくなってきたので、きのこの味方をしていたが、たけのこの里を食べた。

 

うまかった。

やはりきのこの山に人気がないのは単純にたけのこの里のほうが食べていて楽しいからだと思った。

愛だとかそんなもの擁護できる要素がきのこにはなかった。

なるべくしてなった不人気。

分かり合いとか認め合いじゃない。

きのこの山にはそんなものがなかった。

たけのこの里にはそれがあった。

きのこ民はやはりバカだなと思った。

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