はてなキーワード: 原理主義とは
http://anond.hatelabo.jp/20160301145059
たくさんの人々を殺してしまうような加害性や刑務所懲役リスクを憂慮して自動車を運転しなかったり、そもそも自動車自体が邪魔な存在である都会暮らしでそもそも自動車に興味持たない人には
「クルマ買えないんだね^^;」
とヒネくれた決めつけをして
規制速度すら守れない民度の悪さや、安全な車間距離保持義務違反である煽り運転等交通犯罪を指摘されると
「おまえ免許もってないだろ?」
と開き直る。
ザ・田舎者のクルマ原理主義なクルカスって感じ。しかも多数の死傷者を出し続けている犯罪者。
そして大阪・梅田で起きた11人死傷なんかのバカげたテロを起こしたり、速度や車間を守らないが為に追突や玉突き事故を頻繁に起こす。
頭のおかしい奴が頭のおかしいことを書く→それについて突っ込みが沢山入る(当たり前の反応)→そこまで言ってないと言い訳→さらに反応が続く→「この文章痛いとこ突いちゃってる?」
頭悪すぎだろコイツ。無敵論法かよ。追記で色々言い訳する醜態は自身のチンケなプライドが傷付かないように自我を防衛したくてしょうがない、でも同時に反論する者を攻撃したいという必死さと幼稚さが伝わってくる。
正論で返せないから相手を皮肉って自身のプライドだけは守りたいんだろうが、はっきり言って稚拙。皮肉が皮肉になりきれてない。
「この文章痛いとこ突いちゃってる?」←痛いところを突かれて焦ってるのはお前の方だ。不快な感情を何とか合理化したくて相手に投影しようとしてるんだ。
反論と自身の嫌いな属性(おじさん・おばさん)を無意識に結びつけてるのもやはり頭が悪い。反論者がおじさん・おばさんだと確信できる理由は?お前の認知の歪みがそうさせてるんだよ。
ブコメで反応してる人で「規制について一歩も譲歩しない」表現の自由原理主義者なんて殆どいないでしょ。反論者の思考を単純化するのは危険な兆候。ゾーニングや脅迫、名誉毀損とか表現の自由には制限があることを認めてるし、みんなお前が考えてるよりずっと表現の自由について考えてるよ。
俺の目に止まったそこのおまいらにあだ名を付けてやる!
mizchi | ちくわ入りラーメン380円 |
vvakame | アイコン君 |
江添亮 | 磯野波平 |
はむかず | どうぶつの森の精霊 |
cocodrips | 永遠の女子大生 |
NEKOGET | キリ番ゲット動物園 |
hnw | 原点原理主義 |
徳丸浩 | アルソック徳丸 |
chokudai | まじかる☆リズむートくん |
chomado | 松屋の長距離電車オタク |
kazuho | 水素爆弾 |
yamamoto yusuke | 任天堂ルイージ |
koron | 香料官房長官 |
mattn | 大阪の露出狂おじさん |
takata | ジャパネット熱狂信者 |
ichizok | 一族鬼を継ぐ者 |
ujihisa | うじおちゃん |
haya14busa | コンドル中2隊長 |
thinca | ちんこ |
rbtnn | 紅茶りぶとん |
Lindan | グリニッジ標準時 |
tyru | 風間トオルのおっかけ |
shougo | 替え歌製造機 |
osyo-manga | ご隠居様 |
cohama | 横浜 |
yoshiko_pg | そめいよしこプギャー |
zchee | 未来から来たトランクス |
ネットでは特に多いのだが、何かあると「法律では」という人が異常に多い気がする。
社会で生きたことがないのであろうか。
法律でギチギチに決めた社会を現実的に可能なコストで国家が運営できるとでも思っているのだろうか。
以前どこかで読んだのだが、パチンコ店のモーニングに並ぶ列があまり長いということで警察が呼ばれたという話があった。警察はとりあえず「店側に」対応を求めて、挨拶とお願い=という名のイエローカードを渡して帰っていったという話だ。
よく表現規制などでも、法律でという人がいるが、それが現実的に運用できないので、体制でギリギリ運用可能なレベルの業界団体であったり、民間の「自主性」に任せて対応しろという話でしかないのだ。
今回日韓政府間で合意をみた慰安婦問題だが、これに対する日本の左派の反応が興味深かった。
今回の合意に対する日本の左派の反応は大きく四つに分かれると思う。
2 被害者を無視しているので無意味な合意と批判する韓国左派と同じ立場を取る人
3 安倍政権が決断したのではなく、全部アメリカが仕組んだことなんだよ!というアメリカ陰謀論好きな人
この中で一番興味深かったのが4の人たちだ。
4の人たちというのは今回の合意に対する評価をまったくせずに、ひたすら梯子をはずされたネトウヨが怒り狂っているのを笑うだけだった。
twitterで有名な人も何人かこういうことをしていて、なぜ合意の評価をせずにネトウヨ嘲笑ばかりするのか私にはその心理がわからなかった。
彼らは日韓政府の合意に対して「左派における評価」が定まるのをひたすら待っているのである。
上で書いたように、今回の合意に対して日本の左派が取れる立場は難しいものしかない。
合意を賞賛すれば安倍政権を賞賛することになり、批判すれば挺対協といった韓国左派の原理主義的主張になるしかない。
そして合意を賞賛しながら安倍政権を腐そうとすればアメリカ陰謀論に進むことになる。
このように進む道がどれも厳しいために4の人たちはひたすら待っている。
左派系メディアや権威ある学者などが今回の合意に対して評価をくだすことを。
それがない限り4の人たちは合意に対する是非がいえないのである。
自分の頭で評価を下すことはできないが、何か言いたい、言わずにいられない、そんな彼らが出来ることといえばネトウヨを嘲笑することしかない。
今回の件で評価を下さず、安倍政権を批判するネトウヨをひたすら笑う左派ぽい人が結構目に付いたので、奇妙な感じで眺めていたが
例えば、東京の人はよそ者に冷たいとか、道を聞いても教えてくれないとか言われたら、
そんなん人それぞれでしょって反発したくなるもんじゃないですか?
実際、東京にはいろんな地方から人が集まっている(だから聞かれた側も道を知らないかもしれない)し、
同じチャキチャキの江戸っ子であっても、地域によって異なる個性があるわけでしょう。
にも関わらず、なぜか地方に向かっては、いまだにカビの生えたようなステレオタイプが押し付けられ、
時にはテレビ番組なんかで、面白半分に誇張されることも珍しくありません。
これが地味に傷つくわけですよ。
前に増田でも出てましたけど、大阪の人はみんなタコ焼き器持ってるんでしょ、って聞いたら嫌な顔された、みたいなアレ。
元増田です。標語じゃないけれど一番なるほど!!!と思ったのは「出す前って普通確認しない?」というトラバでした。特殊なケースを想定せずに、出す前に毎回確認する癖をつければいいんですよねwww 「一度中折れして密着度が下がったんだろう。」はその可能性もありますが、これも出す前確認で解決。トラバくれた方ありがとうございました。
これも標語っぽく言い換えようとしたけれど、「発射前 ゴムの確認 準備良し」とかコンドーム途中からするの推奨してるみたいなミスリーディングを誘いますよね。「挿入前と発射前、ゴムの確認、あなたの責任」とかかな。色気が無さすぎ、いいの思いつかない。
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標語の方、寄せてくださった方々ありがとうございます^^
「精子一秒、世話一生」
「出した後、気づいたらすぐ病院へ」
1つめは気構えにすぎませんが「注意一秒、ケガ一生」と掛けているあたりがとても素晴らしいですね。中出し志向の人たちに音読させたいです。
2つめは事前に防ぐ話ではないですが、具体的でいいですね。昔は中容量ピル(プラノバール錠2回のヤツペ法)しかなかったと思いますが、最近はノルレボ錠があってそちらの方が女性の負担が少ないそう。どちらにせよ、できるだけ早く対処するのが大事!余談ですが、アフターピルは保険適用外で高く、ノルレボは1万6000円とかしたのですが、これ高校生カップルとかに払えないですよねぇ、フランスでは学校で無料配布とかもされたそうですが http://www.imtcollege.org/information/pdf/081106.pdf まあいかにもフランスって感じで、賛否両論ある施策だと思います。とりあえず緊急避妊に関する環境の整備と知識の普及はもっと必要ですね。
3つめは僕個人へのメッセージということで言えば、特に該当しないです。昔外れた時にググって真剣に対処法を考えたくらいですから、そりゃ標準サイズより小っちゃいからなのかとか一番はじめに考えます。そうではなかったです。そして、一般向けの標語として考えるとちょっと問題が。スターが一番多くついていて、つけた人たちの意図を測りかねたのですが、そもそもチンポでかいって見栄がホモソーシャル的なくだらない見栄であって(しかも見せる機会はあんまりないのでその見栄の機能が謎)、女側にとっては大きさなんて(極端でなければ)どうでもいいっての既に有名な事実じゃありません?その見栄を何かに対して有効な見栄として認めちゃってるように見えるあたりが問題で、有効だと思うと見栄を張る理由ができるので逆効果。
他:
諸君、私はおっぱいパブが好きだ。諸君、私はおっぱいが好きだ。
年間数千万円おっぱいパブに費やしている私だが、おっぱいパブの何がいいのか諸君に教えてあげよう。
私は嬢を呼ぶ時「そこのおっぱいちゃん」と言っている。
りさちゃんを呼ぶ時も「おっぱいちゃん」ゆあちゃんを呼ぶ時も「おっぱいちゃん」である。
これで通じてしまうのがおっぱいパブの素晴らしいところである。
記号論的な話をするとすれば、実世界における「おんな」を呼ぶ場合は敬意をこめて「名前」を呼ぶことが一般的であろう。
「ちょっとそこのりさちゃん」「ねぇゆあちゃん」
その彼女についているおっぱいは、あくまで名前に張りついた属性であるといえる。
『りさちゃんwithおっぱい(Bカップ) ゆあちゃんwithおっぱい(Gカップ)』
実世界においておっぱいを揉む場合には名前のある人に確認をとってから揉まなければならない。なんとも難儀な世界である。
ところが、おっぱいパブは違う。その属性と名前が逆転した世界なのである。
まずおっぱい在りきで存在する世界、それがおっぱいパブである。
このことは純粋性おっぱい批判を書いたおっぱい原理主義者たちにとっては盲点だった。
今度君がおっぱいパブに行った時は、嬢の事なんて気にせず「おっぱいちゃん」と呼び、そこにあるおっぱいを存分に堪能してほしい。
フランスの漫画家ジョアン・スファール Joann Sfar は、シャルリー・エブドに2004年夏から2005年9月まで"Mon cahier d'éveil"(僕の情操教育ノート)という作品を連載していた。
その後、今年1月のシャルリー・エブド襲撃事件を受けて、ハフィントン・ポスト フランス版ブログに"Si Dieu existe" というイラストエッセイを発表。以下はその連載第2回、"Un concert pour Cabu"の日本語訳である。
イラスト部分は実際にハフィントン・ポスト フランス版でご覧いただきたい。
http://www.huffingtonpost.fr/joann-sfar/dessins-sfar-cabu-hommage_b_6658718.html
なお、ページ番号は連載第1回からの通し番号となっている。
これはお葬式じゃない。
13
カブっていう大した奴
いま君は泣いていないけど、それは君が砂漠みたいに乾いちまったからなんだ!」
14
それは本物のイスラム教じゃない。
みんなが正しい、そしてみんなが間違っている。
というのもイスラム教徒は信者をとりまとめる最高機関を持ってないからだ。イスラム教に教皇はいないんだ!
それゆえに独裁者達や過激派は、論破されることもなく、イスラム教を不当にも自分のものにすることができてしまう。
フランスでは、人道的なイスラム教徒を代表する人たちがテロリズムに対して抗議したけれど、その抗議の正当性は、世界的に認められたどれかのイスラム教の機関から来ているわけではなかった。
このところ僕は、「"イスラム教を改革する"必要があるんじゃないか」とみんなが口にするのを聞いている。
数え切れない程のイスラム教徒はいるけれど、彼らが信奉する戒律について、正当性があるのか無いのかを一刀両断で決めてしまえる「誰か」は存在しない。
15
「"バチカンII”ってアラビア語でどう言えばいいんだろう?」
目下のところ、僕は神経過敏になっている。
「もうしたよ」
16
僕たちがその姿を絵に描く権利があるにせよないにせよ、ムハンマドは剣を持ったただ一人の預言者だ。これは圧倒的大多数のムスリムの、寛大で平和な日々からとても隔たりがある。
逸脱した暴力は、この独特なイメージ、武器を持った神の使者のイメージの下に結集しようとしている。
そうだね、改革が必要だ。でも改革をもたらすのは誰だろう?フランスにはそのための充分な手立てがない。イスラム教を和らげるためにムスリムが声を上げるなら、その運動はペルシャ湾岸から起こらなければならないだろうし、そうすれば豊かなオイルマネーを活用できるに違いない。
もちろん、敵は原理主義者だ。そして今日、僕たちの言うことを聞いてもらうには、とてつもないイマジネーションと力強い声が必要だ。
僕はムスリムに心から敬意を表する。今日の暴力の第一の犠牲者はムスリムだ。そして、「コーランが推奨する聖戦は、何よりもまず心の中の悪魔と戦うことだと考えなければならない」と発言する勇気をムスリムは持っている。
それでも自己批判しろという声がムスリムには突きつけられている。
18
僕は、夜明けの光に照らされた雨の中のカブ夫婦の姿を思い出す。シャルリー・エブドの訴訟中のことだった。最後にカブへ挨拶したのは僕の映画の撮影の直前だった。僕たちはオデオンのそばのイタリアンレストランに居合わせたのだった。
僕が最後にヴォランスキと食事をしたのは半年前、サン・ジェルマンだった。
3週間前、僕はおばと会いにリュニベルシテ通りへ行ったのだけど、その時、サン・ペール通りの角で、20メートル離れたところにヴォランスキを見た。彼は僕を見ていなかった。僕は急いでいたので、彼を抱擁しには行かなかった。
19
カブを見る時はいつも連想的に、トレネの歌を聞かなければいけないぞ、と思ったものだ。僕はトレネのシャンソン全集を持っている。フレモー版だ。
「君はこんな時にも自分について話そうとしてるのか」って?
そうさ。ストレスを感じたワンコが自分のキンタマをなめて安心しようとするように、僕は自分のスタイルにしがみついて、昔の手帳に書いた話を自分に繰り返してみなければならない。そこに一つの意味を見つけるために。立っているために。僕はシャルリーをやめた。ハリケーン・カトリーナの日だ。ロマンチックで自己防衛的な理由だった。洪水に沈んだニューオーリンズ、それはもう僕にはひどすぎる出来事だった。
そして僕は私小説的なものやフィクションへ避難しようとして、時事ネタときっぱり別れようとしたが、やり損ねた。
ニューオーリンズの音楽が死んだカブのために演奏されている。それは僕の記憶を呼び起こす。僕は洪水の泥に埋まったファッツ・ドミノのピアノのことを考えている。
21
「シャンソンが好きなのかカブに聞いた。カブは答えた。トレネが好きなのだと。」
カブの友人達はブラッサンスの仲間達に似ている。ヒゲを生やし、肘に革をあてたコーデュロイを着ている。もちろん、彼らは涙で目を赤くしている。彼らは反レイシストの、反狩猟の、反闘牛の、古株の活動家だ。気のいい男子たちで、勇敢な女子たちだ。移民の為に、書類の無い入国者のために、そして誰もがこの国が立派だと感じられるように、彼らはずっと暴れ回っている。
今日、僕は、このとても優しくとても過激な人たちが、警察の活動のおかげで安心させられてしまっているのを見る。
22
マダム・カブは僕に語る。カブはなんでも引き受けて、絵でもポスターでも描いたし本も書いた。ある日彼が罪悪感を感じたのは、フライドポテトの移動販売のトラックの店先に絵を描く時間が無いことだったそうだ。
フレッド・マヌーキアンと楽団は続けてキャブ・キャロウェイの「ミニー・ザ・ムーチャー」を演奏する。
僕に起きる可能性のあること、僕を守ってくれるかもしれないことの中で一番美しいもの――
聴衆に挨拶するや、カブの兄弟がファンファーレを鳴らし、僕はマヌーキアンの楽団とファンファーレにサンドイッチみたいに挟まれているのに気付く。僕が描いているのは、オフィクレイドの音色が僕の真っ正面で鳴った時のエモーションだ。すまない、僕はずっと泣いている。オーケストラのおかげで泣き顔は隠れたから、僕は運が良かった。
P13. カブ Cabu(1938ー2015)、P18. ヴォランスキ Wolinski(1934-2015) いずれもシャルリー・エブド襲撃で殺害された漫画家。
シャルリー・エブドの漫画家達については鵜野孝紀氏のコラムが詳しい。http://books.shopro.co.jp/bdfile/2015/01/bd-19.html
P12.フレッド・マヌーキアン Frédéric Manoukian Big Band のリーダー。
P13.カブの兄弟 Michel Cabut氏。 https://youtu.be/ZX7rZCpl0x4?t=2m23s
P18.「僕の映画の撮影」 スファールの2本目の実写監督作"La Dame dans l'auto avec des lunettes et un fusil"と思われる。2015年夏公開。
P20.「手帳」 スファールはcarnet(手帳)というイラストエッセイのシリーズを刊行している。"Si Dieu existe"は11冊目の"carnet"となった。
P21. ジョルジュ・ブラッサンス Georges Brassens(1921-1981) フランスの歌手。https://youtu.be/84SMQ4Gyz5o
なお、このコンサートはテレビとラジオで放送され、ラジオ音源をFrance Interのサイトで聞くことができる。
http://www.franceinter.fr/emission-un-cabu-extraordinaire-soiree-speciale
今回はスマートフォン関連。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
未来のことは誰にも分からないが、それでも答えるならばNOだ。
理由は大きく分けて二つ。一つ目は、完全な上位互換でないこと。
なぜ上位互換ではないかは、現在ある機能をいちいち語ってはいられないのでザックリ言おう。UIであったりその機器のデザインが、それぞれの機能を利用する上で最適化されていない、といったところだ。
あらゆる機能を有効に使えるよう想定してデザインすることは物理的に不可能だからな。それでも便利だと感じるのは、他の用途などもその機器で行えるからだ。要は、多機能なものは多機能であることそのものがウリなわけだ。
二つ目は、日常のほとんどの事柄を一つの媒体に依存すると、それが何らかの理由で使えないときのギャップが激しいから。
想像してみよう、スマホ(フォ)がなくなった。さあ、どうする。普通は、どうもしない。スマホ(フォ)でできることは大抵、他にも手段があるか、できなくても困らないことだからだ。それで困るというのなら、それは君がその媒体に依存しすぎているからに他ならない。
もちろん、君はその媒体が紛失したり、或いは故障やバッテリーなどの問題で使えないように努めるだろう。でも君がそうするのは、それが使えなくなると困るからだ。
代替手段もあり、実際の所はできなくても困らないことがほとんどであるにも関わらず、だ。それを「依存」といわないのならば、私から言えることはもはや何もない。責めているわけじゃない、便利なものに依存するのは人の性だ。大事なのは、それがないとき君はどうすればいいか、ということだろう。
……「なくならないようにする」?
おいおい(汗)
依存しているつもりはなかったが、後で気づいたパターンはあったね。少し前に、ここ匿名ダイアリーが利用できなくなったときがあってな。そのときは、サイトそのものはアクセスできても投稿されたページが見れない状態だった。普段ここのサイトを利用しない人は、ホッテントリに上がった記事を、個人が消した程度にしか思わなかっただろうな。
私は焦ったよ、ここで書いた記事はその時点でこのシリーズ含めて結構な数になっていたからね。それがなくなったと思ったとき、喪失感がなかったといえばウソになるな。
電車の待ち時間にやるスマホ(フォ)ゲームみたいなものだと思っていたが、意外と依存していたんだな。……いや、この例えだと結局は依存しているのか。
もちろん電話だ。
……いや、だってスマート「フォン」って“telephone”の略、つまり「電話」だろ?
懐古主義だとか原理主義だとか、そういうことじゃないんだ。「そもそも」を割と本気で忘れている人が多いから、改めて言ってみただけだ。つまり君が学ぶべき教訓はこうだ、「当たり前を、疑え」。