はてなキーワード: ベロンとは
物書き……というより脚本を書くような仕事をする事がある(ぼかし)けど、田舎の人間を描く事ができない。
最近の増田を見てても思うけど、どう頑張っても田舎と都会の人間の精神性は遠い。
自分がどれだけ田舎に旅行に行っても、田舎の友人を作っても、田舎に関する文献を読んでも、多分一生わからない。
物語に置いてはより色々な人物を表現できる方がいい。その上で特殊な仕事、例えばヤクザとか、医者とか、画家とか。そういう特性を持った人物って世の中の大多数なわけではないから、多少脚色してもバレないものなのだ。
医者が医療ドラマを見てこんなのあり得ないでしょ!という事はあるんだけど、大多数は医者ってこんな感じかな、と適当に思ってくれるわけ。
ただ田舎の表現はそうはいかない。田舎の人間は多い。田舎特有の空気を適当に都会の人間が表現してもすぐバレるのだ。
田舎から上京してきた22歳男性、とかも描けない。ものすごく物語という物体に適合する属性だと思うんだけど、田舎から上京した時の気持ちがわからない。田舎から上京した増田を読んでも本質的に理解できない。
描けない上に理解もできないので田舎や田舎者を舞台にした創作物も多分正しく摂取できてない。田舎から上京してきた友人はサマーウォーズを観てベロンベロンに泣いていたが自分はもう全然わからなかった。
そういう訳で僕がストーリーを構想する時にはどうしても都会人を主役にするしかなく、まあそれでも問題ないっちゃないんだが微妙にバリエーションを得られないなあと思う事があるのだ。逆に田舎の人は都会人の哀愁を描けなかったりするものだろうか。渋谷に居ると空っぽを感じる、のような。
すごく長いよ。
私と姉は、もともとかなり仲の良い姉妹だったと思う。
私は姉のことが好きだったし、姉もなんだかんだで私のことを可愛がってくれてたし。
姉と姉の友人、あと私の3人でディズニーランド行ったこととかもあった。
あの日までは。
姉には長年付き合っている彼氏がいて、まあ中身は良い人なのかもしれないけど、恋愛経験の少ない当時の私にとっては、結婚適齢期の姉と付き合いながらも5年も6年も結婚に踏み切らないなんてケジメのつかねえ男だなあとしか思えなかったし、よく姉が部屋で彼氏に電話しながら泣いていたのが聞こえていたので、お姉ちゃん可哀想だなって思っててあんま彼氏に良い印象がなかった。
そんなある日のことだった。
近所のスーパーから帰ってきた母だか父だかどっちかが「姉ちゃんの彼氏が女の子たくさん連れてスーパーにいた」と言ったのだ。
よく考えればなんかそういう女子比率めっちゃ多めな集まりとかだったのかもしんないけど、今までの経緯もあり、たちまち私の姉彼への好感度は他に落ちた。
それから少しして、なんだかんだありつつも姉と姉彼は本格的に結婚が決まったらしい。
でも私は不安だった。
今までの姉の、彼氏と接するときの情緒不安定さと、なんとなく信用できない姉彼の振る舞いを見ていて、この結婚上手くいく気しねぇなあとしか思えなかったのだ。
ちなみに当時、私にも結婚の話をしている彼氏(現旦那)がいた。
……で、馬鹿な私はうっかり彼氏に「姉と姉彼の結婚に対する不安」「姉への愚痴」をぽろっと愚痴ってしまったのである。
そしたら彼氏の奴め、酒の場でベロンベロンに酔っ払った時に、私から聞いた姉と姉彼の愚痴を誰かに言ってしまったらしい。
(彼氏本人は言った記憶ないと言ってるけど、姉は「お前の彼氏が言ってた」と言ってたようなので多分そうなんでしょうな)
……そして運が悪いことに、その宴会場にいた誰かが姉の知人だったらしく、その人から姉へと「姉及び姉彼への愚痴by妹」が行き渡ることとなる……
そしてそのすぐ後に私も結婚することになったのです。
……そのことも気に食わなかったのかな。
そして私の結婚後数ヶ月が経った頃のこと。
姉より「嫁に行ったんだから実家に帰るときには親に連絡くらいするべきだと思います。親も迷惑していると思います。あなたには常識が無いんですね」みたいなLINEが届くようになり(怖くて見返せないので内容は曖昧です)、私は布団に潜って震えました。
もともと実家とは近所だし、私は母と仲が良くちょいちょい連絡を取り合っていて、その中で「今日行っていい?」「ええよ」みたいな感じの話が出て気軽に実家行くという流れが普通だったんで、あんまり自分が常識外れなことをしている意識はなかったので余計に怖かった。
その一件を経て、それまでは「私にも悪いところがたくさんあった……お姉ちゃんに申し訳ない……」という気持ちだったのが、「おー嫌われてんなぁ私…怖いわぁ…」という印象になってしまいました。
でも姉たちにはまだ子供いなかったので、周りからは姉たちについていろいろ聞かれたりしてましたが(つーか、いつ子供作るとか夫婦の勝手じゃない?アレ詮索するやつ何なのマジで?)、「あー、お姉ちゃんたち共働きだし仕事忙しいからじゃないっすか?(適当)」とぼんやり誤魔化していました。
そして私は両親に妊娠を告げました。
姉には先述のLINE事件から一度も会えていなかったし、直接言うの怖かったし親から伝えておいてくれるってことだったので親に言伝を頼みました。
で、時は流れて私は出産しましたが、案の定姉は出産見舞いに訪れませんでした。
少し寂しさはあったけれど、まあ私もあんなことしちゃったわけだし仕方ないよなと思いました。
(ちなみに姉旦那は産後お見舞いに来てくれた。親戚付き合いするうちに分かったけどパッと見ちゃらそうに見えたけど良い人だった。今までごめんね姉旦那氏…)
それから2年の時が経ち、娘は2歳になりました。
いまだに娘は姉と会ったことがありません……
年賀状も来ません。
盆暮れも会えません。
私は母の姉と兄にすごく可愛がってもらってきたので、自分の過ちで「娘が伯母に可愛がって貰えない状況」を作ってしまったことが申し訳なくて仕方ない。
そして私は現在第二子妊娠中なのですが、きっとこの子が生まれても姉は私と会ってくれることはないでしょう。
むしろ今回、姉は私の妊娠についてすら知らないかもしれません。
この経験を通して、私は人生ってのはほんの小さな軽率な行動で思わぬ方向性に進んでしまうんだということを学びました。(小並感)
あ、でもホントにイヤなヤツとは縁切っていいんだよ!
ここに縁切られたやついるからね!
自信持って縁切れ!!
機械や技術的なトラブルが起きると、その時集まって来れる人達が
わらわらとやってきて、あーだこーだ言いながらそのトラブルを解決する為に話し合いを始める。
皆その時が、何だか1番楽しそうに見える。文化祭的な雰囲気がある。
その場に行ってみるが、当然何も分からない。
そんな時、その時起きた問題を丁寧に分かりやすく教えてくれるのがMさん。
終業時間になると「じゃあ行くか」とMさんと僕は近くの焼き鳥屋に行き、
飲みながらその問題を教えてくれる。
「今日のはね……」
Mさんは楽しそうに話す。ビールを飲みながら、焼き鳥を食べながら、楽しそうにその問題について話す。
気が付くと2、3時間経っていて、Mさんはいつもベロンベロンだ。
僕は飲めないので、いつもそうなったMさんを家まで送り届ける。
○ご飯
朝:なし。昼:素麺。納豆。夜:冷しゃぶとレタスとネギと大根おろし。間食:じゃがりこ。歌舞伎揚。(同じ食事を繰り返すのが好きなの)
○調子
○グラブル
まずはサイドのガチャチケ回収ずいぶんサボってたのでたんまり入手。
次に、マグナ石5凸に向けて六龍の準備。
まずは土のガレオンのソロの方。スロウ、ディスペル、マウント、リスキャの短いデバフが大事みたいなので
ウォロジータ 、アンチラ、ティアマト、研究の成果さんの杖パで攻略。
V2の仕組みがわかって無くて事故ること数回、無事クリアできた。これは装備よりもキャラが大事だなあ。奥義ディスペルと消去不可デバフとベホマズンのアンチラ、回復とスロウとマウントのティアマト、研究の成果とスロウとディスペルのユリウスと、高難易度適性が凄まじくとても安定してプレイできた次に水のクラゲさんに挑戦。ランバージャックジータ、マキラ、水着ヴィーラ、浴衣ジェシカの回復マシマシパで攻略。
ジータのゼノウォフ琴奥義、マキラのポーション、水着ヴィーラの2アビ、回復いっぱい持ちの浴衣ジェシカと全員回復持ちなのに加えて土はゴブロ刀と両面マグナ石でHPが伸びるのでとても安定してクリアできた。限定たくさん入れてるだけあってここもキャラパワーかしら。
もう別れて4年経つ。
彼の事は別れた後半年くらいはちょこちょこ思い出したりしていたけど、だんだんと思い出す回数が減って、この2年くらいはすっかり忘れていた。
そんな彼といきなり夢で再会した。
夢から覚めた後、ぼけーーーっと思い返してエモい気持ちになったのでここにひっそりと書き残しておく。
彼とは大学で知り合い、社会人2年目の夏くらいまでの2年くらいをパートナーとして過ごした。
午前中の授業が終わり、即荷物をまとめ、駅まで続く坂を下っていたら、突然後ろから「ねえ!」と声がした。
あ、なんか落としたかな?と思って振り返ると、小走りで坂を下ってくる彼がいた。
「ねえ、歩くの早すぎない?」と妙に馴れ馴れしく声をかけられて私はちょっと嫌な気分になった。
「何か落としました?」と質問を無視して問いかけると、彼は笑って「いや、そんなんじゃないけど。あなた増田さんでしょ。」と答えた。
全く知らない人だったのでなぜ私の名前を知ってるんだ...?とかなり怪訝な顔をしたら、「俺、前にゼミの合同発表で会った事あるもん」と聞いてもないのに教えてくれた。
彼は私が何か言うよりも先に「明後日、授業終わった後にランチ行こ!」と誘ってきて、私が「え、あ、うん」とか何とか言ったのを確認して、坂を駆け上って行った。
私は坂を下りながら、呆気にとられるとはこの事かーなどと考えていた。
当日、私は知らない人とランチに行くのがめんどくさくて何とかしてバックレようと試みたのだが、あっさり大学構内で捕まってしまい、彼とランチをすることになった。
ほぼ初対面の人とはいえ、同じ大学に通う同学年の人なのでそれなりに共通点があり、ランチは案外盛り上がったような記憶がある。
ランチの後もなんだかんだと飲みに誘われる事が多くなり、気付いたらベロベロに酔っ払ってホテルに入っていた。
もう今となってはその時の行為がどんなだったか全然覚えていないが、お互いベロンベロンに酔っていたので適度な積極性もあり、それなりに満足できるものだった。
翌朝、駅まで歩いている時に手を握られて、付き合おうか的な事を言われた...気がする。もう覚えてない。
付き合いだしてからは本当に楽しかった。当時私は一人暮らしをしていた。彼は実家に住んでいたので、必然的にうちに入り浸ることが多くなり、一緒に買い物して晩御飯を作ったり、夜中に5km先のコンビニまで散歩したり、朝から晩までセックスしたりと楽しい事この上なかった。
私は彼のまっすぐな所や、どんな人も大切に扱う所、悔しい思いをしてもなにくそと強くなれる所が好きだった。
それに、晩御飯を作りながら飲むビールの美味しさや、煙をもくもく浴びながら焼き鳥が焼けるのを待つ時間のワクワク感や、駅の改札まで傘を持ってきてくれた時のキュンとした気持ちを、私が感じるのと同じくらい、幸せだと感じてくれる所が愛おしくてたまらなかった。
私が好きそうなカフェ、お気に入りのバー、彼の両親がプロポーズしたという思い出のレストラン、幼い頃から通ってる汚いラーメン屋、高校生の時初めて挫折を経験して男泣きした公園の東屋。彼が色んな場所でいろんなエピソードを教えてくれるたびに、彼が私を信頼してくれているのが分かって嬉しかった。
一人暮らしのマンションを引き払って、空港に行くまでの道中、彼が私の手を確かめるようにずっと撫でてて、それが切なくて涙が自然と溢れた。
飛行機に1人で乗り込んだ後すこししたら彼から「右ポッケ。」とLINEが来た。右のポッケには小さく折りたたまれた手紙が入っていて、「遠距離になっちゃうけど大丈夫。離れていてもいつも側にいるのを忘れないで。俺は君のことをずっと応援してるけど、本当に辛くなったら全部投げ捨ててもいいんだからね。」と書いてあった。
今思うとやけにドラマチックだな〜〜とそわそわしちゃうけど、当時はそんなこと1ミリも思わなかった。ただただ一番大事な人が近くにいない状態で新しい生活が始まるのが悲しくて切なかった。
お互い社会人になったけど、毎日LINEのやりとりは欠かさなかったし、電話もほとんど毎日した。予定が合えばビデオ通話で一緒に発泡酒で乾杯して、寝落ちするまで平気で5時間とかやってた。お互い実家だったからできた所業とも言える。
月に1回くらいのペースで会いに行ったり、来てもらったりして、なんだかんだで良い関係を続けていた。
そんなある時、私が浮気を疑われた。しかも割と細部まで知っているようだった。
実際のところ、際どいところまでいったのは事実。しかも酔っててあんまり覚えてない。状況から判断すると明らかにクロだけど、私は必死に否定した。
彼が私のスマホを盗み見したという所を執拗に責めて、論点をずらしてごまかした。
彼は一応というか一旦は水に流す、と言ってくれた。だけど、この事件から明らかに私たちの関係はうまくいかなくなった。
LINEはするけど、どこかよそよそしい。写真つきのLINEがほとんど来ない。私と会いたがらないし、愛してるとか好きとか言わなくなった。
私は2週間くらいかけて「あ、これもうダメなやつ」と理解した。
浮気を疑われるような事をしたのは私だし、もう私がどうあがいても関係が修復することは不可能に近いな、と。
それを悟ってからは、LINEするのを辞め、Twitterやインスタもログインすらしなくなった。とにかく目の前の仕事に没頭して、家にいる時間も勉強に費やした。
そして、1ヶ月くらい経った時、自分から彼に「会って話したい事があるので時間をください」とLINEを送った。
もちろん、私は彼と別れるつもりだった。浮気まがいの事をした自分をもう一度信頼して欲しいなんておこがましいと思ったから。
久しぶりに会った彼は前に会った彼と同じで、お気に入りのカフェで仕事の事とか季節の事とか、当たり障りのない事を話して緊張をほぐした。
私が別れを切り出した時、彼は私の提案に答える代わりに、椅子から立ち上がり、ひざまずいて「結婚してください」と言った。
彼の手には指輪の箱があり、中には一粒ダイヤのリングが光っていた。
しばらく状況が飲み込めなくて、10回くらい「え?」って聞き返した。
彼は椅子に座りなおして、封筒を私に渡した。封筒の中には婚姻届が入っていて、彼の書く欄は全て彼の直筆で埋まっていて、捺印もされていた。
別れるつもりでいたのに、まさかプロポーズされるとは。夢にも思っていなかった。
いざプロポーズされてみると、やっぱり嬉しくて、私は「私でよければお嫁さんにしてください」と泣きながら答えた。別れるつもりだったのにね。
私は彼と連絡を取っていなかった数週間の間になぜか上司に認められてしまい、数ヶ月後から新しいプロジェクトに投入されることになっていた。
これまで1年目の社員にこんなチャンスが来たことはないらしく、部内でも若干どよめきが走ったくらいだった。
そのプロジェクトは海外出張も多く、仕事に忙殺されることが予想された。
この仕事は私が入社前からやりたいと思っていたことそのものだったので、私は二つ返事で快諾した。
いざその仕事が始まってみると、家は帰って寝るだけ。休日は半分仕事で半分勉強しないと追いつかない。
毎日できていたLINEも出張やら会議やらでまともにできない。予想はしてたけど、その何倍もハードだった。
もちろん彼にはそのことも伝えて会ったし、彼も理解してくれてはいたけど、だんだん距離が離れて行った。
私がやばい、と思った時にはもう遅かった。
仕事の合間を縫って会いに行っても、無言でドライブ。険悪な空気のままホテルに入って前戯もなしのセックス。もちろん嫌だって泣いて訴えても力で押さえ込まれる。
彼の友達を交えてBBQをしても彼は私を放置して友達と遊びに行く。
存在そのものを無視されているのが手に取るように分かって辛かった。
最後は私も耐えられなくなって、弁護士に相談して社会的制裁を施して、ぐちゃぐちゃになったまま終了。
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別れて4年経った今思い出すのは、私の人生で一番好きだった人との幸せな思い出と、一番憎かった人とのぐちゃぐちゃの修羅場。
もし人生で一度だけやり直すことができるなら、浮気騒動の前に戻りたい。本当にあれは私が悪かった。あれからお祝いの席以外ではお酒飲んでない。
生理は大して重くありませんでしたし生理前も何も感じませんでした ただ面倒だったので1ヶ月2000円で回避することにしました
休薬期間には消退出血という生理に似た現象が起こるので、それも避けるために休薬はほぼしないです(詳細は後ほど)
低容量ピルのノベロン/マーベロンを安心通販マートで買っています 偽物だったらどうしようか少し心配でしたが実際に生理が来なくなったので本物と思われます
血液検査は献血なら無料でできますが私は注射が怖いのでやっていません
もちろん婦人科などで受けてもいいです
気分や体調の変化は感じませんし体型も恐らく変わってないです 性欲が落ちると聞きましたが残念ながら飲み始める前を覚えていないので比較できません
急に飲み始めると吐き気などの副作用が出るらしいので最初はカッターなどで一錠を4つ割りにして朝晩ひとかけら飲んで一ヶ月慣らしました
(つまり1日1/2錠ですね)
副作用はありませんでした
この慣らし期間の避妊効果は無いので(試した人はいないと思われますが、無いと言い切れるでしょう)気をつけてください
慣らし終わった後も2つ割りにしてひとかけらを朝晩飲むようにするとピルの血中濃度が激しく上下しないのでいいです
ピルの仕組み
妊娠中は生理が来ませんし、子宮が満員なので精子が通せんぼされて入れなくなります
ピルを飲むと体が妊娠中と勘違いするので生理がなくなり避妊もできるのです
つまりピルは妊娠避けの薬というより妊娠済み(偽)の薬であるといえます
ふつうは21日飲んだら7日休薬して消退出血 つまり普通の生理周期と見かけ上は同じになるように飲むとされていますが
先ほど言った通りこれは妊娠の真似事なので実は28日周期にする必要はないです 実際ヤーズフレックスなどは90日周期です
これはピルの開発者も当然知っていましたが、自然な生理周期に合わせないと文化的に受け入れられないと考えわざわざ休薬期間を入れたと聞きました 真偽はわかりません
私は28日周期ピルを自己判断で半年に1週間程度しか休薬せずに使っています 健康的には良くないかもしれませんが日数計算がいらなくて楽です
あなたもそれなりのお金と健康があれば生理なし生活を試してみてはいかがですか
http://finedays.org/pill/index.html
お世話になったサイトです
外灘あたりのバーで友人らと飲んで午前1時。1人先に帰ったんだんだけど、その時使ったタクシーが偽タクシー、通称クローンタクシーだった。実際のタクシーでよくある車種の車をタクシーと同じようにペイントしたり、もしくは使われなくなった本物などを調達してきて、タクシーメータもこれまた中古の本物をどこからか入手し搭載したものである。このメータが曲者で、本物同様に領収書が発行されるのだが、その金額等を運転手が自由にいじれるようになているのだ。
20分ほど乗って請求された金額は確か300元ぴったり。ベロンベロンに酔っていた私は「あー、5千円くらいかー。まぁそんなもんだよなー。」等と思いつつ上機嫌で領収書を受け取り、つたない中国語で運転手にお疲れ様ですなどと挨拶したりして帰宅。
家のトイレでゆっくりと考える。「…いや、300元はありえなくない?」そう、博識な読者ならご存知かもしれないが、上海の端から端まで1時間乗っても200元いかないくらいである。騙されたー!
翌日、地元民の親切な同僚が領収書に記載のタクシー会社に電話してくれて、存在しないはずのタクシー、つまりクローンタクシーであることが分かった。ナンバープレートなどは覚えていなかったので、もう泣き寝入りである。
ところでその領収書であるが、確かに料金は300元になっているのだが、乗車時間や降車時間はいじられていなかった。また、料金と距離との計算式もいじっていないらしく、乗車距離がなんと180 kmになっていた。時速540キロ!上海リニアより早いじゃねーかやるならちゃんとしろよ!
2019年6月5日、元号が変わって1ヶ月経ったところで対した代わり映えのある日常に変わったわけでもなく、常にニュースではいつ歩いている道路に突っ込んでくる自動車に対してどう対処しなければならないとか、年金もらえないから2000万円貯めなければならないみたいよとか、沈みゆく日本を眺めるだけ、みたいな話題で持ちきりのなか滅入っている毎日で、今日も眠れず丑三つ時、という状況に飛び込んできたTwitterでの新聞記事のキャプチャ画像。
少し睡魔が近寄ってきてさあ眠ろうか、といった寝ぼけ回路には刺激の強すぎる文字列と、ワンショット×2の何ともミスマッチなコラージュ画像。いや、ミスマッチどころか接点を探すほうが難しいくらい予想の外に飛び出した男女の組み合わせ。そこには「山ちゃん 蒼井優 結婚」と、強い単語が3つ、並んでいた。
「夢なんじゃないだろうか」。とっさにそう思い、眠気もあったことでその場はすぐ床についた。だけど混乱する頭はそうさせてくれなかったのだろう、午前4時半、再び目が覚めてしまった。そしてTwitterを開くと、更に新聞記事を詳しくキャプチャーした画像が多数出回っていて、「あ、やっぱりウソじゃなかったんだ」、そう理解することができた。「しずちゃんが恋のキューピッドなんだ」「そういや山ちゃんアンジュルムに軽ハマりしてたな」「っていうか交際2ヶ月って」みたいな浮ついた感想しか出てこなかったけど、両者のファンである自分には嬉しかった。特に、山ちゃんがこういうふうに幸せを掴むなんて。予想もしなかったし、考えうる未来の中で最上級の結婚相手を見つけたんじゃないだろうか。そんな失礼すぎる思いが頭の中を一杯にしてしまった。山ちゃんが掴んだ現実の話なのに。
そこからは普通の日常、仕事へ向かい、昼食を済ませ、お茶を濁して、帰路へつく。
だけど頭の中は山里亮太&蒼井優カップルのことで一杯で、「スッキリの天の声はさほど多くは語らなかったらしい」「会見が夜にあるらしい」「そういや不毛な議論も今日だ」とか、わずかの情報も入ってくる中、どうにか一日かけて頭の中を整理していった。
そうして帰宅し、AbemaTVでの微笑ましい会見を観て、芸能人の反応をチェックし、ベロンベロンのしずちゃんとそんなつもりで来たわけじゃないaikoがゲストだった不毛な議論を聴き、激動の2019年6月5日が終わった。
そういた一日を終えて、お似合いなふたりに見えてきた夫婦の顔を思い浮かべてこの文章を書いている。
山ちゃんはその日の最後の仕事である自身のラジオ、山里亮太不毛な議論のラストで泣いた。嗚咽混じりでリスナーへの感謝と共に泣いた。
自分は山ちゃんとは同じ中年男性ではあるけれど根本的に異なる存在だ。圧倒的に山ちゃんのほうが出来る存在だし、本来ならばモテて当然の男でもあるし、女優が奥さんでも決して見劣りしない一流の芸能人であり、そもそも残念だと言われたのは顔面と卑屈な性格だけなのだ。
だけど一つだけわかることがある。それは「非モテ」という名の呪いのことだ。
「非モテ」という呪いは恐ろしい。その呪いは自身の幸せを否定してしまうものであり、ひとたび呪われてしまったら自身のアイデンティティとなり、こびりつき、恋愛というものが世界と無縁であるように自然と自分から遠ざけてしまう。
山ちゃんはラジオで言った。「実は僕、結婚はすごく悩んでて、というのもラジオでずっと逆の人生の話をして、妬んできてて、幸せになることがあんまり良くないかなと思って、結婚するのが、怖くて」。
この言葉を聞いて涙が止まらなかった。「非モテ」にとっては「幸せ」になることは自身を否定してしまうことだ。誰かを愛すること、愛されることは、同じ「非モテ」である同士を裏切ることだ。
冷静に考えればそんな事無いし、そんな事思っているのは自分だけなのだろう。だけど「非モテ」という呪いはそんなバカですら分かることすら分からなくさせてしまう呪いなのだ。
かつて山ちゃんは友人であるオードリー若林、西加奈子と出演したボクらの時代でこう話した。「俺の走っている燃料が、妬み嫉み恨み辛み怒りだったら、彼女なり結婚なりというのはそれを消し去るものなんじゃないか」。まさに呪いだ。だけどそんな山里(もしかして若林にも向けているのかも)に西加奈子は言う。「うちらは『いや、みんなで愛し合って慈しみ合ってハッピーで、でもいいものを書ける』ってのを証明しようと思う」「大丈夫、結婚しても幸せになんないから」。
つくづく山ちゃんは幸せな環境に恵まれた人間だと思う。彼の周りには彼を肯定してくれる友人が多く存在する。彼にかけられた呪いを無かったことにしようと動いてくれた人達が存在する。だけどその環境は決して用意されたものでも、偶然現れたものでもなく、彼自身が作り上げたもので、その環境含め「山里亮太」の一部になっている。
もし、コンビ仲が最悪な頃、相方のしずちゃんが出演したフラガールで蒼井優と共演することを阻止してたら、コンビ仲が最悪のまま、南海キャンディーズとして漫才を続けることを拒んでいたら、不毛な議論で自身の幸せを信じるリスナーとの信頼を結べていなかったら、未知の仕事であったテラスハウスの仕事を受けなかったら、きっとこの未来にたどり着かなかっただろう。
しかし、この文章を書いている自分には未だにこびりついている呪いであり、現状、それを打破できる環境は作り上げられていない。
けど、山ちゃんの結婚で「非モテ」なんていう呪いのせいにすることはやめようと思う。そして、そんなきっかけを作ってくれた山里亮太、蒼井優、そして山里亮太を構成する周りの方々に感謝します。
嘘のような本当の話だ。
昨日の人気エントリーに入っていた研修医2年目の子の話https://anond.hatelabo.jp/20180630150652を読んで俺も書こうと思った。これは俺個人の意見だから、外科の先生みんながそう思っているわけじゃない。だから批判するなら俺だけにしてほしい。
俺のころはまず初期臨床研修制度ってものがなかった。2年間いろんな科をローテーションするってやつがなかった。だから当時俺たちは卒後すぐに診療科を決めなくちゃいけなかった。俺は家が病院ってわけでもなかったから、何科に行くのも自由だった。だからこそ悩んだよ。だってまだ俺その時25才だぜ?25才で一生やってく仕事なんてそんな簡単に決められねーよ。学生時代に2週間ぽっち診療科をグルグル見たってさ、たった2週間だぞ、そんなんで決められねーよ。
でさ、悩んだ挙句俺は呼吸器外科に入ったよ。入った理由はさ、バスケ部の先輩にグイグイ引っ張られてっていうただそれだけ。2個上の可愛がってくれた先輩が「外科はおもしれーぞ。俺んとこ来いよ」って飲み会の席で肩に手を回してきて「外科はいいぞ、毎日楽しい」って言うもんだから酒の力もあって俺は入局宣言した。でも別にこれは今でいうパワハラなんかじゃなかった。嫌ですって断ったらきっとすぐ解放してくれたろうし、何よりその外科を語る先輩がすごく楽しげだったんだよ。
入局してからはさ、毎日忙しかったよ。でも楽しかった。最初のころは丁稚奉公みたいな感じで上の先生のアシスタントとしてちょこちょこ術野を動き回ってた。外科系は体育会系の熱いやつらが多くていっぱい叱られたよ。でも仕事が終わった後医局でたまに開かれる飲み会はいつもベロンベロンになっていた。みんな外科が好きで、いつもこの前ああ切った、あの時もっとああすればってのを酔っぱらいながら話すんだ。うちのとこは教授もガンガン術野に入った。雲の上の存在だと思ってた教授だったけど術野で隣にいると不思議と距離が近いように感じたよ。教授が大事にしている日本酒をこっそり講師の先生が出してきて飲んだのもいい思い出だ。
外科のいいところは昨日出来なかったことが努力次第でできるようになるところだ。最初は教えられた外科結びを先輩に遅せぇなぁとからかわれながらやっていた。でもやればやるだけ少しずつ速くなる。今ではすっかり俺も教える側でからかう側だ。
術式もどんどん新しくなっていく。より侵襲が少なく、より速くに進化していくんだ。今は開胸よりも今は胸腔鏡手術が主要になってきた。胸腔鏡手術…VATSっていうのは胸に2,3cmくらいの穴あけてそこから細長い鉗子やカメラを突っ込んで、画面見ながら手術するんだよ。すげぇよな、胸開かなくていいんだぜ?俺も初めてやった時、すげぇな、本当に面白れぇなって思った。群馬大の腹腔鏡手術の件は医局でも結構話題になった。やっぱり腹腔鏡とか胸腔鏡ってのはすごく難しい。一朝一夕でどうにかなるもんじゃない。俺のいる大学病院は週3回、大体一日2件手術があるけど、自分が入る手術はその半分くらいだ。それだけの手術じゃ上手くなりようがないから時間外にトレーニングルームに籠って練習する。でも努力した分今日やったことが明日はもっと速く、正確に、できるようになる。だから俺は結構好きだし他のやつらも結構好きなんじゃないかと思う。
たださ、若いやつらはどうなんだろうな。外科系は肉体的にキツいってのは本当だからさ。俺の所属する呼吸器外科はまだ手術時間は短い方だと思う。大体3~4時間だ。胸膜の癒着とかあれば6時間とかになることもあるけれどそんなのは大したことじゃないさ。心臓血管外科や脳神経外科なんて1日術野に籠りっぱなしだ。中には椅子がなくて座らずにサポートする先生もいる。昼食休憩や交代はあるところはある、ないところはない。だから外科の先生は基本的に痩せているよ、食う暇がないから。
実習生や研修医はそれを見て外科に入りたいって思うのか、心配だった。俺のころとは随分違って彼ら彼女らは吟味する時間が十分に与えられている。外科を選ばなくていい理由なんか山ほどあるんだ。眼科・耳鼻科・皮膚科・泌尿器科のようなマイナー科の誘い文句は「内科系の管理も外科系の手術もうちの科は出来ますよ」だ。内科業務の合間にちょっとした手術もなんてまさにいいとこどりで魅力的な話だと俺も思う。眼科の白内障の手術なんて30分ごとに患者交代で1日10件もやれる。
次に俺たちは思っている以上に開業が難しいってことだ。体力が落ちてきたら町医者開業って未来がない。いくらVATSが出来るようになっても医局や大病院を出てしまえばそんな手術できない、器具も設備もオペ看もないからな。その点内科やマイナー科は忙しい業務が辛くなれば辞めて開業して悠然と働けるじゃないか。賢いというか自分の将来を見据えている学生や研修医ほど外科を選ばない時代がきているのだと思う。
俺の奥さんは専業主婦で家のことは全部やってくれている。俺はひたすら手術に打ち込んでて家事や育児をそこまで手伝ってあげられなかった。それでもうちの奥さんは優しくて毎日アイロンの効いたシャツを渡してくれるし、息子は息子で部活のことをそこそこ話してくれる。家族に恵まれたと思う。本当に感謝しているよ。だから、もし俺がもう少し忙しくなかったら家族にもっとしてあげられることがあったんじゃないか、と考えることがないわけじゃない。
成績順で上から決まってくアメリカと違って日本の医師は自分の希望する診療科に就くことが出来る。だから一回「辛い、キツイ」って印象がついた科は敬遠される。敬遠された科は残された人の業務が増えますます「辛い、キツイ」の印象が強くなる。このまま外科に入局する研修医がいなかったら、外科の世界はどんどん高齢化していく。農業や伝統工業のように継承していく若者がいなかったらきっと衰退していく。内科が行う内視鏡やカテーテルで診断はつきました、ただ切って治す人はいませんの時代が来るのかもしれないな。
「これ、いくらだと思う?」
術野に入る学生にはこうしてVATSの自動縫合器を見せるようにしている。一緒に入るオペ看や助手にはまたその話かって目で見られるけれど、この機械がカートリッジだけでなく本体すら使い捨てで数万円~数十万だと言うと彼らは驚いた顔をする。その顔を見るのが好きだ。そうだ。俺たちはここで、最新式の機械で最新式の術式で最高の医療を届けているんだよ。こんな些細な会話が彼らの胸のどこかに刺さって、外科に興味を持ってくれたらいいと思う。俺も教授や先輩から教えられた技術や経験もお前に教える、何よりさ
外科はおもしれーぞ。俺んとこ来いよ