はてなキーワード: プレゼントとは
母は専業主婦だった。
自営業の父と、父方の祖父母。田舎ではあまり裕福では無いが、ごく普通の家だった。
私は一人っ子で、甘えん坊の私は幼い頃から専業主婦の母にべったりだった。
母はいつもおやつを手作りしては、学校から帰った私に食べさせてくれたし、食事も品数が多く、テーブルいっぱいに乗っていた。
父はというと昭和的思考の典型的な父親で、仕事から帰れば王様のように食卓に付き、用意されたビールを飲み、母は常に甲斐甲斐しく世話をしていた。
祖父母は子供があまり好きではなかったのか、子供の頃何かしてもらったとか、良い思い出が無い。いつもテレビを見ては文句を言っている姿しか記憶がない。
我が家では外食嫌いの父と祖父母のせいで、母はいつも家族全員の食事を作っていた。
私が生まれて初めて焼肉店で焼肉を食べたのは、19の時だ。それくらい外食したことがなかった。
だから母はたまに私を連れ出して、クルマで40分の自分の実家に連れて行った。母は免許を持っていなかったので、倍以上の時間をかけて、バスを乗り継いで。
母方の祖母は一人で定食屋を営んでいたので祖母のアジの開き定食を食べるのを楽しみにしていた。
学校の友達がレストランに行った話余りにも羨ましそうに話していたのもあり、あまり外食できなかった私へ、少なからず罪悪感があったのかもしれない。
母は、近所の田舎特有のしきたりや、慣習にあまり良い顔をしていなかった。七五三には家に近所の人を沢山呼び、祝い酒を振舞うなどのアレだ。だから私の七五三は誰も呼ばず、家族だけで寿司を食べた。
古い考えや慣習に囚われていた田舎の中から見たら少し異質に見えたのかもしれない。
そんな母の考え方は私も好きだったし、私も受け継いでいると思う。他所は他所、家は家。というスタンスだ。
だけど、高校の進路相談の時、私は先生に進学はしないときっぱり告げた。
母は驚いていた。ずっと母がやんわりと敷いたレールを歩んできたと言う自覚は、少しずつだがあった。このまま母と同じような人生を歩むのではないかと言う恐怖があった。
母の事は好きだが、母のように家の為に全てを尽くし、行けもしない旅行雑誌を眺め、溜息をつく生活など耐えられない。そう思った。
今思えば、母が自分の趣味らしい趣味をしていた所を見た事がない。おやつの時に作っていたお菓子作りは、趣味だったのだろうかもわからない。
高校在学中に公務員試験を片っ端から受験し、奇跡的にひとつだけ滑り込む事が出来た。家族は喜んでいたが、母は複雑そうな表情だった。我が家はさほど裕福では無かったので、家計を助ける為にも私は早くから働きたかったのだが、母は私を大学に行かせたかったようだった。
仕事は楽しかった。頑張れば認められるし、給料も出る。何より給料が入り、今まで出来なかった事が出来る事や物が買えるのが嬉しかった。
話していて、ハッと気づいた。
母の世界は、こんなに狭かったのか。と。
私は幾度も母に働きに出るように勧めてみたが、父やボケ始めた祖母を理由に首を縦に振る事はなかった。
帰りの車内で、母は不意に私を羨ましいと言った。
私は何も言えなかった。
母の事は大好きだし、感謝もしている。だが、私は母のようになれないし、なりたいとも思わない。
家に居ても暇だとぼやく母に、私は実家にある私が集め続けたマンガや、小説を読んでみたらどうかと言ってみた。
私は結構なオタクなので、昔から買い集めたゲームやマンガ、小説がたくさんある。
母は苦笑いをしながら読んでみる。と言った。感想を聞いた事は終ぞなかった。
あれから、十年近く経った。私は結婚し、子供にも恵まれたが、仕事は続けている。
もちろん、趣味のゲームや漫画、アニメも買う。酒も飲む。お互いの趣味に口は出さない。
母とは真逆の人生を歩んでいるとは思う。もちろん、家族の事は大好きであるが、自分の趣味も人生も楽しみたい。
両親は、今や孫に会うのが趣味かのように毎週家に来る。
母は専業主婦だった。
自営業の父と、父方の祖父母。田舎ではあまり裕福では無いが、ごく普通の家だった。
私は一人っ子で、甘えん坊の私は幼い頃から専業主婦の母にべったりだった。
母はいつもおやつを手作りしては、学校から帰った私に食べさせてくれたし、食事も品数が多く、テーブルいっぱいに乗っていた。
父はというと昭和的思考の典型的な父親で、仕事から帰れば王様のように食卓に付き、用意されたビールを飲み、母は常に甲斐甲斐しく世話をしていた。
祖父母は子供があまり好きではなかったのか、子供の頃何かしてもらったとか、良い思い出が無い。いつもテレビを見ては文句を言っている姿しか記憶がない。
我が家では外食嫌いの父と祖父母のせいで、母はいつも家族全員の食事を作っていた。
私が生まれて初めて焼肉店で焼肉を食べたのは、19の時だ。それくらい外食したことがなかった。
だから母はたまに私を連れ出して、クルマで40分の自分の実家に連れて行った。母は免許を持っていなかったので、倍以上の時間をかけて、バスを乗り継いで。
母方の祖母は一人で定食屋を営んでいたので祖母のアジの開き定食を食べるのを楽しみにしていた。
学校の友達がレストランに行った話余りにも羨ましそうに話していたのもあり、あまり外食できなかった私へ、少なからず罪悪感があったのかもしれない。
母は、近所の田舎特有のしきたりや、慣習にあまり良い顔をしていなかった。七五三には家に近所の人を沢山呼び、祝い酒を振舞うなどのアレだ。だから私の七五三は誰も呼ばず、家族だけで寿司を食べた。
古い考えや慣習に囚われていた田舎の中から見たら少し異質に見えたのかもしれない。
そんな母の考え方は私も好きだったし、私も受け継いでいると思う。他所は他所、家は家。というスタンスだ。
だけど、高校の進路相談の時、私は先生に進学はしないときっぱり告げた。
母は驚いていた。ずっと母がやんわりと敷いたレールを歩んできたと言う自覚は、少しずつだがあった。このまま母と同じような人生を歩むのではないかと言う恐怖があった。
母の事は好きだが、母のように家の為に全てを尽くし、行けもしない旅行雑誌を眺め、溜息をつく生活など耐えられない。そう思った。
今思えば、母が自分の趣味らしい趣味をしていた所を見た事がない。おやつの時に作っていたお菓子作りは、趣味だったのだろうかもわからない。
高校在学中に公務員試験を片っ端から受験し、奇跡的にひとつだけ滑り込む事が出来た。家族は喜んでいたが、母は複雑そうな表情だった。我が家はさほど裕福では無かったので、家計を助ける為にも私は早くから働きたかったのだが、母は私を大学に行かせたかったようだった。
仕事は楽しかった。頑張れば認められるし、給料も出る。何より給料が入り、今まで出来なかった事が出来る事や物が買えるのが嬉しかった。
話していて、ハッと気づいた。
母の世界は、こんなに狭かったのか。と。
私は幾度も母に働きに出るように勧めてみたが、父やボケ始めた祖母を理由に首を縦に振る事はなかった。
帰りの車内で、母は不意に私を羨ましいと言った。
私は何も言えなかった。
母の事は大好きだし、感謝もしている。だが、私は母のようになれないし、なりたいとも思わない。
家に居ても暇だとぼやく母に、私は実家にある私が集め続けたマンガや、小説を読んでみたらどうかと言ってみた。
私は結構なオタクなので、昔から買い集めたゲームやマンガ、小説がたくさんある。
母は苦笑いをしながら読んでみる。と言った。感想を聞いた事は終ぞなかった。
あれから、十年近く経った。私は結婚し、子供にも恵まれたが、仕事は続けている。
もちろん、趣味のゲームや漫画、アニメも買う。酒も飲む。お互いの趣味に口は出さない。
母とは真逆の人生を歩んでいるとは思う。もちろん、家族の事は大好きであるが、自分の趣味も人生も楽しみたい。
両親は、今や孫に会うのが趣味かのように毎週家に来る。
IMAKITA
https://www.qhapaq.org/imakita/
妻が2年前くらいから子供を欲しがっているのだが、俺が反対し続けていて先に進んでいない。
親は子供を選べない。
ならば親の側で、親になれるかなれないかを判断し選ぶしかない。
自他共に認める俺のライバル。
それが四天王の一人でもあるイノウだ。
イノウ「俺、悪い奴だぜ」
各々のテリトリーを持っていた四天王とは違い、ヤツは一つの場所に留まりたがらない。
部下を持たず、組織も持たない。
大体のことは一人で出来る俺ですら仲間は必要なのに、随分と気取ったヤツだ。
しかし気取るだけの実力を持ち合わせていることも確かだった。
イノウ「ガン・バルカンは子供の玩具じゃない。大人ですら安易に使えない先進的かつヤバい業物だということを忘れるな。それを気軽に使える俺は、つまり先進的かつヤバい奴であるということだ」
ヤツの持つガン・バルカンは、様々な重火器をごちゃごちゃと詰め込んだキメラ・カオス武器だ。
複雑怪奇かつ危険な武器を使いこなし、獣人特有のスキルまで組み合わせたヤツの戦術は強力無比。
単純な戦闘能力だけなら、他の四天王を優に超えていると言っても過言ではない。
そんなイノウと初めて対面したのが、第7話。
イノウ「これが俺のガン・バルカンだ」
ヴェノラ「この武器は何だ!? 俺の元いた世界の銃器に似ている気もするが、それよりも遥かに複雑で、禍々しい……」
この時は顔見せといったところで、ヤツのガン・バルカンに舌を巻くしかなかった。
12話でも邂逅。
第1シーズンのクライマックスとなる戦いで、今回はマジで戦う必要に迫られた。
そして、7話の時はまだまだ余力を残していたことを思い知る。
イノウ「スキル『一匹狼』! これによりガン・バルカンの威力を2乗する!」
ヴェノラ「なんだって!? 元のガン・バルカンの威力が100とするなら、2乗したら1万になるじゃないか!?」
この時は、咄嗟に発動したジャストコーズで防ぐことができ、イノウのスタミナ不足で勝負は有耶無耶となった。
一見するとジャストコースがあったから勝てたともいえるが、「なければ勝てなかった」と言った方が正確だろう。
もしもジャストコーズを発動できなければ、俺は本当にマズかったかもしれない……。
今度こそ決着をつけるときが来たかと俺たちは身構えたが、イノウの様子がどうもおかしかった。
ヴェノラ「イノウ! またお前か!」
イノウ「それはこっちのセリフだ。生憎だが立て込んでいてな、貴様らの相手をしている暇はない」
いつもはあちらから因縁をつけてくるくせに、相変わらず身勝手なヤツだ。
だが立て込んでいるのは本当だった。
パキケタス「イノウよ、あなたはもはや四天王ではない! 現役四天王による人事異動を、大人しく受け入れるのです!」
イノウ「もともと四天王なんて役職、こちらは好きで持ち合わせていたわけじゃない。そんな一方的な申し出を受け入れるつもりはないのだ!」
パキケタスは新四天王なだけあり、圧倒的な膂力を持っていた。
いや、むしろガン・バルカンと獣人スキルを加味すれば、イノウの方が上だ。
パキケタスの潮吹き攻撃は、体の半分が重火器で出来ているイノウには効果的だった。
イノウの旗色は非常に悪い。
俺たちはその潰しあいを眺めているだけでいい。
だけどそんなことは、俺がやるべき行動じゃないんだ。
ヴェノラ「一方的かつ暴力的な人事異動。これは許されることじゃない……イノウ、お前に加勢するぞ!」
イノウ「なんだと!?」
俺のジャストコーズにより、イノウのガン・バルカンは新品同然に……いや、新品以上の輝きを取り戻す。
ヴェノラ「お前が決めるんだ、イノウ! 当事者が打ち勝ってこそ、溜飲は下がりに下がりまくる!」
イノウ「不本意だが……見せてやろう! スキル『一匹狼』その他もろもろ重ね付け!」
パキケタス「ぐわあ、様々なダメージが五臓六腑に染み渡る。こんなのオーバーキルだあああ!?」
ヴェノラ「イノウのヤツ、あの時よりも更に強くなっている……」
こうして、俺とイノウの決着はまたも有耶無耶。
イノウ「お礼だ、これを受け取れ。俺のお手製だ」
ヴェノラ「……これは鉛のコップじゃないか!? こんなのでジュース飲んだら中毒になるぞ!」
イノウ「俺は悪い奴だからな。今度会う時は、鉛のコップではなく鉛の弾をくれてやる!」
因縁の深まりを感じながら、そう遠くない“今度”がくることを予見していた。
「ベタだけど、この展開はやはり好き。ニワカ呼ばわりされようとも、これは投票せざるを得ない」
「ライバルキャラとの、とりあえず的な同盟に熱狂的な盛り上がりを感じた」
「お礼に鉛のコップをプレゼントするイノウの不器用っぷりに憤死」
「作画も気合入りまくりだし、文句なしの神回。これからも、二人の因縁をどこまで引っ張れるか楽しみ」
数日前だかもう2週間ぐらいは経つか、TLに某バラエティ・ドキュメンタリー番組の動画が流れてきた。
「毒親」について。
ただその時、フォローしている既婚子持ち女性数人(いずれもお子さんは未就学児)が、
こんなの私もよくやる!」
と拒絶反応気味に吹き上がっていたのが気になりどうしてもモヤモヤが消えないので
ここのアカウントを取った。
強大なストレス源になったのは私の成人後なので、
つまり、これから書くことはあくまで元友人を含む毒親や虐待の経験談への印象を元にしている。
なので「知りもしないくせに偉そうに」と言われるかもしれないが、
そういった家庭や加害・被害の実体験者およびカウンセリング等の対応に仕事として携わっている「当事者」以外からの
「毒親」という存在そのものに対する軽視するようなコメント、感想は、少なくとも直接は書かないでもらえると嬉しい。
さて本題。
「こんなので毒親と言われたらたまったもんじゃない」と、怒りというより悲鳴のようなコメントを上げていた方々は、
(動画に対して)食事の時間が決まってるのに、作ってから「いらない」と言われてもキレたらだめなのか
感謝の言葉ひとつなければ「私はこの家の何なの」と言いたくもなる((動画内で、姉妹仲良くジュースを飲みながらテレビを見ているところへ母親が現れ、「あなた達がいるとすぐ汚れるんだから」と言いながらテーブルを拭き、「私はこの家の何なのかしら」と子どもたちを睨めつけながら言うシーンがある))がそれもだめなのか
といった点で件の動画に引っかかっていた。
うーん。
ちゃうねん。
「その動画や番組の是非については言うつもりはない」って書いたけど、
これは例の挙げ方が良くなかったのかなと少し思う。
でも虐待・毒親体験談をそれなりに見聞きしている自分には割と胃が痛くなる動画だった。
夕飯の準備ができてからご飯いらないと伝えた娘に対して母親が激昂し、その子の分のハンバーグをゴミ箱に捨てようとする。
やりすぎじゃない?
「そうすることで反省を促そうとしてる」という意見ももらったが、ビビらせるだけだと思う。
結果、その動画内ではどうなったかというと、女の子は学校から帰って母親の背中が見えるだけで「今の機嫌」が気になるようになった。
確かに自分がある種家族のルールを破った(食事の準備ができてから「いらない」と伝える)ために親を怒らせた、という
この動画の部分だけを見ると、これで「毒親」と言うのは大分大袈裟に思えるし、
毒親や虐待について幸いにもあまり見聞きしていない人には「その先」や「裏側」を想像させるようにはなっていなかったかもしれない。
でも実際にはいろんなことが積み上がってたんだと思うよ。
でなきゃ一度や二度「怒られた」ぐらいで「家族」の姿を見てビクビクなんてする?
あの動画にマイナスの反応をしていた人たちは、とても子育てを頑張ってるんだと思う。
で、頑張れば頑張るほどダメだったんじゃないかと思う部分が増える。
だから自分にも身に覚えのあることを指して毒親と言われたから拒絶反応が出たんでしょう。
ツイッターでは何度も書いたけど、
どうしようもなくイライラして怒鳴ったとか、つい手が出たとか、
そういうこと自体が(母)親には許されない、したら即毒親、と言ってるんじゃないです。
そりゃやらないのが一番だけど。
あの動画では伝わりにくかっただろうけど、問題は親がキレる基準やタイミングが判らないってこと。
虐待で逮捕された親たちも口を揃えて「躾のつもりだった」と言うけれど、
我が子が社会でやっていけるように言動や生活態度を整えていくのが躾とすれば、
毒親と呼ばれる人たちの行為は「自分(親)の機嫌に沿うか沿わないか」が基準。
子供は「社会的に正しいか正しくないか」ではなく「お母さんお父さんを怒らせないか」で行動する(しない)ようになる。
親じゃなくてもいますよね、自分の望む反応じゃなかったらキレる人。((例えばせっかく選んだプレゼントをいらないと足蹴にでもされたらそれは怒っていい。
それは「足蹴にした」ことに対して。
子供のリクエストを聞いたわけでないなら、喜ばなかったことに対してキレてはいけない。
というか、そういう場合「残念がる」のがマトモな感覚だと思うのね。
「毒」というのは「お前のために選んでやったのに!喜べ!」ということ。))
相手の自主性や尊厳を摘み取り自分の臓器のように扱うのが「毒」。
あと、「私はこの家の何なのかしら」のように、「自分がこれだけ○○してやってるのに」は危険。
友人知人に対してだって「(頼まれたわけじゃないのに)○○してあげたのに(見返りがない)」は人間関係こじらせる元だけど、
はっきり言って子供なんて子供が自分で生んでくれって言ったわけじゃないじゃないですか。((子持ちの友人も見ているところではとても言い難い))
してやってるも何も、おおよそのことは親の義務です。
件の動画への擁護(?)として「なんでも毒毒言って(母)親を追い詰めるな」というのがあったけど。
赤の他人に比べたら何も言わなくても伝わる部分が大きいけど、全ては「コミュニケーション」です。
で、コミュニケーションというのは、悲しく残酷だけど、受け取った側の認識が全てなんです。
私は最近、「そんなつもりじゃなかった」「気にしすぎでは?」と思うようなことで長年の友人を2人失いました。
「そんなつもり」かどうかは受け取った側が判定することで、
多少のエクスキューズはさせてもらえたとしても、それで許されるかどうかは相手次第。
親子も同じです。
親がどんなに頑張ったって(頑張らなくたって)子供が心を殺されればそれは毒。
友人や恋人関係で考えたらいいかもしれない。((私は恋人いたことないから知らんけど。))
毒と称される親は自分自身がそういう育てられ方をしてきたケースが多く、
親一代だけを責めてもどうしようもないかもしれない。
子育てに疲れてメンタルが死にかけのSOSでもあるかもしれない。
あるけど、「情状酌量の余地がある」ことが即ち「無罪」にはならないですよね。
なる可能性がまぁまぁあるだけで。
なんかそこをごっちゃにした感想(「母親だって辛いんだ!」)を受け取って、ツイッターでは文字数も打つのもしんどくて投げたのでした。
結局ここでも言いたいことはまとまらなかったけど。
ただともかく、「こんなので毒親と言われたらたまらない」は、個人の感想としては構わないのだけれど、
「何でもかんでも毒毒言うな」となると、痴漢やセクハラに対する「気にしすぎでは?」と言った軽視発言を想起させられて黙っていられない。
「あなたは」毒親じゃないしそんなことする親がいるなんて信じられないかもしれない、けどいるんだよ。
子供が可愛くて可愛くて仕方なくて、たまには怒ってしまうこともあるけど子供のためなら何でもしてあげたくて、子供もパパママ大好きと言ってくれる人たちには想像もつかない世界があるんだよ。
お母さん(お父さんをも)を逆に殺しかねない、あるいは自殺に追い込みかねないほど心身への負担も金銭的負担も大きく、子育てが永久に続くという絶望感、他所の家の子が親にプレゼントしてくれる年齢となっても我が子はプレゼントを請い続ける悲しさ、血筋もここで断絶する運命の徒労感、親を噛み、他の子を噛み、そして他の子の結婚を阻んだり介護の十字架を余分に背負わせる罪悪感
そりゃ堕ろされるでしょ
ティファニーの株をプレゼントされて喜んでる話が話題になってるけど、あんなので喜ぶなら女って相当バカという感想しか出てこない。
1. まず、株は旦那の名義なので本当にプレゼントするなら名義変更が必要になるわけだが、米株の証券をわざわざ取り寄せて名義変更とかものすごい手間になる(奥さんの証券口座を勝手に操作してティファニー株を買うのは犯罪)。
2. 名義変更しないなら単に旦那の証券口座で1株眠り続けるだけの話であり、これをプレゼントとは普通言わないし喜ぶような話でもない。
なのに「女心が分かってる」とか「私も欲しい」とか反応しててほんと笑う。ま〜んで反応してて何も考えてないんだろうな。
うちの両親が今年で還暦だから年末にみんなでお祝いしようってなったんだけど
こういうやつのお祝いって何贈ればいいの?
ネットだと似顔絵とか名前の字を組み込んだポエムとかが人気商品みたいだけど
いやーうちの場合贈る側も貰う側もそんな柄じゃないっすわーって感じなんだよね
大学生の頃4年付き合っていた彼氏がいた。当時あまり大きな喧嘩もせず、良好な関係を築いていたし友達にも仲のいいカップルだと思われていた。
別れた原因は2年ほど遠距離になった際に向こうに好きな人ができたから。
好きな人ができたと打ち明けたとき彼は申し訳ないと泣いていて、このままいても私と過ごす時間は楽しい思い出にならないだろうなというこで、
彼を好きなまま身を引きました。
あの時は何も食べてないのに常に吐きそうな状態が続いて、こんなに苦しいのに失恋では人が死なないのって不思議だなあと思ったものです。
未練タラタラで電話しちゃうそうだったから連絡先も写真も別れた日に全部データを消した
でも、もらった手紙やプレゼントはどうしても捨てられなくて、小さなダンボールに入れてテープでぐるぐる巻きにして実家の物置の奥に仕舞いました。
ものに罪はないし、いつか穏やかに思い出せる日が来たら素敵な思い出になるような気がしたので。そうなるために身を引いたしね。
それから六年間一切連絡をとりませんでしたが、他の男の人と仲良くなっても比べてしまって、相手を好きになれない。
特定の男性と仲良くなると、〇〇君がいるのに浮気なんてだめ!と罪悪感に襲われる夢を見ては、起きた時にもう別れたのにな〜と泣いてしまう始末。
10代の頃の熱量のある気持ちになんて今更なれるわけがないから比べてはいけないのに、恋愛に関しては学生時代の楽しかった思い出を引きずっている!
それでも慣れてすっかりおちついた頃、共通の友人数人と飲んでいるということで
6年ぶりに電話をする機会がありました。久しぶりだね元気にしてる?とか、懐かしいねーとか、大したことは言ってないんですが
もーねーーー
相手の声を聞いた途端当時の気持ちが蘇ってきてたまらなくなりました。
ああ何年も!声を聞くだけであんなに嬉しかった人の声だ!大好きだった!
この多福感たるや!!!
涙が止まりませんでした。
やっぱり全然彼のことを忘れられてなかった。
まあまだまだ遠距離になった頃と同じくらい遠くに住んでいて、向こうに現在彼女がいるかもわかりません。
なので当然復縁などはとても考えられないし、きっと向こうは私のことなんて忘れていたでしょう。ただ私が声を聞いて1人盛り上がってしまっているだけ。
頭ではわかっているのに、ラインの通話の履歴を何度も眺めては嬉しくなってしまいます。気持ち悪いな。
下手に復縁しようとしてへんにこじれて、学生時代の思い出を壊すようなことはしたくありません。
彼の中で「学生時代の楽しい思い出」でありたいからあの時苦しみ泣きながら身を引いたのに、今蒸し返してぐちゃぐちゃにしたくありません。
なのにどうしてもまだ好きで話したくて仕方がない。
6年連絡とってない元カノからまだずっと好きでしたって言われたら気持ち悪いだろうな。怖いよね。
ごめんなさい。
これは墓まで持って行くから。
もしまた会うことがあってもさっぱりした友達の顔ができるかな。
できるか自信がないなあ……じゃあ二度と会わないほうがいいんだろうな、ああでも会いたいけど…。
と、同じことをぐるぐる考えてしまう。
こんなに人を好きになったのは初めてだと当時思ったけど、その気持ちがまだ消えてなかったことに驚いたし感動した。
無気力極めてた生活をしていたのにアラサーになってこの熱量で人を好きになれるんだと新鮮だった。
私は彼を好きだし、多分これからもずっと好きで忘れられないんでしょうね。
人を好きになることを教えてくれてありがとう。まだ私の中では消えてなかったみたい!
でもあなたに迫ることはしないから、安心して幸せに過ごしてください。
気持ち悪い元彼女は、遠くからあなたの健康と、しあわせを祈ってます。
ずっとそう思っている。
でも、何回もお断りをされ、「あなたは私をみていない(意訳)」と何回も何回も言われた。
いい人止まり。
人を好きになって結婚 じゃないんだと30に差し掛かろうとしている。
よく考えたら今までいい感じの女性が好きだったかと言われたらそうじゃない。役割を行使していただけ。
誕生日だからプレゼントをし、泣いているからマニュアル通り寄り添う。すべてマニュアル通り。
はてなで「お気持ち」という言葉があるが、「お気持ちを察することも大切」といいつつ、そのお気持ちを察することすらマニュアルで行使していただけなのだ。
いつの間にか、男の友達からはヤリチンといわれモテモテと思われている。女の心がわかっているという。
何一つわかってない。わかってないからテンプレート行動をし、良い所まで行き、最後の詰めで見透かされるのだ。女性はそんなに馬鹿ではない。
俺はクソだ。
ずっと楽しみにしてた続編でレイトだしまあ大丈夫じゃないかな~と思ってたんだけど全然大丈夫じゃなかった
・両隣がスマホ見る
・隣のBBAが始まってからも暫く持ち込みのなんか食ってる&水筒でなんか飲んでる(水筒の開閉音が響く)
・隣のBBAがエンドロールの途中で隣がスマホに何やら打ち込んでは鞄にしまいその度になんかのファスナー開閉音させ、ついでにスーパーの袋ガサガサさせる
・隣のBBAがエンドロールの途中で出て行こうとして荷物を蹴られる
のフルコースだった~~♡クソが~~~~~♡
本編中も多分椅子に足上げて座り直し?みたいな動きしてゴソゴソ動くし
マジでこんな酷いのに当たったの初めてで座席ガチャの引きのなさに絶望した。
本編序盤と終盤でスマホいじり出したのアタマ湧いてんのか?????って思ったけど、
見てる時間が10秒とかそこらで注意するにもタイミングが難しくて
買ったばかりの母への誕生日プレゼント蹴っていくんじゃね~~~~~~~!!!!!!!
やすりでガリガリと削られる心をどうしようもできず見ているしかできない。
17年前から、私用あるいはちょっとした仕事で、一時期は使ったり使わなかったりして、好きじゃないけどそんなに嫌いにもなれないフォトショップで、
フリー素材の写真を加工しては印刷所が作ったテンプレートファイルのトンボ内、100mm×148mmの範囲、自分がいいと思った場所に素材を配置している。
双極性障害Ⅱ型を患っている私の脳は時々まるで私がそう思っているように死のうとするのだが、
それは双極性障害がやらせていることであって「私が」死にたいわけではない。だから私の脳は何か作業をすると、そういう気がそがれるのだ。
本気でデザインの勉強をしていた訳ではないので「っぽいもの」にしかならないのだけど、
Pinterestを見たり、今風のフォトショ加工記事を見ては、ああでもないこうでもないと画面とにらめっこをする。
本当は印刷所が用意したオシャレなデザインの年賀ハガキをネットで選べば良いだけなのだが、
私の中の「フォトショップを使ってオシャレっぽい年賀状を作りたい」という見栄っ張りの私と、
「何かをしていないとタオルで首を吊ってしまうので何かをしたい」という焦っている私が邪魔をするのだ。
スティーブンス・ジョンソン症候群の疑いがあり、MAX処方だったラミクタールを2週間で半分、3週間でゼロにした。
今とても焦っているので減薬がこのスケジュールだったか思い出せないし、上手く文章化できない。
とりあえず今の私はラミクタールを服用していたときの30%くらいしかパフォーマンスが出ない。
シンクは使用済みの食器が、脱衣場のカゴには洗濯物がいっぱいだ。
加えて、今日のようにばかみたいに暖かい日は布団を干すべきだったし、
家族の誕生日プレゼントを買いに一駅先のデパートまで歩いて引きこもりがちな体を動かすべきだった。
いつもなら風呂に入るのも「明日一日臭いのはイヤだな」という気分で入れたのに、
今はイヤだキライいだと風呂を呪いながらうんうん唸って2日に一度入る。
清潔を保つためには一日一回の風呂、一日二回の洗顔はすべきなのに風呂が面倒で億劫でどうしようもない。
手間を省くためにミノンの全身シャンプーにしたけれど痒みはおさまらない。
風呂に入るのがいやでいやで仕方がないのに、頭をガリガリ掻きながら痒さに悲しくなって唸るさまを客観的に見たら哀れそのものだろう。
洗い物と洗濯物は溜まっているし、気を抜いたら悲しくて死のうとしてしまう。
いまとても仕事が忙しい家族をアシストするどころか自分の世話をさせてしまっているのがつらい。
そういう焦りやしんどさを紛らわすために、フォトショップで年賀状を作っている。
薬が別のものになったり、ラミクタールを再開すれば、良いのか悪いのか判断すらできない今のデザインをやめて、
もっと良いものを作っているかもしれないし、印刷所が用意したオシャレ年賀状にしているかもしれない。
繊細で、陰湿で、幼児的で、良い歳して毎週日曜日八時半にテレビに向かう大きなお友達の自分語りを増田に聞いてほしい。
性自認がどうとか、性指向どうとか、そういう話でもないし、素養もない。
両親もよく呆れずに付き合ってくれたと思う。
クリスマス、誕生日プレゼントはバンダイのおもちゃ、寝間着はプリキュアパジャマ、お菓子は全部プリキュア、帰ったら衣装を着て鏡の前だ。
勿論全て親が買ってくれたが、足りない小物は自作していた。
休日に家族で出かける場所といえばプリキュアショー一択だったし、よく最前列で「がんばえー!」と声を張ったものだ。
休み時間の過ごし方というと、同年代の女の子とプリキュアごっこ。彼女たちがプリキュアから「卒業」していくと、低学年の女の子とプリキュアごっこに興じるのが常だった。
プリキュアになるにしても、若宮アンリのようなスタイルの良い美少年なら良かったが、生憎俺は類人猿顔のド短足だ。
美墨なぎさに憧れて、髪を伸ばそうとした時期があった。でも酷い天然パーマがそれを邪魔した。
酷いいじめ、外見と理想のギャップに苦しんだ俺は、中学に進む頃にもなると、立派な醜いオタクの子に成長を遂げた。
熱暴走していた「プリキュアになりたい熱」は強制スクラムして、前々からやっていた女児向けアーケードゲームにずっぷりハマるようになった。
中学校は、行くのをやめた。
行かなくなるまでにも色々あったけど、今は関係ないだろう。
学校には行かずともゲーセンには欠かさず通った俺は、通信制高校を経て、私立のFラン大に自己推薦で入った。
今も、毎週日曜の朝八時半にテレビの前に座ることは続けている。
地デジになって、10チャンが5チャンになっても、プリキュアを、プリキュアになりたいという気持ちはずっと持ち続けている。でも、ひどいコスプレはやめた。
HUGプリは面白い。間違いなく。
若宮アンリというキャラクターの登場はプリキュアシリーズの中でもエポックメイキングだろうし、俺は彼の登場を好意的に受け止めている。
契機は19話だ。
池の平ホテルの「男の子は仮面ライダー、女の子はプリキュア」というCMが放送後に炎上したのも記憶に新しいが……
その回に登場する、恐らくは抑圧を象徴するキャラクターとして形作られたであろう、愛崎えみるの兄、愛崎正人に対して妙な親近感を感じたのだ。
らしさ、というのは重要だ。俺はいくら類人猿の顔をしているとはいえ、ブサイクを見るとブサイクに感じてしまうし、類人猿顔は類人猿顔だし、オタク顔はオタク顔に見える。女は女だし、男は男だ。
人は生まれ持った「らしさ」で生きればいいし、「らしさ」の枠を飛び越せるのは、若宮アンリのような才溢れる美青年くらいのものだ。
そうだな、君にとってはムダかもしれないけどな、俺は人生の大部分をムダにして、らしさに従うのも「賢いやり方」だというしょっぱい教訓を得たさ。
僕は僕の心を大切にする、君は君の心を愛せ?
分かったよ!若宮アンリくん、頑張ってくれ!君は若宮アンリだ!
俺は俺の類人猿らしさで頑張るよ!
彼の振る舞いにはそれに裏打ちされるだけの才能と、美貌と、それに裏打ちされた芯の強さがある。
翻って、俺はどうだ。
プリキュアになることをやめ、のうのうと生きている。悪いくせみたいにダラダラとプリキュアを見続けている。
ひどい人生だ。
俺は若宮アンリと、彼に感化された「少数者を自認する人々」が、正直よくわからない。
そして昨日の42話だ。
増田のプリキュアフリーク達は、「キュアゴリラ」というプリキュア戦士を覚えているだろうか。
お笑いコンビFUJIWARAが出演した、スマイルプリキュア!17話以来、俺は原西孝幸さんが好きになって、彼がプリキュアについて語る番組は殆ど見た。
「あれ、大きなお友達ってさ、ご法度の裏街道を歩く渡世、天下の嫌われものなんじゃないの?」
そうだ。俺はゲーセンでコソコソと女児のなす列に並び、プリパラのED差し替えでニチャニチャ笑い、ネットで陰湿に笑いを共有しようとする徒である。まとめサイトのコメント欄とかでね。
原西さんは娘さんの影響でプリキュアにハマった、ということらしいが、低身長低学歴低収入の類人猿が、家庭を作るなんて逆立ちしたって無理だ。
彼は大きなお友達であることを隠しもせず、プリキュアを芸に取り入れて人々を笑わせている。
そうか、俺は類人猿なのにキュアゴリラにもなれないのか、という落胆と、自分に対する失望だけが残った。
そのキュアゴリラが、若宮アンリがプリキュアへと変身するシーンで現れたのだ。
男の子でもプリキュアになれる、というより、結局若宮アンリがキュアアンフィニに足るものを持っていた、原西さんがキュアゴリラに足るだけの何かを持っていた、というだけじゃないのか?
ステレオタイプに従って生きるというのは、そんなに悪いことなのか?
プリキュアシリーズに共通するテーマである、個性と志向を互いに認め合い、共生していくという取り組みは素晴らしいことだ
しかし、これといった特別な自認も、指向も、笑いの才能も、フィギュアスケートの才能もない、マジョリティの最低層にいる一介の大きなお友達が俺だ。
俺はどうやったらプリキュアになれるんだ?
誰か教えてくれ。