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はてなキーワード: カイジとは

2015-09-28

はてブ楽しい

今日久しぶりに満喫行ってカイジ読んだんだけどさ、有名な鉄骨渡りの前半戦に「人間競馬」って出てくるじゃん。ほら、ゲス成金ギャラリー大勢見てる中で鉄骨渡って、グループ内で1位だったら2000万円チケット、2位だったら1000万円チケットもらえるやつ。その辺読みながらなんかモヤモヤしてて、なんだろなーって思いながら家帰ってPC開いて、はてブ見たらようやくそモヤモヤがなんなのかわかったんだよ。あれ、はてブそっくりなんだ。

泣きながら鉄骨渡るクズを見てゲラゲラ嘲り笑ったり、ムカついたら持ってるコップ投げ付けたり、押せって言ってみたり、落ちてケガしたクズがいればまた笑ったり。まるでブクマカーじゃんか。

まぁたいていのブクマカーは笑うだけじゃ飽きたらずに、実際に落ちたバカを蹴りにいったりするんだけどな。人よりうまくクズを蹴れた奴が仲間内ヒーロー(いや、スターかな?)になれたりもする。中には何もせず、ただ見てるだけの奴もいる。そんなとこまでそっくりだ。

そういう奴らについて、利根川さんはこんな風に言うんだ。安全セーフティー)という名の愉悦、ってね。それが美味だってことはブクマカー達を見てればよくわかる。橋から落ち足の骨が折れて泣きじゃくるクズを、寄って集って安全場所からボコボコにするブクマカー達は、本当にイキイキとしてて愉しそうだもんな。

まぁこんなこと言ってる俺も、増田にいる時点で同類みたいなもんだよ。つーか、日本の大多数の人間が実はそうなんじゃねーかって、はてブ見てると思えてきちゃうんだよな。はてブ楽しい

2015-09-13

二次萌え日本人アイデンティティ

昨年急に浮世絵に目覚めた人です。

http://anond.hatelabo.jp/20150815210249

日本では西洋風の写実的な画風が育たなかったのはどうして?

若冲みたいな、鳥単体とかなら写実的な描画スタイルもあったとは思うけど。

ガラパゴス的な、進化の経路の違いということなのかな。

これに対して、

http://anond.hatelabo.jp/20150816024827

こんなエントリを返してみたのだが、風景画などに比べると、人物画は、少なくとも浮世絵というジャンルにおいては、日本は独特の様式進化してるように思う。

ここで、それについて説明していきたい。

日本人アイデンティティに関わる部分が多く、絵だけでなく、できれば安保やSEALsにも話を展開できればなんだが、とりあえず筆にまかせて書き綴っていく。

スーパー歌舞伎2 ワンピース

https://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%80%80%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E6%AD%8C%E8%88%9E%E4%BC%8E&espv=2&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0CAgQ_AUoAmoVChMIkcCEjNTzxwIVg-CmCh294A4a&biw=1920&bih=955#imgrc=V6YCFKaDZ9-V7M%3A

ここで、見てもらいたいのは、ルフィ市川猿之助に似ていないこと。

なぜだろう?

「なにを言っているんだ?」「ワンピースの絵でありゃよくて、役者に似せる必要などないだろ」

その通りだ。

ワンピースであることが大事であり、尾田絵であることが大事であり、役者の顔など関係がない。

ナミもロビンもオッサンが演じるわけだが、オッサンにする必要はないのだ。

浮世絵で、顔が似ていないという根本理由はここにある。

役者絵とは、舞台看板に由来するため、元来似せる必要がなかった。

歌舞伎であることが重要である

歌舞伎であること、それがわかるのが重要である

初期の役者絵を一つ、初代鳥居清倍から一つ紹介する。

初代鳥居清倍「市川團十郎

http://data.ukiyo-e.org/ritsumei/images/Z0163-028.jpg

歌舞伎看板絵は代々、今でも鳥居派の絵師が描いている。

狭い意味で言えば、鳥居派の絵こそが公式な絵、ワンピースで言えば尾田の絵であり、この後隆盛を誇る勝川派や歌川派の役者絵は、非公式アンソロジーみたいなものである

絵はすなわち、歌舞伎様式美世界観江戸空気体現したものではならない。

ゆえに、役者絵に描かれる人の顔は、あのように似ていなかったのである

この、様式美に反旗を翻したのが勝川春章と一筆斎文調である

似絵、似顔絵という、役者に似せた絵にたどり着き、2人の共著の一冊の絵本世界を変えた。

勝川春章

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E5%B7%9D%E6%98%A5%E7%AB%A0#/media/File:SHUNSHO-Nakamura-Nakazo.jpg

この二名のうち、勝川春章のほうは歌舞伎世界観様式美との調和成功し、商業的にも成功、多数の弟子をとり、勝川派という一派が出来る。

http://data.ukiyo-e.org/aic/images/95101_482279.jpg

顔のみならず、肢体まで正確なデッサンを基本に描いているのがよくわかる。

歌舞伎雰囲気をそのままに、デッサンは正確、一世を風靡する

彼は印に「画中造化」(造化とは造物主、天地の法則のこと)を用い、絵の中に神を宿すという気概があったんじゃないかと俺は思う。

ちなみに、葛飾北斎勝川春章の弟子であり、若い頃は勝川春朗を名乗っていた。

面白いことに、この顔を対象に似せて描くというムーブメントは、男性の顔に対してだけである

谷風となには屋おきた」勝川春潮画

http://ginjo.fc2web.com/208sanoyama/tanikazw_otaki.jpg

歌舞伎の女役ならば、オッサンにするわけにいかないのはわかるが、町娘書く場合であっても、テンプレ顔。

正確にはテンプレ顔のなかにも表情はあるのだが、男性デッサンを基づく顔で、立体造形は可能なのに対し、女性の顔はおそらく3D化できない。

スネオ髪型カイジのの顎ほどではないが、この顔は立体造形が難しい。

女性の顔については、この後に続く喜多川歌麿については外すことができないのだが、こんかいエントリでは男性の顔に主題を起きたい都合上、また別の機会にかかせてもらう。

続いては、やはり東洲斎写楽と歌川豊国について触れないわけにはいくまい。

先に写楽に触れよう。

東洲斎写楽、聞いたことはあってもなにがどう凄かったのかを説明できる人は少ないと思われる。

http://data.ukiyo-e.org/aic/images/97845_505370.jpg

http://torinakukoesu.cocolog-nifty.com/blog/photos/uncategorized/2010/03/13/sc153602fpxobjiip1.jpg

最初に感じるのは明らかな異質である

Webで調べると、「強烈なデフォルメ」と表現されるが、簡素な線は実は正確に人の顔を捉えている。

小鼻の膨らみから、顎の厚みから、少し線を書き足すだけで全て補完可能で、輪郭線の修正必要ない。

芝居小屋の闇を表現たかのような黒バック。この黒バックは光を当てるとキラキラと光る仕様になっていて、芝居小屋の闇の中で白塗り人間スポットライトがあたったような臨場感を醸し出している。

実際、写楽は売れなかったらしい。

なんの実績もないし素性がわからない新人が豪華なデビューしかも大コケしているにも関わらず次々と新作発表。

いわゆる写楽の謎というものである

よくみると上手いのにぱっと見で下手、よくみると下手なのにぱっと見では上手い、正確なデッサンの部分があるのに、全体だと崩れた感じ、当時の常識ではありえない色彩感覚、いまだに正体は謎である

ところで、写楽商業的には失敗だったが、画家たちへの影響は確かにあった。

写実とデフォルメの高次元の融合、舞台化粧、舞台の緊迫感を受け継いだのは、たとえば

歌舞妓堂艶鏡

http://nichibi.webshogakukan.com/yorozu/kabukido_350.jpg

http://dejimashoten.sakura.ne.jp/bookimages/359787.jpg

明らかに写楽意識してる。

さて、東洲斎写楽と歌川豊国のうち、次は後者について。

歌川豊国役者絵とは、ひらたく言えば二次元絵、アニメ漫画の絵の祖になる。

勝川派の始めた写実の路線から、再び二次元絵に舵を切ったとも言っていい。

http://data.ukiyo-e.org/ritsumei/images/Ebi0124.jpg

歌川派の役者絵は、わかりやすく言えば、たとえ横顔だろうと、正面から見た顔のパーツをつける。

弟子歌川国政だが

http://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc214417.jpg

この流れは、幕末までずっと加速し、圧倒的な作画量を誇る国貞(実質の三代目豊国自称二代目豊国)、幕末豊原国周まで続く。

末期がどんなになったかといえばこんなだ

http://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc169830.jpg

大衆は、写実より二次萌を選択したということ。

さてさて、文明開化で圧倒的な強さを誇っていた浮世絵様式、というより歌川派の様式の人気に陰りがでる。

人物画にふたたび写実との間でゆれうごく。

ここでは月岡芳年をあげぬわけにはいくまい。

最後浮世絵師と言われた彼の晩年は、西洋画の技法を消化し、浮世絵にした。

晩年ともなると、このような感じ。

http://data.ukiyo-e.org/scholten/images/48cf87c54075046c12f9df3e790f5dd9.jpg

しかし、画家ではなく浮世絵であり続けたというのが面白い

一枚の画中に両方の様式で人の顔がかかれてる面白い絵がある。

http://data.ukiyo-e.org/metro/images/1594-C051.jpg

絵の上半分の人物の顔は、見えるであろうその通りに描かれている西洋式の絵。

下半分の人物の顔は、正面から見た目や口を横顔に貼り付ける歌川派の様式

どちらかと言えば、下の絵のほうに力強さ、人間らしさを感じるならば、我々はなんだかんだいっても二次萌えの血が流れる日本人である

まとめると、漫画歴史とすごく似ている。

そもそもデフォルメ絵があり、それを元に進化が始まった。

写実的な絵が入り、そこから劇画調な漫画が始まる。

劇画調の漫画は、写実から離れ、劇画という絵のジャンルが出来る。一見すると写実的なようだが、立体造形は不可能

人物の描き分けも出来ているようで出来てない。あるいは意図的にしない。例を上げるとシティーハンター

再び、コミカルデフォルメ絵にシフト

デフォルメしつつも、デッサンもしっかり、例を上げるとドラゴンボールか、であったが、デフォルメだけを受け継ぎ、骨格はデタラメOKになる。

人物はデフォルメでも、背景描写パースを重視するのも浮世絵的。

っと、ここまで書いてみたものの、安保につなげられる気がしねぇのでここまで。

ちゃんとした美術史や絵の解説から学ばずに、webの知識と年表と絵の印象だけで語ったんで、間違いもあると思うんで、指摘してくれると嬉しい。

2015-09-03

恋愛』という謎の市場

いない歴=年齢なんだけど。

  

この市場でやってる人達って、なんか頑張ってるなあ。って感じる。

イメージだけど。魚市場みたいな。

イケメンヤリチンが値段つけて、女がその値段で、自分を売る。みたいな。

そういう鉄火場に近いイメージがある。

  

そこはそこで、すんげー勝負があって、ドラマがあるんだろうけど。

なんつーか、カイジみたいなのみたいかってそんなん無い。

  

いやもちろん、それなりに落ち着いた市場もあるんだろうけど、そこはそこで、地方の魚市場くらいはあるんだろ。

横目で見ていて、まったく面白くもないけど。

恋愛』という謎の市場

いない歴=年齢なんだけど。

  

この市場でやってる人達って、なんか頑張ってるなあ。って感じる。

イメージだけど。魚市場みたいな。

イケメンヤリチンが値段つけて、女がその値段で、自分を売る。みたいな。

そういう鉄火場に近いイメージがある。

  

そこはそこで、すんげー勝負があって、ドラマがあるんだろうけど。

なんつーか、カイジみたいなのみたいかってそんなん無い。

  

いやもちろん、それなりに落ち着いた市場もあるんだろうけど、そこはそこで、地方の魚市場くらいはあるんだろ。

横目で見ていて、まったく面白くもないけど。

2015-08-01

http://www.nicovideo.jp/watch/sm26826119

youtubeでは笑われるものニコニコでは笑わせるもの、楽しませる者が人気になる。

笑われる =視聴者はうぷぬしに経緯を払う

笑わせる =視聴者上から目線

笑われるってのはカイジでたとえるなら小銭目当てで命がけで高層ビル屋上の鉄骨渡をするうぷぬしをガラス越しにニヤニヤしながら見ている視聴者関係だ。いくら笑えても人生底辺カイジたちに視聴者感謝なんかするわけないだろ。


ようつべではネタの新鮮さが重要で中身の深さが重要ではないため、再生数のみを稼ぐことのみに重点を置くスタイルから、今流行りの、みんなが検索しそうな物事を取り入れた動画を内容の濃さを度外視して素早く取り上げることが必須なわけだ。


てっとりばやくわかりやす面白さを求めるために、オーバーリアクション、見た目、ハイテンション、ノリなどの安易な笑いを取りに行くようになる。


はてなも一緒だな。それぞれ心当たりおおありだわ。

2015-06-25

6年間憎み続けている奴らがいる

マイケル・ジャクソンが死去して6年が経った。

当時の俺はその一報を聞いたとき自分の半身がもがれたような気がした。

でも一番ショックを受けたのは、マイコーが存命中は「変態ロリコンレイプ野郎」「整形したって認めろよキチガイw」

などと言って彼を誹謗中傷していた俺の知人友人たちが、マイコーが亡くなると掌を返し「惜しい人を亡くした」とか「素晴らしい曲をありがとうking of pops」

やらとのたまいだしたことだ。

いっそのこと「変態がこの世から消えて清々したぜ」くらい言えばいいのになにいい人ぶってるんだよ。

カイジに出てきた謝りながらとどのつまり鉄骨から落とそうとする狡い奴らを思い出した。

そんな奴らを未だに許せないでいる。

2014-10-22

神に祈るという行為

後輩のクリスチャンが、何かうまくいかないことがあると、

「これは意味のあることだ、神様の御心なんだ」みたいに

言っているのが気に入らなかった。

それは神様の心ではなく、信仰心でもなく、神様のせいにして努力

放棄した怠惰ではないか、と。

カイジの言うことはすごくよくわかる。

神に祈った時点で負けで、100%まで勝つためのロジック

積み上げないと、負ける、と。

しかしだ。

俺も勝つために結局は祈っている。

現実問題、勝つための戦略をたてて準備はできても、100%まで

確率をもっていくことは不可能だ。

努力放棄しない。

負けても神のせいにはしない。

しかし俺は神に祈る。

人事を尽くして天命を待つ、って言葉は、全ての事象には意味があるって考え方よりも、

勝つためには100%隙をなくせ、って考え方よりも好きだ。

さあ、あと少し、人事を尽くそうか。

2014-10-13

就職活動自殺ってのは普通だと思う。

大企業に入った場合人生が、中小に入ったとき人生に比べて、10倍マシだった場合。っていうか。

中小人間10人分の生が、大企業の1人の生と同じくらいの重みになってしまった場合

すでに9回分人生失敗したのと同じなわけだ。

  

たか人生を高く見積もりすぎてるっていう意見もあるかもしれないが。

多分客観的データ考慮するとかっていう観点からいうと多分正しいんだろう。

だって年収300万と、年収1000万って、人生の濃度が3倍とか違うんじゃね?とか、そういうのを考え出すとさ。

ほら、金持ちって金で美女を抱きまくってるだろ、ホリエモンみたいに。ああい人生で抱きまくった美女のひとかけらもえられない人生を、ホリエモンがやれって言われたら絶望なっちゃうだろ。

  

そういうなんつーか、冷静な判断ができればできるほど、就職活動自殺みたいになっちゃうんだと思う。

だれだってハーバードとか東大とか行った奴の人生って違うなって思うじゃん。それに比べたら普通人生カスだなって卑屈になるし、卑屈にならなくっても厳然と人生何個分も損したなあって気づくじゃん。

  

そうなると、就職活動自殺ってのも、真剣であれば真剣であるほど当然になってくるんじゃないかな。

大企業目指すのは婚活ババア高望みと一緒っていう奴いるけど、

しろカイジとかと同じだろ。ここ数時間人生何コ分の価値があるなら、死ぬ気でやって、死ぬ気だったか自殺ふつうじゃねーの。

2014-07-14

なんとなく医学部に入った人は多いんだろうな

 医者なんだけど、俺はそのタイプだった。

 しかし、入ってみると泣くほど勉強キツイ

 高校生までは正直勉強しなくても勉強ができたタイプで、社会センターだけ政治経済みたいなごまかしみたいな分野で乗り切って。英語は読解はできるけど知識問題はまったくできない。数学物理化学トップくらいの点数で受かる。という感じだった。そういえば高校受験社会は0点近くだった、『徳川家康』の漢字がかけないレベルでほぼひらがなで書いたから。

 暗記が超絶苦手で本当に覚えられない。ずーっと学年最下位近かった。医学部は進級するのがかなり大変で勉強できなきゃ即落とされる。

 周りの先生たちは、患者さんの気持ちを考えられるのが大事とか、卒業したら学生の頃の順位関係ないという。が、1回留年した時は本当に地獄だった、2留即退学、これまでの人生パーという不安がヤバカッタが、とにかく暗期ができない。こんな苦しいのに横できれいごと言われると全てが腹の底から嘘に感じられた。

  

 とにかく、子供の頃から勉強なんて全然してこなかった。暗期なんてまったくできない。教科書の厚さに閉口してしまう。本当に辞書みたいな厚さなんだよ1冊1冊が。それが酷いと10冊、20冊くらいでやってくる。それをこなしていけと。

 もう死ぬほどきつかった。本当に、簡単な血管すら覚えられない。心臓の膜って4つあるんだけどそれすら入らない。きつくってきつくってどうしようもなかった。退学なるかなと思いながら必死コイテ覚えていた。

 で、そんな中でも人間追い詰められたら覚醒するもので、詰め込み&過去問からの山張りで学年の真ん中くらいの順位合格した。教科書過去問を7周したんだよ本当に。

  

 4年生もキツイと聴いていたので、3年生は死ぬほど勉強だけした。4年生も死ぬほど勉強したら最下位近くで受かった。

 なんつーか、「暗記は繰り返さないとできないよ」という単純な話ができなかったんだけど。もう本当に、勉強なんてしたことないし暗記なんてしたことないのにやったか死ぬほどきつかった。カイジで『ボーっとするな、ここ30分だけ真剣になれば向こう5年は何にもせずボーっとしていいから!』って命かかった場面で言ってたけど。まさにあれ。

  

 そんなわけで、5,6年はひたすら楽に過ごした。申し訳ないがそのくらい自分にはキツカッタ。暗記が本当に無理だった。 就職とか、将来とか、医者としてのメンタルとか全部無くしてボーっとしていた。国試はひたすら何も考えずに過去問対応する教科書のページを回し続けた、勉強法がわかっていたのか、はたまた8割は受かる試験なのでたまたま受かったのか。なんとなく受かった。

  

 もうニヒルになっていた。ただただ繰り返し教科書を読み続ける。これが全てなんだと悟った。理解とかどうこうっていうのもあるけど、まずは繰り返し繰り返し読んで脳みそにしみこませる。これを知らなかった。もうほんと今ならなんだそんなことかって感じだけど。なぜ周りの皆はテストの点数が取れてるのに、俺が教科書常識で知ってる基礎すらテスト後は分からないんだ?と思っていたが、なんのことはない。テスト前に理解どうこうでなく覚えていたのだ。

 俺は、どーも理解が得意で。数学みたいな1つ知ってれば全部つながって理解できる、その場で公式証明して使う、みたいな、『公式なんて暗記しなくてもええやん』みたいなのばっかりだった。

 英語で「has」ってのは「haveの三単現ですよ」ってのも暗記できなくて、だけど文章ででてくれば、「この単語には『所有する』っていう意味適当やし、haveに似てるから、多分その三単現だろうなあ」って感じで毎回りかいする感じ。

 だから、解剖とか生理とか理由のないものを覚えるのができないし。解剖や生理の知識がないと理解できないからと思って病気を覚えられなかった。

 がしかし、普通は解剖生理から覚えるのでなく、テストに出ている病気について頭から覚えつつ理解→解剖生理や余裕があったら。みたいな感じだった。自分はまったく暗記できないタイプからそもそも病気の症状という結果を(理解しつつも)ゴリゴリ暗記するというのが眼からうろこだった。だって病気の症状を覚えるのすら俺には不可能に思えたから。

  

 理由の無いものを覚えるというのができないまま医学部に入ったので、これは本当にきつかった。そして、医者倫理観とか信じられなくなった。

 患者に尽くそうと思うなら勉強できるだろ?みたいな考えがどうしても実感が湧かなかったから。どれだけ医学自体に興味を持っても、そういう病気の症状を暗記するという欲求にはつながらないと感じた。

 そういう方法論を知ってればそういう風になるかもしれないが、知らないままやったこともない大量暗記をかされて、できなかったら「患者思いじゃないんだね」といわれてもまったく納得できなかった。俺は患者さんのためになる医療ってのは本当にすばらしいと心から思っているのに暗記だけはできないんだ……。という劣等感がヤバカッタ。

  

 しかし、医者になってみると自分医者に向いてるなと感じる。暗記方法カラクリが分かったのと、患者さんへの思いを持っていれば勉強が苦にならないし担当した疾患になら相当深く学べている。やはりメンタルだけなら向いていた。

2014-06-29

ああ、だから美女に何も感じないのか

な~んで俺は美女に対して冷めてるか分からなかった。

アイドルとか、リアル美人とかかわいいとかに、まったく心が動かない。

なんでだろうと思ってた。

  

俺がつりあわないから?という気持ちがあって、ブサメン劣等感なのかな~って思ってたんだけど。

  

なるほど、「美人な女につりあう男ってのは要求されるものが多い」→「要求されるものを満たす作業が見るからに面倒くさい」って感じなのか。

いやもちろん用意もできないけどさ。

美女ってのを見ると、代償を考えて。その代償がクッソだるいからまったく心が動かないわけだ。

カイジで言ってたな、絶対届かないバスケットゴールには努力する気力も湧かない。みたいな。

  

  

なるほどな、美人がどうとか、自分がどうってより、代償そのもの辟易するもんだから、どーでもよくなっちゃったわけか。

  

  

AV女優でいいや~的な。二次元でいいや~的な。

多分こういうのが無かったら、必至で美女にくらいついていたのかもしれないけど。

そういう気持ちがピクリとも湧かない。

というか女全員かなあ。

そーでもないか、たまーにピンと来てちょっと告白してみたりデートさとったりラインしたりはするけど、どーでもいいやって杜仲で飽きちゃう

  

あと、美女投資しても無駄ってのもあるけど、美女時間無駄にさせたくないっつーか。人の人生を害してまでやりたくないなっていう感じだろうか。

美女としても少ない若い時間イケメン金持ち出会うのに使うべきだから邪魔しちゃわるいなあって感じて引いちゃうわけか。

正しい判断だと思う。

  

なるほどなあ。だから何も感じないのか。

そもそも好きなタイプ40歳くらいの高貴な貴婦人だったしなあ子供の頃から

無理やり外部環境美人がいいみたいな脳みそになってたけど。

そもそもタイプでもないし、引いちゃうし、AVで十分だし。

ってことか。

2014-06-04

50歳になったら自殺する、くらいに思ってると若い人は人生楽しめる

20代の若者として思うんだが、90歳の自分を思うとなんだか遠い先の話に感じて呆然としてしまう。

80歳まで生きてるんだから堅実に生きないと、とか思ってしまって結局受身人生になってる気がする。

「将来のために貯金しないと」とか「嫌だろうがなんだろうが将来を考えて正社員でいないと」とかいつまで経っても将来の心配ばかり。

から50くらいで自殺するかとか考えてみると、急に今のままじゃつまら人生ダメだと思えてきた。

50歳までの人生リミットを決めると、生の実感みたいなものが急に現実味を帯びて自分ににじみ出てくる。

90歳までとか、だとなんだかダメ適当に生きててもいつかは・・みたいな感じになる。

人によっては40歳まで、とかじゃないとダメに感じると思う。

漫画カイジの鉄骨渡り編で利根川が「本当の自分がいずれ輝く、とか思ってるやつはまさに今こそがその本当の自分だということを分かっていない。そのことを気づかないまま死ぬ」みたいなことを話したと思うけど、今がまさにそんな感じなんだ。

将来のためにってずっと備えてしまって、今が結局ない。ならばその将来を消してしまったら蓄える必要がなくなる。

そうすると、目の前の現実直視しなければならなくなって、もっと何かを頑張ろうという気になってくる。

から、50歳になったら自殺する、くらいに思ってると若い人は(今の)人生楽しめる。

もちろんこんなこと考えなくたって人生楽しんでる人は別の話。



追記

なんか50もブクマ付けられてるけどこれ25ブクマしかついてなかった↓のコピペだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20100301171049

それだけはてブ人口増えたってことなのかな。

2014-05-20

お前らって、どんな音楽聞いてるの?

増田音楽の話題があがらないけど、どうなのかな〜と思って。

僕はチャットモンチーFear, and Loathing in Las VegasカイジOP歌った人)、nano.RIPEとかかな。

「フン!俺は音楽とか卒業したんで^^」って人は、その理由も教えて〜

2014-04-23

不可思議/wonderboyと小沢健二

かの @pamyurin さんが突如ツイッター投稿した効果(あとセカオワ効果)で、不可思議/wonderboyの路上ライブPV

単位再生数が跳ね上がっている模様。。200万人フォロワーの力は恐ろしい…

その不可思議/wonderboyの代表曲とも言える『Pellicule』に、前から思っていた事があったので、この機会に少しまとめてみた。

神門狐火、泉まくら、daokoなどの楽曲提供で知られるトラックメイカー・観音クリエイションさんによる儚げで美しいピアノメロディが特徴の、

1stアルバムラブリーラビリンス』のリードトラックで、個人的にもポエトリー・リーディングで一、二を争うくらいの、フェイバリットだ。

この曲をあの屈託の無い声で語られるといつも何故か涙腺が。。。

リリックの内容は、正直言ってベタだわ青臭いわだで苦手な人は全く受け付けないのかもしれない。自分も一周回って好きになった口。

大雑把にあらすじを書いてしまうと、サッカープロ選手になれなかった高校の友人が、夢を諦めきれずにタイの二部リーグ留学し、

久しぶりに日本へ一時帰国。そして大人になった主人公がその友人を迎え入れる所から始まる。

主人公は久しぶりに会った友人の変貌に驚きながらも、再会を喜び、周りの皆も心配してたんだと伝える。

だが、そこには昔つるんでいたいつもの面子は居なかった。

主人公は他の友人が居ない理由を「忙しくて来れない」と取り繕い、2人だけで呑もうぜと誘いに出る。

そこで2人は他愛も無い思い出を語り合いながら、「来はしない友人達」を待ち続けた---という話。

この曲のバース(っていうの?)「待ってた 俺たちはいつまでも待ってた 来はしないと分かっていながら いつまでも待ってた」というフレーズは、

これだけだと一見普通に聞こえるが、その文脈を辿ると、「校庭で流星群を待ち続けたあげく、結局星が見れなかった俺たち」と

「未だに漠然とした夢を信じてうだつの上がらない俺たち」、そして「来はしない旧友を待ち続ける現在の俺たち」の

つのシーンにかかっており、非常に強く訴えかけてくる。

そして話は飛ぶが、「そもそも何かを待ち続けるという行為は何の意味があるのか?」という問いが浮かんでくる。

小沢健二が言うには、スペイン語で「待つ」という言葉は「エスペラール」と言い、その派生が「エスペランサ」、

希望」という意味だという。元来、人にとって「待つ」と「希望」は一緒の意味だったのではないかという説。

(※ちなみにカイジに出てくる船エスポワールはフランス語

まり、「何かを待っている状態」は、「希望を信じている状態」に他ならなく、「待つ」という行為を急かしたり、

すぐ結果を求めたり、ムダなものとする行為は、そのまま希望(のようなもの)を捨てる事、らしい。

ここから話が様々な思想へと繋がっていくが、それは割愛

話を戻すと、自分はこの考え方は、不可思議/wonderboyのセンチメンタリズム、そしてこの『Pellicule』という曲のテーマにそっくり当てはまる気がしている。

大人の事情で来れない友人を待ち続けるという行為が、如何にバカバカしく子どもじみた行為かを分かった上で、

それでも信じて待ってみる事は一体人生においてどういう意味があるのか。あるいはやはり無いのか。

まぁあまり話はまとまらないが、オザケン大好きな自分不可思議/wonderboyにハマったのはある意味必然だったのかな、という事で。。

2014-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20140422210045

のびたやカイジが複数にもててるの見たことないが……ってのは置いておくとして。

透あたりだと、性格面のみならず、それこそ学業合間に生活費を懸命に稼ぐ、努力生活とか大体強いられるんだよ。少女マンガだと。

大体逆ハーレムものヒロインって、はるひ(涼宮じゃない方)もそうだが、「勤勉」「貧乏」「心は清い」の3セット要求される。

逆に男性向けのハーレム主人公って、そこまで「勤勉」さは必要とされてないでしょ?

2014-04-19

カイジで勝者が敗者に言ってることって、ウチの会社社長と全く一緒だ。

勝者、敗者って言い方だと心証がよくないが、つまり人生に対するスタンス、心構えは勝者の考え方が勇ましく男らしく清く建設的で野生的で活力と生気に溢れている。

敗者と勝者のどっちの言い分が聞いていて気持ちいいか、スカッとするか。

そりゃ勝者の言葉だろう。

から俺は勝者の生き方をする。

これは人生に対する姿勢の問題だ。

俺は勝者の姿勢になりたい。

この文に言い訳じみたコメントを残す奴は、現状、社会では敗者。

そんなコメントを残すのは、地位も名誉金も名声も得られていない敗者の証拠

2014-01-22

漫画に絵の上手い下手は関係あるのか

カイジとか寄生獣レビューを見ていると

福本の絵がひどくて…

岩明のあの絵では見る気がしない…

というのがけっこうある。

じゃあカイジ尾田栄一郎が絵を描いてたらもっと売れていたのだろうか。

カイジ藤原竜也じゃなくて、実際の漫画とは全然違うけど似たようなタレントだったら流行らなかったのか。

アナログ放送はつまらなくて4Kテレビだと内容が同じでも面白いのか。

画質を見て見る漫画とかテレビを決めるという回路がよくわからない。

寄生獣の主役は誰だか忘れたけど、4Kタレントがやってた気がする。

てことで、寄生獣映画化ってやっぱ失敗かな?

2013-12-21

本棚でかまそう

リビング横山光輝三国志を読み返していると、嫁が言った。

「来週月曜日学生時代の友人を招こうと思うの。いい?」

「いいじゃないか」僕は言った。

だって嫁が友人を連れてくるなんて滅多に無い。

滅多に無いことを提案されると、嫁が僕への主観による決め付けを少し緩和させているような気がして嬉しくなる。

そうやって僕がうきうきしていると、続けてこう言った。

「で、リビング本棚なんだけど・・・

黄漢升が夏侯妙才を討ち破るという華々しいシーンを片手に、本棚を見ると、まず「ヤバい経済学」、「日本クレジット総論」という文字が眼に飛び込んできた。

次に「漫才入門 ウケる笑いの作り方、ぜんぶ教えます 元祖爆笑王」と「俳優仕事」という背表紙認識した。

なるほど。そういうことか。

嫁は友人に対して、僕をかっこよく話しているのかも知れない。それは夫として嬉しいことだ。

そんなかっこいい夫が、死ぬほど必死お金を稼ぎだしてやろうと燃えている姿や、その為に笑いや演技を真剣に学ぼうとしている姿を友人たちに連想させてしまうのは彼女プライドに触るのかも知れない。

僕のプライドをどこかで護ってくれている嫁に対して、僕は彼女プライドを護る義務感が芽生えた。つまり本棚でかまそうと決めたのだ。

まず、持ちうる限りの岩波文庫講談社学術文庫ちくま学芸文庫を並べた。リビング本棚は小さいのですべて埋まった。

これは完全にかましている。素晴らしい。

そして、嫁に告げた。「ねえ、本棚を見てごらん?」

一瞬の沈黙の後、彼女は首を振りながらこう言った。

違和感があります

確かに、教養本だけがリビングにあるのは生活臭が薄い。

ふーむ。それならば趣味を少し加えてみよう。僕の場合将棋短歌がある。

将棋短歌需要が少ないので、名著と言われる本でもすぐに絶版になる。

絶版になった本は、定価千二百円ぐらいのものだが、神保町八木書店アカシヤ書店という若干お高い本屋で一万円以上出して買った事もある。嫁にはとても言えない大切な本だ。

本棚は五段に分かれているのだが、岩波文庫たちは下三段に押しやり、上二段を将棋短歌で埋めた。

完璧だ。これで仕事も遊びも完璧な夫だ。

「うーん。そういうことじゃないんだよね。どうして分からないのかなあ」

なんだ。ぜんぜん分からない。

遊びをもっと入れた方が良いのか?

思い出せ、友だちの家の本棚を。

そうだ。もっとストレートマンガがあった。

僕もマンガは好き。ああ、そう考えると結構気取ってたな。ああ、すみません

でも、特攻の拓や、カイジや、三国志なんかは少し違うんだろうな。よく分からないけどきっと。

それならばと、一二段はSLAM DUNKワンピースで、三四段目は将棋短歌。五段目に岩波文庫講談社学術文庫を並べてみた。

割と他人の家でまあまあ見かけるラインナップになってきた。

オーケー、分かりました。当日わたしがやっときます

こんな感じで、結局正解が分からず、別の主観による決め付けが嫁の脳内に生まれてしまう結果となった。

本棚の見せ方について、言及しているひとを知っている方は教えて欲しい。

2013-12-01

http://anond.hatelabo.jp/20131201143014

社会人から学生から、じゃないよ。金を理由にするか、そうじゃないかって話だ。

金を理由に繋がってる関係ってそんなにいいもんじゃないよ?

残念ながらゲームとか萌えとかには縁がない。漫画は読むけどカイジとか。

2013-11-24

[][][][]足し算順序問題

文章問題

友だちが集まって遊園地に遊びに行くことになり、駅で待ち合わせをしました。アツシ君とイチロー君は家が近所なので二人で一緒に駅に行きました。二人が駅に着くと、そこにはエミさんが一人で先に来て待っていました。しばらくすると、オトハさんとカイジ君とキーチ君が三人一緒にやって来ました。これで全員揃ったので電車に乗って遊園地に行きました。

集まって遊園地に行った友だちは全部で何人でしょう?

唯一の正しい式はどうなるでしょう?

2013-11-10

スロット中毒の話

パチスロ中毒の話。

今月、1週間で30万負け。戦犯エウレカ2。

先月は55万負けた。戦犯DMC4。

先々月は60万負けた。戦犯カイジ3。

3ヶ月前は20万勝ち。北斗がよかった。

4ヶ月前は90万負けた。なんだっけ。とにかく負けた。戦国乙女とか。

それでも続けてしま

2013-09-02

パシフィック・リムと、ガッチャマンとの、大きな差

町山智浩氏「同じようにシナリオに問題があっても『ガッチャマン』は嫌われて、『パシフィック・リム』は気にならないのは何故だろう」 - Togetter

http://togetter.com/li/557192

表題が既に日本語としてどうかと思うけど、まあいいや。

興味本位で観に行くのはデビルマンで懲りたので、ガッチャマンは観に行っていない。

から、もしかしたらガッチャマンも作りこまれててスタッフに愛されている駄作なのかもしれないからそこは割り引いて聞いて欲しい。


元々、町山さんのつぶやきを素直に読むと、

という疑問だと思う。

パシフィック・リムへ注がれる愛情

パシフィック・リムは、凄くスタッフに愛されていると思う。

是非劇場で観て欲しいから、映画の楽しさを損なわずに出せる具体例だと、以下の辺だろう。

  1. 劇中の不思議マシーンを、自虐的に触れるシーンが無い
  2. 劇中のニュース映像に、「カイジュウ・ブルー」という単語が出てくる
  3. 司令官が「二度と俺に触るな」等の古典的なシーンを、酷く丁寧に演技している。

自虐的に触れない、ギャグに走らない

まず、パシフィック・リムでは、登場人物たちは巨大ロボット(劇中ではイェーガーと呼ばれる)に対して、自虐的に説明しない。

「こんなのってまるでアニメみたいだな」のような逃げを打たない。

搭乗者たちはイェーガーに対して誇りや愛着を持って接するし、待機するイェーガーをゴツく雄々しくまるで鉄の塊のように表現する。

イェーガーこそが人類切り札で、怪獣に対抗できる唯一の手段だということを、変に照れたりギャグに走ること無く、丁寧に見せてくれる。

搭乗者が歩くとイェーガーも歩くというシステムに対して、観客は笑うが、登場人物たちは笑わない。

なぜならば彼らの立場では笑えないからだ。

細部を丁寧に作りこむ

パシフィック・リムは、深海の裂け目から怪獣が次々と湧いて出て沿岸地域を襲うので、巨大ロボットを作り運用し戦うという、特撮映画だ。

その冒頭、怪獣が現れ始めたという状況を説明するニュース映像に、ほんの一瞬だけ「カイジュウ・ブルー」という単語が現れる。

確か、字幕でも触れられていないくらいの短さだ。

正確に覚えているか自信はないが、「倒した怪獣死体を処理するのに苦慮している。強酸性血液は処理をより困難なものにさせ」という感じだった。その中でカイジュウ・ブルーと言っているのだ。怪獣の流す青い血液が、カイジュウブルーメディアに命名されている。

この設定自体は使用されているので完全に無駄ではないのだが、このニュース映像、誤魔化そうと思えばいくらでも誤魔化せる。

それを、倒れた怪獣死体とともに、処理している人物たちを映し出すほんの一瞬のニュース映像をキチンと作りこんでいる。

設定に矛盾があったり、工学的にも技術的にもありえなかったとしても、その世界の中でそういうものであるということ、丁寧に丁寧に作りこんである

くさいセリフを、真面目に演技している

「2つ、言っておく事がある。1つ、二度と俺に触るな。2つ、二度と俺に触るな」

どこかで聞いたことがあるような、典型的台詞だ。

不承不承返事をする主人公に対する対応も、コメディではなく真面目に演技をしている。

からこそ面白いし、だからこそ熱い。

司令官の演説を熱いと思うのは、そこに至るまでにパシフィック・リム世界にどっぷりと浸かれるようになっているからだと思う。

司令官は一貫して怪獣に対抗するにはイェーガーの運用必要だと信念を持って行動しているし、世界を救えるのはイェーガーしかいないと信じている。

少なくとも「そういうキャラクターなんだ」と観客が思えるような台詞と演技をしてくれる。

名前すらないような登場人物ですらそうだ。

劇中「良いニュースと悪いニュースがある」と言う、これまた典型的台詞を吐く人物が出てくるが、丁寧に演技をしている。全く雑さがない。

まとめ

そこに現代ではないパシフィック・リム世界があり、その世界の人物がコミックキャラクターのようにしか見えなくても、彼らがそこで生きていると信じられるとすれば、彼らはそこに生きている。

幻想現実へとすり替えるのは、7年の月日でサビが出始めた操縦席かもしれないし、猛威を振るう怪獣の姿かもしれないし、絶望的な表情でテレビを見上げる労働者の姿かもしれない。

それぞれは本当に小さな事だ。

黒澤明が異常な執念で映画に臨んでいたことは有名だ。

(裏取りしたことはないけど)開けない箪笥の中に着物を入れたり手紙を入れたりしたことは、エピソードとして結構有名だ。

プライベート・ライアンで、本物さながらの過酷な訓練を救出側の役者に行わせ、救出される側のマッド・デイモンには一切行わせずに途中合流させて、凄まじく険悪な雰囲気の中で撮影を行ったというのも、またそこそこ有名な話だ。

それらは一切、画面には表出しない。

いや、正確に言えば、本当に微妙な形では表出する。

動くとき所作だったり、唇の皮肉な皺であったり、疲れた目で相手を睨めつける仕草に。

それぞれは指摘するほどのこともない、指摘できない、本当に微妙な差だ。

でも、その積み重ねが、妥協しない作りこみが、圧倒的な熱量愛情が、我々の心に届くのだ。

シナリオの不出来をねじ伏せて余りある情熱を感じ取れるかどうかが、きっとその差になっている。

ギレルモ・デル・トロ脳内しか無かった怪獣と巨大ロボットとが大乱闘する特撮ファン垂涎の世界スクリーンに現れたのは、間違いなく情熱を持ったスタッフの手腕によるものだ。

まだ間に合う。是非、大スクリーンで観て欲しい。

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