はてなキーワード: エントリーシートとは
続き。
ほどなくして同僚は会社を辞めていった。
私は残った。
アホなのだが、残った。
書くからには「私はこういうことをしでかしたので反省します」と明記したはずなのだが。
きっかけになったのは、社長にその時進行していた仕事を見てもらっていた時だったと思う。
社長が「ここを直せ」と言ったことに、私が何か口答えをしたのだ。
だが、そう言ったとき、私は資料を社長の目の前にすぐに出せなかったのだ。
基本的にデータ保存ができない環境で、机の回りは紙で溢れていたから。
社長は烈火のごとく怒った。イエスマンが好きで口答えをするやつなんて大嫌いなのだ。
が、それ以来、私はすっかり「賢こぶって素直ではない」人間として扱われるようになった。
「この見開きをフックにして、」と口にしたとたん、「フックってなんだ、気取って片仮名を使うな!」と怒鳴られた。
社長になにかを説明しようと、手で机の上の資料を指したら手を叩かれて机から弾きおとされた。
その頃はもう何がなんだかわからなくて、気がつくと涙がぼたぼた出るようになっていた。
次期社長はそんな私をみて、
「最近よくめそめそしてるな。けどお前はそのくらいがいいんじゃないか」
と言っていた。
そんなことの繰り返しの末、なんでだったか忘れたが、謝罪文を提出することになったのだった。
謝罪文を提出する期日と時刻は決められていた。
私は期日までに謝罪文を用意した。
私は困惑して、次期社長にどうしたらいいんでしょう、と聞いた。
他の書類ならともかく、謝罪文を机の上にひょいと放置していいものかどうかわからなかったのだ。
私は迷った末、すぐに提出できるよう手元において仕事をしていた。
約束の時間を何時間か過ぎた頃、次期社長に電話がかかってきた。
次期社長は、はい。はい。見てみます。と言いながら社長の机に向かった。
そして、私の方をちらりと見て、「ないです。」と答えた。
机の上に、謝罪文は、提出されてないです。
それで終わりだった。
私は、時間までに謝罪文を提出しなかったので、会社を辞めさせられた。
ほんとにアホなのだが、それでも食い下がったのだ。
けれど、今やめないなら懲戒解雇にすると言われた。
今思えば、そんなに簡単に懲戒解雇になどできるわけがないのだが。
そのようにして、私はその会社をやめた。
本を何冊か作ったことがあるというのは、それだけで飯を食える程度には重宝された。
それなりの規模がある会社で人事監査もあるので、社内で理不尽なことがあったら第三者に相談して介入してもらうこともできる 。
まったくなんの不満もないといえば嘘になるが、
理不尽に対してどう対抗したらいいのか、
私はまだその知性が足りていない。
きっかけは今日仕事中に聞いていたFMラジオで、「こんな理由で謝罪文書きました」という体験談を募集していたことだ。
っていうかその謝罪文書いたあげくでその会社やめたな…とふと過った。
一体なんでそんなことになったんだっけ。
思い出せないのだ。
これが。
謝罪文書くなんてそうそうないことなのに、しかもそのせいで仕事をやめまでしているのに、何を謝らなければいけなかったか思い出せない。
これから書くのは、大体10年くらい前に働いていた零細企業に対する恨み言だ。
これを世に放つことに何らの建設的な意義はない。
ただ、社会人をはじめて十年を数えて思うんだが、
理不尽にたいして「理不尽だ」と考え、適切に怒ることには、知性と経験値が必要なのだと思う。
どちらも足りていない私は、こうして何年かあとにじんわりと怒ることしかできない。
それでも、次に待ち受ける理不尽に対抗するために、私は私の怒りを書きとめ理解しておこうと思う。
目次としては
会社のこと
である。
思い付いた順にむかついたことを書くのでものすごく長くなると思う。
ほとんどが零細で人が足りなくて激務で、即戦力以外を雇う余裕はない。
だから、未経験者を雇ってくれる会社なんて貴重だった。私は飛び付いた。編集の仕事がしたかったのだ。
よそで編集を学んできたやつは素直じゃないから、未経験の若いやつを育てるのだ、という話だった。
社長がPCを使えないので、社員がPCで仕事をすることはあまり好まれなかった。
それらはなるべく避けるべき手段とされ、
(余談だが、そこをやめてスキャナつき複合機に触れたとき、便利すぎて涙が出た)
机の回りにはいつも紙が溢れ、複数の案件を進行しているとすぐになにがなんだかわからなくなった。
でも社員は全員その環境で仕事をしていたので、これは私が能力が足りなかっただけかもしれない。
確かどっかの転職サイトを通じて応募したんだが、
エントリーシートに大学の在籍ゼミのテーマ、という欄があった。
私は素直に書いた。社会学部の出身で構造主義を中心に学ぶゼミで、卒論のテーマはこれこれでした。
そしたら面接の場で、構造主義とはなにか説明しろ、と言われた。
私は一瞬言葉につまった。
どこからどう説明したらいいんだろう?構造主義のあらましを知りたいんだろうか、考え方を知りたいんだろうか?
そんなことを探り探り喋ったので要領を得ない話し方になった。
ただ、そしたらそこからブチキレられた。
雑居ビルのワンフロアで、仕切りもなにもない打ち合わせスペースみたいなところで、
社員みんなが聞き耳をたてているなかで怒鳴り散らされた。
バカの癖にいきがるんじゃない、その利口ぶった精神が気にくわない。
そのくらいのこと俺はわかる、教えてやろう構造主義というのは~~で○○で××だ!
みたいなことだった。
ちなみに~~で○○で××の部分は、あとでわかったがウィキペディア丸写しだった。
今ならわかるんだが、要するにエントリーシートに偉そうに小難しいこと(?)を書いたのが気にくわず
私の鼻っ柱を折りたくて、わざと答えにくい質問をし、わざと怒鳴り、
事前に用意しておいた丸暗記の知識を捲し立てたのだと思う。
ともかく社員が自分の知らないことを知っている、のが許せない人だった。
ただ、その時はわからなかった。
バカだったし、まだ就職氷河期の残り香が漂っている頃だったし、編集者になりたかった。
すらすらと説明できなかった私が悪いし、中途半端にしか理解していないのに偉そうにエントリーシートに書いた私が悪い。
そう思ってしまった。
もちろん裁量労働制()だったから残業代という概念はなかった。
○○~、ちょっとこ~い、といって。
呼び出されていくと、近くの店でおしることかハンバーグとかを奢られた。
ありがたいようだがそれで一、二時間はゆうにつぶれたし、そのぶんの時間は深夜まで働いて埋めるしかなかった。
聞かされる話は益体もないものだった。
キャバクラのおねえちゃんは学費を稼ぎながら大学にも通っていて偉いんだ、俺がバッグを買ってあげたら喜んでいた。
スナックのママに褒められた。俺はどうもそこら辺のおっさんとは違うようだ。
俺は百人切りを目指しているんだ、あと何人だ。
ほんとにこんな話ばっかりだった。
勤めて一年かなにかのとき、お祝いだと言ってつれていかれた焼肉屋で、
あと高校の同級生に半陰陽の人がいて、性器を見せてもらった話とかもしてた。
ここまで書いてふと注釈の必要に気づいたが、エロ本の会社ではない。
当時まだ30半ばだったが社長になれと言われて会社の株を買わされていた。
見た目は好青年風であり人当たりが柔らかかった。
だが、その実態は、上には媚びへつらい下には無理をさせる、社長のイエスマンだった。
少し話が遠回りをするが、私には同期入社の同僚がいた。
なんだか惚れっぽい女の子で、入社一ヶ月後には次期社長に心酔していた。
はじめから無理とわかっているスケジュールの仕事を、次期社長はなんの調整もせず経験一年にも満たない彼女に投げた。
悪いことに彼女は実家住まいで、片道二時間弱くらいかけて通っていたため終電が早かった。ますます彼女の仕事は進まない。
私は気の毒に思い、帰れない日はうちに泊めてあげていた。
もちろん仕事を手伝わされた。
その子は次期社長に心酔していたぶん、采配が甘く助けてもくれないことがわかると怒りもひとしおで、ずーっとうちで次期社長の悪口をいっていた。
彼女が辛い立場なのはわかっていた。でも私は一人で眠りたかった。
ある日、「悪いがどうしても無理だ、なんとか今週末は一人にしてくれ、家に帰ってくれ」と彼女に頼んだ。
本当に限界だった。
しかし彼女は彼女で、それは困るなんとか手伝ってくれと食い下がった。
「私の家に泊まれる前提で」「休みの日は私が手伝う前提で」仕事のスケジュールを組み立てていた。
待てと思った。
百万歩譲って同僚の彼女は仕方がない。
彼女の立場では、次期社長にそういわれてはそのスケジュールに間に合わせるしかない。
だが、次期社長は。
その対策を講じるどころかそれを利用して、
しかも次期社長自ら言うのでなく同僚の彼女にその交渉を任せて、
それで社長には「仕事は進んでますよ、でも彼女も新人ですから」なんて言っていたのだ。
そうして社長にはいい顔をし続け、部下への嫌な交渉は部下にやらせていたのだ。
私はこの人が大嫌いだった。社長も大概くそだが社長より嫌いだった。
長くなったので続く。
就職活動で講談社に行ったことがある。体育館みたいな所で、十個ほどの、ちょうど保健室のベッド同士を区切っているようなアレ(何て言うのか分からない)で区切られたブースがあり、そこで各々二人ほどの社員に面接される形であったが、その面接の前に、高校の教室ほどの広さの場所で、順番を待つことになった。
パイプ椅子が30ほど並んでいて、順に座らされたが、怖い用務員のような人が隅っこに座っている。用務員のような人(以下用務員さん)は、まず一人一人名前を誰何し、続いて「講談社の雑誌で最も面白いものは何か?」と各人に聞いて回った。
そこで驚いたのは、
「えっと、知りません」
僕だってそんなに講談社が好きなわけではなく、まずエントリーシートが通ったからひとつ物見遊山的に受験したところがあったけれども、さすがに「モーニング」ぐらいは知っている。
「知らないだと?」
と聞いたが、当該の学生は、
「ええ……」
と答えるのみである。本当に知らないのか。
「講談社の面接に来たんだろう、君は。本当に一つも知らないのか」とか、
「一冊ぐらいは分かるだろう」とか、
学生に用務員さんは聞くのだが、やはりその学生は「はあ、」とかなんとか曖昧に返すだけである。
用務員さんは最後に、
「いいんだね、そのように報告するよ」
とかなんとか言って、質問を打ち切ったと思う。
僕はその学生がどうなったかは知らない。天下の講談社にまで来て講談社の雑誌をひとつも知らないというのはいかにも驚くべき話だが、しかしその「用務員さん」が何者であったかについても、やはり気になってしようがない。
もしかして、有名な人だったりするのだろうか。
あるいはもしかしすると、その学生も、今はかなり有名な人になっていたりしないだろうか。
どちらもベクトルは真反対かもしれないが、かなりの大物のような気がしてならない。
そんなことをこの時期になるたびに思い出すのである。
(ひとつ就活に役立つ話をしておくと、面接担当者の手元のシートには「特A」「A」「B」「C」という欄があるのを見つけた。特Aとは一体どのような人材なのだろうか、やはり何年も経った今も気になってしようが無い。)
ちょうどリーマン・ブラザーズの影響で就職氷河期だ、と言われていた時に就活をしていたんだけど大概な会社に何社か遭遇した。
もっとひどい面接をされた、とかこんなん序の口だという人もいると思うけど、個人的にその中で印象的だったのを紹介したい。
・オリジナリティをだせ
って感じだったので、それなりに時間をかけて苦労して作成した。
そのかいあってか、エントリーシートは通って面接までこぎつけた。
特に自分は6時間かけて遠方からその会社に来ていたのでそれも含めて和気あいあいと面接は進んだ。
「合否は1週間以内に出ますが、落ちてしまった場合こちらからは電話やメールの連絡はしません。1週間経っても連絡が来なかった場合は落ちたと考えて下さい」
と言ってきた。
これに自分は頭にきたのをすごく覚えてる。
こちらは本気で取り組んで、時間もかけてお金もかけて面接にきた。
受かる受からないは自分の実力だが、落ちたことすら連絡しないのは何様だこの野郎と感じた。
サラリーマン金太郎的な感じでそんな礼儀知らずな会社はこっちから願い下げじゃい、落としてくれ
と言えたのならかっこいいが、こっちも就職難でヒィヒィ言ってたのでそれでも受かるのなら、と一言「わかりました」
返事をした。
少なくとも興味を持って受けにきた学生に連絡すらしないのはいかがなもんか。当時は買い手市場だったのでそんなことができたのか、はたまたその会社の風土なのかしらんがそういうことをする企業もいるので、勝手に内定を辞退する学生がいても非難される筋合いはないと思う。
それこそお互い様だと思う。
ちなみにその会社は落ちた
もし社会人になってから挽回する気があるなら転職しやすい業界にするといいよ
社会人長いからね、最初の会社で何十年も後悔するよりなら次を見据えて動けたほうが過去を反省できるし良い
あとエントリーシートは一緒に書いてくれるサービスが結構あるから探してみるといい
俺は結局使わなかったけど(説明するのが面倒くさくて)
未だに就職が決まらなくて毎週のようにエントリーシートの締め切りに追われている。
出さなきゃまずいと分かっているのにとにかくエントリーシートの文章が書けない。志望動機や自己PRのたった800字や400字が埋められなくて今まで何社も諦めてしまった。
何のスキルも無くて、生活の為の割り切りも出来ないのに、好きなことに生きる踏ん切りもつけられない、とにかくゴミみたいな甘ったれなんだなとようやく気付いた。誇れるものなんてあるわけないよね。なんかもう生きてちゃいけない気がする。
何で今まで生きてこられたんだろう?こんな木偶の坊と一緒に働きたいと思ってくれる人なんてどこにもいないだろうな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/job-draft.jp/articles/173
megumin1 転職ドラフトは、エントリーするときに「誕生年」という「年齢・人種・出身など面接時に絶対に聞いてはいけないこと」を必須入力項目にしているので、年齢差別システムだと炎上する前に項目を削除したほうがよいです
確かに人種・出身・身分といった面接と関係ない事柄は把握してはいけないことが定められている。
厚生労働省「公正な採用選考の基本」から引用 http://www2.mhlw.go.jp/topics/topics/saiyo/saiyo1.htm
公正な採用選考を行うことは、家族状況や生活環境といった、応募者の適性・能力とは関係ない事柄で採否を決定しないということです。
そのため、応募者の適性・能力に関係のない事柄について、応募用紙に記入させたり、面接で質問することなどによって把握しないようにすることが重要です。
(中略)
なお、個人情報保護の観点からも、職業安定法第5条の4 [231KB] 及び平成11年告示第141号 [231KB] により、社会的差別の原因となるおそれのある個人情報などの収集は原則として認められません。
(注:これらの法令中の「公共職業安定所等」「職業紹介事業者等」には、「労働者の募集を行う者」も含まれます。)
『応募用紙』については、新規中卒者は「職業相談票(乙)(PDF) [1,888KB]」、新規高卒者は「全国高等学校統一応募書類(PDF) [1,889KB]」を用いることとされています。
また、新規大卒者は「新規大学等卒業予定者用標準的事項の参考例(PDF) [1,889KB]」又は「JIS規格の様式例に基づいた履歴書(PDF) [1,889KB]」、
一般は「JIS規格の様式例に基づいた履歴書」を用いるようにし、事業主が独自に応募用紙やエントリーシート(インターネット上の応募入力画面)の項目・様式を設定する場合は、
しかしながら、ブコメで指摘されているような誕生年については、収集が認められていないとは書かれておらず
厚生労働省が推奨する応募用紙中にも全て生年月日の記入欄があるため、一般的な採用活動で誕生年を収集することは認められていると考えるのが妥当である。
君は最高のキーボード「Realforce」を知っているか。東プレ製の、1枚2万円近くする超高級キーボードだ。このキーボードは、とんでもなく高くて、とんでもなく打ち心地がよくて、とんでもなく頑丈で、そしてとんでもなく愛おしい、最高のキーボードだ。
俺とRealforceの出会いは、中学2年の夏だった。パソコンオタクでFPSをやっていた俺は、ゲームで強くなるために良い周辺機器を買おうと思った。ネットで情報を調べているうちに目に止まったのがRealforceだった。そのキーボードは地味な見た目で、特別な機能があるわけでも無ければ、デザインがいいわけでもなかった。しかし打ちやすくて頑丈だという評判だった。価格は2万円。中学生にとっての2万円は、大人にとっての20万円に相当する。とんでもなく高価な代物だ。しかし、地味だけど上質な道具というものは、時に厨二心をくすぐる。俺は悩んだ末、貯めておいたお年玉をはたいて通販でRealforceを購入した。選んだのは黒くてテンキーのない日本語配列のものだった。数日たってRealforceが家に届いた。始めて触る高級キーボードは、評判に違わない打ち心地だった。ザラつきのないなめらかな打ち心地。羽根のように軽いキー。指を動かすたびにコトコトと心地よい感触が伝わる。考えたことをそのまま文字にしてくれるような、体験したことのない感覚だった。今までキーボードを打つなんて面倒でしかなかったが、Realforceを買ってから、キーボードにもっと触っていたいと思うようになった。俺はタイピングゲームにのめり込むようになっていった。
パソコンオタクだった俺は、パソコンの勉強なら楽しいかなと深く考えず情報系の学科がある高校に進学した。高校の偏差値はべらぼうに低かった。俺自身、顔面の偏差値も低かったし、友達も少なかったし、スポーツも出来なかったから、自分に自信がまったくなかった。2年生になると、情報の授業でタイピングをやるようになった。コツコツとRealforceでタイピングの練習をしていた俺には、授業のタイピングは楽勝だった。周りの生徒が100文字打つ間に、俺は打ちづらい学校のキーボードで500文字打った。しかし、俺はクラスで一番タイピングが早かったけど、それは周りのレベルが低いだけでタイピング界隈では決して早いとはいえないレベルだった。だからそんなことでは自信はつかなかった。ところが2年生の時、俺のタイピングを見た先生に、君はタイピングが早いからワープロ部に所属してタイピングの大会に出ないか、と誘われた。部活なんて面倒くさかったが、大会に出るのは面白そうだと思って承諾した。次の日から俺は、パソコンオタクがひしめくワープロ部にRealforceを持って通うことになった。家に帰ってもやることはなかったし、友達も大していなかったから、俺は毎日放課後にパソコン室に行って、2時間くらいタイピングの練習をしてから家に帰る生活をした。Realforceで文字を打つのは好きだったから、練習はあまり苦にはならなかった。高校3年生のある時、俺はタイピングの県大会に出た。初めての大会だった。紙に印刷された文章をタイピングし、10分間で何文字打てるかを競う大会だった。キーボードの規定はなかったから、当然自分のRealforceを持ち込んだ。大会に出るといっても入賞する気なんて全然なかったが、なんと俺はその大会で優勝してしまった。ダントツの文字数だった。コツコツ努力し続けた結果、いつの間にか県で一番になっていたのだ。高校生だけの小規模な大会とはいえ、県大会で優勝するという経験は、自分にとって圧倒的な自信に繋がった。この自信を与えてくれたのは、紛れもなくRealforceだった。タイピングが早いからって飯が食えるわけではない。でも、Realforceは、ちっぽけな自分に自信を与えてくれた。
俺は高校を卒業し、大学に進んだ。俺は情報系の学科がある大学を選んだ。大学では部に所属してタイピングをすることも、大会に出ることもなくなったけど、タイピングの練習は毎日続けた。大学生になっても、Realforceは常に俺の手元で活躍してくれた。その大学も去年の春に卒業した。パソコンオタクの中学生が、今ではいっぱしの社会人だ。Realforceは、大したことない俺の青春の中で、常に手元にあった。
そんなRealforceが、3日前に壊れた。おそらくもう寿命だったのだろう。基盤が壊れてしまったらしく、文字が入力できない。かなりハードに10年も使ったのだ。改めて見てみると、消えにくいと評判のキーの印字がすっかり薄くなっていた。これだけ使ったのだから大往生なのだろうが、壊れてしまったのだと悟った時、涙が出た。始めてRealforceを触って感動したとき。FPSで敵キャラを撃ち殺したとき。タイピングゲームで良いスコアを取れた時。掲示板で相手を論破したとき。大会で優勝したとき。徹夜で大学のレポートを書いたとき。今の会社のエントリーシートを書いたとき。増田で仕事の愚痴を書いたとき。最高の道具として、最高の相棒として、Realforceは俺に付き合い続けてくれた。Realforceが無い人生は、どんなものだっただろう。想像もつかない。
昨日、新しいRealforceが届いた。見た目は相変わらず地味だった。見た目からは2万円もするキーボードだとはとても思えない。でも、俺はこのキーボードが最高の道具であることを知っている。黒くてテンキーが付いた英語配列の新しいRealforce。文字を打ってみると、同じ打ち心地の製品のはずなのに、まだ違和感がある。でも、すぐに気にならなくなって、新しい俺の最高の相棒になってくれるだろう。(所要時間7秒)
能力は大学の同期と比較しても、そんなに問題がないと思っているんだけど。
そりゃ、問題がまったくないなんていわないよ
わかりやすい成果や業績があるわけでもないし、成績だってそこまで良くないし
ちょっとだらしない部分はあると思う。
でも途中までは、反応よかったと思う
具体的にやりたい仕事を語れって言われたから、わりかし具体的に語ったら
視野が狭い、数年しかやっていない専門なのに、これからの長い会社人生を決めるな、と言われた
そっちが具体的な技術と絡めて語れっていったから、頑張って捻り出したのに。何だよそれ
いえ、これからなんでも勉強して追いつけるように頑張るつもりです、つったらそれはそれで微妙な顔になっているの?
それともエントリーシートに書いていないことをアピールしたのがいけないのか
でも話の流れ的に、エントリーシートに書いたこととつなげて答えたら、アスペ認定されるだろうし
休学理由として精神病歴を素直に告白したら、反応がガラッと変わったもんなあ
いやあ、あそびたくなって遊んでました~ってやればよかったのか。
ほんとはずっと、布団被ってたのに?
ちょっと外に出るたびに3日は寝て過ごさなきゃいけなかったのに?
遊んでも、疲れて虚しくなるだけだったのに?
クローズのゲイとかも結婚のこととか聞かれたときは割り切って嘘ついてるのかな?
それとも、企業の安定性って大事ですもんねーなどと相槌を打てばよかったのか
今年の春に、従業員100人くらいのそこそこ歴史のある中小企業に入社した新卒だけど。
というのも、直属の先輩や上司の中に、一般人認定を持っていない人が何人もいることが分かったからだ。
気付いたのは、この前の何とかっていう出版社が共謀罪で摘発された事件についての雑談していたときのこと。
オレが「捕まった連中は一般人認定持ってなかったらしいっすよー」って話を振ったら、先輩も上司も何か歯切れ悪く黙ってんのよ。
そしたら、隣の課の先輩がいかにも慌てた様子で、急ぎでもない仕事の話を唐突に振ってきて。
変だなーとは思いつつも、その場はそれでお開きになったんだけど。
で、あとからその隣の課の先輩が教えてくれた話によると、驚くことに、先輩も上司も一般人認定試験を受けていないらしい。
今どきそんなことがあり得るのか、と驚いたけど、よくよく就業規則を調べてみると、確かにうちの会社は一般人認定を受けなくても規則上問題がないことが分かった。
もちろんエントリーシートには「一般人認定あり」のチェックボックス欄があったし、あたり前のことだが、募集要項にも要資格として一般人認定が掲げられていたので、入社前にはまさか一般人認定を持っていない社員がいるとは思わなかった。
何でそんなことになっているのか隣の課の先輩に聞いたら、なぜか本人たちが試験を受けたがらないということらしい。
でも、今どき一般人認定を持っていない社員がいるなんて知られたら、対外的にも相当ヤバイんじゃないんですか?って聞いたら、さらに渋い顔になって、これは噂だけど……と前置きした上で、実はうちの会社の社長も一般人認定を持っていないらしいっていう衝撃的な話を聞かされることになった。
これってもう、グレーっていうかほとんどブラックに近い状態じゃないかと思うんだが、どうだろう。
っていうか、そもそも一般人認定は誰でも簡単に受けられる試験な訳で、これを受けていない時点で明らかに後ろ暗いところがあるってことじゃん。
そんなヤツらが野放しになっていて、ましてや同じ会社の中にいるなんて怖くて仕方がない。
このままじゃ、下手したらオレまでテロリストと誤解されかねないし。
一般人認定をさっさと義務化しておけば、オレがこんなに怖い思いをして悩むことも無かった訳だし、義務化に反対している人たちはホント何なの?
人事畑の人間として心配で心配で伝えたい事がある。病気や障害を一般枠応募でカミングアウトするな。
なぜこんなことを書こうと思ったかというと最近多すぎる。エンカウント率が高いとある障害があるからだ。
新卒の学生で「私は吃音があり、上手く話せないことがあります」、「私は吃音があるので、話せないことがあるので合理的配慮をしてほしい」だとか。
最近、発達障害者支援法に含まれた新しい障害らしい。発達障害だから精神障害手帳をとれるとか。
でも法律に入るまえから話し方おかしい人は不採用傾向だけどね。
ごめんなさい。
人事の業界では障害とか病気とか変な人とかは出来る限りは採用したくないんだよ。
吃音のある人たちって精神障害とか発達障害の人の就職活動ルール(カミングアウトするなら障害者枠、隠すなら一般枠、一般枠でカミングアウトはNG)みたいなの共有されていないのかなと心配になっています。
人事系の研修やらで知り合った他社の人事からも同じ声が出ている。
吃音ですとカミングアウトして応募してくる学生が多くて困っている。
吃音のある人はカミングアウトしなければいけないみたいなルールがあるんだろうか。
吃音のある人のコミュニティってカミングアウトしないといけない教みたいなのあるのかと?ここ2年くらいでよく見かけるってさ。もしもカミングアウトしなければいけないとか変なルールがあるんならそれ間違いだから気をつけて。新卒という貴重なチャンスなんだから馬鹿正直にならなくていいからね。
吃音をカミングアウトするなら、仕事の際に配慮してほしいんなら障害者手帳を持って、障害者枠で応募してください。これホントにお願いします。
一般枠でカミングアウトって自殺行為だから。不採用一択なんです。もしも働きたいならちゃんと隠してください。運良ければ採用されるから。
CAになりたい。
と思いたった大学2年生の冬。
CAになるために通う塾みたいなのがあって、そこに通うことを決めてほとんど毎日一生懸命通った。
学生生活もできることを一生懸命やってきたので一生懸命エントリーシートも書いて、たくさん先生と相談してきた。
でもそろそろ面接が直前に近づくにつれて、ものすごく自信を失ってきた。
CA塾の授業もどんどん厳しくなっていって、こんなんじゃ落ちるよと何度も言われて、人格まで否定されて、今までの人生やってきたことすべて何も通用しないかのような言い方をされる。
しんどい仕事だから憧れだけじゃ成り立たないってことももう十分わかった。
でも根本にあることって相手を思いやって、感謝されて嬉しいと思える職業じゃないのか。
CA に関わらず世の中の人はそう言うところにやりがいを感じて仕事してるんじゃないのか。
その職業につくためにこんなにも貶されてボロカスに言われなきゃならないのか。
それならもういいかな、なんでわたしこんなに怒られてるんだろう、なにになりたいんだっけ、って思ってしまうぐらいの根性ならなれないってことか。
正直すぎるんですかね。その歳で自分にはこれしかないと思える人なんてそうそういないでしょう。
直感でいくつか選んで、エントリーシートにはもっともらしいことを書き、面接ではシレッときれいごとを言えばいいんじゃないですか。
それが難しいのかなぁ。いわゆるお勉強はできるのでしょうから、踏ん切りをつけて開き直りさえすれば、道は開けると思います。
無責任に聞こえるかもしれないけど、仕事に対するこだわりのなさを逆手にとって、流れに乗って決まったところに飛び込んでみたら、やりがいが後からついてくることもありますよ。
ただし、切羽つまってるようには見えませんので、状況が許されるのなら無理やり就職することもないでしょう。あなたも周りも不幸になります。
専攻は電気電子。抵抗とコンデンサと格闘する毎日を過ごしていました。夜遅くまで結果が出ずイラつくこともあるがなかなか楽しかった。
奨学金を受けた当時(18歳)では、就職すれば返せると判断していた。就職できないという未来を想定していなかったんですね。
奨学金の心配もあるので、かなり早めに就職活動を始めました。内定を1つも持たないことには将来設計がたたないと思ったからです。
当時は大手とか、大手の子会社あたりを受けてました。似た研究していた先輩が入っていたこともあり、ワンチャンあると思ってました。
しかしながら上手くいかず。面接の練習も沢山しましたし、キャリアセンターや外部のエージェントと協力してもらいながら就活してましたけどダメでした。
エントリー社数をどんどん増やして、もう高卒でできる仕事にも応募出しまくりました。
この頃は朝6時には起きて、朝9時から夕方5時まで就活、夜帰ってきてから大学院で研究。夜11時ごろに実験を終えて、その後エントリーシートを書き深夜2時に寝る。という生活をしていました。思えば精神に来ていました。
何しろ計1000万の借金があるため、毎日気が気ではない。新卒に失敗すれば、日雇いバイトで返済する他ない。贅沢は許されず子も作らず、人生の希望が持てない状態になります。
となれば、就活に失敗イコール自殺に結びつきます。こんな人生は生きてて楽しくないと。より強迫観念を感じるようになるわけです。
こう来ると、お祈りを1通受け取ること、時間が経過することが絞首台への階段を登ることのように感じられるわけです。
面接官が、自分の死の引き金を持つ殺し屋のように見えてくる次第です。
そんな状態で何も成功するはずもなく。60社ほどですかね、全部ダメでした。客観的に見ても覇気が失われてきます。
キャリアセンターとかの人から見放されてきているような気すらしてきます。
そんな状態でも、研究は止められないです。止めたら留年ですから。1000万の借金がのしかかる。
でも、うまくいかないんですよね。
15年前。
時期だけが違うだけで、(あとインターンがそこまでなかった)ほとんど今と一緒。
100社説明会いって50社くらいエントリーシート出して、第一志望おちて第二決まったとこで就職活動終えた。
リクナビとかから死ぬほどメールきてたけどほとんど読んでなかったな。興味本位でものこの量の会社説明会に行っていた。合同のは行ってない。自社のプレゼンを大規模にやる場所で社長とかがしゃべる説明会がやっぱり面白かった。
10年前に地方で就活した文系。時期はともかく、流れは今と一緒なんじゃないかな?
3年生になると、インターンとか行きだす。
夏~秋に、みんななんとなくリクナビやマイナビあたりに登録し始めて、みんななんとなく業界研究や企業研究、自己分析なんかをはじめる。俺はしなかったけど、OB訪問をする奴もいた。
冬くらいになると企業の合同説明会なんかが始まるので、気になる企業の説明会に参加しだす。
年明けくらいに、取り合えず唾つける気分でエントリーしまくって、企業単独の説明会に参加しだす。エントリーした企業から会社説明などの書類や選考書類が郵送されてきて、うんざりする。あとは、エントリーシートに備えて志望動機をや自己分析を練るのにも、うんざりしてたな。
2月くらいになると、企業ごとに志望動機とかを書くエントリーシート(今もあるのか?)を提出する。たぶん30社前後?Webで出すとこもあれば、郵送のところもあった。この辺で、リクルーターから携帯かメールに連絡が来る。
3月になると、面接が本格化して、既に内定が出てる同級生なんかも出始める。