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はてなキーワード: 貴族とは

2019-05-11

文系学問における注と参考文献の話、補遺

文系学問において資料実在証明するものとは何か」(anond:20190510230425)についたブコメに応答&補足説明します。

参考文献と注は違うよ!

Wikipediaですら参考文献を求められるので、参考文献(ここで言っている注)のない本はある意味Wikipedia以下の信頼性と考えられても仕方がないことを多くの人に知らせるべきだと思う。

参考文献と注は違います! ぜんぜん別です! 参考にした本を並べてあるのが参考文献(厳密にはこの場合「参考文献一覧」)で、本文中の記述の出典を直接明らかにするのが注です!

参考文献と注については、以下の4つの組み合わせが考えられます

  • a)参考文献も注も揃っている
  • b)参考文献はあるが、注はない
  • c)参考文献はないが、注はある
  • d)参考文献も注もない

このうち、研究書として許されるのはaとcだけです。ここで問題にしているのはbとdで、多くの学術的な新書はbであり(中公新書とかでよくあるやつ)、ごくまれにdみたいな本があります最近だと、岩波新書の『ロシア革命』)。

えっ、cも許されるの? はい、許されます。なぜなら、個々の注でしっかりと典拠を示してある場合は、参考文献リスト存在せずとも出典の表示に不自由はないからです。

これだとわかりづらいかもしれないので、架空の例で説明してみます(わかりづらいかと思ったので書き直しました)。

a)増田うんこを漏らした(注1)。一方、同人作家おしっこを描いた(注2)。

(注1)はてな太郎増田研究Hatelabo2019年、819頁。

(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

b)増田うんこを漏らした。一方、同人作家おしっこを描いた。

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

c)増田うんこを漏らした(注1)。一方、同人作家おしっこを描いた(注2)。

(注1)はてな太郎増田研究Hatelabo2019年、819頁。

(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.

d)増田うんこを漏らした。一方、同人作家おしっこを描いた。

cでも十分に出典表示として問題のないことはご理解いただけるでしょうか? 実際、英語圏でもcのような本はたまにあります。そして、著書ではなく論文レベルだと、cのようなやり方を採用している雑誌はとても多いのです(日本語圏でも英語圏でも)。いや、もちろん理想を言えばaみたいな本であるべきなんです。でも、紙幅の都合というものがあり、印刷費が嵩むからどこかを削りたい、となった場合には、真っ先に参考文献が削られてしまうのは致し方ないと思います

日本出版問題は、そこで「参考文献ではなく、注を削ろう!」という話になってしまうことです。違います注か参考文献、ページ数の関係上どちらかを削らないといけないのなら参考文献を削るべきなんです。

もし注がしっかりとつけられていれば、参考文献の欠如は「どんな文献があるかひと目でわかりづらい」程度の問題しかなりません。しかいくら参考文献があったところで、注がなければ「ではこの記述典拠はいったい何なのか」という根本的な問題惹起します(bの例から正しい出典を復元できるでしょうか?)。参考文献は省いても構いません。しかし注を省いてはダメなのです!(学術的な新規性のある本ではなく、学界の定説初心者向けにわかやす纏める本でなら、読みやすさを優先して逆の判断になっても構わないのですが)

もちろん、これはauthor-date方式やMLA styleの注をつける場合には適用できません。どういう方式かというと、次のような方式です。

author-date方式

増田うんこを漏らした(はてな 2019: 819)。一方、同人作家おしっこを描いた(Arim 2019: 8107)。

参考文献リスト

Arim, Y. 2019. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies.

はてな太郎.2019.『増田研究Hatelabo

MLA style:

増田うんこを漏らした(はてな 819)。一方、同人作家おしっこを描いた(Arim 8107)。

参考文献リスト

Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.

はてな太郎増田研究Hatelabo2019年

こういう方式の注をつける場合には参考文献が絶対必要です。当たり前ですね(author-date方式についてはanond:20190511230117も参照)。

2種類の「参考文献」

自分実験室の試験管”イメージ偏ってるなー(´・_・`)理系論文での引用たことないんかな。普通に出典書いてるし、それを叩き台に積み上げたり、否定したりするんだが。博士論文なんか引用文献沢山乗るしね

理系学問についてのイメージが偏っている点についてはごめんなさい。でも引用については、申し訳ないけれどそちらが勘違いされていると思います(もちろん私は理系論文ちょっとしか読んだことないので、私に事実誤認があれば教えてほしいのですが)。

文系学問において、参考文献には2種類あります

このうち、理系論文で文献として挙げられるのは「先行研究」だけですよね? でも、文系では「一次文献」も参考文献に含まれ、そこへの参照が論文重要な核を占めているのです。

たとえば上皇陛下が書かれた論文(※1)を見てみると、確かに末尾にずらずらっと先行研究が並んでいますが、論文の核となる部分はあくまハゼ遺伝子を解析した部分にあって、それは当然ながら実験室で採られたデータであり、何らかの文献によって引証される類のものではないわけです。

しかし、皇族つながりで天皇陛下が書かれた論文(※2)を例に出すと、この論文において著者の主張の裏付けとなっているのは古文書における記述であって、その原本研究施設が所蔵していたり史料集として公刊されていたりするわけです(史料集って何ぞや、という点については後述)。

私が最初増田で言ったのは、この「一次文献」の問題です。多くの場合理系ではこういう資料引用しないですよね(最近だと古天文学歴史的史料引用するとかあるのかな?)。しかし今回の研究不正がなされたような分野においては、そのような資料こそが研究の核心にあるという話です。

もちろん、慌てて言いますが「なにをデータにするか」は研究対象によって異なります文化人類学のような分野では、ヨソの土地まで出かけていって住人たちとの会話を書き取ったもの資料です(この分野だと「インタビュー」とかいう生易しいものじゃなくて、ヨソの土地に住み込んでその土地言語習得して日常生活を過ごす中で遭遇した会話や出来事を持ち歩いてるノートに書き付ける、という調査方法が採られます。これを参与観察というわけですが、私にゃ無理ですわ)。記述言語学だと研究対象の言語話者にその言語を口に出してもらって記録する(「これを○○語でなんといいますか?」と聞くこともあれば、話者どうしで会話してもらってそれを横で聞くパターンもあり)、というやり方になるんだろうと思います。なので私が言っているのは、あくまでも近現代史やその隣接領域での話だと思ってください。

一次史料からといって信憑性が高いとは限らない

文系生データは出典となる書籍だったり、原典資料がある場所と。原典原典って、どんどん辿っていけるブロックチェーンみたいな形式理想ってわけか。一時情報当事者証言なら信憑性高いって判断にはなるし

違います! 当事者証言からといって必ずしも信憑性が高いわけではありません! たとえば戦争犯罪裁判にかけられた人の証言のことを考えてみてください。彼もしくは彼女証言をそのまま「信憑性が高い」として扱ってしまってよいか? そんなわけはない。

歴史学において一次史料が重視されるのは、それが「生データ」だからです。それはひょっとしたら当事者の保身によって捻じ曲げられているかもしれないし、当事者が間違えているかもしれないし、当事者が見ても聞いてもいないことは書かれていないかもしれない(たとえば「沖縄返還をめぐる日米交渉」を研究しようと思ったとき日本側の史料は「日本側の政策決定過程」を教えてはくれますが、アメリカ外交官たちがどういう考えを持って交渉に臨んでいたかを教えてはくれないのです。それを知りたければアメリカ側の史料を見るしかありません)。けれども新しい研究は必ず一次史料から出発する必要があるのです。何故ならそれは昔の人によって直接書き記されたものから

なので歴史学では「史料批判」というものを重視します。これは説明すると長くなるので詳しくは歴史学入門書とかを読んでほしいんですが、要するに史料に書かれていることはどのくらい信用できるのか、みたいなことを分析するわけですね。あれれ~? おっかしいぞ~? この人、自分は後方にいたか虐殺行為に関わってなかったって言ってるけど、部隊の記録では後方にいたなんてどこにも書いてないよ~?

(「なにが一次史料か」というのも研究対象によって変わります特に科学史史学史といった分野では「他の研究において先行研究とされている文献が一次史料である」という状況がしばしば発生するのですが、この理屈はわかっていただけますよね)

デジタルアーカイブ史料

図書館ScanSnap SV600を完備し研究する皆の熱意でデジタルライブラリが出来るといいな… P2Pで共有されればノード消滅にも耐えられる。しか日本ではプリウスミサイル上級国民は不逮捕で、P2Pプログラマ逮捕なので

出来るといいな、じゃなくて、既にあります

たとえば国立国会図書館デジタルライブラリーには幕末以降の古書が多く登録されていて、PDFで落とすことができます。archive.orgや、フランス国立図書館デジタルライブラリー「Gallica」も有名ですね。こういうところに所蔵されている文献については、わざわざ現地の図書館まで行かなくともPDFダウンロードすればそれでよいわけです。デジタル化によって歴史学者の仕事は格段にやりやすくなりました。18世紀ドイツ語の本をコタツに入ったままで入手できるんだもんなぁ。

しかし、当たり前ですが全ての史料電子化されているわけではありません。国によってデジタルライブラリーの整備状況に違いがありますし、そもそも現代以降に出版された印刷物の数を考えたら全部をデジタル化するなんて人手も時間も足りない、という場合もあるでしょうし、身も蓋もない話をすれば著作権問題もあるでしょう(とある国では、その国の図書館に直接行かないとデジタル化された史料アクセスできなかったりします。てっきりPDFはないと思っていたのですが、著作権上の問題で館内からしかアクセスできないようになっているだけだそうです)。

また、多くの国では、公文書館史料まではデジタル化は及んでいません。元増田でも書きましたが、お役所ちょっとした書き付けなんかも史料になるわけで、それ全部デジタル化しようとしたらとんでもない数になります(これについて、日本戦前外交文書のかなりの数をウェブで読めるので恵まれていますね……アジア歴史資料センター様には足を向けて寝られません)。なので未だに、現地に行って史料を直接見てくる、というのが重要になるわけです。

さらに言うと、史料が必ずしも公的機関によって保存されているとは限らず、貴族武士の子孫のおうちに保管されていて、読みたい人はご当主様の許可を得て読ませてもらう、という場合もあり、当然デジタル化の波は及んでいません。イギリスだと由緒ある大貴族屋敷には私設の文書館付属している場合もあり、日本歴史学者でもソールズベリ侯爵のお屋敷であるハットフィールドハウスに赴いて史料収集している人もいます。謝辞で「史料を閲覧させてくれた当代のソールズベリ侯に感謝する」みたいなこと書いてあって「すごい……」って思いました)

ただ、「みんなが読みたがる重要史料」については、史料をまとめた本を出すとか、史料を集めたマイクロフィルムを作るとか、そういう形で広く公開されている場合があります(たとえば第一次世界大戦の勃発に関しては、イギリスオーストリアなどの当事国が何十巻にも及ぶ史料集を出版していて、東京大学などの国内研究機関にも所蔵されています)。けれどそういうのを購入するのはお金がかかるし、何より発行から何十年も経ってしまうと入手自体が難しくなってしまう(でも著作権は残っているためデジタル化も遅々として進まない)ので、あんまりお金がなかったり新設されたばかりだったりする大学研究者は結局それらを所蔵している大学図書館に行く必要が……

「注があると読者に嫌われる」は本当か?

しろ最後の注を見て次の本を決めたりするので、注があると読まなくなる人というのがいるのにびっくり…

注なんて読みたくなければ飛ばせばいいのに注があると売れない……? やべえな世の中。/ みんな本当に自己防衛意識が弱いよね。優しい世界生きてるんだろうな

注があると読まない人が居るという話、ただ気持ちよくなるために情報摂取してる層には、正確性の担保なんてむしろ邪魔なんだろね。ワイドショー視聴者と同質。

これ、実際に「注があるから読まない」読者が本当にいるのか、と疑ってみるべき案件だと思うんですよね……。「編集から言われて注を外した」という話は学者あいから漏れ聞こえてきますが、「注があるから読んでいて苦痛だった」という話ってなかなか聞かなくないです? いやもちろん編集者のところにはそういう苦情のお便りが届いているのかもしれませんが……。「注があると売れない」という都市伝説が生き長らえているだけのような……(一般読者からしてみれば、注の存在に気づいてなかった、とか、なんか数字が振ってあるけど気にしてなかった、という場合も多いでしょうし)

注は別に読まなくてもいいです

ちゃんと注まで読んでるのね。今まで気にしたことも無かった…我ながら知的レベル低い…

注がついている本を読んでいる段階で十分かと思いますので安心してください。注は、もし興味がないならさらっと読み飛ばしても別に大丈夫ですよ。というか、注で典拠が示されていても、アラビア語とかギリシャ語とか朝鮮語とかロシア語とかで書かれている場合も多々あるわけで、そんなの普通の読者さんにチェックできるわけないですし。ただ、注を見てみると、おっ、ここはちゃんと原史料を読んで書いてるのか、なーんだ、ここは英語二次文献に頼って書いてるんだ、みたいなことがわかっちゃったりするので、学者仕事の裏側を垣間見ることができて面白いですし、どんな情報源を使って書かれているのか? をチェックしてみることは学術書だけでなく普通ニュースとかを読むときにも重要なことだと思いますよ。

ブコメ

物理分野では「参考文献」の意味増田とは異なる。参考文献は本文記述の直接の引用を表す。あとあまり明確に決まってないけど、注は捕捉説明を指す。「参考にした文献一覧」は存在しない。読書案内なら見かける。

誰がReferences(Bibliography)を参考文献と訳したのか。"refer"した文献のリストであって、本文の著述に紐づけられるものだけリストアップすればよく、逆に、何でもかんでも列挙して博識をひけらかすところではない。

や、まあ、文系でもたいていの場合は「引用文献」ってことですよ。それを「参考文献」と呼んでるだけ。参考にはなったけど言及してない文献は、私なら入れない(でも入れる人もいるかも)。

いま史学科にいる人間全員読んでリアルブクマしとけ。懇切丁寧な論文の"文法書"だぞ。

あなたがこの増田に感心してくれたことは嬉しいけれど、史学科の学生上から目線アドバイスしないでください。こんなの初歩の初歩で、史学科の学生さんならとっくに理解してます史学出身じゃない人たちが「そうだったのか~!」って言ってるだけ。別に史学科の常識を知らないのは悪いことじゃないけれど(私も他学科常識とかわかんないし)、自分が知らなかったある分野の初歩の初歩を解説されて、そこで聞きかじった内容をその分野を学んでいる人の前で「お前らこういうのよく読んどけよ~」って言えちゃうの、ちょっと傲慢すぎません?

2019-05-10

anond:20190510005642

貴族性を維持するための「秘宝」ってのはあればあるだけ信頼度上がるのよ

anond:20190509090034

多分この手の話をしだすと、行きつく先はすべての伝統儀式ムダじゃんという展開になるんだが

古代に遡ると日本に限らず王侯貴族宗教的儀式ばっかりやってて、教会だのモスクだのに寄付するのが立派な王様貴族みたいに思われてた

で、日本という国は、他国がもうやめた古い伝統元号改元も)を残していることを自慢している国で

それを言い出すと近代以前の大部分の伝統合理性などなく、合理性などない物をあえてありがたがるのが伝統大事にするという行為

皇室昔ながらの儀式を全部やめるべきというなら、同じように、五月に鯉のぼりを飾るのも合理性ゼロ馬鹿馬鹿しいし

1990年年代に入ってから関西ローカル風習をわざわざ全国区にした恵方巻きなんてもっと馬鹿馬鹿しい、ハロウィンクリスマスも、夏に浴衣を着るのもみんな然り

となってしま

(これらに宮内庁は関わってないけど、自治体税金つっこんでそういうのを盛り上げてる地方もあるし)

が、そーいう合理性ゼロ伝統風習現代でも残ってる理由ひとつは、それで商売してる人がいて、経済効果とやらがあるからなんだろう

皇室儀式に使われるお金も、使ったら消えて無くなるわけでなく

十二単をつくる業者だの、儀式の道具を作る業者だのの懐に入って、その業者がまた飲食したりして日本経済の一部になるのだろう

そう考えれば無駄儀式日本経済の何かになってるのかも知れん

まあ、俺も心情的には同じ税金なら震災復興や困窮児童に回せよ、とは思うけど

逆に言うと、普段その手の福祉目的みたいな税金使用を渋る経済国益第一優先の新自由主義連中が、宮内庁内廷費にけちを付けないのは不思議でならない

2019-05-09

左翼右翼の種類

自由主義

政治面では「俺たちには自由に生きる権利があって国王貴族でさえそれを侵害できないぜ」という感じ。

民主主義とか共和主義フランス革命時における「左翼」。

経済面では「俺たちが自由商売すれば自然バランスが取れるんだから政府は余計な口出しすんな」という感じ。

資本主義とか市場主義

どちらにせよ、個人権利を重視して「国家権力は小さくあるべき」と考える。

社会自由主義」の台頭後は、区別のために「古典的自由主義」と呼ばれる。

社会自由主義リベラル

古典的自由主義のように市場に任せて野放しにしていると、

差別や不平等が拡大して却って個人自由制限されるから

政府が介入して是正していくべきだ、という感じ。

中道左派。いま日本で言われているところの「リベラル」。

新自由主義ネオリベ

社会自由主義反動から、一周して市場主義に戻ってきた感じ。

自由市場のために規制緩和をし、法人税を下げたり、国営企業民営化したりする。

リベラルとの対比で中道右派と見なされる。

社会主義

資本主義格差が激しくてついてけないからもっと平等を目指そうぜ、という感じ。

共産主義マルクス主義)と社会民主主義に大別される。

左翼

マルクス主義

資本主義の発展に伴い、土地工場などの生産手段私有する資本家が、

労働者をこき使って搾取するようになったので、それを打破して平等社会を目指す。

そのためには、労働者自身生産手段管理する体制プロレタリア独裁)を、

武力を用いてでも築くべきだ(暴力革命)、という感じ。

暴力革命志向するテロリストスターリン毛沢東のような独裁者を生み出す。

左翼テロリストとかまでいくと極左

社会民主主義

マルクス主義反省して、暴力革命プロレタリア独裁否定する。

民主主義を通じて政府に働きかけ、平和的に社会主義を達成しよう、という感じ。

中道左派北欧福祉国家など。

保守主義

何らかの急進的な政治運動に対して、それに反対する立場が「保守」と見なされる。

それぞれの政治体制歴史的経緯によって何が「保守」となるかは異なってくるが、

現在のところ、政治的には「国家主義」を、経済的には「新自由主義」を指すことが多い。

右翼

国家主義ナショナリズム

もとは自由主義と連動していて、

かに支配されたりするのではなく「俺たち」が主体的に行動すべきなんだ、という感じだったが、

国民国家が成立して「俺たち=国家」となると、

「おまえも俺たちと一緒だよな」と均質化を強要したり、

「おまえは俺たちと一緒じゃない」と排外主義になったりした。

「俺たち」を結びつけるものは「民族「家族」宗教」「伝統文化」などである

個人権利よりも国家利益が優先される」までいくと「全体主義ファシズム)」となる。

こうなると自由主義とは対極という感じ。

スターリン毛沢東全体主義者とみなされたりするが)基本的には右翼排外主義とかまでいくと極右

2019-05-08

平成人は平安貴族並の堕落した世代だったな

平成と言えば頑張ることを否定する奴らばかりだった。

平成の人たちは明治昭和黄金期を否定してばかりいたが

やってることと言えば、自己中で付加価値の皆無の自己実現ばかりだった。

付加価値がないばかりか周りに害を与えているのでヤク中がラリっているのと変わらない。

中抜き派遣会社ばかり蔓延していたのも

派遣会社があくどい以上に、派遣なんかやりたがるような軟弱者が多かったせいだ。

忘れている奴も多いが、派遣社員は一時期正社員ほど働く必要がないとして注目されていた。

日本史上、これに匹敵する堕落日本人平安時代貴族しかいない。

平安貴族は遊ぶのが仕事で、あまりに体を動かさないから少し驚かされただけで気絶するし、

女にいたっては走って息切れしただけで死んだりしていた、どうしようもなく軟弱な奴らだったのだが

軟弱さが体を動かさな優雅生活をしているとして美徳とされていたのだ。

この堕落美徳とするところはまさに平成人にそっくりだ。

平安貴族は侍に駆逐された。

その数十年後にモンゴルが攻めてきたのだから危なかった。

和人21世紀の侍になれるだろうか。

anond:20190508093040

この手の競争原理煽りさえすればみんな努力して金持ちになれるはず論は

あくまでも机上の空論なんですよ

社会構造的に、全員が高給取りの上流階級にはなれないようにできてるんです

仮に年収200万円台の人間が全員年収1000万円台になっても

今度は年収1000万円台が年収億円台の人から見ての「相対的貧困ラインになる

カールルイスフサインボルト100メートル10秒で走れるから

人類みな100メートル10秒で走れるかといえば、おのずと限界はあるんですね

で、高給取りは全員、当人努力100%のみで高い給与を得ているかと言えば

必ずしもそうとは限らない

親の資産、人脈、コネたまたまの運、先輩や創業者がすでに作り上げた従業員薄給でこき使えるシステムetcetcのおかげで高給を得てる場合だって少なくない

から富は再分配しなけりゃ不公平という考え方になるわけです

ちな、近代以前の社会インフラは、民の年貢で足りない分は、王侯貴族個人資産から持ち出しで整備するもんでした、軍事王侯貴族が自腹で金を払って兵隊を養ってた

累進課税廃止の代わりに、ちょっとでも金持ちが使う(貧乏人も使う)道路や電氣水道ガス公共施設防災対策国防は全部、ワタミ孫正義高須院長みたいな人が自腹100%で負担してくれるならよいですけどね☆

2019-05-07

anond:20190507143150

専業主婦お姫様ではないし、そもそも現代日本に「お姫様」などいない。

十四条

すべて国民は、法の下に平等であつて、人種信条性別社会的身分又は門地により、政治的経済的又は社会的関係において、差別されない。

華族その他の貴族制度は、これを認めない。

栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。


「専業」というからには業に専念してもらわないとな。

2019-05-04

公務員中小企業並みにならなければ維新が躍進する

官製王侯貴族を許すな。

2019-05-03

王制には悪い王がいる。

貴族制には悪い貴族がいる。

そして民主制には悪い民衆がいる。

高貴なるもの義務を負わない

貧乏人は『勤労』の義務を背負おう。生きるために。

高貴なるもの義務を背負わない。『勤労』をするのは貧しい者達。

弱き者たちは『納税』の義務を背負う。裁かれぬために。

強気者達は義務を背負わない。『納税』をするのは弱き者達。

ノブリス・オブリージュなどまやかしだ。

地位の高さは義務から逃れやすさと比例する。

貴族は働かない。

2019-05-02

天皇家男系なんて、絶対過去に途切れてるよね?

だって過去側室の中に、「天皇と並行して他の男ともやっちゃってた女」とか「実は無理矢理他の男に犯されてたんだけど、言えなくて黙ってた女」が一人もいないなんて、とうてい信じられない。

平安時代貴族皇族なんて、かなりセックスルーズだぜ?「浅き夢みし」ってマンガで読んだもん。

で、DNA鑑定はおろか、血液型知識もなければ、オギノ式による安全日とか危険日のことも分かってなかった時代の話でしょ? 女が黙ってれば、本当に自分の子供かどうか、男にはわからねーじゃん。

男系万世一系なんて、絶対ファンタジーに決まってる。

2019-05-01

anond:20190501133157

強弁して何を言いたいのかわからんが、結局「えらい人が来てくれ」ってそういう連中のためのパンダだよ。天皇がいなければその仕事総理がやらんとならん。

偉い人が来てくれって仕事は仮に断ったって、レア度が増すだけだから、できないのなら減らしたらいいだけのこと。

ああ、それから無駄貴族連中を増やす必然性ゼロだ。

共和制に移行したどころか旧共産圏東欧諸国ですら旧王族とかの貴族はいるわけで、そういう人たちが存在するかどうかと、政治的システマチック制度として国民国家に組み込むかとは、また別問題よね

一応ルーマニアとかだと王政復古への支持率はわりと高い、みたいな話も聞くし、その気持はわからんでもない。

2019-04-30

スペインに生まれたかったわ

休みに何時間も昼寝できるとかどこの貴族だよ

2019-04-27

なぜ日本神話女神たちはアニメのなかで巫女服を着せられがちなのか

神=神社なんだろうけど、ちょっと安直すぎないか

いやよく考えてみたら巫女さんは神に仕えているんだから、神の服装としては不適切だろう

ボスと部下が同じ服の訳ないだろうって

うーん、ギリシャローマ神話の神々は現地の服装っぽいよね

庶民の服なのか貴族の服なのか、神様用にあつらえた特別な服なのかわからんけど

じゃあ、日本女神にはどんな服装がふさわしいのか?

陰陽師的なアレ? 和服? 

神の姿がその当代の服飾を映してるっていうならミニスカニーソ制服いいね

増田の諸兄にお知恵を拝借したく

2019-04-22

ナンパされるから外を出歩けない」

治安の良い国に生まれ都市部に住み、五体満足で余暇を楽しむことしか頭にない、まさに生きることに対して舐め腐った王侯貴族の悩み。

土くさい仕事を男に押し付ける女は子どもを作るしか能がないのだから大人しく股を開いて、子どもを、作れ。

anond:20190422163414

なろう異世界

文明レベルが低くても村の中は清潔安全で、

モンスターは必ず正面から襲ってきてくれて、

あなた好意的に扱わない貴族勝手破滅させても誰にも文句を言われない。

そういう世界なんだよ。

anond:20190422161949

なろう読者はチート付きでも転生を拒否すると思うぞ。

文明レベルは低いしモンスター徘徊してるし貴族悪徳だし。

2019-04-21

anond:20190421200926

19世紀ヴィクトリア朝時代だって

21世紀現在比較すれば圧倒的に第二次第三次産業比率は低く

金持ち貴族に比べれば貧乏人が大多数の時代ですよ

世の中全体じゃ自由恋愛できた人たちなんて圧倒的に少数

たぶんヴィクトリア朝時代の間にも、中流階級以上なら、それまで子供10人ぐらいだったのが4、5人ぐらいまでに減るぐらいの少子化は進んだんじゃないか

現代比較すればそれでも今よりは多いけど

あと当時はまだ医療21世紀現在比較すれば未発達で乳児死亡率が高かったか

将来への保険として子供は多く産んでおく必要もあったし

2019-04-20

anond:20190420195928

「みんなロボットにさせれば」のロボットの部分が召使いだったのが貴族から、いいやとはならないでしょ

それでも嫌だと言うなら、ブッダみたいに出家して開眼するとかさ


人類は暇を解消するために

労働を始めたなんて話もあるぐらいだし

あんま変わらと思うぞ

だって銀行員とか株屋とか第三次産業とか、本当に要るのかって話よ

anond:20190420193501

過去貴族生活が参考になるんじゃない

編み物したり

チャリティーしたり

ゴルフとかあの手のスポーツしたり

鷹狩りしたり

anond:20190420190835

一応普通選挙男女雇用機会均等法は正しいフェミニズム認識している。

単に貴族社会から平民社会に移行した最後運動として女性主権が取り上げられただけ、という事実は触れないで置いている。

RPG世界くらい昔に生まれたとして

貴族王族はともかく、

城に配属されてる召使いとして

一生を過ごすってのはどうなんだろうなあ

まれ死ぬまで隷属して

華やかな世界垣間見つつ

小屋で寝泊まりする感じ

あ、今もか

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